ピリ・レイスの地図

南極大陸の存在が確認されたのは1819年のことである。そして1949年地震波による観測で厚い氷の下の海岸線や島の一部が明らかになった。しかしその常識は1929年にトルコ・イスタンブールのトプカピ宮殿で発見されたピリ・レイス地図によって覆される。

1513年に書かれた、ピリ・イブン・ハジ・メメドの地図にはさ1600メートルの氷の下の海岸線、数多くの山脈や独立峰がかかれていたのである。さらに当時発見されてなかった南北アメリカ大陸の海岸線やアメリカ大陸の山脈、島、川、高原が正確に書かれているのだ。

しかし他の古地図とは異なったゆがみを持つピリ・レイス地図は実用性がないことから長い間その価値を認められなかった。

第二次大戦後、この地図に関心を持っていたアメリカの古地図研究家アーリントン・マラリーがアメリカ海軍の協力の元綿密に調べなおした結果、アメリカ軍が第二次大戦中に作成した正距方位図法に酷似していることが判明した。この図法は距離と図法が正しく地球という球面上を飛ぶ飛行機にとっては便利なものなのだ。さらにその地形測量は高等数学である球面三角法に基づいている事も判明した。

ピリ・レイスはオスマン帝国第10代サルタン、スレイマン一世の配下の提督で地図製作者としても有名だった。彼はこの地図の作成に、二十数枚の紀元前4世紀頃のギリシアの古地図を資料にした、と記述しているのである。それを裏付けるように、古代ギリシアには南方に広大な大陸がある、という伝説が存在している。

実は発見以前の南極大陸を描いた古地図は、14〜16世紀のルネサンス期に多く出現している。ご存知の通りルネサンスは古代ギリシャ、ローマ文明を理想とした復興運動でもあり、その渦中で古代ギリシアの古地図が使われていた事は容易に想像できる。ここでは不思議なことに古い地図になればなるほど正しいという逆行現象が起きているのである。

キバヤシくんの一言ファイル

不思議だな…19世紀に発見された南極大陸、18世紀には存在すらも知られていなかった。しかし16世紀にはその存在が信じられていて、その期限が紀元前4世紀の古代ギリシアだ…我々の文明は一体何なんだろうな。

ここに大きな謎、「古代ギリシアの人々はどうやって南極大陸の存在を知ったんだろうか?」…古代のギリシア人が南極大陸を知っていたとは考えにくいからな。

こういった仮説はどうだろうか?

南極が氷に覆われていないはるか昔、高いレベルの航海技術と測量技術を持った文明が存在していた。南極大陸をも知っていたこの文明は古代の地球において栄華を極めた。…しかし現在にはもう存在していない、その痕跡はいまだに発見されていない。

…そう、古代大西洋に存在していたという、あの伝説のアトランティス文明だよ!!

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