TOYOTA MR2  1.6G

もどる



1984年6月。
日本初のミッドシップ量産車、出現。

カローラのFFコンポーネントを利用し、横置きリアミッドシップを実現したコンセプトは、FIAT=ベルトーネX1/9や、ポンティアック・フィエロともよく似ているが、当時、日本でこんなコンセプトが通用しようとは。

結局、日本ではウケが悪かったのか、その生産台数の70%は海外へ。

総生産台数約10万台。

その中でも、僕の出会ったAWは、希少なカラーリングでした。
8B7ストロングブルー。
国内販売はわずかに1000台余り(推測)。

自慢の1台だったのは間違いありませんでした。

が。

98年12月初めのこと。


雨の夜、
ちょっとした不注意からスピン。

せっかく見つけた相棒は、2度と一緒に走ってはくれませんでした。


ガードレールに突っ込み、
左側フェンダーから抉り込まれた車体はキャビン前の
バルクヘッドまで変形するほどに大破。


一縷の望みをかけて修復の手を入れてみたものの、
完全復活には150万程度の費用が見積もられ…

わずか2年の付き合いでAWと別れることに。

希少色でもあり、補修のために特注で塗料を仕入れてきた
その晩に大破。
これからいろいろキレイにしていこうと意気込んでいた、
でも、その浮かれた気分が相棒をこんなにしてしまいました。

それでも、相棒は僕を守ってくれたんだと思っています。
スピンの最中、すぐ側を走っていた車への激突を
よけてくれるように、ほんのわずかですが、ステアが応答
してくれ、最後の最後ギリギリのところで回避。
あの最期の瞬間、彼が僕のミスをカバーしてくれたようにも思えました。

そして、ストラットタワーバーのおかげか、キャビンまでクラッシュの
衝撃は伝わらずに済み、僕は無事ドアを開けて出ることができました。

彼は僕の身代わりになって、僕の未熟さを
改めて教えてくれたんでしょう。

いろんな事を教わりました。
運転の楽しさも。クルマいじりの楽しさも。そして、その怖さも。
そして、彼のおかげで実に多くの人と知り合うこともできました。

もう、このAWは解体され、この世にいません。
でも、僕は忘れない…。


いつか、また、朋友としてAWを。

今は1台のトンデモナイわがまま娘とべったり付き合っているけれど。

それでもまたAW一緒に走るときが来るのを目指して。

さよなら。AW11−0007859。


もどる