を取り巻く実態と予測される問題、健康への影響

 [第6回食の安全を考えるつどい](20015月、横浜市)への報告に最近の情勢を付け加えました。

■ 00年の十大ニュースに雪印事件、インターネットでは上位を占める。

  2000年6月下旬、雪印乳業の低脂肪乳などを飲んだ1万3千人以上が、黄色ブドウ球菌の作り出す毒素、エンテロトキシンによって食中毒になるという事件が発生した。雪印食中毒事件に係る厚生省・大阪市原因究明合同専門家会議の調査結果(最終報告)では、原料の「脱脂粉乳」がすでにエンテロトキシンに汚染されていたことに加え、大阪工場での取扱いが悪かったことが原因で、さらに被害が広がったと判断した。原因となった「脱脂粉乳」を製造した北海道の雪印大樹工場で停電があった際、回収乳タンクが9時間も冷却されずに放置され、脱脂乳が2030℃のまま4時間も滞留するなど温度管理が不能になった。その結果、「脱脂粉乳」から自社の検査でも基準を超える細菌数が検出されたにも係らず、雪印では、その製品を出荷し、再度原料として使用するなど、食品衛生の基本を忘れた対応を取っていた。

 

実は雪印乳業では今から45年前、1950年(昭和30年)にも北海道の八雲工場で製造した脱脂粉乳で東京の小学生1,382名が吐き気、腹痛、下痢などの食中毒を起こしていた。墨田区の小学校でも事故にあった。この時も機械の故障と停電が重なって原料の乳処理に時間がかかり細菌が繁殖して起きた。当時の社長は涙声で全社員に「細心の注意と努力」を訴えたがこの教訓は生かされなかった。

  同じ1950年は、森永ひ素ミルク事件があり12,344名が化学物質の食中毒になった。

 

 雪印事件とその後の不良食品問題についてインターネットでは多くの意見が出された。食品関係に働く人の内部告発的なものから、自らの経験等、食品製造の実態が明らかにされた。意見はフロッピー1枚では保存しきれないほど多く集まった。

 

◆次々と明らかになる不良食品の実態

  2000年6月の雪印事件以降、カビや虫の発生、異味・異臭、異物の混入などの不良食品の発生が次々と報道された。これまでは消費者と販売者、製造者だけで処理されていたものが、一挙に表に出てきた面もあるが、一連の事例では、同じ食品工場が原因で複数の被害が出ている例も明らかになった。例えば、東北地方のある製パン工場で製造したものから、次々と、それも色々な食品から様々な異物や不良食品が発見された。いかに工場での衛生管理がずさんかを現わすものとなっている。

 

これらの工場への保健所の監視はどうなっていたのかも大いに問題になるところだが、全国的に見ると保健所の食品衛生監視員の配置は十分でない。法定監視回数に対する監視率は95年の地域保健法制定時の18.22から98年には14.52にまで落ちている。全国の食品衛生監視員数は95年の7,367人(内専従職員1,662人)から98年7,211人(内専従職員1,587)と減少している。現在、法定監視回数の見直しを行っている。

 

◆東京都における牛乳等食品の安全管理は

  東京都では早くから都内の牛乳工場で作られる製品の安全を確保するために、牛乳工場に対する監視指導を強化してきた。1960年代までは、都内の主な牛乳工場には食品衛生監視員が分駐して監視検査に当たっていた。美濃部革新都政時代の70年には全国に先駆けて食品機動監視班を発足させ、食品監視に努力してきたが、牛乳工場内での検査は業者との癒着のもとになるとして、分駐していた監視員を引き上げ、71年、新たに2ヶ所の牛乳検査室を設置して監視指導に当たってきた。牛乳検査室に所属する食品衛生監視員は工場内の複雑なパイプラインも熟知しており、都民の健康を守るために、安全な牛乳が提供されるよう監視指導を行ってきた。

 しかし、東京都も「行革リストラ」を進めるなかで、90年、食品環境指導センターの設置と食品機動監視班の集約化に伴い、牛乳検査室も環境指導センター牛乳係として一ヶ所に集約され23区内4施設、多摩地区の7施設、島しょ地域に2施設(984月現在)の乳処理工場の監視指導を担当することになった。さらにHACCPが導入されたのを受けて、ハセップ指導係となった。衛生局の担当者や担当保健所の監視員の努力によって、都内では特に重大な事件は発生していないが、全施設をくまなく監視し、工場の施設設備まで熟知するのには困難になってきている。その上、東京都では、地域保健法施行により、全国に先駆けて保健所を削減してきた(現在多摩地区に12ヶ所)が、2000年8月に策定された「衛生局改革アクションプラン」によって、さらに保健所を削減し、最終的には5ヶ所にするとしている。2004年4月に強行された)複数の保健所があった23区でも各区1ヶ所となった。(53ヶ所から23ヶ所に)

 

■ 157事件とその教訓

 1996年、腸管出血性大腸菌O157による食中毒患者が、小学校、中学校、老人ホームなどで多数発生した。その後の対策によって、97年は患者数も大幅に減少し、小学校での発生はなくなった。しかし、98年以降も依然としてイクラの醤油漬け事件や特別養護老人ホームなどでの集団発生、レストランチェーン店での感染、産業祭りでの牛の丸焼きを食べての感染、牛タタキやローストビーフによる感染、その他個別にも焼き肉やレバーの生食などによる感染が続いている。O157は牛の腸に保菌していることが判明しており、あるデーターでは国産の牛でも6〜7%が保菌しているとの報告がある。その結果、牛肉や牛の内臓、あるいは牛の糞が付着した野菜に付いて調理場に持ち込まれる可能性がある。O157は少量の菌数で発症し、重症になると溶血性尿毒症症候群(HUS)を起こし死に至る場合がある。

 O157による食中毒の大発生は、それまでの食品衛生、食中毒予防対策に大きな影響を及ぼした。少量の菌数で発症するということは、食中毒予防の3原則といわれている@細菌を付けない。(清潔に)A細菌を増やさない。(冷蔵保管や迅速に食べる)B細菌を殺す。(殺菌する)の内、もっとも予防がしやすいAの「細菌を増やさない」という予防策があまり効果がないということであり、従来の予防対策を根本的に改める必要に迫られた。また、牛タタキやイクラの事件のように加工食品が製造工場でO157に汚染され、散発型の集中発生(diffuse outbreak)を起こしたことなど、これまでにない特徴をもっている。同じく食中毒菌のサルモネラも99年「ばりばりいか」などの乾燥いかによる広域発生があり、小学生などの児童が感染する事件が発生している。それまで「抗生物質の出現によって感染症対策は過去のものとなった」という誤った認識を覆し、食品の安全性の確保や食中毒予防対策、健康危機管理の見直しを余儀なくされた。

  雪印乳業などの食品製造業者はこの教訓を十分生かしていなかった。

 

感染症への対応:O157はすでに一般的な菌として蔓延しているが、肉類の生食、特にレバー刺や焼き肉店での感染など食品によるものと、人から人への感染がある。後者は糞口感染であるので、トイレ後の手洗いや感染者の汚物処理などの徹底で感染が防げることから、感染者を特別視しないこと。乳幼児については下痢、特に血便に注意し、早めに医療機関で治療を受けること。

 

食を取り巻く環境の変化

◆多様な食品と加工食品の氾濫

 食べ物の歴史のなかでも、ここ30数年間の変化、多様化には目を見張るものがある。いまの子どもたちや若い年代の人たちは加工食品にほとんど抵抗がなく、むしろ加工食品の方がおいしいと思っている人さえいる。ある巨大ハンバガーショップの元オーナーは「子どもの時に覚えた味は一生覚えている。子どもに食べさせれば一生売り続けられる。」と売り込みの秘訣を豪語している。

 

◆食料自給率の低下と輸入食品の急増

 1985年以降、輸入食品の届出件数が急増している。飼料となるトウモロコシや大豆、小麦などの穀物類の輸入も増加しており、農林水産省の資料によると、日本の食糧自給率はカロリーベース(供給熱量自給率)で87年に初めて50%を切り、93年の米の大不作で37%まで落ちた。99年は40%で、93年に次ぐ低い自給率となっている。穀物の自給率も1961年の76%から99年には27%まで減少している。

  一方、イギリスは61年に53%だったが95年には120%まで上げている。その他ドイツも62%から112%に、アメリカやフランスは常に100%を超えているように、先進国で大国といわれている国はほとんど自前で食料を賄えるように努力している。

 ところが、日本の現状は、もはや輸入食品なしに食生活を考えることができなくなっている。食品の安全性、食中毒や感染症などへの対策は、当然、輸入食品との関係を考えずに講ずることはできない。輸入食品には、

 

@外国には、日本で行っていないポストハーベスト(収穫後の農薬散布)という農産物の処理方法があり、収穫後に散布された農薬は雨や風などにさらされないため食品に濃厚に残留する場合がある。A農薬の規制が異なるため家畜の飼料に残留したものが食肉より検出される恐れがある。B添加物の各国の使用基準が異なるため日本で使用できない添加物を含んだ食品が輸入されることがある。C大量に輸入するため管理がずさんになり不衛生になりやすい。D大量に入ってくる輸入食品の一部しか検査が出来ない。

 

という問題点がある。

 

◆新たな対応が求められる遺伝子組換え食品、ダイオキシン・環境ホルモンなど

  遺伝子組換え作物(食品)についてはようやく、表示が義務づけられることになった。しかし5%以下の含有については含む旨の表示が免除されるなどの問題がある。また、人体に与える影響なども十分時間をかけた検証がなされていないことや、環境への影響、食糧の安全保障等の課題もあり、表示の徹底だけでは解決できない問題を含んでいる。環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)やダイオキシンなどの微量物質の人体への影響も注目されており、これらの物質についても保健所や食品衛生の面からの対応が求められている。

 

世界各地で発生する新たな感染症と食品媒介感染症

 WHOは、「我々は、今や地球規模で感染症による危機に瀕している。もはやどの国も安全ではない」と警告を発し、1976年以降、 HIVやエボラ出血熱などをはじめレジオネラ、クリプトスポリジウム、O157、狂牛病など約30種類の新感染症が出現したと指摘して、感染症への対応を呼びかけている。

 70年代に抗生物質やワクチンが発達し、80年にはWHOが天然痘を根絶したと宣言するなど、感染症は終わったなどといわれ、感染症に対する研究や対策予算が削減され、研究者や専門家も削減されてきた。こうしたスキをつくかのように、O157HIVやエボラ出血熱のような新しい感染症や、すでに制圧されたと思われていた結核やジフテリア、マラリア、劇症型A群レンサ球菌などの感染症が抗生物質に耐性を持ち再び流行しはじめている。食品関係では、サルモネラ・エンティリティデイス(SE)があげられているが、世界的な流行となった鶏卵によるSEについては88年にイギリスの発症が最初といわれている。前者を「新興感染症」、後者を「再興感染症」と呼び、国際的にも注目を集めている。

 新興感染症の代表格であるエボラ出血熱は、1976年ザイールの熱帯雨林を切り開いた小さい村で発生し、患者の88%が死亡したという危険な感染症である。この病原体であるエボラウイルスは、もともと熱帯雨林のなかにあったものが、人間による熱帯雨林の大規模伐採によって表に現われてきたといわれている。

 再興感染症であるマラリアは病原体(マラリア原虫)が特効薬のクロロキンによって押さえ込まれていたが、耐性ができ各地で再び流行の兆しをみせている。さらに航空機の発達によりマラリア原虫に感染した蚊が持ち込まれ、ヨーロッパの空港周辺で発生するという事態になっている。また、地球温暖化によって蚊やはえ、ノミなどが増えればさらに感染が広がるのではないかと危惧されている。

  墨田区や堺、世田谷区の医療機関ではセラチア感染による敗血症で死亡するという事件も発生している。

 

99年、墨田区の病院でセラチア感染が起きたが、この時の保健所対応が遅かったとマスコミから指摘された。病院からの届出がレジオネラではないかというものであったことで、環境衛生監視員はすぐに対応をしたが、感染症では4類に分類され一週間以内に届出されればよいものだった。しかし、セラチアによる感染と判明してからは、保健所では、食品衛生も協力して院内の拭き取り検査や看護婦等の手指の検査などを積極的に行い、再発防止に務めた。

 

 

◆新たな食品媒介感染症 

  その他にも、小型球形ウイルス(ノロウイルス)というウイルスが猛威をふるっている。このウイルスは人の腸内でしか増殖しないが、人が排出したウイルスをかきなどの二枚貝が濃縮して保有し、これらを食べることによって人が感染する。PTAの餅つき大会などでの感染も確認されており、広範に汚染が広がっている。かきの生育環境、海水の汚染によってますますウイルス感染が広がっているように思える。また、肉類や乳類などを汚染しているリステリア・モノサイトゲネスやカンピロバクターなども食品媒介感染症として注目されている。

 

リステリアはウシ、ブタ、ヒツジ、ニワトリなどほとんどの動物が保菌しており、また、土壌、河川水、下水などの環境中からも分離される。妊婦と胎児、新生児、乳幼児や基礎疾患を持つハイリスク者が感染すると髄膜炎や敗血症、流産を起こすことがある。食品を媒介して感染した場合でも、腹痛、下痢などの急性胃腸炎の症状はない。生タイプのチーズやホットドックなどの食肉製品から感染する事例が報告されている。

 

◆抗生物質の多用と耐性菌の出現

 1950年(昭和25年)まで日本の死亡原因の第1位を占めていた結核は、抗生物質の出現によって、77年ついにトップテンからも姿を消した。しかし、94年以降多剤耐性結核菌によって病院内で集団発生する事例が相次いでいる。多剤耐性(複数の抗生物質に耐性を持つ)を持った結核菌は再興感染症のひとつに数えられており、高齢者や低所得者層など弱者への感染が広がっている。抵抗力が低下し、完治するまで十分な治療を受けずに放置した場合、特に多剤耐性結核菌に冒されることがある。

 また、化膿を起こす原因菌である黄色ぶどう球菌は術後の患者にとってはもっともやっかいな菌のひとつだが、ペニシリンの出現によってひところは簡単に押さえることができた。しかし、その後ペニシリン耐性の黄色ぶどう球菌が現れ、これに対する抗生物質としてメチシリンが登場した。しかし、これを大量に投与した結果、70年代にはメチシリン耐性の黄色ぶどう球菌が登場し、多くの病院でメチシリン耐性の黄色ぶどう球菌(MRSA)がはびこることになった。このMRSAに唯一効果のある抗生物質バンコマイシンが作られるが、このバンコマイシンに耐性の腸球菌(VRE)も出現した。

 

◆家畜飼料に添加する抗菌物質に耐性菌

 メチシリン耐性黄色ぶどう球菌(MRSA)やバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)などの耐性菌の病原性はあまり強くないので、健康な人が感染しても問題になることはないが、基礎疾患や免疫力の落ちている人が感染すると発症する場合がある。発症した場合は、それに対応する適切な抗生物質(薬)がなくなることから重篤な病状になる。このような菌が万延し、病院内にも広がることは大きな問題となっている。

 

バンコマイシン耐性腸球菌出現の要因のひとつとして、バンコマイシンの大量使用とともに、豚や鶏に飼料添加物として使用しているアボパルシンの関与が指摘されている。家畜飼料にバンコマイシと構造のよく似た抗菌剤であるアボパルシンの添加を許可していたヨーロッパでは、農場内でVRE感染がひろがり、VREに汚染された食肉を人が食べることによってVRE保菌者となり、その人が入院した時に感染源になり院内感染が発生するのではないかと推測されている。ヨーロッパやタイで使用されていたが禁止になった。

 

食の安全を守る保健所と食品衛生監視員の体制の充実を

◆今、保健所・食品衛生監視はどうなっているのか

  地域保健法によって97年から始まった保健所の再編成によって、全国の保健所は845ヶ所から251ヶ所減って574ヶ所に統廃合された。食の安全を守る食品衛生監視員の配置は、港や空港などの検疫所や保健所を設置する都道府県、特別区、市の本庁及び保健所、保健所支所などに配置されているが、保健所の統廃合再編とともに集中化されている。

  2000年事件を起こした雪印大阪工場を管轄する大阪市は人口260万人という大所帯で24ヶ所あった保健所を、その年の4月にひとつにするとともに、食品衛生監視員を12名削減してしまった。また、大樹工場のある北海道では、99年4月より45ヵ所あった保健所を半分近くの26ヵ所にしている。

 

◆リストラ規制緩和でなく、必要な規制と職員の充実を

  地域保健法が制定された後、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、O157事件など次々と大規模な健康被害を起こす事件が発生し、これについての対応を含め基本指針の見直しが行われた。ここでは改めて保健所の健康危機管理体制の強化が取り入れられた。また、川越保健所の検査ミス問題や雪印の事件を受けて、厚生労働省は緊急に対策会議を開き専門職を集めて危機管理の徹底を訴えたが、一度決まった統廃合、行革リストラの流れは容易には止まらない。保健所の強化は、自治体が特別な努力を行わない限りできなくなっている。  

  国民の健康を守り、健康の危機管理に対応し、食の安全を守るためには、規制緩和とリストラという流れでなく、適切な規制、そして高度で専門的な食品監視のできる人員配置と、すべての監視員の技術向上に、国や地方自治体が積極的に取り組むことが求められている。

  こうした取り組みこそが、国民の健康づくりを支援する基盤整備、環境整備となる。

 

 

■ 考えるつどいへの問題提起

◆現状の食品衛生監視の方向は、国民消費者の期待に応えているか。

  業者対応、消費者対応が適切に行われているか、監視員の職場が活性化されているか等

◆監視員の機能強化、監視指導技術の向上は図られているのか。

  HACCPはどのように扱っていくべきか、どこまで業者支援指導するのか

◆これからの食品衛生監視員、監視業務はいかにあるべきか。

  輸入食品への対応、食糧自給率の向上、生産環境から消費環境まで、食の安全確保は

  保健所職員としての食品衛生監視業務をいかに考えるか

 

 

追伸

2003年の食品安全基本法制定や食品衛生法の一部改正により、国民の健康保護第一に考える方向に変わりつつありますが、まだ十分とはいえない。保健所や公衆衛生関係者、食品に携わるすべての関係者の奮起が期待されている。
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