魔法都市アルタイアの冬といえば、厳しいことで有名だ。
雪が積もり、辺り一面、銀世界が広がる。建物も街路樹も、純白の衣装を
今年の冬はとりわけ、厳しい。何でも、6年振りの大寒波らしい。
そのせいか、街では風邪が流行っている。
健康には気をつけないといけない。
ボクはコタツで暖を取りながら、ロバートに話しかけた。
年の瀬。
世間の忙しさをよそに、ボクたちはのんびりくつろいでいる。
ボクの名前は
ただ、他の人とは違って、ボクの耳は猫のように、白い体毛に覆われた三角形をしている。そして、腰からは白いシッポが伸びている。
この姿は、半人半獣の「使い魔」としては一般的。なので、ボクはよく使い魔と間違われる。けど、
どうしてボクが、人間なのに使い魔の格好なのかは、話せば長くなるからまた、別の機会に話してあげるね。
そしてボクの向かいに座っているのは、傭兵のロバート・バーン。その腕っ節は折り紙付き。昔はよく、行商人等に雇われて、道中の護衛として活躍したのだそうだ。今は我が家に居候しながら、場末にある酒場の用心棒として働いている。
彼は根っからの酒好きで、もらった給料はあらかた、酒代に消えている。ボクには理解できないけど。あんな臭い飲み物の、どこが良いんだろう。前にそう聞いてみたら、それはお前が子供だからだと一蹴されたけどね。
我が家には他にも3人、合計5人が暮らしている。その3人は、実は・・・。
コタツの上には、ミカンの皮が散乱している。
言うまでもなく、ロビン(ロバートの愛称)とボクとで食べ尽くしてしまったのだ。
この会話で想像はつくと思うけど、二人とも、
フィリィとは、ボク達と一緒に暮らしている使い魔で、本名はフィーリア・レイクロスという。ボクと違って彼女は、生粋の使い魔だけど、クリエイタ(使い魔など生命体を生み出すことができる魔導士のこと、ここではフィーリアの作成者)に「娘」として育てられたそうで、その言動は至って普通の、女の子だ。
使い魔は普通、「物品」として扱われる。お金を出して買うこともできるし(メチャクチャ高いけど)、お金持ち同士での贈答品になったりもする。
主人に仕えることが役目なので大抵、使い魔は自分の意志を持たない。なので、自らの意志で行動する彼女は、ちょっと変わった存在だ。
そう。フィーリアはこの冬、猛威を振るっている風邪に冒され、倒れてしまったのだ。
アイとは、ロビンやフィリィと同じ、我が家の同居人である。こちらは使い魔ではなく、普通の人間。彼女もまた、独り暮らしの経験があるため、フィーリアほどではないにせよ、料理はそこそこ、こなすことができる。
母さんも女手ひとつでボクを育て上げたくらいだから、料理なんて朝飯前。
が。その二人も風邪で寝込んでしまった。
一家5人。料理のできる3人が倒れてしまい、お世辞にも料理上手とは言えないロビンとボクが、取り残されてしまったのである。
傭兵としての腕前はなかなかなのだが、こういう局面では、彼はあまり、役に立たない。
作り置きのお総菜は病人の朝ご飯になっちゃったし、ミカンでさえ食べ尽くしたくらいだからもちろん、すぐに食べられるようなものが残っているはずもなく。
無理もない。この冬は稀にみる大雪で、どの店も軒並み、開店休業状態のはず。そんな中、食事の配達など行われる訳がない。
どっさり積もった雪。身を切り裂かんばかりの冷気。
ボクの身体に流れる猫の血が、本気で外出を拒否している。
ボクは二つ返事で、応じた。
ややあって、ロバートが戻ってきた。
ロバートはボクの前に、食材をリストアップしたメモ用紙を置く。
それを覗き込むボク。
冷蔵庫の中の食材もだいぶ、残り少なくなってきた感がある。
ボクが聞いてみるとロバートが、申し訳無さそうに答えた。
どうやら、先に食べられてしまったらしい。おにょれっ!
コタツを出てキッチンへ移動するボク。ああ、寒い。
さて、何を作ろうか。
ロビンは、食べられれば何でも良いって言ってたっけ。
・・・よし。
冷蔵庫から取り出だしたるは、橙のニンジン。
太陽の光を浴びて育ったニンジンは、ずっしりと重い。・・・あれ、ニンジンって根菜だっけ? 太陽の光って、関係あるのかな?
次に、まな板。中央に、真一文字に傷がある。深さ1cmはあろうかというこの傷は、そう、かのロバートの仕業である。固いカボチャを切ろうとして包丁を当ててみたものの彼は、力の加減が分からず、なかなか切れないことにしびれを切らし、ついに、腰に吊したバスタードソード(傭兵ご用達の長剣)でまな板ごと、叩き切ってしまったのだ。
それを受け、我が家では、ロビンに対し「刃物使用禁止令」を発令。以来、彼は食材をカットすることを禁じられてしまったのである。
その傷痕生々しいまな板で、ボクはトントンとニンジンを輪切りに。厚さはおよそ1cm。
後はこれを器に盛り付けて、と。
お皿を手に、キッチンからリビングの和室に移動。
コタツで向き合い、無言でニンジンを食べるボク達。ポリポリという虚ろな音が響く。
味付けは醤油だけ。さっきまで冷蔵庫に入っていたので、ニンジンは凍っているのかと疑うほど、冷たい。
ロバートが口を開く。
ウサギが醤油など使うはずもないけど、それの存在はこの際、無視。
ロビンが刃物禁止で、ボクはコンロ禁止。
ボクは過去に、トーストを黒焦げにし、サンマを黒焦げにし、暖めていた味噌汁を焦げ付かせ、サバの味噌煮を炭化させ・・・、とまぁ数々の料理を炭に変えてしまったという、(いろんな意味で)真っ黒な実績を持つため、「蕭家の炭焼き職人」という不名誉な称号を与えられ、火を使う調理法の一切を禁じられてしまっているのである。
ぐうぅ。
ニンジンは、何とか完食。しかし早くも、お腹の虫が、次の食べ物を要求している。
そう言いながらロビンは、顎をさすりながら続けた。
いや、もうキリギリスみたいな食事は、遠慮したいなぁ。
むぅ。
ボク達はコタツを出て、フィリィの部屋へ向かった。
ボクはノックをし、フィリィの部屋に入った。ちなみにロビンは、フィリィの部屋の前で待機中。女の子の部屋だし、ね。
ピンクを基調とした彼女の部屋は、とても暖かい印象。その一角に据えられたベッドの上で彼女は、丸くなって眠っていたが。
ボクが近づくと彼女は目を覚まし、ボクの方にその幼くあどけない顔を向けた。
桜の花を思わせるピンクの髪。サファイアのような深いブルーの瞳が、ボクを見つめる。
聞くところによるとフィーリアは、生まれつき身体に異常があるそうで、途中で成長が止まってしまったのだそうだ。何でも、成長ホルモンのバランスがどうとか・・・。なので彼女は、本当は25歳だけど、見た目は10歳くらい。しかも性格は臆病な上、言動が子供っぽいので、ボク的にはもう、たまらない存在である。
ボクが問いかけると彼女は、笑顔を作って見せた。
真っ白な体毛に覆われた三角形の耳、その内側が紅潮している。確かに、熱があるようだ。
ふと、枕元をみると、体温計が置いてある。
ボクは左手で、体温計を振って目盛りを戻しながら、右手で布団をまくり上げた。
フィーリアが
それを聞いたフィーリアは、飛び上がらんばかりに驚いた。
フィーリアは、とても困ったような表情を浮かべた。
あぁ、その顔、すごくかわいい・・・っ。
口応えしようとしたフィリィに、アップで迫りながら一喝。フィリィの性格からして、こういうふうに強く言われると、断り切れないんだよね。
彼女はうつむいたまま、しばらく迷っていたが、誰かが助けてくれるはずもなく。仕方無さそうにボクから体温計を受け取り、今朝出したお総菜に被せられていたラップを体温計に巻くと、布団の中にそれを引き込み、もぞもぞし始めた。
顔を真っ赤にしながら彼女が問う。
個人的にはこの目で、ちゃんと体温計がセットされているかどうかを確認したいんだけど、これ以上フィリィをいじめると本気で泣かれそうなので、この辺にしておこう。
ボクは頷くと、フィーリアの、ふわふわしている耳を、優しくなでておいた。
そして、2分ほどが経過。
さらに1分が経過し、フィーリアが抜いた体温計を確認してみると。
なかなかの熱である。猫の使い魔の平熱は人間のそれよりも若干、高めとは言え、これは良くない。
ボクが聞くと、フィーリアは、トマトもびっくりの赤い顔で答えた。
なるほど、なるほど。
ここに至りようやく、本来の目的を思い出すボク。
ボクが事情を説明すると、フィーリアは、急いでベッドから起き上がった。
家事ばかりしている使い魔の習性、というやつだろうか。
しかしその精神とは裏腹、病に冒された身体はついて行かず、彼女はその場に崩れるように、倒れてしまった。
まるで、
フィリィの頬にそっと、お休みのキス。
あーあー、顔、真っ赤にしちゃって・・・。もう、かわいいなぁ♪
そして部屋を出ようとしたら、背中越しにフィーリアのアドバイスが飛んできた。
部屋を出ると、ロビンが話しかけてきた。
ロビンはボクの顔をしばし、見ていたが。
ボクが問い返すと、彼は呆れたような顔をした。
えへへー。
ロリコンと言われようがレズと
ロビンは、諦めきったかのような声で、そう言った。
続いてボク達は、アイの部屋にやってきた。表向きは、彼女からも料理のアドバイスを・・・、ということなのだが、実は単に、アイに恋心を抱くロビンのためを思ってのことである。
ちなみに、アイ自身は、そんなロビンの心境に気づかないのか、気づいていて無視しているのかは知らないけど、彼にはぞんざいな態度を見せることが多く、結局、ロビンがいつも空回り。哀れと言えば哀れだ。
ボクが声をかけると、彼女はゆっくりと起き上がった。
病のせいか、腋の下くらいまである彼女の、少し癖のあるプラチナブロンドの髪は、ややくすんで見える。
姓は霞ヶ峰、名は愛。こうやって見ると一見、深窓の令嬢といった感じの彼女だが、本職は砥ぎ師で、宮廷の衛兵や自警団の隊員から、砥ぎの仕事を受けて生計を立てているという、およそ、その外見からは想像もできない生活をしている。
そのせいで、腕は結構、モリモリと筋肉質だ。
こんなコト本人の前で言うと、もこもこしたその腕で、たちまち絞め殺されちゃうけどね。
身寄りがないため、ロバートと同じように、うちに居候している彼女はボクにとって、普段はとても優しいお姉さん。でも怒らせると、すごーく怖い。
彼女の
ロビンは頭を掻きながら、それでも嬉しそうな表情を浮かべたまま、部屋に入ってきた。
とりあえず茶茶を入れておく。
案の定、アイが小突いてきた。
でもまぁ、想い人の部屋に招待されて、嬉しくない男の人は、いないよね。
フィリィと同じ感じだね。起き上がれる分、アイの方が軽いのかもしれないけど。
ロバートが心配そうに尋ねた。
そういえば、フィリィが体温計、持っていたっけ。
ボクが聞くと、アイはそう答えて、再びベッドに伏した。
フィリィの部屋に戻り、彼女に断ってから体温計を持ち出すと、再びアイの部屋へ。
戻ってみると、ロビンはアイと何か、話し込んでいる。
ロビンとの会話を中断したアイは、ボクから体温計を受け取ると、それを口に含んだ。
思わず、声を上げたボクを、二人が不思議そうに見る。
ボクはうつむきながら、恐る恐る、切り出した。
直腸検温と聞いた瞬間、愛は体温計を吹き出した。
愛に代わり、ロバートの拳が飛ぶ。体重の軽いボクは部屋の端っこまで吹き飛ばされる。
そして愛は一目散に、
ラップを巻いていたことも含め、必死に説明し、ようやく愛の怒りも収まったところで、本題。
ボクに代わりロバートが事情を説明した。
それを聞いた愛は、フィーリアとは対照的に、即答。
ボクが聞くと愛は、ベッドに横になりながら、アドバイスしてくれた。
ボク達はとりあえず、廊下に出た。
ロバートが立ち止まり、憮然とした表情で切り出した。
ああ、フィリィのお尻に入れたことね。なるほど、想いを寄せる人の口に、直腸検温した体温計が入る、などということが起これば、大抵の人は怒り出すに違いない。
とりあえず反論したボクに、ロバートが語調を弱めずに問いただす。
ロビンが額を押さえる。
むむっ、その態度。さてはフィリィの良さが分かってないね?
ボクは語調を強め、反論の言葉を継いだ。
ロビンが言葉の反撃をし始めたその時。扉の向こうから、愛の、何かを吐き出すような呻き声が聞こえた。
ボク達は顔を見合わせると、愛の耳の届かないキッチンまで、一目散に逃げ出した。
台所に戻ったボク達。さぁ、お料理開始っ!
あ、梨花ってのは、母さんの名前ね。
ロバートの提案を受けて、ボクは鍋を取り出した。母さんと二人暮らししていたころ(ロバート達が居候を始める前)、よく使っていた奴だ。取っても片手用だし、それなりに小さい。
記憶の引き出しを開け、さっき聞いたばかりの情報を探すボク。
ボクは米
米の量は、充分である。
あはは、ロビンらしいや。
ボクは、ロビンから受け取ったビールジョッキで、米を2杯、ボウルに入れた。
ロバートが首を傾げる。
気楽そうなロバートの台詞。
一方でボクは、フィリィから聞いたことを思い出していた。
確か、お菓子を作っている時だったっけ。
ボクがそう言うと、ロバートはおとなしく引き下がった。
ざく、ざく。
愛は洗剤は要らないと言ったので、言われた通り水だけで研いでいる。でも、手が冷たいので2回目からお湯にしたけど。
別に構わないよね。多分。
米を研ぎ終え、鍋へ。研ぐ時に多少、こぼしちゃったけど、そこはそれ、ロビンも大ざっぱな性格、誰も、何も言わない。
水も量り入れ、お鍋をロバートにバトンタッチ。
うーん、ボクに聞かれてもなぁ。いいや、適当にやっちゃえ。
ボクがそう言うとロビンは、頷いて鍋を火にかけた。
さて次は、ハンバーグである。
まずは、タマネギをみじん切りに。
むぅ。この役立たずー。
心の中で愚痴をこぼしつつ、どうにか、こうにか、タマネギを輪切りにまでしたボク。
むうぅ。そう言われると、反論はできない。
よし。頑張ろう。
さく、さく・・・。
フィリィの名前だけで、ここまで張り切れるというのは、やはり、愛する気持ちは誰にも止められないということだね。たとえタマネギの汁でも。
このハンバーグ、上手く作れたら真っ先に、フィリィに食べてもらおう。
喜んでくれるかなー、えへへー。
あ、食べてもらうより、食べさせてあげた方が、ボク的には萌えるね。
そうだっ。口移し! これだっ! いや、これしかないねっ!
さく、さく、・・・、ざくっ。
妄想しながらタマネギを切っていたら、ボクは見事に、左の人差し指先端に、切り傷を作ってしまった。
ボクの指から血が滲み、タマネギの切れ端を赤く染める。
ボクの悲鳴を聞いたロバートが、こちらを振り返った。
むぅ。回復の魔法はナシかぁ、しくしく。ああ、こんなことなら魔法、もっと勉強しておくんだった・・・。
戻ってきたロバートから絆創膏を受け取り、指に巻く。傷口がまだ、ずきずきと痛む。
選手交替である。
今までは見ているだけだったロビンが、米を研いだ後のボウルに、材料を放り込んだ。
タマネギのみじん切り。挽き肉。卵。
ボク達は顔を見合わせた。
言うが早いか、ロビンはボウルに手を突っ込み、ぐちゃぐちゃと掻き混ぜ始めた。
さすがロビン。気楽さの代名詞と言われるだけのことはある。
ボクの方はとりあえず暇になったので、包丁を洗っていた。そして、何げなくコンロを見てみると・・・。
順調に行けば、お粥になるはずの食材を放り込んでおいた片手鍋、その蓋が持ち上がり、泡を吹いている。
ロバートは急いで手を洗うと、ボクと立ち位置を交替した。
泡を吹き続ける鍋に、息を吹きかけるロバート。いや、火を小さくした方が、良いんじゃないかな? そう思いながらボクは、ボウルに両手を突っ込み、粘土状の生地をこね始めた。
ぐに、ぐに、べた、べた。むにゅ〜っ。
何とも言えない、冷たく軟らかい感触。気持ち良いと言われれば良いし、悪いと言えば、悪い。
ひたすら、こね続けて・・・。
ロバートが声をかけてきた。
ボクが、ハンバーグ生地を適当な大きさにちぎっている間に、ロバートがフライパンを火にかけた。
ハンバーグというからには、形は小判型だよね。
どれくらいの大きさが良いかな? 作るのは確か5人分だから、逆に、生地を5等分すれば良いね。
そのうちの一つを丸め、形を整えたボクは、それをロバートに見せ、同意を求めた。
が、ロバートは。
ろくすっぽ、こっちも見ずに応答。
うーむ。何ともいい加減な・・・。
じゅうぅと美味しそうな音が、キッチンに広がる。そして、この良い匂い。こうやってると、料理が苦手なボク達でも、結構、何とかなるものなんだね。
と、思ったのも束の間。
ロバートの、何やら、ただならぬ叫び声が聞こえた。
むぅ。
覗き込んで見ると確かに、フライパンの上に薄い、ハンバーグ生地が残ってしまっている。
こらこらー。そりゃ、くっついちゃうよ。
むむっ。そういえばボクも、場所は知らないなぁ。
いいや、この際、バターを使っちゃえ。
ボクは急いで冷蔵庫を開け、バターを取り出すと、それをロビンに渡した。
いつも、ナイフやフォークなどを仕舞ってある引き出しを、ボクは開けた。案の定、小さなバターナイフが、出番は今かと待ち構える袖裏の役者のように、そこに待機している。
ボクはそれを掴むと、ロビンにパスした。
ロビンはそれを手に、バターを親指大の大きさに切り出す。そして、淡黄色の欠片がくっついたバターナイフを、フライパンの上でぶんぶんと振り始めた。
ああもう、世話が焼けるなぁ。
ボクはロビンからバターナイフを受け取ると、付着したバターをフライパンの縁に擦り付け、内側に落とした。
バターはじゅうと音を立て、縁から滑り落ちて行く。
ロバートは感心したふうに、ぽんと手を打った。
・・・そういえば、お粥の方はどうなったんだろう?
見てみると、件の片手鍋は、ロバートが蓋を開けて放置していたためか、大分、水が減っていた。
そして何とも言えない、香ばしい香りが僅かながら、漂ってくる。
慌てて、
幸いにも、気づくのが早かったため、キツネ色のお焦げが多少、出来てしまったに留まった。
猫の使い魔の身体だからね。
お粥と言えば、当然、塩だね。さて、塩はどこかな?
調味料が仕舞ってある棚の扉を開けると、醤油や胡椒と並んで、白い粉が入っている四角い透明な容器が2つ、鎮座している。
さて、どっちだろう?
とりあえず、蓋を開けて匂いを嗅いでみると・・・。
ボクの独り言を聞き付けたロバートが、こちらを見ながら訊ねてきた。
でもどっちが塩かは、判らないんだけど。塩の匂いなんて知らないし。
それもそうだね。
ロバートの助言に従い、ヘンな匂いのしない方をなめてみると、しょっぱい。
ボクは砂糖をしまうと、塩の入った容器を片手に、コンロの方へ移動した。
お粥の蓋を取って、匙に1杯。
杓文字で軽くかき回して味をみると、まだ味はほとんどついていない。
2杯目を加えるボク。
するとロバートが、隣から割り込んできた。
彼はそう言うと、4個のハンバーグが乗った皿を、得意げに見せた。どれも、とても美味しそうである。
ロビンの方は順調らしい。ボクも頑張らないと。
そこでボクは、容器を斜めにして、角の部分から塩をかき出すようにしてみた。たちまち、塩がさらさらと鍋に入っていく。
が。
どこに潜んでいたのか、大きな塩の固まりが出現。
しまったと思った時にはもう、手遅れだった。
鍋にダイビングを果たした塩の固まりはゆっくりと溶け、満足げな表情を浮かべながら美しく崩れて行く。
ボクは、知らない振りをしたが。
あっさり、バレてしまった。
恐る恐る、粥を混ぜて味を均一にしてから、なめてみると・・・。
とても、食べられたものではない。
ボクの様子をみていたロバートが、声のトーンを変えながらそう言い、鍋の中の粥を一口、すくって口に入れた。
目を白黒させるロバート。
でも、水が多少減ったとは言え、鍋はもう、ほぼ満杯。
そういえば、おでんとかを作る時に使う、深い鍋があったはず・・・。
ボクはそれを収納棚から捜し出すと、ロバートにパスした。
ロバートは受け取ると、粥を移し替え、水を足して火にかけた。
掻き混ぜてから味をみると、今度は微妙に、薄い。
どうやらロビンの加減した水が、多すぎたみたいだね。
ロビンが慌てて、ボクを制止した。
むー。つまらないなぁ。
暇を持て余したボクは、冷えた手を鍋の上にかざしていた。
米粒が、真ん中から浮いてきては周囲から沈んで行く。
ふと見るといつの間にか、指の傷口が開いてしまったらしく、血がぽたぽたと滴っている。
当然、血は粥の上に落ち、僅かながら、赤い染みとなって広がっている。
ロビンがこちらを見ている。
ボクはロビンに何か言われる前に、杓文字でお粥を混ぜておいた。
最後の1個を皿に盛りながら、ロバートがこちらへやってきた。
互いの手を打ち合わせ、バトンタッチの合図。
ん? 貼ったはずだよ?
そう思い、切ってしまった指先を見てみると・・・、確かに、絆創膏は影も形も無い。
そういえば、さっき血が垂れた時にも、なかったような・・・。
うーん、考えにくいね。
ベタベタしていたから、その時に外れちゃったんだ!
と、いうことは・・・。
ロバートが、額を押さえてうつむく。
味付けは後回し。ボクの直感で選ばれた1個の、哀れなハンバーグが、ロバートの手によって
いろいろ苦労して、やっとできあがったハンバーグ。フィリィにもアイにも、母さんにも見られる事なく形を失うボク達の作品。
言いようのない悲しさと、落胆がボク達を支配している。
しかし、絆創膏は見つからない。
2個目の犠牲者として選ばれたハンバーグが、少しずつ、その形を変えていく。
ハンバーグ・バラバラ殺人事件だ。
ボクに指された、3個目の作品に、ロバートのフォークが入った。
確率的には、この3個目で見つかる可能性が、最も高いはず。しかし。
あるのはただ、元はハンバーグだったはずの、小さな塊だけ。
いよいよ、ボク達のハンバーグは残り2個になってしまった。
いよいよ、4個目が、悪魔のような絆創膏の生贄として捧げられることに決まった。
ロバートが慎重に、ハンバーグを崩していく。
皿の上には、解体された後の残骸が、転がっていた。その惨状は、目を背けたくなるものがある。
試しに、いくつかの欠片を、再びくっつけようとしてはみた。でも、やはり、くっつかない。壊れたものは、元に戻らないということを、思い知らされる瞬間だった。
ロバートが、4個目を7割方崩し終えた時だった。
ロバートの声に応じ、見てみると、しわしわの状態で、ぺちゃんこに潰された絆創膏がそこにはあった。
その絆創膏はどことなく、してやったりといった、邪悪で、満足げな表情を浮かべていた。
ロビンとボクは、がっくりと肩を落とした。
ロバートが手際良く、鍋に塩を振り、お粥の味付けも完了。尤も、水で薄めすぎたせいか、お粥というより重湯に近いけど。
でも、ボク的には、ロビンの手際の良さが、ちょっと意外。その日暮らしの傭兵なのに、何故・・・。
五体満足(?)のハンバーグは1個だけなので、これを誰にあげるかでロビンと一悶着あったけど、結局、ハンバーグの提案者であるフィリィに、ということで落ち着いた。代わりと言っては何だけど、食事は先に、アイに持って行くことに。
さぁ、喜んでくれるかな・・・?
戸を開けると、淡いスミレ色の壁紙が貼られた壁が、ボク達を出迎える。そして、愛本人はと言えば・・・。
ベッドですぅすぅと寝息を立てていた。
様子を聞くロビンに、ボクはそう応じた。
折角だからリポーター風にやってみよう。
呆れ顔のロビン。でもこの際、無視。
どーせ寝てるんだもん。分かりゃしないよ。
むにゅ。
・・・。
さぁ、何秒くらいで起きるかな・・・?
が。
突如、愛がボクの手首を、むんずと掴んできた。そして、恐ろしいパワーでぎゅうと締め付ける。
だから、そういうところが狂暴なんだよー。
でも一体、どれだけ握力があるんだろう。まるで万力だよ。
ロバートが本題を切り出すと、愛はボクの手を放した。
ああ、痛かった、ようやく解放されたよ・・・。まだちょっと痺れてるけど。
嘘
絶対、その化けの皮を剥いでやるー。
む。ちょっといいこと、思いついちゃった。
ボクはキッチンに戻り、大急ぎで道具を取ってきた。
ボクに言われるまま、ロバートがどっかと、深鍋を降ろした。
ベッドに横になっていた愛は、それを見て素直な感想を漏らす。
そう言いつつも愛は、素直に口を開けた。
が、ボクが持ってきた道具というのは、匙じゃなくて・・・。
『道具』を咥えた愛が、訝しそうに目を開く。
ボクは右手で、愛に咥えさせた漏斗を真っすぐに固定し、左手でロバートに手招きをした。
ボクの言葉を聞いて、愛が即座に跳ね起きた。本当に病人かと、疑いたくなるほどの勢いである。
ロバートが突っ込んだ。ボク達、もしかして、漫才コンビになれるかな?
愛が諦めたかのように、そう言った。
お粥を茶碗に入れ、「元ハンバーグ」、というかただの肉片を適当に、小さな皿に入れて愛に渡すと、ボク達は部屋を後にした。
次はフィリィの部屋。早速、行ってみよー。
部屋に入ると、ベッドの上で寝ていた彼女は、眠そうな目をこすりこすり、上半身を起こした。
今回はロビンも一緒に入ってきた。邪魔しなきゃ、いいけど・・・。
微笑みながら答えるフィーリア。
彼女のことだからきっと、無理して笑顔を作っているに違いない。
ボクはとりあえず、茶碗にお粥を入れ、ハンバーグの皿と共にお盆に乗せて、彼女の枕元へ運んだ。
フィーリアは胸の前で手を合わせ、嬉しそうに言う。
ボクは礼を言うと、匙でお粥をすくい、彼女の口元に近づけようとした。
すると。
そう言うとフィーリアは、枕元に置いてあった、薄黄色のタオルを手にすると、それを手際よく胸元に広げ、即席の前掛けにした。
なるほど。確かに、
ボクが提案すると、ロビンが割り込んできた。
呆れたように、額を手で押さえるロビン。しかし、ロビンが突っ込むより先に、フィリィが口を出した。
うーん、残念。期待していたのになぁ・・・。仕方ない、匙で食べさせる、これで我慢するしか、ないか。
お粥をすくって匙を差し出すと、フィーリアは素直に口に入れた。
味付け担当のロビンは、やはり、味の仕上がりが気になるらしい。
ロバートがジロリとボクを睨む。
いーじゃん、少々。フィリィも美味しいって言ってくれているんだし。
ボクはハンバーグを一口サイズに切り、匙に乗せてフィーリアの口に運んだ。
むぐむぐとフィリィが口を動かす。
が。
数回、噛んだところで、彼女の口の動きがぴたりと止まった。
ややあって。
ロビンとボクの声がきれいに
フィーリアが肩を落としながら、謝った。それを聞いてロバートも、詫びる。
ボクがそう言うと、案の定ロビンがつっついてきた。
それを見てフィーリアがくすくすと笑う。
うあ。その顔、めちゃくちゃ可愛いっ!
笑い涙を指で拭いながら、彼女が言った。
フィリィに取りに行かせる訳にはいかないじゃん。
でも、ボクがそう言い返すより早く、彼は調味料を取りに、廊下へ出て行ってくれた。
これでしばらくは、フィリィと二人っきり。
せっせとお粥をフィリィの口に運んでいると・・・。
フィーリアが疑問の声を発した。
そりゃもちろん、フィリィが可愛いからだよ。ついでに言うと、御飯粒とかが口元につかないかなあと期待もしてたり。ついたら当然、舐め取って・・・。
しばらくして、コショウを手にロビンが戻ってきた。
ロバートが呆れた顔でこちらを見ている。
多分、原因はボクの位置だろうけど。
ロビンがいたときは、ボクはフィリィの正面から、向き合う形で食べさせていたんだけど、今は彼女の右隣りに、べったりとくっついて座り、左手をフィリィの左肩に回した状態で食べさせているからね。
ロビンがコショウの入ったビンを手渡すと。
フィーリアの小さな手がビンを受け取り、コショウをぱっぱっと散らす。
これで、枯れ木に花が咲くかのごとく、味気無いハンバーグに美味しさが加わるはずだ。
ソースの作り方かぁ。あんまり興味は、ないんだけど・・・。
あ、でも、教えてくれるということは、ボクとフィリィとの二人きりで、キッチンでお料理ということに・・・。
ボクの返事を聞き彼女は、こちらの心の内を知ってか知らずか、嬉しそうな表情を浮かべた。そして、左手で握った匙でハンバーグを口に運ぶと、美味しそうに口を動かし始めた。
次は、母さんの部屋である。
コンコンとノックをし、部屋に入ると、母さんは奥のベッドで目を閉じていた。
どうしようか。
入り口から様子を伺っていたロバートが、ゆっさゆさと母さんを起こしにかかったボクを見て、疑問を投げかけた。
ボクは揺らすのをやめ、容体を聞いてみた。
なるほど、良い感じだね。
むぅ。何も、そんなに驚かなくても・・・。
どーいう意味さー。
実の娘を信用できないってこと?
ロバートは部屋の中に鍋を運び入れると、よっこいせと掛け声を掛けながらそれを床に置いた。
ボクは茶碗に、母さんの分のお粥を
聞かれたロバートは、あさっての方向を向き、頬を掻きながら答える。
多分、お粥の味付けと絆創膏の件が、ロビンを縛っているんだろうなー。
茶碗を受け取った母さんは、ロビンが持っている大皿に目をつけた。
例の、ハンバーグの成れの果てが乗っている皿である。
ロバートは詳細をぼかしながら、悲しきハンバーグ(っぽい食べ物)を小皿に取り分けた。
ひ、ひどい。ハンバーグなのにー。
面と向かって否定できないところがまた一層、悲しいけど。
ロバートがそう説明すると、母さんは、彼からコショウのビンを受け取り、頷いた。
ロバートともに母さんの部屋を後にしたボク達は、キッチンへと戻った。
ボクがそう言うと、ロビンは虚空を睨めながら腕を組んだ。
んー、何だったかな?
お粥の方は、少し塩辛かったものの、割りと普通の味だった。もっとも、米の量が少なくて、というより水の量が多すぎて、水っぽかったけどね。
元ハンバーグの方は、フィリィの指摘どおり、味がなかったものの、コショウをかけると普通に食べられた。
隣には、お粥を喉に流し込むロビンがいる。ちゃんと、味わっているのかな?
ロビンが深鍋の中身が見えるよう、ボクの方へ傾けて見せた。
彼の言うとおり、まだ底は見えない。お粥はたっぷり、入っている。
ロビンが、豪快に笑った。
それはそうと今回、意外だったのが、ボク達でもちゃんとした・・・と言うにはちょっと届かないけど、それなりに料理を作れるんだ、ということ。そういう意味でも、今回のお料理は、経験できて良かったのかもしれない。
翌日。
今日も外はとても寒い。
ボクとロビンの料理の甲斐あって(?)、フィリィもアイも、母さんもみんな、すっかり回復し、いつも通りの朝が戻ってきた。
ボクもいつもの休日と同じように、コタツに入っている。そして、うつら、うつらしていると・・・。
キッチンから、フィーリアの情けない声。
ボクがキッチンへ行ってみると・・・。
フィーリアの後ろから、腰に手を当て、母さんが睨む。
愛も口を開いた。
確かにあの後、お腹が一杯になったボク達は、調理器具はそのままに、コタツに入って寝てしまったのだ。
母さんがつぶやく。
ご機嫌斜めな二人をなだめようと、フィリィがフォローしてくれた。
ありがとうフィリィ、後でキスしてあげちゃう♪
ところが。
頷くフィーリアに、母さんと愛が怪訝な顔をする。
むぅ。
一応、ハンバーグのつもりだったのに・・・。
愛が、溜め息をついた。
あー、それで思い出した。昨日から、何かを忘れているような気がしていたのはきっと、アイに調味料を渡していなかったことだ。
味がないのを指摘したのはフィリィで、アイにはその前に賄いを運んだので、調味料を渡していなかったのだ。
母さんは人差し指をこちらの前で上下させながら、ビシッと言い放った。
ごし、ごし。
水が冷たい。
一緒に料理をしたロビンは、病人の部屋を廻ったせいか、はたまた、コタツで寝てしまったせいか、見事に風邪を引いてしまい、彼の部屋で寝ている。
お陰で、ボクが一人で片付けるはめになった。
母さんが後ろで仁王立ちしているものだから、手を抜くこともできない。
うう、手が冷たいよ。
と、そこへ。ふらふらしながらロバートがやってきた。
むぅ。ボクは今ほど、病気にかかりたいと思ったことはないっ。
じゃ、せめてその風邪をちょうだい。
考えてみれば、この洗い物、フィリィやアイは毎日、やっているということになる。
自分でやってみて、初めてその辛さが分かる、なんてよく言われるけど、実際にその通りなんだなー。感謝しなくちゃ。
そうだ、感謝の気持ちも込めて、今日の、フィリィのお昼寝に、添い寝してあげよう♪
じゅるり。
いけないいけない、思わず涎が・・・。
そんな妄想をしていたのがいけなかったのか、その洗い物はお昼になっても終わらなかった。
そして、昼食で出た汚れ物も、母さんの「何事も練習!」という一声で、ボクが洗うことになってしまった。
ああ、無情。
結局、全て洗い終えたのは3時過ぎ。それはフィーリアが、お昼寝から目覚めたのと、ほぼ同時だった。