千字文(せんじもん)
作者:周興嗣(470~521)
時は南朝・梁(502~549)の武帝が文章家の周興嗣に作らせた。
周興嗣は一夜で千文字を作成し皇帝に進上したと謂われ、その一夜で白髪になっていたという伝説もある。
4文字を1句とする250個の短句からなる韻文。
全て異なる文字で作られており、一字たりとも重複していないのが特徴。
子供教育用として用いられており、日本の「いろは」と似た使われ方であるが、比較できないほど複雑。
しかも、「宇宙」「自然」というこの世の大元となるところから始まっているのが、神秘的な雄大さを感じる。
ただし、数字では「一」「三」「六」「七」が、方角では「北」が、地理では「山」などが無いなど基本漢字の抜けが見られるており
基礎教育用としては完成度が低いと言えなくもない。
ただ、日本語の50音と異なり、無数にある漢字なので仕方ないのだろう。
原文(行書・草書)



■一覧(一部の文字は現代漢字で表しました)

日本語読み 意味
○一の一(1~18句)
天地玄黄 宇宙洪荒 てんちはげんこう うちゅうはこうこう 天の色は黒く地の色は黄色い。宇宙は広大である。
 (天地宇宙と大いなるものから始まる)
日月盈昃 辰宿列張 じつげつはえいしょくし、
 しんしゅくはれっちょうす
太陽や月は満ち欠けがあり、星は空に布き並んでいる。
寒來暑往 秋收冬藏 かんきたりしょゆき しゅうしゅうとうぞす 春の寒さが来て次に夏の暑さが来て去る、
 秋には生物の生長が収束し、冬にはかくれる。
閏餘成歳 律呂調陽 じゅんあまりてとしをなし、
 りつりょしてようをしらべる
太陽年と太陰暦の合わない所を閏月を設けて年を成立させ、
 また六律(楽)をもって陰陽を調和させている。
雲騰致雨 露結為霜 くもはのぼりてあめをいたし、
 つゆはむすびてしもとなる
雲は昇って雨となり、露がかたまって霜となります。
金生麗水 玉出崑岡 きんはれいすいにしょうじ、
 たまはこんこうにいづ
金は麗水から発生し、玉は崑崙山から産出する。
劍號巨闕 珠稱夜光 けんはきょけつとごうし、
 しゅはやこうとしょうす
剣は名剣・巨闕とかまびすしく号され、
 珠は夜光と称されるほどに賞賛される。
果珍李柰 菜重芥薑 かはりだいをちんとし、
 さいはかいきょうをおもんず
菓物では李(すもも)と柰(からなし)をとうとび、
 野菜では芥(からし)と薑(しょうが)を大切にしている。
海鹹河淡 鱗潛羽翔 うみはしおからくかわはあわし、
うろこあるはひそみはねあるはかける
海の水は塩辛く河の水は味が淡白である、
 魚は深淵に潛み鳥は大空を飛び回っている。
○一の二(19~36句)
龍師火帝 鳥官人皇 りゅうしかてい、ちょうかんじんこう 大昔人文が発生する時に、
 竜師・火帝・鳥官・人皇の帝王がいたのである。
始制文字 乃服衣裳 はじめてもんじをせいし、
 すなはちいしょうをふくす
伏羲の王朝になり始めて文字をつくり、
 黄帝の御世になって衣裳を着用するようになった。
推位讓國 有虞陶唐 いをすいしくにをゆずるは、ゆうぐとうとう 舜(有虞)と堯(陶唐)は、夫々の位を推しすすめ國を譲ったのである。
弔民伐罪 周發殷湯 たみをとむらいつみをうつは、
 しゅうのはつといんのとうなり
暴虐のために死亡した人民を弔い、暴君の罪を討伐したのは、
 周の武王・發と殷の湯王である
坐朝問道 垂拱平章 あさにざしてみちをとい、
 すいきょうしてへいしょう
天子たるものは常に朝廷に坐して道を問い求めておれば、
 もせずに手をこまねいているだけで百官が和合して天下は治まります
愛育黎首 臣伏戎羌 れいしゅをあいいくし、
 じゅうきょうをしんふくせしむ
人民をいつくしみ育てて、辺境の戎羌を服従させること
遐邇壹體 率賓歸王 かじいったいにして、
 そっぴんしておうにきす
遠近の民が一体となり、地の続くかぎり天子をしたって来るのである。
鳴鳳在樹 白駒食場 めいほうはじゅにあり、
 はっくはじょうにはむ
德のある君主の許には鳳(賢人)が現れていななき、
 賢人が乗る白駒は農場の苗を食いぶちとします。
化被草木 賴及萬方 かはそうもくをおおい、
 らいはまんぽうにおよぶ
君主の德化は四方の草木を被い、余得の利は万民にも及びます。
○一の三(37~50句)
蓋此身髮 四大五常 がいしこのしんぱつは、
 しだいごじょうなり
おおよそこの身体髪膚は、四大(地水火風)であり、
 五常(仁義礼智信)を修めているのである。
恭惟鞠養 豈敢毀傷 うやうやしくきくようをおもへば、
 あにあえてきしょうせん
親に養育されたことを恭しく思へば、
 どうして身体を傷つけることなど出来ましょう
女慕貞絜 男效才良 おんなはていけつをしたい、
 おとこはさいりょうをこう
女は正しく清らかな心になろうとし、
 男は働きのある人になろうと努めます。
知過必改 得能莫忘 あやまちをしらばかならずあらため、
 のうをえてはわすれることなかれ
自分の過ちを知ったらためらうことなく必ず改め、
 知り得た教養は忘れないようにしなくてはいけません。
罔談彼短 靡恃己長 かれのたんをだんずることなかれ、
 おのれがちょうをたのむことなかれ
他人の欠点を語ってはなりません、
 自分の長所を自負することがあってはいけません。
信使可覆 器欲難量 しんはふたたびすべからしめ、
 きははかりがたきことをほっす
信は反復できる本物の信であるべきだ、
 身についた教養は量りやすいが、
 量りがたい德こそを身に付けるようにするべきです
墨悲絲染 詩讚羔羊 すみはいとのそまるをかなしみ、
 しはこうようをほめたり
墨子(戦国時代の人)は国が白糸のように染まるを悲しみ、
 詩経では小羊のように正直な美徳を褒めています。
○二の一(51~68句)
景行維賢 克念作聖 けいこうはこれけんなり、
 よくおもえばせいとなる
德行をするのは賢人の行いであり、よく善を思うならば聖人となります
德建名立 形端表正 とくたてばめいたち、
 あらわることただしければひょうたるただし
大德があれば名聞を得られます。
正しい表れによって益々名が立ってゆきます
空谷傳聲 虚堂習聽 くうこくにこえをつたえ、
 きょどうにちょうをならうごとし
誰も居ない谷に向っていても声を伝える気持ちで行い、
 誰も居ない堂に向ってもよく聞く気持ちで習いなさい。
禍因惡積 福縁善慶 かはあくせきにより、ふくはぜんけいによる 禍は元々悪事が積み重なっておこり、
 福は善いことや喜びが重なってもたらされます。
尺璧非寶 寸陰是競 しゃくへきはたからにあらず、
 すんいんをこれきそうべし
大きな壁(たま)が宝ではありません。
ほんの少しの時間こそ大事に過ごすよう努めなさい。
資父事君 曰嚴與敬 ちちにとりきみにつかうに、
 いわくげんとけいと
父に仕えるように君にも仕えなさい、
 それは「尊びと敬い」の態度なのです
孝當竭力 忠則盡命 こうはとうにちからをつくし、
 ちゅうはすなわちめいをつくす
父母に対する孝養は当然全力を尽くして行い、
 君に対する忠節は命を投げ出す覚悟で行うべきです
臨深履薄 夙興温清 ふかきにのぞみてうすきをふむごとく、
 つとにおきてあたたかくすずしくすべし
親に対しては深淵に臨んだり薄氷をふみ渡る時のように注意して行い、
 朝は早起きして夜はおそ寝、冬温かく夏涼しくなるよう孝養をしなさい。
似蘭斯馨 如松之盛 らんのそれかんばしきににて、
 まつのさかんなるがごとし
親に対する孝行が高まれば、蘭の香のように誉れも高くなります。
皆仲良く争うことなければ、松の盛んなるように家も隆昌します。
○二の二(69~80句)
川流不息 淵澄取映 かわはながれてやすまず、
 ふちはすみてえいをとる
川の流れを見て孔子が嘆かないようにしなければなりません。
また淵の鏡に我が身を映して反省努力することが大切です。
容止若思 言辭安定 ようしはおもうがごとく、
 げんじはあんていすべし
緊張した思っているときの姿が礼節のある態度であり、
 言い方は安定感のある和やかで明瞭であるのがいいのです。
篤初誠美 慎終宜令 はじめをあつくするはまことにうるわしく、
 おわりをつつしむはよろしくよくすべし
初めを篤くするのは誠に美しいが、
 終わりまで注意深くして善い結果をだすよう努力しなさい。
榮業所基 籍甚無竟 えいぎょうのもととするところなり、
 せきじんにしておわりなし
栄誉ある官職はこれらの德が基となっていて、
 名声は栄えて終ることがないでしょう。
學優登仕 攝職從政 まなびてゆうなればとうしし、
 しょくをとりてまつりごとにしたがう
学識に優れれば登って官職につき、
 正しい政治の道を摂り行うでしょう。
存以甘棠 去而益詠 ぞんするにかんとうをもってし、
 さりてますますえいず
名君召公の善政を懐古して棠樹を残し
 これに甘棠(こりんご)の詩を作ったのである。
○三の一(81~102句)
樂殊貴賤 禮別尊卑 がくはきせんをことにし
 れいはそんぴをわかつ
音楽は身分の貴賎によって楽曲が異なり、
 身分の尊卑によっても行う礼に差がつくのです。
上和下睦 夫唱婦隨 かみやわらげばしもむつまじく、
 おっととなえればつましたがう
上の人が德高く和やかで寛容ならば下の人は自然に仲よくなり、
 夫が誠実に先導すれば妻はそれに随ってゆきます。
外受傅訓 入奉母儀 そとにてはふくんをうけ、
 いりてはぼぎをほうず
十才になると外に出て先生の教えを受け、家では母の示す人の模範を受ける。
諸姑伯叔 猶子比兒 しょこはくしゅく、ゆうしはじにひす 伯母伯父達を敬い親しんで、それらの子は我が子と同じように可愛がります。
孔懷兄弟 同氣連枝 はなはだおもうはけいていなり、
 きをおなじにしえだをつらねる
常によく思い合うのは、同氣連枝ともいわれる兄弟である。
交友投分 切磨箴規 ともとまじわるにぶをとうじ、
 せつまししんきすべし
友と交わるには心を開いて仲良くし、励ましあって能力を磨き、
 至らぬところをお互いに正しあうようにしなさい。
仁慈隱惻 造次弗離 じんじいんそくは、ぞうじにもはなれず いつくしみとあわれみの心は、一時たりとも忘れてはいけません。
節義廉退 顛沛匪虧 せつぎれんたいは、
 てんぱいにもかけることあらず
節度よく義を重んじ正しく謙虚な態度は、
 常に保って失うことがあってはなりません。
性靜情逸 心動神疲 せいしずかにしてじょうやすく、
 こころうごけばしんつかる
性根が道を守って安静であれば感情も安らかである。
利に心が動けば精神も疲れてきます。
守真志滿 逐物意移 しんをまもらばこころざしみち、
 ものをおえばいうつる
道を守り通すならば志は満ち足りているが、
 名利・物欲を追い回していると心が不安定になります。
堅持雅操 好爵自縻 がそうをけんじすれば、
 こうしゃくおのずからまとう
節操を正しく堅く守っているならば、
 高い位は自然につながるように就いてくるものです。
○四の一(103~122句)
都邑華夏 東西二京 とゆうはかかに、とうざいににきょうあり 天子の宗廟のあるみやこを都といい、小さいみやこを邑という。
周の東都(後漢の東京)と周の西都(前漢の西京)の二京がある。
背邙面洛 浮渭據涇 ぼうをせにしてらくにめんす、
 いにうかびけいによる
東京は北に北邙山があって南は洛水に面しており、
 西京には渭水が流れていて涇水にも依っている。
宮殿盤鬱 樓觀飛驚 きゅうでんはばんうつとして、
 ろうかんはひきょうなり
天子の宮殿はずっしりと建っていて、樓觀は高々と聳えている。
圖寫禽獸 畫綵仙靈 きんじゅうをずしゃして、
 せんれいをがさいす
宮殿の室には鳥や獣が描かれていて、
 神仙や霊奇なものなども色彩で画かれている。
丙舍傍敔 甲帳對楹 へいしゃはかたわらにひらき、
 こうちょうはえいにたいす
役人の居る室はかたわらに出入り口がある。
天子の控える帳は大柱と対面している。(宮室の構造)
肆筵設席 鼓瑟吹笙 えんをつらねてせきをもうけ、
 しつをこししょうをふく
筵を敷き連ねて席を設けており、
 瑟をかなでて笙が吹かれるのである。(殿上での宴会)
升階納陛 弁轉疑星 かいをのぼりへいにおさまるに、
 べんてんじてほしかとうたがう
高官が上殿出仕すると、冠の飾り玉が揺れて星かと疑うばかりです。
右通廣内 左達承明 みぎはこうないにつうじ、
 ひだりはしょうめいにたっする
役人の勤務室から右(西)へ行けば廣内殿に通じ、
 左(東)へ行けば承明所に達するのである
既集墳典 亦聚羣英 すでにふんてんをあつめ、
 またぐんえいをあつめる
既に古い時代の書典が集められ、
 また多くの優れた識者が呼び寄せられています。
杜稾鍾隸 漆書壁經 とこうしょうれいあり、
 しっしょへききょうあり
それらの中には草聖といわれた杜度の著した草書や魏の鐘繇の隸書などがあり、
 漆で書かれた貴重な書や孔子の旧宅の壁に隠されていた経典などもありました
○四の二(123~142句)
府羅將相 路俠槐卿 ふにはしょうそうつらなり、
 みちにはかいけいはさむ
官府には武官文官達が連なって控えており、
 道路の両側には三公九卿の邸宅が並んでいる。(官庁の様子)
戸封八縣 家給千兵 こははっけんにふうぜられ、
 いえはせんぺいをたまわる
三公には民戸八県分が与えられ、それぞれの太夫は兵千人分が給せられる。
高冠陪輦 驅轂振纓 かんをたかくしてれんにばいし、
 こくをかりてえいをふるわす
高い冠を被って天子の御車の御供をして、
 御車を走らせて冠の紐を揺らせながら進むのです。
世祿侈富 車駕肥輕 せろくはしふにしてしゃがひけいあり 代々俸禄を与えられている官吏はとても豊かであり、
 馬はよく肥えて軽くて早い車駕を持っている。
策功茂實 勒碑刻銘 さくこうもじつなればひにろくして
 めいにこくす
謀による功績が充実したものであれば、
 その功労を碑に刻し金石にその名前を残して後世に伝えるのである。
磻溪伊尹 佐時阿衡 はんけいといいんときをたすけて
 あこうとなる
太公望呂尚や伊尹は、時の天子を補佐して宰相となったのである。
奄宅曲阜 微旦孰營 おおいにきょくふにたくす 
 たんなかりせばたれかいとなまん
魯が大々的に造営されたのは、
 周公旦のお陰であり周公旦が居なかったならば造営されることはなかったでしょう。
桓公匡合 濟弱扶傾 かんこうはきょうごうし 
 よわきをすくいかたむけるをたすく
斉の桓公は管仲を用いて衰退していた周の天下を一つに統一し、
 諸侯の会合を通じて弱きを救い危うきを助けて斉に従わせたのです。
綺迴漢惠 説感武丁 きはかんけいをかいし、
 えつはぶていをかんぜしむ
綺(綺里季~)は漢の惠帝が太子の時から補佐して遂に帝位に上らせた。
殷の傳説は工事人・刑徒から見出されて宰相となり、武丁を補佐したのである。
俊乂密勿 多士寔寧 しゅんがいはみつふつし、
 たしによりじつにやすし
千人百人の優れた才能のある人材が勤めて、
 多くの秀才によって国々は安泰を得たのである。
○四の三(143~162句)
晉楚更霸 趙魏困橫 しんそはこもごもはたり、
 ちょうぎはおうにくるしむ
春秋戦国時代となった時に晉(文公)楚(荘王)は諸侯の代表的霸者となったが、
 趙魏は強大な秦と各国との連橫政策に苦しんだのだ。
假途滅虢 踐土會盟 とをかりてかくをめっし、
 せんとにかいめいす
不徳であった晋の献公は虞国を通って虢国を滅亡させたが、
 晋の太子であった重耳(後の文公)は踐土に王宮を建てて會盟して晋の覇者となった。
何遵約法 韓弊煩刑 かはやくほうにしたがい、
 かんははんけいにやぶれたり
漢の高祖を補佐した蕭何は約法を尊守したが、
 韓の公子であった韓非は刑法を煩雑にして遂に自殺させられた。
 (德が大切であるという趣旨)
起翦頗牧 用軍最精 き・せん・は・ぼく、は、
 ぐんをもちいることもっともくわし
白起(秦の昭王に仕えた)、王翦(始皇帝に仕えた)、廉頗趙の(良将)、
 李牧(趙北辺の良将)達は、軍を用いることが優れており最もくわしかった。
宣威沙漠 馳譽丹青 いをさばくにのべ、
 ほまれをたんせいにはす
漢の国威(覇権)を沙漠の地まで広げて勲功を上げた人々は、
 図像が画かれて後世に譽が伝わったのだ。
九州禹跡 百郡秦并 きゅうしゅうはうのせきなり、
 ひゃくぐんはしんのあわせたるなり
禹は中国を九の州に分けて平定し、
 漢の百郡余は元々秦が六国を滅ぼし併合して郡県制とした36郡なのである。
嶽宗恆岱 禪主云亭 だけはこうたいをしゅうとし、
 ぜんはうんていをしゅとする
古代より恒山・泰山の山頂に祭壇を作って天に報じ、
 泰山近くの云云山・亭亭山の地を払って地を報ずる禅(封禅)を行ったのである。
雁門紫塞 雞田赤城 がんもんしさい、けいでんせきじょう 山西省にある雁門山と紫塞、甘粛省にある雞田と浙江省にある赤城山。
昆池碣石 鉅野洞庭 こんちけっせき、きょやどうてい 漢の武帝が造った昆明池に書経にもみられる碣石山、
 沢では鉅野沢があり湖では洞庭湖がある。
曠遠緜邈 巖岫杳冥 こうえんめんばくとして、
 がんしゅうようめいた
前述したような都や宮殿の様子などは全て広大な事蹟として明らかに永く伝わっており、
 山岳池沢は遥かかなたに在るのです。
○五の一(163~182句)
治本於農 務茲稼穡 ちはのうをほんとし、
 このかしょくにつとめる
国を治めるのには食をつかさどる農が根本であり、
 この播種して収穫を得る農業を努力しなければなりません。
俶載南畝 我藝黍稷 はじめてなんぽにことし、
 われしょしょくをうる
始めて南の田に農耕をして、
 じぶんで黍(うるち)や稷(もちきび)等の五穀の苗を植えつけました。
悦熟貢新 勸賞黜陟 じゅくせるをぜいとしてしんをおさめ、
 かんしょうしてちゅっちょくす
穀物が成熟すれば税として納めさせ、新穀が実れば献上させる。
成績の良い役人は励まし褒め、成績の悪い者は退去させて良い者の位を上げます。
孟軻敦素 史魚秉直 もうかはそをあつくし、
 しぎょはちょくをとる
孟子は道の本質を熱心に説いたのであり、
 史子は正直さを「論語」の中でも誉められている。
庶幾中庸 勞謙謹敕 ちゅうようをこいねがい、
 ろうけんにしてきんちょくなり
偏りのない中庸の道を守り抜くことを願い、
 労を称えられてもいい気になって誇ることもなく慎み戒める態度をとることです
聆音察理 鑑貌辨色 おとをききてりをさっし、
 ぼうをかんがみてしょくをべんずる
対人関係では相手の言葉をよく聞いて道理をつまびらかにして、
 容貌をよくみて顔色態度から正しい判断をしなければいけません
貽厥嘉猷 勉其祗植 そのかゆうをのこし、
 そのししょくをつとめる
その善道を後々まで続くように残して、それがつつしんで樹立されるように勉めなさい
省躬譏誡 寵增抗極 みのきかいにかえりみて、
 ちょうまさばはばむこときわまる
仕官する者はそしりを受けないように自身よく反省すべきであり、
 上からの寵遇が増せばそれをはばむ力が最高になってきます。
殆辱近恥 林皋幸即 はじをあやぶみはじにちかくば、
 りんこうはつくことこうなり
仕官している者が恥辱に遭遇する不安があるときは、
 林沢の地に隠居して平穏な生活につくことを望むことです。
兩疏見機 解組誰逼 りょうそはきをみ、
 ひもをとくことだれかせまらん
漢の疏広、疏受の二人供厚く信任されていたが、機を見て官を辞して古里に帰ったのである。
両者供に誰から迫られたのでなく、足るを知り止ることを知っている信じる道であった。
○六の一(183~196句)
索居閒處 沈默寂寥 さくきょかんしょし、
 ちんもくしてせきりょうたり
多くの人から離れて閒居していれば、話し合うこともなく静かな生活となります。
求古尋論 散慮逍遙 こをもとめてろんをたずね、
 うれいをさんじてしょうようす
読書をして古人の道を探求し、思慮の疲れをいやすために散歩をするのです。
欣奏累遣 慼謝歡招 よろこびあつまりわずらいははなち、
 いたみはしゃしてよろこびはまねかる
喜びは集まってきて日常のわずらわしさは追いやられ、
 心配事のない楽しい毎日がやってきます
渠荷的歴 園莽抽條 きょかはてきれきとして、
 えんぼうはえだをぬきんする
水渠の蓮の葉は鮮明になり、果樹園の枝は盛んに伸びてきます。
枇杷晩翠 梧桐早凋 びわはおそくにみどりなり、
 ごとうははやくしぼ
枇杷(びわ)は晩くまで翠の葉をつけ、梧桐(あおぎり)は早く葉がしぼんで落ちています。
陳根委翳 落葉飄颻 ちんこんはいえいし、
 らくようはひょうようす
古くなった根はしぼんで枯れてゆき、落ち葉は旋回する風に舞っています。
遊鵾獨運 凌摩絳霄 ゆうこんはひとりめぐり、
 こうしょうをりょうます
鵾は遊ぶように一羽で飛びめぐって、赤く染まった大空を回遊しています。
○七の一(197~216句)
耽讀翫市 寓目囊箱 たんどくしてしをむさぼり、
 めをのうしょうにぐうす
読書に没頭して町の本屋で読みふけり、
 書物を入れた袋や箱ばかりに目を付けるのである。
易輶攸畏 屬耳垣墻 えきゆうはおそるるところ、
 みみをえんしょうにしょうす
軽々しく言葉を発するのは最も恐れ慎まなければいけません。
近くに他人の耳があるものと思いなさい。
具膳飡飯 適口充腸 ぜんをそなえはんをくらい、
 くちにかないはらわたにみつ
料理の膳を整えて食事をすれば、味良く口に適い満腹します。
飽飫烹宰 飢厭糟糠 あけばほうさいにいとい、
 うえればそうこうにもたる
満腹していれば饗応の料理でも厭になることがあるが、
 飢饉になると糟糠(酒かす米ぬか)でも充分食べるのです
親戚故舊 老少異糧 しんせきこきゅう
 ろうしょうはりょうをことにす
親戚、知り合いに食事をすすめる時は、
 相手の年令などに合うよう食料を変えてすすめなければいけません。
妾御績紡 侍巾帷房 しょうぎょはせきぼうし、
 きぼうにじきんする
側室(女房)は糸をつむいだりし、
 手拭や櫛をたずさえて夫君に仕えます。
紈扇圓潔 銀燭煒煌 がんせんはまるくきよく、
 ぎんしょくはいこうなり
白絹の団扇は丸くて清らかであり、銀の燭台は白く光り輝いています。
晝眠夕寐 藍笋象床 ひるねむりゆういぬるに、
 らんじゅんとぞうしょうあり
昼寝と夜の就寝には、青い竹の敷物と象牙の寝台があります。
絃歌酒讌 接盃舉觴 げんかしゅえんし、
 はいをむかえてしょうをあげる
弦楽器にて歌をうたい、酒宴の時は杯を交えたり挙げたりして楽しみます。
矯手頓足 悅豫且康 てをあげあしをふみ、
 えつよしてかつこうす
手を上げ足を踏み鳴らして踊れば、心は楽しく又安らかになるのです。
○七の二(217~228句)
嫡後嗣續 祭祀烝嘗 てきこうはしぞくして、
 さいしじょうしょうす
その家の長男子孫にあたる者は跡継ぎをして、
 先祖の祭祀をして秋の嘗・冬の烝をも行うべきです。
稽顙再拜 悚懼恐惶 けいそうしてさいはいし、
 しょうくきょうこうす
喪拝の時には額を地につけ跪いて再拜し、
 心を最もうやうやしく恐縮した状態にするのです。
牋牒簡要 顧答審詳 せんちょうはかんようにし、
 ことうはしんしょうにす
文箋や手紙などは簡潔にして要点をつまびらかにし、
 談話答辞などは内容をつくして詳細にするのです。
骸垢想浴 執熱願涼 がいがけがれればよくをおもい、
 あつきをとればりょうをねがう
身体が垢で汚れると浴洗いしたいと思うし、熱い物を持てば冷やしてさっぱりしたいと願う。
これと同じく臣下の汚濁、禍乱も早く善くするのです。
驢騾犢特 駭躍超驤 ろろとくとくは
 がいやくちょうじょうす
驢(ろば)、騾(らば)、犢(子牛)、特(牡牛)たちは、驚いて跳ねたり走り回っています。
誅斬賊盜 捕獲叛亡 ぞくとうをちゅうざんし、
 はんぼうをほかくす
賊人や盗人は討伐して死罪にして、
謀反や悪事をして逃亡する者は追跡捕獲します。
○八の一(229~250句)
布射遼丸 嵆琴阮嘯 ふのいりょうのがん、
 けいのきんとげんのしょう
呂布の射弓、熊宜僚の弄丸、
 嵇康の琴、阮籍の嘯はいずれも名高い。(技芸の達人名手たち)
恬筆倫紙 鈞巧任釣 てんのふでりんのかみ、
 きんのこうじんのちょう
蒙恬は筆を作り蔡倫は紙を作った、馬鈞は指南車や水車の名工であり、
 任の公子は大魚の釣り名人であった。(技巧名人たち)
釋紛利俗 並皆佳妙 ふんをときぞくをりし、
 ともにみなかみょうなり
雑多なものを分別工夫して、
 前項の達人名人たちは皆夫々の道の極致に達したのである。
毛施淑姿 工顰妍笑 もうしはしゅくしあり、
 たくみにひそめてあでやかにわら
毛嬙と西施は共に著名美人であり、その巧みなる姿形は皆が真似たほどであり、
 あでやかな笑顔に国王も迷わされたのである。
年矢毎催 曦暉朗耀 ねんしつねにさいし、ぎきろうようたり 時刻を知らせる箭は常に過ぎ行く時を告げており、日光は明々とかがやいています。
璇璣懸斡 晦魄環照 せんきけんあつして、
 かいはくかんしょうす
美しい玉で作られた旋璣(天文測定器)には星がかかって巡っており、
 月光は循環しては消えたり照らしたりしています。
指薪修祜 永綏吉劭 たきぎをさしてさいわいをおさむれば、
 ながくやすらかにきっしょうなり
薪火は絶えないという荘子の理を修めて幸福を得たならば、
 その福は永く安らかに麗しく続くでしょう
矩歩引領 俯仰廊廟 くほいんれいして、ろうびょうにふぎょうす 朝廷に参内すれば、歩き方や首の上げ下げは正しく行い、
 うつむいたりあおむくなどの動作は荘厳にするべきです
束帶矜莊 徘徊瞻眺 そくたいはきんそうにして、
 はいかいせんちょうす
礼服をつけて朝廷に参内すればつつしみ端正にして、
 礼儀深く往来してあたりを見渡すのです
孤陋寡聞 愚蒙等誚 ころうにしてきくことすくなくば、
 ぐもうとひとしくそしられん
独学して友なく孤立すれば見聞も少なくなり、愚蒙のごとくそしられるのです。
謂語助者 焉哉乎也 ごじょというものは、
 えん・さい・こ・や・なり
詩文に使われる語意を補う助字があります、それは焉・哉・乎・也のごときものです。






■原文

(真草千字文 勅員外散騎侍 郎周興嗣次韻)
天地玄黄宇宙洪荒日月 盈昃辰宿列張寒來暑往 秋收冬藏閏餘成歳律呂 調陽雲騰致雨露結為霜 
金生麗水玉出崑岡劍號 巨闕珠稱夜光果珍李柰 菜重芥薑海鹹河淡鱗潛

羽翔龍師火帝鳥官人皇 始制文字乃服衣裳推位 讓國有虞陶唐弔民伐罪 周發殷湯坐朝問道垂拱
平章愛育黎首臣伏戎羌 遐邇壹體率賓歸王鳴鳳 在樹白駒食場化被草木 賴及萬方蓋此身髮四大
五常恭惟鞠養豈敢毀傷 女慕貞絜男效才良知過 必改得能莫忘罔談彼短 靡恃己長信使可覆器欲
難量墨悲絲染詩讚羔羊 景行維賢克念作聖德建 名立形端表正空谷傳聲 虚堂習聽禍因惡積福縁 
善慶尺璧非寶寸陰是競 資父事君曰嚴與敬孝當 竭力忠則盡命臨深履薄 夙興温清似蘭斯馨如松
之盛川流不息淵澄取映
 容止若思言辭安定篤初 誠美慎終宜令榮業所基 籍甚無竟學優登仕攝職
從政存以甘棠去而益詠 樂殊貴賤禮別尊卑上和 下睦夫唱婦隨外受傅訓 入奉母儀諸姑伯叔猶子
比兒孔懷兄弟同氣連枝 交友投分切磨箴規仁慈 隱惻造次弗離節義廉退 顛沛匪虧性靜情逸心動
神疲守真志滿逐物意移 堅持雅操好爵自縻都邑 華夏東西二京背邙面洛 浮渭據涇宮殿盤鬱樓觀 
飛驚圖寫禽獸畫綵仙靈 丙舍傍敔甲帳對楹肆筵 設席鼓瑟吹笙升階納陛 弁轉疑星右通廣内左達
承明既集墳典亦聚羣英 杜稾鍾隸漆書壁經府羅 將相路俠槐卿戸封八縣 家給千兵高冠陪輦驅轂
振纓世祿侈富車駕肥輕 策功茂實勒碑刻銘磻溪 伊尹佐時阿衡奄宅曲阜 微旦孰營桓公匡合濟弱
扶傾綺迴漢惠説感武丁 俊乂密勿多士寔寧晉楚 更霸趙魏困橫假途滅虢 踐土會盟何遵約法韓弊
煩刑起翦頗牧用軍最精 宣威沙漠馳譽丹青九州 禹跡百郡秦并嶽宗恆岱 禪主云亭雁門紫塞雞田
赤城昆池碣石鉅野洞庭 曠遠緜邈巖岫杳冥治本 於農務茲稼穡俶載南畝 我藝黍稷悦熟貢新勸賞 
黜陟孟軻敦素史魚秉直 庶幾中庸勞謙謹敕聆音 察理鑑貌辨色貽厥嘉猷 勉其祗植省躬譏誡寵增
抗極殆辱近恥林皋幸即 兩疏見機解組誰逼索居 閒處沈默寂寥求古尋論 散慮逍遙欣奏累遣慼謝
歡招渠荷的歴園莽抽條 枇杷晩翠梧桐早凋陳根 委翳落葉飄颻遊鵾獨運 凌摩絳霄耽讀翫市寓目
囊箱易輶攸畏屬耳垣墻 具膳飡飯適口充腸飽飫 烹宰飢厭糟糠親戚故舊 老少異糧妾御績紡侍巾
帷房紈扇圓潔銀燭煒煌 晝眠夕寐藍笋象床絃歌 酒讌接盃舉觴矯手頓足 悅豫且康嫡後嗣續祭祀

烝嘗稽顙再拜悚懼恐惶 牋牒簡要顧答審詳骸垢 想浴執熱願涼驢騾犢特 駭躍超驤誅斬賊盜捕獲
叛亡布射遼丸嵆琴阮嘯 恬筆倫紙鈞巧任釣釋紛 利俗並皆佳妙毛施淑姿 工顰妍笑年矢毎催曦暉
朗耀璇璣懸斡晦魄環照 指薪修祜永綏吉劭矩歩 引領俯仰廊廟束帶矜莊 徘徊瞻眺孤陋寡聞愚蒙
等誚謂語助者焉哉乎也