ハーフナー・ディド

タイトル:まじめだけどお茶目なディドさん

ディドさんは、とても真面目な人です。必ずといっていいほど、ディドさんは一番最初に練習場に姿を現して、帰りも遅くまでいる人です。ひとり黙々と走り込みをして腕立てをして、自分のコンディションを整えています。そんなディドさんにまつわるエピソードを何点か思い浮かぶものを書き綴ってみたいと思います。

[お茶目なエピソード]
顔に似合わず、お茶目なことをしてくれます。私が見ているだけでもかずかずのお茶目ぶりを見れました。

厚別競技場で試合前日に練習をした時の出来事ですが、ディドさんは、一番乗り。ピッチの様子を確かめた後に、テレビで試合中継用のマイクなどが競技場のトラック部分に置かれていたのですが、そのマイクを持って「あああ〜」と声をだして、マイクの様子も確かめていました。
マイクといえば、全然関係ない話ですが、ディドさんの息子のマイクくんは、よく練習場に一緒に来ていました。やっぱり、サッカーをやるようで、お父さんのストレッチを手伝ったりもとていました。でも、マイクくんはゴールキーパーではないらしい。

栗山の練習場に1台の公衆電話があります。練習が終わって、選手たちが上がってきていた時に、電話が鳴りました。しかし、近くには管理の方がいません。すると、ディドさんが走っていって、電話に出たのでした。「もしもし」「はい、え?わからないね」ガチャン。・・・いいのだろうかと思う瞬間でした。しかし、ディドさんがこの公衆電話に出る姿は、何度か見ております。
さらに電話のエピソードとして私が思い出に残っているのは、私の携帯電話がなった時、「もしもし」とでたところ、私の後ろで、「もしもし」という声。ディドさんが私の「もしもし」という声を聞いて、「もしもし」とふざけていっているのでした。多分、ディドさんは、電話が好きなのでしょうね。

お茶目というか、照れ屋さんのディドさんの姿も見ることができました。それは、ディドさんの誕生日の日の出来事。ディドさんのことを愛する団体「ディド団」のみなさんが栗山の練習場へやってきてました。それで、ディドさんへプレゼントとともにハッピーバースデーの歌を歌っていたのですが、その時に、ディドさんは、「はずかしい・はずかしい」といいながら、手で顔を覆って喜んでいました。とっても、キュートなディドさんを見ることが出来ました。

ディドさんのお茶目な行動で一番笑えたのは、パイロン(コーンと呼ぶ人もいる、あの工事現場などにある三角帽子みたいなやつ)を使っていきなり、「おーい、みんな〜」と選手たちに声をかけたことです。つまり、メガホン代わりにパイロンを使ったのでした。まるで、一発ギャグ状態のディドさんの行動に度肝を抜かれて笑ってしまいました。さすが、ディドさん、もと外国人。ユーモアたっぷりです。

[感動をありがとう]
ディドさんの試合っぷりで、私は何度泣いたことか。他の人もディドさんに泣かされている人は多いはずです。

何度見ても涙が出てくる試合といえば、5.25の川崎フロンターレ戦。私は、まだサッカーの試合を何試合も見ていない人間でした。コンサの試合を生で見て、たった2試合目であんな素晴らしい試合を見てしまったのです。負けているコンサ。はっきり言ってもう駄目だ。負けちゃうって思っていました。しかし、ディドさんが上がってきた。試合は、終了のホイッスルが鳴るまでは、終わっていないということをディドさんのプレーで思い知らされました。
私は、ディドさんが、上がってくる試合は、この川崎フロンターレ戦のほかに2試合見ています。8.28ヴァンフォーレ甲府戦と11.14天皇杯3回戦:ジェフ市原戦。この2つの試合では、ディドさんが上がりましたが、負けてしまった試合です。しかし、私が見たディドさんが最後に上がる3試合の中で、ディドさんが上がっただけで涙が出たのは、ジェフ戦。ジェフに負けたら、今期のコンサドーレの試合が終了してしまうということもあって、余計に涙が出てしまったというのもあるのですが、ディドさんがシュートをしたというのは、残念ながら得点にはならなかったけど、より一層の感動を与えてくれました。

ディドさんに感動をもらったのは、この上がるという試合だけではありません。8.31のブランメル仙台戦。冨樫さんの頭との接触で骨折したのにも関わらず、ディドさんは、冨樫さんと接触したあと、すぐ一度立ち上がって、ゴールマウスの様子を確認して、入っていないとわかった後に倒れたのでした。私は、この試合をメインスタンドの限りなくゴールに近いA席で見ていたのですが、接触の時にペチンという高音の鈍い音が聞こえたのでした。それなのに、ディドさんは、試合にそのまま出て、後半の途中に交代するというガッツのある試合をしたのでした。鼻血も出ていたようで、つっぺをしたまま、顔が腫れているまま試合を続けたのです。交代していくディドさんを追うように監督がベンチから試合そっちのけで走っていったというシーンも感動しました。翌日の新聞を見たら、ディドさんを抱きかかえている監督の姿。頬骨の骨折だったということで、ディドさんの闘志を思い出すたびに涙が出ちゃいます。
さらに、今季絶望とまで書かれていたのにも関わらず、ディドさんは、骨折から1ヶ月も経たない9.28の釧路でやった鳥栖戦で復活したのでした。練習で、フェイスガードをつけて練習するというのも、数回だけで、その後は、なにもガードを付けずに練習をしていました。ほとんど怪物としか思えないほどの回復ぶりは、信じられませんでした。やっぱり、ディドさんってすごい人です。

[ちょっと脱線]
KLMオランダ航空が11月にオランダ−千歳という直行便を就航することになったのです。それを記念して千歳空港でオランダフェアというのをやっていたのですが、その中にディドさんのパネルとコメントを発見しました。ディドさんは、オランダ出身ということもあって、コメントがあったのですが、全文メモしてきました。御参照してくださいませ。

コンサドーレ札幌のキーパー、ハーフナー・ディド選手(オランダ選手で現在は日本に帰化)に聞く
KLMオランダ航空就航おめでとうございます。オランダの気候は札幌と似ていると思います。特に4・5月の風車にマッチしたチューリップの満開風景、夏のマリンスポーツ、冬の楽しいホワイトクリスマスなど四季折々の楽しみがあります。海に面しているので、シーフードも豊富でゴーダチーズやエダムチーズがとてもおいしいです。スポーツはもちろんサッカーが人気で週末ではあちこちで大会が開かれます。
今回の直行便の就航で故郷オランダへの所用時間が短縮されるだけでなく、四方八方に広がる路線網でヨーロッパ各地へも気軽に行くことができ、便利になると思います。

以上のコメントと一緒に試合中のディドさんの写真が2枚とJリーグの試合球(使用されたもの)が飾られていました。

[ナンバーワン]
ディドさんが、コンサのなかで一番だと思えることは、背番号!(くだらないこと書いてごめんなさい)そうではなくて、やはり、私にとってディドさんは一番プロ意識のある人だと思っています。練習も一番乗りだし、ファンサービスもめいいっぱいしてくださいますし、練習でランニングする時は、必ずいつも先頭を走っています。
そんなディドさんが、一度だけ練習に遅れてきたことがあります。遅れてきて、練習もほとんどしないディドさんを見たのは初めてでした。そしたら、なんと病院に検査に行っていたというではありませんか!!腸にポリープができているということだったのです。オフになったら、手術をするということでしたから、もしかしたら、今、病院にいるのかもしれません。オフでゆっくりと治してもらって、再びJで頑張って私たちを感動の渦で泣かせてもらいたいものです。



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鮎貝秀彦

タイトル:鮎貝ワールドへようこそ

高卒ルーキーでコンサドーレに入団した鮎貝くん。
JFLの公式試合に登場することがなかったので、はっきりいって、これを見ている方の中で彼のことをあまり知らないという方もいるかと思います。しかし、練習が終わった後の鮎貝くんの元気の良さや、人懐っこい性格を近くで見れた人たちの間では、大人気の鮎貝くんでした。
とっても親しみが湧く、応援したくなる選手です。
そういえば、J昇格&優勝決定のビールかけの時に、海パン姿の村田さんと肩を組んで飛び跳ねている鮎貝くんの元気な姿がテレビや新聞に映っていて、あら、鮎貝くんったら、いい場所にいるからばっちり映っているなぁとなどと思ったりもしました。
そんな明るい鮎貝くんにまつわるエピソードを綴りました。

[楽しいエピソードいっぱい]
鮎貝くんのことを面白い人だと感じたのは、5月の末の出来事。
石井ヘッドコーチと鮎貝くんの2人の会話を聞いた時でした。練習が終わって、着替えた後の鮎貝くんに「なんだか今日いいカッコウしていないか?」と石井さんが話し掛けてたのです。「最近のは こんなブカブカのズボンで下げてはいて、ちゃんとはけ!」と鮎貝くんのトレーナーをまくってズボンのベルトを締めようとする石井コーチ。(鮎貝くんのおなかが見え、ついでにパンツも見えたのですが、黒のビキニパンツだったのでした)そしたら、「お兄ちゃんに借りてきたから大きいの」と言い訳していた鮎貝くん。そんなやりとりが、すごく笑えたのでした。

なにせ、私は、毎日のように練習を見に行っていましたので、光栄にも私の顔を憶えてくださった選手もいたのですけど、鮎貝くんも憶えてくれたようで、しばしば私に話し掛けてくれたこともありました。しかし、その内容が、「甲介さん帰りました?」とか、「あそこにいるの甲介さんですか?」とか、何故か甲介くんに関する質問が多かったのでした。(こういうのを話し掛けてもらったというべきか・・・)
栗山の練習の時は、鮎貝くんは、はじめの頃は、主に甲介くんの車に乗せてもらっていたようですが、時岡さんが練習に復活してからは、時岡さんの車に乗せてもらっていたようでした。
車に乗るといえば、一度、鮎貝くんが甲介くんにおいていかれた出来事を発見。8月の厚別競技場でやった招待サッカーの大会に鮎貝くんは試合に登場したのですが、その日の帰りに甲介くんにおいてきぼり。ファンの子にいつものように「甲介さんは?」と質問したようなのですが、「帰りましたよ」と言われて、焦っていたようです。お話好きの鮎貝くんが、ファンの女の子たちといっぱいしゃべっている間に帰ってしまっていたようなのです。結局のところ、大くんが運転する宏太くんのボルボに乗せてもらって帰ったのでした。

[鮎貝ワールドへようこそ]
鮎貝くんは、練習のあと、ファンや記者さんなど、だれかれ構わずいろんな人とお話するのが大好きなようでした。飾らないし、お話が大好きな鮎貝くんは、人気者です。女の子たちが何人も鮎貝くんを囲んでいることも多かったので、石井ヘッドコーチが、鮎貝くんにちょっかいかけたりすることもありました。
鮎貝くんが女の子達に囲まれて話している状況を勝手に鮎貝ワールドと名づけていたのですが、この鮎貝ワールドは、一度経験すると忘れられないほど楽しいものだったりするのです。つまり、鮎貝くんと話がしたいと思うリピーターが多いのです。
私もご多聞に漏れず、いつしかリピーターになっていたのですけど、鮎貝くんは、話題が豊富でした。私が楽しんだ鮎貝ワールドの話題もいろいろあったのですが、話題も別にファンからふらなくても、鮎貝くん自身からだったりもするのです。普通の好青年っぽい鮎貝くんの人懐っこい性格が女の子のハートをキャッチしていたようです。
競馬が好きだとか、パチンコによく甲介くんと行ってるとか、自分の高校受験の体験とか、車の話、サッカーのこととかいろいろと楽しい話題をふりまいてくれました。ただ、真面目に話すわけではなく、かならず笑わせてくれるのです。
10月に「今、免許とりに行ってるんですよ」と話していた鮎貝くん。宏太くんが前に乗っていたスクーターで通っているという話だったのです。ちょくちょくと、今、何段回目だとか教えてもらっていたのですが、ちゃんと免許はとれたのかしら。

[がんばれ鮎貝くん!]
鮎貝くんが戦力外通告を受けたという新聞の記事を見て、とてもショックでした。鮎貝くんのコメントも載っていましたが、やはり、1年目の選手を戦力外にしてしまうというのは、可哀相すぎます。大学進学なども考えているということも記事になっていましたが、今後の鮎貝くんのことが気になります。
通告を受ける前にも、「いなくなるかもしれないし・・・」とさびしいことを口にしたこともあったのですが、まさか1年目だから、本当にそうなることになるとは、思っていませんでした。
戦力外のことが新聞の記事に載った日、月寒で練習があったのですが、いつもは元気な鮎貝くんだったのに、この日は、やはり元気がなくて、別メニューの練習をした後、すぐ寮に帰ってしまったようでした。お話どころか、様子もあんまり見れませんでした。どっちにしろ、話し掛けることはできなかったと思うのですけど、結局、この日が私の最後の練習見学日になってしまった為、この日を最後に、もう会えなくなってしまったのです。

先ほどから、練習の姿のことは、一切書かないで、練習が終わってからのことばかり書いていましたけど、鮎貝くんのポジションは、左サイド(村田さんと同じポジション)です。ただ、たまにFWになっている時もありました。練習試合で得点を入れたこともあります。
(97年の高校サッカー名鑑という本を天皇杯の3回戦の市原で買ったのですが、高校時代の鮎貝くんは、千葉県の国体選抜選手でMFになったりFWになったりと試合によって違っていたようです)
北海道国体選抜と戦った招待サッカー試合に出場した鮎貝くんは、ほとんどFWで攻撃的なプレーをしていました。今後の鮎貝くんがどうするのかわからないのですが、また、生でプレーをする姿を見たいです。

[魚に似てる?]
ちょっと脱線ですが、村田さんが、石井ヘッドコーチの子供になにやら話をして、練習中に大きな声で選手たちに声をかけるということをしていた時の出来事。
「鮎貝、魚に似てる〜!」私は思わず、笑ってしまいましたが、それを聞いていた石井ヘッドコーチは、自分の息子を怒る→石井Jr「だって、言えって言うんだもん」→村田さんも石井さんに怒られるということがありました。
その時、鮎貝くんは、黙々と走っていました。名前が鮎なだけに、余計笑えた話だったのですが、この村田さんの感性がすごいなぁと思ったりもしたのでした。(ごめんなさい。村田さん寄りの発言で・・・)

[ナンバーワン]
鮎貝くんは、コンサドーレ札幌の中で、なにがナンバーワンかというと、やっぱり、お話のしやすい人ナンバーワンでした。
なかなか、選手とお話することができない人も、鮎貝ワールドの魅力にはまることが出来るくらいです。「チームはファミリー」という言葉にぴったりの気さくな鮎貝くん。私としても、なかなか選手に近づけなかったりしたのですが、唯一、緊張せずに日常会話が平気で出来る方でしたので、私の練習日記の中でも、鮎貝くんの話が登場する割合が多かった訳です。
もう、あえないのがすごく寂しいし、ちゃんとお別れが出来なかったのが本当に残念です。



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金子真人

タイトル:石塚さんのおもちゃだった金子くん

最初に言っておかないと行けない事実ですが、私は金子くんに近寄ったのは、1度だけしかありません。それも、J昇格決定&優勝記念Tシャツに選手全員のサインをもらう時だけなので、ほとんどと言っていいほど金子くんのことをよく知りません。あくまでも、練習をみて感じたことだけのことを書き綴ってみました。

[金子くんのエピソード]
あまり、金子くんのことを良く知らないので、ちょっとコンサドーレのイヤーブックの選手名鑑を見てみたのですが、金子くんは、MFのところに載っていました。私が練習を見に行っている限りでは、他チームとの練習試合などでは、FWをやっていることが多かったです。だから、てっきり当初からFWだったと思っていたので、イヤーブックを見てビックリ。私が作ったメンバー表では、FWにしました。

でも、練習試合で見ている限りでは、得点力のあるいい選手だと思います。しかし、どうも私の中では、印象が薄くて、練習場で見学しながらいつもメモを取っているのですが、「あれ、あと1人は・・・」という選手になってしまう場合が多々あった、派手な部分があまりない地味な選手でした。(念のためですが、ただ、単に私の中でだけですから、他の人は、どう思っているかわかりませんし、他の選手も忘れていることありますので・・・)

8月の上旬の出来事だったのですが、Aチームは奥のグラウンドで練習して、Bチームが手前のグラウンドで練習試合をしていた日があったのですが、相手は、金子くんの出身校。金子くんの出身校は、多々良学園という山口県にある高校で、北海道に合宿にきていたそうなのです。つまり、金子くんがパイプ役になって練習試合が実現したのだと思ってますが、試合が終わった後に金子くんがあちらの先生や選手たちと話しているという姿は、やっぱり微笑ましかったし、先輩っていう感じがしました。

[茶坊主の金子くん]
突然、金子くんのヘアースタイルが丸坊主になったのですが、髪の毛の色は、もともとなのか茶色のまま。茶坊主の金子くんになってしまいました。なにがあったのかわからないのですが、心境の変化なのか、それにしても驚いてしまいました。丸坊主になって何だか可愛らしくなってしまった金子くんなんですが、やけにいじめられている場面を見ることが多かったです。
まぁ、いじめられているのか、仲が良いだけなのかは、わからないのですが、いじめている人物は、石塚さんです。密かに森さんもだったりしました。ボールの的になっていたりしていたのですが、当たらなかったから、楽しそうだったし、いじめられているうちに入らないのかもしれませんが。
でもね、声を出してギャーギャー叫んでいたというのもあったなぁなどと、石塚さんのやさしいコミュニケーションが少々恐ろしく感じたことあり。(苦笑)

[私が金子くんのことを気に入った瞬間]
金子くんは、左利きです。箸もですが、ペンも左でした。
私自身、左利きの人間ですので、ただ単に左利きの人が好きだという女です。(私の好きな某選手も左利き)箸は、栗山のバーベキュー大会でわかったのですが、ペンは、Tシャツにサインを書いてもらってわかりました。
なぜ、私が左利きが好きなのかは、ちゃんと理由があるんですが、別にここで書かなくてもいいことなので書きませんが、気になった人は、質問してくださいませ。はっきりいってくだらないです。
でも、金子くんも左利きだったので、私の中で金子くんの評価が上がったのは、いうまでもありません。
ただ、残念なのが、金子くんとは、会話が成立しませんでした。
「すみません。サイン下さい」という声をかけて、サインかいてもらって「ありがとうございました」という言葉だけで、金子くんは、終始無言のまま。なにも言葉をはっしてくれませんでした。別に私、恐くないんだけどなぁ・・・・・。もう少し、愛想が良くても・・・。

[ナンバーワン]
金子くんは、コンサドーレの中でなにがナンバーワンかなぁと考えたのですが、やっぱり、どう考えてもいじめられっこナンバーワンでした。
やっぱり、若い選手は、おもちゃにされやすいみたいだけど、一番、かわいがられていたと思います。

金子くんは、高卒ルーキーとして入団したわけですが、あまり、どんな選手なのか知らないまま、プロ1年目で戦力外という結果になっしまって、とても残念です。大学進学を予定しているようですので、大学でもサッカーを続けるのでしたら、再び金子くんの姿を見れるだろうと信じています。





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石塚啓次

タイトル:自分を変えない素敵な石塚さん

前期と後期の間に彼は札幌にレンタル移籍でやってきた。やってくる前、態度がでかいなどと、あまりいい噂を聞いていなかったのですが、監督が気に入って呼んだ選手だし、実際にみてから判断しようと思ったわけなんです。結局のところ、石塚さんは、カッコ良かった。

[初めて見た日]
私が、初めて石塚さんを見たのは、石塚さんがチームと初めて合流した日。
合流日だと言うのにいきなり、招待サッカーの試合に出ていたので驚いてしまいました。この招待サッカーは、北海道国体選抜とコンサドーレのBチームが戦ったのですが、私は、栗山でAチームが練習終わって遠征(帯広で試合する前日だったのです)に出かけた後、厚別競技場へ行ったので、前半の途中から見たのですが、石塚さんはアウェイのユニフォーム12番を着て戦っていました。
この試合は、知っていると言う人が少なかったのか、観客が少なすぎました。200人くらいだったのかも・・・。ですから、応援すると目立ってしまうくらいだったのですが、後半から声を出そうということになり、スタンド席から石塚コールをすることになりました。しかし、呼び捨てにしたら睨まれるかもなどとイメージがやはり先行して、「石塚! さま」「石塚! さま」という最後に遠慮深く「様」を付けたコールをすることになったのですが、石塚さんは、涼しげなプレーをして途中で村田さんと交代したのです。ですから、私は石塚さんのことよりも村田さんが試合に復活したほうが大事になってしまって、交代前から、アップしている村田さんを見ていたので自分の中では、村田さんのことで頭の中が大騒ぎになっていたので、石塚さんのプレーを見た感想は、「やっぱり、本州の人は日焼けの具合が全然違うなぁ」などと、訳の分からない感想を持ってしまいました。ほんと、コンサの選手の中でデリーの次に黒かったです。
試合の終わった後、競技場の出入り口のところで某選手(まぁ、おわかりかと・・・)を待っている時に、記者さんたちに取材を受けている石塚さんを間近で見れたのですが、むちゃくちゃカッコイイ。いい男だったのでした。

記者さんが石塚さんのところに行って取材をするという姿は、この日以来見たことがなかったです。やっぱり、石塚さんって怖いのかしら・・・と思わせる空気を記者さんたちにも作られてしまった感じがしています。私も、結局はTシャツにサインしてもらう時になかなか行けなくてということがあったのですが、最終的にもらった時、石塚さんって誤解されているなぁと思ったところがあるんですよ。

[寮生たちと仲良しの石塚さん]
さて、石塚さんですが、ファンサービスは、あんまりしないのですが、しないというよりも、みんな恐れているのか近寄るファンが少ないんです。でも、ちゃんとサインには応じておりました。このサインなんですが、書くのが速い速い。1秒もしないで書いてます。だから、10人いても10秒以内に立ち去ってしまうすごい人です。
問題は、写真。写真は、「ちょっときついっす」と断っていました。でもね、いついっても全員に断っていたので、私としてはポリシーのある人だと感心してしまいました。いい男なんですが、写真では、いい男ぶりがあまり出てこないし、本物のほうが断然良いわけですから、このポリシーを勝手に理解した私。つまり、石塚さんは写真映りが悪いから嫌なのだろう。

私たちにファンサービスなんかしなくてもいいから、チームメイトと馴染めるのだろうかいう心配もあったのですが、とても仲良く練習していました。
帯広戦の翌日のオフ日には、まだ札幌に来て3日程だったと思うのですが、大野くんと街を歩いていたのを発見したし、栗山の練習も自分の車がやってくるまでは、宏太くんに乗せてもらって帰っていたし、最後のほうでは、練習終わった後に金子くんや工藤くんをいじめていたりと、元気な関西弁の石塚さんの声も聞こえてくるようになっていました。(口調が強いので恐く聞こえる部分が多々ありましたけど・・・)
自分の車がやってきてからは、栗山通いは、森さんを助手席に乗せて通っていました。レンタルコンビは、とても仲が良く似たような帽子をかぶってカッコよく帰っていったなぁとすでに思い出になっています。
つまり、私が見学をしていて思った石塚さんという人物は、「恐い人」ではなく、「人見知りをする人」なのではないかと思ったのです。
私がTシャツにサインをもらった時も、全然恐くなくて、Tシャツということもあって、とても丁寧にサインしてくださいました。3秒は、かけてくれたと思います。なかなか近寄りがたくて、ずっともらえなかったのですが、勇気をだして近寄ってみたところ、いい感じの対応をしてくださってビックリでした。
やっぱり、私も石塚さんを誤解していたようです。

[石塚ルック]
栗山の練習場は、近いところで練習するとめちゃめちゃ近くてドキドキするのですが、遠いと思いっきり遠くなってしまって、肉眼で自分の贔屓いがいの選手を判別するのが難しいのですが、石塚さんだけは、必ずわかるのです。
選手たちは、ブレーカー上下姿で練習しているのですが、石塚さんは、ブレーカーの上にソックスを履くので、土建屋さんのニッカボッカのズボンのようになっているのです。さらによく見ると、靴紐を足首に巻きつけているのです。靴がポロンと脱げるのを防ぐためなのかどうかは、わかりませんが、とても不思議。さらには、練習終わった後、シャワーに入ったら、タオルを巻きつけて歩いているし、機能的といえば機能的、無造作といえば無造作な石塚さんです。よく寝ぐせがついたままの状態で練習している姿も見れたので、飾りっれのない石塚さんが、また素敵に見えるということもあったのでした。
つまり、いい男は、寝ぐせがついていようが、どんな格好をしようがいい男なのでした。

栗山で石塚ルックをしなかったことが1度。体育の日に練習が終わってから、サッカー教室で石塚さんも教えることになったのですが、その時は、みんなとおんなじブレーカーの履き方をしていました。さらに、子供たちには、笑顔で接していたのもよかったです。
ただね、教え方があんまり良くないのか、カルロスやダニエルが、何度も石塚さんのところに様子を見に来てたのが印象的です。

もう一つ、気になる石塚ルックがあるのですが、それは、ホームユニフォーム。途中から入団したということもあってなのだと思うのですが、石塚さんの番号の入った長袖ユニフォームがなかったようで、寒い試合の時に、長袖ユニフォームの上から31の番号の入った半袖を着て試合をしていました。しかも、半袖ユニフォームのサイズも丈が短いようで、すぐ、ズボンの中に入れていても出てきてしまいます。
聞く話によると、もう赤黒のユニフォームの生地がないので、レプリカももうないしという話もあったのですが、じゃあ、ナビスコの時にできた特別仕様のユニフォームの生地は・・・と、疑問も残ってしまいました。少し、ユニフォームに関しては石塚さんに不憫な思いをさせてしまったような気がします。

[ナンバーワン]
石塚さんが、コンサドーレのなかでなにがナンバーワンかというと、やっぱり、車かなぁ。紺色のジャガーにのっているのです。他の選手たちも立派な車に乗っていますが、ジャガーというのは、やっぱりいいなぁと。札幌では、なかなか見れない車ですから。
このジャガーに乗って帰っていく石塚さんなのですが、帰る時に、エンストしている姿を見たことがあって、何だか親近感が沸いた場面もありました。

レンタル期間が終わって、石塚さんはヴェルディに戻るのか、はたまた、別のチームへ行っちゃうのかわからないのですが、とにかく、今後も注目していきたい選手です。





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山橋貴史

タイトル:100ボルトの山橋さん

練習生としてコンサドーレに入団した山橋さん。それでも、公式戦にスタメンで登場したりと山橋さんの頑張りぶりは、すばらしいものがあったとは思います。しかし、練習の時は、見学している立場から見ると、とっても地味な存在で、真面目な人に感じました。そんな山橋さんの話をつづります。

[真面目な山橋さん]
比較的リラックスムードのコンサドーレの練習風景なのですが、練習場で山橋さんがはしゃいでいる姿というのは、あまりというか、全く見なかったと思うのです。大きな声ではしゃいでいる選手というのが多い中、山橋さんは、黙々と練習している感じがします。どちらかというと見学者から見ると、はしゃいでいない分だけ、目立たない選手だとおもいます。
しかし、とっても礼儀かいいというか、律儀というか、「おつかれ様でした」と声をかけたら、かならず、「お疲れ様でした」と挨拶をしてくださる方です。
山橋さんに関する練習場でのエピソードって私は、ほとんど見つけられなかったというのが、少し残念なところです。
ひそかに山橋さんって、キャラクターは違うけど、ウド鈴木とかつぶやきシローの顔に似ているなぁとも思っていたのですが、そんなことないかしら。・・・ということで、試合に関しての想い出を

[前期の輝きを再び来季で]
山橋さんは、前期の活躍がとても目立った選手だったと思います。全部でJFLの公式試合に19試合に登場していますが、フル出場の試合は前期の4試合だけ。後期は、スタメンで登場しても全て途中交代、後期の途中からは、宏太くんと、そして新村さんが怪我から復帰して、FW争いが激しくなってメンバーからも外されてしまいました。素人の私が思うには、スタメンの時よりも途中交代して、試合の流れを走ってかき乱して変えてくれるほうが、輝いて見えていました。
コンサドーレでは、山橋さんと甲介くんだけが北海道出身の選手だったので、めいいっぱい頑張って応援したい選手ではあるのですが、どちらかというと、スタメンでは、人気者の宏太くんに登場してもらいたいという願望もあったので、山橋さんは途中からの試合の流れを変える人であってほしいという願いが強いという部分があったというのもなきにしもあらず。(山橋ファンのみなさん、ごめんなさい・・・)

一番印象に残っている山橋さんが登場した試合は、6月7日の東京ガス戦です。後藤さんが途中でアウトになる時に、キャプテンマークをピッチのサイドライン際に置いて去って行ったのですが、それを拾って付けたのが山橋さん。試合は、卓さんが退場になってしまったので、1人少ないとはいえ、PK戦までもつれこんだのですが、残念ながら、PK負けで初黒星になってしまったわけですが、このPKでボールを止められてしまったのは、そう、山橋さんでした。
この時、私はメインスタンドに座っていたので、がっくりして帰ってくる選手たちの姿を近くで見れたのですが、やはり、一番がっかりしていたのは山橋さん。監督は、選手一人一人を迎えていましたし、がっくりしている山橋さんを励ましている感じがひしひしと伝わってきました。この東ガスは、いろいろな意味で思い出深い試合になりました。

後期の活躍があまり目立ったものがなかったとはいえ、天皇杯の登録選手に山橋さんの名前が登録されていなかったのは、大ショックでした。まさかの新村さんの天皇杯前に再びの怪我、さらにまさかのデリーの退場であんなに争っていたポジションなのに宏太くんだけがFW。山橋さんが登録されなかったばっかりに、MFにコンバートした黄川田くんが再びFWとして登場したのでした。3回戦のジェフ市原戦では、前半に宏太くんが足を痛めて交代。山橋さんが登録されていれば・・・と思った試合が、今季最後の試合になってしまったのでした。
来季は、FWからMFに転向するかもしれないということですが、前期の輝きを山橋さんに再び来季で見せていただきたいと思っています。

[なにが100ボルトかというと・・・]
選手の皆さんは、練習に着てくる服装というのは、ラフな格好で、ほとんどの人は、スウェット上下といった姿で帰って行きます。山橋さんも比較的、スウェット上下で通っている選手だと思っていたのですが、ある時、セーターを着ていたのですが、編み込みで絵や字が描かれていたのですが、100Vとでっかく編み込まれていて、その横に差し込み口と、コンセントの絵も入ったデザインだったのです。それが、私にはとても斬新すぎて思わず一緒に遠くで見ていた友人と、「山橋さんって100ボルト」という話になってしまいました。その日以来、100ボルトのセーターを着ている山橋さんの姿は拝見していませんが、私の中では、山橋さんのことを100ボルトと呼んでいたのでした。さらに一緒に見ていた友人と山橋さんの話になった時、「あれ?200ボルトじゃなかったっけ?」ということになり、ちゃんとメモを取っておけば良かったなぁと後悔。どっちにしろ、すごい衝撃的なセーターだったのです。唯一、練習場で拾えた山橋さんのエピソードです。

[ナンバーワン]
山橋さんがコンサドーレの中でなにがナンバーワンかというと、謙虚さナンバーワンではないかと思います。記者さんに対してもファンに対しても、誰に対しても頭の低い方ではないかと思います。私は、1度だけTシャツにサインをもらっただけで、あとは、近寄ったことはありませんが、遠くで様子をみているとそんな感じがしました。
唯一の札幌出身の選手でしたので、とにかく山橋さんを応援しているという人も、多いはずです。それなのに何故か、山崎と呼ばれたり、誤植されていたりということも多かったと思うんですけど、そういうのは仕方ないのかなぁ。





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小野甲介

タイトル:地域に密着していた甲介くん

コンサドーレ入団2年目で戦力外通告を受けた甲介くん。数少ない道産子選手がコンサからいなくなったのは、とても寂しいです。甲介くんは、地域に密着していた選手だったと思っています。そんな甲介くんのことを書き綴ってみました。

[知り合いの多い甲介くん]
甲介くんは、さすが北海道の出身と思える選手でした。
サッカー少年団の団体が見学に来ていた時、私はたまたまその団体の横で練習を見ていたので、とても印象的だったのですが、練習が終わった後、甲介くんは、まっすぐその団体に挨拶へ来ていました。少年団の監督と挨拶しているだけではなく、子供たちとも話をしていたようだったので、もしかしたら、教えに行っていたのかなぁと思えるような光景でした。
そして、練習試合をした後でも、室蘭大谷との練習試合の時は、もちろんなのですが、他の練習試合でも、相手チームの選手の何人かに声をかけられていたり、相手チームの監督のところに挨拶に行ったりという姿も多かったです。
しかも、比較的挨拶程度ではなく、練習着を着たままずっと話し込んでいる姿も何度も見ていたので、それで鮎貝くんが私に「甲介さんは?」とか「あそこにいるの甲介さん?」と質問してくることが多かったというのもあるのです。そんな甲介くんの姿を見ると、やっぱり、甲介くんは北海道出身だなぁと思えるし、みんなに期待されて応援されているなぁと思える姿でした。一番、多くの知り合いが見学にやってきていた選手だと思います。
そんな姿を多く見ていたので、甲介くんがコンサドーレからいなくってしまうのは、とても、ショックでした。
今季のJFL公式戦には、1試合も登場することが出来なかったのですが、8月にあった札幌大学とのチャリティー試合では、Aチームが戦った試合なのですが、甲介くんも控えに入っていて、途中から出場もしたというのが、印象に残っています。
練習試合や紅白戦で甲介くんのプレーは見ていましたが、だいたい右のサイドを担当していることが多かったのですが、得点力のある選手で、練習試合の時には、通訳のジェアネッテさんが「甲介!」と喜んでいる姿もありました。

[いい人だった甲介くん]
私が近寄っていける選手というのは、ほんの数人の選手だけだったのですが、優勝記念のTシャツに全員のサインをしてもらおうと思って、はじめて近寄った選手がほとんどだったのですが、とても気軽にサインをしてくださる選手ばかりで、うれしかったのです。その中でも、一段といい人だったのが、甲介くん。
Tシャツにサインをもらう時、自分ともう一人友人に持つのを手伝ってもらってTシャツにサインを書いてもらうのが、理想的なのですが、甲介くんにサインをもらう時に、手伝ってもらえる友人がいなくて、1人で近寄って行ったんです。甲介くんに先にふたを開けたペンを渡して、Tシャツをひろげたら、甲介くんは、Tシャツの端を自分のまたに挟めようとした、その瞬間に甲介くんが持っていたペン先が、チョンと内モモに。グレーのスウェットズボンに黒い短い線を描いてしまったのです。たとえ、甲介くん本人が書いてしまったとはいえ、私がサインを頼んでいなければ、そんなことになっていなかったので、申し訳なさでいっぱい。ごめんなさいと謝ったところ、「全然、平気ですよ」とやさしかった甲介くん。
翌日の月寒の練習の時にズボンを買って持って行くことにしたのでした。そんで、練習後に渡そうと思っていたら、月寒の場合は、寮生は見学者の前を通らずに帰ってしまうため、立ち入り禁止ゾーンから別の方向へ歩いて行く甲介くんにむかって、「甲介く〜ん」と声をかけたのですが、気づかれず。(他の人もいるし、いくらなんでも、いつもの私の大声で呼ぶことも出来ず、押さえ気味だったの)2〜3度遠ざかって行く甲介くんの背中に向かって「甲介く〜ん」と呼んでいたら、ホペイロの斎藤さんが気づいてくれて、「甲介呼んでるぞ〜」と言ってくださったのでした。そしたら、立ち入り禁止の境界線までやってきてくれたのですが、なんだか、みんなに見られるし、待っているのってはずかしいなぁと思ってしまいました。まして、私が某選手のファンだということは、結構、バレバレだし・・・。しかし、昨日の詫びは今日のうちにしないとと思って、勇気を振り絞った結果です。
もう一度、昨日はすみませんでしたと謝って、かわりにもならないような粗品をプレゼントしたのでした。その時も、「別に良かったのに・・・すみません」と申し訳なさそうに腰の低かった甲介くんだったのでした。これが、私の一番想い出に残る甲介くんとのエピソードです。ですから、この数日後に戦力外通告の話を新聞で見て、ショックが大きかったというのもあります。

[チビといわれる甲介くん]
ウーゴは、変な日本語をよく憶えているようで、そのなかに「チビ」という言葉もあるのですが、甲介くんと村田さんのことをチビと呼ぶことが多かったのです。村田さんは、ウーゴにチビと呼ばれたら、怒っていたのですが、甲介くんは、怒らずに言われるがままでした。そんなウーゴが一番コンサの中で小さいのですけど・・・。
練習をしている時は、同じ(といっても微妙に違うけど)ブレーカー上下でみんな練習しているので、遠くで練習をしていると判別不能になってしまうのですが、小さくて、後頭部部分の髪の毛の量が多いというのが甲介くんだと私の中では、インプットされていました。比較的、遠くにいても私には、わかりやすい選手でした。

[ナンバーワン]
甲介くんは、途中からBMWの2ドアのスポーツタイプに乗っていたのですが、カッコイイ車なうえ、手入れもいいし、なにがいいってタイヤまでいいタイヤを履いているの。コンサの選手の中で、タイヤにまでお金をかけている車を乗っていたのは、甲介くんだけと言っていいぐらいだと思います。
それで、甲介くんがコンサドーレの中で、なにがナンバーワンかというと、その甲介くんの車の乗車率がいつも満員なのです。乗車率、ナンバーワンだと思います。寮生がおんなじところに帰るから乗るという理由もあると思うのですが、他の寮生だって車に乗ってきているのにもかかわらず、2ドアでも、いつも後ろにも人が乗る車でした。
そう考えると、甲介くんは、後輩の選手にも面倒見がいいのかなぁなどと思うところもあるのですが、鮎貝くんを一度、忘れて帰った甲介くんという存在もなきにしもあらず。そう考えたら、鮎貝くん、そのあとぐらいから、時岡さんの車に乗せてもらって帰っていたなぁ・・・。でも、よく鮎貝くんと甲介くんが2人でパチンコに行っているという話もあるので、まぁ、仲は良いようですから、やっぱり、甲介くんは面倒見がいい人だと思いました。

甲介くんが今後、どこのチームに所属することになるかわかりませんが、北海道出身選手ですから、絶対応援したい選手の1人です。





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鳥居塚伸人

タイトル:かならず2ショットの鳥さん

はっきり言って、私は鳥居塚さんのプレーが大好きです。私が、コンサドーレを応援しようと決意するのが何ヶ月か遅かったら、ムラマニではなく、トリマニになっていたはずなのです。そういう話も含めて鳥居塚さんのことを書き綴りました。

[素晴らしいプレーの鳥さん]

私は、コンサドーレの試合を見て、一番最初に気に入った選手は、鳥居塚さんなのです。途中交代で入ってくる鳥居塚さんは、ゲームの流れを変えるし、しなやかさ、激しさを持っていて、はたまた強引さが素敵だったりしたわけです。さらに、写真よりも実物がカッコイイじゃないですか!!最初の頃のヘアースタイルが好きだったのですが、後半は、すっかり板前さん風になってしまいました。(ちょっと残念)
実は、私が大好きな某選手は、プレーからファンになったわけではないのです。(彼を好きになった動機は不純です・・・これは後日のお楽しみ)ですから、冒頭にも書きましたが、試合を見てからコンサドーレのファンになっていたら、私は、一番好きな選手は、鳥居塚さんになっていたはずなのです。練習を見に行って、生で選手たちをみてから、私の好きな選手の順番というのを勝手にランキングしていたのですが、はじめの頃、1ムラ、2鳥、3赤池という順だったのですけれど、5月から6月にかけて、1鳥にしよう!と鳥居塚さんへ乗り換えキャンペーンを行おうと思ったのですが、一度好きになったらとことん応援しないと気が済まない性格の私は、結局は、鳥居塚さんに近寄ることも出来なくて、キャンペーン失敗。幸か不幸か某選手を愛しつづけているのでした。(苦笑)
なぜ、近寄ることが出来なかったかというと、だいたい鳥居塚さんは、1人で歩いているということが少ないというのも大きな原因ではあるのです。
んで、現在の順番は、1ムラ、2ウーゴ、3赤池、さらに影の2番にカルロスフィジカルコーチと私の中のランクからは、鳥居塚さんはいなくなってしまったのですけれど、やはり、鳥居塚さんは、大好きなプレーヤーです。鳥居塚さんのプレーには、とっても職人技を感じます。
横断幕がいろいろと試合の時に貼ってありますが、私の好きな横断幕の中に「ほれたぜ!鳥居塚伸人」という横断幕があります。この横断幕の製作者と友人になる前から、気に入っている横断幕でした。まさにそのフレーズ通り、プレーを見て惚れる選手といえば、鳥居塚さんだと思います。

[2ショットの王様]

さて、鳥居塚さんは誰と2ショットが多いかというと、太田さんとなんです。練習の行き帰りは勿論のこと、太田さんが怪我をして戦線離脱するまで、練習の時のボールパスやストレッチのパートナーもいつも一緒にしていました。
だいたい、練習の行き帰り一緒だという選手だって、ボールパスの相手は違うものなのですけど、鳥居塚さんと太田さんは、ほとんどいつも一緒。練習終わってグラウンドから上がる時も一緒。車に乗り込む時も一緒に歩いてやってくるんです。ですから、なかなか1人になるということがありません。
さらに2人の話のエピソードがあるのですが、太田さんがウーゴと冨樫さんと3人で、イベントのゲストに出場したことがあるのですが、その時に鳥居塚さんが客で見に来ていたのです。そして、イベントが終わったら、2人で帰っていき、翌日の栗山の練習場に見学に行ったら、2人とも髪の毛を切っていたのです。
知人から聞いた話によると、4月のファンの集いの時も終わった後、2人で街でショッピングをしていたらしいという話もありますし、コンサドーレマガジンで鳥居塚さんがFACEに登場した時に、貴光さんとダブルボランチをやりたいなどということを言っているではないですか!!つまり、鳥居塚さんのベクトルが太田さんへ向いているのではないかという結論になってしまったのですが、如何なもんでしょう?
練習が終わって帰る時、太田さん練習復帰してからは、足痛いので、氷を発泡スチロールの容器に入れて帰っていたのですが、荷物がいっぱいの時には、鳥居塚さんが持ってあげていたりと仲の良い感じがひしひしと伝わってくる2人の姿・・・。
太田さんが試合に出られなくなってから、遠征の時には誰と行動をとっているのか気にしてみていたら、朝倉さんと行動をともにしていました。太田さんがいなくても1人の行動ではなく、2ショットが好きなようです・・・。
しかし、来季も再び太田さんとの2ショット姿の遠征、練習、はたまたイベントを見れることになるでしょう。みなさん、要チェックです。

[スーパーサブ]

鳥居塚さんは、今季JFL公式戦に18試合出場したのですが、スタメンで登場したのは、第9節の東ガス戦だったのですが、卓さんがイエロー2枚ももらってしまって退場になっちゃったので、その2分後に鳥居塚さんが交代になってしまったため、フルタイム出場した試合がないのです。しかし、1試合をのぞいて、試合に登場できなくてもベンチで出番を待っていた控えの選手として、鳥居塚さんは、JFL公式戦で29試合もユニフォームは着ているのです。つまり、全30試合出場した選手は、誰もいないですし、29試合ユニフォームを着ている選手は、他に5人だけ。田渕さん、後藤さん、デリー、卓さん、は、スタメン選手ですけど、いつものサブとして、こんなにユニフォームを着ていたのは、森さんと鳥居塚さんだけなのです。そう考えると、本人にとってみれば、スーパーサブという言葉は気に入らないかもしれませんが、いつでも準備OKの怪我に強い選手だったのです。
前期の時は、特に前の日の練習まで足を引きずって歩いていたのにも関わらず、翌日の試合では、途中から素晴らしい仕事をしてくれたりと、たくましさを感じました。

[ナンバーワン]

コンサドーレの中で鳥居塚さんは、なにがナンバーワンかというと、スーパーサブとしてナンバーワンというのもあるのですが、練習を上がるのが早い人ナンバーワンです。他に、後藤さん、太田さんも早く上がる人たちなのですけど、帰るのもとっても早いです。ですから、鳥居塚ファンのみなさんが練習を見に行った時には、気を付けていないと、とっとと帰っていますのでご注意を



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工藤英章

タイトル:影のフォワード工藤くん

練習生として入団していた工藤くん。今年からは、地元のアステール青森に入団が決まっているようで、退団選手の中では、移籍先の決定が早かった工藤くん。そんな工藤くんのことを書き綴ってみました。

[おとなしい工藤くん]
どちらかというと、コンサドーレの選手は、おとなしい選手が多いのかもしれないのですが、工藤くんは、若いのにおとなしい選手に見えました。どうしても、キーパー練習というのは、ほかの練習よりも目をひくものがあるのですけど、コンサドーレのキーパー衆は、ディドさんや森さん、赤池さん、そして工藤くんと4人なんですけど、工藤くんは、他の選手達とは違って、キーパー練習で、熱くなって自分自身を怒るというような感情を表に出すというよりも、黙々とボールにくらいついていくのです。見ている私のほうもつらくなってくる場面もしばしば。コーチのシュートするボールをなかなかボールを止められず、シュートを入れられてしまうのが続いてしまうと、みているだけの私でも、うるっとしてしまったこともありました。松山コーチが、「かんばれ工藤!」「いいぞ工藤」と励ましの声をかけている場面がなんとなく、じ〜んとくるものがあったのです。そんな練習を見ているせいか、他チームと練習試合でだいたい後半から登場する工藤くんのキーパー姿にハラハラしてしまっていた私。キーパーとしては、おとなしい工藤くんのイメージしかないのです。

[工藤くんが元気になる時]
そんな工藤くんが、いきいきとガッツポーズを見せる時があります。それは、ミニサッカーなどの時。キーパーにディドさんと森さんが入る場合があったり、全く違うフィールドの選手がキーパーをやるといった、楽しみながらやる変則サッカーなどの時に、彼の元気な姿をみることが出来るのです。だいたい、その時の工藤くんのポジションはフォワードで、よくシュートを入れるのです。必ずといっていいほど、この手のゲームでは、得点を挙げていました。キーパーをやっているから、どんなボールを打ったらとられにくいかなどといったことがわかるのでしょうか。シュートを決めて両手でガッツポーズする工藤くんの姿を10回以上はみたと思います。

[五戸な二人]
コンサドーレの選手の中で、工藤くんと同じ出身高校の人が、もう1人。古川さんも五戸高校出身である。この五戸な2人は、全体練習が終わった後などもボールパスの練習などをしていたこともありました。仲良くボールパスをしていた2人。その時の会話がちらりと聞こえてきたのですが、「高校のグランドは、もっと、こんな感じだったよね」「こんな形だったよね」などととってもローカルな高校のグラウンドの話やサッカー部の話をしていました。全体で練習する時にもパスの練習の時には、仲のいい人たちがペアになっているようなので、にぎやかになっているようですけど。(別に、誰と誰かが仲が悪いなどといったことはないと思うが)

[ナンバーワン]
工藤くんは、高卒ルーキーのなかで、唯一、車を持っている選手でした。いつ免許を取ったのかは知りませんが、気づいた時には車に乗っていたので、学校によっては、在学中に免許を取れない学校もあるけど、工藤くんの高校は、大丈夫だったのでしょうね。(あくまでも予想)黒の大きなRV車に乗っていました。・・・ということで、コンサドーレの中で最年少の車所持者のドライバーでした。





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中吉裕司

タイトル:内に秘める闘志の中吉さん

中吉さんは、後期の第1戦で試合中に暴言を吐いたということで無期限の自宅謹慎という処分になってしまいました。あまり感情を表に出さないタイプの中吉さんに何があったかわかりませんが、謹慎処分ということを知って、ショックでした。約2ヶ月間は練習に来ませんでした。復活して31人全員がそろった日は私は、とてもうれしかったです。今年は、大分に移籍するというのが濃厚だという中吉さんのことを綴ってみました。

[小型車からRV車へ]

コンサドーレの選手の車は、外車やRV車などといった所謂高そうな車がほとんど。そのなかで、中吉さんの車だけは、庶民的な1300ccクラスの車だったのです。(車種をいうとクレームがきたら困るのであえて書きませんけど)逆にそれが新鮮で、選手でもこんな人もいるんだなってうれしく思えたんですけど、そんな期間は、7月の初めでおしまい。中吉さんも車を買い換えたのでした。
車を買い換えてからの初めての練習は、7月10日。私も栗山の練習に行っていたので、見れた楽しい光景がありました。中吉さんは、グラウンドからよく見えるところに車を停めておりました。全体練習が終わった後、中吉さんは居残り練習をしていたのですが、上がるのが早い選手達に車をいじられていました。まずは、太田さんと鳥居塚さん。「あ、これ?」などとグラウンドの中吉さんと会話をして、ワイパーを立てて帰りました。「やめてくれ〜」といいながらも嬉しそうな中吉さん。さらに登場したのは、デリー。デリーは、「サイン・サイン」とボンネットにサインを大きく書く真似をしました。こんどは、グラウンドにいた中吉さんがあわてて自分の車のほうではなく、デリーの車のほうへ行っていたずらをしようとしていました。見ている私としては、なかなか楽しかったです。それにしても、庶民的な車のオーナーは選手の中にはいなくなってしまいました。

[週コンの効果あり?]

栗山の練習場に見学にやってくる人が少ない日は、誰もファンが行かない人気選手の姿もあるのですが、週刊コンサドーレ情報で平川さんが中吉さんの彼女募集などという話をしてから、必ずといっていいほど中吉さんのところにはファンの女の子がおりました。今まで、行っていなかった人も中吉さんのところへ行ったりしていて、すんごい効果かと思ったのでした。ちなみに安田は行ってませんよ。(苦笑)

[復活後の中吉さん]

その前に、中吉さんが謹慎処分だということは、道内に住んでいるとスポーツ新聞などで書かれていたことなので知っているものですが、道外のコンサドーレファンの場合はこのようにパソコンなどで情報を知るということが出来ない人の場合は全く入ってこない情報だったようで、遠征に行くと中吉さんどうしたんですか?と聞かれることが多かったのです。その前に、なぜ私に聞くのかというのも不思議だったのですが。つまり、遠征に行くといろんな人からいろんな質問をされるのですけど・・・。
復活後の中吉さんですが、レギュラーに定着することは出来なかったので、新聞にあまり取り上げられていなかったですが、とにかく帰って来て安心しました。時折、週コンで平川さんが小さくボードに「中吉元気」とか「おかえり」とか書いているのを見て、ここの2人は仲良しだったのねなどと思ったりもしました。なにもお変わりなく練習している姿を見れてよかったです。
後期から石塚さんが加入して、中吉さんが謹慎になってしまって、中吉さんが戻ってきたら太田さんが入院して・・・とメンバー31人全員がそろったというのは、10月の半ばの出来事だったのです。

[ナンバーワン]

中吉さんがチームの中で何がナンバーワンなんだろうと考えていたのですが、なかなか浮かばないのでした。ちょっと考えさせてください。こんなのあるのよという人がいましたら教えてください。考えつく日まで保留します・・・。ごめんなさい。



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田渕龍二

タイトル:右サイドは龍さん

右のサイドには龍さんがいる。監督にも代表選手になれるくらいに素晴らしいと評価される田渕さん。そんな田渕さんのことを綴ってみました。

[小さい足の龍さん]

夏に田渕さんと太田さんが歩行者天国になっている丸井今井の前でイベントに参加したのですが、その時に、クイズで出された問題の中で田渕さんの足のサイズがわかったのですけど、足のサイズが25センチだということなのです。男の人の中では小さいほうだとビックリしました。靴といえば、試合中に田渕さんったら靴が脱げちゃったことがあったような・・・。
ちなみにこのイベントですが、田渕さんも太田さんも恥ずかしがりやなのか大人しいだけなのか、マイクを1本ずつ持たされているにも関わらず、田渕さんったら、マイクを使わずに話してました。しかも、2人ともだんだんと後ろにさがっていったりと消極的でなんだか可愛らしい2人でした。

[ムコ養子のサッカー選手]

田渕龍二という選手は97年から誕生した選手である。大塚にいた時は、田渕さんは花垣龍二だったのです。結婚してムコ養子になって田渕龍二と名前が変わっていたようですが、大塚時代は名前を変えずに花垣龍二のままで試合に出ていたそうです。変なたとえしか浮かばないのですが、まるで結婚しても旧姓ままで仕事をするような芸能人みたいだった龍さんですが、コンサドーレ札幌に移籍したのをきっかけに田渕で登場したようです。
なかなか今の世の中で嫁さんの姓になるという人が少ないのに龍さんは、サッカー選手なのに苗字を変えちゃうというのがとても新鮮な私です。これを知って、いい人に違いないと思ったのでした。

[かわいいサイン]

龍さんのサインは、とってもかわいいです。Ryuと背番号の2を書いているのですが、「Ryu2」になるので、かわいいうえに誰が見てもわかるサインです。一番かわいいサインだと思いますよ。

[ナンバーワン]

龍さんは、JFLの公式試合の中では、最多試合フルタイム出場選手です。警告累積のために出られなかった、第9節の東京ガス戦の1試合をのぞく29試合に出場して、なおかつフルタイム出場をしました。もうひとり、デリーバルデスも29試合でフルタイム出場をしています。最多出場時間という項目にしてしまうと、田渕さんが出られなかった東京ガス戦が唯一のPK戦までいった試合な為、残念ながら2位になってしまいます。田渕さんは、右サイドの担当ですが、左も出来るので、97年では札幌大学とのチャリティーサッカーで途中から左サイドを担当したこともありました。
ちょっと残念だったのが、腰痛をもっているらしく、10月のナビスコ杯は2試合とも出場できかったということ。でも、この2試合に出られなかったけど昇格決定試合にはちゃんと出場したのでなによりです。
龍さんは、今季Jリーガーとして戦う初めての年。今年もベストメンバーの一員として活躍して欲しいと思います。



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