このページでは、私が練習や試合などを見て感じた コンサドーレの選手たちを紹介していきたいと思います。 オフシーズンに入って今年Jの夢をかなえてくれた、 素晴らしい選手たちを振り返って見たいと思いました。
あくまでも、私が思ったことを書き綴っていますので、偏りがあるのは、 ご了承ください・・・。
ランダムに書きたい人から1人ずつ更新していきます。オフシーズン企画だったのにシーズンに入ってしまったけど、完成させる予定です。
・ディドさん−12/26UP ・鮎貝秀彦さん−12/28UP ・金子真人さん−1/3UP ・石塚啓次さま−1/4UP ・山橋貴史さん−1/7UP ・小野甲介さん−1/8UP ・鳥居塚伸人さん−1/9UP ・工藤英章さん−2/9UP ・中吉裕司さん−2/9UP ・田渕龍二さん−2/11UP ・森敦彦さん−2/11UP ・朝倉徳明さん−2/16UP ・大野貴史さん−2/16UP ・新村泰彦さん−2/21UP ・土田哲也さん−2/21UP ・黄川田賢司さん−2/22UP ・岡田直彦さん−2/22UP ・冨樫剛一さん−地味にUP ・吉成大さん−地味にUP
名前 | ポジ | 番号 | 誕生日 | 身長 | 体重 | 出身地 | 血液型 | 選手間での呼び名 |
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ディド はーふなー・でぃど | GK | 1 | 1957.9.26 | 186 | 87 | オランダ | AB | ディド/ディドさん |
田渕龍二 たぶちりゅうじ | MF | 2 | 1973.2.16 | 170 | 65 | 徳島県阿南市 | B | りゅう/りゅうさん |
ペレイラ るいすかるろすぺれいら | 3 | |||||||
古川 毅 ふるかわつよし | 4 | |||||||
朝倉徳明 あさくらのりあき | MF | 5 | 1973.5.11 | 176 | 72 | 静岡県駿東郡 | O | のり/のりさん |
太田貴光 おおたたかみつ | 6 | |||||||
後藤義一 ごとうよしかず | 7 | |||||||
浅沼達也 あさぬまたつや | 8 | |||||||
バルデス ほるへでりーばるです | 9 | |||||||
マラドーナ うーごえるなんまらどーな | 10 | |||||||
新村泰彦 にいむらやすひこ | FW | 11 | 1970.5.11 | 176 | 68 | 静岡県 | A | にいさん/にいむらさん |
冨樫剛一 とがしこういち | DF | 12 | 1971.7.15 | 183 | 75 | 神奈川県横浜市 | O | とが |
中吉裕司 なかよしゆうじ | DF | 13 | 1972.9.4 | 181 | 71 | 東京都府中市 | O | ちゅう/ちゅうさん/ゆうじ |
渡辺 卓 わたなべたく | 14 | |||||||
村田達哉 むらたたつや | 15 | |||||||
鳥居塚伸人 とりいづかのぶひと | MF | 16 | 1972.8.7 | 166 | 58 | 群馬県前橋市 | A | とり/とりさん |
黄川田賢司 きかわだけんじ | MF | 17 | 1974.10.28 | 178 | 72 | 広島県呉市 | A | けんじ/どんぐり |
吉原宏太 よしはらこうた | 18 | |||||||
小野甲介 おのこうすけ | MF | 19 | 1977.4.26 | 168 | 61 | 北海道室蘭市 | O | こーすけ |
吉成 大 よしなりだい | MF | 20 | 1977.9.18 | 172 | 67 | ペルー・リマ市 | A | ダビ |
赤池保幸 あかいけやすゆき | 21 | |||||||
土田哲也 つちだてつや | DF | 22 | 1972.4.24 | 180 | 75 | 石川県金沢市 | A | とっつぁん/つっちー/つちださん |
時岡宏昌 ときおかひろまさ | 23 | |||||||
金子真人 かねこまこと | FW | 24 | 1978.6.15 | 168 | 68 | 山口県山口市 | O | まこ/かねこ |
岡田直彦 おかだなおひこ | MF | 25 | 1978.12.30 | 173 | 66 | 群馬県前橋市 | A | おかじ/おかだ |
鮎貝秀彦 あゆがいひでひこ | MF | 26 | 1978.4.17 | 172 | 62 | 千葉県茂原市 | A | あゆ |
大野貴史 おおのよしふみ | DF | 27 | 1978.5.22 | 180 | 70 | 大阪府 | A | よっくん/おおの |
山橋貴史 やまはしたかし | FW | 28 | 1972.5.31 | 173 | 65 | 北海道札幌市 | A | たかし |
工藤英章 くどうひであき | GK | 29 | 1978.7.24 | 185 | 75 | 青森県五戸町 | O | くどう |
森 敦彦 もりあつひこ | GK | 30 | 1972.5.31 | 179 | 73 | 兵庫県 | B | もり/もりくん |
石塚啓次 いしづかけいじ | MF | 31 | 1974.8.26 | 184 | 77 | 京都 | AB | いし |
黄川田賢司
タイトル:左サイドに変わった男善し悪しはともかくとして、 試合に出ると必ずやらかしてくれるだろうと思わせてくれる賢司くん。 そんな彼のことは、ちゃんとチェックしておりますよ。だってぇ・・・。
[コンバート選手]
賢司くんは、大卒ルーキー。フォワードの選手としてやってきた。 ナビスコの予選とJFLの第2節でもフォワードで登場していた。 しかし、フォワード争いが激戦になり、賢司くんは、左利きということもあって、 MF=左のウイングバックとしてコンバートされたようです。 村田さんが累積警告の試合とスポーツヘルニアの為に調子が悪い時に留守を守ってくれた。 留守を守るという書き方をしてしまうのは、私が村田さんのファンだからです。許して下さい。 先ほども書いたのですが、良くも悪くも試合に出て何かやらかしてくれる賢司くんは、 あまりにも村田さんのプレーとは違う行動をとるので、 私は心配でしょうがなかったというのが正直なところです。 フォワードの選手だったということで、ポジションどりがどうも真ん中へ入っていく傾向があり、 サイドということの意識があまり無いように感じてしまう試合が多かった。 3分間の試合出場で警告を受けた時には、テレビで見ていて倒れそうになってしまいました。 そんな賢司くんなのですが、天皇杯で思いもよらない展開が待っていました。 バルデスが、一回戦で退場になり、山橋さんは登録外になっていたし、 新村さんは怪我で出られず、FWは宏太くんしかいないという状態になってしまったのである。 そこで2回戦から、賢司くんがFWとして登場したのである。 私は、1回戦と3回戦を見たのですが、2回戦はどうだったのかわかりませんが、 3回戦では、宏太くんも怪我で途中交替になってしまい、 あんなに激戦区だったFWがいない状態。 賢司くんがFWのほうが向いていると思った試合だったのですが、 なぜかそのままシュートして欲しいと思ったボールをサイドから切り込まずに センタリングをあげたりして、あらら・・・今日は、FWの仕事をして欲しいなぁと 思った場面もあったりして、混乱していたのかもしれません。 しかし、いろんなポジションが出来るマルチな選手になることでしょう。
[横断幕を探すお父さん]
引き続き、市原での出来事なのですが、 可愛らしい子供づれのお父さんがいろんな人が貼っている横断幕を 覗いていたりしていたのです。別に、どんな人のを貼るのかなと見ているだけの人だと思ったのですが、 な・なんと、賢司くんのお父さんと弟だったようなのです。 試合が終わって、選手のバスを見送るときにわかったのですが、 賢司くんの横断幕があるかどうかチェックしていたのかと思うと、 少しばかり切なくなってしまいました。 賢司くんの横断幕は、貼られることが無かったのです。 そうかんがえると、本州に行く時は、村田さんばかりじゃなくて、 ちよっと頑張って作ってみようかなと思ってしまいました。
[区別がつかない・・・]
練習を見に行ってはじめの頃は、黄川田さんと岡田さんの区別がなかなかつかず、 困ってしまったことが多かったのです。 まずは、30人の顔と名前を一致させることから始まった 私の練習見学なのですが、なにせこの2人のヘアスタイルが同じで、 どんぐり頭なのである。だから、近くで見て判別はつくようになっても、 遠くから見たらどっちがどっちかわからないのである。 その為、私はずっと左サイドの練習をしていたのは、FWの賢司くんではなく、 MFの岡田くんだと思っていたのである。ガイドブックには、ポジションが書かれていたので、 FWでないところで練習をしているのは岡田くんだという観念でいたのです。 とにかく遠いグラウンドで練習する場合に、体つきも似ていること2人を どういう風に見分けたらいいものなのだろうかと思っていたのですが、 ある時、やはり見学に来ている人に教えてもらった見分け方が役に立っているのです。 自然ソリコミが入っているほうが岡田くんで、丸いのが黄川田くん。 見学に行った時に見分けがつかないと思った場合に役立てて下さい。 ちなみに大野くんも加わって3兄弟のヘアスタイルになっている時もありますが、 大野くんは背が高く身体が少し細めなので身体で区別するようにしています。
[ナンバーワン]
なんといっても、黄川田さんが最年少の既婚者。 12月の契約更改が終わってから、入籍したようです。 プロになって1年目なので、 あまりの早い結婚に驚いてしまったのですが、 スポーツ選手は、比較的結婚が早い人は早いようで。 今年は、もっと活躍するとあまり思いたくないの。 だって、私の応援する選手の出番が無くなっちゃう・・・。 強引な突破力がある選手なので、左サイドとしての技術が伴ってきたら、 とても恐ろしい選手になることでしょう。
岡田直彦
タイトル:落ち着いている岡田くん高校サッカーでは、前橋育英高校のキャプテンとして登場していた岡田くん。 1年もたっていないのに写真で見る限り、顔つきが大人っぽくなった岡田くん。 そんな彼のことを書き綴ってみました。
[やっぱり、似ている話]
黄川田くん、大野くんのことを書いた時にも書いたんですが、 この2人のことを書き綴ったほうを見ていないという人もいるかもしれないので、 このことは、触れておこうと思うのです。 はじめは、黄川田・岡田の双子っぷりが私の頭を悩ます状態だったのですが、 黄川田くんが髪の毛伸びてひとまずわかるようになったとおもったら、 今度は、大野くんと岡田くんの区別がつかなくなったりしてたのです。 さらに黄川田くんが髪の毛切って3つ子になった時には、参りました。 練習場は広いので、遠くで練習するときは一苦労しました。 誰かがヘアスタイルを変えてくれる時がほっとするのです。 そのようなこともあってストレッチなどで全員のペアをメモするというのは、 なかなか難しいものです。
[高卒ルーキーで唯一試合に出た男]
コンサドーレにやってきた高卒ルーキーは、岡田くん、金子くん、大野くん、 鮎貝くん、工藤くんの5人。その中のメンバーで、ただ1人試合に登場したのは、 岡田くんでした。まず最初の登場は、6月の東ガス戦。 そして、鹿島とのナビスコ杯。つまり、岡田くんは勝った試合に登場していない。 しかし、ナビスコでは堂々と試合をしていた。 そんな岡田くんがとても素晴らしく感じたし、 これからもメキメキと試合に登場することでしょう。
[岡のつく男]
サッカーで岡田といえば、日本代表の岡田監督を思い出してしまいますが、 コンサドーレにいる岡田くんを忘れないでね。 98年のコンサドーレは、26人。岡田くんの番号は、25番から26番と ちょっびり変わりました。 98年は、ルーキーが入団しないので、岡田くんと大野くんは、 先輩しかいない状態で今年も頑張ります。
[ナンバーワン]
岡田くんは、チームの中で一番の最年少。 高卒ルーキーの中でも誕生日が12月なので一番若かったのですが・・・。 ひげをはやしたままになっていたりすると、若く見えないのです。 賢司くんが寮にいた時代は、岡田くんと2人で帰っていたんですけど、 賢司くんのほうが若く見えてしまうのですが、4才も違う・・・。 こんな2人ですけれど、帽子がすきなようで、 2人して帽子をかぶって帰っていくことが多かったです。 あと横縞ストライプの服を着ていたりと似たような双子ぶりは、 今年も見せてくれるでしょうかねぇ。 今年も26人のチームの中で、一番の最年少であっても なんとなく落ち着いた感じに見える岡田くんを今年は、 もうちょっと頑張って観察してみたいと思います。
新村泰彦
タイトル:試合で新村さんのゴールがやっぱり見たかったナビスコの予選の時には、川崎戦で2得点を挙げた新村さん。 このシュートは、ビバコンのエンディングなどで何度も何度も見たのですが、 JFLの試合では、見ることは出来ませんでした。 怪我による戦線離脱をしたというのもあるのですが、誠に残念です。 そんな新村さんのことを書き綴ってみました。
[GTOのる新村さん]
習志野ナンバーの黒の三菱GTOは、栗山の練習場では、いつも入り口すぐの 右側にとまっている。私は、比較的に車が好きなのですが特に三菱車には、 反応をする女なのです。私は、FTOに乗っているのですが、 お金があったらGTOに乗りたかったという経緯があるものですから、 誰が乗っているのか知りたくなったのでした。 そしたら、乗っているのは新村さんだったのです。 道路でであったこともありましたが、粋な感じで乗りこなしておりました。 外車かRV車を乗る選手が多い中、私の好きな車に乗っている数少ない選手でした。 だから何だって言われても、私にとっては、とってもうれしかったことなんです。
[怪我に苦しんだ新村さん]
新村さんは、前期は怪我でなかなかチャンスに恵まれなかったようでした。 練習後にトレーナーにストレッチを入念にしてもらったりと 状態があんまり良くないようだったのですが、 紅白戦や練習試合などでは、Bチームで出場したのですが、 ひときわ目立つプレーをしていたのです。 シュートも入れたりしていたのに、それなのに・・・。 なぜか、試合に登場するようになってから、練習でもシュートが入らなかったりと ゴールに対しては、スランプ状態に陥ったというかゴールに嫌われていました。 何度となくあの苦笑いを見てしまいました。
結局、JFLの試合でも14試合に出たのですが、無得点に終わってしまいました。 さらに、再びチャンスの場であった天皇杯だったのにも関わらず、 新村さんは、怪我の為に出場することがなく天皇杯が終わってしまいました。
今年こそとも思ったのですが、戦力外になってしまったのは、残念です。[やさしい?大人?の新村さん]
新村さんの怪我のほうも良くなって、後期はベンチ入りをして途中出場や スタメンでも登場した新村さんだったのですが、 その為、外されたのが宏太くんだったのです。今までベンチには必ず入っていた宏太くんが、 外されてしまったのは、8月28日の甲府戦。
その前日の練習で途中から遠征組がサッカーバレーをするのですが、 宏太くんも一度、このサッカーバレーの方へやってきたなぁと思ったのですが、 実は、水を飲みにやってきただけだったのですが、 その時に、新村さんにむかって挑発的な言葉を言っていたのです。 メモを取らなかったので正確ではないのですが、 すぐ、自分が奪い返すみたいなことを言って去っていったのです。 それを聞いていた新村さんは、苦笑いをしていたと思うのですが、 私は、ちょっとビックリしてしまった想い出があります。 やさしいのか、はたまた大人なのかの新村さんでした。[ナンバーワン]
期待がプレッシャーになってしまったのかもしれませんが、 やはり、ゴールが見たかった人ナンバーワンだと思います。
気になるのが、新村さんの今後。 まだ、新聞などで今後のことが載っていないので、心配です。
天皇杯で市原に行った時に、市原のサポーターの方に新村元気? とか新村来てるの?と試合前に聞かれたのです。 とても、新村さんのことを気になさっていたので、 市原のサポーターからも愛されているなぁと感じたのです。 札幌にも新村さんを応援する新村会のみなさんがいました。 たくさん応援している人を見てきた分だけ、寂しいです。 是非とも、ガンバってプレーをし続けてもらいたいです。
土田哲也
タイトル:サーキット王の土田さん現役を引退して、母校の大学院に通って指導者の資格を取ろうと考えているということが、 新聞記事に書いてあったので、安心しました。 そんな土田さんのことを書き綴ってみました。
[シーズン中の結婚]
土田さんが、入籍したのは、5月の出来事。 新聞で書いてあったのでわかったのですが、 この奥さんとやっぱり、ラブラブ。練習場にもちょくちょくとやってきていたのですが、 練習終わった後に奥さんが土田さんのほうへ歩み寄っていって、 抱きついたりといった行動もあったようです。 とにかく仲がよろしいようで。見せ付けてくれました。 (べつにいいんだけどねっ・・・・・)
[努力家の土田さん]
土田さんは、居残り練習をよくやっていました。 はじめの頃は、古川さんと一緒にロングパスの練習などをやっていたのですが、 古川さんがトップチームに加わるようになってからは、 工藤くんと一緒に練習しているということもありました。 とにかく、練習を一生懸命やっている人でした。 一番、私が見ていて切なかったのが、中吉さんの無期限の謹慎、 冨樫さんの脱臼、ペレイラの肉離れなどといったディフェンターが不足した時期にでも 出場のチャンスに恵まれなかったというのは、残念でなりません。 Bチームの中では、試合中に声を出すことも多く、 チームを引っ張っていくキャプテンのように感じてしまいましたが、 実際のところはどうなのかわかりません。
ただ単に、あだ名が「とっつぁん」というように落ち着いている感じがするだけなのかも しれないんですけどね。[あたまでっかい?]
髪型のせいかもしれないんですけど、 土田さんの頭が大きく見えるようで、ウーゴが「頭でっかい」と呼んだりした場面もありました。 さらには、石井さんの子供に村田さんが言えと命令したようなのですけど、 石井さんの子供がランニングしている土田さんに向かって、 「とっつぁん、頭でけぇぞ!」と言った時には、笑ってしまいました。 どうも、「チビ」とか「頭でっかい」とか「どんぐり」とか「ハム」といった身体的なことを ヒントにして呼び名にするのが多い人々です。
[ナンバーワン]
土田さんは、サーキット王です。サーキットというのは、サーキットトレーニングのサーキットの意味なのですが、 とにかく、ひざ下の何個もある柵越えなどは、とても速くクリアしていくのです。 特に、横の柵越えが得意のようでとても激しいです。 みんなの手本としてやっているときもありました。 まさにサーキット王。今後は、指導者として勉強なさるようですので、 こういったフィジカルトレーニングに関しての指導は、 とても素晴らしい指導をするのではないかと思います。 是非とも、今後指導者としての活躍を期待したいところです。