森敦彦

タイトル:一番試合ユニフォームを着て待っている男

ナビスコ杯予選を終えた後、JFL開幕のちょっと前に横浜フリューゲルスからレンタル移籍でやってきた森さん。私は、Jリーグ元年には、サッカーに興味がなかったものですから、森さんのすごさを知らなかったのです。(ヘアースタイルも)
だから、昔の写真をみてビックリしてしまいました。それは、ともかく森さんのことを綴ってみました。

[単身赴任の森さん]

森さんには、元モデルの美人な奥さんとかわいい子供がいるという話を移籍が決まった時に仕事場でサッカー好きの人が教えてくれたのです。さらにJリーグ元年に最年少で正ゴールキーパーをやった選手ということやレゲエの頭でケンカっぱやいようなことを聞いていたのですが、生で見た森さんは、どうもイメージが違いました。
タワシ系の短いヘアースタイルで練習を熱心にやり、見事なセーブで「いいぞ森」とコーチから言われていて、練習が終わった後、自動販売機前のベンチにすわって、のんびりとくつろいでいるというのが、私の見た森さんの姿。普通のお兄さん風でした。
札幌では、寮に住んでいたようで、家族をおいて単身赴任していたので、やっぱり、レンタル期間がおわったら帰ってしまう人なのだなぁと思っていました。しかし、フリエに戻るということではなく、コンサドーレのフロントは来季もと交渉したようですが、話が合わなくて退団という形になったのがとても残念です。ディドさんが怪我で出られなくなった試合にだけしか登場することが出来なかったというのも私としては複雑な気分ではあります。しかし、試合に出ると選手の普段の様子もガラリと変わるものだと森さんを見ても思いました。FWの選手だとMFにコンバートなどといったことがあるし、フィルダーは、ポジションを替えることが出来ても、GKからフィルダーに転向するなどということは、なかなか無いでしょうから、試合に出られるチャンスというのが限られてしまうポジションだということもあるので、今年は森さんの活躍をどこのチームで見ることが出来るのだろうかが、少し心配です。96年の選手たちの移籍先はすぐ決定していたようですが、97年の選手たちは、なかなか移籍先が発表されていないので、とても気になっています。

[まさかの本田技研戦]

森さんは、JFLの試合にディドさんと交代した残り10分の試合とフルタイム出場した無試合が4試合。このなかで、劇的なゲームが3試合あります。厚別での出来事が再び起こった等々力での川崎フロンターレ戦。全く同じような展開でコンサドーレが逆転Vゴールを決めて勝利を手にしたのですが、厚別と違って森さんがキーパーだったのでした。等々力での試合もテレビで中継してもらいたかったです。厚別と等々力で感動的な試合を見れた私は幸せ者だと思いました。
つづいて、厚別での東京ガス戦。今まで負けてばかりいた東京ガスに勝つといううれしい試合に森さんは、キーパーとして登場していた。
そして、浜松での本田技研戦。今年移籍してきた村主とバウテルがいた本田技研ですが、なんといっても忘れられないのがマルクス。森さんの持っているボールをヘディングで落としてシュートをするという信じられない試合。テレビで観戦したのですが、静岡のほうの放送では、ゴン中山が解説をしていたようで、あれは反則ではないといったことを言っていたということなのですが、北海道で放送していたのは、解説のいない局アナ2人での応援放送で、何が何だかわからないまま、不完全燃焼で消化不良の状態だった私。解説者というのがとても頼りになる人だということがわかったのでした。
すべて森さんのせいということはないのですが、森さんの出た試合は、かならず失点がありました。全部で7失点というのは、たとえ森さんだけのせいではなくても多すぎたなぁと思いました。しかし、マルクスにっくき・・・。

[石塚さんとペアーな森さん]

はじめの頃、森さんは寮生のキーパーグループで帰っていることが多かったのですが、石塚さんが車を持って来てからは、森さんは石塚さんとの2人で帰っていました。レンタルコンビはとても仲がよくて、同じように帽子をかぶって帰るという姿もありました。しかし、私としては、いままで普通の兄ちゃん風だった森さんが少し変わっていったような感じがしたりもしました。自動販売機前のベンチに座ってくつろぐ姿がほとんど無くなってしまったのです。まぁ、寒くなってきたからということもあると思うのですが・・・。赤池さんの車に乗って降りる時に大きな声で歌っていた森さんの姿は、もう見ることは出来ませんでした。ちょっと残念。

[ナンバーワン]

森さんは、出番をずっと待っている状態でした。試合に出たのは、5試合でも、ユニフォームを着て出番を待っていた試合は、24試合。足を怪我して控えに入らなかった1試合をのぞいた29試合ユニフォームを着ています。



このページの最初へ戻る




朝倉徳明

タイトル:私にとって謎の人物な朝倉さん

フロントと折り合いが合わずに残念ながら退団になった朝倉さん。1月1日に出産予定だった子供は、無事産まれていると思うのですが、新聞に情報が入らないのでちょっと寂しいです・・・。

[残りの5試合出場]

朝倉さんは、ボランチの人。だから太田さんがずっとボランチで定着していたので、出番が少なかったようです。しかし、太田さんが累積警告で出られなかった厚別ホームでの第10節の本田技研戦や太田さんの怪我の為の残り5試合や天皇杯で活躍してくれました。そして、控えに入った3試合が本田技研戦と東ガス戦(2試合)なので、試合がピンチで困った時に出るというよりも、最初から東ガスと本田技研戦では、途中からダブルボランチで戦おうと監督が考えていた戦術だったのだろうと思ってしまいました。
かといっていつも太田さんの影に隠れてしまった朝倉さんの悔しさは何かしらあったと思います。新聞の記事とかでも太田さんの変わりといわれるのを嫌がっていたようですし。コンサドーレにやってくる前も、太田さんと同じ清水エスパルスだったわけですし・・・。

[免許が無い?]

朝倉さんは、免許をとっていないらしく、奥さんが運転して練習場にやってきているようでした。しかし、朝倉さんが帰っていく姿というのは、練習場であまり見かけないのです。私の中では、いつのまにか帰ってくる選手の1人です。ところで、94年のJリーグ名鑑の中に朝倉さんが載っているのですけど、その中に書かれていたコメントが練習に遅刻してくることが多いと書かれていました。でも、私が見ていた練習では、そんなことがなかったなぁと思ったのでした。それは、独身時代と違うからなのでしょうか。

[仲良しなひとは、誰だ?]

あんまり、朝倉さんのことがよくわからないというのは、ただ単に私が村田さんを基準に練習を見ているうえで、あまり村田さんとストレッチでペアを組んだり、ふざけていたりしないからなのですが、結局のところ、私は、朝倉さんが誰と一緒の行動をよくとっているのかがわからないのです。でも、一つだけわかったのが太田さんがいないと鳥居塚さんは朝倉さんと一緒の行動をとっていました。鳥居塚さんったら、太田さんとペアだったとおもったのにボランチの人が好きなのかしら・・・。

[ナンバーワン]

朝倉さんは、どちらかというと練習にもトレーナーなどの上下姿というよりも、シャツにスラックス姿が多かったと思うのです。それで、シャツもボタンを2〜3個開けているのが多かったものですから、金のネックレスがチラチラと見えていました。どちらかといえば、胸元セクシーナンバーワンなのかしらって思ったりして。



このページの最初へ戻る




大野貴史

タイトル:派手好きなよっくん

大野くんは、宏太くんの高校の1年下の後輩。だから、宏太くんには弱い部分があったように感じたのですが・・・。
そんな大野くんのことを書き綴ってみました。

[宏太くんに弱い大野くん]

大野くんは、はじめの頃、宏太くんの車に乗せてもらって帰っていました。いつもは温厚そうな宏太くんなのに、大野くんに強い態度をとっている姿を2回見てしまいました。それをちょっと紹介してみようと思います。
まず、一つは宏太くんのボルボを乗り回した事件。
事件といえば大袈裟なのですが、練習が終わった後、栗山の練習場の駐車場内で、宏太くんの車を乗り回していた大野くん。そこまでは、よかったのですが宏太くんがいつものカゴを持って車のほうへやって来て、後ろのハッチバックを開けカゴを置いている間に、ファンの子がサインをもらいに宏太くんのもとへいきました。車の真後ろに宏太くんとファンの子がいるのに大野くんは、車をゆっくりとバックしたのでした。ちょっと危なかったので、宏太くんは大野くんに怒っておりました。関西弁は、怒った時に迫力があると実感してしまいました。
あともう一つは、先輩の強さを出した宏太くんです。
リフティングを何人かでしていて、ミスした人がゴールをつかってケンスイをするというゲームをやっていたのですが、一番先にミスしたのは宏太くんだったので、10回ケンスイをした後に再びゲーム再開。そしたら、今度は大野くんがミスをしたのですが、ちゃんとケンスイをしなかったのです。そしたら、宏太くんが「俺がやったのに」とちゃんとやるように注意していました。やっぱり、高校で1学年だけの先輩と後輩の2人の上下関係だけは厳しいようです。温厚な宏太くんが厳しくなるのは、大野くんと一緒の時だけかもしれません。(苦笑)

[間違う3人トリオ]

はじめの頃は、黄川田くんと岡田くんのヘアスタイルかせ似ていて区別がつかなかったのですが、途中から、黄川田くんの髪の毛が伸びて、大野くんが短くなった為、岡田くんと大野くんの区別が遠くからだと難しくなってしまったのです。ポジションは、3人とも違うので、紅白戦の時などはわかるのですけど、ストレッチなどフィジカルトレーニングの時は、難しかったのです。再び、黄川田くんが髪を切ったので、3つ子になってしまいました。大野くんは、ディフェンダーです。今年も、ディフェンターが強化されたので、なかなか大野くんを試合で見るのは難しいかもしれませんが、ぜひとも頑張っていただきたいと思うのであります。

[金髪なオフ]

大野くんと浅沼さんは、お正月のひとつの楽しみであります、お年玉付き年賀状の抽選会にゲストで登場いたしました。この抽選会が札幌教育文化会館であったわけなのですが、当選番号を決める矢を討ったのです。そこで登場した大野くんは、全国放送のニュースでもちらっと見たという方もいると思いますが、なんと金髪だったのでした。新聞にも金髪と書かれてました。監督が長髪や茶髪などを禁止しているのにも関わらず、オフの間だけ金髪にした大野くん。オフ明け、キャンプにいく時は、丸刈りになっていました。まだ、若いからいいのかもしれませんが、男の子ですから、あんまり髪の毛を痛めつけてしまうと、若くして薄くなってしまわないかとおせっかいですが、心配になってしまいました。

[ナンバーワン]

大野くんは、本当におしゃれさん。いつも奇抜な格好をしていて、あんまりジャージ姿で帰ったりはしていません。ピアスもしているし、本当に今どきの大野くんです。こんな大野くんの今年の活躍はいかに。



このページの最初へ戻る




新村泰彦

タイトル:試合で新村さんのゴールがやっぱり見たかった

ナビスコの予選の時には、川崎戦で2得点を挙げた新村さん。このシュートは、ビバコンのエンディングなどで何度も何度も見たのですが、JFLの試合では、見ることは出来ませんでした。怪我による戦線離脱をしたというのもあるのですが、誠に残念です。そんな新村さんのことを書き綴ってみました。

[GTOのる新村さん]

習志野ナンバーの黒の三菱GTOは、栗山の練習場では、いつも入り口すぐの右側にとまっている。私は、比較的に車が好きなのですが特に三菱車には、反応をする女なのです。私は、FTOに乗っているのですが、お金があったらGTOに乗りたかったという経緯があるものですから、誰が乗っているのか知りたくなったのでした。そしたら、乗っているのは新村さんだったのです。道路でであったこともありましたが、粋な感じで乗りこなしておりました。外車かRV車を乗る選手が多い中、私の好きな車に乗っている数少ない選手でした。だから何だって言われても、私にとっては、とってもうれしかったことなんです。

[怪我に苦しんだ新村さん]

新村さんは、前期は怪我でなかなかチャンスに恵まれなかったようでした。練習後にトレーナーにストレッチを入念にしてもらったりと状態があんまり良くないようだったのですが、紅白戦や練習試合などでは、Bチームで出場したのですが、ひときわ目立つプレーをしていたのです。シュートも入れたりしていたのに、それなのに・・・。なぜか、試合に登場するようになってから、練習でもシュートが入らなかったりとゴールに対しては、スランプ状態に陥ったというかゴールに嫌われていました。何度となくあの苦笑いを見てしまいました。
結局、JFLの試合でも14試合に出たのですが、無得点に終わってしまいました。さらに、再びチャンスの場であった天皇杯だったのにも関わらず、新村さんは、怪我の為に出場することがなく天皇杯が終わってしまいました。
今年こそとも思ったのですが、戦力外になってしまったのは、残念です。

[やさしい?大人?の新村さん]

新村さんの怪我のほうも良くなって、後期はベンチ入りをして途中出場やスタメンでも登場した新村さんだったのですが、その為、外されたのが宏太くんだったのです。今までベンチには必ず入っていた宏太くんが、外されてしまったのは、8月28日の甲府戦。
その前日の練習で途中から遠征組がサッカーバレーをするのですが、宏太くんも一度、このサッカーバレーの方へやってきたなぁと思ったのですが、実は、水を飲みにやってきただけだったのですが、その時に、新村さんにむかって挑発的な言葉を言っていたのです。メモを取らなかったので正確ではないのですが、すぐ、自分が奪い返すみたいなことを言って去っていったのです。それを聞いていた新村さんは、苦笑いをしていたと思うのですが、私は、ちょっとビックリしてしまった想い出があります。やさしいのか、はたまた大人なのかの新村さんでした。

[ナンバーワン]

期待がプレッシャーになってしまったのかもしれませんが、やはり、ゴールが見たかった人ナンバーワンだと思います。
気になるのが、新村さんの今後。まだ、新聞などで今後のことが載っていないので、心配です。
天皇杯で市原に行った時に、市原のサポーターの方に新村元気?とか新村来てるの?と試合前に聞かれたのです。とても、新村さんのことを気になさっていたので、市原のサポーターからも愛されているなぁと感じたのです。札幌にも新村さんを応援する新村会のみなさんがいました。たくさん応援している人を見てきた分だけ、寂しいです。是非とも、ガンバってプレーをし続けてもらいたいです。



このページの最初へ戻る




土田哲也

タイトル:サーキット王の土田さん

現役を引退して、母校の大学院に通って指導者の資格を取ろうと考えているということが、新聞記事に書いてあったので、安心しました。そんな土田さんのことを書き綴ってみました。

[シーズン中の結婚]

土田さんが、入籍したのは、5月の出来事。新聞で書いてあったのでわかったのですが、この奥さんとやっぱり、ラブラブ。練習場にもちょくちょくとやってきていたのですが、練習終わった後に奥さんが土田さんのほうへ歩み寄っていって、抱きついたりといった行動もあったようです。とにかく仲がよろしいようで。見せ付けてくれました。(べつにいいんだけどねっ・・・・・)

[努力家の土田さん]

土田さんは、居残り練習をよくやっていました。はじめの頃は、古川さんや中吉さんと一緒にロングパスの練習などをやっていたのですが、古川さんがトップチームに加わるようになってからは、工藤くんと一緒に練習しているということもありました。とにかく、練習を一生懸命やっている人でした。いつも最後のほうまで練習をしているのは土田さんです。一番、私が見ていて切なかったのが、中吉さんの無期限の謹慎、冨樫さんの脱臼、ペレイラの肉離れなどといったディフェンターが不足した時期にでも出場のチャンスに恵まれなかったというのは、残念でなりません。Bチームの中では、試合中に声を出すことも多く、チームを引っ張っていくキャプテンのように感じてしまいましたが、実際のところはどうなのかわかりません。
ただ単に、あだ名が「とっつぁん」というように落ち着いている感じがするだけなのかもしれないんですけどね。

[あたまでっかい?]

髪型のせいかもしれないんですけど、土田さんの頭が大きく見えるようで、ウーゴが「頭でっかい」と呼んだりした場面もありました。さらには、石井さんの子供に村田さんが言えと命令したようなのですけど、石井さんの子供がランニングしている土田さんに向かって、「とっつぁん、頭でけぇぞ!」と言った時には、笑ってしまいました。どうも、「チビ」とか「頭でっかい」とか「どんぐり」とか「ハム」といった身体的なことをヒントにして呼び名にするのが多い人々です。

[ナンバーワン]

土田さんは、サーキット王です。サーキットというのは、サーキットトレーニングのサーキットの意味なのですが、とにかく、ひざ下の何個もある柵越えなどは、とても速くクリアしていくのです。特に、横の柵越えが得意のようでとても激しいです。みんなの手本としてやっているときもありました。まさにサーキット王。今後は、指導者として勉強なさるようですので、こういったフィジカルトレーニングに関しての指導は、とても素晴らしい指導をするのではないかと思います。是非とも、今後指導者としての活躍を期待したいところです。



このページの最初へ戻る




黄川田賢司

タイトル:左サイドに変わった男

善し悪しはともかくとして、試合に出ると必ずやらかしてくれるだろうと思わせてくれる賢司くん。そんな彼のことは、ちゃんとチェックしておりますよ。だってぇ・・・。

[コンバート選手]

賢司くんは、大卒ルーキー。フォワードの選手としてやってきた。ナビスコの予選とJFLの第2節でもフォワードで登場していた。しかし、フォワード争いが激戦になり、賢司くんは、左利きということもあって、MF=左のウイングバックとしてコンバートされたようです。村田さんが累積警告の試合とスポーツヘルニアの為に調子が悪い時に留守を守ってくれた。留守を守るという書き方をしてしまうのは、私が村田さんのファンだからです。許して下さい。先ほども書いたのですが、良くも悪くも試合に出て何かやらかしてくれる賢司くんは、あまりにも村田さんのプレーとは違う行動をとるので、私は心配でしょうがなかったというのが正直なところです。フォワードの選手だったということで、ポジションどりがどうも真ん中へ入っていく傾向があり、サイドということの意識があまり無いように感じてしまう試合が多かった。3分間の試合出場で警告を受けた時には、テレビで見ていて倒れそうになってしまいました。そんな賢司くんなのですが、天皇杯で思いもよらない展開が待っていました。バルデスが、一回戦で退場になり、山橋さんは登録外になっていたし、新村さんは怪我で出られず、FWは宏太くんしかいないという状態になってしまったのである。そこで2回戦から、賢司くんがFWとして登場したのである。私は、1回戦と3回戦を見たのですが、2回戦はどうだったのかわかりませんが、3回戦では、宏太くんも怪我で途中交替になってしまい、あんなに激戦区だったFWがいない状態。賢司くんがFWのほうが向いていると思った試合だったのですが、なぜかそのままシュートして欲しいと思ったボールをサイドから切り込まずにセンタリングをあげたりして、あらら・・・今日は、FWの仕事をして欲しいなぁと思った場面もあったりして、混乱していたのかもしれません。しかし、いろんなポジションが出来るマルチな選手になることでしょう。

[横断幕を探すお父さん]

引き続き、市原での出来事なのですが、可愛らしい子供づれのお父さんがいろんな人が貼っている横断幕を覗いていたりしていたのです。別に、どんな人のを貼るのかなと見ているだけの人だと思ったのですが、な・なんと、賢司くんのお父さんと弟だったようなのです。試合が終わって、選手のバスを見送るときにわかったのですが、賢司くんの横断幕があるかどうかチェックしていたのかと思うと、少しばかり切なくなってしまいました。賢司くんの横断幕は、貼られることが無かったのです。そうかんがえると、本州に行く時は、村田さんばかりじゃなくて、ちよっと頑張って作ってみようかなと思ってしまいました。

[区別がつかない・・・]

練習を見に行ってはじめの頃は、黄川田さんと岡田さんの区別がなかなかつかず、困ってしまったことが多かったのです。まずは、30人の顔と名前を一致させることから始まった私の練習見学なのですが、なにせこの2人のヘアスタイルが同じで、どんぐり頭なのである。だから、近くで見て判別はつくようになっても、遠くから見たらどっちがどっちかわからないのである。その為、私はずっと左サイドの練習をしていたのは、FWの賢司くんではなく、MFの岡田くんだと思っていたのである。ガイドブックには、ポジションが書かれていたので、FWでないところで練習をしているのは岡田くんだという観念でいたのです。とにかく遠いグラウンドで練習する場合に、体つきも似ていること2人をどういう風に見分けたらいいものなのだろうかと思っていたのですが、ある時、やはり見学に来ている人に教えてもらった見分け方が役に立っているのです。自然ソリコミが入っているほうが岡田くんで、丸いのが黄川田くん。見学に行った時に見分けがつかないと思った場合に役立てて下さい。ちなみに大野くんも加わって3兄弟のヘアスタイルになっている時もありますが、大野くんは背が高く身体が少し細めなので身体で区別するようにしています。

[ナンバーワン]

なんといっても、黄川田さんが最年少の既婚者。12月の契約更改が終わってから、入籍したようです。プロになって1年目なので、あまりの早い結婚に驚いてしまったのですが、スポーツ選手は、比較的結婚が早い人は早いようで。今年は、もっと活躍するとあまり思いたくないの。だって、私の応援する選手の出番が無くなっちゃう・・・。強引な突破力がある選手なので、左サイドとしての技術が伴ってきたら、とても恐ろしい選手になることでしょう。



このページの最初へ戻る




岡田直彦

タイトル:落ち着いている岡田くん

高校サッカーでは、前橋育英高校のキャプテンとして登場していた岡田くん。1年もたっていないのに写真で見る限り、顔つきが大人っぽくなった岡田くん。そんな彼のことを書き綴ってみました。

[やっぱり、似ている話]

黄川田くん、大野くんのことを書いた時にも書いたんですが、この2人のことを書き綴ったほうを見ていないという人もいるかもしれないので、このことは、触れておこうと思うのです。はじめは、黄川田・岡田の双子っぷりが私の頭を悩ます状態だったのですが、黄川田くんが髪の毛伸びてひとまずわかるようになったとおもったら、今度は、大野くんと岡田くんの区別がつかなくなったりしてたのです。さらに黄川田くんが髪の毛切って3つ子になった時には、参りました。練習場は広いので、遠くで練習するときは一苦労しました。誰かがヘアスタイルを変えてくれる時がほっとするのです。そのようなこともあってストレッチなどで全員のペアをメモするというのは、なかなか難しいものです。

[高卒ルーキーで唯一試合に出た男]

コンサドーレにやってきた高卒ルーキーは、岡田くん、金子くん、大野くん、鮎貝くん、工藤くんの5人。その中のメンバーで、ただ1人試合に登場したのは、岡田くんでした。まず最初の登場は、6月の東ガス戦。そして、鹿島とのナビスコ杯。つまり、岡田くんは勝った試合に登場していない。しかし、ナビスコでは堂々と試合をしていた。そんな岡田くんがとても素晴らしく感じたし、これからもメキメキと試合に登場することでしょう。

[岡のつく男]

サッカーで岡田といえば、日本代表の岡田監督を思い出してしまいますが、コンサドーレにいる岡田くんを忘れないでね。98年のコンサドーレは、26人。岡田くんの番号は、25番から26番とちょっびり変わりました。98年は、ルーキーが入団しないので、岡田くんと大野くんは、先輩しかいない状態で今年も頑張ります。

[ナンバーワン]

岡田くんは、チームの中で一番の最年少。高卒ルーキーの中でも誕生日が12月なので一番若かったのですが・・・。ひげをはやしたままになっていたりすると、若く見えないのです。賢司くんが寮にいた時代は、岡田くんと2人で帰っていたんですけど、賢司くんのほうが若く見えてしまうのですが、4才も違う・・・。こんな2人ですけれど、帽子がすきなようで、2人して帽子をかぶって帰っていくことが多かったです。あと横縞ストライプの服を着ていたりと似たような双子ぶりは、今年も見せてくれるでしょうかねぇ。今年も26人のチームの中で、一番の最年少であってもなんとなく落ち着いた感じに見える岡田くんを今年は、もうちょっと頑張って観察してみたいと思います。



このページの最初へ戻る




冨樫剛一

タイトル:いつも明るい笑顔の冨樫さん

コンサドーレの選手の中でムードメーカー的な役割をしていたのは、やっぱり冨樫さん。そんな冨樫さんは、ずっとコンサにいて欲しかった人物です。そんな冨樫さんの思い出話をば・・・

[ひとつ質問すると倍の答え]

明るい冨樫さんは、一問一答で終わりません。なにか質問すると、必ずといっていいほどおかずが付いてくるので、とてもうれしくなります。一度、冨樫さんに写真を渡したことがあったのですが、その写真は、「竹薮と冨樫さん」というタイトルがつきそうなくらいの、いい写真だったのて、ちょっとだけ引き伸ばしてお渡ししたのです。そしたら、一旦笑って喜んでくれて、さらに「これ部屋に額に入れて飾ります」「あっ、自分の部屋に飾るから」とおもしろおかしく喜ばせてくれました。物のあげがいのある方で、渡してうれしくなっちゃいました。冨樫さんの人柄が滲み出ていると思います。そんな冨樫さんが戦力外を受けた翌日もファンの人に頼まれて笑顔で写真撮影している姿は、ちょっと見ていて辛かったです。

[ムラトガ・コンビ]

読売ジュニアユース時代からの仲間ということで、冨樫さんと村田さんは大の仲良し。よく、2人で笑いをとるというテレビ出演が多かったですわ。村田さんは、結婚した冨樫家にもよく遊びに行っていたようでした。コンサドーレからヴェルディのユースのコーチになった冨樫さんですが、かなり忙しいらしく、村田さんが電話をしても冷たいとネタにしていました。ムラトガ2人一緒の名前が入っている横断幕を作っていた人がいたのですが、98年の試合でトガの部分をもう貼れないと思っていたようなのですが、村田さんが、チェックを入れていて、そのまま貼って欲しいと言っていたのです。これは、村田さんの冨樫さんへの愛情そのもの。やっぱり、2人は仲良しなんですよね。

[脱臼しながらの試合]

鹿島アントラーズとのナビスコカップの時、冨樫さんは肩を脱臼していて、怪我をしている状態で試合に出ていたようなのです。ちょうどあの頃、DFがいなかったので怪我をしていても試合に出る状態だったようなのです。鹿島スタジアムでの試合のとき、高速道路のサービスエリアで選手バスと出会ったのですが、みんな遠征の時はスーツ姿なのに冨樫さんだけTシャツ姿だったのです。スーツとかだと着るとき腕を後ろにまわすから、やっぱり痛むのだろうなぁと勝手に思っていたのですが・・・・・。ディドさんと接触したときにディドさんの頬骨が骨折してしまうくらいの石頭の持ち主でその時には、頭は大丈夫でしたけど、やっぱり、怪我は大変です。

[ナンバーワン]

やっぱり、明るさナンバーワンなんですが、その他にもサッカーシューズを首に下げている人ナンバーワンです。(^^;どういうことかというと、練習が終わったら、芝生でシューズを脱いでいて、戻ってくるときによく首にぶら下げて歩いていたのです。選手にとって、靴のメーカーはスポンサーですからなどと言いながら、靴もテレビに映るように下げていたり、ファンとの写真を撮ったりしていました。ということで、シューズを首にぶら下げている人ナンバーワンです。



このページの最初へ戻る




吉成大

タイトル:黄金の左足

名前は、日本名ですが、4人目の外国人選手。だから、なかなか試合には出られなかったけど、それはそれは、素晴らしい選手でした。

[涼しい大くん]

練習試合の時や紅白戦でも多いに活躍していた大くんですが、彼は、シュートを決めても喜ばないのであった。シュートを決めて当たり前という気持ちなのかどうなのか、いつも平常心でプレーをしているイメージが大きいです。シュートを決めた後、戻っていく大くんの姿を見て、涼しくて素敵!とハートを奪われた人も多いかと思います。はっきりした顔立ちで笑顔が素敵な大くんは、子供から大人まで心奪われるプレーをするのです。ペレイラ・ウーゴ・デリーの3人のうち誰かが欠けた時に試合に大くんが登場するという難しいポジションの人でしたが、彼がずっと試合に出ていたら、もっともっと人気者になったに違いないことでしょう。

[宏太車ボルボを運転]

栗山からの練習の帰りは、だいたい宏太くんと帰ったり、甲介くんと帰ったりと助手席の男として帰っていっていたようですが、宏太くんが試合でいない時、北海道知事杯に来ていた大くんは、宏太くんのボルボに乗ってやってきていたりしました。それもこれも、宏太くんが合宿所を出る前の話だと思うのですけど。

[ペルー人なのねん]

大くんは、ペルーの人。母国語がスペイン語の人である。ということで、私はサインをもらったことはあるけど、話をしたことがないのである。かといって、日本語もバッチリしゃべれるようなんだけど、いい男すぎて話が出来ない。(苦笑)
日焼けも日本人よりもいい焼け具合になり、真っ黒に日焼けしている大くん。
日本語もスペイン語も出来るので、大くんはAチームが遠征で居ない時に、Bチームの試合の時は、通訳もやっていたらしい。大くんが退団後は、ペルーに戻ってチームに入っているそうですが、是非とも帰ってきて欲しい選手の中のひとりでもある。とっても、力強いシュート力といい、平常心でプレーをするところといい、まるで若者ではないような実力の持ち主だったと思っています。

[ナンバーワン]

大くんのナンバーワンといえば、わかりやすいサイン。・・・といっても、1年目の時だけのようなんですけど、吉成大と漢字で書いたサインだったのです。2年目の私がもらったサインは、わかりにくくなってました。栗山のパラダイスヒルズというホテルの中の中華料理やさんにコンサドーレのフラッグがサイン入りで飾ってあるのですが、そこのサインは、とてもわかりやすく大くんのサインが目立ってました。