『光にむかう3つの夢想曲』 Personal review 2   へ戻る  映画作品 トップ

 


いつか見ていた光を再び感じた。

遠い昔に嗅いだ懐かしい匂いが甦った。 

光と影の強いコントラストの影像が、 

昨夜の夢の残像のように脳を刺激する。

幼い頃に同じ光を、同じ匂いを感じていた人が

いたのだと確信した。 


             
織作峰子(写真家)

 

夢の中の天使たち

Emyu(フルート奏者)

何処で現実が終り、夢が始まるのだろうか? この問いが、謎めいたヴィジョンを持つ若い日本人監督、西周成の稀有な映画世界を支配している。 

驚くべきことに、彼の映画はどれも、忘れがたいイメージと最小限の台詞、音響効果、ロマン主義的な音楽の相互作用を通して単純なストーリーを語っている。しかし安易な解釈は観客を欺く。これらの短くも驚異的な広がりを持つ映画は、監督が長期間に渡る現代ロシア映画の研究を行うかたわらで、現地の俳優達を使ってロシアで作ったものだが、一見して明らかにロシアの巨匠達からの影響を受けているかのように見える。 

実際には、これらの素晴らしく暗示的な映画の精神は、ロシア映画よりも日本の能に近いのである。俳優達は儀式的な動作をしながら立ち止まったりゆるやかに動いたりし、仮面のような表情をまとっている。登場人物達は、死すべき者から精霊に変わる形態学を実現している。時間は、過去、現在、そして想像された未来の間を軽々と流れてゆく。現実は淀みなく夢へと変形する。 

画家であった映画作家、西氏は自分自身を近年の日本映画における「追放者」と呼んでいる。多分、彼は余りにペシミスティックかもしれない。東京における最近の彼の映画公開は、日本人や外国人の少数だが選り抜きの観客たちから、熱い反応を引き起こした。彼の天使たちは将来、どんな形を身につけるのだろうか? 新たなインスピレショーンを探し求める映画ファンにとって西周成の一連の作品は、新たなリアリティーの抗しがたい一瞥を提供しているのである。 

Emyu, an American plays Japanese fue and Western flute in local free music clubs, Tokyo