【がっきつぐ】

 親父は大工だった。
 私が4才くらいの頃に亡くなったみたいだから、ほとんど記憶にないが、余り腕のいい大工ではなかったようだ。
 もしかすれば、『かましでェぐ』か、『がっきでェぐ』の範疇に入っていたかもしれない。
かましでェぐ』は、すでに講義は済んでいるから、分からない人は、調べること。『がっきでェぐ』も、説明したと思うが、カンナをかけたり鋸で切ってもスベスベにならなかったり、丸くならず、デコボコ、角ばってしまう大工のことで、下手くそな大工のことを言う。
 そんな親父だが、一つだけ記憶があって、橇。
 橇は子供のころよく遊んだが、とにかく、坂道をいっさんに滑り降りるだけ。スピードや前後左右のバランスは、乗り手が体を使ってやるしかない。
 ところが、親父は、自転車のハンドルのようなものの付いた橇を作ってくれた。画期的な発明だったかもしれない。しかし、そのせいで楽しい橇遊びが出来たわけではなく、誠にバランスが悪くて、いつも、引っくり返ったりつんのめったりしていた。
 やっぱりかましでェぐだったのだ。
 でも、その一つでも、親父の記憶があるのは、嬉しい。

【かぶつぐ】

 齧り付く。

【かめェ】

そんたかめェして、ふとめ(人前)』さ出でくるもんだが
 拙著の出版記念パーティーに、上はワインカラーのコールテンのジャケット、シャツも黒のシルクと決めたが、下がブルージーンだったので、尊敬するある町の町長が祝辞で、開口一番そうおっしゃった。当然、私は震え上がった。
 一応、当日は、ファッションに5万円余りつぎ込んだのだが、ジーパンが悪かった。
 以来、パーティーなどにジーパンで行くことは減らし、黒のチノパンにしたのだが、これは、誰もごしゃがねえ。
かめェ』の語源は、「構え」。「服装、身嗜み」。

【からぴっぴ】

 前説訂正。御免なさい。
から』は、「空(から)」じゃなくて「唐(から)」。
 唐経由で、日本に入ってきたんだね。

【かわいい】

 恥ずかしい。きまりが悪い。
「可愛い」じゃなくて、「顔映ゆし」、「面映い」。
 こんな秋田弁があるなんて知らなかった。由利で聞いたのかな?あいこち歩いてみるもんだ。
 それにしても、初めて聞くと、くすぐったいね。
オラ、カワイイ
 ネ。

【かんじょわりィ】

 きまりが悪い。
 勘定=都合、具合。

【かんのんさま】

 虱。
 昔は、一杯いた。
 着物の縫い目などにビッシリ付いていた。
 囲炉裏の熾の上で広げると、暑さに耐えられなくなった虱が零れ落ちて熾の上でパチパチと爆ぜて死んだ。
 髪にも一杯いいた。梳ると櫛の歯にビッシリ挟まってきた。
 毛虱もいた。詳しく知りたかったら、私淑する文豪野坂昭如の傑作『ああ水銀大軟膏』を読むこと。
 で、なんで『観音様』かというと、足が体の周りに毛のように生えている様子が、千手観音に似ているから。
 それにしても、カメムシの『あねこむし』、ネズミの『あねさま』など、いささか気持ちの悪いものに女性の名前をつけるのは、明らかな意図がみえみえだね。

【げっちおぼでェ】

「やると決めてから、行動に移すまでがおそい」こと。
 例えば中心市街地衰退防止策。
”車社会”だとか、”ドーナツ現象”だとか、”郊外に大型SC”だとか、いろいろ御託を並べているが、秋田市の例で言えば、老舗のデパート、木内が、誰でも知っているが口にしない、訳ありで、突然の開店休業状態になった数十年前、赤十字病院の郊外移転が十数年前。これで多分駅前、中心市街地から、1日5、6千人の交流人口が消えた。しかし、県も市も、病院跡地にハコモノを建てるための、小田原評定も欠伸しそうな、牛のよだれのような会合を重ねるばかりで、何の手も打たない。
 知事も市長も片田舎の生まれのせいか、”大都会”を実感できないらしく、寂れ行くさまをボーッと見ているだけ。

【げっちかろけ】

げっち』は、「お尻」、『かろけ』は「軽い」。
 しかし、所謂「尻軽る女」とか、「腰が軽い」ということではなく、「思い立ったが吉日」という「行動に移るのが早い」こと。
 例えば秋田県で、そんな例を挙げるとすればーー。
 見渡して、ないなあ。
「先っ走り」や「勇み足」「粗忽」、あるいは、「思いつき、即、行動。でコケル」は山ほどある。
 それにしても、県庁の頭脳”総合政策課”が鳴り物入りで立ち上げようとした「せやみこぎ」「ええふりこぎ」などの県民性を前向きの県民性に変えようという運動はどうなったのだろう。ネイガーにあやかってか、「変身大賞」とか、男性がスーパーに買い物に行ったらポイントカードにハンコを貰って、一杯になったら賞品を上げるとか言う幼稚園のゲームにも劣るような、笑う元気も出ない画期的な一大プロジェクト。
 ワタシや、そんなことをする暇があったら、行政が率先して、民間が提案した秋田港とロシアの海運を開く運動に、県や市が加わってプロジェクトチーム作るとか、国際教養大学の第1期卒業生を、日本一国際化の遅れた県なのに、県も市も一人も採用できなかった訳を公にして、来年度対策を講ずるとか、若ものが10年余り前から提案している「秋田にラスベガスを!」の運動に耳を傾け、可能性を探るとか、そこら辺に県民性を変える材料が転がっているではないか。
 そういうことに取り組んだら、秋田の未来が見えて、県民性が変わるだけでなく、自殺者も減るぞ。

【げんど】

 乱暴、乱暴する、
 子供たちが駄々をこねる。
 語源は、「外道」。

【こじげ】

 肥塚。自家製堆肥製造所。
 今では全く見られなくなったが、かつては、農家の敷地内に、必ずあった。
 厩から糞尿のしみた敷き藁を出してそこに積み上げ、藁しべや野菜くず魚のザッパ、残飯などもそこに捨てた。生活の中から出る廃棄物のうち、自然に帰るものはすべてそこに捨てた。
めんじゃのしり』(台所を、『めんじゃ(水屋)』という。これは、すでに学んだ。『めんじゃのしり』は、そこで発生する排水を溜めておくところで、外にある)に溜まった排水をその上にかける。それを繰り返してゆくと、最上級の堆肥が出来る。
 それが、田圃へ、畠へと運ばれて、稲や野菜を育てる。
 人糞も畠の肥料になった。
 かつて、農家に捨てるものはなかった。
 まさに、循環型社会だった。
 今は、それらを、ゴミ回収車が どこかに運んでゆく。
 結果、人間と地球が苦しんでいる。

【〜ごったら】

 ついでに書けば、自宅の燃料は、松の落ち葉、杉の枯れ枝などで賄った。集落や財産区の持ち山の雑木を順繰りに売り それも薪になった。だから、山は、生活に欠かせないもので、里山はそれなりに手入れされた。
 熊もカモシカも、猿も人里まで下りてこなかった。
 石油もガスもいらなかった。
 それが、化学肥料になり、暖冷房は石油や電気に頼り、それが「文化生活」。
 再び、『こじげ』と『ゆろん(囲炉裏)』と「かまど」に戻ろうというのではない。とても不可能だ。けれど、
えぢまでもこうしているごったら、人類も地球も死んでしまう
 人間は、地球とともに生き延びてゆく気なら、今の立ち位置から5歩ぐらい下がり、歩き方をゆっくり目にして、地球の体温と隣の人の呼吸を感じながら暮らした方がいいみたいだし、実は、その方が、生き方として、心地いいのではないかしら。
〜ごったら』は、「〜ならば」。

【ごろっとする】

「(物事を成し遂げて)、いい気分になる」
「誇らしい気分になる」
「得意になる」
「威張る」もかな。
「煽てられていい気になる」も、入れとこ。
 語源は、”猫がいい気持ちで喉をゴロゴロ鳴らす“からきたらしい
2008/6/27
続く

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