教育

[テレビ、ビデオ、インターネットなどによる小児の精神発達への影響] 国立成育医療センター 谷村雅子 CLINICIAN 2007年8月号
[自分が嫌なことは人にもしたくない] 長州小力さん 朝日新聞「いじめている君へ」2006年12月8日
[普遍的価値持つ基本法、改正論の裏に国家主義] 私の教育再生 立花 隆 朝日新聞 2006年11月7日
[拙速審議では禍根残す「教育基本法改正案」] 中国新聞 社説 2006年10月31日
[改正案はやはり疑問だ] 朝日新聞 社説 2006年10月28日
[テレビ学校] 1億総白痴化(松田道雄著『私は女性にしか期待しない』岩波新書)
[教育基本法改正案] なぜそんなに急ぐのか 中国新聞 社説 2006年4月14日
[闇からの悲鳴に耳を]「夜回り先生の 子どもたちよ」 朝日新聞 2006年2月21日
[「ケータイ・ネットの時代」負の側面、洞察する力を] 柳田邦男 中国新聞「現論」2004年2月29日
[自分と違う人を理解すること、そのための教育がいかに必要か](100人の村)朝日新聞「天声人語」2001年10月27日

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[テレビ、ビデオ、インターネットなどによる小児の精神発達への影響]
国立成育医療センター研究所成育社会医学研究部部長 谷村雅子
CLINICIAN(クリニシアン)2007年8月号 続他科医に聞きたいちょっとしたこと(2)

質問

日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会で「テレビやビデオを長時間見る乳幼児は言語や社会性の発達が遅く、とくに親が話しかけずに長時間見させている場合は、言語発達に明らかな問題が生じている」ということであり、アメリカ小児科学会機関紙ペディアトリックスでは「乳幼児期にテレビを見すぎた子供ほど集中力が欠如し、落着きがなく、注意欠陥障害になる危険性が高い」との調査報告がされている。インターネットなども含めてこれらが小児のmental retardation(精神発達遅滞)の原因となるかどうかについて、病態、診断、治療、対策などにつき、文献を併せてご教示ください。(青森県・消化器科)

回答

ご質問のとおり、日本小児科学会から2歳以下の子どもにテレビ・ビデオ(以下、テレビ)を長時間見せないようにという提言が出されました。小児科や発達の臨床現場から、言葉や社会性の発達の遅れを持つテレビ長時間視聴の幼児で、親子遊びを指導すると愛着行動や言語・社会性が発達する一群があることが報告され、さらに3地域の1歳半児1,900名の集団調査でテレビ長時間視聴と有意語出現の遅れとの関係が示唆されたためです。原因は、テレビがついているととくに大人は話しかけなくなり親子の会話が減少することの他、ビデオソフトや番組によっては子どもが長時間傍観的に眺め脳の発達に影響する可能性も考えられます。

長期的な影響については、米国の1,300名の縦断調査で、乳幼児期の視聴時間と6〜7歳時のADHDや認知能力(読字力、読解力、計算力、数の記憶力)の低下が報告されています。テレビ放映開始後50年経ちますが、テレビっ子として育った親の増加やビデオソフトの普及に加えて、核家族化やインターネットや携帯電話などの映像メディアの普及により、親子の会話が減少していることが影響を増長しているものと思われます。

特微は、運動能力は標準だが、会話ができない、呼んでも振り向かない、親に視線を向けない、指さししない、意味不明の独り言をぶつぶつ言う、表情が乏しいなどで、かつ、乳児期から習慣的にテレビを長時間見ていることです。以前には親に甘えたり話していても、毎日テレビを一人で長時間見せるようになるとこのような徴候を呈することもあります。言葉や社会性の遅れが見られるときには、子どもと家庭のテレビ環境(視聴時間・ついている時間、視聴時の親の声かけ、視聴開始時期)、および日常の親子の会話(声かけや絵本の読み聞かせなど)について聞いてください。

テレビの影響が疑われる場合は、テレビを子どもの視界から完全にはずし、親子で遊ぶよう指導してください。テレビを急になくすとパニックになることがありますが、すぐに慣れるので諦めずに工夫するよう助言してください(テレビにカバーを掛ける、ビデオソフトはしまう、玩具や絵本を出しておきテレビ以外のことに関心を向ける、テレビがないところで遊ぶ、子どもが部屋に入って来たときにテレビがついていないように気をつけるなど)。

予防は、2歳以下の子どもには長時間の視聴を避けて外遊びや絵本の読み闘かせなど、親子で遊ぶ時間を作るよう心がけることが人切です。テレビの適切な使い方を助言してください。(親子一緒に見る場合でも毎日長時間見せない。つけっぱなしにしない、乳幼児に一人で見せない、授乳中や食事中はつけない、乳幼児期から適切な使い方を身につけさせる(見終わったら消す、ビデオを続けて反復視聴をしない)、子ども部屋に置かない、など)。なお、ほとんど一日中、テレビを一人で見せている家庭もあり、病弱・多忙、テレビは言葉や情緒の発達によいと考えている、子どもへの接し方が判らないなど、育児支援が必要なケースが少なくありません。長時間視聴の背景や発達を専門家の目で判断し、適切な助言をお願いします。

文献
1)谷村雅子ら:提言:乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です、日児誌、l08,709-712(2004)
2)Zimmerman,FL., Christakis,DA.: Children's television viewing and cognitive outcomes. Arch.Pediatr.Adolesc.Med., 159,619〜625(2005)

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[自分が嫌なことは人にもしたくない]
お笑い芸人 長州小力さん(34) 朝日新聞「いじめている君へ」2006年12月8日

友だちをからかったり、ふざけて悪口を言ったりすると、みんなが笑う。言われた本人も笑うことがある。君はそれをいじめとは思っていないかもしれませんが、言われた相手は深く傷つくことがあります。自分の態度や言葉がどう伝わっているか、相手の気持ちを考えることは、とても大切です。僕は笑いの仕事をしています。乱暴な言葉づかいもします。大きな声も出します。悪口のやりとりで、笑いが起きることは、よくあります。そういうとき、自分の言葉を相手はどう感じているのか、テレビを見ている人は、どう思っているのか、こうしたことが、いつも心配になります。僕自身、太っていると言われると、いくら笑いが起きても、やっぱり嫌な気持ちになります。

僕が中学生のとき、となりの中学校で、いじめに苦しんだ男子生徒が命を絶ちました。遺書には、いじめた人たちの名前が書き残されていました。その中に、同じ塾に通っていた僕の友だちの名前もありました。あれから彼に会う機会は減りました。ただ彼は、亡くなった子がいじめられている場面にいて、周りでちゃかしたり、笑ったりしたことはあったけれども、自分が直接いじめていたとは、考えていなかったと言っていました。でも亡くなった子は、けっしてそう受け止めてはいなかったのです。

僕は、自分が嫌だと感じるようなことは人にもしたくないと思っています。当たり前のことと感じるかもしれませんが、もういちど、そのことを考えてみてください。おたがいの気持ちをわかろうとしなけれは、みんなが楽しく笑うことはできません。

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[普遍的価値持つ基本法、改正論の裏に国家主義]
私の教育再生(1)朝日新聞 2006年11月7日

ノンフィクション作家・評論家 立花 隆さん
たちばな・たかし 1940年生きれ。05年から東京大学大学院で特任教授も務める。社会・時事問題から最先端科学まで手広く手がけ、「田中角栄研究」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」など多数の著書がある。

いま教育が、初等中等教育から大学まで、あまりに多くの問題を抱えているのは事実だ。それらの問題はひとつひとつ丹念に慎重に解決していかなければならないが、それらすべてを差し置いて、教育基本法問題について述べたい。

そもそも今なぜ教育再生がこのような形で政治問題化しつつあるのか。衆院に上程されている「教育基本法改正」が「やっぱり必要だ」という空気を作りたいからとしかいいようがない。しかし、今の教育が抱えている諸問題はすべて教育基本法とは別の次元の問題だ。教育基本法を改めなければ解決しない問題でもなければ、教育基本法を改めれば解決する問題でもない。

教育基本法に書かれていることは、「教育の目的」(第1条)、「教育の方針」(第2条)をはじめ、すべて極めて当たり前のことだ。急いで改正しなければならない理由はどこにもない。特に教育目的に書かれていることは、人類社会が長きにわたって普遍的価値として認めてきたことだ。そこにあるのは、「人格の完成」「平和国家」「真理と正義」「個人の価値」「勤労と責任の重視」「自主的精神」「心身の健康」など、誰も文句のつけようがない目的だ。

このような普遍的価値にかかわる問題を、なぜバタバタとろくな審議もなしに急いで決めようとするのか、不可解としか言いようがない。政府改正案を見ても、なぜそれほど拙速にことを運ぼうとするのか、理,由が見当たらない。考えられる理由はただひとつ、前文の書き換えだろう。教育基本法の前文は、「基本法と憲法の一体性」を明示している。まず新しい民主的で文化的な平和憲法ができたことを宣言し、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつ」として、新憲法に盛り込まれた新しい社会を実現していくことがこれからの教育の目的だとしている。

憲法改正を真っ正面の政治目標に掲げる安倍内閣としては、憲法と一体をなしてそれを支えている教育基本法の存在が邪魔で仕方がないのだろう。憲法改正を実現するために、「将を射んとすれはまず馬を射よ」の教えどおり、まず憲法の馬(教育基本法)を射ようとしているのだろう。

教育基本法はなぜできたのか。制定時の文部大臣で後の最高裁長官の田中耕太郎氏は「教育基本法の理論」でこう述べている。先の戦争において、日本が「極端な国家主義と民族主義」に走り、ファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってしまったのは、教育が国家の手段と化していたからだ。教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる「教育勅語」が日本の教育を支配していたからだ。教育基本法は、教育を時の政府の国家目的の奴隷から解放した。国家以前から存在し、国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。それは何かといえば、ヒューマニズムである。個人の尊厳であり、基本的人権であり、自由である。現行教育基本法の中心概念である「人格主義」である。

教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。(聞き手・中井大助)

安倍政権が最重要課題、として掲げる「教育再、生」。日本の教育には何が必要で、どう改革すべ-きなのか。各界の人たちに語ってもらった。

教育基本法

1947年に施行された「教育の憲法」。政府は今年、改正案を国会に提出し、民主党提出の「日本国教育基本法案」とともに衆院特別委員会で審議が続いている。政府案では、教育の目標として新たに(1)公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う(2)伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うーなどの規定が盛り込まれている。

<ドクターちゃびんのコメント>
[甘く見られている国民](教育改革タウンミーティング」での「やらせ」)朝日新聞 社説 2006年11月4日
[教育改革タウンミーティングでやらせ質問、内閣府作成] 読売新聞 2006年11月1日
やらせでバレた<政府の本音>国民を騙す言葉
(1)時代に対応して見直すべき(2)改正案の「公共の精神」に共感(3)教育の原点は家庭教育

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[改正案はやはり疑問だ]
朝日新聞 社説 2006年10月28日

教育基本法について、政府の改正案と民主党案の実質審議が来週から再開される。先の通常国会で50時間近く審議したが、先送りとなった法案である。与党からは「あと20時間ほど審議をすれば十分」という声が聞こえてくる。安倍政権の最重要法案として、この臨時国会でなんとしても成立させたいということだろう。教育基本法の改正に対し、私たちはこれまで社説で、いくつかの疑問を投げかけてきた。いまの教育に様々な問題があるのは確かだ。学力が下がっている。いじめや不登校は絶えず、荒れる学校は少なくない。しかし、そうした問題は教育基本法が悪いから起こるのか。教育の問題を法律の問題にすり替えていないか。きちんと吟味した方がいい。

「愛国心」の問題もある。国を愛する心は人々の自然な気持ちであり、なんら否定すべきものではない。だが、法律で定めれば、このように国を愛せと画一的に教えたり、愛国心を子どもに競わせたりすることにならないか。民主党案も表現は異なるが、愛国心を教室で教えようとする点では大きな差はない。そうした疑問は、先の国会の審議を聞いても解消されなかった。政府の改正案で掲げた「教育の目標」は、愛国心だけではない。道徳心、伝統と文化の尊重など、20余りの徳目が並んでいる。そうした心のあり方にかかわる徳目を法律で定めていいか。愛国心と同じように画一的に教えることにつながらないか。これも気がかりだ。

現行法は「教育は不当な支配に服することなく」と教育の独立をうたい、国の介入に歯止めをかけている。この文言は改正案でも残されたものの、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」とわざわざ加えられた。これによって教育の独立が薄められることはないのか。こうした論点は十分に審議されていない。

教育基本法は、「忠孝」や「義勇奉公」を説いた戦前の教育勅語に代わって、新しい教育の指針としてつくられた。「個人の尊厳」や「自主的精神」を重んじることを盛り込み、教育の機会均等や男女共学を掲げた。前文と11条しかない短い法律で、あらゆることを定めているわけではない。社会は変わり、新たな問題も出てきた。愛国心を盛り込むことに抵抗がある人の中にも、公共の精神が大切なことを強調べきだと考える人もいるだろう。

安倍政権の発足直後の世論調査で、基本法は「今国会にこだわらず議論を続けるべきだ」が3分の2にのぼった。基本法を変えるとすればどこなのか。変えなければ、できない政策があるのか。そうした肝心なことで国民の一致点がまだないということだろう。日本の未来を担う子どもをどう育てるか。成立を急ぐ余り、大きな方向を誤ってはならない。

<参考資料>
教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会 →教育基本法と与党改悪法案(2006年4月28日に国会提出)の比較
教育基本法の基本理念を否定する民主党「日本国教育基本法」(2006年6月2日)

教育基本法の基本理念を否定する教育基本法「改正」に反対する〜与党教育基本法改正に関する協議会「最終報告」案の問題点〜(2006年4月28日)

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[拙速審議では禍根残す「教育基本法改正案」]
中国新聞 社説 2006年10月31日

衆院の特別委員会できのう、先の通常国会で継続審議となっていた教育基本法改正案をめぐる審議が本格的に始まった。「教育再生」を政権の最重要課題と位置付ける安倍音三首相。歴代自民党政権の懸案でもあっただけに、与野党の激しい攻防も予測される。今国会には、政府の法案に対抗して民主党の独自案も提出されている。与野党とも、じっくり腰を据え、情理を尽くし誠実な審議に徹する姿勢を求めたい。

相次ぐいじめによる児童や生徒の自殺をはじめ、全国の高校に広がっている必修科目の履修漏れ…。教育現場で起きている最近の混乱の中には、単なる不祥事として済ますことができない深刻な事態も多い。安倍首相や関係閣僚が出席して開かれた初日の特別委でも、いじめへの対応策や履修漏れへの質疑が相次いだ。

野党側からは、安倍首相が目指している学校評価制など数値目標を設定して学校間の競争を促す制度改革への疑問も出された。いじめがあったにもかかわらず、文部科学者への報告が「ゼロ」だったことなどを挙げながら、「成果優先の教育改革では学校間の格差を助長し、こどもの心も荒廃させるしと迫ったが、議論はうまくかみ合わなかった。こうした教育効果の是非に加え、いま一度、原点に返って本質を見極める論議も要る。

現行の教育基本法は、国への忠誠などを説いた戦前の教育勅語の弊害などを踏まえ、「個人の価値」や「自主的な精神」を重んじている。「平和国家」を指向するために欠くことのできない基本理念とされてきた。これに対し、民主党の法案も含め、改正案には「愛国心」や「道徳教育」の尊重などがうたわれている。「個」から「公」への回帰ともいえる。

民主党案では、教育行政の責任の所在が各市町村の教育委員会なのか文科者なのか明確ではないとして、より強く「国の責任」を打ち出しているが、現行の基本法の使命が終わったとの認識では一致している。価値は失われていないとする共産、社民両党は廃案を目指す。論議はまだこれからだ。憲法に準じる重みを持つとされる法律の改正論議は、慎重の上にも慎重であるべきだ。数に頼んだ拙速審議で将来に禍根を残すことがあってはならない。

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[テレビ学校] 岩波新書 『私は女性にしか期待しない』 松田道雄著

◇それは日本でいちばん大きい学校です。赤ちゃんから年寄りまで入学できます。でかけていかなくても、先生がきてくれます。出席はとりません。きいてもいい、きかなくてもいいのです。朝でも、夜でも好きな教室に入れます。どの学校もこれほど笑わせる学校はありません。美男美女がいっぱいです。試験はありません。けれども、何となく校則を覚えています。

       ◎しきたりを大事にすること。
       ◎人の目につくこと。
       ◎人権を尊重しないこと。

◇水戸黄門だの、大岡越前守だの、徳川将軍だの、茶の間でつきあっていると、偉い人の前で平伏したり、男がいばったり、嫁が姑につかえたりするしきたりが、私たちの日常の中にあるみたいな気になります。つきあっている時間からいうと、しきたりにたたかう人を見る現実より、映像を見ているほうが、多いからです。学校はたくさんあるので、競争して、生徒を奪い合います。変わったことをしてひきつけないと,みてもらえません。

◇名も知れず、つつましく、平和に生きている市民はドラマになりません。そこに殺人だの、脅迫だの、詐欺だの、不倫だの、事件が起こっていないとだめなのです。すでに市民として生きている大人は、まだしも、未成年者は、ドラマの世界を現実の大人の世界と思ってしまいます。

◇普通の市民と市民とは、司会者がタレントに接するように、大げさな身振りや、早口でおしゃべりをするものでありません。司会者がタレントに向かっては卑屈で、たまに登場する素人に向かっては傲慢であるのは、市民のエチケットでありません。有名になることが、人生の最高であるような印象を刻み込みます。無名のものは、人間として無価値なように思えてきます。

◇人間はひとりひとりが、自分の生活を選ぶもので、他の者の関わることでないという人権の思想を失います。この学校で学ぶことで、恥じらいをもって慎ましく生きることを知らずに育ちます。この学校がテレビ学校です。校長先生は企業です。

<ドクターちゃびの解説>テレビによる子どもの痴呆化:考えない、感じない、行動しない、感性が磨かれない、依存心の強い薄っぺらで心身の弱い子供たちを大量生産しています。テレビは大量消費社会でのむき出しの資本主義経済競争の広告媒体であり、愚民政治のツール、システムでしかないのです。かつてテレビによる1億総白痴化と言われました。アメリカ小児科学会は、2才未満の子どもにテレビを見せないようにくり返し警告しています。

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[教育基本法改正案] なぜそんなに急ぐのか
中国新聞 社説 2006年4月14日

どうしてそんなに急がねばならないのか。教育基本法改正をめぐって、与党の動きがにわかに慌ただしくなってきた。自民、公明両党による同法改正協議会はきのう「我が国と郷土を愛する…態度」などの文言を加えた改正案を正式決定した。改正を目指す理由として「教育の荒廃」などがあげられてきたが、改正で「荒廃」が解消するわけでもなかろう。慎重な取り扱いと野党を含めた幅広い議論が要る。

日本国憲法を受けて基本法は前文で「真理と平和を希求する人間の育成を期する…」としている。改正案は「教育の目標」に両党間で論点になっていた愛国心を「愛する…態度」に直して合意した。妥協が図られたといえよう。基本法が一九四七年に施行されて約六十年。この間、自民党は「軍隊を持てない平和憲法」の改正と併せて教育基本法の見直しに意を注ぎ「愛国心」にこだわってきた。その下支えとして徹底させたのが、教育現場における君が代斉唱、日の丸掲揚だった。

自民と公明は二〇〇三年から協議を始めた。公明には「愛国心」への拒絶感が根強くあった。戦前、支持母体の創価学会が愛国を声高に叫ぶ国家主義政府によって弾圧されたからだ。その拒絶が、ここに来てオブラートに包まれだしたようにみえる。背景の一つには、昨秋の衆院選で自民が絶対多数を確保した力関係の変化があろう。もう一点は公明のお家の事情との見方がもっぱらである。来年の参院選と統一地方選が控える。与党である限り、ついて回る自民の「攻勢」。それを、一定の譲歩を引き出したうえで今年決着させたい考え方だ。選挙年における内部の路線上の混乱を避けたい思いがあったとしても不思議でない。もしそうであるなら、党利党略に「教育」が利用されることにならないか。

自民内部には国会の会期延長論も出始めているとも伝えられる。何はともあれ通すとも受け取れる。自民多数のおごりの表れと見なされても仕方なかろう。民主党の失敗に続いて与党のごり押しで、国会が混乱するようなことがあってはならない。格差、年金問題など多くの政策課題がある。「我が国と郷土を愛する…態度」といった文言はあいまいだ。いったいだれが判断するのか。心の領域とする人も少なくない。拙速は国民の一体感を損なう。

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[闇からの悲鳴に耳を]
「死にたい」「助けて」…夜の街でメール
「夜回り先生の 子どもたちよ」 朝日新聞 2006年2月21日

水谷修(みずたにおさむ)さん
1956年、横浜市生まれの49歳。養護学校高等部教諭などを経て92年に定時制高校の社会科教諭となり、同市を中心に夜の繁華街をパトロールする「夜回り」を始める。04年9月に教職を辞めて、全国で講演と夜回りを続けている。著摺に「夜回り先生」「さらば、哀しみのドラッグ」など。

夜の街にうつろな様子でたむろする子どもたち。夜の暗い部屋で泣きながらリストカットやOD(処方薬の過剰摂取)をし、死を考える子どもたち。実際に自殺してしまう子どもたち。家から部屋から出ることができなくなり、不登校や引きこもりになってしまう子どもたち。今、日本の子どもたちの多くが、心を病み苦しんでいます。

私が2年前の2月にメールアドレスを公開し、子どもたちからの相談を受け始めてから、現在までに約19万件、のべ10万人の子どもから、様々な相談がありました。1割は、薬物乱用や非行・犯罪など夜の世界にかかわる「眠らない子どもたち」からの相談、9割は、夜の暗い部屋でリストカットやODを繰り返しながら死を考える「眠れない子どもたち」からの相談。「先生、覚せい剤がやめられない」「死にたい」「不登校で親を苦しめてる。私なんか死んだ方がいいんだよね」「いじめられてる。助けて」ー。数限りない子どもたちの悲鳴と向き合ってきました。ほとんどのメールは深夜の街や暗い部屋からのものでした。

しかし、日本の多くの親や教師、大人たちはこの事実に気づいていません。理由は簡単。子どもたちを昼の世界でしか見ていないからです。もし、大人たちが私のように「夜回り」すれば、私のように夜のメールや電話での相談を始めれば、あるいはせめて、インターネットの自殺系やメンタル系の掲示板やプログを見れば、すぐわかるはずです。多くの子どもたちが眠らず、眠れず、今を苦しんでいます。

■ ■

夜の街の子どもたちの様子が急速に変わっています。私が「夜回り」を始めた14年前は暴走族の最盛期。夜の街の子どもの目は自分たちを捨てた昼の世界の大人たちへの憎しみでぎらぎらとしていました。今、全国的に暴走族は消えつつあります。夜の街の子どもたちから目のぎらつきが消えていっています。私は心配しています。

かつて家庭や学校でしかられ、否定され続けた子どもたちの多くは、夜の世界に来ました。そして、何年か親や教師や大人たちを憎んで対時し、20代になれば、愛する人ができれば、昼の世界へと戻っていきました。しかし、今の子どもたちは、その気力を失っています。昼の世界ですら、うつろな目をした子どもたちがあふれています。

減らない不登校や引きこもりの子どもたち。なぜ、子どもたちは学校や社会との関係を断つのでしょう。それは、子どもたちにとって学校や社会が優しいものでなく、自分を否定する攻撃的なものだからではないでしょうか。不登校の原因は、その生徒にあるのでしょうか。学校に問題はないのでしょうか。引きこもりの原因は私たちの今の社会のあり方にあるのではないでしょうか。なぜ子どもたちは仲間をいじめるのでしょう。楽しい家庭や楽しい学校に生きる子どもたちは、こんな卑劣なことはしません。いじめる子どもたちも家庭や学校で追い込まれているのではないでしょうか。

■ ■

真っ白な心で明日を夢みて生まれてきた子どもたちを、このように追いつめているのは私たち大人なのではないでしょうか。温かい家庭や学校に恵まれたら、誰が夜の街に行くでしょうか。夜の暗い部屋で体を傷つけ、死を考えるでしょうか。子どもたちは、私たち大人からの優しさを待っています。

今、子どもたちは何に悩み、何に苦しんでいるのか。なぜ薬物に手を出し、売春やリストカットをするのか。大人ができることは何か。夜の繁華街にさまよう子どもたちと向き合い、子どもを非行と犯罪に追い込む大人に立ち向かってきた水谷修さんに語ってもらう。
◆このシリーズは毎週火曜に掲載する予定です。

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[「ケータイ・ネットの時代」負の側面、洞察する力を]
中国新聞「現論」2004年2月29日
ノンフィクション作家 柳田邦男
1936年栃木県主まれ。東大経済学部卒。NHK記者を経て作家活動に。災害、事故、科学、医療問題などをテーマに執筆。著書は「言葉の力、生きる力」など多数。

人々の仕事や生活の仕方と中身が、十年足らずの間に激変した。これほどまでの変化が短時日の間に生じたのは、歴史上かつてなかったことだ。その激しい変化の台風の目は、ケータイ・ネットの爆発的な普及だ。振り返ってみるとよい。朝から深夜までケータイを離すことができず、絶えず誰かと会話をしたり、ケータイやパソコンでメールのチェックと返信をしたリするといった生活を、つい十年前にしていただろうか。パソコンを買うお金もそれを置くスペースもあるのに、どう子どもを育てたらいいのかわからない母親が、ホームページに悩みを書きこんで発信し、相談相手を求めている。子どもと向き合えずに、パソコンと向き合っているそういう母親が、何万人といるという。人間の心と社会の歯車がどこか変になっている。

人の一日の持ち時間は二十四時間しかない。その二十四時間の使い方を最初に大きく変えたのは、半世紀前のテレビの登場だった。そして今、さらに持ち時間の使い方を劇的に変えたのが、ケータイ・ネット時代の到来だ。ケータイ・ネットに費やす時間が二十四時間の中で大きなシェアを占めるようになったということは、その分だけ他の何かをしなくなったということだ。何をしなくなリ、何を失ったのか。

若者が本を読まなくなったどころか、新聞すら読まなくなったという。そりゃあ、そうだろう。ひっきりなしにケータイで、あの人この人と交信しているのだから。今や小中学生でもパソコンを使いこなし、宿題のリポートなどは、パソコンで検索すれば、キーワードに関する解説や情報をすぐに引き出すことができるから、楽なものだ。ボタン操作で明け暮れていると、何が起こるのか。子どもの発達心理や精神医学者などの見解を総合すれば、ケータイ・ネット依存症とも言うべき日常生活につかっていると、次のような、意識と心のゆがみが生じる傾向がある。

(1)世界中からたやすく情報を集めることができるので、何でも知っているという錯覚に陥る。(2)自分でじっくり考えるという、「心の習慣」が形成されない。(3)自分が世界の中心にいるという錯覚にとらわれ、周囲を自分の思うように動かそうとする傾向が強くなる。(4)電子機器による仮想現実(バーチャル)の世界にひたっているため、他者の命や痛みについて思いやる感情が育たない。そこで現実とのギャップが生じる。人間の一番大事な内面的な問題は、もともとネットにのるような情報ではない。個人と対極にある政治や国際問題にしても、政策決定や外交戦略決め手となる軍事情報や諜報の分野になると、ネットでは流されない。むしろネットは情報操作に利用される。

大事なことは、情報の山積よりも考える力と想像力・推察力を育てること。そして、自分の思うようにならない他者の対等性を理解し、他者とどう折り合いをつけて生きるかということを発想できる「心の習慣」を身につけねばならないのだ。ところが、例えば少年事件の加害少年の動機と背景を調べてみると、そうした「心の習慣」がまるで未成熟で、極端に自己中心的なのだ。

二十世紀における科学技術の発達は、大量破壊兵器の脅威や地球環境破壊、公害、事故、薬害などの「負の遺産」をもたらした。それらは明確に目に見えるものだった。それに対し、二十一世紀のIT革命の進行は、人間の心や人格形成にゆがみをもたらすという、見えざる「負の遺産」を人類に浸透させるおそれがある。利便さという長所ばかりが目立つ先端技術の、そういう見えざる「負の側面」を見抜く洞察力が、これからいよいよ求められるのだ。

テレビが普及し始めたころ、「テレビっ子」の弊害が論議され、子どもがテレビを見る時間を制限することに、教育者や親たちは意を注いだ。ところが、ケータイ・ネット依存症への危機感は希薄だ。だいたい教師も親もケータイ・ネットにはまっているのだから。この問題は、子育て、教育、文化、社会のあリ方すべての面からの論議が急務だ。

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[自分と違う人を理解すること、そのための教育がいかに必要か]
朝日新聞「天声人語」2001年10月27日

アメリカの中学校の先生が、こんな内容のメールを自分が教えた生徒たちに流した。まずはその内容をざっと紹介する▼世界を100人の村に縮小するとどうなるか。その村には「57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます。70人が有色人種で、30人が白人。70人がキリスト教以外の人で、30人がキリスト教」に始まってこう続く▼「89人が異性愛者で、11人が同性愛者。6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。80人は標準以下の居住環境に住み、50人は栄養失調に苦しみ、1人が瀕死の状態にあり、1人はいま、生まれようとしています」▼さらに「1人(そうたった1人)は大学の教育を受け、そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています」と続く。そのうえで「自分と違う人を理解すること、そのための教育がいかに必要か」を説く▼この縮図の数字の根拠ははっきりしない。少々変な数字も交じっているようだ。しかし、こうやって考えてみることの重要さはよくわかる。世界一豊かな国で教えることの意義も大きいと思う。先生はまた「もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら、あなたは世界の75%の人たちより恵まれています」といった解説を加えていく▼このメールはJTBサシブランシスコ支店経由で日本のJTBに送られてきたものを紹介していただいた▼その村にいる2人の日本人としても他の98人のことに無関心ではいられない。

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