ドクターちゃびんの活動 [発表]

[癒しの環境研究会『米国JCAHO(医療施設認定合同委員会)研修』と日本の道] 癒しの環境研究会第2回全国大会2 001年7月14日(岡山)
[ホームページでの無料医療相談の経験] 第14回保団連医療研究集会 1999年11月14日(浜松)
[透析用ポリ容器を利用した廃棄物(アンプル)処理法] 第14回保団連医療研究集会 1999年11月14日(浜松)
[風の子学園事件を考える] 仏教と医療を考える全国連絡協議会第4回全国大会 1991年11月16日(岡山)

→見出しページへ


「癒しの環境研究会『米国JCAHO(医療施設認定合同委員会)研修』と日本の道」
○数野 博*、数野幸子**
ちょう外科医院*(福山市)、福山平成大学経営学部経営福祉学科**
癒しの環境研究会第2回全国大会2001年7月14日
於:岡山コンベンションセンター「ママカリフォーラム岡山」

本年2月、癒しの環境研究会「米国・シカゴ視察研修」に参加した。今回の視察研修の一番の目的であったJCAHO(Joint Comission on Accreditation of Healthcare Organization、以下JCと略す)の本部での研修の内容を紹介し、そこから日本の歩むべき道を探った。

JCは独立した民間の非営利の組織で、その使命は医療機関における職務の改善を支援するための医療評価とそれに関連するサービスを提供することによって、国民に提供される医療の安全性と質を継続的に改善することである。その任務は認定することではなく、全米の様々な医療の専門家などとも共同して質に関する基準を開発し、その基準をつかって医療機関の質や安全面の評価をすることであって、それぞれの医療機関がその基準に適合していくために、認定(Accreditadiotn)や教育や協議などを通じて支援するという過程を重視してる。JCの認定が始まったのは1953年で最初は病院だけが対象だったが、現在は医療施設だけでなく福祉施設やケアシステムを定期的に審査しており、米国内だけでも20000近い医療機関や組織の評価を行っている。JCの国際部は高いレベルでの医療福祉の質と患者の安全を追求する各国の要請で世界的な活動も展開している。さらに近年の医療事故多発への取り組みとして、JCは5年前から医療事故のデータベースを作成し、その防止策を検討するためにSentinel Events(警鐘的事例)の報告制度を開始した。患者の安全中心という考え方に転換したJCは、患者情報保護の法制化を目指し、米国の医療文化の変革の牽引役としての大きな使命を自覚しているようだ。

米国の医療はHMO(Health Management Organization、健康維持組織)の下、DRG/PPS(Diagnosis Related Group/Preferred Payment System、診断別関連包括的支払方式)によるマネージドケアで厳しい制限を受けている。そのうえ病院の機能や医師の質は3年毎にJCによって評価され、さらにHCFA(Health Care Financing Administration、連邦医療財政庁)の依頼による州政府の抜き打ち的な評価が毎年行われる。そして、これらの評価をパスしなければ病院は収入の道を断たれることになり、市場原理による徹底的な効率追求と継続的な質の改善を余儀無くされている。

米国とは対照的に、我が国は国民皆保険制度に基づいて、少ない医療費で高い効果をあげている。患者側から見れば「いつでも、どこでも、だれでも」また「どんな状態でも、何カ所の医療施設でも、自由に」診てもらうことができ、医師の側から見ても、理由なく患者の受診を拒否することはできない代わりに、「医師の裁量権」という名の元に行われる自由な医療である。そこには客観的な評価も制限もほとんど無いと言ってもよい。高度の社会保障制度を確立している福祉先進国も含めて、世界的な経済の行き詰まりのために、各国とも医療福祉の予算を抑制しようと云う動きがある。福祉後進国の我が国でも国の経済の破綻を理由に医療福祉に市場原理を導入しようとしているが、日本の優れた医療制度を維持するためには、まず客観的評価による量より質の医療への転換が必要であり、さらに一層より良い癒しの環境の実現に努力しなければならない。

→見出しページへ


「ホームページでの無料医療相談の経験」
第14回保団連医療研究集会
1999年11月14日(浜松)

1)はじめに

インターネットの普及で医療関係のホームページを利用して病気や医療についての知識を求めたり、治療に対する疑問や迷いからセカンドオ・ピニオンを求める人が増えている。私は1997年4月にホームページを開設すると同時に医療相談コーナーを設けて、すべての相談に無料で対応している。今回は、ホームページ開設以来2年半の経験から学んだことについて述べる。

2)私のホームページの紹介(http://www.mars.dti.ne.jp/~kyr00055)

医療情報に関するホームページは医療関係者によるものが多く、ほとんどのものは特定の診療科や特定の疾患についてのものである。私のホームページは何でも受け付け、一人の医師が全人的な対応をすることが特徴と自認している。ホームページの構成は、私が代表世話人をつとめる「びんご・生と死を考える会」に関する部分、「ドクターちゃびんの癌と医療なんでも相談室」と題した相談コーナー、それに私の医療に対する理念や人生観に関する部分からなっている。

相談コーナーには、まず最初に癌=死というイメージをなくして癌は治るという希望を持ってもらうために、どんな癌も治るという川竹文夫さんのホームページ「ガンの患者学研究所」の紹介とリンクを入れた。次に癌と医療に関する一般的な相談と基本的な項目、さらに色々な癌についての相談とした。

癌と医療に関する一般的な相談と基本的な項目は、さらに「癌治療の考え方」として[医者と病院の選び方][基本的な闘病法][生きがい療法][告知について][緩和ケアとホスピス][ターミナル・ケア][参考になる本]、「癌に関する一般的なこと」として[癌の原因について][癌の疑いと診断][再発・転移について][癌治療の合併症][癌治療の後遺症][乳癌のこと][肺癌のこと][胃癌のこと][肝臓癌のこと][膵臓癌のこと]、「癌の代替療法」として[代替療法][免疫療法][佐藤療法(BRP療法)][民間療法]、「やさしい医学」として[しこり・腫れ・肩凝り][からだの部分・病気・健康][膠原病など難病のこと][薬のこと][かかわる人たちのこと][ホリスティック医学][自然治癒力][自己治癒力][臓器移植][医療費のこと]に分類した上で、私の考え方と文献や資料からの引用と相談メイルを組み合わせた内容とした。

色々な癌についての相談は、[頭頚部の癌][乳癌][肺癌][肺小細胞癌][食道癌][胃癌][大腸癌][直腸癌][肝臓癌][膵臓癌][胆管癌][子宮癌][卵巣癌][膀胱癌][前立腺癌][小児癌][悪性リンパ腫][その他の癌]に分類して、相談メイルのなかから典型的な例や参考になると思われる例を紹介し、随時追加や削除を行っている。

3)医療相談の内容と傾向

相手がどのような状況で相談のメイルを送って来るかによって、相談の内容は決まってくる。検査や診断の段階かそれ以前、治療を受ける前の段階、治療中、治療が終了した段階、再発や転移を起こした段階、末期の段階などの状況で、疑問や不安、不満や怒りなどの気持ちを投げかけることによって、これらを解消したり、情報を求めたり、解決方法を求めたり、癒しを求めるたりするために人々はメイルを打つのである。

相談の内容は、始めの段階では一般的な医学知識や現在の症状や理解できない医学的な事項について、どういうことかとか、どこで情報を求めるかとか、どこにかかれば良いかというような初歩的な質問が多い。さらに、検査や治療の段階では、医師の言うことが本当か確かめたい、医師の言う通りにすべきか、どれを選択すべきか、他に方法は無いのか、もっといい医師や病院があれば教えて欲しい、セカンド・オピニオンを聴きたい、ベストを尽くしたい、何としても治したいというような切実で深刻なメイルとなる。再発・転移や末期の段階では、何とかしたい、納得できない、間違っていたのではないか、さらには訴えたいなどというメイルまである。

4)告知とインフォームド・コンセント

癌の医療相談をしていて、癌治療における最も基本的な医療行為としての告知とインフォームド・コンセントが、全く不十分であることに驚かされる。病名や真実を機械的に伝えるという意味での告知や、医師が事務的に「説明」し、患者や家族が理解や納得のないまま「同意」したというだけの形式的なインフォームド・コンセントでは、医師と患者・家族との信頼関係を作るためのコミニュケーションとはなりえない。

相談の多くは家族や友人からのものであり、患者本人への適切な告知が行われていない場合がほとんどである。いまだに多くの病院では患者本人への告知をせずに、また家族への充分な説明もせずに癌治療を行っている。医師は、患者には曖昧な説明やうそを告げ、家族には形式的なインフォームド・コンセントを行って、自分たちの思うように治療を進める。最近はマニュアルや印刷物を用いて説明する病院もあるが、専門知識に精通している医師と全く知識が無いと言ってもいい患者・家族の立場は、大きく隔たっていて、強者と弱者ともいえる両者間の極端な落差を埋めることは困難である。医学知識の無い人にも理解できるような言葉で、納得できるまで充分な時間をかけて、場合によっては何回も繰り返して説明する必要がある。インフォームド・コンセントに必要なのは、説明と同意ではない。充分なコミニュケーションに基づいた信頼関係の確立が必要なのであり、その結果としての納得と同意である。

医師が患者・家族に説明をする時には必ず専門用語を使い、その上でわかりやすく説明すべきである。その場合、説明の内容は必ず書くか、書いたものを使うことである。初めて聴く専門用語を正確に記憶して、正確に文字で再現できる人はほとんどいない。ましてその場で理解できたり、質問できたりする人は、医療関係者でも少ないと思われる。気が動転していて印象的な言葉だけが断片的に耳に残り、説明の真意が伝わらない。その結果、患者側は誤解したり、必要以上の不安や不信感に陥ったり、経過が悪いと疑心暗鬼になってしまう。

5)自立できない患者・家族とおまかせ医療

本人がかわいそうだから告知をしないという家族が多い。現実からの逃避である。人生最大の危機を迎えた患者本人を独りぼっちにしておいて、本人と共に苦しんだり、共に悲しんだりすることを拒否する態度である。真実を知らない患者は、ともかく医師の言う通りにお任せするという以外にない。権威主義的な医師にとってはこの上無く好都合である。患者を人質にとっておいて、情け容赦なく治療をする。「鬼手仏心」という都合のいい言葉もある。「頼らしむべし、知らしむべからず」という言葉もある。結局、おどしたり、だましたり、ごまかしたりすることが医師の技術と勘違いする医師ができる。それを患者教育と思ってしまう。

一方では、患者サービス、患者本位の医療の名のもとに、本来患者自身の自己責任ですべきことまで、医療提供者側がしている。患者が自立するための患者教育と医療制度の推進がなされていない。これは何も医療の世界だけに限られたことではない。患者や国民の自立を促す必要はある。しかし、それは患者や国民の権利の行使であり、国としての社会保障の責任を国民に転化するものであってはならない。お任せ医療やお任せ行政を許しているかぎり、国民のための医療や国民のための政治はありえない。

6)これからの医療

Evidence based medicineという言葉が大はやりである。いまさら何を言うのかと不思議でならない。Oslerの言葉にもあるように、臨床にはscience(科学)とart(医術)の調和が大切であるが、何よりも心ある、人間性豊かな医療が望まれる。EBMという言葉を聞いて、再び科学万能の医療がはびこることを危惧する。私は最近、遠藤順子さんの「心やさしい医療」という講演と、川田悦子さんの「薬害エイズとの闘いが教えるもの」という講演を聴いた。どちらも、優しさのない、人間性のない医療に対する痛烈な批判であり、医師として聴いていて誠に耳の痛い話しであった。それとは対照的に「パッチ・アダムス」という映画と「パッチ・アダムスと夢の病院」という本は、医師としての原点と、医療の原点を思いださせてくれた。「愛とユーモアと思いやりで病気は治る。最も大切なことは、患者と医師のコミニュケーションである。」という言葉が、これからの医療の道を示している。

7)最後に

医療相談の多くは切実な状況に置かれた患者、家族、友人などからのものである。私は回答にあたっては、まず第一にできるだけ迅速に回答するように心掛けている。第二に治療に関する責任は担当医にあるわけなので、必ず担当医とのコミニュケーションを強調している。第三に、できるだけ希望が持てるように、そして親切、丁寧に答えるように心掛けている。これからも医師や医療についての社会への啓蒙と、自己研鑽と医療に対する理念の実現のために、インターネットのホームページでの無料医療相談を出来るかぎり続けたいと思う。

→見出しページへ


「透析用ポリ容器を利用した廃棄物(アンプル)処理法」
第14回保団連医療研究集会ポスターセッション
1999年11月14日(浜松)

廃棄物に関する問題は環境保護の観点からも厳しい規制が望まれるが、医療廃棄物については特に厳しい目が向けられていて、医療機関は廃棄物を出す側としての責任と自覚が問われている。診療所レベルでは廃棄物の量が限られているので、経済的、効率的な方法を講じる必要がある。当院では使用済みの透析液用ポリ容器を利用してガラス製アンプルの処理を行っているので紹介する。

→見出しページへ


「風の子学園事件を考える」

福山市長外科医院副院長・財団法人喝破道場評議員 数野 博
仏教と医療を考える全国連絡協議会第4回全国大会in岡山
1991年11月16日 活動報告

私は本年3月まで、ある国立医科大学で心臓外科医をさせて頂いておりましたが、大学の医学部では今も小説「白い巨搭」と全く同じ状況が続いておりまして、そこに医療は存在しえないとの結論に達して、メスを捨てました。そして妻の郷里である福山市に移りました。

ちょうどそのころ、三原市の沖に浮かぷ小島にある個人経営の施設から、私が評議員をしている施設へ熟心な協力依頼があり、理事長である住職が4月18日、広島での講演会の後、訪れたのが風の子学園でした。その帰り、福山にお泊り頂いてお話しを伺うことができました。

その時のお話しでは、瀬戸内海に浮かぷ島の風光明媚な環境に住職もかなり気に入っておられたようですが、園長以外は通いの職員が一人いるだけで、収容している子供が少ないとはいえ、おそらく十分なことはできないだろうとのことでした。

その後、何人かの職員(僧侶)が現地を視察に行き、また、風の子学園にいたことのある子供達の話などから、島での生活の様子がわかるにつれて、その異常さに驚き、その時島にいた子供連を早く連れ戻したほうがよいということになりました。すぐに住職が家族に連路を取って迎えに行ってもらったにもかかわらず、ご承知のような結果となってしまったわけです。

風の子学園の園長も彼なりの情熱と理念と実績に基づいて、施設を作ったと思いますが、科学的な知識と方法による理論的裏付け、基本的な経済力、スタッフ及び協力者等を欠き、それに、なによりも子供達を思う心と生命の尊厳を忘れてしまっていたのではないかと思います。

今や大きな社会問題となっている不登校の問題は、不登校児を持つ親、教師、カウンセラー、教育や児童心理学の専門家等を中心に問題提起と検討が行なわれています。一口に不登校といっても原因は多様でして、約6割が怠学、約2割が非行、そして残りの約2割か狭義の不登校です。

さらに、疾病やいじめ、学校や教師の対応の問題、家庭内暴力や拒食症、異性問題、犯罪や,事件とも密接な関係があり、家庭での対応が限界に達した時に、親は藁をもつかむ思いで施設の門を叩く訳です。風の子学園事件や、いまだに強烈な印象を残す戸塚ヨットスクール事件はこの問題の根の深さを物語っていると思います。

本会が発行している「いのち」の第8号に書かせていただきましたように、私は6年前から瀬戸大橋を見下ろす高松市の五色台の山頂近くの禅寺にある施設のお手伝いをしております。ここでは反社会的、非社会的青少年や成人、老人までが職員と寝食を共にし、禅寺での日常生活を通して自己を見直すという活動をしております。

施設は県内、県外を問わず多くの理解者と協力者に支えられて、宗教的な背景に科学的な考えを取り入れた独自の方法で着実な成果を上げてきました。この地道な活動が認められて平成5年度に施設は全国で14番目、四国・九川では初めての情緒障害児短期治療施設に生まれ変わることになりました。今回は、現在不登校児の公認の治療施設としては唯一と思われる情緒障害児短期治療施設(略して情短施設)について紹介したいと思いす。

情短施設は、児童福祉法第43条に定められた子供の心理治療施設で、12歳までの児童を対象にして、入所治療(レジデンシャルケア)や通所治療(デイケア)を行なっています。情緒障害児とはemotionally disturned childrenの訳で、精神医学で言う神経症児にほぼ相当し、心理治療的援助を必要とする子供達を指しており、不登校を訴えとする子供達が主体となっております。

治療スタッフは、医師、心理療法士、保母・指導員、看護婦からなり、生活指導、心理治療、学校教育を3本柱として、専門スタッフの連携のもとに、悩みを抱え、いき詰まったり、追い詰められた子供達への総合的な援助をはかるところで、現在、全国にl 3施設あり、そのうち民間のものはキリスト教関係の施設一つだけで、仏教関係のものはありません。

情短施設のなかには30年以上の歴史を持つ施設もあり、施設ごとに様々な治療的試みがなされていますが、法に定める情短施設の目的は、家庭や学校での人間関係が原因となって感情面から生活に支障を来たし、社会適応が困難になっている児童を短期間収容または保護者のもとから通わせて、心理学的治療を中心とした治療及び生活指導を行なうことです。対象はあくまでも「軽度の情緒障害児」であり、入所者はすぺて児童相談所を経由して紹介されます。

情短施設の対象となっている児童は具体的には緘黙、不登校、孤立・内気・小心等の非社会的行動、反抗・乱暴、盗み・持ち出し、怠学、授業妨害などの反社会的行動、チック、爪かみ、夜尿、偏食・拒食等の神経性習癖の児童ですが、実際には不登校が大部分です。

しかし、家庭においても、学校や社会においてももっとも間題となっているもっと重症の児童は情短施設の対象とならないわけで、あるものは養護施設や病院や教護施設、そしてあるものは民間の施設に収容されることになります。それでも家庭内でなんとか問題を解決しようと努力し、そして相談し、頼ることができるところがある場合はまだよいわけで、保護者が全く無責任であったり、諦めて見放してしまい子供が悪の道へと走る場合や、どうしようもなくて一家心中や家庭内殺人となってしまうこともある訳です。

順調に行けばあとl 0年で人類は2l世紀を迎えます。平和で幸福な2l世紀を迎えるためには人類のなすぺきことはまだまだ多いようです。我々は常に生命の尊厳と自然との調和を考え、思いやりと感謝の気持ちを忘れずに、何が本当に必要であるのかを考え実践しなければならないと思います。それが宗教心であると考えます。

我々の施設は社会的に認知されて情短施設に生まれ変わることになりますが、結果的には今までの活動が縮小されることになります。しかし、我々の将釆の構想としては従来の活動も引き続き行ない、当然禅寺としての活動も行ない、さらに広く福祉、教育、医療を含めたホリスティックな活動を通して社会への融合を目指していきたいと思っております。

一人では何もできません、しかし、一人が始めなければ何もできません。このような会を通じて一人でも多くの人が、今我々が何をなすべきかを考え、どんな小さなことでも一つずつ実行していくことが大切ではないかと思います。

→見出しページへ