ドクターちゃびんの活動 講演1990〜1999年

[私と緩和医療] 香川医科大学看護部主催シンポジウム人間尊重の医療 1999年12月2日(香川医科大学)
[生と死を考える人々、インターネットの癌医療相談から学んだこと] 岡山・生と死を考える会/ホスピス研究会 1999年10月9日(ノートルダム清心女子大学)(岡山)
[在宅患者さんの緩和ケアと諸外国の現状]
 在宅ケア講習会(レジメ)1999年1月23日(福山市医師会館)
[オーストラリアの緩和ケア]
 びんご・生と死を考える会「月例会」1998年9月26日(福山)
[ターミナルケアについて] 備後音楽療法研究会 1998年9月19日(特別養護老人ホーム鳥還荘)(福山)
[死への準備教育(Death Education)] 幸千中学進路や生き方を学ぶ講演会 1998年7月4日(福山)
[よりよい医療と介護を求めて] 広島中央保健生活協同組合シンポジウム(レジメ)1998年2月22日(広島)
[臨床医の服薬指導] ファーマシー社内研修会(レジメ)1997年11月16日(福山)
[患者と医師の信頼関係] 第27回中四国学生医療研究集会(三月集会)(レジメ)1997年3月28日(広島)
[運動の効果] 福山市1996年度あなたの健康教室(レジメ)1997年2月27日(福山保健センター)
[もしあなたが癌と告げられたら] 福山東ロータリークラブ第572回例会 1996年4月24日(福山グランドホテル)
[がんと共に生きる] 1995年度あなたの健康教室・がん予防Part II(レジメ)1995年9月28日(福山保健センター)
[心臓病児者の日常管理について] 心臓病の子供をまもる会香川支部学習会 1990年10月28日(坂出)

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平成10年度 在宅ケア講習会
主催:広島県・広島県地域保健対策協議会・福山地区地域保健対策協議会
<シンポジウム>
在宅ターミナルケアの現状と課題
「在宅患者さんの緩和ケアと諸外国の現状」
ちょう外科医院院長 数野 博(1999年1月23日、於:福山市医師会館)

(1)はじめに
過去・現在・未来、一人の人間にとっての未来は、死と死後の世界
最近の心に残った話題三つ:患者取り違え事件、医療廃棄物、ある在宅末期患者さん
「びんご・生と死を考える会」死への準備教育、ホスピス運動、死別体験者への援助

(2)在宅医療とターミナルケア
死への準備教育と告知、「避けられる死」と「避けられない死」
300人、6430人、1万人、30万人、100万人、そして120万人
先進諸国の医療の現状、Think globally, act locally!
先進国の中で国民皆保険でない国は、アメリカ合衆国と南アフリカ共和国
最期の日々を自宅で、「老いた木は植替てはならない」

イギリス:揺りかごから墓場まで、NHS、家庭医(GP)と病院勤務医(国家公務員)
ドイツ :疾病保険(世界最高の内容)・介護保険の発祥の地
フランス:伝統的自由医療と社会保障医療
カナダ :ドイツとならんで公的医療保険の手本、家庭医と専門医
アメリカ:20%は無保険者、民間医療保険(会員制医療保険HMOなど)が主体
北欧諸国:高負担・高福祉、資本主義的な利潤を社会主義的に配分
日本:「いつでも、どこでも、だれでも」、医師も患者も自由、自己負担という規制、少ない人手と医療費、多い医師と病床数と薬剤費、経済主導・施設主体の効率的医療
世界的動向:経済の後退、高齢化社会、医療費の高騰、医療費削減と医療規制、医療保障から医療保険へ

(3)ターミナルケア、緩和ケア、ホスピス
緩和ケアでのチーム医療
医療コンサルタント、作業療法士、理学療法士、ボランティア、看護専門家、ソーシャルワーカー、宗教家、言語療法士、薬剤師、気晴らし療法士、パストラルケアワーカー、音楽療法士
関連する活動
◆ビリーブメント・サービス(死別後の悲嘆のサポート・サービス)、◆ケアにあたる人のケア(燃え尽き症候群の防止)、◆積極的な教育活動(医療従事者とボランティアのためのプログラム)
ホスピスで働くスタッフの資質:誠実、感性、忍耐、謙虚、愛
共に歩む:「分かち合う喜びは二倍の喜び、分かち合う苦しみは半分の苦しみ」

(4)WHO専門委員会の見解(1989年)、WHO方式癌疼痛治療法
緩和ケアとは
治癒を目的にした治療に反応しなくなった患者に対する積極的で全人的な医療ケアであり、痛みのコントロール、痛み以外の症状のコントロール、心理的な苦痛、社会面の問題、霊的な問題(spiritual problems)の解決がもっとも重要な課題となる。

緩和ケアの最終目標は
患者とその家族にとってできる限り良好なQOLを実現させることであるので、緩和ケアは末期だけでなく、もっと早い病期の患者に対しても癌病変の治療と同時に適用すべき多くの利点を持っている。

緩和ケアは
◆生きることを尊重し、誰にも例外なく訪れることとして 死に行く過程にも敬意を払う。
◆死を早めることにも死を遅らせることにも手を貸さない。
◆痛みのコントロールと同時に、痛み以外の苦しい諸症状のコントロールを行う。
◆心理面のケアや霊的な面のケアも行う。
◆死が訪れるまで患者が積極的に生きていけるよう支援する体制をとる。
◆患者が病気に苦しんでいる間も、患者と死別した後も、家族の苦難への対処を支援する体制をとる。

医療資源の配分の仕方

緩和ケアの組織作り
◆在宅ケア:家庭をケアの第一の場所ととらえることに重点をおき、施設をPalliative Careの中心としてだけでなく、在宅ケアをバックアップする場とみている。
◆コンサルテーション・サービス:Palliative Careの訓練を受けた医療従事者は、入院患者についても、在宅患者についても患者ケアの相談役としての役割を持ち、他の医療従事者にも学ぶ機会を提供する。
◆デイ・ケア:一人住まいの患者、ひとりでは家から外に出られない患者、在宅のケアにあたる家族にとって大きな利点をもたらす。
◆入院ケア:痛みをはじめとする諸症状のコントロールや心理社会的な問題への対応に重点をおいて行われる。
◆死別にあたってのケア:訓練された医療従事者やボランティア(自発的意志により奉仕する専門家)によって、死別に際しての悲しみへの対処に特別な支援を必要とする人に対して行われることが多い。

(5)社会的共通資本としての医療・福祉、戦争国家と福祉国家

(6)諸外国の緩和ケアの現状と日本の将来

イギリス:900ケ所、ドイツ:600ケ所、オーストラリア:150ケ所、アメカ:2900ケ所のホスピス、在宅ホスピスが主体
緩和ケアの心の普及と在宅ホスピス、ホスピス・緩和ケア病棟の新設

ユーモアとは、「にもかかわらず、笑うこと」

デーケン先生(1/31)、マルセ太郎さん(2/24)、田中竹仙さん(4/10)

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[オーストラリアの緩和ケア]
びんご・生と死を考える会「月例会」
1998年9月26日 於:国立福山病院教育研修棟

(1)オーストラリアについて
国土は日本の21倍、人口は日本の1/7
1770年キャプテン・クック上陸、1901年独立
1958年白豪主義から多民族社会へ
公用語は英語(Aussie English)
相棒気質(Mateshipマイトシップ)
国民の3/4はキリスト教徒
平均寿命は女性81歳、男性75歳
公的医療保険制度と公立病院が主体
DRGの導入、日帰り手術、在宅看護の強化により平均在院日数5日

(2)緩和ケアについて
WHOのPalliative Careの定義によると、
「Palliative Careとは治癒を目的にした治療に反応しなくなった患者に対する積極的で全人的なケアであり、
痛みや他の症状コントロール、精神的ケア、社会的、霊的な問題のケアを優先する。
Palliative Careは疾患の初期的段階においても、癌治療の過程においても適用される。」とあります。

今まで、緩和ケアはこれ以上治療の見込みがないとされていた患者のみのものと考えられていましたが、
発病初期からその考え方が適用され、例えどのステージにおいてもつらい症状を我慢させることなく、
検査や処置が施されます。そして、その病状が進むにつれその割合が増えていくものと考えます。

(3)緩和ケアでのチーム医療について
従事者
医療コンサルタント 作業療法士 理学療法士 ボランティア 看護専門家
ソーシャルワーカー 宗教家 言語療法士 薬剤師 気晴らし療法士
臨床パストラルケアワーカー 音楽療法士

関連する活動
ビリーブメント・サービス(死別後の悲嘆のサポート・サービス)
ケアにあたる人のケア(燃え尽き症候群の防止)
積極的な教育活動(医療従事者とボランティアのためのプログラム)

他の療法
園芸療法 アロマセラピー ペットセラピー
アートクラス マッサージ リラックス法 娯楽

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「死への準備教育(Death Education)」
ちょう外科医院院長 数野 博
1998年7月4日(土)
幸千中学校三年生PTC活動、進路や生き方を学ぶ講演会

1)はじめに。皆さん、おはようございます。私は市内の開業医です。なんでも相談にのり、情報を提供することと専門家へ紹介することが、私の仕事です。もう一つの仕事は「死への準備教育」を普及させることです。そのために始めた癌患者さんと家族・ボランティアの会である「福山あすなろ会」は127回の会合を重ねて今年5周年を迎えました。今月26日(日曜日)には、コロンビア・ライトさんをお招きして福山グランドホテルで午後1時半から「笑いとガン」と題した講演会を開きますので是非聴きに来てください。入場は無料です。またこの講演会は「びんご・生と死を考える会」の発足を記念したものでもあります。生と死を考える会は、日本での死への準備教育の普及をライフワークにしているドイツ生まれで日本に帰化したアルフォンス・デーケンさんが始められた会で、びんご・生と死を考える会は全国で43番目の会になります。ホロコースト記念館の大塚さんにも協力をしていただきます。なお、デーケンさんには来年の1月31日(日曜日)の午後2時から、やはり福山グランドホテルで講演をしていただきますので、こちらの方にも是非おいで下さい。

2)生き方について教えてくれた詩の話し。さて、今日私はまず三つの詩についてお話しさせていただきます。この場合の詩はpoemの詩で、deathではありません。はじめに高見 順さんの詩集「死の淵より」から「青春の健在」という詩を紹介します。「死の淵より」の死はdeathです。この本は、私が医学部への進学を決めた高校3年生の秋、本屋で偶然見つけたものです。

「青春の健在」

電車が川崎駅にとまる
さわやかな朝の光のふりそそぐホームに
電車からどっと客が降りる
十月の
朝のラッシュアワー
ほかのホームも
ここで降りて学校へ行く中学生や
職場へ出勤する人々でいっぱいだ
むんむんと活気にあふれている
私はこのまま乗って病院にはいるのだ
ホームを急ぐ中学生たちはかつての私のように
昔ながらのかばんを肩からかけている
私の中学時代を見るおもいだ
私は川崎のコロムビア工場に
学校を出たてに一時つとめたことがある
私の若い日の姿がなつかしくよみがえる
ホームを行く眠そうな青年たちよ
君らはかつての私だ
私の青春そのままの若者たちよ
私の青春がいまホームにあふれているのだ
私は君らに手をさしのべて握手したくなった
なつかしさだけではない
遅刻すまいとブリッジを駆けのぼって行く
若い労働者たちよ
さようなら
君たちともう二度と会えないだろう
私は病院へガンの手術を受けに行くのだ
こうした朝 君たちに会えたことはうれしい
見知らぬ君たちだが
君たちが元気なのがとてもうれしい
青春はいつも健在なのだ
さようなら
もう出発だ 死へともう出発だ
さようなら
青春よ
青春はいつも元気だ
さようなら
私の青春よ

作者の高見さんが、食道癌の手術を受けるために大学病院に入院するときに作った詩です。高見さんは約1年後に亡くなっています。医療や医師というものについての知識がほとんどなかった私は、この詩を読んで医師の仕事は癌とか死というものとかかわっていかなければならない仕事なのだということを漠然とではありましたが強く感じました。

さて、二つ目の詩は東京のある喫茶店で見つけた額に書いてあったものです。昔、店主の父親が働いていた大きな酒屋の主人が書いたもので、店が傾き従業員も散り散りになってしまい、この額だけを譲り受けたとのことです。

「店の表戸を開けよう」

朝だ 店の表戸を開けよう 
今日 また 何十人何百人のお客たちに
いい買い物をさせてあげようよ
あなたが商人として
いのちをかけて悔いない道がそこに大きく開ける
あなたの今日の仕事は
タッタ一人でもよい 心の中で有難うといって下さる
お客という名の友人をつくることだ
あなたは生きがいをかけたこの職業に
大きな誇りと権威を持とうよ
モット美しい モット立派な人生の生き方が
この仕事のうちにあることを知ろうよ

開業医の私は、「朝だ。医院の表戸を開けよう。今日、また、何十人、何百人の患者様たちに、いい医療をしてあげよう。わたしが医師として、いのちをかけて、悔いない道がそこに大きく開ける。」と呟きながら、朝早くから来られるご老人たちのために、朝6時半に医院の玄関を開けます。そして毎日、「わたしの今日の仕事は、タッタ一人でもよい、心の中で有難うといって下さる患者様という名の友人をつくることだ。生きがいをかけたこの職業に大きな誇りと権威を持とう。モット美しい、モット立派な人生の生き方が、この仕事のうちにあることを知ろう。」と自分自身に言い聞かせるのです。

三つ目の詩は、誰でも知っている有名な宮沢賢治の詩です。

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
ソウイウモノニ ワタシハナリタイ

この詩は、宮沢賢治が理想とした人間の生き方ですが、医療に対する医師の理念の原点だと思います。

3)死への準備教育。さて、今度はdeathの方の死と、生と死を考える会についてお話しします。死について考えるということは、同時により良く生きるということを考えることになります。私たちは死というものを考えるとき、無意識に三つの死を区別して考えています。まず自分の死(一人称の死)、次に家族の死(二人称の死)、そして他人の死(三人称の死)です。現在の日本人の死亡率を知っていますか?答えは100%です。日本人だけではありません。世界中で死なない人はいません。いつか必ず皆この三つの死を経験することになります。皆さんは学校の試験の前には必ず準備をすると思います。ところが人生でたった一度しかなく、しかも皆一度だけですがどうしても体験しなければならない自分の死について、何の準備もしていない人が多いのは何故でしょうか。死というものを不吉なものとしてタブー視し、なるべく避けようとしてきたからです。物質文明が優先されがちな現代社会に住む私たちは、ともすれば「生と死」について無関心になりがちですが、死を見つめることは、かけがえのない「いのち」の意味を問いかけることであり、より良く生きることにつながっていくものと考えます。こうした信念のもとに生と死を考える会は、誰にでも必ず訪れる死について考え、学び、行動する開かれた場になることをめざしています。私たちの「びんご・生と死を考える会」は、「死への準備教育」「ホスピス運動」「死別体験の克服」の三つの活動を通して、生と死について「ふかめる(考える)、おさめる(学ぶ)、ひろめる(伝える)」ことを会の目的としています。最後に、学校でも家庭でも、一年に一回一日でいいですから「生と死を考える日」を作ることを提案して、今日の私のお話しを終わりにします。ありがとうございました。

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シンポジウム「よりよい医療と介護を求めて」
福山市・ちょう外科医院・院長 数野 博
1998年2月22日(日)、於 : 広島市西区民文化センター
主催 : 広島中央保健生活協同組合

1)はじめに
自己紹介と医療に対する理念「納得、安心、満足」
福山あすなろ会と医療の地域完結性
生き方と死に方(死への準備教育)

2)医療保険制度改革の柱と公的介護保険制度の導入
公的医療保険(健康保険)制度の合理化
(老人の医療保険をどうするか?民間疾病保険の併用か?)
診療報酬制度の適正・合理化
(出来高制か定額制か?混合診療を認めるのか?)
薬価基準制度の改善
(自由価格制度か?参照価格制度か?)

3)日本の医療の現状
日本の医療・福祉は富士山の5合目くらい
日本の医療費は高いのか?(技術料と物の値段)
国民皆保険と日本の医療費(いつでも、どこでも、だれでも)
8.5万の診療所と9.5千の病院(医療費の7割、外来患者の4割が病院)
適正な医療?と無駄な医療?(1%の可能性、枯れ木に水をやるな?)
医療を良くするのは賢い患者(おまかせ医療と不思議な病名)
インフォームドコンセントとセカンドオピニオン

4)医師像
病院開業医、診療所開業医、勤務医
開業医という人種(赤髭医、恫喝医、算術医、手遅れ医等)
医師自らの改革(3分間診療、検査漬け、薬漬け)
医師とコメディカル(分業と評価)
これからの開業医(家庭医、プライマリーケア医、専門医)
かかりつけ医とは???
これからの開業の形態(グループ診療、連携診療、専門診療)

5)日本国憲法の理念
弱者を救済することが医療福祉、社会、国家の使命
弱者切り捨て、弱肉強食のアメリカの医療と社会を目指すのか?
ヨーロッパ型(福祉型、労使協調型)の社会を目指そう!
多様化と国際化の時代、異なった物差しと相互理解
緑と水と太陽と神と、笑顔とユーモアと

6)おわりに
政・官・財の癒着と税金の無駄遣いを監視しよう!
不必要な公共事業費や不必要な軍事費を医療や福祉に!
どんな医療や福祉、社会、国家、世界にしたいのか皆で考えよう!

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「臨床医の服薬指導」
ー患者と薬剤師と医師の信頼関係ー
1997年11月16日(日)
ファーマシー社内研修会、於 : 福山ニューキャッスルホテル

1)はじめに
高見順詩集「死の淵より」青春の健在

2)自己紹介
経歴(別紙)とインターネットのホームページ
心臓から癌へ、福山あすなろ会と医療の地域完結性
医療に対する理念

3)「がん」の話
癌の告知、癌=死か、うそは言わない
死はなぜ怖い?、癌で死ぬということ
死について(一人称の死、二人称の死、三人称の死)
死の準備教育、悲嘆の段階
生き方と死に方(多様化の時代、異なった物差しと相互理解)
癌と共に生きる(今を生きる生きがい療法)
病は気から(前向き、プラス思考)

4)ドイツのホスピス
身近な国・ドイツ
歴史と文化とゆとり(ビールとワインとソーセージ)
石の文化と紙の文化(じっくり、かっちり)
緑と水と神と
笑顔とユーモア

5)服薬指導と医療問題
日本の医療費は高いのか?(技術料と物の値段)
国民皆保険と日本の医療費(いつでも、どこでも、だれでも)
適正な医療?と無駄な医療?(1%の可能性と枯れ木に水をやるな?)
医療を良くするのは賢い患者(おまかせ医療と不思議な病名)
開業医という人種(赤髭医、恫喝医、算術医、手遅れ医等)
医師自らの改革(3分間診療、検査漬け、薬漬け)
インフォームドコンセントとセカンドオピニオン
医師とコメディカル(分業と評価)
医療は社会保障か?商売か?
日本国憲法の理念
弱者を救済することが医療福祉、社会、国家の使命
弱者切り捨て、弱肉強食、それでもアメリカの医療と社会を目指すのか?
これからの開業医(家庭医、プライマリーケア医、専門医)
これからの開業の形態(グループ診療、連携診療、専門診療)
「納得、安心、満足」

6)おわりに
どんな医療や政治、どんな社会、国家、世界にしたいのか
皆で考えなければならない
宮沢賢治「アメニモマケズ」

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「患者と医師の信頼関係」
1997年3月28日
第27回中四国学生医療研究集会(三月集会)
於 : 広島市国際青年会館アステールプラザ

1)はじめに
高見順詩集「死の淵より」

2)自己紹介
経歴(別紙)
医師を志した理由(教師か医師か、基礎か臨床か、内科か外科か)心臓から癌へ
医療に対する理念(命をまもる、納得、安心、満足)
福山あすなろ会と医療の地域完結性

3)癌の告知
癌=死か
癌で死ぬということ
死について(一人称の死、二人称の死、三人称の死)
生老病死(四苦八苦)
死の準備教育
悲嘆の段階
痛みをとる(肉体的痛み、精神的痛み、社会的痛み、宗教的痛み)
インフォームドコンセントとセカンドオピニオン
うそは言わない
生き方と死に方(多様化の時代、異なった物差しと相互理解)
癌と共に生きる(今を生きる生きがい療法)
病は気から(前向き、プラス思考)

4)医療問題
臓器移植(なぜ日本ではできないのか)
国民皆保健と日本の医療費(いつでも、どこでも、だれでも)
日本の医療費は高いのか?
医療を良くするのは賢い患者(おまかせ医療と不思議な病名)
医師自らの改革(3分間診療、検査漬け、薬漬け)
医師とコメディカル
医療サービスは人的サービス(付き添い廃止の結果は?)
老人医療(なぜインフルエンザで死ななければならないのか)
安楽死と尊厳死(東海大学、京都、高知)
適正な医療と無駄な医療(枯れ木に水をやるな?)
日本国憲法

5)開業医像
開業医という人種(赤髭医、恫喝医、算術医、手遅れ医等)
これからの開業医(家庭医、プライマリーケア医、専門医)
これからの開業の形態(グループ診療、連携診療、専門診療)

6)おわりに
宮沢賢治「アメニモマケズ」

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「運動の効果」
福山市1996年度あなたの健康教室
1997年2月27日(木)於 : 福山保健センター

1)自己紹介
2)病気と健康
世界保健機関(WHO)の定義 : 肉体的、精神的、社会的にも良い状態
「成人病」から「生活習慣病」へ
生活習慣を変えることで、成人病を予防
健康管理を個人の意識に委ねる
薬漬けの医療の見直し(適正な医療とQOL)
それを続けると、その人の残りの人生(寿命と生活)にどの程度の効果(障害)を及ぼすか
一病息災
3)運動とは
スポーツという言葉は、「文化的な遊び」を意味する
もともとスポーツという言葉の中には「遊ぶ、戸外で気分転換する、楽しむ」などの意味があり、自ら進んで楽しみながら行う
労働から離れる、自ら楽しむ、気晴らしをする
4)運動の目的
健康維持のために行う(個人の体力には大きな差がある)
身体を動かす生活習慣を身に付ける
スポーツ選手は勝つことが目的
5)運動の効果
血圧を下げる
肥満防止につながる
ストレス解消になる
ガンまで予防する
年をとっても運動する人は、アルツハイマー型痴呆の発症率が80%低い
6)運動の方法
適度な運動を長期間続ける
1分百歩のペースで、1日百分、1万歩を歩く感じ
歩行時には膝、腰、足関節に加わる衝撃は、体重の1.2倍(ジョギングでは4倍)
胸を張り、歩幅を広くとって、速く歩く
1回10分以上、1日合計20分以上、できれば30分、週2回以上

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「がんと共に生きる」
95あなたの健康教室
がん予防Part II(平成7年9月28日)

1)「がん」とは何か?
2)「がん」は治る
3)「がん」の治療と予防
4)「がん」の告知
5)パターナリズムからインフォームドコンセントへ
6)日本人の死生観と宗教
7)日本の文化と患者の権利
8)ホリスティック医学
 1.ホリスティック(全的)な健康観に立脚する
 2.自然治癒力を癒しの原点に置く
 3.患者が自ら癒し、治療者は援助する
 4.様々な治療法を総合的に組み合わせる
 5.病への気づきから自己実現へ
9)生きがい療法
 1.自分が自分の主治医のつもりでガンと闘っていく
 2.今日一日の生きる目標に打ち込んで生きる
 3.人のためになることを実践する
 4.死の不安・恐怖と共存する訓練に取り組む
 5.死を自然界の事実として理解し、もしもの場合の建設的準備をしておく

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「心臓病児者の日常管理について」
香川医科大第一外科講師 数野 博
心臓病の子供をまもる会香川支部学習会1990年10月28日

はじめに
心臓病といっても大人から子供まで、病気の種類もたくさんありますし、重症度も違います。また、手術をされてる方、されてない方、色々ですが、どうしても子供さん中心のお話になると思います。ご存じのように今、国民の死亡原因の一位が癌で、二位が心臓病、三位が脳血管障害ということで、四人集まれば、一人がガン、一人が心臓病、一人が脳血管障害で死ぬという状況なのです。皆さんは勿論、常に死というものに直面している方ばかりですが、我々医師はどうしても第三者的な考え方でしかお話できないわけです。

香川医科大学第一外科グループの歴史と現状
香川医科大学ができて約十年経ちますが、石合先生が県立中央病院に帰られまして、筑波大学から前田先生が後任としてこられ、現在、前田先生が手術をしています。参考までに今年の手術例は、現在10月までで、先天性心臓病が11例、後天性が17例、胸部大動脈瘤が8例です。後天性の人は、弁膜症が半分くらい、あとは狭心症とか、心筋梗塞のたぐいです。先天性の方では成人が5人、児童1人、幼児4人、新生児1人となってます。それこそ、新生児から、お年寄りまで、色々です。

心臓外科の歴史と私
私自身は昭和47年に岡山大学を卒業後、砂田先生の教室で麻酔を勉強したあと、心臓外科を選びました。そのころは肺高血圧をともなう心室中隔欠損症、ファロー四徴症といったところが、生きるか死ぬかという時期だつたのです。大血管転位症も、助からない時期が続きました。その後、いろいろな補助手段が進歩しましたが、一番大きなエポックは、心筋保護法が開発されたことです。それが導入されてからは、比較的単純な手術で命をおとすことはほとんどなくなってきました。岡大では昭和50年代の初期に心筋保護法と低体温法を導入してやっと、その頃死亡卒20%といわれていたファロー四徴症を助けることができだしたのです。国立岡山病院小児科の立石先生から、比較的単純な病型の大血管転位症の1歳前後で、体重10kgぐらいの患者さん4人の紹介があり、はじめての低体温法で大変でしたけど、二人目は私が担当し、無事に4人とも助けることができました。大血管転位症のマスタード手術は、一応血流は正常にできますが、解剖学的に正常な状態に近づけるという意味では、理想的な手術ではありません。大動脈と肺動派をすげかえるという手術にブラジルのジャテーンという医者が成功しまして、今は、それが主流になっています。非常に細かい手術で時間もかかりますし、難しい手術ですが、そういった手術も可能になってきました。心臓移植を含めると、治療方法がないと心臓病はなくなりましたが、手術成績ということになると、必ずしもよくないものも多いようです。

心臓手術に対する考え方と記憶に残る患者
私は、その後、いくつかの病院を経て最終的に香川医大にきましたが、昭和51年に当時世界で一番レベルの高いアメリカの5つの施投を見る機会がありました。レベルの高さに驚かされて、自分なりのまとめをしたのがこの文献です。どういう 疾患にたいして、どういう時期に、どういつた手術をするかということを決めるためは、いろんな要素があり、方程式の様なものはたてにくいのです。どんな、単純な心臓手術にせよ、常に死というものと直面してやつていかなければならないのです。心房中隔欠損症という、比較的軽い手術ですけど、私が10年くらい前に担当した二人の患者がいます。一人は、中学生で手術をして、看護婦さんになって結婚し、二人の子供さんが生まれました。もう一人は、4歳の時に手術をして、8歳で僧房弁閉鎖不全で再手術をして、その後、いじめ、拒食症、過食症から心不全になり亡くなってしまいました。本当に残念でした。

心臓病児の治療体制
天理よろづ相談所病院の田村先生は、心臓病の子供さんの小児科的な治療、管理、育児などを早くからやっておられる先生です。私も新生児のカテーテル検査を田村先生に教えていただくために天理まで行きまして、先生が、いかに細かい管理をしておられるかということを実際に外来で見せていただきました。先日も国立循環器病センターヘ2週間行ってきましたが、ファロー四徴症とか、大血管転位とかが、ほとんどでです。手術も手慣れたたもので、成績も良いようです。日常の細かい管理は、子供さんなら小児科、大人ならば内科が専門的に分担し、何かあれば、すぐ行けるようなかかりつけの先生と、その専門医の連携がうまくとれれば一番良いわけです。大人であれば、自分である程度できますが、子供さんの場合は、ほとんど、お母さんが、それをになっていかなけらばならなくなります。皆さんは私が説明するまでもなく、かなり詳しくご存じでしようが、それぐらいの知識をもつていただくことが、大切なのです。医療者側はそれに協カしなければなりません。患者さん側は心臓病に限らず、病気になって治療する時に、昔の様にただ医者におまかせするのではなく、説明を聞いてそれに同意することが大切です。子供さんの将来的なことを含めて、一回や二回ではわからないかもしれませんが、勉強して知識をもっていただきたいものです。

心臓移植の話
今の法律上の解釈では殺人罪で訴えられますし、社会的な合意もできていません。心臓移植のためには医者と患者さんの信頼関係が必要です。医者側は合い言葉として、「オープン・フェア・ベスト」といいます。オープンに皆さんに知っていただいて隠し立てはしない。フエアにやり、ベストをつくす、ということで認めてもらえないだろうかと言うのですが…。それだけでは今までのいきさつが全然役にたたず、同じ事を繰り返すのではという懸念があり、堂々めぐりになってしまいます。移植というのは二つの命があって、それをひとつの命にするわけです。皆、命はひとついただいて生まれてくるのですが、それで満足するか、あきらめるか、さらに人の命をいただいて生きるか。実際に移植が始まってから一番の問題は捉供者が絶対的に不足することです。アメリカで今、さかんに脳死者から心臓、腎臓、肝臓と移植してますが、アメリカでさえ非常に提供者が不足している状況です。日本で年間70万人位亡くなられる方があるのですが、その内、脳死におちいる人は何千人という単位です。しかも、臓器提供者になれるという人はさらにその何分の一か。さらに前以て、意思表示しているとか、家族の同意を得られるとかになるとまたその何分の一か。しかも、いろんな条件が整わなけらばいけません。それしかないという言い方でいきますと、何の治療でも成り立つわけですが、そうは簡単にはいきません。いろんな問題を具体的に検討しなければならないのに、その努力を20年間怠ってトいるのです
外国の移植医療
アメリカでは、それが始まった時に、すぐ国をあげてそいう倹討をしているのです。年間に提供者がどれくらいあるか。手術希望者がどれくらいか、お金がどれくらいかかるか、成績がどうか、将来的にみてどうか、と検討した上で、医療として認めましようという事になり、すぐに各州で脳死になった人から臓器を摘出して人にあげてもよろしいという法律をつくったのです。人の死という問題は医者が決めることで、医者が死んだといえばそれで良いわけです。勿論反対してる人もいますし、最初に脳死の基準を出したハーバード大学なんかも長い間移植はしなかったのです。私も6月に肝臓移植をしている施設をみてきましたが、日常的な手術として行われています。子供の移植は、アメリカでも少数の施設で、オーストラリアでもごく限られた施設だけです。オーストラリアでは子供の心臓移植を始めて二、三年でまだ20例くらいだそうです。やはり移植ということになると、手術までにかなり亡くなられる方が多いのだそうです。結局提供者がないのです
日本の場合と生体移植
日本のでは脳死の基準が出ていますが、子供ははずされています。そういう問題もあって、親から子への生体移植というのが日本的なひとつの方法ではないかと思います。日本では生死を考える場合三通りの考え方になります。ひとつは自分自信の事として考えます。手術したら死ぬかもしれないとか真剣に考えますね。二つ目は自分の家族がそうなった場合。これもかなり熟心に考えます。三つ目は第三者の場合。脳死を間題にする時、第三者の立場で脳死になったら臓器提供しましょうという人が大変多いのです。ガンの告知なんかでも自分がガンになったら言って欲しいという人が多いのです。それが、家族の方の多くは本人にはガンであることを知らさないで欲しいといいます。生体移植の場合は(子供が病気で親が考える場合)自分と家族というのは殆ど一体に考えるわけです。だからこれが割にスムーズに行なわれてる理由ではないでしようか。ただし、生体移植は心臓ではできません。肺の生体移植がアメリカで行われたことが昨日の新間に出てました。これは宗教的な考え方も含めていろんな考え方があり、時代とともに、考え方も変わるから、今一般的でなくとも百年先には一般的に行なわれるということもあるでしょう
心肺移植
心臓病に関していえば、結果的には肺高血圧が進行して亡くなる場合が多いのです。肺高血圧症の場合、従来は心肺移植をしていました。心臓は大丈夫でも、心臓と肺を同時に取り替えていたのです。最近はドミノ方式といいますが、どうもない心臓はまた別の方に提供する方法で、アメリカではさかんに行われており、片方の肺だけを移植すればよくなるようです。アイゼンメジヤー症候群でも、心臓を手術して、片方の肺だけを移植する、そうすると、一人の捉供者から二人の人が助かるわけです。捉供者が少ない事がベースにあるのでしょうが、オーストラリアではまだ心肺移植をやってるようす。医学・医療というものがどこまで進歩するのか見当がつきません。臓器移植の賛否は人それぞれの考え方の違いによります。しかし、移植を希望する人がいて、提供しようという人がいて、それをやってあげましようという医師がいれば、第三者がとやかくいう間題ではないのですが
関連技術の進歩
いかに安全に手術するかということに、人工血管や人口弁の進歩も関係してきます。人工弁には生体弁と機械弁があります。現在の機会弁は宇宙船に使うような硬い炭素化合物を使って300年くらい磨耗しないようになっています。しかも、そんな硬いものを加工できるような技術が出来たわけです。こういう機械弁の考え方の元を作ったのが、日本で初めて心臓移植をした和田さんなのです。生体弁は一時期これが良いということで、さかんに使われたこともあったのですが、実際には耐久性の面で問題があって、早い人では3年くらいで壊れてしまいます。私は、以前から生体弁には疑問を持っていて、使うのであれば、子供さんとか、若い女性で子供を望んでる方、老人で高血圧がある方とかのみと思ってたのです。ところが生体弁を子供に使うと、弁が石灰化して骨みたいにカチカチになってしまうことがわかってきました。抗凝固療法を必要としないといわれたのですが、しないと機械弁より頻度は少ないが血栓を作ってしまいます。

老化現象と心臓病 最近日本でも増えている狭心症や心筋梗塞は老化現象のひとつです。ガン、心臓病、脳血管障害はある程度長生きするとできてきます。年をとってくると、心臓病だけでなく他のことも心配しなくてはいけません。私は最近二人のお爺さんの例を経験しました。ひとりは動脈硬化症で膵臓ガンのひどい状況でどうしようもなかったのです。もうひとりは狭心症の手術をした人で、手遅れの胃ガンでした。日本人には狭心症や心筋梗塞は少ないとされていたのですが、最近大腸ガンや肺ガンと同じように増えているようです。これは、食生活や生活様式にも関係があります。

心臓手術の現状と将来 アメリカの手術の多い病院では、年間にニ、三千例の心臓手術をしています。一日に10例から20例くらい手術するわけです。冠動脈の手術は頻繁に行なわれ、一般的な手術になってます。手術をしなければいけないかどうかという判断も難しいのです。アメリカでは儲かる手術ということで、それだけたくさん手術が行われています。結果的に手術をした場合としない場合との差はあまりないようです。心臓の血管が三本とも悪い場合は内科治療を続けるより、手術をした方が良いのではないかというくらいの差しかないのです。心筋梗塞になった場合でも日本人の心筋梗塞は初回発作の致死率がかなり低いのです。すべてが内科治療ですめば、外科医の仕事はなくなるわけです。どうしても手術しなければならないのは、子供さんの先天的な心臓病で構造的な異常がある場合です。これも原因をつきとめて予防することが21世紀にはできるようになるかもしれません。これからは、予防医学という分野で、医学も進歩しなくてはならないのです

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