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マルセ太郎についての論評

Xデー by マルセ太郎 編 2000年10月5日 趙 博
イカイノ劇評 その1 1999年8月5日 産経新聞 小田島雄志の芝居遊歩
「この人」1999年1月3日 赤旗新聞
「マルセ太郎さんのがんレポート」「終・OWARI:大往生その後」永六輔著より
「肝臓がん手術後の日々綴る」二本松泰子 1998年6月24日
「マルセ太郎喜劇プロデュース」角田達朗 98年7月
「マルセ太郎自由自在」木村万里 98年8月新聞
生涯ザ・マイナー 「芸人魂」 / マルセ太郎(講談社)
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趙 博2000年10月5日
写真集に文章を依頼されて、七転八倒して以下のような文を明石書店におくりました。自分では書き足らないし、納得もできない…。ただ、このようにしか表現できませんでした。ご同病ご同朋の皆様!忌憚無い意見をくださいませ。
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Xデー by マルセ太郎 編

マルセ太郎は玄人である。「死の玄人」だ。藪医者の言う「手遅れ」も「寿命」も敵わない玄人は、「自分の命が尽きるのを、緞帳が下りるのを見るように見届ける」、はたまた、「死は散文的にやってくる」、そして、「肝臓癌は、痛みがくれば終わりなんだ。痛い…よく持って二ヶ月。僕は全国のファンに手紙を書く。もう一度、演らせてほしい…そして、自分で己の死期を悟る。いつ死ぬか判らないのが人の常。でも俺はね、自分の死ぬ時が判るんだよ。これって、至福だろ?」と語って憚らないのだ。我々素人は、じっと聞き入るしかない。ある者は説話を聴くように、ある者は涙をこらえながら…。

さて、自伝的喜劇『イカイノ物語』で「妹と母」が死に、幻想の中で復活する場面がある。矢野陽子扮する母が「珍島アリラン」を唄い(因みに、日本人女優であれだけ見事にこの朝鮮古典民謡を歌いこなせるのは、彼女だけである)、妹がその横に付き添う。全編リアリズムの中で、あの場面だけがとてもシュールで、華やかですらある。妹が膵臓癌で逝き、その死後、痴呆症で朝鮮語しか話せなくなった母も去る−−悲しすぎる現実は、孫であり子であり甥である「在日3世」が救う。だから、復活の「豪華一点シュール場面」は郷愁や鎮魂ではなく、実は「救い」なのだ。あの輝きの理由は、二人の朝鮮女性の魂が<この世的に>救われ、「死」が贖なわれた事実への共感ではなかろうか?だとすれば、その共感こそが、マルセ太郎Xデーの予告編ではなかったか…?ひょっとすると、僕らはもう既に彼の「生前葬」に立ち会わされたのかも知れない。

マルセ太郎の芸は、「道徳なき幸福」を怒り、そして笑う。金・名誉・地位などどいう陳腐を徹底して笑う。すると今度は「幸福なき道徳」が、伏し目がちにこちらを覗き込む。『泥の河』の、あの吉ちゃんの顔だ。笑った自分が笑われる、またそれを笑う…喜怒哀楽の混合喜劇は、舞台という小宇宙に、何処までも終わりのない命の輪を創出した。それは、残された僕たちの想念の中で、マルセ太郎という記憶が消え去らない限り、メビウスの輪のように廻転し続けるのだ。「幸福なき道徳」は、「救い」の祭文へと昇華する。−−斯くして、マルセ太郎は、万全を期して堂々と逝くだろう。私淑する僕は、その瞬間に臨む準備を、怠らない。

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イカイノ劇評 その1
1999年8月5日 産経新聞 小田島雄志の芝居遊歩 腹の底から「笑いと涙」

一口に「笑いと涙」と言っても、それが人間のどの部分に発するかによって、表面的でセンチメンタルなものもあれば、腹の底からわいてくる力強いリアルなものもある。マルセカンパニーの『イカイノ物語』(マルセ太郎作・演出)は、その後者だった。イカイノ(猪飼野、現在は大阪市生野区中川)に住む「在日」の一家。母(矢野陽子)、東京で芸能人になった長男、正雄(永井寛孝)とその妻(にしだまちこ)、小さな町工場をやっている二男、勝冶(哀藤誠司)とその妻(松山薫)、長女、町子(吉宮君子)、孫たち(浅地直樹、梨花、瓜生和成=写真中央)、親類たち(マルセ太郎=同左、維田修二…同右、藤原常吉、一色涼太)、近くのバーの日本人マスタ−(大久保洋太郎)らが、チェサ(祭杷)で寄り集まる。ドラマの芯(しん)になるのは、勝冶が作者自身と思われる正雄に激しく食ってかかるバリ雑言と、その裏に秘められた兄への熱い愛情である。その周囲に、それぞれの人物の見せ場となるエピソードが織りなされていて、しばしば笑いを呼び起こし、いつのまにか涙を誘う。

衰藤誠司の嵐(あらし)のような情熱の噴出から、矢野陽子の年輪を感じさせるオモニ(母)ぶりまで、マルセ太郎の渋く切ない演技から、(彼のお嬢さんである)梨花の明るくはつらつとした若さまで、ここには俳優一人一人の「生活感情」が渦巻いているようである。そして、その渦から観客席にあふれてくるのは、一世、二世、三世と世代によって微妙に変化はしているが「在日」であるためのつらさや悲しみの底の底からわいてくるユーモアであり、いまの日本に薄れつつある強い家族愛である。そのユーモアと家族愛にひたることによって、ぼくたちはこの喜劇を他人事ではなくわがことと受けとめることになる。『イカイノ物語』は、「異界の」物語ではなく、ぼくたち人間のドラマなのである。(文京女子短大教授)

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1999年1月3日 赤旗新聞「この人」欄

 「人物を典型的に表現すれば笑いが生まれる。おもしろおかしく書くことじゃない。対象をよく知らないと喜劇にはならない。よく知る行為が愛なんです。愛があればうそは書けません」自身で作・演出・プロデュースする喜劇の第八弾「北の宿にハトが泣く」が五日に開幕。老芸人の通夜に集まった漫才師らが、芸能界や評論家らへの風刺、世相批判をたっぷり利かせ、笑いに次ぐ笑い。作者の芸への愛が、せりふにちリばめられています。「僕の芝居はやたらとメッセージが入りますが、作者が出たらいかん、と思ってますよ。登場人物が生きてしゃべることが大事なんでね」

 昨年秋、韓国での国際演劇祭に招待され、亡き親の国を初めて訪れました。〈我が血が流れる土の上に立ちたい〉と韓国の新聞は、マルセさんの思いを報道しました。「スクリーンのない映画館」の「泥の河」やお笑いの独創芸が母国の人に届いた喜び−−「生涯の大きなできごと」と。生まれ育った大阪・猪飼野(いかいの)を舞台に「在日」を描く喜劇「猪飼野物語」を考えていた矢先の訪問だけに「この舞台化の熱がますます高まってね」。「これをしくじったらやめちまおう、と。信頼を裏切らないために僕自身の力がためされている。正念場です」

 「まだ一行も書いていない」と笑いますが、この夏、束京、大阪での上演はすでに予定されています。「命を一年一年刻んで生きている」と、肝臓がんの再発に見舞われながらの舞台への挑戦。でも、それをも笑いのネタにしてしまう、心からの舞台人。「若者にね、かっこよく生きたいなら体制を批判しろっていうんですよ。だから僕は若いんだって、ね」(紀)

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「終・OWARI:大往生その後」永六輔著、朝日文庫、1998年10月発行pp74〜77より、

『マルセ太郎さんのがんレポート』

「このごろ、家族で死について話をするんです。最初は重くて暗かったんですが、続けていると快感になってきましてね。今や、笑いながらやってますよ」

     □

がんセンターから還ってきたマルセ太郎さんと大阪で話をした。『芸人魂』(講談社)という名著もある話芸の名手。全国公演で飛びまわっているうちに肝臓がんということで入院・手術・術後二カ月で早くも舞台に戻ってきた。「いやァ、同室の患者にいきなりいわれましたよ。がんなんかじゃ死なないよ。人間は病気で死ぬんじゃないんだ。寿命で死ぬんだ!」マルセさんも名文句のコレクターなのだ。彼ががんかもしれないと思った時に、医者が、どうやって告知するかが関心の的だったという。芸人はそんな時でもネタ探しをするのだ。そして告知されたら、どうやって、それを受けとめるか、将棋の手を読むように、いろいろな場面を想像して、心構えをつくっておいた。

しかし、告知は電話でやってきた。「モシモシ、マルセさん?」「ハイ、マルセです」「がんです!」「……」

この話がもう芸になってて面白かった。「電話でくるとは思いませんでしたが、逆にいえば、その程度のがんなんだという安心にもなりました」マルセさんのことだから、告知のされ方について芝居がかったものを考えていたらしい。新劇風に、新派風に……。黒澤明風に、ワイドショー好みに……。それが電話で告知されて手術になった。

この手術もネタにしようと気力を充実させ、医者や看護婦の動きなど、せめて麻酔が効いてゆく間はリアルに演じなければと集中した。マルセさんは麻酔の注射をされたら、一、二、三……と数える方法もいろいろ考えていた。先代の三亀松さんが「数えてください」といわれてどどいつを歌ったという話も頭にあったが、なんと数える麻酔ではなかった。いよいよ始まるぞと思ったときには、「ハイ、終わりました」といわれ、四時間の手術はマルセさんの一瞬でしかなかった。「医者から酒、タバコは止められました。でも仕事はやめろとはいわなかったから退院して、すぐ再会したんですが、この病院の話で客席が笑うんでホッとしています。でも、猿の形態模写なんかするのは、まだちょっとつらいですね」マルセさんの動物模写は名人芸である。あまりにも似ていて、面白いのを通りすぎ、悲しくなるという十八番だ。僕は「病気になった動物特集」をやりなさいと無責任なことをいいながら、いろいろな形で、がんと対峙している人たちのことを考えていた。

日本人四人に一人ががんになるという時代だ。その中にがんの話で笑わせる芸人たちがいてもいい。そして、マルセさんの「がんリポート」は芸人としての性根の座った話芸になっていた。それでいて医療現場の進歩も語り、勇気も与えてくれている。芸人としてのマルセさんを支え続けた色川武大さんが生きていたらどれほど喜んだかという芸である。僕はマルセファンの住井すゑさんのところに出かけて、このトークショーをやろうと約束して別れた。

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肝臓がん手術後の日々綴る
死を前に人生を見つめ直す(二本松泰子)
1998年6月24日(水曜日)社会新報

コメディーとは喜劇という意味だけでなく、悲喜の両面から人生の真理を描く作晶という意味を持つ。現在、日本で深い意義を持つ「喜劇」を創作する人として、まず挙げられるのはマルセ太郎さんではないだろうか。四十年以上になる芸歴を誇り、「スクリーンのない映画館」という映画を一人で語り尽くすという映画再現芸を確立した。また過去には動物の形態模写で演芸界を沸かせたこともあった。

ただひたすら芸一筋に打ち込んできたマルセさんが突然「肝臓がん」に襲われた九五年のことである。そして、肝臓右葉の摘出手術を受けた後のマルセさんの日々を綴った「奇病の人」が出版された。「がんの手術について舞台でしゃべっていたら、おもしろいから本にしてはどうだと言われたのがきっかけです。九一年に「芸人魂」という本に私の芸人としての人生について書いたこともあるのですが、今回は自分が死を目前に迎えて、人生とは何かということを自分なりに考えたことをまとめてみました」。がんの手術後の生存年数は平均五年といわれている。ということはマルセさんの寿命は、あと二年ほどということになってしまうとは考えたくないことだ。五月二十八日から六月一日まで東京・新宿サザンシアターでアンコール上演された「花咲く家の物語」の作・演出・出演のすべてを手がけたマルセさんの姿に死の影など徴塵も感じられない、「俺は何者でもない、俺でしかないという考え方で今までもやってきたわけですから、死を前に控えたからといってあがいてみても仕方ないですよ」。

本の執筆中は焦らずにきちんと自分を見つめ直した。そして、人生の足跡を残すことができたので出来には満足しているという。「何を言いたいかということは書くことも芸も同じ。特別、意識することはないです。でも、ライブの方が面白いかな。書くのは少しもごどかしい思いがしますね」。自らの作・演出・出演のマルセ喜劇もこれまで四作品上演、プロデュース公演も七回目となる。マルセさんにとっての喜劇とは「滑稽というの喜劇の要素ですが、人間を典型的・普遍的に描くことができれば、笑いはおのずから生じます。とんな場面でもきちんと表現すれば笑えるのです。笑えないとすれば、それは表現が下手としか言いようがないです」。マルセ喜劇の成功は、長年の積み重ねが実を結んだのだと自信を見せる。「次作は大阪の在日朝鮮人のことについて取り上げたいと思っています。重いテーマではありますが、私の目指すものは明るい喜劇ですから」。人間の心の奥底の喜びも哀しみも知っている人だからこそ、マルセさんは真撃に喜劇に取り組むのかもしれない。

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マルセ太郎喜劇プロデュース
角田達朗(愛知淑徳短期大学研究紀要)第37号98年7月

「花咲く家の物語」(作・演出マルセ太郎/名吉屋市芸術創造センター五月八日)は、マルセ太郎自身も関わりのあった民間の知的障害者施設がモデル。マルセは本人の役でオープニングとエンディングに登場するのみ。ストーリーは、若い役者が演じる知的障害者たちが中心となって展開する。マルセ太郎が目当ての観客には物足りなかっただろっが、私は逆に、観客を十分舞台に引き付けておいてから、若い役者たちに巧みにバトンを渡して退場するマルセに、舞台への深い愛着を見る思いがした。「障害者」という呼称は差別かといった難しい間題まで、笑いに変えてしまうしたたかさは、やはり書き手の反骨精神のなせるわざだろう。ちなみに、私自身は「障害者」を差別語として忌避する考えは持ち合わせていない。どんな言葉であれ、差別意識に基いて用いれば差別語になるのであり、これは差別語、あれは非差別語という色分け自体、生産的でないと考えている。この公演が問いかけているのも、「障害者」という呼称の是非よりも、むしろ障害者を「社会の障害」と見なすような差別的観念についてだろう。主人公の死によって終るという意味では悲劇なのだが、少しも湿っぽい所はなく、それどころか、実に爽やかな幕切れだった。マルセ自身も癌に冒されていると聞くが、死を意識しつつも、前向きな気持ちを失うまいとしていることが伝わって来る。メッセージ性の強い芝居だが、決して観念的にも教訓的にもならない所が素晴らしい。そこが、マルセの言う「芸人魂」なのだろう。

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98年8月新聞(どこの新聞かわかりません)マルセ太郎自由自在 木村万里

お盆と正月、東京が静かになるこの時期に東京にいられるのは嬉しい。亡くなった方々の霊を慰めながら、実はみんな自分の生と死について考えている。マルセ太郎は初めての本の題名を「芸人魂」と名付けた。「芸人」は職業ではない。肩書でもない。存在の仕方。マルセ太郎の一人語りを聞くたびにこの人の回りにはどうして面白い人たちが吸い寄せをれるように集まってくるのだろうと思う。神様はこの芸人に何かを伝えさせようとして、独特な人たちを回りに配置しているのではないか、と。

夏の一夜、いつもの映画一人語りではなく、実際にいた人々を語って笑わせてくれた「陛呵売三態(たんかばいさんたい)」は、テーマが「芸とは何か」だけにいつもにまして熱がこもった。渋谷ジァンジァンの舞台に、チラリと赤いスカーフをのぞかせシンプルな衣装で立ったマルセは、おととい5度目の肝臓癌の手術を終えたところですと近況報告。さらに「昔、私が小学校から帰って来るといつも防火用水水桶の上に座ってなんかしゃべってたおじさんがいました。今考えると当時26歳くらいだったははずなんですけど、何してたんでしょう」と幼い頃の町内体験を描いて笑わせ、いろんな人たちから多様な価値観で育てられた昔の子供の幸せ、近所におじさんおばさんがいない今の不幸を語った。これがマクラ。

そして本題、啖呵売3名人の紹介に入る。まずはCランクから。前もってサクラを仕込んでおいて護身術の小冊子を売る啖呵売。Bランクは、黙って蛇を頭上で振り回して人の眼を引き、次に集まった人々を「蛇は鳴くよ」の意外なセリフで釘付けにしておいて、おもむろに怪しげな軟膏を売りつける啖呵売。Aランクともなると手がこんでくる。知性をくすぐるのだ。日本資本主義流通経済の構造まで説いて三つ揃いの背広を買わせる啖呵売。ランクが上がるにしたがって品物の値段も上がり、しゃべる内容も言葉数も豊富になる。その気のない通りすがりの人の耳を止め目を止め足を止め、しかも財布を開けさせる芸の凄さ。売る品物は今ならすぐ消費者センターに駆け込みたくなるような代物ばかり、が、インチキ商品を補って余りあるしゃべりの芸は一級品。私も役立たずのナイフや知恵の輪を何度も買ったことがあるけれど後悔はしてない。あのシャベリを聞かせてもらっただけでアリガトウだもの。

現在のマルセ太郎の関心は「喜劇とは何か」。マルセ太郎、癌を抱えて今日も行く。「マルセさん長生きして下さいね、なんて言ってくれる人がいてありがたいんだけどね、アンタの方が先かも知れないよって思うんだけどね。言えないけど」。ほんとほんと、条件はみな同じ。アルコールをやめたせいか、やたら血色がよかった。

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生涯ザ・マイナー 「芸人魂」 / マルセ太郎(講談社)

マルセ太郎が、ついに本を出した。彼が自分で本を出そうと思いたったりする訳がない。回りからヤイのヤイの言われて、汗をタラタラ流してタバコをブカブカ吸って書いたに違いない。しかし、一度でもマルセさんの芸を見たことのある人には、待ってました! マルセさんと言ったところだ。タレントが書いたのだから、いわゆるタレント本と言えるかも知れないが、決定的に違うのが、彼が生涯一捕手にあらず、生涯ザ・マイナーを貫いた事にある。これは自分の意思ではないかも知れないが、この「芸人魂」を読むと、なるべくしてなったマイナーという気がしてくる。笑いに品を求め、芸術性を重んじる。時流に乗る訳がない。まあ、この辺がマルセファンには堪らないところなのだが。

なにしろ、マルセ太郎に、見てきた事やちょっとした経験を話させたら、その表現力と説得力に殺気を感じる程の凄さがある。観察眼が普通の人とはちょっと違うのかも知れない。ある対象の中に面白さを見つける能力、これは普段の生き方、考え方の幹がなければ、絶対生まれてこない。これはマルセさんと関係ないのだが、こんな話を聞いた事がある。ツービートが、営業で旅に行って帰って来た。2人はほとんど同じ経験をしてきた訳だが、きよしさんに旅はどうだったと聞くと、別にどうという事はないと答え、たけしさんに話を振ると、面白い話がゾロゾロ出てくるわ、出てくるわでその2人の違いに驚いたという。別にここで、アイヅチの天才きよしさんを責める訳ではないが、成るほどと思わせる話である。そして、マルセさんは、完ぺきにたけし型お喋り好きである。まあ正確に言えば、たけしさんが、マルセ型お喋り好きと言うのだろうが、マイナーとメジャーの差はいかんともしがたい。

どうしてもこういう例になる。その話術が活字になって大丈夫なのだろうか、一抹の不安を抱きながら本を開いた。しかし、その不安は数ページ読んだらふっとんだ。なんとも、軽妙な文章、これは私の好きな東海林さだおのコラムかいなと思ってしまった程で、声に出して笑ってしまった。そして中程になるとズッシリと重たくなってくる。ヒロポン中毒から抜けでる話。キャバレー、ストリップ時代の哀話。日劇ミュージックホールの楽屋風景も生々しく伝わる。それに友人やら家族の話。それが、全部エピソードでつづられており、ウンチクになっていない。これがいわゆるマルセ太郎の「芸人魂」なのかも知れない。考え方を説明するより、きっちり表現にしよう。これが、徹底している。すべてが、どこか哀れで滑稽。一途な者には、ちょっとした幸せを運ぶ女神が本当はいるのではないかと思わせる本であった。( 協力 / 桃園書房・小説CULB '92年2月号掲載)

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