[政治]

[矢祭町議会決意宣言「町民とともに立たん」] 矢祭町 これこそ主権在民 これこそ民主主義
[橋下節に疑問の声「あんたこそ憲法学べ」 岩国住民投票] 朝日新聞 2008年02月03日
[「暫定」を改め、国づくりの論議を尽くせ] 朝日新聞「天声人語」2008年1月22日
[「思いやり予算」米軍基地労働者は捨て石か] 全駐労中央執行委員 渡辺健二 朝日新聞 2007年12月14日
[「民主党と外交」大きな構えで論戦を挑め] 日本がやるべきことは何か 朝日新聞 社説 2007年8月10日
[インド洋でガソリンスタンドをすることだけがテロ対策ではない]
 朝日新聞 2007年8月9日
[「国会閉会へ」民主党の顔も見えなかった]
 毎日新聞 社説 2006年12月17日
[「小泉時代とは」後の世に顔向けできるか] 朝日新聞「漂流する風景の中で」2006年3月8日
[異なる考えいかに反映] 小泉政治 中国新聞 社説「06展望」 2006年1月3日
[平和記念式典から逃げた冷酷・我が儘・利己主義の小泉首相] 中国新聞「天風録」2005年8月7日
[国民への裏切りが始まった] 佐高 信(評論家) 朝日新聞2002年1月31日
[憲法の世論調査にみる平和主義と扇動のこつ] 朝日新聞「天声人語」2001年5月4日
[懸念されるブッシュ大統領の単純な思考と大胆な発言] 朝日新聞「天声人語」2001年3月31日
[教育基本法はなぜ変えなければいけないのか?] 朝日新聞「天声人語」2000年12月24日
[マルセ太郎の箴言]「人間屋を代表して一言」マルセ太郎(「人間屋の話」序文) 2000年11月1日
[信念貫き通した金大統領] 朝日新聞コラム「私の見方」波佐場 清 2000年6月19日
[一国の首相が赤ちゃんとは] 早野 透「ポリティカにっぽん」朝日新聞 2000年6月6日

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「合併しない”矢祭町宣言”を支えた人々の思い」 福島県・前矢祭町町長 根本良一
NHKラジオ深夜便〔こころの時代〕2009.8.16

[矢祭町議会決意宣言「町民とともに立たん」]
これこそ主権在民 これこそ民主主義 →矢祭町ホームページ

 矢祭町議会は平成13年10月31日、議員提案により、「合併しない矢祭町宣言」を全国に先駆けて全会一致で議決した。町の羅針盤を高らかに宣言したこの檄文は、全国の地方自治体への励ましとなり、目標となり続けている。そして今、我々矢祭町議員は自身の報酬を日当制にすることを決意した。連綿と続く議員報酬のあり方を根幹から変える決断を、我々は悠々として超然と、そして敢然として断行する。現在、国会議員と地方議員を巡り、有権者からの厳しい目が、残念ながら向けられている。議員は有権者に選ばれし、有権者の公僕である。その責務の一切は有権者のために遂行されなければならない。その当たり前の議員の姿勢と哲学がきしみを上げ始めていることを、我々は痛憤の思いで受け止める。だが、我々は看過しはしない。報酬を日当制に変更するという大胆な決断によって、すべての地方議員に対して、自身の立ち位置とあるべき姿を改めて問い直し、警鐘を乱打するものである。我々矢祭町議は、町民とともに立たんの決意をここに宣言する。今、議員たるのその原点に帰る。

 国主導による「平成の合併」が雪崩を打つ中、我々の「合併しない宣言」は全国に熱烈な感動をもって受け入れられた。だが、旬日を置かない同年11月13日、総務省行政体制整備室長が来町し、翻意を促された。室長曰く、「合併の何たるかを矢祭町の多くの町民に説明し、合併の方向へ翻ることを期待する」と。室長の語る合併のメリットは、「首長や特別職、議員などを削減することによって大きな財源が生まれ、その削減によって生まれた大きな余財を高齢化社会の軍資金できる」という内容だった。だが、その言質からは、地方自治が担うべき民主主義をいかに為すべきかについて、ただの一言も言及されなかった。そして、国は我々の方向性を「町民に対する背信行為」「首長や議員の保身のため」などと、時に面罵し、時に誹謗した。我々が目指すのは、きめ細かな行政であり、住民の目線に立った行政である。かかる哲学以外に、行政のあり方を指し示す松明はない。「合併しない宣言」によって、我々矢祭町議は松明を手にした。この松明をたやすことは町民への背信行為である。もしこの松明の灯を消すことがあるとするならば、それは有権者たる町民の判断によってのみであり、その他の何者によっても妨げられるものではない。

 「合併しない宣言」以来、我々矢祭町議は議会改革に全精力を傾けてきた。平成14年7月4日、議員定数を18人から一挙に8人減らし、10人にした。そして、平成16年3月の改選期から実施した。「一寸の虫にも五分の魂」という、身を切っても自立するために頑張っていく強い意思が込められている。6700人の民意を反映する機能は貶めないという強い覚悟が秘められていることは言うに及ばない。この4年間を振り返るに、議会運営に支障を来したことはただの一度もない。やればできるの意気込みを、実行をもって実証してきたのである。

 今、日本の国全体に暗雲が立ちこめている。それは、指導者が国民の立場に立っておらず、自分本位の判断に終始しているからにほかならない。このことは国民にとって非常に辛いことだ。だが、ここ矢祭町に限っては、役場、議会、町民が三位一体となって町づくりを進めてきた。それを体現したものが、平成18年度から始まった「矢祭町第3次総合計画」である。「郷土愛」をうたい、共に支え合いながら暮らせる町づくりを推進し、「元気な子どもの声が聞こえる町づくり」を政策の中心に据えた。また、それを貫くために、町の憲法たる自治基本条例を制定し、平成18年1月1日から施行された。その第7条には町議の責務として「町議会議員は、町民の信託を受けた町民の代表である。議員は、町民の声を代表して、矢祭町の発展、町民の幸せのために議会活動に努める」とうたわれている。我々は常に町民の一人ひとりの立場に立って町政に参画しなければならない。町民の生活こそが、日々の議員活動の中で、最も気に掛けねばならない問題である。

我々が受ける報酬は、町民が汗を流してかせいだ税金であることを忘れてはならない。

議員報酬の経過を辿れば、執行部とのもたれ合いの中、報酬審議委員会なるものを隠れ蓑にして、その額を住民の目に届かないところで決めていたと指弾されても、それに反論する言葉を我々は持たない。右肩上がりの時代からのお手盛りを重ねてきた結果が、現在の議員報酬につながってはいないだろうか。50年後、100年後もびくともしない矢祭町を作り上げるためには、議会はもう一度原点に帰らなければならない。我々議員は、町民の艱難辛苦を憂い、嘆く声を聞き、見たとき、現在の報酬制度にあぐらをかいているわけにはいかない。そして、我々は報酬制度を根本から考え直すことを決意した。その際、我々は世間一般の常識にとらわれない。矢祭町はいかにあるべきか、矢祭町議会はいかにあるべきか―― ここが我々の議論の出発点であり、すべてである。

 私たちが描く日当制は実費支給が原則であるから、町民の目からも透明度が高く、議員活動に対する対価という意味合いがより厳格化される。これによって、議員の活動状況も分かりやすく、評価もしやすくなる。また、これから議員になろうとする人も、欲の固まりのような金の亡者は消え、真摯に町を思う若い人や女性も進出しやすくなるなど、有権者の選択肢が拡大するに違いない。「選挙には金がかかる」との風説があるが、この日当制の導入によって、「金のかからない選挙」が実現できるだろう。選挙運動のあり方にも一石を投じることは必至だ。何よりも経費の削減によって生まれる余財を、町民生活を豊かにする町民密着の政策に差し向けることができることを我々は何よりも喜ぶ。

この問題に真正面から取り組むことは、決して地方自治を卑しめるものではない。むしろ地方自治の本来の姿を体現するもので、全国の地方自治体に範を垂れることになると確信している。「合併しない宣言」を決議した矢祭町議会だからこそ、陋習に凝り固まった堅固な壁に風穴を開けることができる自負を持っている。今回の我々の決断が郷土を愛する全国の人たちに全的に歓迎されるに違いないと確信をもっている。

今、我々矢祭町議は宣言する。町民とともに立たん。

関連情報
市町村合併をしない矢祭町宣言
矢祭町議会議員の報酬及び費用弁償に関する条例

−お問い合わせ−
議会事務局
TEL 0247-46-4578
 FAX 0247-46-3155

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橋下節に疑問の声「あんたこそ憲法学べ」 岩国住民投票
朝日新聞 2008年02月03日11時38分

米空母艦載機移転をめぐり06年春に山口県岩国市が実施した住民投票に対する橋下徹・次期大阪府知事の発言に、憲法学者や政治学者らが首をかしげている。弁護士でもある橋下氏は、反論した前岩国市長の井原勝介氏を「憲法を勉強して」と痛烈に批判したが、「橋下さんこそ不勉強では」との指摘も出ている。 橋下氏の発言が飛び出したのは1月31日。3日告示の岩国市長選で艦載機移転容認派が推す前自民党衆院議員の福田良彦氏を応援するビデオ撮影に応じた後、「防衛政策に自治体が異議を差し挟むべきではない」「間接代表制をとる日本の法制度上、直接民主制の住民投票の対象には制限がある」と持論を展開。井原氏が「国民が国政にものを言うのは当然」と反論すると、1日に「憲法を全く勉強していない」などと再反論した。

橋下氏の発言に対し、小林良彰・慶大教授(政治学)は「この種の住民投票には法的拘束力がない。住民の意思の確認・表明なのだから、それを憲法が制限することはあり得ない」と指摘。「防衛は国の専権事項だが、基地問題は地元住民にとって生活問題だから、意見を言う資格がある。それは憲法が認めた言論の自由だ」と述べ、「橋下さんこそ憲法を勉強した方がいいんじゃないか」と皮肉った。 小林節・慶大教授(憲法)は「橋下さんは憲法を紋切り型に解釈しているのではないか」と首をひねる。「地域の問題について住民の声を直接聞いて、その結果を地方自治体の意向として国に示して実現を図っていい、というのが憲法の考え方だ」と言う。

奥平康弘・東大名誉教授(憲法)は「法的拘束力のない住民投票の是非について、わざわざ憲法を引き合いに出すこと自体が論外」と突き放した。「弁護士が『憲法』と言えば、いかにも説得力があるように聞こえるが、政治家として政治的な発言をしたまでのこと。人びとの注目を集め、目的は達成したんじゃないのかな」と冷ややかに語った。

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「暫定」を改め、国づくりの論議を尽くせ
朝日新聞「天声人語」2008年1月22日

歌舞伎「暫」では、善男善女が皆殺しになる寸前、超人的ヒーローが大声で「しばらーく」と現れ、悪党をこらしめる。「しばらーく」から長々と待たせては、善人たちは助かるまい▼そんな間延びしたおかしさを、ガソリン税の暫定税率に見る。列島改造の政権が道路財源に上乗せして34年、しばらーくのはずが9度延長された。「暫」の字もこれほど長いたなざらしは不本意だろう▼与党はさらに10年の延長を、民主党などは撤廃を求めている。撤廃なら高値のガソリンが1リットルで約25円下がるというから、生活防衛の一助にはなる。だが民主党の「ガソリン値下げ隊」には人気取りのにおいがする。ビールやたばこでも隊を結成してくれ、と思う人は多かろう▼撤廃すれば年2兆6千億円の税収が消え、地方の道路予算が死ぬという与党の主張はどうか。守りたいのは道路より工事にも見える。ガソリン消費を促すような策は採れないというが、また都合よく環境の看板を掲げたものだ▼この問題には、地域格差、財政、環境といった重い論点が絡んでいる。油代の攻防に「分かりやすく」丸めては困る。とうに意昧をなさない「暫定」を改め、国づくりの論議を尽くすべきだ▼歌舞伎の「暫」は単純な筋ながら、荒事の様式美にあふれる。細部を究めての分かりやすさ、主人公の派手な隈取り、仰々しい装束と魅力は尽きない。さて政治の舞台でも論戦の幕が開いた。党剰党略で隈取ったガソリン国会には、花道ではなく客席から「しばらーく」と割って入りたい。

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「思いやり予算」米軍基地労働者は捨て石か
全駐労中央執行委員 渡辺健二
朝日新聞 「私の視点」 2007年12月14日

日本に駐留している米軍基地には約2万5千人の日本人従業員が働いている。政府はこの日本人基地従業員の給与を減らす方針を決め、層用主である防衛省は全駐留軍労働組合(全駐労)に対して、総額100億円の削減案を提示した。来年3月末に期限が切れる日米特別協定の協議で、政府は光熱水費などの削減を米側に求めていたが、強い反対を受けで交渉が行き詰まったため、米側の負担増にならない基地従業員の人件費削減に方向転換した。基地従業員の「給与・勤務条件は国家公務員及び民間事業従事員のそれを考慮して防衛大臣が定める」と、法律で規定され、毎年の給与改定は米軍の同意が得られれば人事院勧告と同時同率で行われる。日米安全保障条約のもと、日本人従業員による基地労働は、国防を担う極めて公共性の高い仕事である。基地従業員の身分が、国家公務員に準ずるとされる理由だ。

今回の削減案の柱に「格差給」の廃止がある。格差給とは、基本給の10%を別建てで支給している給与だ。1947年、言語・文化・習慣などが異なり、しかも占領者と被占領者という特殊な関係のもとで働くことに配慮して、当時の国家公務員の給与水準に10%上積みしたことに始まる。63年に現行の給与表が完成した時に、米軍は10%の格差給を維持する代わりに、その費用を捻出するため、基本給の8%を減額した。日本政府が「思いやり予算」で人件費を負担するようになった78年まで、基地従業員の給与は毎年、このような米軍による引き下げ攻撃にさらされた。現在では、基地従業員の基本給の水準は国家公務員より低い。平均給与月額は、格差給を含めても国家公務員の80%である。格差給は基本給とは別建てなのでボーナスの算定基礎に含まれず、年収の差はさらに広がる。格差給が廃止されれば、基地従業員の平均給与月額は国家公務員の73%にまで落ち込む。格差給の廃止は「高すぎる給与の是正」という印象を与える政府の説明は、根拠がなく実態にもとづいていない。

基地従業員の職揚環境は今も劣悪である。日米地位協定により、米軍の許可なしでは誰も立ち入ることができない基地内で働きながら、米軍が同意しないため、労働基準法をはじめとする多くの国内法令は順守されない。「9・11」以降、米軍基地もテロの対象とされ、時には異常な緊張にさらされる。雇用の不安定さも昔と変わらない。全駐労は給与・手当の一部削減にも応じる対案を出し、同時に国家公務員準拠の原則のもと総合的な労働条件の改善を要求している。しかし、防衛省からの臭体的回答はまだない。政府は米軍再編でグアム島に投入する約3200億円の税金について国民の理解を得るためにも、基地従業員の給与削減は必要であり断行するとしている。日米のはざまで働き、日本の安全保障に貢献している基地労働者は捨て石なのか。

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[「民主党と外交」大きな構えで論戦を挑め]
日本がやるべきことは何か
朝日新聞 社説 2007年(平成19年)8月10日

米国の駐日大使が野党の民主党本部を訪ね、対テロ活動での協力を要請する。代表は大使に向かって米国の政策を公然と批判する。その模様はすべてメディアに公開される―これまでなら想像もできなかったことである。焦点は、11月1日に期限が切れるテロ対策特措法の延長問題だ。政府・与党は延長が既定路線だったが、参院で過半数を失った結果、民主党の協力を仰がざるを得なくなった。6年前の9・11テロから1カ月後、米国はアフガニスタンを攻撃した。国際社会は支持し、日本も海上自衛隊をインド洋に送り、対テロ行動に参加する各国艦船に給油する活動を始めた。米国としても、日本を戦列にとどめおく意味は大きい。小沢代表に対し、シーファー駐日大使は「機密情報でもどのような情報であれ、提供する準備がある」とまで述べて、協力を求めた。与党側はすでに、自衛隊の活動についての情報開示や、特措法の一部修正にも前向きの構えを示している。日米関係や安全保障で、これほど政府・与党が野党に歩み寄る姿勢を見せることが、かつてあっただろうか。政府・与党には、参院で否決されても衆院で3分の2の多数で再可決する道は残されているが、あくまで最後の手段だろう。必要な情報が開示され、真剣な論戦が交わされる。修正もある。そんな緊張感のある国会審議になれば、対米関係をめぐる日本の政治の風景は大きく変わるに違いない。

民主党は以前からテロ特措法に反対してきた。参院選の大勝を考えると、この立揚を維持するのは当然だろう。しかし、一法案の是非にとどめず、イラク戦争への評価を含めて、対米外交を根本から検証する機会にすべきだ。イラク戦争は、大義だった大量破壊兵器が存在しなかったばかりか、戦後のイラクはずたずたの状況だ。中東全域が不安定になっている。日本もこの戦争を全面的に支持した。この失敗について、まともな総括も反省も行われていない。インド洋とイラクでの自衛隊活動の詳細も明らかにしてもらいたい。イラクで活動する航空自衛隊は、何を運んでいるのか、どのくらい危険な業務なのか。文民統制の主体である国会がないがしろにされてきたのを、ただす必要がある。そうした検証の上で、日本の行動がテロをなくし犠牲を防ぐことに本当に役立っているのか、日本がやるべきことは何かをしっかり議論すべきだ。民主党には、米国にもの申す姿勢を世論に印象づけようとの狙いがあるのは間違いない。特措法をてこに安倍政権を追い詰める思惑もあるだろう。そうした要素は政治につきものだが、それだけが外交をかき回すことは好ましくない。民主党は政局の思惑を超えた外交の選択肢を示さねばならない。大きな構えの外交論議をしかけていくべきだ。

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米大使「日本の貢献重要」X「米が始めた戦争」小沢氏
特措法 小沢氏、妥協せず
インド洋でガソリンスタンドをすることだけがテロ対策ではない
朝日新聞 2007年8月9日

民主党の小沢代表は、米政府にも「反対」を明言した。着任から2年4ヵ月たってシーファー駐日米夫使が初めて会談しようと申し入れたのは、テロ特措法延長に理解を求めるためだった。だが、小沢氏は「アフガニスタンの戦争は米国が姶めた」と反論し、2人はそれぞれの立湯を言い合うだけに終わった。秋の臨時国会で焦点となるこの問題で、安易な妥協はしないという小沢氏の決意表明の場となった。(林尚行)

8日夕に党本部であった両氏の会談は、夏休みの予定を話すシーファー氏に、小沢氏が「僕もヒューストンに行ったことがある」と応じるなど、和やかな雰囲気で始まった。ただ、本題のテロ特措法延長に入ると、2人は笑顔を消し、互いに直視して話した。小沢氏 ブッシュ元大統領の時、私は自民党の幹事長で湾岸戦争があった。彼は国連決議まで開戦しなかった。国際社会の合意を取る努力を最初にしなければならない。

シーファー氏 (小沢氏の著書の)『日本改造計画』で、日本が国際的な活動に、より積極的に参加しようと書いてある。日本が参加するチャンスだ。小沢氏自身が強調する「国際貢献」を引き合いにシーファー氏は延長への理解を求めたが、小沢氏は「米国を中心とした(アフガンの)作戦は直接国連安保理で権威づけられていない」。50分間の会談は平行線に終わった。

「日米同盟は対等でなければいけない」。竹下内閣の官房副長官時代、電気通信市場開放をめぐる日米交渉や、航空自衛隊の次期支援戦闘機の日米共同開発の調整に当たった経験から、小沢氏はこう燥り返す。参院選の政権公約にも、本人の強い希望で「強固で対等な日米関係を構築する」と盛り込んだ。小沢氏側が今月1日、会談を打診してきたシーファー氏と当初は会わない意向を伝えたのも、こうした思いからだ。これに対し米側は「延長は必要だ」との考えを繰り返し示してきた前原誠司・前代表にメッセージを託した。「米大使館は『日程も、場所も、会談内容も、小沢氏の言う通りでいい』と言っている。大使と会ってもらえないか」翌2日夕、ひそかに会った前原氏からこう伝えられた小沢氏は、「そうか」と応じることを決めた。

だが、小沢氏の腹は最初から決まっていた。参院の与野党逆転をテコに政権交代を目指す小沢氏は、本格的な攻防の場となる秋の臨時国会で、テロ特措法の延長問題では安易な妥協はしないと決めている。小沢氏は参院選後、延長に反対することを繰り返し表明。この日の会談も報道陣に完全公開し、水面下で米側に譲歩しない意思表示をした。参院選で大勝し、求心力が高まっている小沢氏の方針に党内から目立った異論は出ていない。小沢氏に距離を置く中堅議員でさえ「民主党が政府・与党にハードルを高く突きつけ、反対に回る方が党内がまとまる」と小沢氏の反対方針に理解を示す。日米関係を重視する別の中堅議員もこう語った。「テロ特措法は反対してもいい。インド洋でガソリンスタンドをすることだけがテロ対策ではない」

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[「国会閉会へ」民主党の顔も見えなかった]
毎日新聞 社説 2006年12月17日

安倍政権発足後、初の臨時国会が事実上閉会した。改正教育基本法の成立をひたすら急いだ政府・与党は批判されて当然だ。ただ、多くの疑問を残したまま同法が成立した責任は民主党にもある。一体、この国会で民主党は何をしたかったのだろう。同党は今、安部晋三首相以上に顔が見えない状態にある。来夏の参院選での選挙協力をねらって野党共闘を優先するというのが小沢一郎・民主党代表の戦略だったようだ。だが同党は先の通常国会で、「愛国心」に関して「日本を愛する心を涵養」と表記するなど政府・与党の考え方と共通点も多い対案を提出している。どこまで党内意見が一致していたか疑問もあるが、対案を出した以上、教育基本法は改正の必要ありと党として判断したということだ。

そこが、改正は不要とする共産党や社民党とは根本的に異なっており、元々、共闘には無理があったのではなかろうか。結局、民主党は自らの対案成立を強く求めようともせず、慎重審議を訴えるだけだった。これでは民主党が何を考えているのか、国民には分からない。しかも、民主党の参院側の一部は与党との修正協議を一時は模索するというちぐはぐさだ。他の野党に押されて、衆院での内閣不信任案提出では何とか足並みをそろえたものの、民主党の参院側は共産、社民両党が呼びかけた安倍首相に対する問責決議案提出に応じず、最後は共闘も破たんした。与党が国会の会期を4日間延長したのは、「会期延長に追い込んだ」とアピールできるよう民主党のメンツを立てたとも言われている。そうだとしたら、「やらせ延長」というべきであり、かつての55年体制に逆戻りする与野党のもたれ合いではないか。

成立までの審議でも民主党の影は薄かったことも指摘しなければならない。タウンミーティングの「やらせ質問」問題など安倍内閣を追いつめる材料はあった。ところが、この問題は共産党の指摘で明らかになったものだ。その後、社民党も独自の資料を入手して追及を重ねたのに対し、民主党は「自らの手がらにならない」とばかりに消極的だったのだ。民主党は週明けに参院選マニフェストの土台となる基本政策を正式にまとめる。党内の指摘を受けて原案を変更し、年金改革では従来のマニフェストと同様、基礎年金部分は「全額税方式」に戻すが、消費税率は現行の5%を維持するという。増税は選挙にマイナスになるという判断だろうが、財源をどうするのか、与党などから「つじつまが合わない」との批判が出るのは確実だ。

肝心な点がおろそかになっていないか。国会という表舞台で政府・与党を厳しく追及し、同時に、綿密で魅力のある政策を作っていく。これも大事で、かつ有効な選挙対策ではないのか。顔が見えないと言われる首相に対し、野党第1党のこの体だらく。今の政治状況は深刻だ。それが見えてきた国会でもあった。

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[後の世に顔向けできるか]「劇場」と「観衆」の5年間
小泉時代とは」辺見庸さんと考える
朝日新聞「漂流する風景の中で」2006年3月8日

辺見庸(へんみ・よう)44年生まれ。共同通信に入り、北京特派員などを経て96年退社。91年、「自動起床装置」で芥川賞受賞。「もの食う人びと」「眼の探索」「単独発言」など著書多数。04年春に脳内出血で倒れたが、以降も精力的に発言・執筆を続けている。近刊に、リハビリ、そしてがん宣告という過酷な状況下で時代と自身に向き合った「自分自身への審問」

絶え間ない「改革」の呼号と制度改変ー。21世紀初め、日本社会の急激な変容を方向づけた「小泉時代」とは何なのか。そして私たちは今どのような地点にいるのか。小泉氏の首相就任から5年になるのを機に、作家の辺見庸氏に寄稿してもらった。新たな国家像への期待と、足元を掘り崩されるような不安が交錯し、流れの行き先はよく見えない。移り変わる社会の底流を、新シリーズ「漂流する風景の中で」で随時考えていく。

「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」という。1人がでたらめを語ると、多くの人々がそれを真実として広めてしまうものだという後漢のたとえである。小泉執政の5年ぐらいこの言葉を考えさせられたことはない。私の興味は「一犬」の正体や小泉純一郎という人物のいかんにあるのではなく、「万犬」すなわち群衆というものの危うい変わり身と「一犬」と「万犬」をつなぐメディアの功罪にある。もっといえば、21世紀現在でもファシズム(または新しいファシズム)は生成されるものか、この社会は果たしてそれを拒む文化をもちあわせているのだろうかーという、やや古典的な疑問を持ちつづけている。

小泉政権誕生直後のマスコミは、私の印象では、総じて"悪い熱病"にかかっているようであった。「神の国」発言などで末期には支持率6%前後という不人気をかこった前政権は、政策といいパフォーマンスといい、たしかに退屈でいささか不快ではあった。その反動もあって新たに登場した小泉政権は清新の気や変化の兆しを感じさせたのであろう、いっとき80%近くの驚異的支持率を獲得し、多くの人々が政治アパシー(無気力)から一気に政治的観衆と化していった。

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群衆のこの素速い変わり身にひやりとしたのは私だけではあるまい。変身に政治的な成熟ではなく、過剰に情緒的なものを感じて危ぶんだ人々も少数派ながらいるにはいたのだ。しかし、こうしたプロセスにマスメディアはなにがしか制動の役割を果たしたかといえば事態は逆で、むしろ拍車をかけていったかに見える。論理の射程が短く、「感動した」だの「ぶっ壊す」だのとエモーショナルな言葉を重ねる首相はとても幽玄な哲学の持ち主には見えないが、群衆にとってはかえって明快で小気味よく、マスメディアにとっては報じやすい政治家であるだろう。彼の行く先々で人は群がって歓声をあげ、風景は何やら祭りめいた。メディアはまたぞろそれを報じるから人気は相乗し、首相はわれ知らず人気の波に.酔っているかに見受けられた。

人気絶頂時に民放テレビの報道番組担当ディレクターが嘆くのを聴いたことがある。「支持率80%の首相に批判的な番組をつくるのは不可能に近い」。かくしてメディアも情報消費者もこぞって「群衆化」していくようであった。いわゆる小泉劇場はしばしば大観衆に埋めつくされたが、劇場を首相官邸サイドの思惑どおりに設えたのはマスメディアなかんずくテレビメディアではなかったか。

それでは、政治権力とメディアが合作したこの劇場の空気とは何だろうか。第一に、わかりやすいイメージや情緒が、迂遠ではあるけれど大切な論理を排除し、現在の出来事が記憶すべき過去(歴史)を塗りかえてしまうこと。第二に、あざとい政治劇を観る群衆から分析的思考を奪い、歓呼の声や嘲笑を伝染させて、劇を喜ばない者たちにはシニシズムを蔓延させたことであろう。

これらとほぽ同様のことを最初に指摘したのは、実はフランスの作家でメディア学者でもあるレジス・ドブレである。関心のある向きは94年11月30日夕刊の朝日新聞記事(「テレビが政治的権力を持ち始めた」)を参照されたい。ドブレヘのインタビューを交えた10年以上前のこの記事は、まるでつい昨日報じられたかのように優れて今日的であるのに驚かされる。

記事によると、ドブレはテレビがもたらした状況の変化について、常に刺激を求める視聴者に合わせることによる情報のヒステリー化、短絡化を挙げ、「大衆迎合的人道主義」が横行して、「浅薄で凡庸なイメージ」が少数意見を圧殺するーなどと語っている。よくよく考えてみれば、それはひとりテレビだけの罪ではなく、新聞やネット情報を含むマスメディア全体の病症である気がする。

ドブレは「今や政治はショーかスポーツの様相を呈し、市民の政治参加はサポーターの応援合戦のようになりつつある」とも言い、こうした社会は「ファシズムよりましというだけで、民主主義ではない」と断じている。あたかも日本について論じているようなこの分析のなかで私が特に注目しているのがここだ。

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先進諸国における政治のショー化、有権者のサポーター化といった現象が、イメージ偏重型である小泉首相の登場を引き金に、この国でも顕在化したからだ。ただし、ドブレの指摘に一つの問いを継ぎ足したくもなる。日本は本当にファシズムではないと断言できるのか、と。

イタリアのファシズムについて優れた考察を発表している作家ウンベルト・エーコによれば、ファシズムとはいかなる精髄も単独の本質さえない「ファジーな全体主義」(『永遠のファシズム』)でもあるのだという。日本のいまがそれに当たるか詮議するのも興味深いが、より重要なのは、エーコも力説するように「世界のいたるところで新たなかたちをとって現れてくる原ファシズム(ファシズムの特徴を帯びた現象)を、一つひとつ指弾すること」だろう。

この文脈で私がこだわらざるをえないことが二つある。いずれも小泉首相と憲法の、摩詞不思議な関係である。自衛隊のイラク派遣を閣議決定した03年12月9日、首相は記者会見して海外派兵の論拠を憲法前文に求めると同時に、「日本国の理念」「国家としての意思」「日本国民の精神」が試されているとぷちあげて、前文の一部をわざわざ読み上げてみせた。記者団からは寂として声がなかったが、後の世の若者たちにも恐らく決定的な影響をあたえずにおかないこの憲法解釈はどう考えても間違っている。

もう一つ。ことしの年頭記者会見で首相は靖国参拝と中韓両国の反発にふれて「精神の自由、心の問題、これは誰も侵すことのできない憲法に保障されたもの」と述べた。憲法第19条(思想・良心の自由)について語っているらしいのだが、さても安く憲法が使われるようになったものである。いったい第20条(信教の自由、政教分離)はどうなってしまったのか。これまた後の世のありようを大きく左右しかねない憲法の意図的な誤用ではないだろうか。

しかし、最高法規の牽強付会もほしいままの利用も、この国ではトップリーダーの政治生命に何ら影響しないらしい。私としては再び「ファシズムよりましというだけで、民主主義ではない」の言葉をなぞらざるをえない。一犬が虚に吠えるのは多分、歴史的にいくらでもあったことである。だが、万犬もそれに倣うのかどうか。小泉執政5年のいま、劇場主も観衆もメディアも静思すべきだ。

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[異なる考えいかに反映] 小泉政治
中国新聞 社説「06展望」 2006年1月3日

昨年の衆院選で自民党が歴史的圧勝して以来、政治の在り方が大きく変わった。参院と野党の存在感が希薄になり、自民党内でも活発な論議が影を潜めた。小泉純一郎首相のリーダーシップが飛躍的に高まり、盾突く実力者は党外に去り、残った人も「抵抗勢力」呼ばわりされないよう鳴りをひそめているからだ。多くの物事はそうした中で決まっていく。しかもスピードが速い。閣僚や自民党幹部間の意見対立も首相の一声や、側近による「首相の意向」で流れが決まる。民間人主導の経済財政諮問会議は議員の存在を軽いものにしている。「最後まで反対を貫く議員がいなくなった。投げやりな感じがしないでもない」との党幹部の嘆きが象徴的だ。一種異様な政治風景といえる。

そんな中で、選挙中には口をつぐんでいた各種増税案が決まった。イラクの自衛隊の駐留再延長、米軍再編に伴う基地機能強化も同様だ。冷え切った日中、日韓関係に展望が開けない中、持論に固執する首相に異を唱える声も聞こえてこない。首相「独走」の気配さえ漂う。改革には痛みが伴い、何よりもスピードが肝要だ。時には「腕力」も必要だろう。従来、党内実力者や族議員、官僚の抵抗で決定に時間がかかり、数多くの案件が先送りされたことを考えれば合点もいく。だが、面倒な党内手続きを飛ばし国会でも議論らしい議論もない中での決定は民主主義の根幹に触れる。一歩誤れば独走は「暴走」に行き着く。そんな危うさを秘めた政治が、普通の風景になるのか。

「何でもできる」巨大与党、絶対権力者めいた小泉首相の誕生ーそれだけに異なる意見、少数意見をいかに聞き入れるかが問われる。今年は大きな国政選挙の予定もない半面、首相退陣に伴う総裁選がある。政治の在り方などよりも「ポスト小泉」の政局話に陥る懸念がある。政治への監視の目は緩められない。選挙に惨敗し、不祥事も相次いだ民主党。埋没するのか、復権するのか。昨年末、噴き出した耐震強度偽装問題の追及では耳目を集めた。暮らしの視点を大切に粘り強く実績を積み上げることだ。共産、社民党はどこまで右傾化の歯止めになれるのか。参院も衆院の激変で著しく低下した地位をどう向上させるか。いずれにしても「言うは易く、行うは難し」ではある。だが独自性の追求を怠れば一層存在意義をなくし政治から緊張感を奪ってしまう。それぞれの責任も重大である。

小泉政治は、突きつめれば市場原理主義だろう。「競争」を主軸に国際的にも勝ち抜こうとしている。昨年、株価が一万六千円台になるなど社会の活性化にそれなりの成果も上がった。だが一方で、「勝ち組、負け組」「上流、下流」なる言葉が横行。とにかく「勝てばいい」意識がまん延しているように思える。国家財政を大事にするあまり、地方がないがしろにされる危険性も十分にある。自殺者は年間三万数千人に高止まり、生活保護受給者も増えている。弱者をいたわり、いかに暮らしやすくするかは、政治の重要な仕事である。「ポスト小泉」を争う人たちはこうした実態を直視した上で、改革をどう進めるのか、修正するのか明確に発信する責任がある。

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[平和記念式典から逃げた冷酷・我が儘・利己主義の小泉首相]
中国新聞「天風録」2005年8月7日

あの日から六十年。広島は深い祈りの一日になった。節目の年とあって、平和記念式典にはいつもより多くの人が集まり、「三権の長」のあいさつもあった。小泉純一郎首相も五年連続の参列である▲回数だけみればけっこうなことだ。しかし、被爆者は小泉首相の広島訪問を素直に喜べない。最初の二〇〇一年こそ原爆資料館、原爆養護ホーム、被爆者代表からの要望を聞く会など精力的にヒロシマを駆け巡った。ところが、二回目からは「人が変わった」ように見える▲まず、「核兵器の廃絶に全力で取り組む」と毎年同じ紋切り型の首相あいさつ。それに下を向いてぼそぼそと原稿を読む。まるで覇気が感じられない。歴代首相が続けてきた「聞く会」を欠席し、式典が終わると五分ほどの会見で「逃げ去るように」広島を離れている▲今回、河野洋平衆院議長や尾辻秀久厚労相らは、被爆者のお年寄りが暮らす原爆養護ホームを訪問した。ところが、首相は式典後すぐに福山市の中川美術館へ向かった。中国美術の鑑賞という個人的趣味を優先したようだ▲唯一の被爆国の首相が、なぜ被爆者の声を聞こうとしないのか。まるで、嫌々ながら式典に参列しているようにさえ思える。郵政民営化法案の参院採決を控えて、気もそぞろという見方もある▲被爆者の祈りは、多くの犠牲者の追悼とともに、核兵器廃絶への願いが込められている。その祈りに耳を傾けてこそ、被爆国の首相といえる。

<ドクターちゃびんの解説>いまだに首相も天風録士も「唯一の被爆国」という言葉を使っている。そのようなものはあり得ないことは、インターネットで検索したら1万件以上のサイトで述べられている。

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[国民への裏切りが始まった]
佐高 信(評論家) 朝日新聞2002年1月31日

これは小泉首相の国民に対する裏切りの始まりである。首相の人気の秘密は、足して2で割らないと思われているところにあった。ケンカ両成敗とか、常識的な解決をしないということである。しかし、今度はその方法を取った。それによって、NGO参加拒否問題における外務官僚の非常識と右往左往を覆い隠し、つまりは外務省改革を遠ざけてしまった。国民が田中真紀子氏に期待していたのは、次々と出てくる腐敗外務省の、根底からの改革である。それには、多少ヒステリックな面があっても彼女の馬力が必要だった。鉄面皮な外務官僚たちを見ていれば、なまなかなことで彼らの体質を変えられないことは明らかである。今度の問題でも、各種の世論調査で「だれがウソをついているか」という間いに、9割近い人間が、圧力をかけたといわれる政治家や外務官僚を挙げ、田中氏がウソをついているという声は1割もなかった。担当局長が、国会で一度は「外相発言の通りかもしれません」と言っているわけだし、責任を取らなければならないのがだれかは、はっきりしていた。つまり、首相は田中氏を更迭すべきではなかったのである。

ではなぜ、首相は更迭に踏み切ったか。私はポイントは外交機密費問題にあると見ている。この問題が表面化したのは森内閣の時だった。森内閣の官房長官は最初、中川秀直氏だったが、スキャンダルが発覚して辞任し、福田康夫氏に代わる。福田氏は、特に外交機密費が内閣官房に“上納”されていたという問題について、外務省と一緒にそれを否定し、その問題にふたをする。そして、森内閣は倒れ、小泉内閣が誕生した。自民党を壊すと明言した人間が同党の総裁となり、首相となったわけだが、その誕生に際して田中氏の人気が大きな力となったことは明らかだった。彼女もまた、自民党的体質を壊すと公言する自民党の人だったからである。2人の人気の秘密は、自民党のどうしようもない体質を改革してくれると思われたところにあった。田中氏は外相になって、それに猛進する。機密費の上納問題を含め、一度はふたをされたものを開けようとしたのである。腐臭漂うそれを開けられたら困るのは、外務官僚と、前内閣の官房長官としてふたをした福田氏だった。両者の父親の名前を冠して、田中氏と福田氏の争いは“第二次角福戦争”などと言われたが、私に言わせれば、機密費問題にふたをし続けようとする者と、そのふたを開けようとする者との争いだった。

そして田中氏は外国メディアのインタビューに対し、「小泉さんも首相として機密費などを使える立場になったらコロッと変わった」と述べたと報じられた。その時から首相は彼女を危険視し始め、機をうかがっていたのではないか。そうでなければ彼女も一緒に更迭する必要はない。つまりは首相も外務省の腐敗にふたをする側に与(くみ)したということである。首相は特殊法人の改革に力を入れているが、特殊法人はあくまでも官庁の枝葉であり、本体の官庁の改革なくしてそれは実現できない。田中氏を更迭して外務省の改革をとん挫させた首相の責任は大きく、その改革のゆくえは暗くなってしまった。

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[懸念されるブッシュ大統領の単純な思考と大胆な発言]
朝日新聞「天声人語」2001年3月31日

アメリカのテレビも意地が悪い。ブッシュ大統領が記者会見や各国首脳との会談に臨むと、中継カメラは付き添っているライス大統領補佐官(国家安全保障担当)の様子を何度も大きく映しだす▼ワシントンの同僚によれば、そういうときの彼女は「よちよち歩きの子を見守る母のような心配顔」をしている。大学教授だった専門家の彼女から見れは、大統領の知識はまことに頼りない。失言しないか、恥をかかぬか、と心が休まらないらしい▼大統領は今後、大がかりな記者会見をするつもりはないー先日、ホワイトハウスの報道官がそう示唆した。歴代大統領は、この建物のイーストルームで記者会見をしてきた。広い部屋に内外数百人の記者が集まり、あらゆる問題について緊張に満ちたやりとりを展開する。記者も大統領も、事前に時間をかけて準備する▼「大統領は形式ばらないことを好む」。それが報道官の説明だ。間近の開催通告、簡単なテーマ、狭い部屋、従って少数の記者、少ない質問。それで結構ではないか、というのである。もともと討論が.嫌い。質問されるのも嫌い。第一、記者という種族が好きではない▼その大統領が、つぎつぎ大胆な発言をしている。気に入らぬ国を「ならず者国家」と決めつけ、地球温暖化防止をめざす京都議定書を「われわれの経済と労働者を傷つける」から「支持しない」と言った。敵か味方か、目先の得か損かたけ。世界のリーダーたるべきなのに、その単純な思考に驚き、悲しむ▼日本の首相の像が重なる。が、こちらはいずれは辞める。あちらはこれからなのである。懸念が募る。

明日付で本欄の筆者が代わります。5年8ヵ月間のご激励、ご叱正を心から感謝します(栗田亘)▽新しい筆者は小池民男(前・夕刊「素粒子」担当)です。

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[教育基本法をなぜ変えなければいけないのか?]
朝日新聞「天声人語」2000年12月24日

教育基本法を読んだことのある人は、どのくらいいるだろうか。いわば、教育の憲法だ。その法律を<政府は見直す必要がある>と、教育改革国民会議が提案した▼新しい時代には、それにふさわしい基本法を、という理由である。同法の施行は1947年。たしかに新しいとはいえない。しかし、古いからいけない、時代に合わない、とも一概には言えまい。何はともあれ、読み返してみた▼全部で11条しかない。中身は濃厚だが、目を通す程度ならあまり時間はかからない。<われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである>などと前文にある▼続いて教育の目的、教育の方針、教育の機会均等などが記される。いちいち、もっともだ。なぜ見直さなければいけないのか、コラム子には合点がいかない。しかし、森喜期首相は長年にわたって「なぜ変えちゃいけないんですか」と繰り返してきた。早ければ来年夏の参院選後の改正をめざす、という観測もある▼たとえば、現行法には日本の伝統や文化の尊重が盛られていない、との意見を聞く。しかし、基本法を受けた学校教育法に、郷土や国家の現状と伝統を理解する、との条項があるのだから、問題はないだろう。では、なぜ見直すのか。前文は、憲法をたたえている。そのあたりが気に入らない人でもいるのだろうか▼国民会議は<今後、国民的論議が広がることを期待する>と提案する。ならば、基本法を読まないことには話にならぬ。ところが、これが簡単でない。「首相官邸」のホームページからたどることはできるが、パソコンが必要だ。国民に、法律や国民会議の議論を記した資料を配る。政府は、そこから始めるべきだろう。

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[マルセ太郎の箴言] 本間健彦編著「人間屋の話」(街から舎)より序文
「人間屋を代表して一言」マルセ太郎
2000年11月1日

保守とか革新とかいうが、いまの日本にそんなものありやしない。あるのはホンモノかニセモノかである。もっといえば、人格的に卑しいか卑しくないかであると考える。たとえば、権力者、その周辺を取り巻く知識人といわれる人の中に、現憲法を改正して日本も軍備を持つべきだと(実際には持っている)主張するのが多い。それはそれで、意見としてきくことはできるだろう。ところが彼らのほとんどが、「南京虐殺」は捏ち上げ上げだと否定するのはなぜか。こうなると意見でもなんでもない。ただの反動である。さらにいえば、憲法第九条があっても現実には軍備を持っているのに、やかましく「改正」をあおるのは、変えないとできないことがあるからである。それは徴兵制だ。そのことを彼らは表面に出さない。そのうち出してくるのだろうが。

いま東京都知事の石原慎太郎の勢いが盛んである。彼の言動を見ると軍靴の音がきこえてきてならない。「おれは中国なんていわない。シナといってどこが悪いんだ」とイキがっている。まるでガキだ。そんな彼に「強さ」を感じて、百二十万も票を入れた都民にも絶望的になる。シナといってどこが悪い?簡単なことじゃないか。相手が嫌だといっているのだ。だったらそう呼ばないのが常識ではないか。

若い人の間では、1923年(大正12年)の関東大震災のことを知る人は少ないだろう。震災の混乱の最中に、軍人をもまじえた自警固とかいう暴徒によって、左翼とよばれた人や、朝鮮人六千人が虐殺されたのである。朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマが流されたのだ。誰がそんなデマを流したのか。僕はあえて言う。石原慎太郎みたいな奴である。だってそうだろう。彼は言ったではないか。「もし東京に地震が起きたら、不法入国の三国人が何を仕出かすか分からない。そのときには自衛隊に出動してもらいたい」と。日本人のアジア人蔑視は度し難い。

しかしあの関東大震災のときに、立派な日本人がいたのである。僕も六年ほど前、エッセイスト朴慶南(パクキョンナム)氏の著書『ポッカリ月が出ましたら』(三五館刊)で初めて知ったのだが、当時神奈川県鶴見警察署長であった大川常吉氏のことである。大川さんは、暴徒に追われて逃げてきた朝鮮人三百人を近くのお寺に保護した。棍棒など得物を持った暴徒が千人も増え、彼らは朝鮮人を引き渡せと強要するのだが、大川さんは一歩も退かなかった。毒を入れたという井戸水を持ってこさせ、それを飲んで見せ、どうしてもきかぬなら、「おれを殺してからやれ」と体を張った。勇気のある人である。おかげで三百人は無事汽船に乗ることができ、生命を助けられたのである。そのときの大川さんの行為を讃えた碑が、戦後在日朝鮮人によって建てられ、いまも鶴見区の東漸寺にある。きけば二、三年ほど前、亡き大川常吉さんのお孫さんが金太中大統領の招待をうけ、祖父への謝意を送られたそうである。

戦後歴史学は「自虐史観」であり、それでは日本人の誇りが持てないと、侵略戦争を否定した教科書をつくりつつある西尾幹二や小林よしのりに言いたい。大川常吉さんのような人物こそは日本人の誇りとすべきであり、決して東郷平八郎や東条英機ではない。言ってもムダか。われわれのような権力から遠い者は、一人ひとり無力かもしれない。しかし野球にたとえれば、せめて良き外野席の客になることはできるだろう。歴史をしっかり見よう。世の中には、少数派ではあるが、常に弱者への視点を失わないで闘っている勇気の人がいる。彼らを孤独にさせてはならない。外野席からでも拍手を送ろう。『街から』のようなミニコミ誌なら、それができるはずだ。

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[信念貫き通した金大統領]
朝日新聞コラム「私の見方」波佐場 清
2000年6月19日

一人のリーダーの存在感を、ここまで強く実感したことはこれまでなかった。人間の生き方、といったことについても考えさせられる。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌を訪れ、金正日総書記との間で南北の和解に道筋をつけてきた韓国の金大中大統領のことである。2年4カ月前の1998年2月、金大統領がその就任演説で、のちに「太陽政策」の名で知られる対北朝鮮政策を訴えた時、ソウルで取材していた私は、まさかそれが本当に大統領のこうした平壌訪問につながろうとは夢にも思えなかった。実際、冷ややかな反応も多かった。北朝鮮は、「結局は吸収統一をもくろんでいる」と激しく非難し、潜水艇侵入など、挑発でこたえた。韓国内では野党を中心に「北を付け上がらせるだけだ」とする反対論が巻き起こった。日本の一部の「韓国通」の間からも「金大中さんは現実主義者だから、そのうちすぐに変わるさ」といった訳知り顔の声が聞かれたのも事実である。

しかし、「太陽政策」は単なる思いつきで生まれたようなものでは決してなかった。金大中氏自身、「(朴正煕大統領の三選阻止へ挑んだ)71年の大統領選で南北間の交流を主張したことが多くの誤解を招き、歴代軍事政権の迫害を受けた」と語ってきたように、30年前から一貫して主張してきた政治信念に基づくものなのだ。それが、冷戦体制の最前線にあって「反共」を国是とした軍事政権下で「容共」とされ、死刑判決、投獄、軟禁など様々な弾圧の口実の一つにされたのだった。世界の冷戦体制が「社会主義の敗北」という形で崩れ、とくに94年7月の金日成主席の死後、北朝鮮の「崩壊論」がまことしやかに語られる中にあっても、信念は揺るがなかった。95年4月、東京の朝日新聞社ホールでの公開講演では「北朝鮮が安心して開放を行い、国際社会に参知できるよう助けなければならない」と訴えた。

今回、南北首脳会談の実現へ向けては、「変わらぬ北」に内外の厳しい批判も高まる中、日米中口など周辺国の首脳に直接、その政策への理解を求めて支持を取り付け、「韓国経済には北を抱え込むだけの能力はない」と言い切って北朝鮮を粘り強く説得して、ついに金正日総書記の心を開かせたのだった。金大統領は、金総書記あの首脳会談をいったんすませた後の14日夜、平壌での晩さん会で次のように述べた。「私が北の地を一生踏めないのではないかと悲観的になったことは一度や二度ではなかった。今日のこの感激を何に例えたらいいか」「私は過去、多くの迫害を受けた。しかし何者も南北の和解と協力、そして統一に献身しようとする私の気持ちをくじくことはできなかった」金総書記はこれを、どう聞いたか。

15日夕、ソウルに戻った大統領は、平壌訪問の成果について報告した空港での演説の中で、「すべてがうまく行き、何の心配もないというわけでは決してない。ただ可能性を見てきただけだ。時間がかかり、忍耐心が必要だ」と、歓喜にわく国民に冷静さも求めた、テレビが映し出すその表情は、平壌にいるとき以上に、険しく見えた。南北共同宣言の真価が問われるのはこれからだ。歴史を見据え、自らの信念に生きる金大統領のたたかいはまだ、続く。

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[一国の首相が赤ちゃんとは]
早野 透(コラムニスト)thayano@clbAA.com
ポリティカにっぽん 朝日新聞2000年6月6日

いつも俗世の政治を追いかけているものだから、たまには勉強もしてみたいと、東京女子大で開かれた丸山真男文庫記念講演会に出かけた。5月31日だった。壇上は福田歓一氏、76歳。お元気な様子だ。東大の政治学の教授として丸山氏の十年後輩で、演題は「丸山真男とその時代」である。ちなみに東京女子大には1996年に亡くなった丸山氏の蔵書1万7千3百冊、ノート類多数が寄贈されている。戦前、若き丸山氏が自由主義の言論人長谷川如是閑の講演を聞きにいったら特高警察に捕まったこと、そこで「如是閑なんて戦争が始まれば真っ先に殺される男だ」とどなられたこと、そして軍国主義の足音が高まる時期に学究生活を始めた丸山氏が、一番苦しんだのが心の中の「国体」だったというのが福田氏の話の内容である。

◎「国体」は「神の国」

戦後民主主義の思想的リーダーだった丸山氏にして、敗戦を経てようやく突き破った壁、「国体」とはつまり何だったのだろう…。福田氏の話に耳を傾けながらふと思い当たったのは、これはいってみれば、森喜朗首相の「天皇を中心とする神の国」だなということだった。戦前の治安維持法では、この「国体」を変革する結社の指導者になると死刑にも処せられる。だが、それだけではない、天皇制は人々の心に食い込んで、「国体」とはオウム真理教のマインドコントロールのごとくだった、とこれは生前の丸山氏から最後に聞いた話である。6月3日、森首相の初の選挙遊説のとき、共産党が政権参加したら「どうやって日本の安全を、日本の国体を守るととができるんだろうか」と述べたというニュースは、あんまりドンピシャリなのでびっくりしてしまった。森首相はこの言葉の前に、「(共産党は)天皇制は認めないでしょうし、自衛隊は解散でしょう。日米安保も容認しないといっている」と言っているから、「国体」は「天皇制」を指していることは疑いない。「天皇を中心とする神の国」の「天皇」は象徴天皇のことだと言い抜けたけれど、「国体」は戦前の天皇主権の独裁国家以外の意味がありようがない。これを「失言ではない」とは、この人の頭の中は真っ黒なのか、それとも真っ白なのか。一体これに共産党はどう答えるのか。森首相に指摘されるまでもなく、戦前、共産党が一番「国体」と対決し弾圧を受けた勢力だったことは確かである。4日の日曜日、ちょうど新宿駅で不破哲三委員長の街頭演説があるというので見にいってみた。演説を旭川、仙台、名古屋、京都、大阪で同時にテレビ中継するどいうのだから、街頭演説も進んだものである。ところが演説会が始まるやいなや、右翼団体の街宣車が近づいて、すさまじいボリュームで君が代などを流し始めた。不破氏がほぼ一時間にわたって、自民党政治の行き諸まりと日本改革のプランを語っている間、ずっとそんな具合だから、あたかも共産党が君が代のBGMで演説しているようである。各地でテレビ中継を見ていた人は、そんな錯覚を覚えたのでは。

◎アナクロな選挙に

警察も引き離そうとしたようだったが、これほどの妨害は選挙取材でも見たことがない、ひどいものだった。右翼の街宣車の一つには、「国体護持」「日本人は天皇陛下を中心に団結せよ」などと書いてある。森さん、森さん、あなたのおかげでえらくアナクロ(時代錯誤)な選挙になってしまいそうですよ。自民党の野中広務幹事長は「せっかく一国のリーダーとして選んだわけだからもう少し温かい目で見守ってやろろという気持ちが欲しいなあ」と本紙のインタビューに答えている。できれはそうしたいと思うけど、もし裁判官の国民審査のような首相審査があれば、○よりもXが圧倒的に多そうである。そういう制度になっていないのを、喜ぶべきか悲しむべきか。野中氏は森首相を「まだ生まれたばかりの赤ちゃんだから。最初から円滑にいくことはないと思う」とかばってもいる。ありゃあ、森さんは赤ちゃんなんですか。赤ちゃんが一国の首相とは!?

[天皇を中心としている神の国という発言] 朝日新聞「天声人語」2000年5月26日

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