ドクターちゃびんの活動
その他の文章

[支えあい、分かち合い、ともに生きる] より暖かい社会をめざして 緩和医療学 2006年10月号
[ポッと出症候群] 医療現場から 看取り(見真2006年9月号)本願寺広島別院・安芸教区教務所
[傾聴(けいちょう)] 医療現場から 看取り(見真2006年8月号)本願寺広島別院・安芸教区教務所
[2.5人称の視点] 医療現場から 看取り(見真2006年7月号)本願寺広島別院・安芸教区教務所
[歴史と文化の町に場外馬券売り場をつくることに反対します] 2003年秋 福山市民オンブズマン会議幹事 数野 博
[編集後記「自分を誉めたい」] ふくやま医師会広報 No.115 AUG'96(1996.8.31)
[福山支部だより「緊急救援医療活動の現状と将来方針」] 岡山医学同窓会報1994 76号
[動脈にできるコブ「動脈瘤」の手術] 「みちしおだより」第14号 1985年4月1日
[医療に対する考え方を広島県保険医新聞に書いた記事]

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[支えあい、分かち合い、ともに生きる] より暖かい社会をめざして
緩和医療学 Vol.8 no.4 2006(10月号)

はじめに

個人的な感想ですが、山陽路の瀬戸内沿岸という温暖な気候に恵まれ、災害の少ないこの地域で生活する人たちは、大変保守的で変革を好みません。新しい文化や先進的なものを受け入れがたいこの地方では、今だに告知もされないまま病院の個室でひとり寂しく旅立つ末期癌の人たちも多く、担当医と家族だけの相談で安楽死に近いことも行われていると聞きます。このような環境のなかで、昨年(2005年)3月に福山市内の病院で延命治療中止としての「呼吸器外し事件」が起きたのだと思います。しかし、考えてみると同様のことは日本各地で繰り返し起きていて、全国的な現象ではないかと思われます。このような状況を少しでも変えなければいけないと、全国50ヵ所以上で「生と死を考える会全国協議会」に加盟しているグループが地道な活動を続けているのです。そのなかの一団体として「びんご・生と死を考える会」の活動について紹介させていただきます。

1.会のおいたち

私たちの会は「生きがい療法」*を福山で実践するために、1993年(平成5年)に癌患者と家族・ボランティアの集まり「あすなろ会」として発足し、1998年に会の名称を「びんご・生と死を考える会」と変えて再出発しました。「びんご・生と死を考える会」は、誰もが生とに死ついて、共に学び、考え、伝え、行動することを目指しています。そしてあらゆる喪失に伴う悲嘆に寄り添うことを通して、人間を、生きることの意味を探る場を作ろうとしている市民の集いです。

2.活動方針

次の四つを活動の柱としていますが、ABCは全国協議会加盟団体の共通した活動です。
(1)がん患者と家族への援助(あすなろ会) ひとりで悩まず、生きがい療法などを学んで支え合います。
(2)別体験者への援助(ひまわりの会)   ひとりで悩まず、家族など身近な人を亡くした気持ちを分かち合います。
(3)ホスピス運動    患者と家族を中心としたチーム医療で、自分らしい人生の完結を支援します。
(4)死への準備教育   誰もが必ず迎える死について考えることで、自分らしい生き方を学びます。

3.組織と活動内容

会の活動は、図1のような組織を編成して行っていて、すべてボランティアによって運営されています。
1)ピア(同じ立場の人)活動
同じ立場の人がルールに基づいてさまざまなことについて話し合います。話をして、聴いてもらうことによって、心のケアがはかられるようにします。現在、がん患者と家族の「あすなろ会」と死別体験者の「ひまわりの会」として定期的に活動しています。
2)ホスピス運動
ホスピスボランティア養成講座を開催したり、ホスピス基金を設置・運営して、福山に患者さんと家族を中心としたケアを行うホスピスシステムを作ることを目指します。
大きく出遅れていた広島県の緩和ケアは、広島市での在宅ホスピスの先進的な活動と市民運動の盛り上がりに後押しされ、実現しなかった県立がんセンター構想を引き継いだかたちとなった緩和ケア支援センターの開設で新たな展開をみせ、現在県内では10施設の緩和ケア病棟150床余りが登録されています。
2004年に開設された広島県緩和ケア支援センターは、地域の緩和ケアネットワークづくりのための専門研修やアドバイザーの派遣など、地域に根ざした緩和ケアの拠点として積極的な活動を展開しています。この日本で初めての試みは、経験豊富な本家好文センター長や阿部まゆみ緩和ケア支援室長が中心となって順調にスタートしています。
私たちの願いがやっとかなって、今年(2006年)の4月に福山市民病院の緩和ケア病棟が活動を始めました。岡山の「かとう並木通り診療所」から赴任された古口契児緩和ケア科長は、緩和ケア病棟内での完結ではなく、地域完結型の緩和ケアを目指すとして、地域緩和ケア連絡協議会と連携してのチーム編成(図2)を試みています。また緩和ケア外来のほかに、電話相談も開設していて、今後この地域の緩和ケアの窓口となることが期待されています。

3)定例講演会
年間テーマを決めて奇数月に行っています。講師はテーマに応じて、会員からの希望などを参考にして決めています。今年度のテーマは「スピリチュアルケア」で、昨年度のテーマは「死への準備教育」でした

4)心と命のつどい
おもに宗教、福祉、教育、環境などの分野で、講師の話を聞いて、みんなで学びます。昨年までの8年間は、ある地元の僧侶が仏教入門講座として「仏陀の生涯」と人間学講座として「渋沢栄一の生涯」を話してくださいました。

5)心あたたかな医療110番
2000年から遠藤順子さん(故遠藤周作氏夫人)の依頼を受けて、「心あたたかな医療110番」という医療福祉の相談窓口を開設して、会のホームページで相談を受け付けています。相談内容は多岐にわたりますが、家族として闘病者とどのように接したらよいだろうかという相談が多いようです。必要な人に、必要な時に、必要な情報を提供できるシステムがない現状で、ひとりで悩んでいる人たちに少しでも役立ちたいという気持ちから、役員が分担して相談に答えています。

6)会報の発行

年3回定期的に会報を発行しています。役員の中から編集委員を選んで、メイルを使って編集作業を行っています。印刷や発送の作業も、役員で協力して行っています。

おわりに

本稿では、福山市を中心とした備後という地域での「生と死を考える会」という市民の会の活動状況を紹介させていただきました。今年で14年目を迎えた会の活動は、やっと市民のみなさんの理解を得られるようになってきたと思いますが、これからも「びんご・生と死を考える会」は、命を尊重する社会、年寄りが尊重される社会、人間らしく生きることができる社会、人間らしく死ぬことができる社会、死別体験者を支える社会、つまり、より暖かい日本の社会を築くということを会の使命として、支え合い、分かち合い、共に歩みながら活動を続けたいと思います。

*生きがい療法:倉敷市の伊丹仁朗医師が提唱する心身医学的療法。目標を持つ、前向きな生き方を通し、闘病の意欲を引き出します。
図1. 「びんご・生と死を考える会」の組織図
図2. 福山・府中地域緩和ケア連絡協議会の緩和ケア推進チーム編成

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[ポッと出症候群]
医療現場から 看取り(見真2006年9月号)
本願寺広島別院・安芸教区教務所 見真発行所

いま日本の医療・福祉は崩壊しつつあります。医療・福祉が崩壊するということは、社会が崩壊するということです。毎日のように報道される悲惨・残忍な事件や、交通事故死の3倍以上の自死(自殺)など、社会の崩壊が続いています。医療現場の状況も、医師が過労と責任の板ばさみで自らの命を絶たなければならないほどなのです。

「医療費の適正化」と言って医療費を削り人手も減らし、「社会的入院の是正」と言って病人や高齢者を病院から追い出し、在宅医療へ移行させようとしています。社会的入院の原因となっていた核家族化や「うさぎ小屋」と言われた住宅事情が大きく改善したわけではなく、老人ホームやグループホームなども在宅と見なし、高齢者用のアパートなども含めて「在宅もどき」での看取りを推進させようとしているのです。

私たちは医療の目的や最終目標が何なのかということを見極めなければいけません。それによってとるべき方法やそこに至るまでの道筋を決めることができます。その過程は山登りと同じだと思います。頂上を目指す人もいれば、8合目や5合目を目標とする人、最初から登らずに山のふもとで過ごそうという人など、目的は頂上に登ることだけではありません。そして決めた目標に至るまでの道筋も、目標に向かってまっすぐ登る急な道もあれば、回り道をして緩やかに登る道もあり、花や景色を楽しむ道もあるのです。

人生の最期をどこでどのようにして迎えるのかということを決める場合も同じです。本人と家族の意思や希望を尊重しつつ、医療関係者や福祉関係者などの専門家を含めて、それを支える人たちが意見を出し合って、利用できる制度や居り場所を決めることになります。その過程で大切なのは、それにかかわる人たち同士の話し合い、つまりコミュニケーションなのです。

しかし本人と家族を中心として、かかわっている人たちで話し合って決めたことが、突然ポッと現れる遠くの身内の一言で壊されてしまうことがよくあります。

看取りの段階でも皆で決めたことを「なぜそうするのか」とか「なぜこうしないのか」とか、さも本人のためのように言い立てる人がいます。日本でのホスピスケアのパイオニアの柏木哲夫さんは「その怒り 自責の念の 裏返し」という川柳を作って「ポッと出症候群」と名づけました。納得して真面目に生きている人たちに、突然出てきて○○のためだと無理やり改革を押し付けるやり方は、まさに「ポッと出症候群」ではないでしょうか。

数野 博(かずの ひろし)
ちょう外科医院(福山市)院長 びんご・生と死を考える会会長

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[傾聴(けいちょう)]
医療現場から 看取り(見真2006年8月号)
本願寺広島別院・安芸教区教務所 見真発行所

ホスピスは、患者さんと家族を中心としたチーム医療を行って、その人の人生を最後まで支えるためのシステムのことです。欧米では在宅ホスピスが主体です。ホスピスでは、あらゆる痛みや苦しみをとるということと、決してひとりにしないということが医療とケアの原則です。

痛みや苦しみには、身体的なもの、心的なもの、社会的なもの、そしてスピリチュアルなものがあります。たとえホスピスでの十分な医療やケアを受けていても、人は死にたいと訴えることがあります。そのような訴えを聞いた人は、「どうしてそう思うの?」と聞き返すことが教科書的な対応とされています。

しかし、そのような対応をされた人は、自分の気持ちをわかってくれていないと思うかも知れません。

人は自分の存在意義を失った時に、死にたいと思うのではないでしょうか。そして、人は3つの存在で支えられているといわれます。それは時間存在、関係存在、そして自律存在の3つです。

時間存在とは過去から未来へと続く現在を生きているという存在のことで、たとえ不治の病で未来がないとわかっていても、自分の過去を振り返ることで新しい未来を考えることができるかも知れません。関係存在とは他者から与えられる自分の存在で、自分がだれかに支えられていると感じることです。そして自律存在とは自分で決めることができるという存在のことです。人は、これらの支えを失った時に、生きている意味を見失って、死にたいと思うのではないでしょうか。

このような支えを失った人に対して、失った支えの再構築を援助することができます。しかし、死にたいと思っている人に、なぜそう思うのかということを聴いて、その人の気持ちを理解することは大変難しいことです。なぜ自分がこのような病気にならなければいけないのか、なぜ自分がまもなく死ななければならないのかなど、死にたいと思う理由についての問いかけに対しては、むしろ答えることのできない場合が多いと思います。それが患者さんにとってのスピリチュアルな痛みや苦しみなのです。

そのような痛みや苦しみを理解するために必要なのが、その人の話を聴くということです。話を聴いてもらうことで、聴いてくれた人が自分の気持ちを理解してくれていると感じた時に、その人は大切なものや新たな希望を見つけることができるかも知れません。それが“傾聴”であり、ホスピスケアで大切なことのひとつなのです。

数野 博(かずの ひろし)
ちょう外科医院(福山市)院長 びんご・生と死を考える会会長

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[2.5人称の視点]
医療現場から 看取り(見真2006年7月号)
本願寺広島別院・安芸教区教務所 見真発行所

私が医者になった当時は、まだ癌告知などもされておらず、本人の意思は無視されて、医者と家族だけで治療が決められていました。そのような状況のもとでは、末期癌の患者さんは体の不調や苦痛を訴えても「がまんして」とか「がんばって」などというむなしい言葉が返ってくるだけでした。

それはおかしいと考えた私は「患者さんの気持ちを聴く」、そして「うそはつかない」ということを基本とし、「患者さん中心の医療」を医者としての理念としました。それを他の医療職の人には「患者さんを自分の身内だと思っての医療」と伝えていましたが、ある婦長さんから「それは無理で“身内半”くらいが適当」と言われました。それはまことに的を射た指摘でした。

ノンフィクション作家の柳田邦男さんは、人の死には関係性の中での死という重要な側面があると指摘して、「一人称(私)の死」「二人称(あなた)の死」そして「三人称(他人)の死」という言葉を提唱されました。そして医療者は患者さんの死を単なる「三人称の死」としないで、「二・五人称の関係性」を重視することを提案されています。柳田さんの著書『緊急発言 いのちへ氈xの中で、次のように示されています。

「二・五人称の関係性」あるいは「二・五人称の視点」というのはどういう意味かというと、医療者というのは、ある客観性を持って患者を診なければいけない。しかし、それは冷たく突き放す客観性ではなくて、その死にゆく人に対してよりよい最期の日々のためのお手伝いをし、家族にとってもいい別れの形をつくってあげなければならない。そこにおいては、人間性豊かなかかわり合いが必要になってくる。それは二人称に限りなく近づくわけだけれど、しかしどっぷり二人称になってしまうと、冷静な判断と正しい処置ができなくなる。よく自分の子どもの手術はできないと外科医が言いますね。それと同じで、本当に二人称の関係性になってしまったら客観性が保てなくなる。そこで二人称の手前で止まっておくのだけれど、しかし冷たい三人称ではなく二人称の立場を共感的に理解するという意味で、「二・五人称の視点」という新しい用語と概念を提案しているわけです。

私はこの考えをもとにして、少ない患者さんですが在宅での看取りを行っています。

数野 博(かずの ひろし)
ちょう外科医院(福山市)院長 びんご・生と死を考える会会長

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歴史と文化の町に場外馬券売り場をつくることに反対します
2003年秋 福山市民オンブズマン会議幹事 数野 博

1)みなさんご存知のように場外馬券売り場が計画されている所の近くには、地元の町医者で文化人だった窪田次郎という人が明治三年に私財を投じて「啓蒙所」を設立したという歴史的な場所があります。啓蒙所は男女、貧富を問わず七歳から十歳までの子供に無償で普通教育を受けさせる施設で、明治政府はこの啓蒙所を見学して学令法の発布を決めたのです。そのとき福山にはすでに八十三の啓蒙所があって、五千九十五人の子供達が学んでいました。このようなことから「日本の小学校教育は福山より始まる」と言われているのです。もっとさかのぼれば江戸時代の後期に菅茶山が開き頼山陽も教えたという廉塾という学問の府があった町なのです。神辺町・神辺町観光協会がつくったパンフレットの表紙にも「文化の香りあふれる歴史のまち−神辺−」と書いてあるではありませんか。そのような歴史と文化の町に場外馬券売り場がふさわしいでしょうか。誰のために場外馬券売り場をつくるのでしょうか。

2)みなさんご存知のように広島県は教育県として有名な県でしたが、今や全国最低レベルを競うような状態になっています。県や市町村の学校教育が悪くなってしまったことが最大の原因ですが、子供をとりまく町の環境が悪いのもひとつの原因ではないでしょうか。ギャンブル天国の日本と言われるくらい、我が国では私営・公営のギャンブルが町に溢れています。ギャンブルで有名なラスベガスは、一年三百六十五日、二十四時間ギャンブルができる町ですが、広いアメリカでも自由にギャンブルのできる町は他にないのです。もともとギャンブルは非道徳的・非教育的なものとして、色々な規制を受けていると思います。とても真面目な人間がするようなことではなく、日本の将来をになう子供たちが手本としてはいけないもののひとつだと思います。将来ある備後の子供たちの身近に場外馬券売り場をつくることがよいことでしょうか。誰のために場外馬券売り場をつくるのでしょうか。

3)みなさんご存知のように日本の国の財政はすでに破綻に近い状態です。福山市も例外ではありません。多額の借金をしながら市は住民のためにと言って税金を使って色々な仕事をしています。ところが競馬事業はすでに経営が行き詰まってしまっていて、いつやめるべきかということが議論されるくらいです。続けるだけ赤字が増えてしまうのです。これからの社会は今までのようにすべてが右肩上がりの時代ではありません。逆にすべてが右肩下がりの時代なのです。バブルに狂った時代はもう来ないのです。大量生産・大量消費の時代は終わり、税金のムダづかいとなる大きな施設や大きな事業はいらないのです。少子高齢化で人口も減ってくる社会では、量より質が問われ、人や文化やものを大切にする時代が来ます。何よりも教育や環境や福祉に力をいれなければいけないのです。私たちの町をよくするために場外馬券売り場を増やして競馬を続けることがよいことでしょうか。誰のために場外馬券売り場をつくるのでしょうか。

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編集後記「自分を誉めたい」
ふくやま医師会広報 No.115 AUG'96(1996.8.31)

猛暑の中での夢の祭典・アトランタ五輪も、有森選手の素晴しい笑顔と「自分を誉めたい」というさわやかな言葉を残して終りました。さて、日本の現実はというと、あまり明るい話題はないようです。最近発刊された岩國哲人著「勇なきリーダーが国を減ぼす」という本を読み、行き詰まった日本の現状を再認識しました。国の財政はいまや危機的状況であるにもかかわらず、政府の対応は相変らず「税収を増やし、予算を削減する」という姑息的な対症療法に終始し、大胆な改革は行われないようです。住専問題にしても薬害エイズ間題にしても、汚職から国政まで誰も責任を取らず先送りするという体質は変りません。医療に関しても大変厳しいリストラが要求されており、連日のように医療費抑制のための情報がマスコミを利用して流されています。医師の社会的影響力の低下を背景にして、暗に不必要で不適切な医療が医療費増大の原因であるかのように世論を誘導しようとしています。経済大国の名に相応しい社会保障制度を整備することが国の責任であり、医師は患者・国民の「心と身体と命」をまもる専門職として、常に医師として人間としての研鑽を怠らず、自律・自浄作用を発揮できる集団を目指したいものです。新指導大綱の導入を機に検討されているPeer Reviewによる審査・監視制度についても、アメリカの轍を踏まないようにしなければなりません。本号では新しい企画を盛り込み、親しみやすい医師会広報を目指しました。多忙な診療の合間にお楽しみ下さい。(広報委員・数野 博)

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福山支部だより「緊急救援医療活動の現状と将来方針」
47卒 数野 博
岡山医学同窓会報1994 76号(1994年4月1日)

平成五年八月二十六日(木)岡山大学医学部同窓会福山支部総会が午後七時より福山グランドホテルで開催されました(出席者六十八名会員数三十一名)。総会は、支部長の藤井千秋(昭十五卒)先生の挨拶で始まり、加藤尚司(昭三十八卒)先生の庶務報告、多田暁(昭三十六卒)先生の会計報告、新入会員の紹介の後、同窓会事務局長の武本忠夫さんから医学部の近況の紹介がありました。

特別講演は、地元出身の菅波茂(昭四十七卒)先生に依頼したところ、快く引き受けて下さり、「緊急救援医療活動の現状と将来方針」と題して約一時間スライドなしで行われた。備後福山藩の生んだ江戸時代の学者兼詩人であり、黄葉夕陽村舎(のちの廉塾)の創始者である菅茶山の末裔という血筋のせいか、菅波先生は、学生時代から国際的視野を持ち卒業後も紛争国や発展途上国での医療援助に活躍してこられたドクターです。今回は、アジア医師連絡協議会(AMDA)の代表として、国際活動の豊富な実践に基いて、年間三億円の予算と三〇〇人の医師による国際緊急医療活動の最前線での活躍の現状や、各国の医師団あるいは政府との駆け引きや国連とのかかわりあい、日本政府の金の使い方など、長年苦労した体験談から裏話まで日常の診療とは異なるスケールの大きな国際舞台での経験を拝聴し、会員一同深い感銘を覚えました。さらに人権、環境、多様性の共存をテーマとして、広島・岡山・沖縄を拠点とした活動を展開したいとの抱負を述べられ、各地医師会も国際的活動に貢献してほしいと我々にも奮起を促す口調で講演を結ばれました。

磯田義明(昭十五卒)先生の乾杯の音頭で懇親会が始まり、義援金のカンパあり、新入会員の自己紹介あり、椅子席でのパーティーは日頃お疲れの会員には有難く、紛争国の人々や食糧不足に悩む国々のことをおもんばかり肥満気味の会員にはカロリー制限を推奨するために、御馳走のボリュームが控え目にしてあるように見えました。昔話に花を咲かせる人、今日の話題を続ける人、もっと食べたい人、それぞれ夜の福山の巷へと流れて行きました。司会者のざっくばらんな進行となごやかな雰囲気づくりが、昭和十三年卒業から平成五年卒業までの五十五年間をさわやかに連結しているように感じました。

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[動脈にできるコブ「動脈瘤」の手術]ーみちしお友の会の善意の供血に感謝ー
かがわ献血だより「みちしおだより」第14号 1985年4月1日
香川県赤十字血液センター発行

昨年の秋、大動脈瘤の患者さんが手術を受けることになりましたが、血液型がA型Rh(一)のために必要な血液を集めることができずに困っておりました。心臓手術でいつもお世話になっている赤十字血液センターに御相談致しました所、「みちしお友の会」を御紹介下さり、「友の会」の皆様の御協力のおかげで患者さんは無事手術を受けることができて、元気に退院されました。御協力頂きました皆様にお礼申し上げるとともに一般の方々にはあまりなじみのないこの病気について知って項くためにこの機会を与えて頂きました。

医学の進歩に伴って、大量の血液を必要とするような大手術も比較的安全に行われるようになってきました。大動脈瘤の手術もその一つで、最近手術を受ける方が増えてきています。心臓から送り出された血液は、動脈の中を流れてからだのすみずみまで酸素や栄養を運び、静脈を通ってまた心臓に帰ってきます。心臓から出てすぐの動脈は、からだの中でも一番太く、大動脈と呼ばれています。心臓から出た大動脈は背骨の左前を胸から腹へと走っていて、成人での正常の太さは心臓の近くで約3cm、臍のあたりで約2cm、全長は約50cmです。この大動脈の壁に弱い部分ができると、内部の血圧のためにふくれてコブのようになり、やがては破れます。この病気が大動脈瘤といわれていて、原因はほとんどの場合が動脈硬化です。動脈硬化は、また狭心症や心筋梗塞などの心臓病、脳出血や脳梗塞などの脳血管障害、脱疽などの原因でもあります。つまり大動脈瘤も成人病や老人病の一つで、60-70歳代に発生することが多く、破れた場合には致命的となるため、発見されたら早く手術をする必要があります。手術はコブになった部分を布でできた人工血管ととりかえるわけですが、とりかえなければいけない部分が長い場合や、心臓に近い場合には大きな手術となり、大量の血液や血の流れを一時的に止めるための補助手段が必要です。大動脈瘤の中でもある日突然、大動脈の壁が2枚にさけて弱くなり、ふくれてくる解離性大動脈瘤は、激しい痛みを伴い、下に向かってどんどんさけていきます。急いで手術をしなければいけませんが、なかなかむずかしい手術です。一方、最も一般的な腹部大動脈瘤は臍のあたりにできることが多く、胃や腸の手術と同じ位の安全性で手術ができます。しかし、動脈瘤はひとたび破れると、大出血を起こして命を落とすことが多く、破れてからの手術には大量の血液を必要とし、たとえ手術が成功しても色々な障害のために助からないこともあります。香川医科大学附属病院でも開院以来、皆様の御協力のおかげで大量の血液を必要とする心臓や大動脈の手術を行ってきております。特に昨年秋に行ったA型Rh(一)の血液型の患者さんの解離性大動脈瘤の手術は友の会の方々の御協力がなければ不可能でしたし、大動脈瘤が破れてから緊急手術を受けた2人の患者さん(いずれも70歳)も十分な血液のおかげで、幸いにも救命することができました。これからもこのような手術を受けなければならない人が増えるものと思われますが、皆様の貴重な血液で1人でも多くの人が救われますように、我々もまた日夜、診療や研究に努力致しておりますので、今後とも御協力下'さいますようにお願い申し上げます。(香川医大第1外科講師 数野 博)

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