[福祉]

憲法第25条
(1)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。→日本国憲法

(2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

[「生活保護行政」北九州市を苦い教訓に] 朝日新聞 社説 2008年1月20日
[介護殺人] 一人で悩ませない対策を 朝日新聞 社説 2006年2月22日
[年金改革「北欧型福祉こそ特効薬」自律と連帯根幹に] 奥田昭則 毎日新聞「記者の目」2004年7月8日
[せめてヨーロッパ並みの社全保障に] 保団連会長 宝生昇 月刊保団連2004.1 No.803 巻頭言「道」
[スウェーデン型福祉社会の理念・安心と公正] 〈完全雇用〉がスウェーデン福祉の前提(早稲田大学オープンカレッジ)
[高齢者「弱者ではない」は本当か] 西村周三 朝日新聞「私の視点」2001年5月25日
[福祉が経済を正す時] 毎日新聞社説 1998年8月26日
[一生一度の学び] 朝日新聞 天声人語 1990年秋

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「生活保護行政」北九州市を苦い教訓に
朝日新聞 社説 2008年1月20日

生活保護に税金をなるべく使わないようにする考えが、「DNAのように職員に梁みついている」。自ら設けた第三者委員会からそう厳しく批判されたのは、北九州市である。なにがなんでも生活保護の支給を抑えようというのだから、この街に住む人たちはたまったものではあるまい。第三者委員会は、生活俣護を受けられなかったり、打ち切られたりした男性3人が相次いで孤独死した事例を検証した。委員会が先月まとめた最終報告を読むと、市がどんな方法で保護費を滅らしていたのかがよくわかる。

第一の方法は、「申請したい」という人が窓口に来ても、あれこれと理由をつけ、申請書を渡さないことだ。相談に来ただけ、として処理する。これが悪名高い「水際作戦」と呼ばれるものだ。門司区の50歳代の男性は2度も福祉事務所に出向いたのに、申請書をもらえず、ひっそりと独りで亡くなった。自立するよう求め、生活保護の辞退をしつこく迫るのが第二の方法だ。死後ーカ月で見つかった小倉北区の50歳代の男性はこのケースにあたる。けっきょく辞退届を出した。だが、担当の職員はそのあとの就職先や収入の見通しを尋ねることさえしなかった。第三が数値目標だ。60年代から05年度まで、各福祉事務所は年度初めに保護費を抑える目標を立てていた。北九州市は石炭産業の衰退の影響をまともにかぶり、生活傑護を受ける人の割合がかつては全国一だった。それがいまでは、保護率は政令指定市のなかでも下位に落ちた。それどころか、指定市の保護率が軒並み上がり続けるのをよそに、横ばいを保っている。北九州市は全国のモデルとして、厚生労働省から高く評価されてきたのだ。

厚労省が監査で北九州市の問題点を指摘したのは昨年末である。過ちを見過ごしてきた厚労省の責任も免れまい。つい最近まで省内では、生活保護の水準を引き下げるかどうかが検討されていた。だが、いまは引き下げなどを考えるのではなく、保護を必要とする人にきちんと支給することが先決だろう。最終報告は、北九州市内で保護受給中に孤独死した人が半年間で24人いたという事実も指摘した。生活保護だけでは救えない孤独死の対策に取り組まねばならないのは、他の自治体も同じだ。

一方で、収入を少なく申告するなどの手口による不正受給も後を絶たない。厚労省によると、06年度の不正受給は前年度に比べて2200件増え、金額は約19億円上回る約90億円にのぼった。北九州市が保護費を抑えにかかったのも、もとはといえば、暴力団員などの不正受給が目立ったからだ。生活保護の不正受給にいっそう目を光らせるとともに、本当に生活に困っている人の命綱にする。各自治体は、そんな当たり前の行政をしてもらいたい。

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[介護殺人] 一人で悩ませない対策を
朝日新聞 社説 2006年2月22日

認知症の義母を介護する日々を描いた映画「折り梅」の入場者が120万人近くに達している。公開から4年になっても全国で自主上映会が続く。映画は重い場面が続く。自分の病気に気づき衝撃を受ける義母、支えてあげたいと思いながら義母のふるまいに時々耐えられなくなる嫁、そして家族が出てくる。観客は様々な場面で登場人物を自分に置き換え、見入るのだろう。

老いをどう迎え、支えていくか。このむずかしい問題で、時には取り返しのつかない事件に至ることもある。名古屋市で、当時74歳だった認知症の妻を殺した68歳の夫が、懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受け、その4日後、市営住宅の5階から飛び降りて自殺した。先月のことだ。妻は2年ほど前に発症した。子供はなく、夫が1人で介護していた。妻に肩を貸して病院へ連れて行った。妻の症状は進み、最後は食事もとらなくなった。夫は介護保険を使って、ヘルパーを頼むなり、施設に移すなりすべきだった。担当医からもそう勧められていた。だが、「金がかかる」と拒んだ。介護に疲れ果て、気持ちの余裕がなかったのかもしれない。

介護保険は使ったサービスの1割を払わねばならないが、年収266万円以下なら上限は月2万4600円に抑えられている。自治体によっては、さらに補助制度もある。だれかが親身に相談に乗っていれば、と思わずにはいられない。人手を借りても妻の症状が和らくわけではない。症状が進むことに暗い気持ちは続いただろう。それでも、閉じこもって悩む生活は少し変わったはずだ。

介護の末に家族を殺す事件は珍しくない。4月から高齢者虐待防止法が施行されるが、はじめは親身に介護していてもストレスのあまり虐待に至ることが少なくない。日本福祉大講師の加藤悦子さんが新聞記事などで被害者が60歳以上の介護殺人を調べたところ、98年から6年間で198件あった。加害者も60歳以上という老老介護が6割だった。介護者の多くは女性なのに、介護殺人の加害者は7割以上が男性だ。男性は不慣れな家事や介護でよけい思い詰めてしまうのだろう。自分から助けを求めることが苦手な人も多い。

介護で悩んでいる人には積極的に手を差しのべることが必要だ。昨年6月に介護殺人事件の起きた大阪府藤井寺市は、老老介護の世帯を職員が訪ね始めた。こうした試みをもっと広めたい。医師や民生委員、自治会役員らが連絡を取り合うことも急がれる。介護者同士が交流することも大切だ。「折り梅」の原作の手記を書いた愛知県豊明市の主婦小菅もと子さん(53)も交流グループの一員だ。そこで自分だけが苦しいのではないと知った。同じ境遇の人から「よく頑張っているね」と言われることが支えになるという。89歳の義母の介護はもう12年になる。

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[年金改革「北欧型福祉こそ特効薬」自律と連帯根幹に]
毎日新聞「記者の目」奥田昭則(編集制作センター)2004年7月8日

年金改革が参院選最大の争点になったのは大変良かった、と私は思っている。年金保険料に絡み国会議員の未納・未加入問題や、社会保険庁の流用問題、出生率の「1・29ショック」などが次々明るみに出て、日本の政治がいかに年金に無関心であったかを見事に示した。そして、老後不安に応える最強のセーフティーネットのはずの年金制度が、実は穴だらけだと国民の多くが初めて知った。超小子高齢社会が目前の今、絶望的状況だが、解決すべき真の問題にやっと焦点が合ってきた、という意味で希望がある。

穴をふさぎ、抜本改革をするのに何が必要か。一時の「政局」ともいえる選挙の結果を超えて、100年安心出来る「制度」設計の理念こそ最重要だ。選択肢として二つの国家像がありうると思う。すなわち北欧か、北米か。つまりスウェーデンか、アメリカか、である。私はあえて「北欧に徹底して学べ」と主張したい。外交はさておき、内政は絶対そうすべきだ。なぜそう思うに至ったかを以下に書きたい。

レーガン元米国大統領が6月5日に亡くなった。レーガン政権時代の1982年、私は米国で丸1年暮らし、中西部の白人、そして南部の黒人の家庭でそれぞれホームステイした。その感想を一言でいえば「アメリカはおもしろすぎる」。何しろ元映画俳優が大統領になり、世界一の富と豊かさの中の貧困が同時に存在し、アクション映画みたいな弱肉強食のドラマが日常茶飯事なのだから。米国を日本の内政のお手本とするのは、余りにも問題が多すぎる。良好な外交関係を維持することは不可欠だとしても、少なくとも社会保障では絶対に願い下げだ。

米国の公的医療保険システムは高齢者向けのメディケアと、貧困層向けのメディケイドしかない。他はすべて民間保険だ。そして、保険未加入の無保険者が4360万人、全人口の15%にも上る(02年)。11月の大統領選をにらんでブッシュ政権はメディケア改革を内政の目玉に据えている。

橘木俊詔・京都大教授は一世界に冠たる非福祉国家の典型として日米は共通の特色を持っている」と言っているが、同感だ。世界一の福祉国家スウェーデンを「高福祉・高負担」と非難するより「日本はアメリカをしのぐ世界に冠たる非福祉国家だ」と言った方が胸にストンと落ちる。ちなみに社会保障給付費の国内総生産(GDP)に占める割合は、スウェーデン34・7%、米国18・3%に対し、日本はスウェーデンの半分以下、米国より低い15・2%である(ただしスウェーデンは96年、米国は95年、日本は00年)。年金問題の本質は「将来不安」だと思う。政治が将来の「安心」を国民に約束できるのか、ひいては政府が本当に信用できるのか、に尽きる。この意味で1人の女性が一生に産む子供の数の平均を示す合計特殊出生率の「1・29ショック」は余りにもタイミングが悪すぎた。戦後初めて1・3を割り、過去最低。年金の制度設計で基礎となる出生率は、07年に1・30台で底を打ち、その後1・39まで回復すると想定していたから、土台そのものが揺らいだ。これは痛い。

出生率は年金法成立5日後の6月10日、厚生労働省が03年の人口動態統計として発表したが、自殺が3万2082人と、過去最多になったことも明らかにされた。これは出生率以上にショッキングな数字だ。日本は「自殺大国」で6年連続3万人以上が自殺し、約7割が男性。特にリストラや失業で絶望した中高年の自殺が急増しているのである。つまり、人の命の両端で異常事態が続いている、といえる。母となるべき女性が出産をためらい、一家の大黒柱であるはずの中高年男性は自殺。また就職できずにフリーターになる若者は晩婚化し、出産・子育てどころか自分の身の始末ができず、国民年金の保険料を払わない。老後どころかあすの自分すら見えないのに誰が保険料を払うだろうか。将来のリスクより目先のリスクにどう対処すべきかで精いっぱいなのだ。

年金はもちろん、子育て支援や雇用など国民の不安を鎮める内政の課題に最優先で取り組まないと、命が根絶やしになる。自律と連帯が根幹の北欧型福祉こそ特効薬ではないか。

では日本とスウェーデンの最大の違いとは何か。斉藤弥生・大阪大学大学院助教授は「地方分権です。スウェーデンは福祉大国とよくいわれるが、分権を徹底した政治大国だ」と話す。分権と福祉。実は一体で、政治の課題だと私は思う。

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[せめてヨーロッパ並みの社全保障に]
保団連会長 宝生昇 月刊保団連2004.1 No.803 巻頭言「道」

■健保本人3割など医療保険の患者負担増が強行された結果、患者の6割が受診を抑制し、治療中断による死亡や重症化する被害が各地で発生している。医療機関も、診療報酬のマイナス改定や患者負担増などの影響で、支払基金03年8月分の被用者保険支払確定額が前年同月比8.5%も減少するなど、深刻な経営危機に直面している。このような事態は、国民の各分野に広がり、国民の生活不安が7割、「貯蓄なし」世帯が2割を超えるなど、「過去最悪」との報道が日常化している。

■これらの原因が、小泉「構造改革」による「痛み」にあることは、誰の目にも明らかとなってきた。小泉首相は、「改革の芽が出てきた。これを大きな木に育てる」としている。さらなる「痛み」の先に、国民が安心して生活できる展望があるのだろうか。「痛み」の先にあるのは、競争による「勝者」と「敗者」の激化であり、大多数の人は「敗者」となるであろう。医療機関も例外ではない。

■なぜならば、小泉「構造改革」がめざす社会とは、小泉政権発足時のいわゆる「骨太方針」が示したように、「市場競争原理」を社会の基本軸とすることをめざしているからである。言葉を変えていえば、「大企業中心の社会」ということである。一つの銀行に2兆円もの公的資金投入や、リストラの一方で一部上場企業が過去最高の経常益を出したことは、そのことをよく示している。医療、福祉、教育などの公共的分野も「構造改革」の対象としており、株式会社の医療経営参入や混合診療解禁などは、その一環である。このような市場競争社会のモデルは米国である。米国は、これを「経済のグローバル化」として、世界に押しつけようとしている。日本の現状を打開する方向は、この道しかないのだろうか。

■同じ資本主義国でも、ヨーロッパでは、米国の「グローバル化」に批判的立場をとり、社会保障や教育などを重視し、企業の社会的責任を求めながら、財政再建などを進めている。1月開催の保団連大会方針案では、せめてヨーロッパ並みに、社会保障を予算の中心に据えることや、社会保障負担など企業に対する社会的責任の必要性を求めている。新年を迎えたいま、米国型一辺倒の小泉「構造改革」から、「日本をヨーロッパ並みの社会に」を提唱し、社会保障と平和を基盤とする国づくりを進めよう。(むろうのぼる)

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[スウェーデン型福祉社会の理念・安心と公正]
〈完全雇用〉がスウェーデン福祉の前提
早稲田大学オープンカレッジ遠隔講座 人間と社会の探究講座
「世界の福祉・理念とその具体化〜福祉の普遍性と多様性を探究する〜」
2001年10月15日第2回「スウェーデンの福祉・理念とその具体化」岡沢憲芙(早稲田大学社会科学部教授)

ドクターちゃびんの解説:父(数野太郎)は1958年、成熟度の高い福祉国家が成立し、そのピークを迎えようとしていたスウェーデンに留学した。約200年前に世界で最初にオンブズマン制度をつくり、約200年間戦争をしていない国、国民に豊かさと安心を保障する分かりやすい政治、国民は納得・安心・満足して、高い負担を自ら選択しているこの国で、父は不思議の国のアリスのような体験をしたことと思う。いつの日にか私も行ってみたい国のひとつである。

八つの基幹価値

スウェーデンの福祉経済システムは〈第三の道〉〈中間の道〉と表現されることが多い。生産過程は競争原理を基礎にした資本主義的色彩が濃密で、分配過程は徹底的な所得再配分を基礎にした社会主義的性格が強い。また、純・資本主義でもなく純・社会主義でもないという意味でも、使われる。人生のさまざまな段階、状況の中で市民が必要とするとき、必要な援助を社会の集合的努力で提供することが、スウェーデン型福祉社会の理念であるとすれば、その主導価値は何か。〈スウェーデン・モデル〉で強調される価値は、1〈自由〉、2〈平等〉、3〈機会均等〉、4〈平和〉、5〈安全〉、6〈安心感〉、7〈連帯感・協同〉、8〈公正〉である。

安心感

特に強調されるのは〈安心感〉である。暗殺された故パルメ首相と元首相1・カールソンを育てたスウェーデン国民の父エランデルが、首相として社民党党首として議会で初めて討議に参加した時のスピーチが象徴的である。「私たちは不安な社会に生きている。安心感は常に最も重要な価値である。とりわけ、職業をめぐる安心感が重要である」。労働階級の期待を背に受け、そこから噴出する熱い支持をバネに強固な福祉社会を建設しようとする社民党が、〈豊かさ〉に通じる労働生活、つまり、安定した収入の確保を絶対条件として要請したとしても当然である。〈完全雇用〉がスウェーデン福祉の前提である。「産業こそ福祉の基礎であり、福祉政策の糧である」。豊かな福祉社会という超大型機を浮揚させるためには経済成長という翼が必要であることを知っている。産業育成・発展を通じて、完全雇用と高い所得を提供することがスウェーデン型福祉社会の前提となる。高水準の福祉政策の財源として高い税負担が必要であるが、そのためにもまず、完全雇用、インフレなき成長、国際収支の均衡が経済政策の目標となる。初期の社民党は完全雇用による安心感の確保にエネルギーを集中していたが、今日では安心ネットワークが飛躍的に拡大している。

人生の各段階で市民を恐怖に追い込む不安は次の七つである。生活大国の政治は、具体的政策でこうした不安から市民を自由にする必要がある。

(1)生まれてくることへの不安(生むことへの不安)
生まれてくる子どもは安全な地球環境と不安のない生活環境を保証されるだろうか。子どもを生んでも職業と育児を両立させることができるだろうか。出産・育児休暇を十分取れるか。出産が家計に負担をかけないか。子どもが病気になっても信頼してまかせることができる医療施設が近くにあるか。低料金で利用できる信頼できる保育所が近くにあるか。子どもが病気になっても気兼ねなく会社を休めるか。→〈胎児・児童環境の整備〉、〈女性環境の整備〉、〈地球環境の整備〉

(2)職を失うことへの不安
失業しても当面は安心して生活できるくらいの保険制度が完備しているだろうか。業績悪化を口実に突然解雇を申し渡されることはないだろうか。適性にあった職に出合えるだろうか。上司の不本意な要求を拒否しても次の仕事が見付かるだろうか。→〈労働環境の整備〉

(3)病気になることへの不安
突然病気になっても安心して治療に専念できるだろうか。寝たきり生活や闘病生活が長くなっても家族に精神的・経済的負担をかけずに済むだろうか。大病になっても通常の日常生活を送れる環境が整備されているだろうか。→〈福祉環境の整備〉

(4)社会的孤立・孤独の不安
仲間もなく家族もなく、社会的に孤立してしまうのではないか。結婚相手と出会えないのではないか。死に臨んだとき近しい人に最期を見守って貰えるだろうか。→〈家族環境の整備〉、〈外国人環境の整備〉

(5)不本意に死を迎える不安
老衰以外の仕方で突然死に直撃されるのではないか。過労死に襲われたり、交通事故にあっても残された家族は不安なく生活できるだろうか。→〈健康・保健環境の整備〉、〈保険環境の整備〉

(6)老後生活への不安(年をとることへの不安)
社会から隔離されて寂しい老後生活を余儀なくされるのではないか。→〈高齢者環境の整備〉

(7)教育機会喪失の不安
昔の教養と学歴だけでは社会の変化、スピードについていけないのではないか。親の経済的能力が子どもの教育機会均等を左右することはないだろうか。高等教育に接近できないのではないだろうか。人生のあらゆる段階で最先端教育に接近でき、やり直しができるだろうか。→〈教育環境の整備〉、〈女性環境の整備〉

教材「世界の福祉・理念とその具体化」久塚純一・岡沢憲芙 編(早稲田大学出版部)から引用

公正

〈スウェーデン・モデル〉は税によって財政運用される包括的福祉を生命線にしている。胎児から墓場までのキメ細かな福祉政策は、当然のことながら膨大な経費を必要とする。換言すれば、税負担意欲を刺激できなければ、作動不能に追い込まれてしまう。そして、負担意欲を維持するためには、公正度の高い政治制度と倫理感の高い政治家の行動が要請される。〈見える政治〉〈開かれた政治〉だけでは二五%もの間接税を市民に受け入れさせることはできないであろう。公正な政治制度が大前提となる。議会オンブズマン、消費者オンブズマン、民族差別オンブズマン、プレス・オンブズマン、公正取引きオンブズマン、機会均等オンブズマン、などの各種オンブズマン制度は、公正原理で人権を保護する砦である。また、一票格差を極小化した公平度の高い選挙制度、新聞や青年運動への公庫補助制度、などの少数意見の噴出を可能にする装置も同じ公正原理を基礎にしている。

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[高齢者「弱者ではない」は本当か]
西村周三(京都大学教授・医療経済学)
朝日新聞「私の視点」2001年5月25日

経済不況を打開するためにとられてきた数々の景気対策のどれもが成功しない状況で、国民に痛みを求める諸改革の必要性が認識されはじめている。このことに異論はないが、気にかかるのは、こういった声が社会保障改革にも及ぼうとしている点である。とくに政府などによって宣伝され始めている「高齢者金持ち説」は鵜呑みにしてよいのだろうか。確かに、1400兆円にも及ぶ個人資産の半分近くは60歳以上の高齢者によって保有されているが、目をそらしてはならないのは、高齢者の貧富の格差の現実である。富や所得は、こと高齢者に限っては、ごく一部の人々に偏在している。

現在、65歳以上の高齢者数は、2000万人を超えている。その経済生活水準を平均で判断すると、大きな誤りをおかす。高齢者の半数近くは、高齢者のみの夫婦ないし単独世帯を営んでおり、そのうちの半数以上の人々の生活はかなり苦しい。単独世帯を営む高齢者は270万人を超え、その80%は女性。基礎年金のみの受給者の生活が苦しいことは周知のことであるが、厚生年金受給者でも、夫を失ってからの遺族年金生活者は、平均でも月8万円以下の生活を強いられる。さらに、第二次大戦の影響で配偶者が見つからず、低賃金で働いて引退した数十万人の女性が現存するという現実も忘れるべきではない。彼女らの多くは厚生年金受給者であっても、その年金額は極めてわずかである。高齢低所得者問題は女性問題でもあるのだ。

高齢者夫婦の世帯に目を移すと、平均所得は年間300万円を超すが、200万円未満の人々が40%を超えている。貯蓄額も500万円以下の人々が3割にも達する。医療・介護の負担について、よく「低所得者対策」という言葉が用いられる。これはほとんどの場合、所得の下位の1割程度の人々が対象となる。これよりもう少し所得の高い層は無視されるのである。

生活意識から見ても、一人暮らしや高齢者のみの世帯の人々の不安は大きいだろう。同じ程度の所得なら、医療を受ける人の比率は、独り者の方が、三世代世帯を営む人より高いという調査結果もある。高齢者の生活は、若年者よりはるかに多様である。高齢者の生活実態を詳細に調査した研究が少なく、「だれが恵まれないのか」の判断が難しいため、政策は、あらっぽいくくりで行われる。とくに家族形態の多様化が、問題の所在をわ

かりにくくしている。月7万円を消費する一人暮らしと、月14万円を使う二人暮らしのどちらが経済的に苦しいのか?三世代世帯の場合はどうか?これらは、統計数値だけでは判断しがたい。いずれにせよ、ごく一部の豊かな高齢者のみを見て、「金持ち説」を唱えるのは誤解である。景気対策で消費を喚起しようとする場合も、このような多数の「中の下」の人々の生活実態を踏まえたものでなければ効果的ではないだろう。

年金制度改革などにあたって、よく、若年者の負担増を避けることの必要性が叫ばれる。しかし、若年者は齢を経るとともに、貧富の格差が広がる」という悲しい現実を踏まえて、それに備えるために応分の負担の覚悟が欲しい。政府が信頼できないからといって、公的な社会保障への負担を忌避したからといって、民間の経路を通した貯蓄がどれほど信頼できるというのか?現実を見ればすぐに理解できるはずである。

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21世紀へ <社会福祉>
「福祉」が「経済」を正す時
普通に暮らせる家と地域
1998年8月26日 毎日新聞社説

もう真っ暗になったのに、公園のベンチに座って動かないお年寄りたちがいる。その一人はポツンと言った。「孫が勉強してるからね」…。東京・湾岸部の団地近くの光景である。せいぜい3DKに祖父母のくつろげる場所はない。まして心身の弱った高齢者や障害者とともに暮らせるだろうか。「在宅福祉」を叫びながら、それにふさわしい「宅」のないまま、どんな福祉を築けるのか。第二次大戦の同じ敗戦国、西独では、広い住宅の確保から生活面の復興は始まった。資金の半額以上を無利子で最長100年返済の制度が持ち家や賃貸住宅建設を促進した。次いで、カブトムシ型のフォルクスワーゲンが走るマイカー時代を迎え、やがて長期休暇と旅行を楽しむ。

日本では、ボタンを掛け違った。あの懐かしい原動機付き自転車やスクーターからモータリゼーションが始まり、国内、海外旅行の時代へ。住宅政策や都市計画を置き去りに、列島の地面の売り買いに狂奔した。そのあげく、都市部では「ウサギ小屋」が密集する。「4畳半」に「在宅福祉」は成り立ちがたく、病院へ、福祉施設へと「収容型福祉」の流れを加速した。手順の狂いはなお続く。例えば高齢者福祉の分野を振り返ると……。「高齢者保健福祉推進10か年戦略」(ゴールドブラン)の〃生みの母〃は消費税だった。3%導入後の1989年7月の参院選で惨敗した政府・自民党は、同プランを具体化し、「消費税は福祉に使う」との公約を曲がりなりに履行していく。90ー99年で6兆円余の長期計画は、それ以前の10年を通算した事業費の4倍近い。内容も「在宅福祉」に事業費を振り向け始めた。しかし、突然の決定に厚生省は大あわてで目標を定めた。地域ごとに寝たきォりや痴ほう症の人数とサービスの質量を把握する間がなかった。同プランの地域版「市町村老人保健福祉計画」の策定は後回しになる。

まずカネ集め先行の連続

95年からの「新ゴールドプラン」で目標を修正・上積みし、事業費も後半5年間で9兆円余に膨れる。これも村山富市内閣が消費税率の5%へのアップを決めた見返りだ。次のカネ集めは「介護保険」へ移る。発足の2000年度で40歳以上から徴収する保険料収入は年間1.8兆円、それと同額の公費を加えて運営される。この構想にも手順の狂いがつきまとう。介護を軸に福祉分野へ民間サービスの参入を促すため、厚生省は、大急ぎで社会福祉事業法など関連法・制度の抜本改定に入った。「福祉のビッグバン」と同省はうたい、大幅な規制緩和を目指すのだが、先に取り組むべき長年の宿題がある。利用者が、サービス内容を詳細に把握できる「情報公開」や、サービス内容が契約と異なったり、劣悪な時の「利用者保護」を先行させ定着させる。判断能力の乏しい人々への「権利擁護」の方策も事前に整える。そんな保証なしの規制緩和は、ルールなき競争もたらすだろう。まず「カネありき」であっても、政治的な取引で手順が狂っても、確固たる理念を法律や制度に植え付け、育てられるならよい。確かに新ゴールドプランは、福祉の質を高める試みを含む。24時間巡回型ヘルパーの公認。食事・入浴・リハビリを受けられるデイサービスや、特別養護老人ホームの小型化。特養ホームに個室を設けやすくする……。在宅福祉に重点を置き、どうしても自宅で暮らせない人々には、できるだけ家庭的な小規模施設を用意する。普通に暮らす「ノーマライゼーション」や、福祉のあるべき姿「スモール イズ ビューティフル」の理念が次第に固まり始めた

住宅で始まり住宅に終わ

だが、詳細に見ると、同プランでもっとも順調なのは特養ホームの建設である。この数年、3日に2カ所のスピードで開設ブームが続き、厚生事務次官の汚職を筆頭に建設をめぐる不正事件も相次ぐ。いわば「土建型福祉」の横行だ。もう一度、「在宅福祉」を重視する出発点に戻りたい。高齢者だけの問題ではない。世界史上で最速の高齢化は、お年寄りの長命化より、晩婚や非婚による少子化が主因である。その背景に子供部屋さえ確保しにくい住宅事情が横たわる。「総合政策なき福祉のツケ」と言うべきだろう。建設省の「生活空間づくり大綱」(94年)は、冒頭に「福祉社会は、住宅に始まり住宅に終わる」との言葉を掲げた。福祉先進国での理念と教訓が半世紀遅れで、ともかくも宣言はされた。玄関や廊下の段差をなくし、浴室や階段を改造する高齢化対応の住宅建設は、病院や介護施設の整備費を軽減し、2025年までに公的資金を12兆円節約できる、との試算もある(年金住宅福祉協会)。もちろん多様で豊富な在宅サービスを提供し続ける条件付きである。

いま経済再生に、またも公共事業が切り札に使われつつある。この膨大な資金を、住宅に代表される生活基盤の改善・充実に振り向けたい。住みやすい家と地域なしには、育児も介護も成り立たない。一戸建てでも、集合住宅でも、持ち家であれ、賃貸であれ、広いスペースは家具・家電から福祉サービスの担い手に至るまで、新たな需要と雇用を生み出すだろう。「福祉」が、ゆがんだ「経済」を根元から正す時代をつくりたい

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[一生一度の学び] 朝日新聞 天声人語 1990年秋

福山市の八ツ塚実さんは、三十年間、中学校で理科を教えてきた。久美子夫人も教師。家には三人の子供と実さんの母親。八十八歳で家事もしていた元気な母親だが、ある日、脳こうそくで倒れる。「闇を切りひた走り行く救急の車に乗れば声も失せたり」▼非常事態だ。だれが面倒をみるか。まず久美子さんが二カ月の看護欠勤制度を利用、病院に通った。ついで実さんも二カ月。この制度を利用するのがほとんど女性ばかり、ということに驚いた。介護のような仕事は女性のもの、と考えていたことを、実さんは反省する▼「人間学」と称し、独自の教材で生徒の啓発に熱心だった実さんだ。胎児性水俣病の子の写真、百二歳の人が作った人形・・・。それらを前に、よく、人間の生き方を語った。母親は、やがて病院から家に帰る。よくなったわけではない。看護欠勤も期限切れだ。夫婦で話し合う。実さんが看護に専心、ときめた▼仕事から去る日、生徒たちに、静かに、別れの言葉を告げた。「人間、生涯に一度くらいは、自分の一番やりたいことを、やめなくてはならないこともある」体育館の中が、さざ波のような泣き声に満ちた。実さんの介護の日々が始まる。考えさせられた。家事でも、介護でも、女性の負担がいかに大変なことか▼「あれほどに嫌々でありし排泄も清しと思う今日このごろは」。汚いものを汚いと思わなくなる修業。入浴させる時は、家族全員が手伝う。母親は喜んだ。人間にとって何が本当に大事なことか。実さんは、学校で何を教えていたか、と思う。世話ができることを感謝しながらの毎日が、勉強だ▼「その昔抱かれし母を今は抱き陽なたの窓に春を見せたり」。実さんの母親は、生みの親ではなく育ての親だ。家族の気持ちの交流。介護の真剣な協力。そこに、人間がともに生きることのありがたさがあった。母親は亡くなった。『一生一度の学び』(八ツ塚実著)に貴重な体験が語られている。

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