2000年の初売り
コンスタンツェ・アンドウ
    私は福袋を買ったことがない。必要のないものばかり入っているのではないかと疑ってしまうからである。ふらっと行った初売りで、初めて買った福袋。1999年12月31日に初日を迎えた「BOYS TIME」は、そんな舞台だった。(2000年1月30日までPARCO劇場にて上演。演出:宮本亜門、脚本:土田英生、音楽監督:トータス松本。)
    出演者は、男性ばかり10人。休憩なしの3部構成で、第1部は「男が自分の人生を取り戻すツアー」を企画した旅行会社社員・観音寺(藤井隆)が、参加者を集め、出発するまで。ツアーのタイトル通り、参加するのは、それぞれに悩み多き男達。失恋と失業のダブルパンチを受けたイラストレーターの菊原(山本耕史)、自分の年齢が気になるホストや、中学生のくせに人生に疲れている少年、妻に逃げられた中年の大学教授などなど。彼らの事情が、時に歌と踊りで、時にコント風に詳しく描かれる。キャラクターはそれぞれバラエティに富み、ひとつひとつのエピソードは悪くないのだが、全体として見ると詰め込み過ぎで、やや冗長な印象が残った。また、「ミュージカルだから歌や踊りを入れました。」という感じのシーンもあり、1部は少し期待外れに終わった。
    そんな中、目を引いたのは山本である。彼の舞台を観るのは初めてだったが、キャリア的に「できる人なんだろう」とは思っていた。しかし、その「できる」は予想を超えていた。実を言うと私は山本と藤井以外の8人に興味があってこの舞台へ足を運んだ。顔も知らない俳優達に、新しい出会いや発見を求めていたのだ。しかし、気がつくと私の目と耳は、山本ばかりを追っていたのである。
    第2部は、ストーリーとは関係ないショータイム。ここからは、かなり見応えがあった。オーディションを通ってきただけあって、出演者の歌や踊りのレベルは高い。観客を舞台に上げて一緒に踊ったり、俳優が客席を走り回ったりして、劇場中を一つにして楽しませるぞ、という意気込みが感じられた。「ノリ」を浸透させるにはPARCO劇場は丁度良いサイズだったようだ。
    藤井に関しては、技術的に訓練不足な面がうかがえるが、この舞台における彼の役割は別にあり、それは完璧にこなしている。ムードメーカーとして観客を引っ張り続ける力技は才能であるし、歌や踊りに対しても逃げることなくストレートに取り組んでいるので、「技術点」をつける意味はないだろう。ミュージカルに出演する俳優の評価は「技術点」が重要視されがちだが、それを最優先させるのはあまり賛成できない。
    ショータイムで際立っていたシーンは、忠臣蔵・松の廊下ダンス。「殿中でござる」という台詞で電柱が倒れてくるという、「お寒い」ネタで始まるのだが、その後、大名達はパステルカラーのサテン生地でできた色違いの長袴の裾をひらひらさせて踊り出す。その姿は軽快かつ新鮮で、和風カンカンかと思わせた。また、音楽抜きで、竹刀と足と掛け声でリズムを取るダンスも、パワフルで面白かった。
    ショータイム大詰め。激しいダンスを終え、全員が階段に揃ってポーズ。大きな拍手を浴び、息を切らし、客席を見つめて立っている。次の曲の前奏が始まる。ややスローなメロディー。彼らはまだ肩で息をしている。観客は拍手を止め、ちょっと息をつめている。彼らは汗にまみれて、いい顔をしている。観客も、きっといい顔をしているに違いない。ショーをやる喜び、ショーを見る喜びは、こんな瞬間に生まれるのではないだろうか。そして、山本が歌い出す。あがった息はまだ収まっていない筈なのに、ゆったりとした曲ほど、誤魔化しがきかないのに、乱れはない。サビも力強く歌い上げる。曲は「あの娘に会いたい」。彼女にフラレて落ち込んでいるという設定の、ストーリーの方にも通じる歌である。ショータイムの間は役を離れていたが、ここで「菊原」がダブる。「男が自分の人生を取り戻すツアー」の顛末は、まだ何も語られていない。しかし、私は、この一曲だけで、菊原が何かを取り戻してしまったかのような錯覚に陥り、舞台がこのまま終わってしまってもいいか、という気にすらなった。それほどの説得力があった。
    山本以外のメンバーも曲の途中からコーラスに加わるかと思っていたが、順番に袖へ入っていく。歌うのは山本のみ。彼を残して全員が舞台からいなくなる頃、曲も、ショータイムも、終わる。彼の顔にスポットライトが絞られ、歌声の余韻を残して、暗転。もっと聞いていたい。そう思った。
    以前、私はミュージカルがとても好きだった。しかし、いつ頃からか「芝居」の中の「歌」に「まだるっこしさ」を感じることが増えていた。年をとって気が短くなったのか(?)、名曲・名唱に心地よく身をまかせられず、飽きてしまうこともしばしば。そんな私が芝居の中の歌として「もっと聞いていたい」と思い、「歌」の持つ表現の深さを、再認識したのだ。忘れていた感覚を味わえたことは、嬉しかった。
   第3部では再びストーリーに戻る。船が座礁し、救命ボートで漂流するハメになった彼らの姿が、台詞中心に描かれる。舞台がボートの上と海に限られるため動きが少なく、緊密な会話劇にするでもなく、たいしてドラマチックなことも起きないので、かなり長く感じられた。ここで初めて10人がそれぞれに影響を与え合うのだが、あえてドラマチックな展開を避けているのだ。そう簡単に自分の人生を取り戻すことなどできない。日常は変わらない。しかし、少しずつ、何かが動いてゆく、という雰囲気でストーリーが終わる。ここでも、印象に残ったのは山本の歌だった。ボートの上で、いさかいが起きる。そんな時、山本がギターを抱えて歌い出し、皆、少し静かになる。中学生の文化祭の芝居でもあるまいし、という設定だが、なぜか素直に見てしまった。術中にはまった様で、少しこそばゆかった。
    「BOYS TIME」の作品としての完成度は、決して高くないと思う。意図的に粗さを残したようにも見える。2部はショーとしての魅力があったが、ストーリーの間に挟むにしては、ボリュームが多く、こってりしている。ミュージカルのストーリーは単純で良いとされるが、だれてしまっては困る。しかし、山本の歌は、それらの問題点を全てカバーしてしまった。山本個人だけが良かった、というのではない。山本の力が作品のレベルを押し上げ、その上に載って、他の俳優達も自由に個性を発揮できたのだと思う。
    山本は私の「劇場へ行く」という行動を「舞台を楽しむ」ことへ転化するキーパーソンになった。福袋の中に、本当に欲しかったものが入っていた時の気分は、こんな感じなのかもしれない。
(1月15日当日券にて観劇)

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女形・市川笑三郎に託す夢
コンスタンツェ・アンドウ
  1回見終わると、もう1回見たくなる。それを繰り返した結果、スーパー歌舞伎『新・三国志U』を2年越しで4回見に行った。最終公演が千秋楽を迎えた今も、あと1回くらい見たかったな…と未練がましく思っている。お目当ては、祝融という役を演じた市川笑三郎である。
  最初の観劇は、2001年4月の新橋演舞場。『新・三国志U』(脚本・横内謙介、演出・市川猿之助)は、1999年・2000年に上演された『新・三国志』の続編で、中国の英雄・諸葛孔明を主人公に、孔明の恋、リーダーとしての苦悩、理想を追うことの難しさなどを描いた舞台である。孔明を演じる猿之助の相手役は市川笑也(翠蘭)で、二人揃っての宙乗りが売り物のひとつになっている。しかし、物語への関わりや出番の多さを考えると、実質的なヒロインは、孔明に惹かれ、常に側へ寄り添う祝融と言える。笑三郎にスーパー歌舞伎のヒロイン級の役が回ってくるのは初めてのことで、私にはそれがとても嬉しかった。
  笑三郎は、自己中心的でプライドの高い女性が人を愛することを知って人間的に成長していく様子を細やかに表現すると共に、華やかな踊りや立ち回りを披露し、存在感を強くアピールした。笑三郎の芝居は、ひとつひとつが非常に丁寧である。表情が豊かで、台詞の有無に関わらず心の微かな揺れまでがしっかりと客席に伝わってくる。立ち居ふるまいが端正で、舞台上の優雅な動きは「歩く」というより「舞う」という言葉を連想させる。まさに、水を得た魚のようだった。
  祝融という人間と、祝融を演じる笑三郎を見つめているうちに、3時間半近い舞台はあっという間に幕を閉じた。作品として『新・三国志U』に100%満足したわけではない。しかし、笑三郎の祝融にもう一度会いたいという気持ちは強く、10月に所用で関西へ行った折に松竹座で2回目を見た。そして、2002年4月には最後のつもりで新橋演舞場へ出かけたのだが、結局また5月にチケットを取ってしまったのである。
  終幕近く、病を得た孔明は最後の戦を前に祝融を国へ返す。恋は成就しなかったが、友として人間として孔明の心に深く繋がっていることを支えに、祝融は別れを受け入れる。その姿は悲しいが、凛として美しく、別れが祝融をまたひとつ大きくするであろうことを予感させる。ちょっと恥ずかしいのだが、最後の観劇の折、私は泣いてしまった。舞台を見て泣くこと、しかもストーリーに対してではなく役と役者に対して涙を流すのは、本当に久し振りのことだった。祝融のラストシーン、花道に立って自らの強い意志を語り、一人で去ってゆく笑三郎を見送りながら、舞台だからこそ味わえる喜びを感じていた。

★☆★

  市川笑三郎は岐阜の一般家庭に生まれ、中学卒業後上京し市川猿之助に入門、1986年に初舞台を踏んだ女形である。私が笑三郎を初めて見たのは1990年PARCO劇場「二十一世紀歌舞伎組」公演『雪之丞変化2001年』(主演・中村信二郎)。「婆ぁ」風の脇役を演じていたので中年の役者かと思いきや、パンフレットで誕生日を知って驚いた。20歳。「光GENJIと同じ年頃なのに、この立派な婆ぁぶりは何事だろう」と思ったのをハッキリと記憶している。
  そして翌年、スーパー歌舞伎『オグリ』で、笑三郎は私にとって「重要な役者」の一人に加わることになる。役柄は遊女屋の女将。色気・愛嬌・貫禄たっぷりの粋な「年増」で、芝居の「間」が抜群に良い。特筆すべきは、旦那役の金田龍之介を尻に敷いていたことだった。言うまでもなく役柄上の話で、金田がそれらしく見せてくれた面もあるのだが、「金田龍之介を尻に敷く艶やかな21歳」の印象は鮮烈だった。
  以後、私は常に笑三郎を意識して、猿之助一門の芝居に出かけるようになる。演じた役柄は幅広いが、年毎に若くなってゆくような印象に変わっていったのが面白かった。もちろん、全ての舞台を網羅していはいない。笑三郎にとって非常に大きな意味を持つ役の幾つかを見逃しているのだが、私の心に残った舞台を挙げてみる。
  1992年歌舞伎座『太功記十段目』の操。市川段四郎の光秀を相手に落ち着いた演技を見せ、年齢差をさほど感じさせなかったのに驚いた。
  1993年スーパー歌舞伎『八犬伝』の遊女お玉。出番は少なかったが、妹分の遊女(市川春猿)の手紙を代筆するシーンが忘れられない。春猿が語る切ない思いを復唱しながら書くだけなのだが、やはり「間」が滅法面白く、かつ、やりすぎない。笑三郎のコメディーセンスと、それをコントロールできるバランス感覚の良さで、「笑えて泣ける」いいシーンになった。後半では、女装の剣士・犬坂毛野を颯爽と演じていた。
  1997年歌舞伎座『夏祭浪花鑑』のお辰。江戸版・極道の妻、お辰は「歌舞伎で一番カッコイイ女性」だ。(と私は思っている。)初めて見たのが坂東玉三郎だったこともあり、この役への点は辛くなるのだが、笑三郎は「美しさ」といい「意気」といい、満足のゆくお辰を見せてくれた。
  1998年スーパー歌舞伎『オグリ』の再演では、女将の役に加え前半で横山家兼という立役を演じていた。そうと知らない私は、演舞場の3階席からオペラグラスで覗き、「片岡孝夫に似たキレイな新人」と思い込んでしまった。立役を見たことはあったのだが、いつになく男性的な声を使っていたのでわからなかったのだ。暫くしてその正体(?)が笑三郎であることに気付いた時には舞台に向かって「うそっ」と叫びそうになった。余りに鮮やかな変わり身に「してやられた」。思い出すと笑えるが、ちょっと悔しいような出来事だった。
  笑三郎は、1994年に舞踊の自主公演『笑三郎の会』をスタートさせ、7年連続の開催を実現した。第1回から第3回までと第7回は、故郷での公演だった為見られなかったが、東京で開かれた第4回から第6回に足を運び、『二人椀久』の椀久(松山は春猿)、『鷺娘』、『京鹿子娘道成寺』などを見た。舞踊の知識は乏しいので専門的な評価はできないが、きっちり踊っていたと思うし、一観客として楽しい時間を過ごせた。「二十一世紀歌舞伎組」の活動を優先するため、2000年の第7回を一区切りに休止中とのことで、近い将来の再開を待ちたい。

★☆★

  歌舞伎の楽しみの一つは「役者を見る」ことにある。好きな役者の舞台は最優先で駆けつけるし、前に見た演目でも飽きたりはしないが、好きな役者が出ない舞台はつい後回しになる。当然、見る演目に偏りができる。特に女形に関しては観劇の動機となるのが玉三郎一人という状況で、女形が主役の芝居に、一度しか見ていないものや退屈してしまったものが多い。そんな芝居を、笑三郎に楽しませてもらいたい。
  『野崎村』のお光。歌舞伎を見始めたころ、尾上梅幸のお光に感動したことを今でも覚えている。その時の様な新鮮な感動を与えてくれるのでは、と期待する。
  『十種香』の八重垣姫。寝ずに見られたことがない。
  『摂州合邦辻』の玉手御前。面白い芝居だと思うので、改めて見直す機会にしたい。

  他にも笑三郎に演じてほしい役は沢山ある。女形の役全て、といっても過言ではない。例えば。
  『盟三五大切』の小万。「殺される芸者」が似合いそうだ。
  『一本刀土俵入』のお蔦。1998年に大阪中座で行なわれた京都造形大学のワークショップで、デモンストレーションとして演じたのを見た。衣装や化粧、セットは無し。笑三郎が載った台を屏風でおおって2階に見立て、市川段治郎扮する茂兵衛とのやりとり部分だけを上演したのだが、雰囲気が良く出ていて情景が目に浮かんだ。いつか本公演で見てみたい。
  『熊谷陣屋』の相模。1999年国立劇場『市川右近の会』で演じたのを見逃して非常に後悔している。熊谷(右近)だけでなく相模も出家し、二人で花道へ入るという珍しい演出だったと聞く。その型での再演を望む。
  『伽羅先代萩』の政岡。1999年の地方巡業(笑也とダブルキャスト)で見たが、流石に政岡は手強く、まだ第一段階、という感じだった。「まま炊き」も加えて再挑戦し、手に入れてほしい。笑三郎は「片はずし」をやるべき人だと確信している。
  立役では、本人がやりたい役として挙げていた『封印切』の忠兵衛。女形としての柔らかさや、芝居の間の良さが上方和事に生かせるだろう。続けて『新口村』の梅川を…と望むのは欲張り過ぎか。『封印切』といえば、1992年にPARCO劇場で演じた、おえんももう一度見たい。前半は良かったが、後半では忠兵衛に惚れているように見えてしまい、少し違うな・・・という印象を受けた。やはり若すぎたのだろう。おえんは難しい。技術的なことより風情の問題であり、時間が解決すると思う。

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  「二十一世紀歌舞伎組」は、新しいスタイルの歌舞伎を模索するため、猿之助が自らの門下の役者を中心にして作ったグループである。1989年PARCO劇場『伊吹山のヤマトタケル』(再演)でその名前を世に出して以来、若干メンバーを入れ替えながら公演を続け、今年の6月、初の大劇場公演「西遊記」を名古屋・中日劇場で行なうことになった。「歌舞伎組」の新しい一歩であり、今後の活動も楽しみだが、笑三郎に現在の歌舞伎界でもっと活躍の場を与えられないだろうか、とも思う。もちろん、脇役ではなく、いずれ立女形となる役者として、だ。
  笑三郎の容姿や芸風にはややクセもあり、万人受けするタイプではないかもしれないが、歌舞伎の女形は一筋縄では勤まらない。品の良さとあくの強さ、悲壮感と滑稽味など、相反する要素を内包する懐の深さが求められる。笑三郎はそれを持ち合わせており、経験も積んでいる。実年齢に見合った役だけでなく、先に述べた『太功記十段目』の操のように、幹部クラスの役者の相手役も立派に勤まると思う。必ずや、女形の層を厚くするのに貢献できるだろう。「古典味の薄さ」は常に言われることだが、必要以上に高いハードルを課されているような気がしてならない。
  悪い意味での「歌舞伎のマンネリ化」が指摘されて久しい。新しい劇場がオープンしたことなどもあり、公演そのものは増えたが、手薄な一座で同じような作品を上演しているというのが現状だ。新作や復活への取り組みが活発になりつつあるものの、役者が忙しすぎて稽古時間が不足するという問題は根が深い。襲名披露興行を続け、大きな名前を継いだ役者をステップアップさせるのもよいが、役者の絶対数が増えるわけではない。年に一度でも、猿之助一門の役者を通常の興行で大きな役に登用することはできないのだろうか。意外な顔合わせは役者同士に刺激を与え、新鮮で緊張感のある舞台が生まれると思う。笑三郎達もまた、多くの物を得るに違いない。

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  私は、いつか笑三郎が歌舞伎座の大舞台で立女形として活躍する日が来ることを、夢見ている。「猿之助一門」や「二十一世紀歌舞伎組」を離れるという意味ではなく、そういう枠を軽やかに越えて、自由に行き来できる役者になってほしい。難しいことだと承知している。無責任な願望かもしれない。しかし、私にとって「この人こそ」と思う女形は笑三郎だけなのだ。だから思いを託したい。
  祝融という役に出会うまで、その思いは漠然としたものだった。今は、はっきりとした「夢」になったように感じている。
   『新・三国志U』で、孔明は「信ずれば、夢は叶う」という言葉を残した。私も、自分の夢を信じてみよう、と思う。
(2002年6月6日記)

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