えびす組劇場見聞録:第25号(2007年5月発行)

第25号のおしながき

石神井少年童貞團ヴァレンタイン企画
「夢幻アトリエ401」より 「女のいろあや戯画」
渋谷ルデコ(渋谷 Gallery LE DECO)
2007年2月14日〜18日
とくお組第9回公演 「TOWER OF LOVE」 渋谷ルデコ(渋谷 Gallery LE DECO)
2007年2月21日〜3月4日
play unit-fullfull 「ふたりが見た景色」 渋谷ルデコ(渋谷 Gallery LE DECO)
2007年3月14日〜18日
ロック☆オペラ 「TOMMY」 日生劇場 2007年3月12日〜31日
シアタードラマシティ 2007年4月20日〜26日
モダンスイマーズ「回転する夜」 THEATER/TOPS 2007年4月18日〜30日
「桂春団治 新橋演舞場 2007年4月3日〜27日
「新しい劇空間を求めて〜渋谷ルデコ通いの日々〜」 「女のいろあや戯画」
「TOWER OF LOVE」
「ふたりが見た景色」
by ビアトリス・ドゥ・ボヌール
「心に残る音楽の記憶」 「TOMMY」 by C・M・スペンサー
「見果てぬ夢、にがい現実」 「回転する夜」 by マーガレット伊万里
「平成の看板女優」 「桂春団治」 by コンスタンツェ・アンドウ
◆◇◆ あ と が き ◆◇◆

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「新しい劇空間を求めて〜渋谷ルデコ通いの日々〜
ビアトリス・ドゥ・ボヌール
 底冷えのする二月中旬の土曜日、「渋谷Gallery LE DECO」(以下ルデコ)に足を運んだ。渋谷駅東口から明治通りを恵比寿方向に歩くのは、おそらく初めてだ。間口の狭い店舗がびっしり並んだ通りで、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな地味な建物がルデコである。写真の展示会や芝居やライブなど、フロアによってさまざまな催しがあるらしい。
 本日は石神井童貞少年團ヴァレンタイン企画「夢幻アトリエ401」より、『女のいろあや戯画』(森田金魚作 西入美咲演出)である。小さなスタジオ風のスペースに舞台衣装やアクセサリー、絵画や写真などが展示されており、開演前から見ることが出来る。やがて床に丸椅子が並べられ、展示スペースがそのまま劇場になる。
 ある画家のアトリエに押し掛けてくる彼の女たちという設定で、スペースの雰囲気がそのまま芝居の世界になっていく。俳優(全員元気な女の子たち!)は文字通り、手の届きそうなくらい間近にいる。不思議なのはそれを息苦しいとも気恥ずかしいとも感じなかったことだ。石神井はこれが初見のカンパニーである。行く前は道に不案内なこともあって大変に緊張していたのだが、気がつくとそんなことは忘れてしまっていた。この空間には何かがある、いや「いる」のかな?
 次はとくお組第九回公演『TOWER OF LOVE』(徳尾浩司脚本・演出)である。ひとりの美女を獲得するために、地上三四〇〇階のビルの最上階を目指す男たちの話で、芝居そのものもおもしろかったが、心に残ったのは終演後の風景である。
 下へ降りると、出演俳優全員が既におもてに出ており、道路に並んで知り合いと談笑しつつ、観客をお見送りしてくれるのである。さっきまで舞台にいた人たちが、あっという間に現実の空気の中、しかも野外にいる。現実のような嘘のような不思議な感じだった。俳優たちは終演後の余韻に浸る間もなく、全員がダッシュでルデコの階段を駆け下りて、おもてに出たのだろう。劇中ではずるかったり弱かったり、あまりかっこよくない男たちだったが、ずらりと並んだ彼らの様子は颯爽として、なかなか素敵な光景であった。
 芝居と劇場の関係は、バランスがむずかしい。劇場じたいが雰囲気を持ちすぎると次のようなことになる。
 二〇〇四年秋に劇団風琴工房が自由ヶ丘の「大塚文庫」で『風琴文庫』(詩森ろば構成・脚本・演出)を上演したときのこと。
 大塚文庫は自由ヶ丘駅から十五分ほど歩いた住宅街にあり、一階の和室に始まって地下のギャラリー、最後は二階のサロンと、観客は移動しながら芝居をみる。
 まさに大塚文庫という場所にインスパイアされて生まれた作品であり、実に稀有な体験だったが、作り手の趣向を受けとめるのが精一杯で、劇そのものを深く味わうには至らなかった。今年の冬、池袋の自由学園明日館講堂で上演されたOrt-d.d公演『肖像 オフィーリア』(倉迫康史構成・演出)に至っては、明日館の空気だけが濃厚に記憶される、いささか本末顛倒の体験となった。どちらも素敵な劇場なのに、その雰囲気に喰われてしまった形である。
 さてルデコに話を戻そう。三回めはplay unit-fullfull公演『ふたりが見た景色』(ヒロセエリ作・演出)である。
 部屋には布団が敷かれており、顔色の悪い男が横たわる。暗転し、再び明るくなると、男の姿はなく、喪服の女性が二人で座っている。彼女たちは男の妹で、弟もいる。
 男の葬儀が終わったあとの情景なのだ。
 実家で営んでいた商売や両親の死をめぐってきょうだいたちは諍い、男は家族と絶縁状態にあった。妻子との家からも出てこのアパートを借り、彼の愛人が秘かに通っていた。男が死んだあとの現在と、まだ生きていた過去が交差しながら物語が進む。現在と過去、こちらとあちらと、小さな空間が自在に変化する様子を楽しんだ。
 男は愛人とアパートの窓から外の景色を眺める。とてもいい景色だというのだが、実際はルデコの壁そのままである。なのに、何かが見えてくるとまでは言えなくても、ふたりが眺めている景色が感じられてくるのである。ふたりの気持ちに寄り添うことができるのだ。
 これが普通のプロセニアム型の劇場なら、照明なり装置なりで何かを作らないと不自然になるだろう。ルデコの小さな空間には制約もあるが、逆にそこが観客の想像力を喚起する効果を生んでいるのではないか。
 この雰囲気はどこかで味わったことがあると思いめぐらせた。そうだ、七年前の春に閉館した渋谷ジャンジャンだ!地下と地上という違いはあるが、一見そっけない風でありながら、舞台と客席が濃厚に交わる空気が開幕前から漂うところは、とてもよく似ている。
 ジャンジャンでみたシェイクスピアシアターの『夏の夜の夢』やライミングの『十二夜』の酒盛りのような熱気、中村伸郎主演の『メリーさんの羊』の幻想的な味わいの記憶が一気に蘇った。 両者の印象は正反対だが、そのどちらも受け止め、吸収し、観客をも包み込む得体のしれない何かが、ジャンジャンには確かにあった。
 お芝居を楽しめると、それまで何とも感じなかった劇場はもちろん、そこへ行く道筋や、町までもが好きになる。行き来のときに目にするただの風景が、生き生きした情景に変貌するのである。九三年、TPT初演の『テレーズ・ラカン』のベニサン・ピット、九五年、演劇集団円の『赤い階段の家』の六行会ホールがそうであったように。
 ジャンジャンの閉館は淋しく、渋谷でお芝居をみるのは文化村のシアターコクーンだけになっていたが、思いがけないところに導かれた。まだ三回しか通っていないのに、すっかり自分にとって親しい空間になり、その町並みにも温かみが感じられる。
 まさに「ルデコ効果」である。
『女のいろあや戯画』 2月17日観劇
『TOWER OF LOVE』 3月 3日観劇
『ふたりが見た景色』 3月17日観劇

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「心に残る音楽の記憶」
C・M・スペンサー
 ロック☆オペラ『TOMMY』のジャパニーズ・エディションが、三月に東京、そして四月に大阪で上演された。
 昨年、来日公演のツアー版で同作品を観た時の印象は、例えば『マンマ・ミーア』がアバの楽曲を用いたミュージカル作品であったように、イギリスのロックバンド、ザ・フーの楽曲を用いてのストーリー性の濃いミュージカルだと感じた。「See me, Feel me」の楽曲が、主人公トミーの心の訴えとして効果的に響いていたのが思い出される。
 さて、このジャパニーズ・エディションは、いのうえひでのりの演出だが、いつもの劇団☆新感線によるオリジナルのミュージカルとは全く異なる趣向であった。それは、セリフも音にのせて、全編がザ・フーのアルバム「TOMMY」の演奏を踏襲した、音楽の色濃い作品だったからだ。舞台の元になる同名の映画を観て臨むと理解は深まるが、観客に強いることはできない。
 多くの観客は、既存のいのうえ演出作品と結び付けて臨んだことだろう。この舞台の初日は、初めて観る作品への緊張と演出家への潜在的な期待に、正直言って観客としてもその空気に押し潰されそうだった。
 自閉症、虐待、新興宗教など、様々な社会問題を抱えたこの作品に、歌以外の言葉による説明は存在しない。
 歌声も割れるような大音量の中に身を置き、この張り詰めた空気の中、目を凝らし、感覚を研ぎ澄まし、観客としてできる限りの努力をして得たものは、「見えない、聞こえない、しゃべれない」という三重苦のトミーの心の叫びだった。
 本来ならば、この一回の観劇をこの作品との出会いとするところだが、音楽が、そして解放されたトミーの瑞々しい歌声が忘れられずに、再び劇場へ赴いた。 
 この作品は、クレーンも駆使した立体的な舞台作りがされていた。そこで今度は全体を見渡せる二階席から臨んだ。
 音響の問題はすっかり解消され、そこで観たのはピンボールマシンを手にしたトミーが、水を得た魚のようにその世界で自由に生きている、彼自身の小宇宙の存在だった。クレーンの上でピンボールを弾くトミーが、客席の上空にまでセリ出してくる。表情ひとつ変えずに黙々とプレイする姿とは裏腹に、トミーの精神の解放を象徴する光景だった。
 父と母が常に見守る視線を、見えない、聴こえない、しゃべれないという三重苦の中で、トミーは知ることができたのだろうか。ある衝撃により、その苦しみから解放された後も、トミーは決して幸せな人生を送ったとは言い難い。
 時の人として人々からもてはやされた、わずかの間の駆け抜けるようなトミーの生き方。これが後に襲ってくる空虚な喪失感を味あわせた。世間の人々が奇跡の青年にあやかろうと彼に群がり、そこから何も得られないと知ってからの非情さが、両親の想いとは対照的に観る者の胸に突き刺さる。
 一九六九年に発表されたザ・フーのアルバムが根底にある「ロック☆オペラ」と名のつくこの作品は、接点を持たない個性あふれる人物たちの登場と、お伽話のような展開の作品である。
 そこはさすが、大劇場に慣れた演出家であった。全編が歌で構成される作品を、空間をダンスで埋め尽くし、見えない心の内をスクリーンに映し出していた。
 楽曲への敬愛が、歌声とともにその光景をいつまでも観客の記憶に残る美しい世界として描いた舞台に、演出家のロマンを感じる。
 トミーの内面と親子の絆、果ては外界との接触を巡る物語において、青年トミーに中川晃教が配された意味は大きい。繊細なたたずまいと揺るぎ無い信念の上にある演技で、リフレインされる楽曲が、嬉しくも哀しくもトミーの心境そのままに観る者の心に響いていた。
 作品が発するメッセージを、観客はどんな想いで受け止めたのか。次は肩の力を抜いて、この心に残る楽曲を、トミーの宇宙を、巨大なアリーナのような空間の中央で観てみたいという欲求が募ってきた。
いのうえひでのりが、そして中川晃教が描いたロック☆オペラ『TOMMY』に、ザ・フーとは異なる新たな音楽の記憶が、見亊に観客に刻まれていた。

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「見果てぬ夢、にがい現実」
マーガレット伊万里
  もしあのとき本当のことを言っていたら、自分の気持ちを素直に伝えていたなら、現実は今とは違っていただろうか?そんな誰もが味わう現実と理想のはざまでゆれ動く青年の話。
 作・演出の蓬莱竜太によれば、「いつものモダンスイマーズとはちと違う」とコメントされているモダンスイマーズの公演「回転する夜」を観る。
 どこか田舎のとある町。青年ノボル(津村知与支)の部屋に同窓生のアッくん(小椋毅)、ヤースケ(西條義将)、ニッキ(古山憲太郎)が集まっている。全員とうに学校を卒業したものの定職もない、フリーターのようす。裕福な家庭のノボルの両親は海外生活を送っており、貿易事務の勉強を自宅で続けるノボルは、ひそかに家業を継ぐつもりでいた。
 そこへ兄のサダオ(古川悦史)がノボルの家庭教師だった千穂(高田聖子)を連れて帰ってきて結婚を発表し、家業を継ぐことにしたと言い出す。
 ノボルの思惑はつぶれ、突如、目標を見失ってしまう。
 そして五年たったある夜、熱を出して寝込んだノボルは、その夜の出来事を反芻するかのように二度、三度と繰り返し夢にみる。
 同じシーンが何度も繰り返されて、それは一見わかりにくいようだが、ノボルの都合のいいように、人物がかき消されていたり、事実関係がねじまげられているので、熱に浮かされたノボルの夢だということがはっきりしてくる。そんな現実と理想のはざまでもがく青年の姿と夢のリフレイン効果がうまくクロスしていて、ファンタジー映画を見ているような心地よさを感じた。
 兄のサダオが家業を継ぐとわかったとき、自分が本当はやりたいのだと告白していたら、自分が継いでいただろうか?千穂に恋心を告げていたらどうなっていただろう…。うじうじと五年間も心のどこかでそんな思いをずっと引きずってきた。しかし所詮後悔先に立たず。待ち受けているのは現実と未来のみ。
 そこでノボルは、いまは義姉となった千穂に、五年前に聞いた彼女の良くないうわさの真相を問いつめ、せきを切ったように自分の願望をつきつける。千穂は、むなしさからお金で男性と関係をもったこともあったが、サダオのやさしさに惹かれて結婚したと打ち明ける。けれど今では夫婦関係も冷めてしまったという彼女の孤独にふれると同時に、兄の口からは、つぶれかけていた事業を親に頼まれてしかたなく継ぐハメになったという意外な事実を聞かされる。
 ノボルが考えていたような甘美な夢はどこにもなかったのだ。往々にして現実とは残酷なもの。部屋にこもりきりだったノボルの頭でっかちな心に穴があく。
 ノボルが信頼するアッくんも、日本を守ると言って自衛隊に入隊しイラクへ向かったが、五年間給食係をつとめただけで、自ら描いていた夢とは程遠いものだったことを本人も、ノボルも思い知る。
 兄夫婦や友人のつらさを知り、ノボルはがっくりと肩を落とす。千穂は言う。これが「わたしたちの世界だよ」と。逃げも隠れもできない現実の世界。特別な才能もなく、日常を生きなければならない普通の人々の世界だ。
 住む家があって、親兄弟と暮らして、あせって仕事を見つけなくてもすんでしまう今どきの青年の心の内がていねいに描かれていて、とても好感がもてた。とうに中年の域に入った自分にとって、なかったかのように置いてきた思いを久しぶりに味わう心持。
 熱のひいた体で自転車をこいで、朝日の中、新しい仕事に出かけていくノボル。ほほえましいラストシーン。 
 三十代になったという劇団員たちにとっては、青年時代との決別ともいえる作品ではないだろうか。かといって、これからも枠にとらわれない劇の可能性にいどんでほしいと思う。
(4月21日観劇)

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「平成の看板女優」
コンスタンツェ・アンドウ
  「看板女優」と呼べる女優は、何人いるだろう。高校の演劇部や小さな劇団にも看板女優は存在するし、単純に主演女優と同義でも使われる。しかし、「大劇場でコンスタントに主演を張り続ける」という意味での看板女優はほんの一握りである。
  かつて、東京の大劇場には、山田五十鈴、山本富士子、森光子、池内淳子、佐久間良子、浜木綿子らの名前が連なっていた。ちょっとお年を召した女優さんが、華やかな衣装(時には振袖なども)を身にまとい、団体でやってきた女性客が、嘘か本気か「綺麗ね〜」と囁きあう…という舞台は、紛れもなく一つのジャンルだった。
  しかし、近年、興行形態や客層の変化によって、そのジャンルは大劇場から姿を消しつつある。先に挙げた女優達の活躍場所は中劇場クラスの芸術座(席数五七四)等に移り、二○○五年に芸術座が閉館してからは、登板の機会がぐっと減っている。
  そんな傾向に反し、席数一四二八の新橋演舞場で主演回数を増やしているのが、藤山直美である。改めて言うまでもないが、藤山直美は、松竹新喜劇のスター・藤山寛美の娘で、現在四十八才。昔の女優のように下の名前で呼ぶのがふさわしい気がするので、以下、「直美」と書く。
  直美が演舞場ではじめて「看板」を張ったのは、一九九六年に林与一と共演した『夫婦善哉』である。翌九七年『浅草慕情』、九八年『浅草パラダイス』で中村勘九郎(現・勘三郎)と共演し、九九年『花あかり』で単独主演。それ以降、勘九郎・柄本明とトリオを組んだ舞台や、単独主演の舞台が、ほぼ毎年上演されている。東京での興行が途絶えがちな松竹新喜劇の枠を取り返した、とも言えようか。
  直美は、大劇場で客を呼べる、数少ない看板女優の一人になったのである。
今年の四月には『桂春団治』(脚本・演出 宮永雄平)に主演。この作品は、藤山寛美が繰り返し演じた『笑艶・桂春団治』の改訂版で、二○○二年五月に、藤山寛美十三回忌公演として松竹座で初演(春団治は今回と同じ沢田研二)、同年七月に演舞場でも上演(春団治は勘九郎)されている。
  初代・桂春団治は、大正から昭和にかけて一世を風靡した大阪の落語家で、私の世代には、大ヒット演歌「浪花恋しぐれ」でお馴染みである。一九八三年の紅白歌合戦には、「浪花…」をデュエットした都はるみと岡千秋、そして沢田研二も出場していたが、約二十年後に沢田が春団治を演じるとは、誰も想像していなかっただろう。
  『笑艶…』は、春団治を芯に据えた作品だったようだが、『桂春団治』では、直美が演じる「おとき」(春団治の二番目の妻)がクローズアップされ、一人の芸人の破天荒な生き様を描くというよりは、切っても切れない一組の男女の物語になっている。
  おときは、春団治が独身と信じて子供をみごもり、前妻が身を引いて結婚したものの、金持ちの後家に夢中で家庭をかえりみない春団治と訣別し、一人で子供を育てる…という役柄。「耐える女」の典型だが、暗くなりそうな場面でも、直美は持ち前の明るさで笑わせる。かと思えば、泣かせどころでは、しっかり涙を誘う。「笑わせ」も「泣かせ」も、あまりしつこくないのがいい。押すのではなく、引いた芝居で、観客の心を動かせるのだ。
  京都育ちのためか、関西弁がどぎつ過ぎないのも、東京で受け入れられる理由のひとつかもしれない。安心して、笑って泣ける…それが直美の舞台の魅力だろう。
  直美が、かつての看板女優たちと異なる点は、喜劇味と関西味が強いことと、(失礼ながら)美人でないことである。
観客は「綺麗な女優さん」ではなく、「笑い」を求めて劇場へ来る。「何か面白そうなことをやっているみたいだから劇場へ行く」、これは非常にシンプルで、力強い動機である。
  直美には「絶世の美女」役は難しいが、愛嬌のあるぽっちゃり型なので、若い役は不思議と許せる。『桂春団治』の最初の出は老舗旅館の箱入り娘。観客は、「あつかましい」と突っ込みを入れながらも、かわいらしく着飾った直美を、ついつい笑顔で受け入れてしまうのである。
  人に聞いた話だが、大阪では、直美に対する「笑わせてもらいましょう!」という観客の意気込みが、東京より格段に強いらしい。観客の気質に応じ、東西の劇場で直美が芝居を変えるのか、変えないのなら観客の反応はどう違うのか、比べてみたい。演劇における関東と関西の差異を考える媒体としても、直美の存在は興味深い。
  二○○五年には、直美・沢田のコンビで、『夫婦善哉』が上演されている。この舞台も、大正から昭和を時代背景に、健気で一途な女と、だらしないけれど憎めない男が織りなす人情喜劇だった。
  『桂春団治』も『夫婦善哉』も有名な芝居だが、直美が演じなかったら、私には見る機会がなかったかもしれない、と思う。江戸生まれの歌舞伎が今も人気を保っているのに対し、明治・大正・昭和生まれの芝居は元気がない。新国劇は既に解散、新派の勢いも衰え、看板女優たちが演じた商業演劇のレパートリーは風前の灯である。そんな平成の世に現れた看板女優・藤山直美には、近代の芝居を現代によみがえらせる役割が与えられているのではないだろうか。
  求められないから消えるのだと割り切れば、無理に残す必要はないのかもしれないが、日本人の心を映し、時代の香りを漂わせる芝居が失われてゆくのは何とも淋しい。
  『笑艶・桂春団治』が『桂春団治』にアレンジされたように、オリジナルを完璧に踏襲しなくてもよい。藤山直美という役者の個性を生かすことを第一義にしながら、過去の芝居を未来へ繋げてほしい。それはスターでなければできないことで、藤山直美は、十二分にスターなのである。
  日本の演劇を論じる際、商業演劇は、あまり重要視されない。しかし、大劇場を中心とした商業演劇が、長い間観客に提供されてきたのは事実で、それを無視するのは片手落ちである。
  看板女優は減っても、大劇場は存続し、大手芸能プロダクションの進出や、テレビ番組とのタイアップ企画等により、看板女優候補が次々と生み出される。これまでの看板女優の成り立ちと仕事を総括し、これからの看板女優のあり方に注目することで、日本の演劇の一つの流れを切り取り、考察していきたいと思う。

(4月8日観劇)

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あとがき
◆自分は安定志向の新劇系だと思っていたのに、最近初見のカンパニーが増えてきました。動機がはっきりしないまま足を運び、けれどもそのほとんどに予想外の収穫がある幸運に驚き、感謝しております(ビアトリス)
◆「えびす組」メンバーと知り合うきっかけとなった、世田谷パブリックシアター開場から十年。「劇場見聞録」も二十五号を数えます。この年月が何を与えてくれたのか、これからの年月で何を得たいのか・・・思いをめぐらしています(コンスタンツェ)
◆子供の頃から舞台が大好きでした。芝居の勉強をするうち、才能ある仲間の舞台に魅せられ、作品を紹介する立場になろうと心に決めました。世田谷パブリックシアターの劇評講座の門を叩いてから十年…役割を果たせているでしょうか(C)
◆客席の暗がりで舞台と向きあうときは自分の脳だけで考えますが、えびすのメンバーと互いに刺激し合いながらはや十年。自分一人だけでは到底得られなかった豊かな演劇世界との出会いに心から感謝です(伊万里)

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