えびす組劇場見聞録:第28号(2008年5月発行)

第28号のおしながき

時間堂「三人姉妹」
アントン・チェーホフ:脚本 神西清:翻訳 黒澤世莉:演出
王子小劇場 2008年3月13日〜23日
文学座アトリエの会 「ダウト-DOUBT-疑いをめぐる寓話」
ジョン・パトリック・シャンリィ:作 望月純吉:演出 
吉祥寺シアター 2008年4月12日〜22日
劇団青年座 「ねずみ男」
赤堀雅秋:作 黒岩亮:演出 
本多劇場 2008年4月19日〜27日
「ヤマトタケル」
梅原猛:作 市川猿之助:脚本・演出
新橋演舞場 2008年3月5日〜25日
「『三人姉妹』との旅 時間堂『三人姉妹』にめぐりあうまで 「三人姉妹」 by ビアトリス・ドゥ・ボヌール
「『疑い』を生むチカラ」 「ダウト-DOUBT-疑いをめぐる寓話」 by C・M・スペンサー
「やるせない道のり」 「ねずみ男」 by マーガレット伊万里
「ヤマトタケルの飛びゆく先」 「ヤマトタケル」 by コンスタンツェ・アンドウ

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「『三人姉妹』との旅 時間堂『三人姉妹』にめぐりあうまで
ビアトリス・ドゥ・ボヌール
 チェーホフの戯曲『三人姉妹』を初めて手に取ったのは高校生のときだ。神西清訳の新潮文庫である。意気込んで読み始めたものの、人物関係も話もほとんど理解できない。無理からぬことだが、チェーホフとの出会いはこうして早々に出鼻を挫かれてしまった。実際の上演をみたのはそれから十年以上たってからだが、初観劇の実感や明確な記憶がない。おそらく楽しめなかったのだろう。
 九五年、デヴィッド・ルヴォーが演出したT.P.T.公演『三人姉妹』(マイケル・フレイン英訳 小田島雄志訳 ベニサン・ピット)は、自分が心に思い描いていたものに最も近い舞台であった。
 劇中、ベートーベンのピアノソナタ『テンペスト』がゆっくりしたテンポで流れる。本来『テンペスト』は激情が狂おしく掻き立てられるような曲だが、まるでステレオが壊れているのかのようにポツリポツリとつま弾かれるのだ。モスクワへ行きたい、ほんとうの愛を得たいという熱情が叶えられない姉妹たちの心象を表わしたもの。
 自分にはそう感じられた。
 古色蒼然たる作りで、始まった途端眠気に襲われたり、独自の解釈を試みたものの、それが舞台でうまく機能していなかったり、日本人演出家によるチェーホフがなかなか自分の心に届かなかったことを考えると、当時破竹の勢いで話題作を次々に上演し、日本の演劇界を席巻していたルヴォーの演出は奇をてらったところがなく、むしろ戯曲の世界を淡々と描写するものであった。
 心の霧が晴れたような嬉しさと共に、初めて手応えを得たチェーホフが外国人演出家によることが、やはり少し残念でもあった。
 それから三年後、劇団昴の『三人姉妹』に出会う(sc?訳 菊池准演出 三百人劇場)。印象に残ったのは、それまで『セールスマンの死』や『アルジャーノンに花束を』などに小さな役で出演していた若手が大役を堂々と演じていることだった。脇役でも台詞が少なくても、一生懸命まじめに演じてきたプロセスがあってこそだ。若手の頑張りを中堅やベテランが力強く支える。
 「満を持して」とはこのことであろう。
 外国人演出家でなくてもチェーホフはできるのだ。ただし時間がかかる。俳優自身の研鑽はもちろん、十年、二十年、劇団としての積み重ねが必要であることを実感した。
 この春出会った時間堂公演『三人姉妹』は、これまでの『三人姉妹』体験のいずれとも異なる新鮮な舞台であった。
 王子小劇場の中央に舞台を置き、両サイドを客席が挟む。開演時間になると奥から俳優たちが三々五々舞台に上がり、からだを動かしたり声を出したりウォーミングアップを始める。客席に知り合いをみつけて言葉を交わす俳優もあって、『三人姉妹』の稽古に集まった俳優、あるいは観客と同じ日常から舞台の世界にすべりこむ趣向とみた。
 やがて俳優たちは整列し、声を合わせて歌い始めた。歌詞はないが物語の始まりを告げる力強いメロディで、こちらの背筋も伸びてくる。
 始まった舞台は驚くほど正攻法で、戯曲に忠実、いや「誠実」と言ったほうがよいと思われる作りであった。衣装は普通で、外国人のような鬘やメイクも施さず、舞台装置らしきものと言えば、テーブルと椅子くらいである。
 細い角材のようなものをいろいろなものに見立てるところがおもしろい。たとえばベルシーニンと姉妹たちが対面したあとの場面だ。俳優がすばやい動きで数本の角材を四角く組み合わせ、「額ぶち」の形にする。
 「これ、兄のお手製ですのよ」イリーナは嬉しそうだが、見せられたベルシーニンは困惑している。いったいどんな額ぶちなのだろうと想像する楽しみがわくのである。
 特別な仕掛けがひとつある。
 俳優たちは舞台奥から出てくるところまではわりあい素の状態で、舞台にあがるときに、ふっと役の顔になる。
 たとえばフェラポントやアンフィーサ役の俳優は、どちらも若い。奥から普通に歩いてきて、舞台にあがる瞬間に老人の身体を作る。退場するときはその逆だ。
 演出の黒澤世莉が公演チラシに寄せた文章に「時間堂が絶対に保証できるのは、みなさまの前で深呼吸をして役を生きない俳優はいない、ということ」とある。挨拶文というよりほとんど決意表明で、舞台作りへの誇りと俳優たちへの信頼が感じられる。
 「深呼吸をして役を生きる」というのは、どういうことだろう。
 最初、舞台稽古をしている俳優たちという趣向かと予想したが、開幕の演出は深呼吸のための助走であり、「役になりきる」という通りいっぺんの役作りの域を越えて、俳優が「役を生きる」姿を観客と共有したい願いではないかと思う。
 終幕、俳優たちが力強く歌いながら舞台の回りを行進し始める。メロディは開幕の、あの歌である。
 休憩をはさんでたっぷり三時間の旅路は終わった。外国人演出家でもなく、老舗の劇団でもない、若いカンパニーがここまで誠実に、逃げずにチェーホフに取り組んだことが嬉しく、冷たい雨のなか、心満たされて家路につく。
 もし自分が高校生で、初めて出会うチェーホフの舞台が時間堂だったら、果たしてどう感じただろうか?比較の対象がないだけにもっと新鮮だったかもしれないし、あるいはびっくりするだけでよくわからずに眠ってしまったかもしれない。
 チェーホフは作り手だけではなく、観客にも学習が必要だ。いくつかの『三人姉妹』体験ののちに時間堂にめぐり会えたことは、幸運であった。
 帰宅して、新潮文庫『三人姉妹』の色褪せたページを開く。
 「生きて行きましょうよ」
 オーリガは今日もわたしに語りかける。
 「それがわかったらね!」
 どんな気持ちでその言葉を言ったのかをもっと知りたくて、繰り返し読み直す。年月をかけて味わえる作品に出会えた幸福を改めて噛みしめる。
( 3月20日観劇)

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「『疑い』を生むチカラ」
C・M・スペンサー
  信濃町にある文学座では、アトリエの隣の「もりや」と呼ばれていた建物が解体され、稽古場と事務所の機能を備えたビルを建設中である。
  そのため、今年一年間の「アトリエの会」の公演は、すべて吉祥寺シアターで上演されることになった。
  その第一弾が、作・ジョン・パトリック・シャンリィ、演出・望月純吉による『ダウト-DOUBT-疑いをめぐる寓話』である。
  四月中旬に幕を降ろしたこの作品をすぐに紹介したつもりであったが、よほどこの「疑い」が日本人の心を捉えたとみえる。短期間の上演にしては新聞などメディアの関心が高く、頻繁に取り上げられているのを目にした。それだけ渇望されていた主題であったのか。
  私は「ダウト」というタイトルから、同じ呼び名のトランプのゲームを連想してしまった。
  手持ちのカードが少なくなったのに都合よく自分の番で適したカードを出し続けられるわけがない、という推測を根拠に、相手がカードを差し出す手元とその表情をじっくりと観察する。ついには心理まで推察し、常に疑いの目で見つめ、ここぞと思う時に、「ダウト!」と発して相手のプレーを止める。
  そこには「疑い」という直感以外、何もない。
  断っておくが、この作品はトランプゲームのそれではない。
  この作品は、一九六四年のニューヨーク・ブロンクス地区にあるカトリック系の教会学校を舞台としている。
校長であるシスター・アロイシス(寺田路恵)は、あるクラスの若い担任のシスター・ジェームス(渋谷はるか)から、気になる出来事を告げられた。
  フリン神父(清水明彦)に呼び出されて戻った校内で唯一の黒人の男子生徒が怯えていた、そしてその生徒の息からアルコールの匂いがしたのだと。
  校長は神父に対して執拗に、その生徒との間で何があったのか真相を究明しようとする。生徒の母親(山本道子)でさえ取り合わない、証拠もない状況で。
  アロイシス校長の視点で描かれているこの作品は、人種、体制としての上下関係、虐待、小児性愛など、様々な問題を含んでいる。体制の只中にいる彼女が重点を置いたのは、生徒を守ることであり、経験としての「疑い」が彼女を支えているように見えた。
  シスター・ジェームスの立会いのもと、校長はフリン神父にあの男子生徒のとった行動に対する疑惑について尋ねた。そこでの神父の釈明に、シスター・ジェームスは納得した。しかし校長は、それは問題を早く解決したいだけで、その方が自分にとって簡単だからなのだと彼女を罵しった。
  アロイシス校長のシスター・ジェームスに対する発言に、はっとした。情報から答えを選択するのは私たち自身の判断であるが、その一つを取って決着したつもりになってはいないだろうか。
  マークシート式の答えと同じである。つじつまの合いそうなものを選んで終わり、だ。
  その怠惰な判断は、目をつぶる、という行為と同罪ではないのか。
  アロイシス校長は、提示された答えに納得しなかった。自身の見極めた人間に対する「疑い」が警鐘となり、彼女に真相を究明するという行動を起こさせたのだ。
  物語の意外な展開に、手に汗を握る心理舞台劇である。登場人物は4人だけ。彼らの言動だけを頼りに、観客は疑い、自ずとジャッジを下しているような緊張感があった。
  ここでは神父の罪の有無は明かされない。結局、神父は栄転という形で、アロイシス校長の前から姿を消した。
  さて、この作品に私自身が決着をつけるのに、長いこと随分考えを巡らせていた。
  事の白黒をつける以前に「疑い」という行為を生むことが、日常でいかに欠落しているかに気付いたからだ。
  そして校長が最後に言い放った「疑いを感じている」という言葉が、新たな恐れを抱かせた。
  もう一度トランプのゲームを持ち出して言うならば、「ダウト」の声で一旦プレーが終わっても、実は相手のカードが増えるだけでプレーは続く。この芝居の決着のつかない結末には、そんな怖さも宿っているように思うのである。
( 4月15日観劇)

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「やるせない道のり」
マーガレット伊万里
  人が人生の中で最も大きなストレスを受けるのは、身内の人間の死に直面したときだと何かに書いてあったのを思い出した。親兄弟、生涯の伴侶。突然の別れであろうと、覚悟の上での別れであろうと、永遠にその人とはふれあうことができないという事実を受け入れるには、多くの時間を要する。その人の死の理由が誰にも告げられず終わりを迎えたとしたら、残された者のとまどいたるや如何ばかりか……。
 THE SHAMPOO HATの赤堀雅秋が青年座に書き下ろした2作目「ねずみ男」の初日を観る。(演出・黒岩亮 於・本多劇場)
 三年前の八月十日、松田稔(山本龍二)の妻・京子(津田真澄)が団地から飛び降りて自殺してしまった。理由はわからない。稔は、京子が死んだ理由を探しあぐねていて、毎晩、見失ったカエルの絵のついた爪切りを探す夢を見続けているという。
 舞台は三年後の八月十日、蝉時雨が鳴り響く松田家のダイニングキッチンと居間。京子が死んだ三年前の八月十日とを行き交うように物語がすすむ。家には、稔に好意を寄せる片岡(横堀悦夫)がかいがいしく彼の世話をやいたり、家業の自転車屋の従業員・石井(川上英四郎)が出たり入ったりしている。
 今日は京子の命日で、娘の誕生日でもある。そんな話をしていたと思ったら、奥の襖がサッと開き、髪の長い女性が出てきた。
 これが娘なのかしら? と思い見ていると、キッチンの冷蔵庫を開けて牛乳をパックごとラッパ飲み、ソーセージに一本、二本とかぶりつく。何事かと固唾をのんでいると、稔とその女性のやりとりがあやしい。娘ではない。その女は、自分が誘拐されたと言っている。近所の片岡も交じってのやりとりを聞いていると、女の名前は根本(野々村のん)で、京子を殺した人物だとののしられている。
 しかし、誘拐事件のわりには双方緊迫感に欠ける。誘拐してきたほうには計画性も感じられず、根本は手足に巻かれたガムテープが汗ですぐにはがれ落ちるので、人のいるダイニングへやたらふらふらと入ってくるけれど、逃げようともしない。
 根本は、三年前、自殺直前にスーパーで万引をした京子をつかまえただけだった。
 妻の死の動機がわからないゆえ、やり場のない稔の悲しみが、根本への憎しみとなってしまった結果だ。稔は京子が死んだ時刻に根本を殺すと告げる。そこへ、実家を出ている娘の美紀(もたい陽子)が大きなお腹で、子どもの父親である矢崎(宇宙)を連れてやってくるも、京子の死後、抜け殻のような稔の姿は、美紀をいらだたせるだけで、親子は向き合うことができない。
 根本を部屋に隠したままの状況で、いよいよにっちもさっちもいかない状況になった稔。挙げ句は、根本の夫を家に呼び寄せて、とりつくろうハメに。
 ところが今度は、根本も実は夫とうまくいっていない状況が明るみになる。
 さらには、根本がその日スーパーで京子を目に留めたのは、京子が自分と同じ大きな孤独を抱えていたからに違いないと告白する。
 稔は、京子の死を止められなかった思いを根本の孤独な心にぶつけるかのように彼女を抱き寄せる。「京子にこうしてやればよかったんだ」と自分に言い聞かせながら。
 結局、稔は京子の死の理由がわかったわけではない。妻を失った心の傷が消えることもないだろう。飛び降りた本人にさえ、理由がわかっていなかった可能性もある。あの世にいって本人に問いただすことはできないのだから、それでも残された人間は生きていかなければならない。
 そんなささやかだけれど確かな決意というか心の準備ができるまで、稔は三年かかった。そして、見失っていたカエルの爪切りが見つかったとき、堂々巡りだった稔の視界にパァッと光が差し込んだところで芝居が終わる。
 答えは、最初から心の奥底にきちんと存在しているのかもしれない。爪切りのありかはここだよ……と。ただそこに至るには、人は時間と道程を要する生き物なのだとしみじみ思う。
(4月19日観劇)

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「ヤマトタケルの飛びゆく先」
コンスタンツェ・アンドウ
  スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の初演から、今年で二十二年。当時、私は本格的に歌舞伎に通いだす前だったが、大きな話題になっていたことを記憶している。平成に入ると、猿之助の歌舞伎を見る機会も増え、一門の若手による『雪之丞変化2001年』等にも足を運んだが、スーパー歌舞伎初観劇は九一年の『オグリ』になる。
  実を言うと(ご贔屓筋の気分を害して申し訳ないが)、猿之助という役者、苦手である。容姿も芸風も肌に合わない。普通なら舞台をパスして終わるところ、『オグリ』以降のスーパー歌舞伎の新作も、猿之助の奮闘公演も見続けることになった。
  理由は幾つかある。以前「えびす組劇場見聞録」にも書いた通り、一門の女方・笑三郎に興味を持ったこと。「猿之助軍団」とも呼ばれる一門の繋がりに秘かな羨望を抱いていたこと。そして、猿之助の仕事は、好き嫌いを抜きにして、広く演劇界の中で無視できないと感じたからである。
  話は遡るが、八七年に「ニューディレクション歌舞伎」と銘打たれた『碇知盛・吉野山』を見た。その時は通常の『義経千本桜』を知らなかったのだが、後で振りかえり、随分大胆な「演出」をしていたのだと驚いた。
  スーパー歌舞伎の舞台づくりの過程は、猿之助の著書『スーパー歌舞伎』(集英社新書)に詳しい。この本は、芸談集や半生記ではなく、ヒト・モノ・カネと時間をどう有効活用し、大きなプロジェクトをマネージメントするか、その試行錯誤が具体的に書かれていて非常に面白い。
  一連のスーパー歌舞伎作品は、「歌舞伎かどうか」が議論されたことからもわかるように、歌舞伎の新作としてはもとより、演劇全体への影響力を持っていたと思う。衣装・装置・照明・音楽の豪華さや複雑さ、出演者の人数や公演回数の多さ、全国の大都市での上演など、一人の役者の責任興業として、これだけの規模の舞台が継続して作られたのは、驚くべきことである。
  スーパー歌舞伎第八作『新・三国志U』(○一年)を見た時、私の感情に微妙な変化が訪れた。中国の英雄・諸葛孔明の恋や、理想を追うことの難しさなどが描かれた作品で、特に「リーダーの宿命」的な面が強調されている。集団を率いて歌舞伎界の中で戦い続けるかの様な猿之助と、孔明の姿が完全にダブった。初めて、すんなりと感情移入できたのである。
  同時に、猿之助の体力に衰えを感じるようになった。当初は、喧嘩相手が元気じゃないと張り合いがない、程度に思っていたが、やがて、猿之助の長期休演という事態が起こる。スーパー歌舞伎は九作目でストップし、一門の役者の活躍の場も減った。一方、歌舞伎の新演出や新作が続々と生まれ、その中の趣向や手法が既にスーパー歌舞伎で試されたものであったりすると、どこか淋しさも覚えていた。
  ○八年、三年ぶりに『ヤマトタケル』を見た。九五年に右近、○五年に右近と段治郎で見ているので、通算四回目になる。
  改めて感じたのは、スーパー歌舞伎は「書き物」だということである。明確なテーマや思想を内包した脚本に始まり、演出は後に続くと感じさせる。もちろん、それは必ずしも長所とは限らない。テーマの表現方法がしつこくて辟易したり、ストレート過ぎて照れ臭くなったりもする。長大な脚本をカットするため、重要なポイントが抜けているように感じたこともある。しかし、見せることや楽しませることに重点を置きがちな最近の歌舞伎の新作とは一線を画しているし、今の時代にそぐわないという面は、時代に左右されない強さの裏返しである。
    『ヤマトタケル』は、「古典になった」という声もある。果たしてそうか。今回、猿弥が帝役を演じる夜の部は(昼は金田龍之介)、門閥外の出身者が多い一門の役者がメインキャストを占める。二十二年前、誰が想像しただろう。これは素晴らしい成果である。だが、反面、一門以外の役者が全く関与しない(できない)とも考えられる。
  歌舞伎の古典は、人気のある幕だけが継承されている場合が多い。しかし、一部分だけの上演は、「書き物」としての性格が強いスーパー歌舞伎に適さないし、スケール感を損なう。完成形を保つには興業側にも覚悟が必要だ。スーパー歌舞伎は、その目指すところと、規模の大きさ故に、身軽さ、柔軟さがない。「上演される古典」として定着させるのには困難が伴うと思う。
  カーテンコールに、思いがけず猿之助が登場した。正直なところ、単純には喜べなかった。これでもかと舞台を駆け回り、私をうんざりさせた猛優・猿之助は戻ってこないのでは…と複雑な気分で劇場を出た。
  暫く後、十三代目片岡仁左衛門を追ったドキュメンタリー映画を見た。十時間を超す映像には、八十歳を超えて尚、舞台を作ること、演じることをやめなかった役者と、家族の生き様が焼き付けられていた。私は、役者の情熱は、家族や周囲の役者達に支えられつつ、その人達を支えていることに気付いた。役者が舞台への情熱を表現することを、無責任な感傷で否定してはいけないのだ。同じ無責任なら期待しよう。私はそう決めた。
  現時点では、スーパー歌舞伎はまだ猿之助のものである、と考える。今後、どの方向へ進めるかの舵取りは、猿之助自身が担っている。同時代の人間だけに与えられた花とするか…それも一つのあり方だ。歌舞伎に根を張る大樹とするか。当面は、一門の役者達だけで現状維持できるかもしれないが、歌舞伎界全体で積極的に関わらなければ、「上演されない古典」となるだろう。
  猿之助の著書『スーパー歌舞伎』の冒頭に「『表現者』である以上に『創造者』たらんと念じて…」という記述がある。私は「表現者・猿之助」に好意を持てなかったが、役者への愛着で目が曇ることもない。これからも、「創造者・猿之助」の仕事に期待し、向き合ってゆきたい。
(3月15日昼の部観劇)

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