えびす組劇場見聞録:第31号(2009年5月発行)

第31号のおしながき

ユニット・トラージ公演 「アチャコ」
北村想 作 小林正和 演出
こまばアゴラ劇場 2009年4月4日〜12日
はえぎわ 「寿、命、ぴよ。」
作・演出 ノゾエ征爾 
下北沢 ザ・スズナリ 2009年2月26日〜3月4日
「NINAGAWA 十二夜」
蜷川幸雄 演出 
バービカンシアター(ロンドン) 2009年3月24日〜28日
新春浅草歌舞伎 「一本刀土俵入」
長谷川 伸 作
浅草公会堂 2009年1月3日〜27日
「『アチャコ』効果」 「アチャコ」 by ビアトリス・ドゥ・ボヌール
「高く、高く、漕いでゆけ」 「寿、命、ぴよ。」 by マーガレット伊万里
「五代目のアイデンティティー」 「NINAGAWA 十二夜」 by C・M・スペンサー
「イノセントなまなざし」 「一本刀土俵入」 by コンスタンツェ・アンドウ
○●○ 思い出すあの人 ○●○  えびす組メンバーによる100字コメントです♪

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「『アチャコ』効果」
ビアトリス・ドゥ・ボヌール
  北村想の舞台にせっせと足を運んでいたのは二十年以上前になるだろうか。『ザ・シェルター』や『想稿・銀河鉄道の夜』が心に残る。新劇の堅苦しさがなく、かといってアングラほど恐ろしくない。とぼけたような味わいとファンタジックな雰囲気の中に、人が生きていくために大切なものは何かがさりげなく示されていて、見終わったあと優しく温かい気持ちになれるのだ。
 理由やきっかけは思い出せないが、気がついたら足が遠のいていた。当時自分は明確な基準や目的もなく舞台を選んでおり、結果的に「好きな劇作家や俳優、自分の肌に合うもの」に偏っていたと思う。北村想は、ある時期自分の嗜好に合い、いつのまにか別の対象に興味が移ってしまったらしい。
 今回北村想書き下ろしの『アチャコ』も、「最近なかなか見られない作品になっている」と、ネタばれに配慮した知人からの抽象的な情報を得て足を運んだわけで、積極的、自発的なものではなかったのだ。
 ユニット・トラージは『アチャコ』公演のために集まったスタッフ、キャストのことで、四月の東京公演のあとは、七月に大阪と名古屋を巡演する。まさに作品限定、期間限定のレアものということだ。
 開演前の挨拶をしている男性が俳優の小林正和であると気づくまでに少し時間がかかった。本公演の演出家である。プロジェクト・ナビ時代は男性メンバーの中でも際立って細身で、チャラチャラした軽薄な役柄が多かったと記憶するが、目の前で「携帯電話の電源をお切りください」と静かに語りかける人は、穏やかで素敵なおじさまだ。
 二十年たったのだなと思う。
 さて『アチャコ』開演である。
 主人公はアダルト小説家の大河内伝三郎先生(土居辰男/劇団ジャブジャブサーキット)で、ほかにふたりの弟子、担当編集者(斉藤やよい/B級遊撃隊)、弟子入り志願の女性(ジル豆田/てんぷくプロ)が登場し、演出の小林も時々顔を出す。一番弟子(渡山博崇/星の女子さん)が沸かすドラム缶風呂にのんびりと浸かる先生のもとに、「新作を読んでほしい」と二番弟子(空沢しんか/フリー)がやってくる。女優が演じているが男性の役らしい。
 「しかしわしは風呂に入っている」「だったら今ここで読み上げます」というやり取りが何度も続く。繰り返しの意味がわからないが、あまり気にならない。やっと始まった二番弟子の「リーディング」は、思いも寄らず純文学の香り漂う格調高いものであった。内容は若い男女がからだを重ね合うああしてこうしてが延々と続く。微に入り細を穿つとはこのことだ。しかも結構な長さである。そのあいだ先生と一番弟子はじっと聞いているだけなのだ。客席も同様。
 ここ数年「リーディング公演」によく足を運ぶようになり、さまざまに趣向を凝らした舞台によくも悪くも慣れてしまった身には、ただ読み上げるという究極のリーディングは逆に新鮮だ。空沢しんかの朗読は終始淡々と、地の文と台詞の使い分けも的確で見事なもの。先生と一番弟子と一緒に静まり返って聞き入る客席の自分を滑稽に思いながらも、やはりここは聞くしかないのであった。
 このリーディング場面に限らず、『アチャコ』で交わされる会話は大半が下ネタで、下品、猥褻、悪のり的要素が濃厚だが不愉快にはならなかった。俳優が際どい台詞を発するとき、どうかと思うくらいの大胆演技をするとき、観客を驚かせよう、たじろがせてやろうという劇作家や演出家の下心が感じられた瞬間、表現は新鮮味を失い、あざとくなる。『アチャコ』にはそういうところが感じられず、俳優はひたすらマイペースで舞台に存在しているようにみえた。
 これは戯曲そのものもさることながら、演出の手腕によるものではないだろうか。
 前述の通り、演出は元プロジェクト・ナビの俳優小林正和である。北村想とは長年ともに舞台を作ってきた同志、盟友といってよいだろう。しかし『アチャコ』には、戯曲と演出のあいだに曰く言い難い距離、温度差を感じるのである。お互いの信頼関係があるようなないような、言葉をひとつ選べば「客観性」であり、もう一息言ってしまえば「無責任性」(こんな言葉はないか)であろうか。
 戯曲を読み込み、その世界を舞台に立ち上げようという懸命な姿勢はもちろん素晴らしい。劇作家と演出家のぶつかり合いに俳優が加わって、さらに稽古場は白熱していくだろう。その様子がありありと感じられる舞台も確かにあって、その勢い、迫力は自分が舞台作りの現場にいないことが悔しく、嫉妬心を掻き立てられることさえある。
 『アチャコ』に「白熱する稽古場」は想像しにくい。感じられるのは、「好きに書かせてもらいました。あとは自由に」という劇作家の潔さと寛容、「困ったものだが、何とかやれるだけは」という演出家の諦念と控えめな気合いだろうか。
 自分の観劇日は客席盛況とは言えず、カーテンコールで小林正和から「よかったらお知り合いにお声がけを」と挨拶があったが、や、これを勧めるのはちょっと。終演後のロビーには出演者がずらり並んで観客のお見送り。その様子に臆して逃げるように退出してしまった。自分は『アチャコ』を楽しんだのか、そうでないのか、いまだに困惑し、かといって本気で結論を出そうと努力もしていない。そもそも自分は何を伝えたくて本稿を書いているのだろうか。
 二十年以上いろいろな舞台を見続けることができて、一向に飽きないのは大変な幸福である。演劇は我が宝なり。しかしいつまでたっても「これで充分」と満足できない自分は、もしかするとこれはある種の病いに冒されているのではないだろうか。
 『アチャコ』は毒か薬か。その効果や影響がいつどのように現れるのかは、自分にもわからない。わかっているのは、答を出すためには、これからもいろいろな舞台をみる以外にないということなのであった。
( 4月9日観劇)

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「高く、高く漕いでゆけ」
マーガレット伊万里
 劇場の暗がりで約二時間。時折、集中が欠ける瞬間があるものの、また気を取り直して舞台のやりとりに全身で挑む。だのに、客席を離れ家に着く頃には、その内容を半分も覚えていなかったりして。一所懸命に見たはずなのに……気持ちとは裏腹な私の脳である。
 しかしながら、意識しなくてもたった一つのシーンが決定的な記憶となって残る舞台もある。そこには、どんな意味があったのか、たまに記憶を取り出しては思いを巡らせる。
 劇団はえぎわの公演で、とても記憶に残るシーンがあった。はえぎわ十周年第二十回公演「寿、命。ぴよ kotobuki, inoti. piyo」(作・演出 ノゾエ征爾)を見て、人の命の長さについてふと考えた。
 人生八十年と言われて久しい。医療技術が発達し、多くの病気が治る長生きの時代。テレビや新聞・雑誌で健康に関する情報があふれ、長生きしないと損だという認識に捕われすぎているなと感じる。
 お芝居の冒頭は、葬儀のシーンから。舞台奥には、大きく映し出されたねね子(小百合油利)の写真。満面の笑顔。主人公ねね子は死んでしまった。彼女の死を悼む両親や同級生が集まっている。
 するとお話は、ねね子の生前に戻る。
 ねね子は美大生で、学校の卒業制作に心血を注いでいる。納得のゆく作品を生み出そうと同級生たちとアイデアに悩み、苦しむ日々。
 そんなある日、アンダーソンと名乗る中年の男(伊藤ヨタロウ)と出会う。彼は、昼間からほとんど酒を飲むだけの生活を送っている。どこか憎めないアンダーソンが気になるねね子は、彼と共同生活を始める。またある日、道に生え始めた奇妙で大きな植物。ねね子の卒業制作の締め切りに向かって、お話が進んでいく。
 話が進んでいくと書いてはみたが、ねね子の日常が綴られると同時に、話は脱線したり、ナンセンスな場面も多い。さらに歌あり、踊りあり。所々にのぞき穴のような仕かけが盛り沢山。この脱線ぶりは好き嫌いが分かれるところだろう。はえぎわの特徴でもあるようだ。
 ねね子の創作に対する気持ちは前向きなものの、芸術的思考が深まるというよりは、感性のままに語り、動き、その朗らかさが周囲に愛される理由だ。
 彼女は舞台に初めて登場するシーンで、ブランコを大きくこぎながら友人に呼びかける。舞台奥をくり抜いた空間で、彼女を乗せたブランコは左右に大きく揺れる。青空を切り裂くようなブランコの動き。その瞬間、大空を背景にして彼女の自由な精神が、命の輝きが、私には見えた。ねね子の躍動する命を感じる印象深いシーンだった。
 観客の私たちは彼女を待ち受けている運命を知っているだけに、その対比がいつまでも心に残る。ねね子を演じる小百合油利の個性も手伝い、この芝居の存在を深く印象づけた演出だった。スズナリの限られたスペースで、とても清々しい気分を得る。あのとき感じた気持ちは、私だけの本物。
 ねね子は、皆を驚かせるような作品をつくりたいと願い、もがき、苦しむ。最後の最後まで、妥協を許さず、創作活動にのめり込む。それと平行して、アンダーソンとはどこか禅問答のような日々。
 そして、ついにねね子は自分の死をもって、そんなこと微塵も感じさせない若い命だからこそ、周囲に圧倒的な生の印象を残して去ってゆく。
 人には皆、寿命がある。死を迎えるタイミングは誰にもわからない。だからこそ、命は長かろうが、短かろうが、太かろうが、細かろうが、平等に祝福してあげますという作家の思いが感じられた。
 「クオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life)」とか、「太く短く」なんてカッコ良く言ってみたいものだが、そこまで腹をくくれず、くよくよ考える自分が情けない。
 けれど、暗い客席に座って舞台を見つめていた時間だけは、ねね子の命の輝きにふれて、あんなふうに生きてみたかったと、あこがれか、はたまた、ノスタルジーか、演劇の魔法にひたる喜びに満たされるのである。

( 3月27日観劇)

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「五代目のアイデンティティー」
C・M・スペンサー
 今年で三度目の上演となる『NINAGAWA 十二夜』。
 今井豊茂脚本、蜷川幸雄演出のこの作品は、二○○五年に歌舞伎座で初演、二年後の再演を経て、今年は日英外交一五○周年記念として英国の招聘を受けてロンドンでの上演が実現した。
 その公演は、三月二四日から五日間の日程で、バービカン・シアターで行われた。これまで数々の蜷川演出作品が上演された劇場である。
 その劇場に足を運んだ。
 歌舞伎座よりも小ぶりな劇場で、花道はない。日本からツアーが組まれていたこともあり、一階席には日本人の観客が目立つ。三階席に座ると、大きなリュックを持ち込んだ若者など、外国人の観客ばかりだった。
 シェイクスピア作品でありながら「歌舞伎」という様式で上演される作品に、そこに居る観客にとっては初めての領域であったことが肌で感じられた。
 一階席からは日本で観るのと変わらぬ拍手が役者の登場や場面ごとに沸き上がり、それに合わせるように、こちらも三階席から拍手を送る。
 すると意外にも、この拍手のタイミングが外国人の観客には珍しく感じられたようだ。一幕が終わると近くに座る観客から「どんな時に拍手をしているのか」と質問された。
 しかし二幕に入ると、一緒に拍手をする人数が、周囲に一人、二人と増えていった。見様見真似のようだが、皆、嬉しそうに合わせて手を叩いている。
 観客として楽しむためのコツを既に掴んだ様子に、ここが演劇の国であること、舞台と観客との一体感が作品を育むのだということ、そして何よりも歌舞伎が日本人のものだけではないことを痛感した。
 さて、この作品はシェイクスピア作の「十二夜」をベースに、様式を歌舞伎に、そして設定を日本に移したものである。
 主演の尾上菊之助が、新作歌舞伎として上演しようと発案したのだそうだ。
 まず、この作品の菊之助の役所について紹介すると、彼は生き別れた双子の兄妹、斯波主膳之助と琵琶姫(原作で言うとセバスチャンとヴァイオラ)を一人二役で演じている。
 歌舞伎で言えば若衆と女形の演じ分けとなるわけだが、実はこれにもう一つ加わっている。琵琶姫が素性を隠して男の獅子丸(シザーリオ)と名乗り、大篠左大臣(オーシーノ公爵)に小姓として仕えるのだ。
 演じる人物は二人でも、三者三様の姿で舞台に現れる。
 菊之助は立役も女形も見事にこなす、しなやかな役者だ。凛々しく、そして完璧なまでに美しくその両方を演じられる若手の役者は、そう多くはいないのではないかと思う。
 「型」の中で人物の特徴を活かし、瞬時に演じ分けるとなれば、これは見た目の姿というよりも演じる力がモノを言う。
 この作品では、兄と妹が交互に姿を現わす「早替わり」が観客をあっと言わせる。それ以上に男に変装した妹と兄が同じ屋敷内で行きつ戻りつする様は、本当に一人の役者が演じる姿かと思うほど、生き生きと二人の人物として舞台に現れていた。
 さらに公演三日目の昼に開催された菊之助を迎えたトークセッションで、単にこの作品がシェイクスピア作品を日本に置き換えられて出来たものではないことに魅力を感じた。
 歌舞伎役者として五代目尾上菊之助である彼は、自分を含めて菊之助は五人存在したこと、周囲に認められなければその名は継げないこと、そして名を継ぐということは、その名の役者としての芸も継ぐという意味があることを真摯に語った。
 観客の目線からは代々の名を持つ役者に「らしく」近づくことが、その役者にとっての誉れであろうと思っていた。いや、そういう部分もあるのだろうが、代々続く役者の家に生まれ、なるべくして歌舞伎役者となり、その道を邁進する一人の人間としての想いは、想像を絶するほどに大きく自由なものであった。
 菊之助は新作歌舞伎に取り組めたことを大変誇りに思い、また、夢をひとつ実現させた達成感が、彼の言葉から感じられた。
 先代の功績を例に挙げ、その時に初めて取り組んだものが当時は新作と言われ、しかし今では受け継がれるものとしてその名前とともに後世に伝えられていることを感慨深く述べていた。
 どうやら菊之助はその名の芸を身につけながら、五代目としての芸を研究し、模索していたようだ。それはまるで彼個人に課せられた使命のようだった。
 五代目尾上菊之助として何を残せるのか、それは一世一代に出来るか出来ないかという大きな課題として立ちはだかっていたのかもしれない。
 トークセッションの最後に、菊之助は夢を語った。将来はこの作品で彼自身が父の菊五郎が演じた役を、そして自分の息子に彼の役をやってもらうこと、だそうだ。
 六月には凱旋公演として、東京は新橋演舞場で、そして七月には大阪の松竹座での公演が待たれる。
 ロンドンでの上演にあたり、菊之助がことあるごとに述べているのは、初演、再演ともに日本のお客様に育てていただいた、という言葉である。
  産声をあげてから、ついには海を渡って外国人の観客にも育てられたこの作品の成長を、同じ時代を生きる観客として、五代目尾上菊之助の発想からこの作品が生まれたことを語り継ぎながら、これからもずっとずっと愛して見守っていこう。
(3月25日観劇)

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「イノセントなまなざし」
コンスタンツェ・アンドウ
  瞳の中に星がある・・・少女マンガの王子様にこそふさわしいフレーズだが、その瞳の持ち主は、ランニング姿の下着泥棒。二○○四年にシアターコクーンで上演された『走れメルス』の中村勘太郎だ。
  目に化粧はできない。二十歳を過ぎたイマドキの青年が、幼い子供のような澄んだ瞳のままでいることに、少し驚き、心を惹かれた。作品の記憶は薄れても、客席をまっすぐに見つめる勘太郎の瞳の輝きを忘れることはないだろう。
  熱心な贔屓ではないので、勘太郎の舞台を全て見てはいない。しかし、見れば必ず、「気持ちのいい」舞台になることが約束されている。悲劇も喜劇も、老若男女も貧富貴賎も、激しい役も穏やかな役も、勘太郎が演じると、いつも「清々しさ」が香るのだ。
  近年で印象的だったのは、二○○八年十月の平成中村座『仮名手本忠臣蔵』。八役を受け持つ大車輪で、うち七役は初役、六役は自分より年長の役者とのダブルキャスト。仁左衛門や勘三郎が脇を固める幕もあり、スパルタ教育のような公演だったが、古典中の古典をきっちりと、かつ伸びやかに演じて、私の浅草通いをより豊かなものにしてくれた。
  そして、二○○九年一月の新春浅草歌舞伎『一本刀土俵入』の駒形茂兵衛。特に前半の取的時代に期待を寄せた。
  朴訥で、どこか憎めない愛嬌と、純な淋しさを漂わせる、生身の若者がそこにいた。お蔦でなくとも、ついつい世話を焼きたくなってしまう。芸の力が醸し出す若さとは異なる、無作為の若さの魅力だ。
  身の上話をするうちに、故郷には母親が待つ家があるんじゃないか、とお蔦に問われ、茂兵衛がつぶやく「なぁに、そこはね、お墓さ…」という台詞が胸に深くしみ渡り、自然と涙がこぼれた。
  次の場面で、満腹になった茂兵衛は、やくざ者たちを叩きのめす。そして、親切にしてくれたお蔦に父のない子がいると知り、複雑な思いを抱きながら、のどかな川辺に腰掛けてゆっくりと食べ物を頬張る…その時の勘太郎の瞳の輝きこそ、私が楽しみにしていたものだ。
  まっすぐに客席を見つめる、イノセントなまなざしと笑顔。茂兵衛の心象と勘太郎の個性がシンクロして、劇場中が温かい光で満ちる。心の奥底に溜まった澱が溶けてゆくような、幸福な瞬間だった。
  後半の茂兵衛については、やや点が辛くなる。渡世人風の身のこなし方に硬さが残り、こなれていない。船頭達とのやり取りでは丁寧な物言いなので、ちょっと強面の礼儀正しいお兄さんに見えてしまう。
  茂兵衛もお蔦(亀治郎)も辰三郎(松也)も若く、まっとうな道に戻る時間がたっぷりありそうで、どんづまりになった人生の哀愁感は弱い。
しかし、今はこれで良いと思う。形や風情に足りないものがあったとしても、親への愛、困っている人への情、支えてくれた人への恩など、今の日本人が忘れがちな「こころ」はしっかりと伝わってきた。
  普通の舞台と違い、歌舞伎は常に「再演」を前提にしている。中でも一月の浅草は、若手の修行の場になっており、大役を与えられた役者には更なる精進が、観客には、その後の役者の変化を見届ける役割が課せられている。それは、未熟さを甘やかすこととは反対の作業である。
  『一本刀…』に続く『京鹿子娘道成寺』は、中村七之助初役の白拍子花子。こちらもまだまだ発展途上。衣装を捌いたり、小道具をそつなく使うことに精一杯な様子で、観客を陶酔させるまでには至らなかった。しかし、名手達との比較を覚悟の上で、高いハードルに挑戦する真摯で孤独な舞姿は、無条件に人の心を打つ。幕切れで、私は大きな拍手を送っていた。
  終演後に浅草寺へ寄るつもりが、すっかり忘れてしまった。神仏に祈るまでもなく、二つの舞台から一年の活力をもらえたようで、家路の足取りは軽かった。
  時の進みは早い。若さの特権を次の世代へ渡す時期はすぐにやってくる。勘太郎も、年齢を重ねるうちに、得るものと失うものがあるだろう。ただ、あのイノセントなまなざしだけは、持ち続けてほしいと願っている。勘太郎の瞳の輝きには、舞台を愛する観客の瞳の輝きも映りこんでいるのだから。
(1月4日観劇)

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 『思い出すあの人』  

◆新劇俳優の中村伸郎さん。好き、尊敬、憧れ。数々の言葉をもっても言い尽くせない超別格のお方です。渋谷ジャンジャンでみた『メリーさんの羊』を今でも夢のように思い出します。(ビアトリス)



◆尾上梅幸さんの『野崎村』お光。「こんなオジサンが?」とハスに構えていましたが、次第に健気な村娘にしか見えなくなり、最後は落涙。ビギナーの私に歌舞伎の奥深さを教えてくれた役者さんです。(コン)



◆今日では舞台に立つその存在に、かつては演劇の指導者として憧れていたのは、坂東玉三郎丈。私が歌舞伎を知る以前のことです。だからこそ、深く熱い想いで創造される作品から目が放せずにいます。(C)



◆ブロードウェイミュージカル「ザナドゥ」来日。オリビア・ニュートン・ジョンが歌った主題歌を聞き、どんな作品なのだろうとまだ見ぬ作品を空想した。ミュージカル映画に興味津々だった幼き頃を思い出します。(万)


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