無理矢理たたき起こされたため、かなり不機嫌なメンバーもいたが、それでも件の担任がすぐその後にやってきて、「おお、よく起きとるなぁ、飯におくれるなよ」と言い残していったため、誰も文句は言わなかった。さすがに彼には起こされたくなかった模様。
で、また朝食。今朝は和食。ご飯のお代わり「のみ」自由なので、育ち盛りの男連中は、いかにおかずとご飯の比率を保つかに悪戦苦闘。私はそういう時には1膳主義なので、それほど気にせずさっさと朝食終了。配膳係のオバチャンに「あんた、そんなに早く食べちゃって、お代わりは?」と、再三再四いわれたが、あくまでキャンセル。逆に逆に意地になって、お茶ばかりがばがば飲んでいたのであった。確か、朝からイカそーめんがでてきて、びっくりした・・・という記憶がある。
朝食後は、さっさとお世話になった部屋を片づけなければならない。食後30分で出発点呼・バスのトランクに荷物を積み込んで、倉敷美観地区散策というイベントがあるのである。これは、出発準備がすんで、部屋前の廊下で部屋のメンバー全員で「点呼」を受けて、晴れて出発となるものだから、あんまり遅いと見学時間が短縮されてしまうのである。それこそ朝食前から、他の人にもあらかた片付けてもらって、出発だけは早くできた。が、うちバスのトランクは小さいので、また詰め込みに苦戦。すでに女子チームが悪戦苦闘中だったので、私が応援。今回は前回と違い、床下ルームに自身が潜り込み、隙間を作らないようにセメント塗りの要領でぎゅうぎゅうと詰め込んでいく。おかげで今日「は」納めることができたのだが・・・。『この先、おみやげでカバンがふくらんできたらどうする?』これが私の翌日以降の課題なのであった・・・。
とにかく、トランクを無事閉めて、我々も散策に出発。学校から支給された観光ガイドでは、一見、美観地区に一番近いのだが、実際はいわゆる「美観地区の終点」側に一番近いのである。「始点」に行くには更に美観地区を横断せねばならない(しかも帽子付き)・・・。
小1時間も時間があるのに、朝が早いせいでお店も、見学施設も軒並み開店前。適当にぶらつき、1往復でもしよう、という結論になったのだが・・・。
大原美術館の前で、怪しげな団体が。よく見るとうちの学校の学生&生徒である。しかも教員に金を払っているし。聞けば、大原美術館の入館料を安く済ませるため(団体割引狙い)、入館希望者を募っているとのこと。我々も暇を持てあましていたので、有志のみ入場(ここで2班に分かれて、片一方は時間までに、美術館向かいの売店で落ち合うことに)。入館はしてみたものの、取り立てた感想はなく(覚えていないだけ、という説もある)私などは早々に1周してしまって、休憩室で座り込む羽目に・・・。でも、たしかに「個人の趣味」にしては立派すぎるコレクションだという妙な感動の仕方はしたが。
さて、散策も終了し(もちろん、車中食(要は菓子やジュース)の入手も済ませ)、再び『くらしき石山花壇』前へ。朝、荷物を積み込んだときとバスの並びが違うので探すのに苦労したが、幸いにも我々のグループが発見し、早々に乗り込み後ろのグループを誘導。並びが違うのは、見学中の1時間半の長時間も停車できないというわけで、近場の観光バス駐車場へ車を移動していたためらしい。
かくして、我がクラス全員+教員2名+添乗員氏(この人、なんと高校のOBなのだそうだ)を乗せ、定刻より2分早く出発。二日目の予定(抜粋)は、
瀬戸大橋通過→与島休憩→金比羅宮参拝(含・昼食)→高松港→フェリーで小豆島→宿泊地へというものであり、明らかに「小豆島への移動」に主眼が置かれている日程である。そんなわけで移動中のレクが問題になる・・・ということで、私が出した虎の子が、これである。
車は瀬戸大橋自動車道へ向かう中、ガイドさんからの朝の挨拶と今日の日程紹介があり、それが終わった頃に、なにげにガイドさんに振って貰ったマイクを頂き、私は声高に宣言したのだ。
『只今より瀬戸大橋クイズ大会を開催します!』
このために先週の土曜日に名古屋駅に行って「全国高等学校クイズ王選手権G(版:日本テレビ編集部)」をわざわざ購入したというものである。何せGの年は1988年。瀬戸大橋・青函トンネルの開業年だけに、この瀬戸大橋にまつわるクイズが多数あるのである!ついでに言うと、このクイズは、参加率の向上と公明正大を歌うため、2000円程度の身銭の投資(景品)と、担任を経由しない印刷ルートの確保(部活の顧問氏に頼んで印刷させて貰った)を必要としたが、そのような苦労は誰も知る由もない・・・。
そこまで気を配ったクイズだけに、当然クラスメイトの他、引率者3名&ガイドさんにも問題を渡し、参加して貰う。
そのクイズはここから
かくしてはじまったクイズ大会だが、当然『難しい!』と非難集中。仕方がないので賞品をチラつかせたり、ヒントを出したり、適当にはぐらかしていたところで、バスが瀬戸大橋(下津井瀬戸大橋)にさしかかったため、ふたたびマイクをガイドさんに返上。ガイドさんは手慣れた(話慣れた?)様子で語っていく中で、クイズの答えも2問分ほど出たため、車内はいい雰囲気に。
与島PAで答案を回収する旨、ガイドさんから言ってもらい、約30分の制限時間の後、「答案回収地」に到着。「お疲れさまでした」と送り出してくれるガイドさんの向かい側で、私は答案の回収にいそしむ。出かける人間が一通り車外に出て、車内に残った人から答案を預かり(若干2名、不参加)、私も与島をうろつく。なにせ瀬戸大橋の中で唯一一般観光客が「車で」立ち寄れる島なのだから。というわけで私も散策。でも「PA内物品購入禁止」なので、本当に見るだけ。みんな思い思いに写真を撮影し、私も他のクラスの面々に混じって、写真屋さんの撮る写真に写らせて貰う。だって、そうでもしないと、私の写った写真がないので・・・。自分は「カメラマン」として、カメラを首からぶら下げているもんで・・・。
短い15分の散策も終了し、再び車中の人となる。私は1人、廻りの景色を見ることなく試験の採点を始める。何せ42名分。今日のこの日のために、制服の胸ポケットにさした赤ペンを使ってマルバツを付けるのだが、いかんせん揺れるバス車内。場所は手狭だし、思うように事が進まない。そうこうしている内に車は四国側に到着。いつしかガイドさんの案内は四国一般の話題から多度津・琴平のといったご当地の案内にかわり、内容を反芻する間もなく、琴平宮の駐車場に到着。実際は神社の駐車場ではなく、参道脇のお土産屋(昼食を摂るお店)の駐車場なのだが、これがまた遠い!私の出で立ちは、首からカメラ+肩にはリュックサック+左首には傘+両手には答案用紙&ペンという燦々たる有様。私自身の計画では、とっくに終わっていてこんぴらさん参拝は気楽に・・・だったのだが、世の中そんなに甘くない。お陰で食事先にまで仕事を持ち込むハメに・・・。
昼食は土産物屋の2階・3階で4クラス毎に分かれて食事。ここで大問題が。1階からエスカレーターで2階に上がるのだが、踊り場で立ち止まるバカが多発して、エスカレーター降り口で降りたツテも降りられない状況が発生。私も降りられず(ましてや両手ふさがっているので)、思わず『早くエスカレーター前を空けてくれ!降りれんで危ない!』と怒鳴ってしまった程である。しかし、過保護教員たちがこんな事も気付かないなんて・・・。
私はどういうわけか座席がなくなっており、余所のクラスの席に紛れ込んで食事をとるハメになる。その方が採点作業がはかどるからいいのだが・・・。と、思ってホッとしたのもつかの間、今度は鼻血を吹き出してしまい、その対応に追われる始末。採点しつつ、讃岐うどん(温)を賞味しつつ・・・という計画が反故になる。結局昼食を摂るのが手一杯。あまりに血が止まらないのを見かねた給仕係のオバチャンが、氷水の入ったビニール袋を持ってきてくださった。お陰でなんとか食事の終了時刻までには止血することが出来た。
で、参拝である。なにせ金比羅さん(←「きんぴらさん」ではないぞ。「特だね」の小倉キャスター!)、階段数がけた外れ。オマケに降雨のせいで足下が悪い。私の班は先頭なので、ガイドさん(現地の方・おじちゃん)のお話を充分に堪能しながら上れたが、後ろの方の人にとっては、それはもう退屈極まりない行動だっただろう。途中でかごに乗った観光客を見ると、それはそれは羨ましかったに違いない。
何だかんだ言いつつもちゃんと本殿前に到着。全クラス到着さえすれば「即・解散」なので、待つだけ待って(この間約10分)、解散に。当然全クラスとなれば、クラス単位がばらけてしまうモノ。仕方がないから事前に「何かあったら時間までに車内集合」と決めておくが、無事班員全員がそろい、早々に下山開始。なにせ人が多いから、早々に下山し、お土産を買い込んでバスで休憩しよう、という話に登山中にしておいたのだ(私が採点作業したかったから、という説もある)。そんなわけでかなり早いほうに下山したはず・・・なのに、既に麓の土産物屋(昼食を摂った店)には、担任&生徒指導主任両氏がお茶をすすっている。そんなことお構いなしに、私は「お小遣いとは別に」貰ったお金で、親戚に讃岐うどんを「クロネコヤマトの宅急便」で送る手続き中。すると、急に担任が近寄ってきて
「金は多めに持ってきとるんかぁ?」と、尋ねてくるではないか!もちろん、「言われた額面上限ギリギリです」と即答。担任は「ふぅん、そうか、そうだわなぁ・・・。」と意味深な言葉をつぶやきつつ再び元の席へ戻る。
こんな一件があった店から、私が早々に立ち去り、後から来る生徒達にこの情報を流したのは言うまでもない。
とりあえず迷子になることもなく(駐車場まで徒歩5分強)バス駐車場まで戻り、車内で採点の続き。帰ってくるのは全学年でトップクラス。早々に近くの自販機でドリンクを買い込み、発車までの15分で採点は終了。発車した後は、問題の「偏差値計算」と、「最高点・最低点」。これがめんどくさい。中学一年生時のお年玉で購入した電子手帳を使って、チマチマ計算し、余った藁半紙の裏面に、短評用のネタも書き込み・・・。結局、答案返却はバス発車後15分を経過していた。
結果の発表の手法としては、確か、答案を返却しながら後部座席から前へ移動し、とりあえず各問の解答発表と、人数の報告。で、教員・添乗員の点数を報告。その後、平均点・標準偏差(計算方法は、K合塾の模試分析資料についていたのを用いました)・最低点の発表、そして、お楽しみのTOP3の発表である。
商品は何だったかなぁ。全部お菓子だったことは覚えております。で、1等がシャトレーゼの「理絵夢」(リエム)の箱詰め500円だったと思います。当然配った後に担任から「それ、どこからもってきた?」と聞かれたが、私は「うちの仏壇の供え物」と、適当にあしらってやったなあ。
クルマは順調に高松市内まで進み、私も仕事が終わったので外の景色をのんびり眺め、定刻より10分も早く高松港に到着。バスで乗船するフェリーなので、おりたくても降りられない、もどかしい時間が過ぎ、ようやく船内へ。バスを駐車ブースに止めた後、「帽子は車内」において、船の客室へ。『貸し切りではないので、常識をわきまえた行動を』とのお達しだが、そんなモノ何処の誰が守るか。どうしても騒がしくなる。約1時間の船旅の間に、甲板でクラス単位で記念撮影なんてしていては、余計にそうだろう。うちの教員も、どこか詰めが甘いんだよなあ・・・。と思いつつ 、写真撮影を見学。暖かな日だったので、半数の生徒は甲板で過ごし、さほど客室は混むこともなく、無事、小豆島(土庄港)に到着。今日はこれで、ホテル(小豆島国際ホテル)に直行し、その日の工程を終了させる。
しかし、その日の予定はまだ続く。到着後、班長会議(宿の方に「お世話になります」と頭を下げてくる会)、夕食(会議のあと、班員に会議の内容を周知徹底させないといけない←おかげで宴の開始が約5分(も)遅れる)、クラス交歓会(名ばかりで結局は翌日のスタンツの練習をする。うちのクソ担任にまたも文句を言われる。こんな物の企画まで、LT委員が責任もてるかってゆーの)があり、クラス交歓会の裏行事に入浴(昨日より広くて景色のよいお風呂でよかった。これで温泉ならばなあ・・・)もあり、無事午後10時、班長会を行い、23時の就寝と相成るのであった・・・。
就寝とはいえ、相変わらず、ドアは開けはなったまま。廊下には門番宜しく教員が立っていて部屋の移動もままならない、ましてや騒ごうものならすぐに聞きつけて駆けつけてくる・・・。と旅行のお楽しみをなにもさせて貰えないまま、つまらない、寝るだけの修学旅行2日目の夜は更けていったのである。