と ん ぼ

 

日長の一日を照らし終えた太陽は西空に傾いて、早や夕暮れとなって来た。空には塩辛(シオカラ)麦藁(ムギワラ)、銀やんまなど無数のとんぼが群がり飛んでいる。村の子供等が

 

とんぼとんぼこの指とまれ

  杖が持っている私の杖に

口々に歌いながら竹箒(タケボウキ)や熊手を持って追い回している。

「いしいし一寸見せえ、俺やんま捕へたから」

「あーれ本当だ」

「正(マア)ちゃん俺にも見せて呉れ」

他の子供たちは正男の捕まえた銀やんまを見て、羨ましそうに見ていた。

「おーい、むぎ捕ったから来いよ」

と叫ぶ声が一寸離れた土提の陰から聞こえてきた。

「信ちゃんがむぎ捕っただとよ、行って見んべえよ」

「行くべえ」

「行くべえ」

皆して声のした土提の方へ歩いていくと、信三が、自分の背より高い竹箒を握って押さえつけながら

「幸(コウ)ちゃん早く取ってくんせいよ」

と真赤な顔を向けて言った。

「ようし、今捕ってやんからギュッと押さまえてろよ」

言い言い竹箒を静かにかきわけた。

「居た居た捕(ツカ)めえた」

「何だ首ちょん切れてるよ」

「どれどれかして見せえかして見せえ」

 

信三はとんぼを受け取った。

「あーれ本当だ、首ちょん切れてる、えーいこんなの捨てちまえ」

言いながら苦労して捕まえたとんぼを未練もなく捨ててしまった。そして下駄で

「えいえい」

と掛け声をかけながら踏み潰してしまった。それをそばでだまって見ていた仁は可哀さうで耐らなくなって来た。

「仁ちゃん何をしているの?お風呂が沸いたから入りなさいてさ」

その声に仁がはっと思って後ろを向くと、亮男が笑いながら立っている、仁もそれを微笑しながら

「トンボ取りを見ているんだよ」

と答えた。

「亮男さん、俺、銀やんま捕ったよ、ほれ、ね」

正男は得意そうに見せた。亮男が見ると、土に汚れた手にとんぼはつかまれ、翼(ハネ)はくちゃくちゃになっている。

「正ちゃん、そのとんぼ離してやんなよ」

亮男は言った

「どうしてでけえ?俺が折角捕まえただよ」

「可哀そうだよ、とんぼだってそんなにおさえられては痛いよ」

「うん、それぢゃはなすべえか」

「あれー、正ちゃんそれ逃がすのけえ」

 

「そんな事言ったって亮男さんが離してやれと言っただぞ」

「やめろよ」

と重雄が言う。亮男はそれを聞いて

「そんなら離してやんべえ、さあはなせはなせ」

「翼切って離せよ、面白いだよ」

信三が悪戯さうな顔を突出して言う。

「さうださうだそうしんべそうしんべ翼切って離せ」

皆が賛成して怒鳴った

「そんな事よせよ、とんぼが泣くぞ」

亮男が言ったが子供たちは聞かなかった。

到々(トウトウ)とんぼは、翼を半分切られてしまった。四片の翼は空しく散って行った。

「さあ離せ離せ」

正男の手から離れたとんぼは、死力をつくして翼を動かしたが傷の痛手に耐えられず、僅(ワズ)かしか飛べず落ちてしまった。

「つまんねえの」

「ちぇっ、つまんねえの」

「もう帰ろう」

「かえるが鳴くから帰えろ」

 

子供等は口々に怒鳴りながら散って行った。アタリは早や夕闇が迫って来て薄暗くなっていた。夕陽の名残りを留(トド)めて西の桃畠の上が茜色(アカネイロ)に染まっている。

「さあ仁ちゃん帰ろう」

「うん帰ろう、ねえ、兄ちゃん可哀そうだったね、今のとんぼはどうなったかしら?」

「見てみようか」

「うん、行こう」

二人は二十歩ほど離れた草の上にとんぼを見つけた。

「こんな所に居たよ」

そう言いながら亮男はとんぼを、つまみあげて見たがもうとんぼは動かなかった。

「兄ちゃん、死んぢゃったんだね」

「うん、しんぢゃった、可哀そうだね」

「とんぼのお墓を造(コシ)らえてやろうよ、ねえ」

亮男はだまってうなづいた。そして笹の枝を折って土提の隅に穴を掘って、この不幸なとんぼを埋めてやった。仁はその上に小さな石をのせた。

二人はだまって歩き出した。

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