川 開 き

 

「おふみちゃん、晩に花火見に行こうか」

とお通(ツウ)さんが叔母さんにに声を掛けた。尤(モット)も叔母さんといってもお嫁にまだ行かないから、お姉さんと言った方が良いかもしれない。

「ええ、私も行こうと思っていたのよ。では一緒に行きましょうよ」

姉が箒持つ手をとめて答えた。

「それぢゃ夕方早くに迎えに来るから、早く行って良い場所をとらないと駄目だって」

「そう、それなら早く支度をして待っているからね」

お通さんは約束して別れた。お通さんは背の高くない色の黒い人だ。顔には沢山ニキビが出来ている。

亮男と仁はご飯を食べながら二人の会話を聞いた。

「兄ちゃん、今晩花火があるんだって」

「うん、あるよ」

「ううん、今聞いたんだよ」

「なあんだ、そうか、僕も行きたいな」

「大丈夫だよ、おねえちゃんが連れてって呉(ク)れるよ」

亮男が安心しきった顔で言った。そこへ掃除を終した姉が入ってきた。

「亮ちゃんに仁ちゃん、夜花火を見に行く?」

「うん、僕行くよ」

意気込んで真っ先に仁が答えた。

「僕も行くよ」

亮男はご飯を燕下(ノミコ)んで言った。それを見て姉は笑いながら

「それぢゃ連れってあげるから、おとなしく待ってなさいね」

と、言った。仁は

「ああ有難い有難い」

手を叩いて喜んだ。

「僕が言った通りだろ」

亮男は先見の明を誇った。

「早く夜にならないかなー」

仁が大声をあげたので

「今、朝になったばかりよ、そんなに早く夜にはならないわ」

姉に笑われた。

「それより早くご飯を食べちゃいなさい」

と言われて二人して

「はーい」

元気良く返事した。姉は仁の茶碗の中を見て

「仁ちゃん、ご飯をよそってあげるから出しなさい」

「ううん、もうお腹一杯」

そう言って茶碗を下に降ろした。

 

「亮ちゃん、仁ちゃんはいくつ食べたの」

「二つしか食べないよ」

「仁ちゃんそれぢゃ駄目よ、もう一つ食べなさい」

「もう嫌だ」

仁は首を横に振った。

「姉ちゃんの言う事きかないとおいて行っちゃうわ、それでもいい」

姉は搦手(カラメテ)からまわって来た。こうなっては仁も絶体絶命だ、もう一膳食べざるを得なくなった。

「ぢゃあ、もう一杯つけて」

仁は茶碗を姉の前へ出した、姉は沢山着けて呉れた。

「姉ちゃんこんなに食べられないや」

「仁ちゃんは日本男児でしょう、その位食べなきゃ負けちゃうわ、ね、いい子だから食べなさい、今卵をかけてあげるから」

姉は鶏小屋へ行って生みたての卵を持ってきた。コーン

と茶碗のふちへぶつけて割った。卵黄(キミ)は赤味をおびておいしそうだ。箸で千切ってかきまわし、醤油を入れて仁の茶碗へかけた。

仁は生卵が大好きだ。

「いただきまーす」

仁が余り大きな声をたてたので寝ていた郁子が目をさました。

「郁ちゃんおめめがさめた」

 

と姉は声をかけた。郁子はねむそうに目をこすりながら

「姉ちゃんご飯、あたちも食べよう」

と言いながらお膳のそばへ座った。

「亮ちゃんもかけて食べなさい、亮ちゃんは一人でかけられるでしょう」

「姉ちゃんつけて」

「あら嫌だ、仁ちゃんは、あんなに文句を言った癖にまだ食べられるの?ぢゃあ先刻(サッキ)お腹が一杯だなんて言ったのは嘘だったのね」

「嘘ぢゃありませんよ、さっきはお腹一杯だったけど今は、へっちゃったんだもの」

仁は真赤になって抗弁した。

「どっちでもいいけど、おいしかったら沢山食べなさい」

と言いながら卵をかけて呉れた。

 

「仁ちゃん勉強をしよう」

「うん、一番先に日記をつけなくちゃ」

「僕も日記からつけよう」

「兄ちゃん、昨日は晴だねえ」

「そうだよ、今日のはまだ書いては駄目だよ」

「うん解ってるよ、あれ兄ちゃん今日の問題に図画があるよ、何を書こうかしら」

「図画なら明日にして夜見に行く花火を書けば良いよ」

 

「ああそうか、やっぱり兄ちゃんは頭がいい」

「そんな事言ってほめなくてもいいよ」

二人は仲良く勉強を済まし遊びに行った。

「亮男さーん来(コ)っち来うよ」

杉垣の陰から呼ぶ声がする。

「何やってるのー」

大きな声で怒鳴り返しながら駆けて行くと、幸一が信三としゃべっている。

「亮男さん亮男さん亮男さん夜、花火見に行くんけえ?」

信三が手に握った油蝉をジイジイ鳴かせながら聞いた。

「亮男さんだって行くんだろ?」

幸一も聞いた

「うん行くよ」

「俺も行くんだ」

幸一が嬉しそうに言った。

「誰と行くんけえ?」

「姉ちゃんと僕と仁ちゃんとでいくんだよ」

「いいなあー、俺も行きてえなあ」

そう言って信三は、つまらなさそうに下を向いて小石を汚れたぺちゃんこな下駄で蹴った。小石はぴゅーと鋭い音を立てて道端の草叢(クサムラ)の中へ飛んで行った。

 

「どうして行かないの?」

仁は首を傾げて聞いた。

「うちのおっかあが、子供は迷子(メイゴ)になるから不可(イケ)ねえだと」

「本当?兄ちゃん迷子になっちゃうんだってさあ、僕嫌だな」

「大丈夫だよ、お姉ちゃんが連れてって呉れるんだもの」

亮男が仁を慰め顔に言った。

何時しか杉垣の日陰もなくなって、夏の陽がかんかんと照りつけている。道端の梧桐(アオギリ)の木も陰が短くなっていた。

 

「お姉ちゃん早く行こうよ」

「花火始まっちゃうよ」

仁は風呂を焚き付けている姉をせかした。

姉は煙むそうに団扇(ウチワ)であおぎながら

「まだまだ仁ちゃんも、亮ちゃんもお風呂に入ってご飯を食べてそれから行くのよ」

「嫌だなあ、もう直き暗くなるよ」

仁は駄々をこねた。

「そんなわからずや言うもんぢゃないわ、すぐにお風呂が沸くから二人とももう遊びに行かないで、待ってらっしゃいね」

仁の方へ優しい笑顔を向けながら、姉は言った。

 

「兄ちゃん、お風呂沸いたよ」

「そうかい、それぢゃ早く入ろう」

二人は裸になった。

「姉ちゃん入れてよ」

仁は小さいので一人では入れないのだ。

「兄ちゃん乗合自動車をやろう」

仁はハンドルを握る真似をし、口で

「ブウブウブウ、次は競馬場前で御座います、お乗りの方はお早く願います」

そこへ

「亮ちゃん、郁子も一緒に入れてよ」

そう言いながら姉は連れてきた。

「やあお客さんだ、どうぞ此方(コチラ)へ」

二人は喜んだ。

「郁ちゃんは何処まで行きますか?」

「えーと、私(アタチ)は白井迄行きます」

又自動車は動きだした。

「姉ちゃんお湯熱いよ、水入れて」

突然自動車の運転手が声をあげた。

 

 

「そうお、今入れてあげるわ」

姉は井戸水をバケツに汲んで

「かかると冷たいわ」

と言いながら静かに入れた。

 

「おふみちゃんいる?」

「はーい」

「迎えに来たわ」

「さあ、仁ちゃんも亮ちゃんも行きましょう」

姉は仁の手をとって歩き出した。姉の袂(タモト)が振(ユ)れる度にとても良い香りがする。仁はわざと大きく手を振って歩いた。陽はまだ西空に残っている。森の梢(コズエ)が金色に輝いて美しい。吹き過ぎて行く夕風が湯上りの頬に気持ちよい。

 電車は大変混んでいる。手に手に持っている扇子や団扇が、ひっかかったりやぶけたりしている。E川で電車をおり土堤を歩いて、良く見えそうな所へ陣取った。暗くなるにつれて人出は益々多くなり、さしものE川の土堤も川原も一杯になった。

 どどーん、どどーん

花火はあがり始めた。振る様な星空に赤黄緑色とりどりの玉が一面に広がってさながら、お花畠の如くだ。花火があがる度に川原はどよめいた。

 ぴしゃ

 

頬を叩きながら亮男が

「ああかいい」

と言った。

「蚊がいるんでしょ」

姉は扇子でアタリをあおいだ。

 どどどーん、どどどーん、どどどーん。

花火は続けざまにあがる。空に咲いたお花畠は川に映り漣(サザナミ)にゆられてキラキラと光る。

「姉ちゃん、僕首が痛くなっちゃった」

仁が首をふりふり姉の顔を見た。

「僕此処へ寝てもいい」

「寝てもいいけど、睡(ネム)っちゃ駄目よ、キャラメルでも食べなさい」

仁は姉の膝にもたれて横になった。花火が上がる、そばの鉄橋を渡る電車から首を亀の子のように出して皆見ている。

何時しか仁はアタリのざわめきを他(ヨソ)に夢路をたどっていた。

「あら、ねちゃったわ」

姉は蚊が来ないようにと静かにあおいだ。

「仁ちゃん仁ちゃん起きなさい」

姉にゆすられて目がさめた。

「なあーに」

「さあ帰りましょう」

 

「もう花火終ったの?」

「仁ちゃんが寝ている間に終っちゃったの」

姉はおかしそうに答えた。

「仁ちゃんてば、折角良い所へ来たのにねちゃうんだもん」

亮男が惜しそうに言った。

お通さんと家の前で別れた。

「仁ちゃんはE川の土堤まで、ねにいったの」

と後でさんざん家の者に笑われた。

 

とんぼに戻る 「西 瓜 畠」 へ