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日本 関口俊吾ー特務艦で帰国した日本人画家ー(第一部) 瑞西
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<序>

関口俊吾は一九一一年生まれ、今もパリを本拠に活動を続ける、現役の画家である。一九九六年には、十月二十一日から二十六日まで、銀座みゆき通りの文芸春秋画廊で「関口俊吾展」を開き、高齢にもかかわらず日本に帰国している。

筆者がその関口の名前に接したのは、ひょんなことからであった。一九九四年六月十二日付け日本経済新聞に「パリ  洋画家たちの青春」という見出しの記事が載った。

付け加えると筆者は日本経済新聞は購読していない。たまたま訪ねた横浜の実家で何気なく手にしたら、先の見出しに続いて、次の文章が目に飛び込んできたのであった。

「八十三歳の関口俊吾の歳月は、パリの日本人画家としては恵まれていた。フランス政府招聘留学生として一九三五年に渡仏、ドイツ占領下のパリから極秘の特務艦で帰国した後、戦後は萩須高徳、藤田嗣治に次ぐ三人目の日本人として再渡仏。ビュッフェの日本への紹介者であり、今も制作を続ける」

美術に門外漢の筆者の目に留まったのは、文中の「極秘の特務艦」という個所である。第二次大戦中の日欧間の交流について調査していた筆者に、この特務艦の話は初耳であった。最初に思ったのは「本当かな?」という懐疑の気持ちであった。

筆者の知る限り戦争中は潜水艦、ドイツの特殊な対封鎖突破船、もしくは特別に通過査証を得てソ連を経由するくらいしか、日本人は日欧間を行き来することは、出来ないはずであった。

それでも一応、この関口という画家にコンタクトして、事実を確かめたいと思った。ページをちぎって持ち帰り、日本経済新聞社に手紙を書いて、関口のフランスの住所を尋ねた。柴崎信三さんというこの記事を書いた記者は、丁寧なコメントを添えて折り返し返事をくれた。拍子抜けするほどスムースであった。筆者はすぐさま関口氏に手紙を書いて、特務艦について教えを乞うた。

しかし今度は違った。見も知らずの日本の自称アマチュアの歴史家に、パリの老画家は、そう簡単に事実を語ろうとはしなかった。今思えば当然の反応である。それでも筆者は熱意を伝えた。歴史家としては送る自著もない中、国会図書館に通い、五十年以上も前に関口が書いた記事を見つけ出しては、コピーをとって国際郵便でパリに送った。ある時期、関口はずいぶんと、欧州体験について日本の雑誌に書いていた事がわかった。

それらを読んで当時を懐かしがるうちに、パリの画家も心を許し例の特務艦について、知る範囲のことを長い手紙にして、筆者に書き送ってくれた。日本とフランスの間で、何度か手紙のやり取りが続いた。以下はそれらをもとにした、関口の渡仏から帰国までの物語である。


 <フランスへ>

関口がフランスに向ったのは一九三五年、今から六十五年も前のことである。フランス政府招聘留学生に選ばれ、ダルタニアン号という船(フランス船?筆者)で海路、パリに向ったという。まだ戦争の影はなく優雅な航海の出来た時代であった。

このフランス政府によるこの留学制度について調べてみた。始まったのは関口の渡仏より四年前のことである。一九三一年五月十三日付けの東京日日新聞(今の毎日新聞)に
「フランスが国費で日本留学生を招くとことを決定。今年からまず七名を送る。第一回は帝、慶、早、法から選び、留学期間は三年とする」と発表された。

それから四年経った一九三五年、五月九日付け朝日新聞にも「仏国奨学金留学生」という見出しがある。
「フランス政府の奨学資金による本年度のフランス留学生は試験の結果八日、左の八名と決定した。(名前省略)六月十一日出港のアトス第二号船で渡仏のはず」

しかしこの八名の中には何故か、関口の名前がない。本人は確かに一九三五年と言っている。筆者の問い合わせに対し「よくそこまで調べたもの」という前置きに続いて

「同年の選考では最後まで残ったものの、本決まりには至らなかった。そこで思い切って自費でパリに渡り、翌年現地で招聘留学生の資格を得た」と語った。少し省略して語ったようだ。それにしても当時、自費での渡欧が可能であったのであるから、関口は相当経済的に恵まれた家に育ったと思われる。 

さてこの一九三○年代、日本は米英と対立し、独伊との提携に傾いていった。関口が晴れて公費留学生となった一九三六年には、日独伊防共協定が締結されている。日本の枢軸陣営入りが明確となった。同時に日伊の間でも交換留学生制度が出来て、新聞もそちらをしきりに書き始める。

それに反比例して同年からは、フランス留学者の氏名が新聞に公表されなくなる。次に登場するのは四年後の一九三九年である。六月三日付け朝日新聞は

「仏国留学  初の女性二人」と奨学生に二人の女性が選ばれたことを、写真入りで大きく取り上げる。フランスへ行くことより、女性が留学することか話題になったようだ。

「日仏交歓のくさびとなる第八回フランス留学生は、文部省とフランス大使館で選考中であったが二日、十五名の候補者の中、左の五君と決定した。この中湯浅さん、片岡さんの二人は初の女性留学生で何れも今秋出発、仏国政府から学費の補給を受け約二ヶ年留学する。五人の氏名は左の通り。

加藤美雄  二十四歳   フランス文学
北本治    二十九歳   フランス文学
笹本猛正  三十四歳   デカルト研究
湯浅年子  三十一歳   原子物理学
片岡美智  三十三歳   フランス文学 」
この中には後の関口の話に登場してくる名前が含まれている。


<パリ>





 <緊迫の欧州情勢> 


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