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日本 関口俊吾ー特務艦で帰国した日本人画家ー) 第二部 瑞西
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<浅香丸欧州へ>

次に最後の欧州向け日本船となる浅香丸について調べてみる。日本郵船の社史ともいうべき「日本郵船戦時船史」によると同艦は、三菱重工長崎造船所で建造された七三九八トンの貨物船で、進水は一九三七年七月七日である。

往航はパナマ運河経由でハンブルクに向かい、帰路はスエズ運河を通過して日本に戻る東航世界一周線に就航した。

一九三九年二月八日よりベルリンで開催された「日本古美術展覧会」には国宝29点他が展示されたが、それらを積んで前年十二月一日に横浜を出港したのは竣工間もない浅香丸であった。
(「ナチスドイツと<帝国>日本美術」より 2016年5月22日 追加)


一九四○年から海軍裸傭船となる。翌年九月五日より特設巡洋艦となり、一九四三年からは特設輸送船として活躍する。そして一九四四年十月十二日、台湾馬公碇泊中空爆を受けて沈没する。ただし同書には、今回の欧州派遣についての言及はない。

先にも引用したが駐独陸軍武官室の入電記録には、浅香丸についての交信が残っている。そして一九四一年一月十七日
「桜井少佐予報の如く(十六日に)出発す。仏国へ転電相成りたし」と、日本からドイツに向けて発電した。桜井は同船でフランスに向った陸軍中佐である。そこからも浅香丸は予定通り、一月十六日に横須賀を出港した事は間違いない。よって先に紹介した防衛庁戦史叢書の日付け十二月十六日は、印刷ミスか何かであろう。

続いて一月二十六日付け電では
「浅香丸に関し陸軍関係乗船者中ベルリン行きは左記の六名なり。(氏名省略ー筆者)
(日本へ送るべき)貨物は三月一日までにビルバオに到着させて、かつ宰領者を派遣せられたし」と貨物の到着期限を連絡した。

>この船には六人の陸軍関係者の他に、先述の十八名の海軍関係者が乗り込んでいる。前年九月に締結された日独伊三国同盟に基づく、軍事視察団の海軍代表であった。かれらは航空班班長の酒巻宗孝少将ほか、ほとんどが高級将校であった。よって海軍が主客で、陸軍関係者は肩身の狭い便乗組であった。

海軍は元々、ドイツとの同盟に陸軍ほど乗り気でなかったため、軍事視察団もシベリア鉄道経由ではなく、時間のかかる海路を取ったらしい。すでに陸軍関係者は、シベリア鉄道を利用して、続々とベルリン入りをしていた。

団長である山下奉文陸軍中将は、浅丸の航海中である一月三十一日、ヒトラーに謁見された。そして帰国後間もなく、得意の絶頂のドイツの独裁者について
「写真で見るような凄さはなく、実にすっきりした静かな物腰、流石に一国の元首の地位にある人と肯かせるに充分で、まるで高僧と話をしている感じ」と褒め上げた。

先に紹介した桜井一郎中佐は戦後、「史」という雑誌に自らの欧州体験を「体験ヨーロッパ戦線」のタイトルで連載している。桜井はその中でフランス赴任から、敗戦による帰国までの全期間を回顧しているが、往路に利用した浅香丸の様子について、海軍の頼同様かなり詳しく書いている。ここでは桜井の回想からリスボンまでの航海について、拾い上げて見る。

横須賀の沖合いに碇を下ろした浅香丸は、船長が海軍少将で、残りの船員は全員が日本郵船の社員であった。形式的に臨時の砲座を作って大砲が一門、そして若干の機関銃が備えてあった。もともと優秀な快速船で、今航海では機雷の危険を考えて、防雷具を搭載していた。

これまで欧州に向う通常コース上にあるスエズ運河は、ドイツと戦争中のイギリスが通過させない。したがって浅香丸の欧州への経路は、パナマ運河経由であった。そのパナマ運河を管理するアメリカと日本の関係も、相当悪化していた。


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 <関口乗船>






参考資料
関口俊吾さんの手紙、インタビューのほかに、主として以下の資料を参考にした。

関口自身の記事
*氷島とスピッツベルゲン  改造  一九四一   年十月号
*独軍占領下のパリ  現地報告 一九四一年
  七月号
*満支書信  現地報告  一九四一年 八月号
*スペインの印象  世界知識 一九四一年 
  七月号 
*烏か鳩か  文芸春秋 一九四九年 八月号

外務省外交史料館 
*在外本邦留学生及研究員関係雑件
(I120.1)

防衛庁防衛研究所
*戦史叢書
*戦争指導  外交文書 一二八  在独陸軍武官  室史料  兵器購入関係

書籍、雑誌等
*ナチ占領下のパリ  長谷川公昭  一九八六  年  草思社
*最後の特派員  衣奈多喜男  一九八八年 
  朝日ソノラマ
*凱旋門広場  澤田廉三 一九伍○年
*分水嶺  高田博厚 
*パリ通信  中村光夫  中央公論社  一九八  二年
*秘められた昭和史  林正義編  一九六五年
*日本郵船戦時船史
*「史」 一九六六年第三号ー一九七四年
  第四号
*朝日新聞  一九三四年から 
   


 
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