身支度を整えたフィーリアと
梨花さんは今日から1週間ほど、家を空けなければならない。何でも、仕事の都合らしい。
政治家と言うのも色々、大変らしいわ。
彼女たちを見送った後、私はリビングに戻った。
ソファに気楽そうに腰掛けているロバートが、私の姿を認め、声を掛ける。
私は反対側のソファに腰を落ち着けた。
梨花さんとはこの家の主で、居候の私としては足を向けて寝られない人。職業は政治家で、普段は自宅にいないことが多い。フルネームは
過去に何があったかは知らないし詮索もしないが、私が知る限り、一人で娘を育てているようだ。なかなか逞しい人である。
フィーリア、本名フィーリア・レイクロスは私達と一緒に暮らしている使い魔。梨花さんの娘ではない。
使い魔というのは、自分の意志を持たず、ただ主人に仕えるだけの「召し使い」、言い換えるなら「奴隷」である。ただ、奴隷は人間に対して使われる言葉で、私達が暮らすここアルタイアでは召し抱えることは固く禁じられているが、使い魔は半人半獣の
もっとも彼女は、使い魔でありながら自らの意志を持ち行動する。これは、クリエイタ(使い魔など生命体を生み出すことができる高位の魔導士のこと、ここではフィーリアの作成者)に「娘」として育てられたためで、極めて稀有な例である。当然、私達も彼女のことは人間と等しく扱っている。
そしてロバートは、私と同じようにこの蕭家に居候している傭兵である。本名はロバート・バーン。
短めにセットされた金髪。一見、爽やか風の男だが、実はかなりの肉体派だ。その腕っ節はかなり強く、傭兵としては一級品。ただ、おつむはそれほど良くはなく、シャオミィにしょっちゅう、からかわれては振り回されている。
ちなみに現在、蕭家にいる5人の中で、唯一の男性。
そこへ、茶色の髪を後ろで無造作に束ねた少女が、リビングにやってきた。
彼女の名は
その姿はお世辞にもお洒落とは言えないものの、外見はそれなりに良い方である。ただ、本人は人間だと言っているものの、その姿はどう見ても猫の使い魔。その証拠に、彼女もフィーリアと同じように、白い体毛に覆われた猫の耳としっぽを持っている。
人間であるにも
シャオミィが疑問の声を発した。
落胆する彼女。
茶化すような口調でロバートが割り込む。
彼女はごろりと、ソファに横たわった。そして傍にあったクッションを手に取ると、ぎゅっと抱き締める。
見ての通り、彼女はフィーリアにホの字である。この際、彼女の性別は考えない方が良いかもしれない。
ロバートは笑いながら、彼女を励ました。
時間は流れ、昼食時。
ロバートはリビングのソファで、雑誌を読んでいる。その横でシャオミィは、クッションを抱えたまま夢の中。フィーリアの夢でも見ているのかしら。
そんな彼らを横目で見ながら私はリビングを出て、キッチンへと向かった。
私はシンクの前に立ち、まな板の上に食料品を載せ、次々と処理して行く。
今日からは賄いは3人分。梨花さんとフィーリアがいないためだ。
3切れの鮭の切り身に塩とコショウで下味を付け、表面に小麦粉をまぶす。
なじんだところで、油を引いた熱々のフライパンに滑り込ませると、たちまち香ばしい音が周囲に響く。
音を聞き付けたのか、はたまた匂いを嗅ぎ取ったのか。キッチンとリビングとを隔てるドアの隙間から、シャオミィがひょっこり顔を出した。
彼女にとっては、料理の音や匂いは、どんな目覚まし時計より効果的らしい。
私がそう答えると、彼女はさっと顔を引っ込めた。
彼女を追いかけるようにリビングを覗くと・・・。
ソファに腰掛けたロバートが、雑誌から顔を上げて応じた。既にシャオミィの姿はない。
全く、逃げ足だけは速いんだから・・・。
するとロバートは、テーブルの上に雑誌を置いた。
そんなこんなで、食事はできあがった。できあがるころにはシャオミィもしっかり戻ってきていて、3人で食事である。
シャオミィの呟きにロバートが応える。
しかし。
シャオミィはまだ、フィーリアがいないことを引きずっているらしい。
私達は、料理に箸を付けた。
いつも5人分とは言っても、普段はフィーリアと手分けして作っている。したがって実際のところは、忙しさはあまり変わらない。
しかし私は、そのことには触れずに、礼だけ述べておいた。
ロバートの横でシャオミィも、鮭を切り分けてその欠片を口に運ぶ。
もぐもぐ・・・。
そして、無言のまま箸を置くと。
シャオミィはテーブルに顔を伏せ、叶わぬ願いをうじうじと垂れはじめた。
何だか無性に、腹が立つのは気のせいじゃないわよね?
そう言いながら彼女の目を真っ直ぐ見据えると、彼女は慌てて弁明した。
・・・ま、そういうことにしておきましょうか。
ロバートが食べる手を休めて確認する。
梨花さんに聞くところによると、何でも地方への視察らしい。高々それだけのために1週間もの期間が必要なのか、それは私にも分からない。
それは単に、身の回りの世話などで、人手が欲しかっただけだそうだ。
励ますロバート。
しかし。
彼はきっちり、シャオミィのペースに乗せられてしまっている。
はぁ。気のせいかしら、頭痛がしてきたわ・・・。
食べるスピードは人それぞれ、ロバートが一番早く食べ終え、シャオミィが2番目。
ロバートは傭兵なので、納得の行くところである。戦場ではのんびり、食べている余裕などなかったでしょうから。
しかし、シャオミィの食事スピードが妙に速いのは、なぜかしら?
案外、彼女の通う魔法学校で、早食い競争が流行っているのかもしれない。
一番最後の私が食べ終えたのを見計らって、シャオミィは席を立った。
私は間髪をいれず。
そう言うと、彼女は見事に固まった。
シャオミィが不平をこぼしたところ、私より先にロバートが反論した。
困惑するシャオミィ。ロバートが手伝ったこと自体が、意外だったらしい。
そんなやり取りを見て、ロバートは笑いながら、食器を重ね始めた。
何かにつけ、サボろうとするシャオミィ。彼女らしいといえば、彼女らしいわ。
彼女は一旦、言いくるめられたかのようだった。
しかし。
まだ不平をこぼすシャオミィ。
私がそう応じると。
彼女は何だかんだと、言い訳を続けた。
そんなものかしらね。
ロバートは言い返せなくなってしまった。どうやら、シャオミィの方が彼より1枚上手らしい。
私の言葉に今度はシャオミィの方が、言葉に詰まった。
そして。
彼女はようやく観念し、食器洗いに同意した。
彼女にとっては、食事は他の何よりも大切なものらしい。
そうだわ。折角だから・・・。
私の追加注文に、案の定、シャオミィが目一杯、拒否の意志を示した。
が。
晩御飯を盾に要求すると、彼女は渋々、同意した。
かくして、シャオミィは昼御飯の後片付けを担当することになった。
あまり家事をしていない彼女のことだから、多少は
後々私は、この甘さを悔いることになる。しかしこの時は、そんなことは思いもよらなかった。
翌日。
朝食を食べ終えた私は、食事の後片付けをしていた。食器を下げ、それを洗い・・・。
昨日と今日は休日なので、シャオミィも私も家にいる。ロバートは酒場勤めなので昨日も今日も仕事だが、夜勤に近いので今は寝ている。
シャオミィも昨晩は遅くまで起きていたみたいで、朝食を食べ終えると寝室に戻ってしまった。食事中も舟を漕いでいたくらいだから、おおかた二度寝をしているのだろう。
苦笑しながら、私は洗い物を片付けていった。
そして、ふと三角コーナーを見ると。
思ったより、生ゴミが溜まっている。
ああ、また捨てないといけないわ・・・。
私は水気を切ってから袋の口を括ると、勝手口の横に置いてあるゴミ容器に捨てるため、勝手口の戸を開けた。
見ると、ゴミ容器の蓋が、僅かながら開いているではないか。
私は大して疑いもせず、ゴミを捨てるために蓋を開けた。
その時!
小さな黒い何かが、大量に舞い上がり、それぞれが意志をもって飛び回り始めたのである。
思わず、叫び声が漏れる。
私はすぐに蓋を閉めると、回れ右をしてキッチンに駆け込み、戸を閉めた。
戸は、少し念入りに閉めておいた。
1分後。
何が起こったのかは、すぐに理解できた。
言葉で表現すれば、何のことはない。生ゴミにハエが
しかし私は、あまり虫が好きではない。むしろ、嫌いである。両生類と爬虫類も苦手だけど。
でも、どうしてハエが湧いたのかしら? 確かに、時節は初夏。虫が発生しやすい時期には違いない。
蓋が半分、開いていたから? しかし、中のゴミはビニールの袋に入れ、口を縛っているはず。
・・・はっ、まさか!
昨日の昼食後、私はシャオミィに生ゴミの処理を頼んだことを思い出した。
心の中にふつふつと沸き上がる黒い疑惑。
私はすぐに、シャオミィの寝室へと走りだした。
シャオミィはベッドの上で布団も被らず、横向きになって寝ていた。
私は枕元に歩み寄ると、彼女の綿のような耳を撫でながら、努めて、優しく話しかけた。
しっぽが波打つように動き、耳がパタパタと動く。まるで、私の手を振り払うような仕草である。
私が問いかけると、彼女は寝返りをうち、私に顔を背けた。
まぁ、何て反抗的な態度かしら。
再び、耳を撫でてみると。
ボソボソとシャオミィが呟く。
犯人、確定。
私は、耳を撫でていた左手で彼女の耳を掴むと、捻りながら引っ張り上げた。
悶絶している彼女に、昼までに何とかするように命じると、私は彼女の寝室を後にした。
昼食の後、私は朝に捨てそびれた生ゴミを手に、勝手口を開けた。
ゴミ容器の蓋は、ちゃんと閉められている。
しかし、それを開けるのにはどうも、勇気が必要だ。
覚悟を決めて、蓋をそーっとずらすと・・・。
今朝の時とは違い、ハエは1匹たりとも出てこない。
良かった、ちゃんと処理をしたみたいね。でも1匹くらい、残っていても不思議じゃないのに、一体あの娘はどうやったのかしら・・・。
疑問に思い、ゴミ容器を覗き込むと・・・。
ほぼ同時に、グロテスクな顔の生物がニュッと顔を出したのである。
大きさこそ小さいものの、白く、爬虫類独特の顔。
そう、夏の夜、部屋の窓によく張り付いている、あのヤモリである。
私がしりもちをついている間に、ゴミ容器から這い出てきたヤモリは一目散に逃げて行った。
私の叫び声を聞き付けたのだろう、シャオミィが勝手口から顔を出した。
それを聞いたシャオミィは、なーんだ、といった呆れた表情になった。
私は立ち上がるととりあえず、シャオミィを1発殴っておいた。
しかし考えてみれば、普通はゴミ容器の中にヤモリがいるはずもない。ということは当然、誰かが入れた訳で・・・。
両肩を掴み真っすぐ彼女を見据えると、彼女はそう答えた。
そんな訳、ないじゃない。第一、ヤモリは夜行性よ? 朝にゴミ容器に入れたからといって、ハエがいなくなる訳はないわ。
そしてその時タイミング良く、後ろのゴミ容器からハエが飛び回り始めた。
私の予想通りね。
それを見たシャオミィは、がっくりと肩を落とす。
私は呆れながら、そう告げた。
結局私達は、ハエ撃退グッズを買いに出掛けることになった。
化粧を済ませて玄関に行くと、シャオミィは既に玄関にて待機中。
シャオミィが早い理由は単純で、彼女は化粧をしていないのである。その理由もこれまた単純で、彼女は化粧品の臭いに耐えられないらしい。猫と人間との合成獣なので、嗅覚もかなりのものなのである。
見慣れた道を私は歩く。その後ろから、頭を押さえながらシャオミィがついてくる。
そう、あまりにも生意気だったので、出掛けに一発殴っておいたのだ。
適当に私がそうあしらうと。
シャオミィは自信たっぷりで言い返してきた。
どうせたいした事じゃないと思うけど、一応聞いてみようかしら。
シャオミィがびしっと私の顔を指さす。
単なる身嗜み。それ以外のどういう理由があるというのかしら。
あら、それは初耳ね。
全て話し終える前に、私の拳がシャオミィの顔面にめり込む。
ああ、聞かなければ良かったわ。
市場に着いた私は、早速、お目当ての撃退グッズを探し始めた。この市場、私達もほぼ毎日お世話になっているお店で、店舗そのものも広い。そして何より凄いのはその品揃え。食料品や衣類はもちろん、フライパンなどの雑貨や、はては大工道具まで、と広範囲に取り扱っている。
物はついでだから、良さそうな品を買ったら今日の晩御飯のおかずも買っちゃいますか。
ちなみにシャオミィは和菓子コーナーへ。彼女は甘党なので、お菓子類には目がない。
しばらく探し歩いた後、私は害虫駆除商品の棚の前にたどり着いた。近くの店員を捕まえてアドバイスを聞いたところ、この手のグッズには大きく2種類あるらしい。トリモチのようにハエを生け捕りにするタイプと、薬剤で殺すタイプとである。
ペット、ね。
蕭家にはペットはないが、使い魔はいる。もちろん、人並みの知能があるので誤飲はしないだろうけど、薬剤は臭いがきついだろうからトリモチ式にしてあげるべきだわ。
私は陳列棚の中から、トリモチ式の中から一番安い品を選ぶと、買い物カゴに入れた。
晩御飯の食材もカゴに入れ、精算。姿の見えなかったシャオミィもいつの間にか、私のとなりに並んでいる。
レジ打ちの係員が、品物をカゴからカゴへと手慣れた手つきで移して行く。彼らは一体、この作業を何度繰り返したのだろうか、とても滑らかな動きである。
大福など入れた覚えはないのだが、隣のカゴには立て掛けられたニンジンのすぐそばに、大福が確かに2個、慎ましやかに座している。
隣にいるシャオミィを睨みつけると。
彼女はどこ吹く風と言った体。
やれやれ、このネコ娘は・・・。
精算が終わると、買ったものを袋に詰める私の横から、案の定シャオミィが手を伸ばしてきた。言うまでもなく、その狙いは大福である。
ぱしっ。
その手が大福に触れた瞬間、私の手が彼女を叩く。
そして私は大福を袋にしまうと、右手を広げて彼女の前に突き出した。
私がそう告げると、彼女は生意気にも反論してきた。
シャオミィが首を横に振る。
・・・さすが政治家の娘。いえ、梨花さんはそのような悪人ではないけれど。
でもそこで惚けたのは失敗だったわね。後で悔しい思いをさせてあげるわ。
帰路、歩きながら大福をつまんでいると、シャオミィが物欲しそうにこちらを見ている。
食べ歩きは行儀が悪いかしら?
言うまでもなくシャオミィに見せつけている訳だけれど、案の定、シャオミィのしっぽがゆっくりと左右に振られている。不満を感じている証拠ね。
やがて。
耐え切れなくなったシャオミィにそっけなく答えると、彼女は頬を膨らませた。
私が此れ見よがしに大福を一口齧ると。
結局シャオミィは、私には大福を渡す気配もないのに諦めきれなかったのだろう、家に帰り着くまで私の右に左にと纏わり付いていた。
家に着いた私は、シャオミィの手の届かない場所、具体的には冷蔵庫の上に置いてある籠の中に大福を置くと、早速トリモチの設置に取り掛かった。
まずは取り扱い説明書を開く。
そして注意事項に目を通す。
ごく普通の、当たり障りのない内容が記されている。
過去に、クレームでもあったのかしら。普通に考えれば、蝿の王から無事に逃げられるというだけでも凄いわね。
ささやかな疑問を胸に仕舞いつつ私は、製品の封を切った。中には金属性の台座と、それに刺して使うトリモチ付きの赤い棒が封入されている。
私は棒を保護している剥離紙をそっと剥がすと、それを台座に立てた。ほのかにバニラの香りがする。きっと、誘引剤でも添加されているのだろう。
ゴミ容器の蓋を少しずらし、その入り口近くの縁に罠を設置すると、私は勝手口からキッチンへと戻った。
正直、ハエなど見たくもないのだが、人間という生き物は不思議なもので・・・。
好奇心に負けた私は10分ほどして、ゴミ容器の様子を見に行った。
遠くから見たところ、赤い棒は赤いまま台座に刺さっており、ハエを捕らえた様子はない。どうやら、根気よく待たないといけないらしい。
とりあえずキッチンに戻り、今朝の生ゴミについて思案する。まだ捨ててないのだけれど、どうしようかしら・・・。
腕を組んで天井を睨んでいると・・・。
突如、シャオミィの叫び声。勝手口の外からだ。
突然のことに慌てて戸を開ける。
するとそこには、手に付いた赤い棒を必死で振り落とそうとしているシャオミィの姿が・・・。
私は軽いめまいを覚え、額を手で押さえた。
とりあえず彼女の手からトリモチ棒を引きはがすと、私はそれを元の場所に設置しなおした。
彼女は恨めしそうにその罠を眺めている。ハエは相変わらず、ぶんぶん飛び回っているものの、まだ罠にはかかっていない。
ここに至って、シャオミィは実はハエにも劣るのではという疑問が湧いてきた。
これ以上は可哀想だから、口には出さないでおきましょう。
陽は傾き、徐々に世界を朱に染めて行く。
これからは、陽が落ちる時刻も少しずつ遅くなっていくわけである。
1年ごとに廻り来る暑い日々。今年の夏はどんな具合かしら・・・。
そんなことを気の向くまま考えていると・・・。
シャオミィが風呂場からのっそりと出てきた。
復讐心に燃えるシャオミィ。
彼女本人にしてみれば、むしろ蠅取り棒の方に怒りを向けるべきなのかもしれないけれども、物に当たり散らしても意味はない。
それにしても彼女は、どうやって恨みを晴らすのだろうか? ちょっと、気になるわね・・・。
時計の針は午後の6時を過ぎた辺りを指している。
シャオミィはあれからずっと、外にいるようだ。おおよそ、恨みを晴らす算段でもしているのだろう。
私はそろそろ、
買ってきた食材の下ごしらえをしていると・・・。
慌ただしくシャオミィが勝手口から入ってきた。
手には何やら、黒い棒を持っている。
あら、ハエ取り棒って、赤い色じゃなかったかしら?
よく見ると・・・。
ハエ取り棒が黒く見えたのは、表面に黒い粒がたくさん付いていたためで、さらにその粒一個々々がハエだったのである。
ドンッ!
反射的にシャオミィを突き飛ばす。文字どおり宙を舞ったシャオミィは、勝手口の横の壁にぶつかり、ぐぅと言った。
だいたい、少し考えれば、こうなることは予想できたでしょうに・・・。
私はシャオミィに、ハエ取り棒の処理を言い付けると、調理に戻った。
1時間ほど後。
今日の晩御飯は、子アジのゴマ揚げ。それなりに上手くはできたはず。
でも、あまり食欲がわかない。
今日のメニューは、ちょっと失敗だったかしら。
シャオミィはがつがつ食べている。
相変わらず、よく食べる娘だわ。
私も揚げ物を一口齧った。
そんな私の様子を見たのだろう、シャオミィが尋ねる。
そう答えると、シャオミィは腕を組み虚空を
その間もしっかり口だけは動かしているあたり、さすがはシャオミィと言ったところかしら。
そして、彼女は自分の予想を語る。
別に身体に異常がある訳じゃないわ。ましてやダイエットなど・・・。
シャオミィは自分の皿に残っていた2尾の子アジを、まとめて口にほうり込んだ。
私の皿の上には、まだそれなりの数の揚げ物が残っている。
私は先に、齧りかけの揚げ物を口にいれた。
黒ゴマの香りが心地良い。
しかし、先程からなぜか、真っ黒になったハエ取り棒が脳裏を
口を動かす私の横で、彼女は続けた。
クリティカルヒット。
私の口が、自然に、止まった。
その話題に嫌悪感を抱いたためではない。
怒りを鎮めるため、歯を食いしばっているからである。
無意識に握り締めた拳が、小刻みに震える。
しかしシャオミィは、そんな私の心境に気付けるほど、場の雰囲気や他人の心境を読める娘ではない。
だんっ。
私の堪忍袋の緒は、ここに至って切れてしまった。
両手の裏をテーブルに叩きつけ席を立つ私。その音にシャオミィのしっぽが跳ねた。
シャオミィはテーブルの上の食事を口にほうり込むと、あっと言う間に逃げ去ってしまった。
残されたのは私唯一人。
やり場のない怒りとともに。
結局、私はハエの幻惑と戦いながら、食事を続行することになった。
翌日の夕方。
夏というだけあって、陽が落ちるのも遅い。
仕事場から戻って来ると、夕日が辺りを朱色に染め上げる中、シャオミィがゴミ容器の前で
見ると彼女は例の赤い棒を時折、虚空で右に左に動かしている。
果たして、そんなやり方で捕らえられるのかしら。ハエの方が動きは遥かに速そうだけど・・・。
私はそう言い残すと、屋内に入った。
キッチンで晩御飯の準備。
ふと脳裏に浮かぶ、昨日の出来事。
そっと勝手口を開けシャオミィの方を見ると、彼女が手にしている赤いハエ捕り棒は、それなりに黒くなっている。どうやらシャオミィの努力は、意外にも功を奏しているらしい。
そもそもの原因はシャオミィにあるのだけれど。
私は、先日買っておいた(というか買わされた)大福を、冷蔵庫の上に隠しておいたのを思い出した。
黴が生えていないかだけ確認すべく、冷蔵庫の上を見てみると・・・、いつの間にか大福は消え失せている。
ロバートは甘いものは苦手なので、彼がつまみ食いをするはずもない。と、いうことは・・・。
1週間ほどの勤めを終え、梨花さんとフィーリアが帰ってきた。
待ってましたと言わんばかりに、シャオミィがフィーリアに突撃する。
全く、この娘は・・・。
私はシャオミィの襟首を掴み、家の中へ引きずった。しかしシャオミィもさる者、フィーリアを抱き締めて放さないものだから、彼女も一緒に引きずられることに。
やれやれ、困った娘ね。
それにしても急に賑やかになったわね。今までもそれなりに、騒がしかったけれど・・・。
それはまぁ・・・。
母親の言にシャオミィが口を尖らす。
一騒動あったものの、とにかくこれで、いつもの生活が戻ってきた。後はこれでシャオミィが、学習してくれれば良いのだけど・・・。