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黒く小さい侵入者

いえ・・・、皆さんも、普段から、本当に御苦労様です。
Kasumigamine Ai

プロローグ

「それじゃ、行ってきますね。」
「留守番、しっかりお願いするわ。」

身支度を整えたフィーリアと梨花リィホァさんは、家を出る間際、そう言い残した。

「はい、行ってらっしゃい。」

梨花さんは今日から1週間ほど、家を空けなければならない。何でも、仕事の都合らしい。

政治家と言うのも色々、大変らしいわ。

第1景 シャオミィの憂鬱

彼女たちを見送った後、私はリビングに戻った。

「よっ。(梨花とフィーリアは)もう出発したのかい?」

ソファに気楽そうに腰掛けているロバートが、私の姿を認め、声を掛ける。

「ええ。」
「そうか。」

私は反対側のソファに腰を落ち着けた。

梨花さんとはこの家の主で、居候の私としては足を向けて寝られない人。職業は政治家で、普段は自宅にいないことが多い。フルネームはシャオ・梨花。

過去に何があったかは知らないし詮索もしないが、私が知る限り、一人で娘を育てているようだ。なかなか逞しい人である。

フィーリア、本名フィーリア・レイクロスは私達と一緒に暮らしている使い魔。梨花さんの娘ではない。

使い魔というのは、自分の意志を持たず、ただ主人に仕えるだけの「召し使い」、言い換えるなら「奴隷」である。ただ、奴隷は人間に対して使われる言葉で、私達が暮らすここアルタイアでは召し抱えることは固く禁じられているが、使い魔は半人半獣の合成獣キミーラであり、人間ではない。従ってどういう扱いをしようとも規則上の問題はないので、奴隷代わりや慰み者として所持している者は、それなりにいるそうだ。

もっとも彼女は、使い魔でありながら自らの意志を持ち行動する。これは、クリエイタ(使い魔など生命体を生み出すことができる高位の魔導士のこと、ここではフィーリアの作成者)に「娘」として育てられたためで、極めて稀有な例である。当然、私達も彼女のことは人間と等しく扱っている。

そしてロバートは、私と同じようにこの蕭家に居候している傭兵である。本名はロバート・バーン。

短めにセットされた金髪。一見、爽やか風の男だが、実はかなりの肉体派だ。その腕っ節はかなり強く、傭兵としては一級品。ただ、おつむはそれほど良くはなく、シャオミィにしょっちゅう、からかわれては振り回されている。

ちなみに現在、蕭家にいる5人の中で、唯一の男性。

そこへ、茶色の髪を後ろで無造作に束ねた少女が、リビングにやってきた。

彼女の名はシャオ蜜花ミィホァ、梨花さんの娘である。通称はシャオミィ。

その姿はお世辞にもお洒落とは言えないものの、外見はそれなりに良い方である。ただ、本人は人間だと言っているものの、その姿はどう見ても猫の使い魔。その証拠に、彼女もフィーリアと同じように、白い体毛に覆われた猫の耳としっぽを持っている。

人間であるにもかかわらず使い魔の姿をしているのには何か理由があるらしいのだが、私はそれを詳しく知らない。

「あれ、フィリィ(フィーリアの愛称)は?」

シャオミィが疑問の声を発した。

「もう、出掛けたわよ。」
「そっかぁ・・・。1週間だっけ・・・。寂しくなるなぁ・・・。」

落胆する彼女。

「そうかい? お前さんがいれば、充分に賑やかだと思うが?」

茶化すような口調でロバートが割り込む。

「そんなこと、ないよ・・・。はぁ・・・。」

彼女はごろりと、ソファに横たわった。そして傍にあったクッションを手に取ると、ぎゅっと抱き締める。

「せめてこれをフィリィだと思って、過ごすしか・・・。」
「・・・。」

見ての通り、彼女はフィーリアにホの字である。この際、彼女の性別は考えない方が良いかもしれない。

「まぁ、じきに帰ってくるんだから気を落とすな。」

ロバートは笑いながら、彼女を励ました。

時間は流れ、昼食時。

(そろそろ、食事の準備をしないと・・・ね。)

ロバートはリビングのソファで、雑誌を読んでいる。その横でシャオミィは、クッションを抱えたまま夢の中。フィーリアの夢でも見ているのかしら。

そんな彼らを横目で見ながら私はリビングを出て、キッチンへと向かった。

私はシンクの前に立ち、まな板の上に食料品を載せ、次々と処理して行く。

今日からは賄いは3人分。梨花さんとフィーリアがいないためだ。

3切れの鮭の切り身に塩とコショウで下味を付け、表面に小麦粉をまぶす。

なじんだところで、油を引いた熱々のフライパンに滑り込ませると、たちまち香ばしい音が周囲に響く。

「ぉ。やってるねー。」

音を聞き付けたのか、はたまた匂いを嗅ぎ取ったのか。キッチンとリビングとを隔てるドアの隙間から、シャオミィがひょっこり顔を出した。

彼女にとっては、料理の音や匂いは、どんな目覚まし時計より効果的らしい。

「今日のおかずは、魚かな?」
「ええ。鮭のムニエルよ。折角だから、何か手伝って貰おうかしら。」

私がそう答えると、彼女はさっと顔を引っ込めた。

「・・・お待ちなさい!」

彼女を追いかけるようにリビングを覗くと・・・。

「ん、どうかしたのかい?」

ソファに腰掛けたロバートが、雑誌から顔を上げて応じた。既にシャオミィの姿はない。

「シャオミィ、知らないかしら?」
「ああ、あいつならさっき、そこ(の扉)から出て行ったが?」

全く、逃げ足だけは速いんだから・・・。

「あいつ、何かやらかしたのかい?」
「いえ、昼御飯の支度を手伝って貰おうと思ったのよ。」

するとロバートは、テーブルの上に雑誌を置いた。

「俺で良ければ、手伝おうか? 簡単なことしかできないけどね。」
「そうねぇ・・・、なら、食器を並べるのをお願いしようかしら。」

そんなこんなで、食事はできあがった。できあがるころにはシャオミィもしっかり戻ってきていて、3人で食事である。

「何だか、寂しく感じるなぁ・・・。」
「普段より2人、少ないだけじゃないか。」

シャオミィの呟きにロバートが応える。

しかし。

「ああ、フィリィ・・・。」

シャオミィはまだ、フィーリアがいないことを引きずっているらしい。

「私としては、作る量が少なくて済むから、助かるわ。」
「確かに、いつも5人分だからなぁ。感謝してるよ。っと、冷めないうちに戴こう。」

私達は、料理に箸を付けた。

「うん、美味い。」
「ありがとう。」

いつも5人分とは言っても、普段はフィーリアと手分けして作っている。したがって実際のところは、忙しさはあまり変わらない。

しかし私は、そのことには触れずに、礼だけ述べておいた。

ロバートの横でシャオミィも、鮭を切り分けてその欠片を口に運ぶ。

もぐもぐ・・・。

そして、無言のまま箸を置くと。

「うう・・・、フィリィ、早く帰ってきてくれないかなぁ・・・。」

シャオミィはテーブルに顔を伏せ、叶わぬ願いをうじうじと垂れはじめた。

何だか無性に、腹が立つのは気のせいじゃないわよね?

「まぁシャオミィ、私の料理が口に合わなくて?」

そう言いながら彼女の目を真っ直ぐ見据えると、彼女は慌てて弁明した。

「い、いや・・・、トッテモ、オイシイデス。」

・・・ま、そういうことにしておきましょうか。

「戻ってくるのは、1週間後だっけ?」

ロバートが食べる手を休めて確認する。

「ええ。」

梨花さんに聞くところによると、何でも地方への視察らしい。高々それだけのために1週間もの期間が必要なのか、それは私にも分からない。

「むぅ・・・。でもどうしてフィリィまで・・・。」

それは単に、身の回りの世話などで、人手が欲しかっただけだそうだ。

「ま、泣いても喚いてもしばらくは、フィリィはいないんだから、潔く諦めろ。」

励ますロバート。

しかし。

「無理だヨ・・・。ロビン(ロバートの愛称)が禁酒できるなら、ボクも諦められるかもしれないけどね。」
「・・・そいつぁ、無理だな・・・。」

彼はきっちり、シャオミィのペースに乗せられてしまっている。

はぁ。気のせいかしら、頭痛がしてきたわ・・・。

第2景 選択ミス

食べるスピードは人それぞれ、ロバートが一番早く食べ終え、シャオミィが2番目。

ロバートは傭兵なので、納得の行くところである。戦場ではのんびり、食べている余裕などなかったでしょうから。

しかし、シャオミィの食事スピードが妙に速いのは、なぜかしら?

(半分、猫だからかしら・・・。)

案外、彼女の通う魔法学校で、早食い競争が流行っているのかもしれない。

「ごちそうさまー。」

一番最後の私が食べ終えたのを見計らって、シャオミィは席を立った。

(逃がすものですか。)

私は間髪をいれず。

「じゃ、シャオミィ、後片付けをお願いするわね。」

そう言うと、彼女は見事に固まった。

「働かざる者、食うからず、よ。」
「えー。だってロビンだって、何にもしてないじゃん。」

シャオミィが不平をこぼしたところ、私より先にロバートが反論した。

「俺は一応、食器並べを手伝ったぞ?」
「むぅ・・・。」

困惑するシャオミィ。ロバートが手伝ったこと自体が、意外だったらしい。

「じゃ、そういうことでお願いするわね。」
「ちぇー。」

そんなやり取りを見て、ロバートは笑いながら、食器を重ね始めた。

「ま、食器を運ぶのくらいは手伝うよ。」
「ついでにそのまま、食器を洗ってみない?」

何かにつけ、サボろうとするシャオミィ。彼女らしいといえば、彼女らしいわ。

「俺はこの後、仕事だしなぁ。ここはおまえさんに任せるよ。食器洗いくらい、できるだろ?」
「むぅ。」

彼女は一旦、言いくるめられたかのようだった。

しかし。

「水は苦手なんだよね、はぁ・・・。」

まだ不平をこぼすシャオミィ。

「嘘おっしゃい、毎晩お風呂に入っているじゃない。」

私がそう応じると。

彼女は何だかんだと、言い訳を続けた。

「んー、アレは別。自分の汚れを落とすのと、食器の汚れとでは天と地の差だヨ。」

そんなものかしらね。

「いっそ、風呂場で洗うってのは、どうだい?」
「じゃ、夜に洗うよ。」

ロバートは言い返せなくなってしまった。どうやら、シャオミィの方が彼より1枚上手らしい。

「あら、それだと晩御飯を作れないわ? 晩御飯なしでもいいの、シャオミィ?」
「むぅ・・・。」

私の言葉に今度はシャオミィの方が、言葉に詰まった。

そして。

「・・・いいよ、もう。洗えばいーんでしょ、洗いますよ。トホホ・・・。」

彼女はようやく観念し、食器洗いに同意した。

彼女にとっては、食事は他の何よりも大切なものらしい。

そうだわ。折角だから・・・。

「ついでにその三角コーナーに溜まっている生ゴミも、処理しておいてね。」
「えええー。」

私の追加注文に、案の定、シャオミィが目一杯、拒否の意志を示した。

が。

「あら、こんなに生ゴミが溜まっていては、晩御飯の準備に差し障るわ。生ゴミ臭い晩御飯がお望みかしら?」
「むぅ・・・。」

晩御飯を盾に要求すると、彼女は渋々、同意した。

かくして、シャオミィは昼御飯の後片付けを担当することになった。

あまり家事をしていない彼女のことだから、多少は手古摺てこずるでしょう。私は軽く、そう考えていた。

後々私は、この甘さを悔いることになる。しかしこの時は、そんなことは思いもよらなかった。

第3景 悪夢の始まり

翌日。

朝食を食べ終えた私は、食事の後片付けをしていた。食器を下げ、それを洗い・・・。

昨日と今日は休日なので、シャオミィも私も家にいる。ロバートは酒場勤めなので昨日も今日も仕事だが、夜勤に近いので今は寝ている。

シャオミィも昨晩は遅くまで起きていたみたいで、朝食を食べ終えると寝室に戻ってしまった。食事中も舟を漕いでいたくらいだから、おおかた二度寝をしているのだろう。

「良く食べるし、良く寝るし・・・。あんな生活なのに太らないのは、羨ましい限りだわ・・・。」

苦笑しながら、私は洗い物を片付けていった。

そして、ふと三角コーナーを見ると。

思ったより、生ゴミが溜まっている。

ああ、また捨てないといけないわ・・・。

私は水気を切ってから袋の口を括ると、勝手口の横に置いてあるゴミ容器に捨てるため、勝手口の戸を開けた。

(あら?)

見ると、ゴミ容器の蓋が、僅かながら開いているではないか。

(野良猫の仕業かもしれないわね。)

私は大して疑いもせず、ゴミを捨てるために蓋を開けた。

その時!

「!!!」

小さな黒い何かが、大量に舞い上がり、それぞれが意志をもって飛び回り始めたのである。

「きゃあっ!」

思わず、叫び声が漏れる。

私はすぐに蓋を閉めると、回れ右をしてキッチンに駆け込み、戸を閉めた。

戸は、少し念入りに閉めておいた。

(とりあえず落ち着かなきゃ・・・。そう、こういう時は武器を頭の中で並べるのよ・・・。マンゴーシュ、カッツバルゲル、レイピア、フランベルジェ・・・。)

1分後。

(・・・何とか、落ち着いたわ。)

何が起こったのかは、すぐに理解できた。

言葉で表現すれば、何のことはない。生ゴミにハエがたかっていただけである。

しかし私は、あまり虫が好きではない。むしろ、嫌いである。両生類と爬虫類も苦手だけど。

でも、どうしてハエが湧いたのかしら? 確かに、時節は初夏。虫が発生しやすい時期には違いない。

蓋が半分、開いていたから? しかし、中のゴミはビニールの袋に入れ、口を縛っているはず。

・・・はっ、まさか!

昨日の昼食後、私はシャオミィに生ゴミの処理を頼んだことを思い出した。

心の中にふつふつと沸き上がる黒い疑惑。

私はすぐに、シャオミィの寝室へと走りだした。

シャオミィはベッドの上で布団も被らず、横向きになって寝ていた。

私は枕元に歩み寄ると、彼女の綿のような耳を撫でながら、努めて、優しく話しかけた。

「ねぇシャオミィ、昨日は生ゴミの処理、ありがとうね。」
「ん・・・。」

しっぽが波打つように動き、耳がパタパタと動く。まるで、私の手を振り払うような仕草である。

「ところでシャオミィ、あなた、生ゴミを捨てる時、(ビニール袋の)口はちゃんと括ったかしら?」

私が問いかけると、彼女は寝返りをうち、私に顔を背けた。

まぁ、何て反抗的な態度かしら。

再び、耳を撫でてみると。

「そんな面倒臭いこと、してないよ・・・。もう少し寝かせてよ・・・。」

ボソボソとシャオミィが呟く。

犯人、確定。

私は、耳を撫でていた左手で彼女の耳を掴むと、捻りながら引っ張り上げた。

「いだだだだだっ!」
「生ゴミの処理法方くらい、知っていると思ったのだけど・・・。シャオミィ、あなたのお陰で、ゴミ容器がハエだらけよ? もちろん、責任を取って、ちゃんと処理してくれるわよね?」

悶絶している彼女に、昼までに何とかするように命じると、私は彼女の寝室を後にした。

第4景 シャオミィの策略

昼食の後、私は朝に捨てそびれた生ゴミを手に、勝手口を開けた。

ゴミ容器の蓋は、ちゃんと閉められている。

しかし、それを開けるのにはどうも、勇気が必要だ。

(あの娘、ちゃんと処理したかしら・・・。)

覚悟を決めて、蓋をそーっとずらすと・・・。

(あら、何も起こらないわ?)

今朝の時とは違い、ハエは1匹たりとも出てこない。

良かった、ちゃんと処理をしたみたいね。でも1匹くらい、残っていても不思議じゃないのに、一体あの娘はどうやったのかしら・・・。

疑問に思い、ゴミ容器を覗き込むと・・・。

「!!」

ほぼ同時に、グロテスクな顔の生物がニュッと顔を出したのである。

大きさこそ小さいものの、白く、爬虫類独特の顔。

そう、夏の夜、部屋の窓によく張り付いている、あのヤモリである。

「きゃあ! きゃあ! きゃああああっ!!」

私がしりもちをついている間に、ゴミ容器から這い出てきたヤモリは一目散に逃げて行った。

「どーしたのさ、アイ(愛の愛称)?」

私の叫び声を聞き付けたのだろう、シャオミィが勝手口から顔を出した。

「い、今、ヤモリが・・・。」

それを聞いたシャオミィは、なーんだ、といった呆れた表情になった。

「ヤモリくらいで騒ぎ過ぎだヨ、アイ。いきなり女の子みたいな声出すから、本気で心配したよ、ボク。」
(『女の子みたいな』・・・?)

私は立ち上がるととりあえず、シャオミィを1発殴っておいた。

しかし考えてみれば、普通はゴミ容器の中にヤモリがいるはずもない。ということは当然、誰かが入れた訳で・・・。

「で、シャオミィ、どうしてゴミ容器の中にヤモリがいるのかしら?」
「愛さん目が怖いデス・・・。」

両肩を掴み真っすぐ彼女を見据えると、彼女はそう答えた。

「虫とか食べてくれるヤモリを入れておいたら、何とかなると思ったんだよー。」

そんな訳、ないじゃない。第一、ヤモリは夜行性よ? 朝にゴミ容器に入れたからといって、ハエがいなくなる訳はないわ。

そしてその時タイミング良く、後ろのゴミ容器からハエが飛び回り始めた。

「・・・。」

私の予想通りね。

「何とか、ならなかったみたいよ?」

それを見たシャオミィは、がっくりと肩を落とす。

「むぅ。ヤモリ、苦労して捕まえたのに・・・。」
「結果が全てよ。」

私は呆れながら、そう告げた。

第5景 文明の利器

結局私達は、ハエ撃退グッズを買いに出掛けることになった。

化粧を済ませて玄関に行くと、シャオミィは既に玄関にて待機中。

シャオミィが早い理由は単純で、彼女は化粧をしていないのである。その理由もこれまた単純で、彼女は化粧品の臭いに耐えられないらしい。猫と人間との合成獣なので、嗅覚もかなりのものなのである。

「お待たせ。さあ行きましょう。」
「待ちました。かなり。じゃ、行こう。」

見慣れた道を私は歩く。その後ろから、頭を押さえながらシャオミィがついてくる。

「人の頭、殴り過ぎだよアイ。ボクの頭がおかしくなったらどーするのさ。」

そう、あまりにも生意気だったので、出掛けに一発殴っておいたのだ。

「あら、これ以上おかしくはならないでしょ?」

適当に私がそうあしらうと。

「いあいあ、ボクの凄さが分かってないね、アイ。」

シャオミィは自信たっぷりで言い返してきた。

どうせたいした事じゃないと思うけど、一応聞いてみようかしら。

「あら。どこがどう凄いのかしら?」
「例えばその化粧。」

シャオミィがびしっと私の顔を指さす。

「ボクの類い稀なるこの頭脳で、その化粧の理由を見事、当てて見せよう。」

単なる身嗜み。それ以外のどういう理由があるというのかしら。

「実はアイ、その化粧でモデルデビューを狙ってるでしょ。」

あら、それは初耳ね。

「そんなにキレイ?」
「町中を歩いていると、化粧品会社から目をつけられるんだよ。そしてその場でスカウトされ、コマーシャルに出演。『劇的変化へんげ! つぶれ饅頭のような顔も、この化粧品でこんなに美しく!』という・・・へぶっ!」

全て話し終える前に、私の拳がシャオミィの顔面にめり込む。

ああ、聞かなければ良かったわ。

「はい、はい。減らず口はいいから、さっさと行くわよ。」

市場に着いた私は、早速、お目当ての撃退グッズを探し始めた。この市場、私達もほぼ毎日お世話になっているお店で、店舗そのものも広い。そして何より凄いのはその品揃え。食料品や衣類はもちろん、フライパンなどの雑貨や、はては大工道具まで、と広範囲に取り扱っている。

物はついでだから、良さそうな品を買ったら今日の晩御飯のおかずも買っちゃいますか。

ちなみにシャオミィは和菓子コーナーへ。彼女は甘党なので、お菓子類には目がない。

(買いもしないのに毎度々々、飽きもせず・・・。お店の人に迷惑をかけてなければ良いけど・・・。)

しばらく探し歩いた後、私は害虫駆除商品の棚の前にたどり着いた。近くの店員を捕まえてアドバイスを聞いたところ、この手のグッズには大きく2種類あるらしい。トリモチのようにハエを生け捕りにするタイプと、薬剤で殺すタイプとである。

「薬剤の方が効き目はございますが、ペットなどをお飼いでしたら、ペットの誤飲を防ぐ意味も含めまして、トリモチ式の商品をお勧め致します。」

ペット、ね。

蕭家にはペットはないが、使い魔はいる。もちろん、人並みの知能があるので誤飲はしないだろうけど、薬剤は臭いがきついだろうからトリモチ式にしてあげるべきだわ。

私は陳列棚の中から、トリモチ式の中から一番安い品を選ぶと、買い物カゴに入れた。

晩御飯の食材もカゴに入れ、精算。姿の見えなかったシャオミィもいつの間にか、私のとなりに並んでいる。

レジ打ちの係員が、品物をカゴからカゴへと手慣れた手つきで移して行く。彼らは一体、この作業を何度繰り返したのだろうか、とても滑らかな動きである。

「ニンジンが2点、ホウレンソウが1点、サバが2点、大福が2点、・・・。」
(大福?)

大福など入れた覚えはないのだが、隣のカゴには立て掛けられたニンジンのすぐそばに、大福が確かに2個、慎ましやかに座している。

隣にいるシャオミィを睨みつけると。

彼女はどこ吹く風と言った体。

やれやれ、このネコ娘は・・・。

精算が終わると、買ったものを袋に詰める私の横から、案の定シャオミィが手を伸ばしてきた。言うまでもなく、その狙いは大福である。

ぱしっ。

「いった〜っ。」

その手が大福に触れた瞬間、私の手が彼女を叩く。

そして私は大福を袋にしまうと、右手を広げて彼女の前に突き出した。

「・・・、お手? ボク、犬じゃないけど・・・。」
とぼけてないで、さっさと払いなさい。2個で256ペブル(この世界の通貨)よ。」

私がそう告げると、彼女は生意気にも反論してきた。

「どしてボクが?」
「カゴに(大福を)入れたのは、あなたでしょう?」

シャオミィが首を横に振る。

「キオクニゴザイマセン。」

・・・さすが政治家の娘。いえ、梨花さんはそのような悪人ではないけれど。

でもそこで惚けたのは失敗だったわね。後で悔しい思いをさせてあげるわ。

「まぁいいわ。とにかく、家に帰りましょう。」

帰路、歩きながら大福をつまんでいると、シャオミィが物欲しそうにこちらを見ている。

食べ歩きは行儀が悪いかしら?

言うまでもなくシャオミィに見せつけている訳だけれど、案の定、シャオミィのしっぽがゆっくりと左右に振られている。不満を感じている証拠ね。

やがて。

「ねーアイ、ボクの分は?」
「あら? 欲しいの? それじゃ1個128ペブルよ。」

耐え切れなくなったシャオミィにそっけなく答えると、彼女は頬を膨らませた。

「いーじゃん1個くらい。」
「これは私が、レジで断りもせずに、わざわざ買ったのよ? 従って、これは私が美味しく戴くしかないわ。」

私が此れ見よがしに大福を一口齧ると。

「ひ、ひどいー! 折角ボクが・・・。」
「折角、何かしら? あなたは確か、黙って他人のカゴに大福を忍ばせるような、非常識なことはした記憶がないのでしょう?」
「ぐぅ・・・。」
「まあ、これに懲りたら、あんなことはしないことね。」

結局シャオミィは、私には大福を渡す気配もないのに諦めきれなかったのだろう、家に帰り着くまで私の右に左にと纏わり付いていた。

第6景 罠

家に着いた私は、シャオミィの手の届かない場所、具体的には冷蔵庫の上に置いてある籠の中に大福を置くと、早速トリモチの設置に取り掛かった。

まずは取り扱い説明書を開く。

(ハエの集まりそうな場所に設置・・・ね。今回はゴミ容器かしら・・・。)

そして注意事項に目を通す。

(・・・開封時に粘着剤が手につかないようにご注意・・・本製品は食べられません・・・と。)

ごく普通の、当たり障りのない内容が記されている。

(衣類に付いた時は洗剤で・・・確かに、服に付いたら面倒そうね、注意しないと・・・。)
(万一口にいれた場合は・・・と書いてあるけれど、口に入れる人なんているのかしら。)
(乳幼児の手の届かないところ・・・私(蕭家)の場合は大丈夫だけど、乳幼児に縁がなくてハエのいそうな場所と言うのも難しそうだわ。)
(本製品は蝿の王ベルゼブブには効果がありません・・・そんなことはわざわざ書かなくても判りそうなものよね・・・。)

過去に、クレームでもあったのかしら。普通に考えれば、蝿の王から無事に逃げられるというだけでも凄いわね。

ささやかな疑問を胸に仕舞いつつ私は、製品の封を切った。中には金属性の台座と、それに刺して使うトリモチ付きの赤い棒が封入されている。

私は棒を保護している剥離紙をそっと剥がすと、それを台座に立てた。ほのかにバニラの香りがする。きっと、誘引剤でも添加されているのだろう。

ゴミ容器の蓋を少しずらし、その入り口近くの縁に罠を設置すると、私は勝手口からキッチンへと戻った。

正直、ハエなど見たくもないのだが、人間という生き物は不思議なもので・・・。

好奇心に負けた私は10分ほどして、ゴミ容器の様子を見に行った。

遠くから見たところ、赤い棒は赤いまま台座に刺さっており、ハエを捕らえた様子はない。どうやら、根気よく待たないといけないらしい。

とりあえずキッチンに戻り、今朝の生ゴミについて思案する。まだ捨ててないのだけれど、どうしようかしら・・・。

腕を組んで天井を睨んでいると・・・。

「わきゃ!」

突如、シャオミィの叫び声。勝手口の外からだ。

「どうしたの?」

突然のことに慌てて戸を開ける。

するとそこには、手に付いた赤い棒を必死で振り落とそうとしているシャオミィの姿が・・・。

「何だよコレー!」

私は軽いめまいを覚え、額を手で押さえた。

「・・・シャオミィ、それはハエ取り用のグッズよ。ハエじゃなくて、まさか貴方がかかるとは思わなかったわ・・・。」
「むぅ。」

とりあえず彼女の手からトリモチ棒を引きはがすと、私はそれを元の場所に設置しなおした。

「良い匂いがするから何だろう、って思ったんだけど、まさかこんな目に遭うとは思わなかったヨ・・・。」
「ごめんなさいシャオミィ、貴方の行動パターンとハエのそれとの違いを、私は全く見出だせないのだけれど・・・。」

彼女は恨めしそうにその罠を眺めている。ハエは相変わらず、ぶんぶん飛び回っているものの、まだ罠にはかかっていない。

ここに至って、シャオミィは実はハエにも劣るのではという疑問が湧いてきた。

これ以上は可哀想だから、口には出さないでおきましょう。

「とりあえず、そのままだと(誘引剤が付いているから)ハエが寄って来て大変よ? 手を洗うか、シャワーを浴びた方が良いわね。」
「あぃ。」

第7景 シャオミィの反撃

陽は傾き、徐々に世界を朱に染めて行く。

これからは、陽が落ちる時刻も少しずつ遅くなっていくわけである。

1年ごとに廻り来る暑い日々。今年の夏はどんな具合かしら・・・。

そんなことを気の向くまま考えていると・・・。

「ふ〜やれやれ・・・。」

シャオミィが風呂場からのっそりと出てきた。

「大変だったわね。次からは気を付けなさい。」
「おにょれ(己)、ハエ共、この恨み必ず・・・。」

復讐心に燃えるシャオミィ。

彼女本人にしてみれば、むしろ蠅取り棒の方に怒りを向けるべきなのかもしれないけれども、物に当たり散らしても意味はない。

それにしても彼女は、どうやって恨みを晴らすのだろうか? ちょっと、気になるわね・・・。

時計の針は午後の6時を過ぎた辺りを指している。

シャオミィはあれからずっと、外にいるようだ。おおよそ、恨みを晴らす算段でもしているのだろう。

私はそろそろ、夕餉ゆうげの支度にとりかからなければならない。用心棒のロバートは、お昼過ぎに勤めに行ったため、今夜の賄いは2人分である。

買ってきた食材の下ごしらえをしていると・・・。

慌ただしくシャオミィが勝手口から入ってきた。

アイー、いるかな?」

手には何やら、黒い棒を持っている。

「あら、それは?」
「ハエ取り棒だよー。」

あら、ハエ取り棒って、赤い色じゃなかったかしら?

よく見ると・・・。

「ほら、こんなにいっぱい捕れたヨ。」
「きゃああああああああ!」

ハエ取り棒が黒く見えたのは、表面に黒い粒がたくさん付いていたためで、さらにその粒一個々々がハエだったのである。

ドンッ!

反射的にシャオミィを突き飛ばす。文字どおり宙を舞ったシャオミィは、勝手口の横の壁にぶつかり、ぐぅと言った。

「むむ・・・、いきなり何を・・・。」
「それをわざわざ、私に見せるのは、何かの嫌がらせかしら!?」
「せ、せっかく捕まえたのに・・・。」
「とにかく、それをなんとかしなさい! 全く、もう・・・。」

だいたい、少し考えれば、こうなることは予想できたでしょうに・・・。

私はシャオミィに、ハエ取り棒の処理を言い付けると、調理に戻った。

1時間ほど後。

「いただきまーす。」
「・・・。」

今日の晩御飯は、子アジのゴマ揚げ。それなりに上手くはできたはず。

でも、あまり食欲がわかない。

今日のメニューは、ちょっと失敗だったかしら。

「むぐむぐ・・・。」

シャオミィはがつがつ食べている。

相変わらず、よく食べる娘だわ。

私も揚げ物を一口齧った。

「・・・、どしたの、アイ?」

そんな私の様子を見たのだろう、シャオミィが尋ねる。

「何でもないわ・・・。」

そう答えると、シャオミィは腕を組み虚空をめた。

その間もしっかり口だけは動かしているあたり、さすがはシャオミィと言ったところかしら。

そして、彼女は自分の予想を語る。

「もしかして、常日頃は心の奥深くにしまい込んでひた隠しにしていた『痩せたい願望』が、ここに至ってむくむくと頭をもたげてきたのかな?」
「別にそんな願望、最初からないわよ。」
「ふぅん。」

別に身体に異常がある訳じゃないわ。ましてやダイエットなど・・・。

シャオミィは自分の皿に残っていた2尾の子アジを、まとめて口にほうり込んだ。

「じゃ、食べればいいじゃん。存外、おいしいヨ。」
「存外、は余計よ。誰が作ったと思ってるのかしら?」

私の皿の上には、まだそれなりの数の揚げ物が残っている。

私は先に、齧りかけの揚げ物を口にいれた。

黒ゴマの香りが心地良い。

しかし、先程からなぜか、真っ黒になったハエ取り棒が脳裏をよぎって仕方がないのである。

「でもさ、アイ。ボク、今思ったんだけど・・・。」
「?」

口を動かす私の横で、彼女は続けた。

「この黒ゴマ、なんだかハエそっくりだよねー。」

クリティカルヒット。

「ほら、今もアイのお口の中で、プチプチプチと・・・。」
「・・・。」

私の口が、自然に、止まった。

その話題に嫌悪感を抱いたためではない。

怒りを鎮めるため、歯を食いしばっているからである。

無意識に握り締めた拳が、小刻みに震える。

しかしシャオミィは、そんな私の心境に気付けるほど、場の雰囲気や他人の心境を読める娘ではない。

「白ゴマにすればまだマシだったのにネー、あ、でもこれはこれで、うじっぽいかも? う〜ねうね。」

だんっ。

私の堪忍袋の緒は、ここに至って切れてしまった。

「ひぇ!?」

両手の裏をテーブルに叩きつけ席を立つ私。その音にシャオミィのしっぽが跳ねた。

「貴方・・・、そこまでして私の食欲を奪い去りたい理由は何かしら?」
「き、緊急事態発生につき退避します!」
「ああっ、こらっ、待ちなさい!」

シャオミィはテーブルの上の食事を口にほうり込むと、あっと言う間に逃げ去ってしまった。

「・・・。」

残されたのは私唯一人。

やり場のない怒りとともに。

結局、私はハエの幻惑と戦いながら、食事を続行することになった。

第8景 陰の努力

翌日の夕方。

夏というだけあって、陽が落ちるのも遅い。

仕事場から戻って来ると、夕日が辺りを朱色に染め上げる中、シャオミィがゴミ容器の前でかがみ、じっとしている。

「ただいま・・・、あら、何をしているのかしら?」
「ん、ハエ捕まえてる。」

見ると彼女は例の赤い棒を時折、虚空で右に左に動かしている。

果たして、そんなやり方で捕らえられるのかしら。ハエの方が動きは遥かに速そうだけど・・・。

「まぁ、せいぜい頑張ることね。」

私はそう言い残すと、屋内に入った。

キッチンで晩御飯の準備。

ふと脳裏に浮かぶ、昨日の出来事。

(あの時は、そこの勝手口からシャオミィが、真っ黒になったハエ捕り棒を持ってきていたわね・・・。)

そっと勝手口を開けシャオミィの方を見ると、彼女が手にしている赤いハエ捕り棒は、それなりに黒くなっている。どうやらシャオミィの努力は、意外にも功を奏しているらしい。

(意外と頑張っていたのね・・・。あの時は、彼女にはちょっと悪いことをしちゃったかしら・・・。)

そもそもの原因はシャオミィにあるのだけれど。

私は、先日買っておいた(というか買わされた)大福を、冷蔵庫の上に隠しておいたのを思い出した。

(食後に、シャオミィにあげることにしましょう。)

黴が生えていないかだけ確認すべく、冷蔵庫の上を見てみると・・・、いつの間にか大福は消え失せている。

ロバートは甘いものは苦手なので、彼がつまみ食いをするはずもない。と、いうことは・・・。

(・・・。少しとはいえ、あの娘を認めようとしたのは間違いだったわ・・・。)

エピローグ

「ただいま。」
「ただいまー。」

1週間ほどの勤めを終え、梨花さんとフィーリアが帰ってきた。

「おかえりフィリィっ! ボク、寂しかったんだからー!」

待ってましたと言わんばかりに、シャオミィがフィーリアに突撃する。

全く、この娘は・・・。

「シャ、シャオミィさん、と、とりあえず家にあがらせて・・・。」

私はシャオミィの襟首を掴み、家の中へ引きずった。しかしシャオミィもさる者、フィーリアを抱き締めて放さないものだから、彼女も一緒に引きずられることに。

やれやれ、困った娘ね。

それにしても急に賑やかになったわね。今までもそれなりに、騒がしかったけれど・・・。

「お二人とも、お勤め御苦労様でした。渋茶でも入れますので、ゆっくりくつろいでください。」
「ありがとう。・・・あれ、愛さん、何だかやつれているよ?」

それはまぁ・・・。

「ごめんなさいね、シャオミィが迷惑をかけて・・・。」
「む、それはどーゆー意味かなー!?」

母親の言にシャオミィが口を尖らす。

「いえ・・・、皆さんも、普段から、本当に御苦労様です。」
「・・・、何か引っ掛かるなー・・・。」

一騒動あったものの、とにかくこれで、いつもの生活が戻ってきた。後はこれでシャオミィが、学習してくれれば良いのだけど・・・。

「愛さん、お土産にゴマ団子を買ってきてるよ。皆で食べようよ。」
「あ、ありがとう・・・。」
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