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忌むべき過去に祝福を

どうか、ここに居続けて・・・!
Xiao Lihua

プロローグ

キッチンでフィーリアが、ケーキを焼いている。

そう、今日は蜜花ミィホァ、すなわち私の娘の誕生日。そのため使い魔のフィーリアがパーティの準備をしてくれているのだ。

政治家という仕事柄、なかなか休みはとれないのだが、この魔法都市アルタイアには議員にも優しい制度がある。それは、同居する家族の誕生日には休暇をくれる点である。

当の本人、蜜花は、今は学校のため不在。居候している傭兵のロバートは、気楽そうにあくびなどしつつ、フィーリアが料理を作る様を眺めている。もう一人の居候人、愛は、仕事に出ているため、今はいない。

第1景 パーティの準備

「梨花さーん。」

私の名を呼びながら、フィーリアがキッチンから顔を覗かせた。

「蝋燭の予備って、ありますか?」

群青色の2つの瞳が、こちらをみつめる。

「あら、足りなかったかしら。」

聞き返して確認すると。

「んと、14本しかないです・・・。3本、足りないです。」
「それは困ったわね・・・。蝋燭・・・、頂き物の、仏壇用のものしかないわ。」

私がそう言うと、彼女は困ったような表情で、首を傾げた。それに合わせ彼女のピンク色の髪が揺れる。

と、そこへロバートが割り込んで来た。

「仏壇用でも良いんじゃないのかい? ちょっと太いから、1本で10歳分、とかね。」
「むー、そういう訳にもいかないですよー。」

フィーリアがたしなめる。

私は少し思案した。

そういえば、愛は今日、早めに帰ってくると言っていたわ。

「帰りがけに買ってきてもらうよう、愛にお願いしようかしら。」

そう提案すると、ロバートはポンと手を打った。

「そうだな、それがいい。」
「じゃ、早速、あたしの方から連絡しますね。」

ケーキを焼いているこの少女は、名をフィーリア・レイクロスという。この蕭家で私達と一緒に暮らす使い魔である。

使い魔というのは、半人半獣の合成獣キミーラである。外見は人間と非常に似ているが、人間ではない。彼女も人間とは異なり、猫のような三角形の白い耳と、白い毛皮に覆われたしっぽを持っている。

本当は20歳を越えているらしいのだが、身体の異常で成長が10歳くらいで止まってしまったらしく、見かけはまだ幼い少女。そのあどけない表情は、私達に癒しを与えてくれている。

短めにセットされた金髪、目付きこそ違えフィーリアと同じブルーの瞳。幾多の戦場をくぐり抜けた腕利きの傭兵、それがロバート・バーンである。見た目は爽やかな印象を受けるが、一度ひとたび戦場に出れば、重いカッツバルゲル(S字形の柄を持つ片手剣)を片手で振り回す豪傑に変身する。ちなみに無類の酒好き。

愛というのは、今は仕事のため不在だが、一流の砥ぎ師である。癖のあるプラチナブロンドの髪がとても印象的。優しい心の持ち主だが、蜜花をきちんと叱ってくれる、頼もしい女性である。

「連絡しておきました。5時頃には戻るって言っていましたよー。」
「ありがとう、フィーリアちゃん。それにしても、(このケーキ)よくできているわね。」

テーブルの上には、お店のものと比べても何ら遜色の無い見事なバースディケーキが鎮座している。言うまでもなく、彼女の力作である。

「あ、ありがとうですー。」

私が褒めると、彼女は照れるように、胸の前で両手の指をつけたり離したり、もじもじとし始めた。年齢不相応な反応だが、こういう子供っぽいところも、彼女の魅力のひとつなのだろう。

もう一つ魅力を挙げるとすれば、相手の立場に立てるというところだろうか。その証拠が目の前にある。ケーキに描かれた祝福の文字は、驚くことに私達の母国語である。私からすれば、考えにくいことだ。なぜなら、彼女にとって私達の母国語は、難解であるに違いないから。彼女のことだから、わざわざ、今日という日のために予め自分で調べたのだろう。

「にしても、ちょいと時間が余っちまったね。どうする?」

ロバートが口を開いた。

聞きようによっては、このパーティの準備を取り仕切っているようにも感じる。

(貴方は何もしていないと思うけれど、それについては黙っていましょうか・・・。)

そんな私の印象とは関係なく、素直に応じるフィーリア。

「んー、待つしかないかなぁ。」

しかし、このまま待つというのも芸がない。かといって何かすべきことがある訳でもなく・・・。

するとロバートが。

「シャオ(シャオミィの愛称)の誕生日なんだから、何かあいつに関することがいいね。アルバム観賞というのは、どうだい?」
「あ、それ、良いですねー。あたしも見てみたいなー。」

フィーリアが彼の提案に乗ってきた。

私としては、正直、それは避けたい。娘の過去が明らかになってしまうから。

でも遅かれ早かれ、皆が知る日が来るだろうし・・・。

「分かったわ。(アルバムを)持って来るわね。」

私は少し思案したものの、彼らの要求に従った。

第2景 色褪せた写真と褪せぬ過去

2冊のアルバム。

キッチンにそれらを持ってきた私は、その片方を広げた。

早速、フィーリアたちが覗き込んでくる。

「わ、これ、シャオミィさんですよね。可愛い♪」

5歳の頃の、娘の写真を見てフィーリアが歓喜の声を発した。

西瓜より一回りくらい大きい、黄色いボールを両手で抱えて地面に座っている写真である。

「へぇ、この頃は耳も大きいんだなぁ。」

ロバートは妙なところに感心している。

耳が大きいというより、体全体が小さいので顔や耳が大きく見える、というのが実際のところだろう。

そして次のページの写真。

「ん? これは・・・?」

一見、コタツしか写っていない写真だが・・・。

「あ、ここ、ほら、コタツからしっぽが伸びてるよ。」
「ぶっ!」

そう、この写真は、蜜花がコタツにすっぽりと潜り込んでいる情景を撮ったものである。家事を終えてコタツにあたろうとしたら、しっぽだけが出ていたのが面白かったので、写真に収めたという次第。

そしてその右下の写真は・・・。

「うわ、こっちはすごいことになってるな。」

食後、歯磨きもせず、テーブルに突っ伏して・・・というか、食器に突っ伏して眠っている娘の姿が。

「6歳の写真、か。」

写真に添えられた覚え書きノートを確認し、ロバートが呆れた声を出した。

「この頃から髄分とまぁ、アイツらしかったんだなぁ。」

次は娘が7歳の時の、運動会の写真。

「これは、蜜花が1位をとった時の写真ね。」

かけっこで1位だった時の、娘の写真である。各組で1位になった人だけが旗の下に並んでおり、その中に蜜花の姿がある。

「ほぇー。すごいなー。」
「こっちも別の意味ですごいぜ。ほら。」

ロバートが指さすは、その下に収めてある大玉転がしの写真。

「あ、あはは。他の人から怒られなかったのかな・・・?」

みんなが必死に転がす中、蜜花は大玉の上によじ登ってしまっている。本人も落ちないように必死になっている・・・そんな当時の様が、脳裏に色鮮やかに蘇る。

「この頃になると、だいぶ、成長してますねー。」

小学校の卒業写真。

男子に交じり、卒業証書を丸めてちゃんばらごっこをしている娘の姿。フィーリアの指摘する通り、この頃になると背丈もだいぶ伸びてきているのがよく分かる。

「そういえば、もっと昔の写真は、ないのですか?」

一通り見終えた後、フィーリアが問うてきた。

「確かに、このアルバムは5歳くらいから始まってたな。(昔の写真は)もう片方のアルバムかい?」

ロバートも彼女の疑問に便乗した。

「ええ・・・。」

蜜花の写真は、とある理由から2冊に分けてある。その境目は、娘が4つになった時。そしてその理由というのは、聞いただけではとても信じられなような内容。ほんの1年とは言え、フィーリア達とは今まで家族同然に暮らしてきたのだから、いずれ知らせる時がくると思い、私は両方のアルバムを持ってきていた。案の定、といったところかしら。

くだんのアルバムを広げた2人。ページをめくっていくうち、その表情に疑問の色が浮かびはじめる。

ついに、耐え切れなくなったロバートが私に尋ねてきた。

「・・・これは、別の人のアルバムかな? これは、誰だい?」

彼らは既に、3歳くらいの写真まで進んでいる。

写っているのは、ショートヘアの、黒髪の女の子。その瞳は黒く、頬には雀斑そばかすが浮いている。

「梨花さん・・・じゃないですよね・・・? 面影は少し、あるけど・・・。」

フィーリアも首を傾げている。

普段のフィーリアは見かけによらず、とても頭が切れる。そんな彼女ですら、この少女が誰かを、見抜くことができない。無理もない、当事者である私ですら、他の人から聞かされただけでは信じられないだろう。

私は静かに、真実を告げた。

「この娘は・・・、蜜花よ。」

ロバートとフィーリアは、互いに顔を見合わせた。

そして。

何を言っているんだというような苦笑を浮かべながら、ロバートが口を開いた。

「はは、まさか! あいつには雀斑なんなんかないし、髪の色も違う。大体、耳としっぽがないじゃないか。」

・・・そうね、それが普通の反応よね。

しかしフィーリアは。

「・・・すみません、聞かない方が良かったですか・・・?」

何やら感づいたらしい。

大丈夫よと私が答えても、彼女は目を伏せ、こちらを直視しなくなった。

「ふむ、俺には何が何やら、さっぱり判らんが・・・。」

聡明な彼女とは対照的、ロバートはこういう推量には弱い、極めて『鈍い』男である。

その横で、フィーリアが大急ぎでアルバムのページを捲っている。

が、数ページ捲ったところで、彼女の手が止まった。

「やっぱり・・・。」
「ん、どうした? ・・・何だ、(アルバムが)真っ白じゃないか。さては梨花さん、写真撮るのが面倒臭くなったな? わっはっは。」

覗き込み、そして気楽そうに笑うロバート。その横でフィーリアが、彼の裾をクイクイと引っ張っている。

「ん?」
「察してあげてください、ロバートさん。これ以上は聞いちゃだめ・・・。」

フィーリアの制止を受け、彼は顎をさすり始めた。

「ふむ、察する、か・・・。」

・・・が。

彼が導いた答は、ある意味、予想外だった。

「カメラが壊れた、とか?」

ごんっ。

鈍い音がした。

その出所に目をやると、ちょうど、フィーリアの額がテーブルと正面衝突を果たしたところである。

「さぞ、高価なカメラだったんだろうな。心中、お察しするよ。」

・・・そういう察し方をされても、困るわ。

「そ、そーじゃなくて・・・。」
「む・・・、そうか、フィルムを現像するお金が無かったのか! 辛いよな、赤貧の生活は・・・。」

ごんっ。

「いや待てよ・・・?」

・・・いくら待っても正解にたどり着けそうにないのだけれど・・・?

「そもそも、フィルムを買うお金すらなかったとか? そうだ、それに違いない。」

ごんっ。

「他の可能性は・・・。」

個人的にはもう少し聞いてみたいけれど、そろそろフィリィ(フィーリアの愛称)が脳震盪を起こしそうだから、止めるべきかしら。

と思ったら。

フィーリアが自ら、ロバートという名の暴走機関を止めに入った。

「えと、そーいうことじゃなくて・・・。それにロバートさん、何かの間違いでそれが真実だとしたら、口に出すことで梨花さんを傷つけちゃいますよ? 謹んでください・・・。」
「む、そうか、確かに・・・。梨花さん、気が利かなくて申し訳ない。」

鈍いのはともかく、彼は、謝るべき(?)ところではきちんと頭を下げることができる、なかなかの人物である。しかし今、この状況では単なるオマヌケ兄さんだ。

ロバートの予想も面白かったけれど、フィリィはどんな予想をしたのかしら?

「私は大丈夫だから、フィリィ、貴方の予想を聞かせて頂戴。」
「え・・・? でも・・・。」

彼女の目を直視すると、彼女はさっと視線を逸らした。

「私は大丈夫。本人が言うのだから、間違いないわ。」
「むぅ・・・。」

私はさらに、彼女の目を見つめ続けた。

フィーリアは頭脳明晰なのだが、気が弱く、強く求められると断り切れないところがある。

しばらくの間、無言でプレッシャーをかけ続けると、彼女はとうとう諦めたらしい。

「すみません、非礼を承知でお話ししますね・・・。」

私にされて、彼女は訥々とつとつと話し始めた。

彼女の予想はこうだった。

まず、雀斑の少女が本物の「蜜花」。そしてアルバムが白紙に変わった時期に本物の蜜花が落命し、娘を失った寂しさを紛らわすために、私が使い魔を娘として育てているのではないか、というものだった。

「・・・もし『本物のシャオミィ』さんが生きている−−−例えば里子に出された−−−なら、一度くらいあたしたちと会う機会もあったと思います。それに、本物の娘を手放して代わりに使い魔を育てるというのは、ちょっと、考えにくいです・・・。」

そこまで話したところで、ロバートが割り込んできた。

「なるほど・・・、その可能性は全く考えつかなかったよ。申し訳ない。」

確かに貴方に気付けというのは、無理な注文かもしれないわね。

フィーリアは続ける。

「なので、本物のシャオミィさんは既に・・・、と思ったのです・・・。」

なるほど・・・。彼女らしい、鋭い予想だわ。

「あたらずといえども遠からず、よ。お話しするわね。信じてもらえないかも知れないけれど。」

第3景 13年前の悲劇

「これ! これがいい!」
「はい、はい。チーズケーキね。これ、1台戴けるかしら。」

それは、今を溯ること十余年、蜜花が4歳を迎える誕生日に起きた出来事。

半年ほど前に頂き物のチーズケーキを口にした蜜花はそれを非常に気に入り、次の誕生日はバースディケーキとしてチーズケーキにして欲しいと常々言っていた。

そしてその望みを叶えた私は、娘とともに家路を急いでいた。

「母さん、早くー。」

買い物を済ませ、雪の積もる帰路を進む。

私は両手に買い物袋を提げ、娘の後を歩いていた。

いつも通りの午後。自分の前を行く娘を微笑ましく感じながら、私はいつも通り歩いていた。

誕生日であり、楽しみにしていたチーズケーキが食べられることもあって、娘もはしゃいでいたのだろう。いつも以上に娘は上機嫌だった。

ちょうど、十字路に差しかかったあたり。

「ちゃんと前を見なさい、転ぶわよ?」

私は注意を促した。しかし、蜜花の耳には届いていなかった。

「へーき、へーき・・・きゃあっ!」

言葉とは裏腹、口に出したそばから蜜花は雪に足を取られ転んでしまった。

(もう、仕方のない娘ねぇ。)

いつもなら、ただ単に転んだというだけで、怪我を負ったとしてもたいしたことにはならなかっただろう。

しかし、その日はいつもとは違っていた。

悲劇は、すぐそこまで迫っていた・・・。

何が起きたのか、私には、咄嗟に理解ができなかった。

娘が起き上がろうとするのとほぼ同時。

右方向から、ソリが凄まじいスピードで突っ込んできたのだ。

そのソリは、犬ゾリなどとは違い、魔力を使い単独で走行が可能という、当時としては非常に高価なもの。従来のものとは違い高速走行が可能なので、危険性は少なからず指摘はされていたのだが・・・。

「!!」

ソリは、蜜花のいる辺りを、通過した。

まさか・・・!

鈍い音が、聞こえた気がした。

何か赤いものが、散ったように見えた。

(・・・、蜜花・・・?)

そんなことはないと信じたかった。

ただ、言葉は、すぐには出なかった。

体もすぐには動かなかった。

どさり。

手にしていた荷物ケーキが、音を立てて落下した。

「・・・蜜花ァーッ!!」

私は彼女のもとへと駆け寄った。

有り得ない。

こんなことが起こるはずがない。

ほら、すぐに蜜花は起き上がるはず・・・。

あの娘は、強い子だから・・・。

私は再び、言葉を失った。

おびただしい流血。辺りの雪が、深い紅に染まっていた。

「う・・・う・・・。か、母・・・さん・・・。」

娘は弱々しく、私に救いを求めた。

意識は、あった。

しかし、それは逆に不憫ふびんでもあった。

「う・・・、ボ・・・、ボクの足は・・・?」

娘の体は、へそから下が無かった。ソリの鋭い刃によって、轢断されてしまったためだ。

まるで、イカの塩辛の袋を倒してしまったかのよう。図鑑でしか見たことのない、体外に出てはいけない物が、娘の身体からこぼれていた・・・。

皮肉にも娘を轢いたそのソリに乗せられ、私達母娘は病院へと急行した。しかし。一部とは言え内臓を、そして大量の血液を失った者が生き延びることの難しさ、推して知るべし。

娘の顔からは血の気が失せ、目は閉じられていた。

ソリに乗せられた時点で、彼女の意識はほとんど無かったのだ。

揺れるソリの中、私は必死に娘の名を呼び続けた。

「蜜花、蜜花!」

悔しいことに、私にできることは、唯それだけだった。

「・・・。」

やがて。

どんなに呼びかけても。

彼女は、反応を示さなくなった。

4歳の誕生日。

病院への到着を待たず。

娘は、落命した。

第4景 遅すぎた後悔

そこまで話し終えたところで二人の方を見ると、フィーリアは目を伏せていた。ロバートは、普段のお調子者の顔ではなく、真剣な顔をして聞いている。

「私は、冷静さを失っていたわ。でも、この後のことは、はっきり記憶しているのよ。」

私は、続けた。

病院に着き、私は娘の亡骸と共に、病院の一室に通された。

これから24時間、娘が息を吹き返さなければ、娘は荼毘だびに伏される。もちろん、息を吹き返す可能性など欠片もないことは−−−信じたくはないが−−−、誰の目にも明らかであった。が、これは規則なのだ。

下半身を縫合され、白い装束を着せられた娘の姿。見るたび、後悔の念が吹き出で、私の中で渦巻く。

なぜあの時、私は蜜花を止めなかったのだろう。

交差点。危険があることくらい、予想できたはず・・・。

無理にでも止めることはできた。怒鳴りつけてでもおとなしくさせるべきだった。

なのに、どうして、私は・・・。

悔やんでも悔やみきれない。如何に悔いようが、娘は戻ってはこない。

無念の涙がただ、落ちるばかりであった。

時は流れ。私は、一睡もできぬまま夜を明かした。

第5景 偽りの身体を持つ者

病室の戸を、誰かがノックする。開けると、そこには一人の男の姿があった。

彼は自らの身分を名乗り、そして、今回の件について深々と頭を下げた。

彼は、使い魔調教師。使い魔調教師とは、使い魔の所有者から注文を受け、その使い魔を躾けし直すのを生業としている職業だ。

預かり物の使い魔を躾ける最中、彼は誤ってその使い魔を3階から転落させてしまった。そのため、意識を失った使い魔を乗せ、ソリを飛ばしていた。彼はそう説明した。

そして再び、頭を下げた。

怒り。

不思議とその感情は、湧かなかった。

娘を失った悲嘆の方が、あまりにも大きかった。

そこへ。

茶色の髪の幼女が姿を現した。

彼女は頭に包帯を巻いていたため、耳は隠れていたが、腰から伸びる尻尾が、彼女が使い魔であることを示していた。

こら、病室に戻れ。男が命じる。

しかし彼女は・・・、使い魔であるにも拘らず、その命令を無視した。そして私に駆け寄ると。

「母さーん!」

耳を疑った。

私には蜜花以外、子供がいない。

「母さん、ボクだよ、蜜花だよ!」

戸惑いが私を支配する。

その姿も、声も。

私の知る娘とは掛け離れていたからだ。

しかしその喋り方に、私は覚えがあった。

そのイントネーションに、聞き覚えがあった。

「早く帰ろうよ、お誕生日ケーキ、早く食べようよー。」

今日が、・・・いや昨日が、娘の誕生日であることも、ケーキを買っていたことも、赤の他人ならば知り得るはずがなかった。

それを何故この使い魔は知っているのだろう。

私は、幾つかの質問をした。それは、ケーキの種類に始まり、家の屋根の色や階段の段数、果ては娘が愛用していた食器の色まで、私と娘本人にしか分からないであろう質問ばかりだった。

しかしその使い魔は、それらの答えをことごとく言い当てたのである。

「私も最初は信じられなかったわ。でも私には、蜜花の魂がその使い魔に憑依しのりうつったとしか考えられなかった・・・。」

私は、話を続けた。

その後、調教師は破産した。

無理もない。使い魔の値段は、家を1件買うことができるほど高い。

そして使い魔は、主人の命令には絶対服従でなければならない。しかし娘の魂が憑依してしまったかのような従順ではない使い魔に、価値などない。預かり物の使い魔が使い物にならなくなったため、彼は弁償を余儀無くされたのである。

彼の財産はすべて金銭に替えられ、債権者である、使い魔の所有者と私とで案分された。私は、得られた僅かばかりの賠償金を全て使い、二束三文になったその使い魔を買い取った。

第6景 親の心と子の心

「・・・、そんな過去があったんだ・・・。」

フィーリアの呟きに私は頷いて答えた。

「普段はいい加減で、でも明るいヤツだと、俺も思っていたが・・・。」

ロバートも、心底、意外そうな表情である。

ややあって、フィーリアが再び口を開いた。

「そういえばシャオミィさん、幼少時代のことを喋ったことがないですね・・・。」
「言われてみれば、確かにそうだよな・・・。」

ロバートが応じる。

私自身も、娘がそのことを話題にするのを見たことがない。これには、私なりの仮説がある。

「その過去を、あの娘は覚えていないのだと思うわ。」
「ほう?」
「あまりにも辛く苦しい経験をした際、人は無意識のうちにその記憶を封印し、その苦痛を逃れると言うわ。あの件は、あの娘にとっては相当な負担になっている筈・・・。だから・・・あの娘も、無意識のうちに過去を忘れてしまっているのだと思うのよ。」

そのように説明すると、ロバートはなるほどと、興味深そうに頷いた。

しかしフィーリアは。

「でも、一度くらい、自分の(使い魔であるという)身体に疑問を抱いて、梨花さんに聞いたりしたことは、なかったのですか?」

鋭い質問を返してきた。

事実から言うと、もちろん、ある。しかし私ははぐらかし、答えなかったのだ。

「もしあの娘が真実を知って、自分が既に死んでいることに気付いてしまったら・・・、あの娘が成仏してしまうのではないかと・・・。」
「・・・。」

私は、続けた。

「もちろん、自然じゃないというのは重々承知しているわ。死んだ人間の魂は、この世に留まるべきではないと。でも・・・、私は・・・。」

私は、蜜花を授かった直後に、事故で夫を失っている。蜜花は、亡き夫の忘れ形見でもあった。

いくら天に背くこととはいえ、娘を失いたいとは思う筈がない。失う訳にはいかないのだ。

「ふむ・・・。ということは、俺達もこの話は秘密にしておいた方が良さそうだな・・・。」

ロバートは腕を組み、天井を睨めながら同調した。

「ありがとう、お願いするわ。」

しかしフィーリアは、首を横に振った。

「多分・・・、シャオミィさん、気付いているんじゃないかな。」

そして、にっこり笑いながら。

「シャオミィさん、梨花さんと暮らすのに満足しているのだと思います。成仏とか、そんなことはないと思いますよ。もっと、シャオミィさんを信じてあげてください。」
「そうかしら・・・。」

フィーリアは頭の切れる少女。そう思うからには何かしら理由があるのだろう。

それを聞こうとした時。

「あ、誰か帰ってきたみたいですよ。」

ややあって、玄関の扉を解錠する音が聞こえた。

「足音で判ったのかい? 相変わらず、すごい聴覚だなぁ。」
「時間からして、愛さんかしら。」

フィーリアが出迎えるために玄関へと出向いていった。

第7景 露見

「ただいまー!」
「シャオミィさん? あ、愛さんも・・・。」
「ただいま。」

玄関から娘と愛の声。

直後。

娘はキッチンへと滑り込むように突入してきた。

「お、ケーキだ。さすがフィリィ、ボクの誕生日、覚えてくれていたんだねー♪」
(しまったわ、アルバムを出しっ放しに・・・!)

フィーリア達と一緒に見ていたアルバムは、テーブルの上に置きっ放し。娘との距離は僅かしかない。もし蜜花がそれを見てしまったら・・・!

しかし今、娘の意識はフィーリアの作ったケーキに釘付けである。

今がチャンス。

私は2冊のアルバムに、手を伸ばした・・・。

しかし。私が手にするより早く。

アルバムは宙に浮いた。

「あら、これはもしかしてシャオミィのアルバムかしら?」

アルバムを手にしたのは、愛その人である。

「む?」

自分の名前が呼ばれたためか、娘が愛の方を振り返る。

(あ・・・、ダメ・・・!)

愛はシャオミィの目の前で・・・、よりによって、生前の蜜花が写る写真を収めた方のアルバムを、開いてしまった。

「シャ、シャオミィさん・・・!」

フィーリアが娘の気を引こうとしているが、蜜花はそれに応じる気配を見せなかった。

ややあって。

「この娘さんは、誰なのかしら・・・?」
「ん、どれどれ?」

愛の、至極当然の疑問に応じ、蜜花がアルバムを覗き込んだ。

「あー、シャオ、とりあえず手洗いとうがいを先にしてきたらどうだい?」

ロバートが、何とかアルバムから注意を逸らそうと試みるものの。

「ん、後で。」

娘は応じなかった・・・。

あの時に似た後悔の念が渦巻く。

こんなことになるなら、持ってくるべきではなかった。ロバートやフィーリアには真実を伏せておいた方がよかった。

蜜花は間違いなく、写真の中の娘に疑問を抱くだろう。いや、疑問だけならまだしも。これがきっかけになり娘に過去の記憶が甦ったら・・・。娘の魂は自らの過去を思い出し、本来帰るべきところに・・・。

お願い、蜜花!

思い出さないで!

どうか、ここに居続けて・・・!

「あ・・・。これ・・・。」

いつもの明るい雰囲気が消えた、娘の声。

私は思わず、目を閉じた。

「ボクの・・・、昔の写真だ・・・。」
「昔の写真・・・?」

愛が聞き返す。

娘は、抑揚のない口調で、呟いた。

「そーだったね・・・。ボク、一度、死んだんだよね・・・。」
「?」

脳裏に、生前の、そして今の娘の姿が走馬灯のように駆け巡る。

(蜜花・・・!)

口にしたつもりだった。

しかし、それは、声にはならなかった・・・。

第8景 杞憂

「うっわー、懐かしー♪ この頃もボクはラヴリィだねぇ。」

・・・、?

「そうねぇ。でも、歳月は恐ろしいわ。今やこんなに生意気でお転婆な娘になるとは、誰が想像し得たでしょう・・・。で、一度死んだ・・・って、どういうことなのかしら?」
「ほほー、今日が誰のための日か、どーやら分かってないよーだねぇ、アイ(愛の愛称)。」

話に花を咲かせる二人。

その様子を見、ロバートが小声で問うてきた。

「・・・どうなってるんだ? 成仏しそうにないが・・・。」
「・・・。」

ロバートの台詞を聞き付けたのだろう、蜜花が聞き返す。

「成仏? ボクのこと?」
「な・・・、いや、その・・・。」

ロバートの額に、焦りの汗が光る。

すぐさま、フィーリアがフォロー(?)した。

「えと、実は・・・。」

フィーリアがかい摘まんで、私達の懸念を説明した。もちろん、愛にも分かるよう、蜜花が命を落とした件も含めて、である。

その話を聞くうち、最初は真面目そうな顔で聞いていた娘の表情に、徐々に笑みが表れた。嘲笑ではなく、何か滑稽な物を見た時の笑みだった。

「それでボクが成仏しちゃうんじゃないかって心配してたんだ。」

私は無言のまま、頷いた。

「あははー、それ、絶対、ないから。」
「やっぱりシャオミィさん、自身が命を落としていたこと、知っていたのですね・・・。」

フィーリアの問いに、娘はあっけらかんとした口調で応じる。

「ん、それもあるけどさ、そもそもボク、成仏の仕方なんて知らないよん。」
「・・・なるほど、確かにそりゃ、成仏しようがないなぁ。ははは。」

・・・。

この、私の懸念とのギャップは、一体・・・。

まるで私が、一人で勘違いして憂い続けていたかのような・・・。事実かもしれないけれど。

「それにさ、生きているうちに『命日』があるなんて、ちょっとカッコ良くない? しかも誕生日と一緒だし。」
「ふふ、随分と能天気ねぇ。でも、それが貴方の良いところかもしれないわね。」
「言うなれば今日は、ボクの誕生日で、命日で、二度目の誕生日。・・・というわけで、来年からはプレゼントも2個でよろしくー♪」
「そうきたか、実にシャオらしいね、はは。」

愛の言葉と、娘の気楽さに、私はとても救われた気がした。

「そーいえばフィリィ、ボクが赤ん坊のころの写真、見た?」
「あ、うん。」
「じゃ、今度はフィリィが赤ちゃんのころの写真、見せて。」
「え、でもアルバム、持ってないよ・・・。」

フィーリアが申し訳無さそうな顔をした。すると蜜花は。

「じゃ、今夜あたり、フィリィの産まれたままの姿、見たいなー♪」
「はぁ、貴方という娘は・・・。全く・・・。」

相変わらず同性愛の気がある娘。愛が私の気持ちを代弁してくれた。

エピローグ

娘の誕生日パーティは、賑やかに進行していた。尤も、愛は小食、ロバートは甘い物嫌いということもあり、ケーキのほとんどはフィーリアと蜜花の胃に収まることとなったが。

少なくとも、娘が成仏してしまうという懸念は、完全に取り払われた。今はただ、娘の気丈さ・・・いえ、愛の言う通り能天気なだけかもしれないけれど・・・、それに感謝するばかりである。

「・・・母さん、どーしたの?」
「いえ・・・、何でもないわ。」

願わくば、この幸せが続かんことを。

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