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きつい叱咤も愛のうち

きっと、梨花さんとシャオミィさん、もっとよい関係になれると思うから。
Felia Raycross

プロローグ

ガシャン、パリーン。

破壊音が鼓膜を震わせる。

「全くこのはッ! 親の言うことが聞けない娘に育てた覚えはないわっ!」
「ふんだ、ボクだって好きで母さんの娘に生まれた訳じゃないんだからねッ!」

本来ならば皆くつろぎながら夕食を摂る時間。しかし隣の部屋では、非常事態宣言が必要なほど激しい母娘喧嘩が勃発していた。

「おーおー、凄い勢いだな、2人とも。」

気楽そうに呟く金髪の男。あたしは問い返さずにはいられなかった。

「ロ、ロバートさん、どうしてそんなに冷静にいられるの・・・?」

普段は娘が母をからかい、母が娘を叱り付けるという形が多かったのだが、今夜はお互い、鬱積を一気に爆発させたのだろう、今までにないほどの激しさで言い争っている。

そして。

「そんなに私が嫌なら、構わないわ、すぐにこの家から出て行きなさい!」
「こっちこそっ! こんな家、願い下げだよッ!」

売り言葉に買い言葉、とても本心からとは思えない啖呵。しかし娘はそう言い捨てると、家を飛び出してしまった・・・。

第1景 溝

ピシャリ、玄関の戸が閉められる音。あたしはすぐに追いかけるべく、外に飛び出した。

しかし、ときは夜。辺りは墨を溶かしたかのように真っ暗である。

あたしは暗がりでもある程度目は見えるけど、闇の中、どこまで目を凝らしても彼女の姿は見当たらない。

「シャオミィさーん・・・!」

呼びかけてみても、そこには闇がたたずむばかり。返事は返ってこなかった。

「どうだった? ・・・って、その様子じゃ、追いつけなかったみたいだな・・・。」

家の中に戻ったあたしに、ロバートが戦果を尋ねてきた。

ロバートは傭兵で、本名をロバート・バーンと言う。魔法には明るくないけど、剣を握らせればとても頼りになる存在。

短めの金髪と豪快な笑顔が特徴の彼は、普段は居酒屋の用心棒として働いている元傭兵である。どこかに家を借りても良かったのだろうけれど、紆余曲折あって、今はここ、蕭家の居候となっている。

居候と言えば、あたしも同じなんだけどね。

「シャオ(シャオミィの愛称)の奴、足だけは速いからなぁ・・・。仕方ないか・・・。」

シャオというのはついさっき家を出てしまった少女で、本名はシャオ蜜花ミィホァ。普段はシャオミィと呼ばれている。ニックネームはシャオ、ロバートあたりがそう呼ぶことが多い。

茶色の髪を肩辺りで1つに束ねた彼女は、いつもは魔法学校に通う17歳の生徒。ちょうど夏休みに入ったばかりなので、ここ数日はずっと自宅にいるけど・・・。

彼女はあたしと同じ「使い魔」の肉体を持つ。使い魔というのは魔法によって生み出された生命体で、通常は指示された誰かに仕えるだけの存在。でも彼女もあたしも自らの意志を持ち、自分の思うように行動できるので、例外的な存在である。こんな使い魔、このアルタイア中を探しても、あたし達くらいじゃないかな・・・?

「しかし一体全体、何があったんだろうね? 梨花リィホァさんがあそこまで怒るのは、初めて見た気がするよ。」
「はい、あたしもです・・・。」

梨花さんとはシャオミィの母親で、つい先程まで娘と喧嘩をしていた人である。あたしたちを家においてくれている人なので、ロバートさんやあたしにとっては感謝してもしきれない人なんだけど・・・。

「もしかして、お仕事でストレスが溜まっていたとか・・・?」

梨花さんの職業は政治家。とは言え、出来る限り家庭を大事にしている人だし、何かトラブルを生み出すのはいつもシャオミィさんの方だから、どっちが悪いとか、その辺はまだ分からないな・・・。

そこへ、やや癖のあるプラチナブロンドの女性がやってきた。

「あの娘、本当に出て行っちゃったのかしら?」
「あ、はい・・・。」

彼女の名は霞ヶ峰・愛。やや色白の彼女は、美人の部類に入るだろう。ぱっと見ただけでは、お伽話に出てきそうな、古い塔に幽閉されているお嬢様といった印象を受けるかもしれない。でも愛はお嬢様でも何でもなく、普通の人である。家事も普通にこなすし、一般の女性と変わらない。むしろ、砥ぎ師なので腕っ節は強いくらい。印象と現実とにやや乖離がある人物である。

「住まわせてもらっている身だからとやかく言うのは気が引けるけど・・・。」

そう、彼女もロバートやあたしと同様に、居候である。

「何か、思うことがあるの、愛さん?」
「いえ・・・、梨花さん、虫の居所が悪かったのかしら、とね・・・。」

彼女は何か含みを持たせた、妙に遠回しな言い方をした。暗に梨花さんに、今回程度の事で怒るものではないと諭したいのだろうか。・・・喧嘩の原因は不明だけど。

「・・・かも知れないな・・・。」
「でも、まぁ(シャオミィは)すぐに戻ってくるでしょう。」

愛がそう言うと、ロバートも軽く笑いながら、それもそうだなと応じた。

第2景 幕開け

愛の予想に反し、シャオミィは戻らなかった。

あたしたちは玄関のカギをかけぬまま、不安な一夜を過ごした。

第3景 いつもと違う朝

翌日。

起きてすぐ、あたしはシャオミィの部屋を覗いた。

部屋の錠は開いていた。念のためノックをしてから開けてみると・・・。

(ああ、シャオミィさん、相変わらず散らかしちゃってる・・・。)

お菓子の袋、マンガ、靴下、いろいろなものがカーペットの上に転がっている。

片付けるの、たいてい、あたしなんだけどな・・・。

しかし、肝腎のシャオミィの姿はない。昨日、家を出たまま戻っていないらしい。

あたしはそのまま戸を閉めると、階下に降りて朝食の準備に取り掛かった。

朝食ができあがるころ、愛さんと梨花さんがキッチンにやってきた。

「おはようございます。」
「おはよう、愛さん、フィーリアちゃん。」
「あ、皆さんおはようです。」

この時間、ロバートはたいてい起きてこない。酒場の用心棒という職業柄、夜遅くまで起きることになるので、朝も遅くなるからだ。

が。

「お、皆おはよう。」

彼は珍しく、起きてきた。

「あ、ロバートさん、おはよー。」
「あら珍しいわね、こんな時間に・・・。」

愛がそう言うと彼は、珍しく真面目な顔で答えた。

「あいつが帰ってるか心配でね、早く目が覚めちまった。」
「・・・ごめんなさいねロバートさん。」

梨花さんが娘に代わり詫びると。

「いや、俺が勝手に早起きしただけだからね。気にすることは無いさ。」

彼は気楽そうに応えた。

あたしたち4人はテーブルにつき、食事をとった。

いつもは必ずいるはずのシャオミィが、いない。

「・・・、ご飯の匂いに魅かれて帰ってくるかと思ったけれど、帰ってこないわね・・・。」

冗談なのか本気なのか、どっちとも判断がつかない口調で愛さんが呟いた。

朝食は、パンと目玉焼き、それにサラダ。5人目の食膳はどことなく寂しそうに、テーブルに置かれたまま。

いつもの癖で5人分、作っちゃったけど・・・、口には出さずとも彼女が帰ってくると期待していたそのことが原因なのかもしれない。

朝食後、梨花さんと愛は勤めに出て行った。

梨花さん、お仕事に集中できればいいけど・・・。

ロバートは、何かあったら起こすように言い残すと、自分の部屋に戻った。お仕事に備えて寝ているのかな・・・。

あたしはシャオミィの食事を冷蔵庫にしまうと、各人の部屋の掃除に取り掛かった。

難しそうな書籍の並ぶ大きな本棚が印象的な、梨花さんの部屋。

整理整頓がなされ、ゴミひとつない愛の部屋。

足の踏み場すらないほど散らかっているシャオミィの部屋。

一見、いつも通りの、午前の景色。

でも、いつも通り散らかっているシャオミィの部屋には、いつも通りの生活感と・・・、いつもとは違う寂しさがあった。

「きっと、すぐ、戻ってくるよね・・・。」

自分自身に言い聞かせるように、あたしはそう呟くと、部屋の掃除に取り掛かった。

しかし。

シャオミィは戻らなかった。

昼食の後も。

ロバートが務めに出た後も。

梨花さんと愛が帰ってきた後も。

そして3人、静かな夕食を摂る間も。

彼女はこの日、ついに戻ることはなかった。

第4景 写真と財布と

翌日の空は、曇っていた。

「や、皆おはよう。」

蕭家で朝が一番遅いロバートは、今日も昨日と同じ時間に起きてきた。

「おはようございます。今日は・・・、あまり天気が良くないわね・・・。」

窓から外の様子を見ながら、ロバートの挨拶に愛が応じる。

「ですねー。皆さん、傘を用意しておくから、出る時に忘れずに持って行ってください。」
「ありがとうね、フィーリアちゃん。」

梨花さんは無言だった。

食事前も、食事中も。務めに出る直前まで。

「行ってくるわね。」

彼女の発した言葉はこれだけだった。

きっと、娘のことが心配なのだろう。

愛もロバートも、シャオミィのことを口にしなかった。意図的に避けたのか、それとも無意識に、か。

朝の風景は、いつものそれと似ていて、でもやっぱりどこかが違っていた。

ロバートが寝ている間、あたしは皆の部屋を掃除していた。

梨花さんの部屋、愛の部屋。そして。

主のいないその部屋は、昨日掃除をした後と同じ状態で、片付いていた。

「そっか・・・。そだよね・・・。」

散らかす人がいないのだから、散らかりようもない。そんな当たり前のことを再認識し、そしてあたしは部屋の掃除に取り掛かった。

当然、掃除はすぐに終わった。

(いつもこれくらい綺麗なら、掃除もすぐ済んじゃうよね・・・。)

ふと机の上を見ると、写真立てがあった。

その写真立ては、埃ひとつ被らずに、机の隅っこに飾られている。部屋の主からとても大切にされていたと、容易にうかがえる。

そこには、小さい使い魔の女の子と、母親らしき人物が写っている。

セミロングの、茶髪の女の子。今よりも随分と幼いが、シャオミィさんに違いがない。

護るようにその少女を背後から抱いている女性は、今よりかなり若いが、きっと梨花さんだろう。

そしてその写真立ての前には、赤茶色の財布が置いてある。

・・・シャオミィさん、お金、持たずに出ちゃったんだ・・・。

外から見える位置、つまり財布の表面に、彼女の身分証明書が挟んである。その証書には、彼女の名前と生年月日、そして梨花さんの使い魔であるという記述と彼女の顔写真が貼られている。

その顔写真は、いつもの澄ました表情で、財布の覗き窓からこちらを見ていた。

第5景 焦燥

夜。

シャオミィは、帰らない。

ロバートは仕事に出ている。梨花さんと愛、そしてあたしの3人だけでの食事。

蕭家は、言いようのない静寂に支配されていた。まるで灯が消えたかの如く。重い空気はあたかも通夜の様。

あたしたちは、ただ黙々と食べていた。

各々の前の食事は、少しずつその量を減らしていく。シャオミィの分を除いて。

「フィーリアちゃん。」

皆の心に圧しかかる暗雲を払うかのように、梨花さんが口を開いた。

「はい。」
「明日から、蜜花の食事は用意しなくていいわ。勿体ないから・・・。」
「・・・、はい。」

意味深な言葉。

勿体ないと彼女は言う。しかし、それは本心ではないだろうことは容易に想像できる。

(まさか、シャオミィさんが帰って来ることを、諦めた訳じゃないよね・・・。大切な娘、だよね・・・?)

愛は何も言葉を発しなかった。呆れている、という訳でも無さそうだから、何かしら考えがあるのかな。

そして再び、食卓を沈黙が支配した。

その夜、しとしとと霧雨が降り始めた。

シャオミィさん、今頃どうしているのかな・・・。

ちゃんと、屋根のあるところにいるのかな・・・。

ご飯、どうしてるのかな・・・。お腹、空かせてないかな・・・。

頭の中で渦巻く心配事の相手をしているうち、あたしはいつの間にか眠りの世界へと落ちていった。

闇のとばりは上がり、朝がやってきた。

雨は止んでいたが、空には暗雲が立ち込めている。いつ、また降り出してもおかしくない空模様である。

いつも通り朝食の準備をしたあたしは、起きてきた梨花さんの顔を見て、朝食は4人分で良かったことを思い出した。

うーん、でも、もしかしたらシャオミィさん、ひょっこり戻って来るかもしれないし・・・、作り過ぎちゃったけど、これはこれで良かったのかな。

ややあって、愛とロバートも起きてきた。

「おはようございます。」
「あ、おはようです。」
「おはよう。今日も早いね。御苦労さん。」

あたしは食事を全員分、装った。シャオミィの分は、鍋の中に残した。

「いただきます。」

愛が手を合わせ、味噌汁に箸をつけた。

シャオミィこそいないものの、平和な朝に見えた。

しかし。

朝からずっと黙っていた梨花さんは、仕事が大変なのか、虫の居所が悪かったらしい。

「・・・フィーリア。」
「え、あ、はい。」

彼女は立ち上がり、食卓からは少し離れたところにある鍋を手にし、中身を指さした。

「シャオミィの分は要らないと、言ったわよね。」

苛立ちを隠さない口調で、彼女はあたしに詰め寄る。

「これはあの娘(シャオミィのこと)を追い出した私への、当てこすりかしら!?」
「え・・・?」

なぜそんな風に言うのか、あたしには分からなかった。

もしあたしが冷静だったならすぐに、梨花さんは娘のことを心配するあまり、苛立ちを隠せないのだろうと気が付いたかもしれない。でもあたしは、梨花さんの突然の変わりように、ただ、驚くことしかできなかった。

「そんなにあの娘と一緒にいたいなら、あなたも出て行って構わないわ。」

冷たく言い放つ梨花さん。

皆も、彼女の突然の変容に唯驚くばかりだったが、ややあってロバートが助け舟を出してくれた。

「何があったかは知らんが、もうその辺にしとけ(しておけ)。飯が不味くなる。」
「・・・。」

ロバートは居候の身である。家主である梨花さんにこうもはっきり言い切るのは、並々ならぬ勇気が必要に違いない。

その覚悟に気圧されたのか、それとも単に言い過ぎたと自覚したのか、梨花さんはそれ以上何も言わなかった。

第6景 行動開始

気まずい朝食の後、梨花さんはすぐに、仕事に出掛けていった。愛は化粧台の前で、身嗜みを整えている。

「・・・。」

皆が食べ終えた後のテーブルには、食器は片付けられずに残っている。

それらを片付けるのはあたしの仕事だけど、今はそんな気になれなくて・・・。ただぼんやりと、その食器を眺めていた。

そこへ・・・。

「どうした?」

ロバートが声をかけてきた。

「あ、いえ・・・。」
「・・・さっきのことなら、あまり気にするなって。梨花さんもいらついて(苛々して)いただけだろ。」
「はい・・・。」

あたしには、きつく言われたことよりも、梨花さんが、さも娘のことは気にかけていないというような冷たい態度を取ったことの方がショックだった。母娘の絆って、そんなに切れ易い蜘蛛の糸じゃない。あたしはただ、そう信じたかった。

そこへ、愛が戻ってきた。

「そろそろ出掛けるわよ、フィーリア。」
「あ、はい。」
「お務め御苦労さん。」

ちょうど、愛が仕事場へ出る時間である。

が、見送ろうとするあたしに、彼女は。

「今日の仕事はお休みを戴いたわ。フィーリア、貴方も出掛ける準備をして頂戴。」
「はい・・・?」
「どこに行くんだい?」

ロバートが彼女に問う。すると彼女は、そっけなく答える。

「・・・探しに行くに決まっているじゃない。もう4日目よ? 私だって、これ以上こんな雰囲気は遠慮したいわ。」
「・・・そうか、そうだよな。」

愛に言っているのか、独り言なのか、その中間あいだの口調で、彼はそう応じた。

「ロバートさん、貴方は留守番を頼むわ。もしあの娘が帰ってきたら、縛り付けてでもこの家から出さないように。」
「勿論だ。愛さんも頑張ってくれ。良い報告しらせを待っているよ。」

あたしたちは外に出た。

ロバートには、シャオミィが戻ってきたら食事を食べさせるようにお願いしておいた。お金を持っていないのだから、この4日間、彼女はろくに食事を摂っていないに違いない。

同時に、あたしたちはロバートも含め3人全員、通話ペンダントを携帯した。これはあらかじめ定められた同種のペンダントと、離れていても同時に通話ができる優れ物。何かあったらお互いに連絡を取り合うために、あたしが、出掛ける間際皆に渡したのである。

「私はこちらの方角をあたるわ。貴方はこちらの方を頼むわね。」

愛は地図を指さしながら、シャオミィの行きそうな場所、すなわちお店や公園などを探すよう、あたしに指示した。

「はい、了解です。」

あたしは愛から、印の入った地図を受け取った。ご丁寧に、巡回する経路まで書き込んでくれている。

愛の分の地図はどうするのだろうと心配したが、杞憂に終わった。彼女の分は別に準備していたらしい。

「何だか、用意が良いですねー。」
「昨晩、準備しておいたのよ。」

なるほど、納得である。

「じゃ、2時間くらいで回れると思うから、2時間後に落ち合いましょう。何かあったらペンダントで連絡を頂戴ね。」
「はーい。」

あたしたちはそれぞれの地図に書き込まれた経路に従い、探索を始めた。

あたしの担当する場所は、ほとんどが公園だった。また、印のいくつかは、柿や蜜柑の木がある家だった。

愛さん、どうしてこんなに詳しいのかな・・・?

そんな疑問がふと、頭をよぎる。でも、すぐにあたしの頭は、シャオミィへの心配で埋め尽くされてしまった。

(公園かどこかで、見つかって欲しいな・・・。)

おおよそ1時間と少しが過ぎた。

願いも空しく、結果は全て空振りだった。

最後のチェックポイントにも彼女はいなかった。後はもう、愛さんが見つけてくれることを祈るしかない。

待ち合わせの場所に行くと、愛はもうそこにいた。

「どうだったかしら・・・、その様子じゃ、いなかったようね・・・。」

あたしは頷いた。

「困ったわね・・・。あの状況だったから、シャオミィ、お金を持っていないと踏んで、(食料を手に入れるのに)お金の掛からなさそうなところをピックアップしたのだけれど・・・。」
「あ、はい、シャオミィさんの部屋に、財布があったので、シャオミィさん、お金を持っていないはずです・・・。」

愛は溜め息をついた。

「ただの高校生に、お金を貸してくれるところがある筈もないわよね・・・。」
「はい・・・。シャオミィさん、財布に身分証明書を入れていたから、多分無理なんじゃないかな・・・。」

あたしは記憶をたどりながら、そう答えた。

「確かに、それなら無理・・・、身分証明書!?」

急に、愛の表情が険しくなった。

「え、あ、はい、シャオミィさんの部屋に(身分証明書が)置かれてあるのを見ましたけど・・・。」
「大変! すぐに梨花さんに連絡しないと!」
「ふぇ・・・?」

何がどう大変なのか、愛は説明さえせずに、ペンダントを取り出した。

「ロバートさん、聴こえるかしら?」
『・・・んあ?』

ペンダントから、ロバートの声が聴こえる。

「貴方、寝ていたわね・・・?」
『ああ、大丈夫だ、あいつが帰ってきたらすぐに分かるさ。』

ということは、シャオミィさん、やっぱり戻ってないみたい・・・。(多分。)

でも、何がどう大変なのかな・・・?

『そっちはどうだった? 見つかったかい?』

気楽そうに答えるロバートの言葉を半ば遮るように、愛はペンダントに話した。

「それどころじゃないのよ、あの娘、身分証明書を携行していないらしいのよ。」
『ほう? そうなのかい?』

ロバートは特に慌てる様子もなく聞き返す。

愛は軽くうつむき、額を押さえた。

あたしにも良く分からないけど、きっと、大変なことに違いない。

「とにかく、魔力通話マナフォンで梨花さんに連絡をつけて頂戴。」
『ああ、分かった。ちょっと待っていてくれ。』

魔力通話とは、殆どの家に備え付けられている装置で、他の家の魔力通話器といつでも通話ができるという品である。通常ならテレパシストしか使えない念話を、魔力を持たない人でも使えるとあって、現代においては必須の装置だ。

『・・・今、(梨花さんを)呼び出してもらっている。彼女に何を伝えれば良いんだい?』
「シャオミィの捜索願いを、自警団に出すこと。」
『・・・捜索・・・、分かった。』

しばらく、沈黙が辺りを支配した。

梨花さんが魔力通話に応答するまでの短い時間とは言え、あたしにはそれが随分長く感じられた。

捜索願い。

事は、確実に大きくなっている・・・。

『もしもし、梨花さんかな? ・・・、こちらはロバート・バーンだ。・・・、いや、まだ帰って来ない。・・・、まぁそう言うな、そこでだ、彼女の捜索願いを出したいと愛さんが言っているんだが、構わないかい?』

再び、僅かな沈黙。

『・・・ほう。捜索願いは出せない、と。』

ロバートの声色が、変わった。

『あんた、何考えてんだ!? 大事な娘じゃないのかッ!』
「落ち着いて、ロバート。梨花さんは何と言っているのかしら?」
『世間体が良くないってさ! ったく(全く)、何考えてるんだか・・・。』

ロバートが毒づく。普段の姿からは考えられないが、彼は真っ直ぐな性格なので、こういうことは許せないのだろう。・・・あれ、あたし、ロバートさんに失礼なことを考えているかも・・・?

「梨花さんに、シャオミィが身分証明書を携行していないと伝えて頂戴。」
『・・・分かった。』

再び、ロバートが梨花さんと話している。

『愛さんによると・・・だそうだ。・・・、ああ、そうらしい。で、どうするんだ? ・・・、そうだな。・・・、分かった。伝えよう。何かあったらまた連絡する。』

あたしは耳には自信があるけど、梨花さんが何を喋っているかはさすがに聞き取れない。勿論、愛も聞き取れはしないだろう。

ややあって。

『聞いての通りだ。』
「悪いけど、こちらには全く聴こえていないわ。梨花さんは何と言ったのかしら?」
『すぐに捜索願いを出してくれ、ってさ。俺が怒鳴ったのが効いたのかな?』

愛はふぅと溜め息をついた。

「多分、もっと重大なことに気が付いたのよ。」
『重大なこと?』
「ごめんなさい、今は説明している時間がないわ。私達はすぐに(自警団の)詰め所に行くから、説明はまた今度にするわね。」
『ああ、分かった。』

あたしたちは、自警団詰め所へ足を運んだ。

道すがら、身分証明書の件について聞こうと思ったが、そのような雰囲気ではなかったため聞くことはできなかった。

何が起きているんだろう・・・。気になるな・・・。

第7景 捜索願い

白塗りの壁に、赤いエンブレムの建物。町の治安を維持する自警団の詰め所である。壁は地面に近いところと屋根に近いところ、それと扉の縁付近が黒ずみ、年期が入っていることを容易に窺わせる。茶色の扉は開け放しにされており、中で職員が何やら書類を作成しているのが見える。

愛と落ち合った場所からここまで、移動するだけでざっと1時間は掛かってしまった。それでもなお、この遠い詰め所を選んだのには訳があった。

この訳というのはとても単純で、自警団にリチャードという知り合いがおり、そしてここが彼の勤務する詰め所なのである。

早い話が、知り合いに頼んで、できる範囲で特別扱いして貰おうという魂胆だ。

あたしたちは、中に入った。

「こんにちは。どうなさいました?」

あたしたちの姿を認めると、机の前にいる職員が面を上げ、声を掛けてきた。

「私、霞ヶ峰・愛と申します。リチャード・フィールドは居りますでしょうか?」
「少々お待ちください。」

愛が応じると、その職員は奥の扉を開け、彼を呼び出してくれた。

ややあって、彼はその扉から姿を現した。

「ふむ、誰かと思えば。久しいの、我がともがらよ。」

彼の名は、リチャード・フィールド。がっしりとした体格の持ち主で、以前はアトリア王国の騎士団長か何か、かなり高い位についていたらしい。

当時の彼は分厚い鎧に身を包み、自らの身長程もあろうかという大盾を構え、どのような攻撃からも仲間を護り通す頼もしい男だった。今でこそ重装備はしていないものの、今なお消えぬ彼のその意志は彼を自警団員として活躍させ続けている。

年齢は梨花さんよりやや下で、十分若い部類。しかしなぜか、年寄りのような喋り方をする。これも彼のチャームポイント、なのかな。

「・・・して、今日は如何した?」
「ええ、実は・・・、その前に、人払いをお願いできるかしら?」

彼は、ふむと言いながら顎をさすっていたが、取調室でも構わぬかと問うた。愛は頷き、あたしたちは取調室へと案内された。

今までの経緯いきさつをかい摘まんで話す愛。あたしはその傍の椅子に腰掛け、おとなしく話を聞いていた。

しばらくはリチャードも表情すら変えずに聞いていたが、話の中で日数が経過するにつれ険しい表情になった。

そして、彼女がお金と身分証明書を持っていないことを愛が口にした直後。

「何故もっと早く相談しないかッ。」

リチャードの喝が飛んだ。

愛にとっては、知ってからすぐにでもここに来た訳だが、あたしとしては昨日の段階で知っていた訳で・・・、ちょっと心苦しいな。

「えと、(身分証明書を)持っていないと、何か困ることがあるのですか・・・?」

恐る恐る聞いてみると・・・。

「・・・ぬしは持っておろうな?」

逆に確認されてしまった。

あたしが自分の証明書を見せると、彼は続けた。

「主ら使い魔が、人ではなく品物扱いになるというのは主も知っておろう。そしてその使い魔のあるじが誰であるか、それを証するが身分証明書じゃ。従い、それを持たぬということは主がおらぬことを意味する。」
「つまり、今のシャオミィは・・・、表現は悪いけど、野良猫状態なのよ。」

愛の補足にリチャードは、うむと頷く。

「無論蜜花殿が、蕭家、即ち梨花殿の所有であることに変わりはない・・・、しかし今の蜜花殿に接触する者には、それが分からぬ。身分証明書を携えぬ方に責めがあるのじゃ。もし携行さえしておれば、拾得物としてここに届けられたやも知れぬ。」
「と、言うことはもしかして・・・?」

もし、使い魔を欲しがっている者がシャオミィを連れて行ってしまえば・・・?

そう聞いてみると、彼は首を横に振った。

「それならば問題はない。たとえ新たな身分証明書が発行されてしまったとしても、梨花殿との証明書さえあれば、蜜花殿がどちらの所有かは明白じゃからの。」

彼はそこで言葉を区切った。そして、あたしが頷いて見せると、彼は続けた。

「問題は、そうなる前に第三者に譲り渡されたり、売却された場合じゃ。特に売られてしまった場合、無論、売り飛ばした不埒な奴から損害賠償はして貰えるが、蜜花殿は第三者の所有となってしまうのじゃ。取り戻すにはその者に売って貰うよう交渉する他ない。もしその者に売却の意志がなければ、もはや彼女を合法的には取り戻せぬ。」

・・・。

『大変! すぐに梨花さんに連絡しないと!』

あたしは愛の言葉を思い出した。きっと彼女は、このことまで視野にいれていたに違いない。その証拠に、今の話を聞いても、愛はショックを受けたふうには見えない。

「唯一の救いは・・・、彼女は人間と同じように、自分で考えて行動できるところね。譬え彼女が売り飛ばされそうになっても、普通の盲従的な使い魔と違い、抵抗するに違いないわ。それにあの娘なら、使い魔としての価値は低そうだし。」
「確かに家事を不得手とする彼奴なら、使い魔としての価値は低かろうな。」

何だか、安心できる方向に予想が進んでいるのかも・・・?

「・・・でも、油断はできないですよね・・・。」

二人に聞いてみると、愛の方が先に答えた。

「勿論よ。家事はこなせなくても、夜の殿方の相手ならできるでしょう。私が心配しているのは、まさにそれよ。」
「うむ。慰み者にされ捨てられる危険の方が、遥かに大きいじゃろうな。」

後半をリチャードが引き継いだ。

さらに彼は続ける。

「これが主を持つ使い魔であるなら、我ら人間と同様に保護される。しかし身分証明書を持たぬ彼女は、まさに品物と同じ。慰み者どころか、譬え彼女が殺されたとしても、花瓶を割ったのと同じ程度の罪にしか問えぬのじゃ。」
「心配だわ・・・。」

ため息交じりの抑揚で、愛は言葉を漏らした。

そんなやり取りの後、リチャードはあたしたちにここで待つよう言い残し、席を外した。

「・・・、大変なことになっちゃった・・・。」
「ええ。」

話しかけても、愛は素っ気なく応じるばかり。彼女への心配で、上の空なのかもしれない。

沈黙が辺りを支配した・・・。

ふと沸き上がる疑問。梨花さんは、本当に、世間体だけを気にして捜索願いを出さなかったのかな・・・?

愛に聞こうと口を開いた時。リチャードが書類を携え戻って来た。

「今から捜索届け出書を作成する。暫し待たれよ。」

椅子に腰を下ろすと彼は机上に書類を広げ、手にしたペンを走らせる。覗き込んでみると、小さな活字と、その小ささに似合わないくらい広い空欄が、あちこちに配置されている。そしてその内のいくつかの項目−−−シャオミィの名前や身体的特徴など−−−が彼の手により埋められていく。彼はシャオミィのことを知っているので、分かる範囲で埋めてくれているのだろう。

「・・・いつ頃、出て行ったのじゃ?」
「あ、えと、4日前の夜です。」

リチャードはカレンダーを見て日付を確認した後、書類に書き込んだ。

「・・・当時の服装は?」
「袖口が茶色の(ベースは)白い半袖シャツと、焦げ茶色の半ズボン、だったかしら。」
「靴は黒と白のスニーカーです。・・・黒はもしかしたら、赤かも知れません。」

ちなみにあたしは、緑や青は判るけど赤系統の色を識別できない。黒と同じように見えてしまう。

「・・・私はそこまで見ていなかったわ・・・。手荷物などは持っていないはずよ。」

そんなこんなで幾つかの質問を受け、書類は完成した、らしい。

「・・・よし。ではこちらで受理するので、主の連絡先と、内容に間違いがなければ署名をここに。」

書類を渡された愛は、それにさっと目を通すと、一緒に渡されたペンで連絡先を記入し、サインを入れた。

彼女がそれを終えるまでの間、彼は腕組みをして何やら考え込んでいたが・・・。折角なので、あたしは疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

「リチャードさん。」

彼があたしの方を見る。

「捜索って、何人くらいで行うのですか?」

半分は好奇心だけど・・・、できるならあたしも参加したい。でも、きっと無理だろうな。一般の人が自警団に混ざるのは良くないだろうし・・・。

しかし彼の答えは、別の意味で意外なものだった。

「・・・申し訳ないが、自警団では特に捜索は行わぬ。」

愛の眉がピクリと動く。

「あら。ではこの書類は何のために?」

サイン済みの紙をリチャードに手渡しながら、微かな苛立ちを感じさせる声で、愛は聞き返した。

「この話は後でするつもりじゃったが、丁度良い、今、話しておくかの。」

愛の心境の変化に気づいたのだろうか。彼は愛からの書類を受け取ると、あたしたちの顔を交互に見、言葉を継いだ。

「自警団で扱う仕事の量は、かなりあるのじゃ。正直、失踪人の捜索までは手が回らぬ。事故処理や、窃盗など他の犯罪捜査で手一杯じゃからの。この書類は・・・、」

彼は書類をぽんと叩く。

「例えば、身元不明の死体が見つかった時などに、照合の目的で用いられるのじゃよ。」

むぅ。縁起でもない・・・。

愛も同じことを考えているのか、顔をしかめている。

「じゃが、少なくともこれを出しさえすれば、自警団に何か情報が入り次第、すぐに連絡はできるでな。出しておいて損はないのじゃ。・・・後は、儂の人脈で、出来る限り先に情報が手に入るようにしておく。その時にも、これの影響力は大きいからのぅ。」
「まぁ、事情は解ったわ。積極的に探すなら、探偵でも雇うしかないということね・・・。」

リチャードが頷く。

もしかしてあたしたち、来る場所を間違えたのかも・・・?

あたしは少し考えた。

(あ、そだ、これも聞いておいた方がいいかな・・・。)
「リチャードさん、ここ最近で、万引きとかした人のリストって、あります?」
「近場(の店)の物ならあるにはあるが・・・?」

愛がぽんと手を打った。

彼女には、あたしの狙いが解ったみたい。

「実はシャオミィさん、お財布、持ってないんです。だから、お腹を空かせて、もしかしたら・・・。」

リチャードはふむと顎をさすりながら呟く。

「了解した。さすがに、主らに直接見せる訳には行かぬ故、儂が後で調べるとしよう。」
「ついでに・・・、」

あたしの横から、愛が口を挟んできた。

何か考えがあるのかな・・・?

「ゲートの方にも手を回しておくことができるなら、お願いしていいかしら?」

ゲートとは、このアルタイアの街から外へと続く門。魔物の襲撃から人々を護るため、街の周囲はぐるりと防壁に囲まれている。その何カ所かに、外界に出るための門と警備所があり、それらをひとまとめにして「ゲート」と呼んでいる。(別にアルタイアだけでなく、ほとんどの街にこの防壁とゲートはある。)

ちなみにゲートを通る時は、身分証明書等が必要になる。

内から外へ出る時のチェックはそれほど厳しくはない。逆に、外から入って来る時は厳しいチェックがなされる。街の中に素性の判らない者を入れる訳には行かないからだ。つまり、今のシャオミィはゲートを通ることはできないが、もし、何かの間違いでシャオミィが外に出てしまったりすると、再び町中に戻って来るのは非常に困難だということ。

もちろん、街の外を探すのは、その広さを考えると現実的ではない。彼女が外に出ないように、手を回しておくべきと愛は判断したのだろう。

「もはや手遅れ・・・とは思いたくないけれど、とりあえずあの娘が外に出てしまわないように、根回しして欲しいのよ。」
「うむ。儂の可能な限り、手を尽くしておこう。」

その後、リチャードから万引きリストに彼女の名前がなかったことを伝えられた。食事はどうしたのだろうか、安心する反面、あたしはますます不安になった。

あたしたちは自警団詰め所を後にした。

太陽は西の地平線、まだ半分ほど顔を出している。

シャオミィもどこかで、同じ夕日を見ているのだろうか・・・。

「手掛かり、なかったですね・・・。」
「・・・そうね。でも、ヒントはあったわね。」
「ヒント、ですか?」
「ええ。万引きなどで捕まっていないということは、彼女が食べ物を手に入れられる場所にいる可能性が高いということよ。」

抽象的な言い方をする愛。

食べ物を手に入れられる場所と言っても、果物が実る木などはお昼に確認したばかりだし・・・。

「あ、お友達のお家、とかかな?」
「それはないわ。もう4日目、まず間違いなく親御さんから連絡があるはずよ。」

確かに、愛の言う通りである。

「次は食料品を扱うお店を調べましょう。賞味期限が切れ、捨てられた品を狙う可能性があるわ。・・・あの娘にそこまでの知恵があれば、の話だけど。」
「なるほど・・・。」
「捨てられる時間は大抵、閉店後ね。今夜、回れる範囲で回りましょう。」

愛さん、何だか妙に詳しいな・・・。過去に何か、あったのかな?

「今夜はちょっと大変だけど、覚悟はいいかしら?」
「はい。」

第8景 夜の蕭家

あたしたちが帰宅した後、梨花さんも戻ってきた。

意外だったのが、ロバートがずっと家にいた点。もちろん、留守をお願いしていたのだから、いて当然かもしれないが・・・。

「ロバートさん、お仕事は・・・?」
「マスターに連絡して事情を話し、休みをもらったよ。」

という経緯いきさつで、留守番がてら家でちびちびお酒を飲んでいたらしい。

梨花さんが帰ってきてからは、あたしは夕食の準備をしていた。

その横のテーブルで、愛が今日の出来事を、順を追って彼女に説明している。ロバートも同じテーブルにつき、一緒に聞いている。・・・隣にお酒を注いだコップがあるところが彼らしいな。

もちろん梨花さんも一緒である。

そして食事ができあがるころ。愛の説明も終わり、話題は今夜以降の計画に移っていた。

「食料品を扱う店は、この地図に書き込んでおいたわ。後は、(店の)抜けがないかのチェックと、どの順序で回るかの決定ね。」
「もう一つ、だれが留守番をするかも決めないとな。」
「そうね、それも決めないといけないわね。食事をしながら考えましょう。」

主に愛が説明し、ロバートが相槌を打っている。梨花さんは、終始、無言だった。娘を案じているのだろう。

皆の分の食事をよそうと、皆、それに箸をつけた。

もう、何度目になるだろう。4人きりの食事。

温かくて、冷たい食事。

「それで、留守番の件だけど・・・。」

愛が口を開く。どうやら、先程の議論の続きらしい。

「今度は俺が探しに出よう。別に当てがある訳じゃないけどね。」
「私も探しに出るとして、そうね・・・夜だから、フィーリアちゃんは家にいた方がいいかしら。」

あたしは暗がりでも平気だけど・・・。でも、(晩御飯の)後片付けもしないといけないし・・・。

「あ、はい、じゃ、あたしはお留守番していますね。」

少し考えてから、あたしはそう答えた。

「梨花さんはどうする?」
「・・・あなたたちの計画に従うわ。」

随分と素直な返事。やっぱり、今朝、あたしに八つ当たりしたことを後悔しているのかな・・・? あたしはあまり気にしてないけど・・・。それとも、ロバートさんにきつく言われたからかも・・・?

「そうね・・・、それなら、フィーリアちゃんと一緒に留守番をお願いします。」

梨花さんは、愛の要求に二つ返事で応じた。

食後、ロバートはすぐに、愛は化粧を直してからシャオミィを探しに出発した。

あたしの方も、20分ほどで後片付けは完了。時間を持て余してしまった。

ロバートや愛と連絡がとれるペンダントは、今のところ何の反応もない。

梨花さんは・・・、2階から気配がするので、そちらにいるのだろう。気になったので行ってみると・・・。

彼女は、玄関の真上に位置するシャオミィの部屋にいた。窓際に椅子を移動させ、窓から外を見ている彼女。シャオミィが玄関から帰ってきたら、すぐにでも分かるという位置だ。

背の低いあたしからは、窓からは道路ではなく立ち並ぶ建物しか見えない。

夜の町並みを四角く切り取った窓を背景に、寂しそうな表情で腰掛ける梨花さん。その光景は、美術館に飾られた絵画からそのまま飛び出してきたかのような、そんな美しさがあった。

「・・・フィーリアちゃん・・・?」

あたしに気付いた彼女がこちらを振り向く。

あたしは彼女に近づくと、絨毯の上にぺたりと座った。

「・・・ごめんなさいね、心配をかけて・・・。」

小さくため息をつく彼女。そして再び、外の町並みに目を落とす。

「ううん、あたしは大丈夫。手伝えることなら何でも手伝います。」

あたしがそう答えると、彼女はありがとうと呟いた。

そして。

「この街のどこかに、あの娘はいるのかしら・・・。」
「・・・きっと、・・・。」
「今となっては・・・、譬え帰ってこなくても、ただ、あの娘が無事でいてくれさえすれば、私は・・・。」

彼女の声に力はなく・・・、まるで何十年も病の床に伏していたかのような弱さがあった。

「・・・そんなに、簡単に諦めないでください。みんな、また一緒に暮らせることを望んでいますから・・・。」
「そうよね・・・、ごめんなさいね・・・。」

ふと、無邪気に笑うシャオミィの顔が、脳裏をかすめた。

梨花さんはふぅと溜め息をつくと、再び窓の外に目を落とした。

「はぁ・・・、私は、母親失格なのかしら・・・。」
「もし・・・。もし梨花さんが、シャオミィさんのことを心の底から見放してしまったら・・・、その時こそが、母親じゃなくなった時です・・・。」

あたしは言葉を継いだ。

「梨花さんがシャオミィさんを愛している限り・・・、母親失格だなんてことはないですよ。」

何とか、励ましてあげたかった。

「・・・(シャオミィを)探しもせずにいる私に、本当に母親としての資格は・・・。」
「梨花さんのやるべきことは、探すことじゃなくて・・・、シャオミィさんが帰って来たときに、真っ先に抱き締めてあげることだと思います。だから、シャオミィさんが帰って来たときにすぐに出迎えてあげられるよう、ここにいて欲しいと、愛さんも言ったんだと思います。」
「・・・。」

梨花さんは、普段はとても強い人。でも今夜は、・・・いや、今夜も・・・、彼女はとても、か弱かった。梨花さんの強さの裏には娘の存在があって、それを一時的に失ったからこそなのだろうか。娘のいないあたしにはもちろん解らないが、支えを失った人間の脆さを見せつけられた気がした。

第9景 手掛かり

その時。通信用のペンダントから、愛の声が聞こえてきた。

『フィーリア、ロバート、聞こえる?』

普段の口調だが、どことなく興奮しているような声。

『手掛かりを掴んだわ。』

梨花さんがこちらに身を乗り出す。

『おお、本当かい?』

これは、ロバートの声。彼も会話に参加したようだ。

「そ、それであの娘は、無事?」

あたしより先に、梨花さんがペンダントに問いかける。するとペンダントの向こうから、愛がたしなめるような口調で応答した。

『梨花さん落ち着いてくださいな。手掛かりだけで、まだ見つかった訳ではないわ。』

梨花さんは恥ずかしそうにあたしを見る。

(大丈夫、梨花さんが心配していることは、みんな解ってるよ。)

あたしは首を横に振ると、微笑んで見せた。

「それで、手掛かりというのは・・・?」

あたしの問いかけに愛が答える。

『スーパー、マリィ・シスターズで、あの娘、生ゴミ漁りをしたみたいよ。ゴミを出しに行った店員さんが目撃したらしいわ。』
『はは、(目の付け所が)甘党のあいつらしいな。』

ペンダントの向こうで、ロバートが気楽そうに笑った。

マリィ・シスターズは和洋を問わずお菓子を取り扱うスーパーマーケット。マリィとルーシィという双子の姉妹が営んでいる。

『それが昨日のこと。そして隣の雑貨屋ポルタッタと、向かいの干物料理専門店丘乾おかぼしでも、同様の目撃情報があったわ。』
『丘乾って言えば、あの有名な、美食家にして陶芸家の河岸原かしはら氏も贔屓にしている高級料理店じゃねぇか。そこで生ゴミ漁りとは、あいつも大胆なことをするなぁ。』

ロバートは、どうでもいいことに感心している。

一方であたしは、愛の言葉を思い出していた。

(賞味期限が切れ、捨てられた品を狙う可能性があるわ。)

彼女の予想は、見事に的中したらしい。

「昨日、ですか・・・、惜しかったです・・・。」

梨花さんも残念そうな顔をしている。

『でも、手掛かりはこれだけなのよ。今日に関する目撃情報は一切無いわ。』
「シャオミィさんの足だと、意外と遠くまで移動しているかも・・・。」

あたしの言を受け、愛は溜め息交じりで呟いた。

『はぁ、近くのお店、全部回らないといけないわね・・・。』
『ま、仕方ないさ。俺の方も根気よく回るから、愛さんの方も頑張ってくれ。』

ロバートが彼女を慰めた後、通信は切れた。彼らは再び、シャオミィの手掛かりを探し始めたのだ。

第10景 悪化

通信を終えた後。

「後で、(シャオミィが迷惑をかけた)店にお詫びをしないといけないですね・・・。」

あたしがそう言うと、梨花さんは別の可能性を示唆した。

「今日の足取りが掴めていないのは、気になるわ・・・。誘拐とかされていなければ良いのだけど・・・。」
「それは無いと思います。もし誘拐されたなら、きっと犯人から連絡があると思いますよ。」
「・・・、そうね・・・。」

あたしの否定に、梨花さんは生返事で応じた。

何かまた別の心配事があるのかな・・・?

その後、しばらくは2人とも黙ったままだった。

その沈黙を破ったのは、梨花さんだった。

「最初は、自警団に捜索願いを出したくなかったのよ。」
「・・・、?」

どうしてだろう? もしかしたら、自警団が実際に捜索しないことを知っていたのかな・・・?

「公共の掲示板に張り出される家出人の情報を、あの娘が見たら・・・、もしかしたら、この街アルタイアから逃げ出してしまうかもしれない・・・。」

梨花さんの表情には、心配というよりむしろ、寂しさに近いものが感じられた。

「それは無いと思います・・・。」
「・・・そうよね、今日、(捜索願いを)出したばかりだし・・・。」

あたしは首を横に振った。

「ううん、そうじゃなくて・・・、マリィ・シスターズもポルタッタも、ここからそんなに離れていないです。シャオミィさん、心のどこかできっと、梨花さんから離れたくないと思っているに違いないですよ。」
「そうね・・・、そのような考え方もできるわね・・・。」

心なしか、少しだけ、梨花さんの表情が明るくなった、気がした。

きっとシャオミィさんは、無意識のうちだと思うけど、やっぱり、遠くには行きたくないんだよね・・・。

でも。

梨花さんを励ますのにそのような言葉を使ったことを後悔することになろうとは、その時は思いもしなかった。

ちりりん。

夜の9時を回るころ。呼び鈴が鳴った。

誰だろう?

愛やロバートが戻ってくるには、まだ時間がかかるはず・・・。

ちりりん。

2回目の呼び鈴。

ようやく、梨花さんもそれに気づいた。

「・・・まさか、あの娘が・・・?」
「・・・、見て来ますね。」

階下したに移動し、玄関の扉、背伸びをして覗き窓から外を確認すると・・・、そこにはあたしのよく知っている自警団員がいた。

あたしは急いで鍵を外し、夜更けの来客を中に招き入れた。

「夜分失礼、梨花殿はご在宅か?」
「こんばんは、リチャードさん。こんな夜遅くに何かあったですか?」

彼の声を聞いたのだろう、梨花さんも階下に降りてきた。

「良い報告しらせと、悪い報告がある。・・・ロバート殿と愛殿は如何した?」
「あ、今はシャオミィさんを探しています。」

あたしは通信用ペンダントのスイッチをいれた。ややあって、ペンダントからロバートと愛の声。

『お、どうした、何かあったかい?』
『どうしたのかしら、フィーリアちゃん?』

それを聞き、リチャードは頷いた。そして。

「先ずは良い報告からしようかの。・・・、蜜花殿が見つかった。」

唐突な報告。一瞬、あたしの思考回路は停まった。

良かった、見つかったんだ。

そう理解するまで、少しだけ時間がかかってしまった。

梨花さんもきっと一緒。その表情に変化が現れるまで、少し間があった。

『おお、それは本当かい?』

ペンダントの向こうから、ロバートが喜びの声を寄越す。

しかしリチャードは。

「じゃが、悪い報告もある・・・。」

その言葉であたしは、目を醒まさせられた。

同時に、背筋をミミズが這いずり回るような、嫌な想像が脳裏をかすめた。

梨花さんも同じ想像をしてしまったのか、今にも泣き出しそうな、辛そうな表情。

『まさか・・・。』

愛のその言葉を聞いたためか、それとも梨花さんの表情を見たためか。

リチャードはすぐに、あたしたちの悪夢を振り払ってくれた。

「大丈夫じゃ、ちゃんと生きておる。・・・恐らく、な。」
「恐らく・・・?」

あたしが聞き返すと、彼は頷いた。

「今日の午後6時頃、蜜花殿の姿が目撃された。じゃが保護はされておらぬ。」
『ふむ、どこでだい? 俺達も近くを探すよ。』

本人は意識していないだろうけど、なぜか、ロバートの声はとても頼もしく耳に響く。

だが、リチャードは重苦しい口調で答えた。

「・・・街の外で、じゃ。」

それはまさに、予想外の答えだった。それはペンダントの向こうにいる二人にとっても同じだったはず。

『何ですって!?』

愛がペンダントごしに驚きの声を放つ。

無理も無い、外は魔物も徘徊する危険な地域だ。何のために街に防壁があるのかを考えれば、その危険性は自明である。

「な、何かの間違い・・・ですよね?」

見間違いであって欲しいような、欲しくないような。妙な気分。

しかし彼は首を横に振った。

「見回りをしていた(ゲートの)職員が、逃げて行く少女を見たそうだ。」

静かに答えるリチャード。

「特徴を聞いた結果からして、まず間違いなく蜜花殿であろう。束ねられた茶色の髪と、白猫の名残とを同時に持つ使い魔など、そうはおるまい。」

確かに、使い魔自体、あまり数は多くない。需要はそれなりにあるのだが、供給が追いつかないからだ。

「実に口惜しい、連絡が後1時間ほど早ければ、保護できたやもしれぬ・・・。」

察するに、ぎりぎりのタイミングですれ違いになってしまったらしい。

(どうしよう・・・。昨日、シャオミィさんの身分証明証を見つけた時に、もっと早く相談していたら・・・。)

後悔の念が心に広がって行く。

「あの娘・・・、やっぱり・・・、私から離れたかったのね・・・。」

沈痛な面持ちの梨花さん。

あたしは、リチャードさんがくる直前に言ったことを後悔した。

あの時は確かに、梨花さんを励ましたい一心だった。それは今も変わらない。けど、今のあたしに彼女を励ますことが、許されるのだろうか・・・?

気まずい沈黙。

それを破った救いの主は、愛だった。

『・・・そうと決まった訳ではないわ、梨花さん。きっと、何かの手違いがあったのよ。』

続いて、ロバートも応じる。

『ともあれ、本人に聞くしかねぇな。今から(街の)外にいって、あいつをフン捕まえるさ。』

その頼もしい台詞に、あたしは何だかとても救われた気がした。

『とりあえず、作戦を練り直しましょう。ロバートさん、急いで家に戻ってもらえるかしら?』
『オッケィ。』

第11景 リチャードの機転

玄関先で立ち話というのは、リチャードに悪い気がしたあたしは、中に上がるよう促した。が、彼はそれを辞退した。

「ロバート殿はああも気楽に言うが、実際にはそう容易くは行くまいて。」

リチャードは言う。

「そうなのですか?」

あたしが聞き返すと、彼はうむと頷いた。

「外の世界は広大じゃからの。それに目撃は3時間も前・・・いや、ここから目撃されたゲートまで1時間はかかることも考慮するならば、実質4時間前じゃ。かように時が経つならば、さらに遠くに移動しておる可能性も拭い切れぬ。」

なるほど、正論である。

「でも・・・、諦める訳にはいかないです。」
「分かっておる。じゃが、厳しいことだけは確かじゃ。腹を括っておかねばならぬ。フィーリア殿、主は覚悟はできておるか?」

元から、シャオミィを見つけることに全力を注ぐつもりだったあたしは、即座に頷いた。

ややあってロバートが、そしてそのすぐ後に愛が帰ってきた。

「早速だけど作戦を練り直しましょう。」

場所は玄関先。狭い場所に大の大人が3人もひしめきあっている。

「俺としては、今すぐにでも外へ探しに行くべきと考えるが、どうする?」

ロバートが、今にも飛び出して行きそうな勢いで口を開く。

しかし。

「ならぬ。」

リチャードは彼の提案を否定した。

「・・・ほう? どういうことだ?」

眉間にしわを刻み、ロバートがきつい口調で問い返す。

対し、冷静に応じるリチャード。

「主等は通行許可証を持ってはおるまい?」

通行許可証とは、ゲートを通行するために使用される書類である。発行には事前の申請が必要だが、実際はゲートで申し出ればすぐに(と言っても3時間はかかるけど)発行してくれる。

「ゲートでの受付は午後7時までじゃ。間に合う道理はあるまい。」

あたしは時計を確認した。

針は午後9時20分を指している。

「緊急事態だけれど、それでも無理かしら?」
「規則ゆえ曲げられぬ。」

確かに、あたしたちにとっては緊急事態だけど、第三者から見れば別に緊急事態ということでもない。

しかしロバートは、規則などに縛られるのはあまり好まないタイプの傭兵である。そんな理由で彼が納得するはずもなく・・・。

「・・・どうやら俺の仕事は、受付の職員を黙らせることらしいな。それともあんたを黙らせることか?」

今にも剣を抜きかねない勢い。

「ロ、ロバートさん、落ち着いて・・・。」

あたしは何とか、彼を宥めようとした。

しかしどうやら、それは無用だったらしい。

「・・・主の仕事は、まずはこれにサインすることじゃ。」

リチャードはロバートの怒りを気にする風もなく、1枚の書類を差し出した。

「これは?」
「通行許可申請書じゃ。今、儂が預かり受理すれば明日の朝一(始業と同時)に許可証を発行できるでな。」

同様に彼は、愛にも同じ書類を渡した。覗き込むと、既に自署欄以外が記入されているのが見て取れる。

シャオミィさんの捜索願いを出した時もそうだったけど、リチャードさんはリチャードさんなりに気を利かせてくれているんだ・・・。

その割には、あたしの分が抜けているような・・・?

「えと、あたしの分は・・・?」

リチャードに尋ねると、彼は梨花さんに質問を投げた。

「梨花殿、しばしの間、フィーリア殿を借り受けたい。構わぬか?」

梨花さんがその真意を掴みかねていると、彼は付け加えた。

「フィーリア殿は使い魔ゆえ、所有者である梨花殿の許可さえあれば、儂に同行することで許可証なしにゲートの通行が可能になるでな。」
「・・・是非、お願いします。フィーリアちゃんさえ構わなければ・・・。」

なるほど、そうこうことだったらしい。

もちろん、あたしは構わないと即答した。リチャードも力強く頷く。

「よしッ。儂等は今から夜を徹した捜索を開始する。ロバート殿と愛殿は、明朝ゲートで許可証を受け取り儂等に加わってもらう。」
「そうこなくっちゃ。話が分かるじゃないか、ディック(リチャードの愛称)。」

リチャードは再び頷いた。

「では、主等は明日に備え、充分に休まれよ。」
「分かりましたわ。」

これもリチャードなりの配慮だろうか。それを汲み取ったのか、愛も素直に、彼の指示に従った。

第12景 街の外で

ゲートに着くころには、時刻は午後10時30分を指していた。ゲートでは受付の職員が眠そうな目を擦り擦り、何やら書類を書いていたが、あたしたちの存在に気づくと。

「申し訳ありません、夜間の(ゲート)通行は認められておりません。」

お決まりの台詞と共に制止してきた。

「お手数ですが明日の朝・・・。」
「・・・。」 

係員に最後まで喋らせないまま、リチャードは無言で許可証を突き出した。

その許可証は自警団員やゲート職員にのみ所持が許されるもので、譬え夜間であろうとも外に出ることが可能な代物である。

それを目にした職員はすぐに敬礼し。

「失礼致しました。お気をつけて・・・。」

あたしたちを外に出してくれた。

外の世界は、静まり返っていた。

薄暗い平原が広がり、その先には針葉樹林がある。林の中はカラスの羽の色よりも黒い、深く濃密な闇に包まれている。

近くに、シャオミィの姿は見当たらない。

「何処から探しましょう・・・?」
「そう遠くへは行くまいて。見える範囲にシャオミィ殿は見えるか?」

あたしは目を凝らした。

・・・残念ながら、辺りには動いているものは一切ない。

その旨、彼に告げると。

「致し方あるまい。手初めに向こうの林を調べるとしよう。」

彼は一番近く、あたしの目の届かない林を指さした。

「林の中は危険に満ちておる。ゆめ、油断せぬよう。」

あたしは頷くと、リチャードと一緒に林の方向へと歩きだした。

彼の警告どおり、あたしたちは林の中で魔物の群に襲われる羽目となった。巨大蛭ジャイアント・リーチの大群。一人ではとても太刀打ちできないほどの数だった。しかしリチャードが護ってくれたお陰で、あたしたちは無事に切り抜けることができた。

さらに近くを捜索すること数時間。あたしたちは木々の幹や地面の石の一部に、赤黒い血痕を見つけた。

野の獣のものだと思いたかった。シャオミィのものとは考えたくなかった。

しかし時間と共に、心の底に潜んでいた危惧が、あたしを支配し始める。

もしかしたら・・・。

「・・・。」

それだけは考えたくなかった。

まるでそれは闇の世界に巣くう悪魔のよう。一度ひとたび取り憑かれてしまえば、もう正常な判断はできなくなる。

自力では祓えないほどの闇が、心を覆い尽くす。

(まさか、魔物に襲われて・・・。)

そんなことはないと信じたい。いや、信じないといけない。でも、ややもすると、最悪の情景が頭をよぎる。

そんなあたしの心境を察したのだろうか。

「案ずるな。今は唯、彼の者を探すことに専念せよ。」

リチャードがいつもの口調でそう言い放った。

確かに、彼の言うとおり、今は案じていても解決はしない。

「・・・はい。」

悪夢を振り払うように頭を横に振ると、あたしたちは捜索を再開した。

東の空が白み、夜が明けようとしても、シャオミィは見つからない。

昨晩から捜し続けること8時間と少し。結局あたしたちは、彼女の姿を捉えることさえできなかった。

第13景 束の間の休息

朝の7時。ゲートの業務が開始される時間。

あたしのポケットの中で、通信用ペンダントが反応した。

『おはよう、フィーリアちゃん。』
『おはよう。』

声の主は愛とロバートである。

「あ、おはようです、愛さん、ロバートさん。」

返事を返すと、愛が向こうの状況を知らせて来た。

『徹夜の捜索お疲れ様。私達は今、ゲートで手続きを終えたところよ。』
『何か変わったことはあったかい?』

ロバートの問いに、リチャードが応じる。

「(シャオミィの)手掛かりについては特に何も得られておらぬ。・・・それと、近辺を魔物が徘徊しておる。警戒を怠らぬようにな。」
『分かりましたわ。後は私達に任せてくださいな。』
『選手交替、だな。そっちはゆっくり休んでくれ。』

リチャードと一緒にゲートに戻るころには、時刻は8時前になっていた。

「シャオミィさん、見つかるかな・・・。」

あたしは、不安で不安で、仕方がなかった。

聞き様によっては弱気な言葉が、無意識のうちに口から漏れた。

「心中、理解できる。が、今は案ずるな。」

リチャードの叱責。

彼はあたしを見据え、言葉を続けた。

「彼らが見つけられぬなら、次はまた儂等が捜索することになる。今は体力の温存が最優先じゃ。悩む暇などない。」
「・・・はい。」

頭では解っている。理解している。

でも、やっぱり、あたしには割り切ることができなかった。

リチャードと別れ家に戻っても、不安が消えることはなかった。

寝なきゃいけない。今夜も夜通しの捜索になるだろう。

でも。

・・・あの時見かけた血痕。

・・・魔物の群。

・・・シャオミィさんならきっと逃げ切れる・・・はず。

でも・・・。

ベッドの上で目を閉じても、あたしは眠ることができなかった。

ただ、時間が過ぎるだけだった。

ちくちくと時計が時を刻む音が、いつも以上に大きく聞こえた。

だめ、ちゃんと寝ないと・・・。

・・・。

目覚まし時計が鳴った。

時刻は午後2時。

あたしは結局、一睡もすることはできなかった。

第14景 急転

身支度を済ませ、戸締まりを確認し、あたしはゲートへと足を向けた。

いつもより体が重い。いつも以上に太陽が眩しい。典型的な寝不足の症状。

しっかりしなきゃ。ここであたしが倒れる訳には・・・。

道程の中ほどを過ぎた辺り。

通信用のペンダントが鳴った。

時刻を確認する。午後の3時半。約束の時間まで後30分程度。

何かあったのかな・・・。

あたしが操作をすると、ペンダントから、ロバートの声が飛び出した。

『今、どこにいるんだい、フィリィ(フィーリアの愛称)?』
「えと、ゲートに向かってます。後20分位で着くと思います。」

あたしがそう答えたところ。

意外な言葉があたしの耳に飛び込んできた。

『見つかったぜ。』
「・・・、見つかった・・・?」

誰が・・・、いや、この局面では一人しかいない。

でも、あまりの台詞に、あたしは思わず鸚鵡おうむ返しで応じてしまった。

「もしかして・・・。」

口を開き、やっとそこまで答えたものの、あたしの言葉はロバートによって遮られた。

フィリィもこっちに来な。ゆっくりでいいから。』

ゆっくりでいい、それはどういうことだろう・・・?

その疑問の解決を待たず、ペンダントの向こうから、どことなく懐かしい殴打音が聞こえてきた。

『いたっ!』

そして、遠くて聞きづらいけど、確かにシャオミィさんの声。

『はは、愛さん、殴るのもほどほどに、な。』

いつもの朗らかな口調で、ロバートが宥めている様子も聞こえて来る。

・・・、良かった。

無事だったんだ・・・。

肩の荷が降りる、というより、全身の力が抜けるような感じがした。

「良かった、無事で・・・。あたしもすぐそちらに行きますね。」

通信を切り、あたしはゲートに向かって駆け出した。

疲れはもう、気にならなかった。もうすぐ、懐かしい人に会えるのだから。

ゲートに到着し、受付の人に事情を説明すると、すぐに裏口から建物の中へと案内してくれた。

中央に細い通路が通っており、左右に部屋が並んでいるようだ。

壁や柱は灰色で、どことなく寒々しい印象を受ける。その一番奥の部屋にあたしは案内された。

扉を開けると・・・。

そこにはロバートと愛がいた。リチャードも来ていた。そして。

部屋のすみっこで、椅子に座らされているシャオミィがいた。

「あ。フィリィ!」
「良かった、無事だったんだね。」

あたしが声をかけるのとほぼ同時、シャオミィは立ち上がり、こちらに駆け寄ろうとした。

しかし彼女はバランスを崩し、二、三歩程歩いたところで蹌踉よろめく。

「おとなしく座っていなさいと言ったでしょう。」

愛がシャオミィの首根っこを掴み、引きずるように椅子に座らせた。

あたしは彼女の側へ駆け寄り、改めて観察した。

1週間前に家を飛び出した時に比べ、シャオミィの着衣はかなり薄汚れていた。顔や腕は擦り傷だらけ。そして、右すねに包帯。ろくな装備もなく街の外に出ることの浅はかさを示しているかのよう。

「シャオミィさん、その足は・・・。」

あたしが問うと、隣にいた見知らぬ男が口を開いた。

「大変申し訳ないことをしただ・・・。」

その男は小柄ながらがっしりとした体格の持ち主で、口髭を豊かに蓄えていた。まるで大地の妖精ドワーフのよう。服は所々継いであり、一目で猟師だろうと想像できる風貌である。

「紹介しておこう。こちらは今回、蜜花殿を保護してくださった、狩猟者のアンドー氏じゃ。」

リチャードの紹介を受け、彼は軽く頭を下げた。

「ほらシャオミィ、フィーリアちゃんにも貴方の武勇伝を聞かせてあげたら?」

愛に言われ、シャオミィは口を開いた。

第15景 足跡そくせき

家を飛び出した最初の晩、彼女は近くの公園に行き、そこのベンチで野宿をしたそうだ。

2日目は辺りを当てもなく彷徨い、再び公園で野宿。

3日目になってさすがにお腹が空き、菓子や総菜などすぐに食べられそうな品を扱う店に行ってゴミ漁りをしたそうだ。

「賞味期限が切れたものが捨てられてるかもしれないと思ったのさー。ボクって頭いいっ!」

妙に自信満々のシャオミィ。すかさず愛が突っ込んだ。

「誰だって思いつくわよ、それくらい。」

うーん、そんなものなのかなぁ・・・。あたしは思いつかなかったけど(汗)。

「でもこの後が予想外だったんだよねぇ。」

彼女の武勇伝(?)は続く。

3日目の晩、霧雨が降り始めた。傘など当然持っていない彼女は、雨露を凌げる場所を探し、近くに停めてあったほろ馬車の荷台に侵入。久々の食事で得られた満腹感と、今までの疲れも手伝って、いつの間にか彼女は寝入ってしまったそうだ。

「ここからはロビン(ロバートの愛称)とディックにもまだ話してなかったね。」

ふと気が付くと、馬車が揺れている。

びっくりして跳び起き、雨避けの布を押し上げて外の様子を伺うと、馬車が走り始めているではないか。

しかも彼女の目前に映し出された景色は、豆粒くらいのゲートと、左右に長く続くアルタイアの防壁。

時、既に遅し。

「なるほど。恐らくそれは隣町への輸送車じゃろうな。」
「それで街の外に出ちゃった訳ね。」

リチャードと愛に確認されシャオミィは頷いた。

走る馬車から危険も顧みず飛び降りた彼女。もう少し早く目が醒めれば、街の中に残ることができただろう。しかし起きるのが遅かった彼女は、街の外で時間を過ごさねばならなくなった。

時が経つにつれ、空腹感が再び彼女を支配する。

そして、木の実でも実っていないかと何気なくよじ登った木の枝、彼女はそこで鳥の巣を発見する。

「卵があってラッキーと思って手を出したら、ちょうど親鳥が戻ってきて、大変だったヨ。」
「はは、そいつはタイミングが悪かったなぁ。」

あたしは苦笑した。

実際は親鳥が卵を放ってどこかに行くというのは考えにくい。シャオミィが木を登って来たから、一時的に避難していただけだろう。ロバートはタイミングがどうと言っているが、親鳥との遭遇は必然だったに違いない。

「で、どうしたんだい?」
「散々、突っ突かれたからねぇ。もちろん、追い払ったけど。」
「ふふ、酷いわね。」

愛が茶化す。シャオミィは生きるためだと大袈裟な反論をしながら続けた。

「でさ、お腹も空いてるしさ・・・、この際、生でも仕方がないからと思って卵を割ってみたんだけど・・・。」
「?」
「黄身に赤い血管がびっしり。黄身の横に小さいヒナまでいたよ(汗)。」
「うわ。あんまり見たくない光景だな・・・。」

ロバートがオーバーに肩をすくめて見せた。

「受精卵じゃからの。当然じゃろう。」

リチャードの台詞は、シャオミィに向けられたものか、それともロバートか。・・・多分両方かな。

「でも、びっくりしちゃいますよね。」

あたしがそう言うと、彼女は肯定しながら続けた。

「だねぇ。あ、でも、意外と美味しかったヨ。」
「食ったのかよ!?」

叫ぶロバート。シャオミィは何故か誇らしげに胸を張っている。

うーん・・・、そこは胸を張るところじゃないと思うな・・・。

空腹が癒えたとは言え、卵1個だけで胃を満たすことはできない。再び彼女は食料を求め、あてもなく歩き始めた。

時刻は昼過ぎ。

丁度林の中に足を踏み入れた時。

どこからか食べ物の匂いが漂ってきた。

匂いを辿り歩くこと1分、彼女は場違いにも吊るされたサツマイモを発見。

もちろん、普通に考えればそれは異常な光景、すぐに罠だと気付くだろう。しかし空腹の彼女に、精神的な余裕はなかった。

「ここから先は、おらが話すだ。」

シャオミィの隣にいた狩猟者風の男が口を開いた。

彼がいつものように仕掛けた罠を見回っていると。

その罠には猪ではなく、一人の少女が掛かっていた。

トラバサミと呼ばれるその罠は、痛々しくも、少女の右足に噛み付いていた。

少女は、彼の姿を見るや否や、すぐに助けを求め、彼もそれに応じた。

「いや、猪がかかっとるはずが、女の子が掛かっとったで、おら、たまげただ。」
「ボクもびっくりしたヨ。あんな林の中にこんな高性能な罠が仕掛けられてるなんて・・・。」

シャオミィが必死に言い訳をするも、彼によってあっさり否定された。

「あの罠は10年以上使ってただよ。」

そのような旧式の罠に引っ掛かってしまったシャオミィ。立つ瀬がないとはまさにこのことである。あたしたちは思わず苦笑いした。

彼はシャオミィを罠から助け、自分の小屋へ運んだ。そして簡単な手当をした後、食事を振る舞い、彼女の話に耳を傾け説得し、一晩泊めてから自警団へ送ることにしたそうだ。

そして実際は自警団詰め所に到着するより先に、ゲートで保護されたという次第。

「しかしまー、よー食べる娘っ子だで、何せ熊の塩漬けさ3人分は食べよった。おら、おったまげただよ。」

何故か得意顔のシャオミィに代わり、愛が詫びる。

「本当にこの娘ったら・・・。ご迷惑をおかけし申し訳ありません。」

するとアンドーは首を横に振った。

「いやいや、気にしないでくんろ。ほんに賑やかな娘っ子だ、おらも久々に楽しかったでなぁ。」

そして、逆に愛達に頭を下げた。

「それよりも、おらの仕掛けで蕭議員の大切なお子さんに怪我させちまっただ、勘弁してくんろ。」

きっと梨花さんなら、そんなことは気にしないはず。あたしは彼にそう伝え、安心させた。

第16景 シャオミィの画策

そんなこんなでしばらくは、シャオミィの体験談に花を咲かせていたあたしたち。知らず知らず時は流れ。

「あ、もう5時ですね。これからどうしましょう?」

あたしが質問を口にすると。

愛がそれに答えた。

「梨花さんをここで待つわ。帰宅はそれからよ。」

ロバートが付け加える。

「梨花さんには既に俺達から連絡してあるんだよ。『東ゲートに来い』とね。」

あたしは苦笑した。メッセージを短くしたのは単に料金を節約したのだろう、しかしそのメッセージでは梨花さん、逆に不安になるんじゃないかな・・・。

ちなみに東ゲートとは、このゲートのことである。

「議員としての仕事が終わるのは5時じゃ。間もなくこちらに来るじゃろうな。」

リチャードがそう言うと、シャオミィの耳がピクリと反応した。

「やば、それまでに逃げないと・・・っ。」

立ち上がるシャオミィ。

しかし背後から。

「このまま逃がす訳には行かないな。はは。」

ロバートの腕が彼女の首根っこをむんずと掴む。

「後でお酒、奢るからさー。」
「貴方、お財布も持っていないのでしょう? どうやって奢るのかしら?」
「う・・・。」

何とかロバートを懐柔しようとしたものの、それは愛の横槍によりあっさりついえてしまった。

渋々、椅子に戻るシャオミィ。

「ま、たっぷりお灸を据えてもらうんだね。」

何というか、足に怪我を負った状態であるにも拘らず、まだ脱走しようとする辺りが彼女らしい。

しかし、背後に腕利きの傭兵が立ち、1箇所しかない出入り口はリチャードの巨躯によって塞がれているとあっては、さすがの彼女も諦めざるを得ないようだ。

第17景 絆

さらに時間は流れ。

突如。廊下のさらに向こうの方が、騒がしくなった。

「落ち着いて、廊下を走らないでください!」

遠くの方で、係員が誰かを諌めている声が聞こえる。

誰か・・・、時間から考えてもそれは勿論、梨花さんその人に違いない。

ロバートは『お灸を据えてもらうんだね』と言っていた。

でも、あのとき、あの晩。あたしが見た梨花さんは、寂しそうに、シャオミィの部屋の窓から外を見ているだけだった。とてもではないがシャオミィを叱る元気が残っているようには見えなかった。

今は。

今だけは叱らないであげてほしいな。

シャオミィさんも、梨花さんも、疲れているはずだから・・・、今はただ・・・、シャオミィさんを抱き締めてあげるだけでいいから・・・。

扉が勢いよく開いた。

シャオミィが小さくその身を震わせる。

あたしも思わず、唾を飲み込んだ。

そして。

係員より先に、梨花さんが部屋に飛び込んできた。

一瞬の、硬直。

それは、梨花さんが、娘が無事に保護されたと理解するのに必要とした時間だろう。

そして次の刹那。

梨花さんは両手で顔を覆い、その場に泣き崩れた。

きっと、それは安堵の涙。

今までは、娘が無事に見つかることばかりを祈っていた。何か情報が入るたび、不幸の知らせかもしれない、そんなことを考えてはいけないのに、という葛藤と戦い続け、心身とも疲労の限界だった。それでも、休む訳にはいかない、倒れる訳にはいかない・・・。

そんな、張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったに違いない。

その情景に一番驚いたのは、他の誰でもない、シャオミィその人だろう。

「・・・、母さん・・・?」

無理もない、叱られるとばかり思っていただろうから。

彼女は暫くの間、自分の母親が、恥も外聞もなく泣き続ける様を、呆然と見ていた。

が。

「・・・解ったかしら? 貴方がどれだけ心配をかけたかを。」

愛の諭す声で彼女は我に返った。

それは、梨花さんには聞こえないくらいの、とても小さな声だった。

「・・・。」
「・・・解ったなら、さっさと(傍へ)行ってあげなさい!」

小声ながら、怒っているかのような、何かを堪えているかのような、そんな声だった。

愛に背中を叩かれ、彼女はややふらつきながら、母親の傍へ近寄った。

そして。

「どうして・・・。」

それは、ふだんの彼女からは想像できないほど、小さく、か弱い声だった。

「・・・、どうして、母さんが泣くんだよ・・・。ボクを、叱るんじゃなかったの・・・?」

それが如何に馬鹿げた質問か、それは彼女自身が知っているだろう。彼女の声色が、震えるような声が、それを雄弁に物語っていた。

めてよ、母さん・・・。ボクはここに、ちゃんといるからさ・・・。」

娘が両膝を床につき、母に手を差し伸べる。

その手は母の腕に触れ・・・、母は顔を覆っていた自分の手を退け、娘の顔を確認した。

そして。

自由になった両手で、母は娘を抱き締め、娘の胸に顔をうずめ再び泣き始めた。

「母さん・・・。ごめん・・・。ごめんなさい・・・。ボクが悪かったよ・・・だからさ・・・、」

今まで彼女が、自らの非を皆の前でこうもはっきり認めたことがあっただろうか。

娘の無事に唯、泣くことしかできない梨花さんの姿は、今まで彼女が娘に対して行ってきた如何なる叱責よりも、効果的だった。

シャオミィの両目には、今にも溢れんばかりの涙が湛えられている。これこそがまさにその証左。未だかつて、あたしはこのようなシャオミィを見たことがなかった。

「・・・だからさ、もう泣き止んでよ、母さん・・・っ。」

最初こそ疑問だった娘の言葉は、謝罪を経て懇願へと変化していた。しかし、母は尚も泣き続けた。泣くことを止めなかった。

「もう家出なんて絶対しないから・・・、ずっと、ずっと、一緒にいるから・・・、母さんの側にいるから・・・っ!」

固く目を閉じるシャオミィ。彼女の頬を涙が伝う。

それは、忸怩じくじ、安堵、それらが入り混じった涙に違いがなかった。

「ごめん・・・、本当に・・・、・・・っ・・・っく・・・、う・・・、うわあああーーー!」

シャオミィもまた、堪えることはできなかった。

いつもの喧嘩とはいえ、家を飛び出してしまったことがどれだけ軽率で、母を心配させたか。そして何より、母が自分をどれだけ愛してくれていたのか。もちろん、頭では解っていたつもりだったかもしれない。しかし実際にそれらを目の当たりにし、自分の想像の甘さ、拙さ、そういったものを知らしめられ、彼女もまた、堰を切ったかのごとく号泣したのである。

その光景を見て、あたしももらい涙を浮かべていた。ロバートは、やれやれと言わんばかりの、それでいてどことなく安心したかのような表情、リチャードは相変わらずの無表情だった。アンドー氏は満面の笑みを浮かべている。椅子の側にいた愛は、顔を背け、ハンカチでそっと涙を拭いていた。

第18景 嵐は去って

その後、梨花さんもシャオミィもひどく疲れているということもあり、自宅へ直行。アンドー氏への正式な謝礼はまた後日に、ということになった。きっと、シャオミィがゴミを漁って迷惑を掛けたマリィ・シスターズやポルタッタといったお店にも、お詫びに上がるのは後日になるに違いない。

そしてあたしたちはといえば。ゲートを後にして街中を歩いていた。

「ふう、疲れた、疲れた。」
「ロバートさん、愛さん、お疲れさまでした。」
「フィーリアちゃんもお疲れさま。」

ちなみにリチャードは、二人の通行許可証の返却や捜索願いの取り下げといった様々の手続きなどをしてくれているため、ゲートで別れている。なので今は3人しかいない。

「ま、用事は済んだんだ、腹も減ったし、さっさと帰ろうぜ。」
「そうね・・・と言いたいけれど、今日は外食にしましょう。」

帰宅を促すロバートに、愛が提案をした。

「おお、いいね。でも、どういう風の吹き回しだい?」

あはは、ロバートさん、相変わらずだね。

「今夜は、梨花さんとシャオミィさん、母娘水入らずにしてあげようよ。」
「そういうことよ。」

あたしは思わず苦笑しながら、愛の意図を口にした。愛はもう慣れたのか、呆れたり苦笑したりもせず、あたしの予想を肯定した。

「なるほど、了解。それじゃ、俺の勤め先に行くか。マスターにもいろいろ心配掛けたからね。」
「あら、それがいいわね。」
「はい、そうしましょう。」

今度はあたしたちが賛成した。

エピローグ

「それにしても散々な事件だったな。疲れたぜ。」

ロバートが勤める居酒屋のカウンターで、ビールを煽りながらロバートが呟いた。

「あはは。でもあたしは、これで良かったんだと思います。」

あたしは一呼吸おいて、続けた。

「きっと、梨花さんとシャオミィさん、もっとよい関係になれると思うから。」
「はは、確かに。良い話には違いないね。」

ロバートが賛同した。しかし愛は、どことなく不満そうな顔をしている。

「愛さんもそう思いますよね・・・?」
「ええ、その通りだとは思うわ。でも喧嘩の原因が原因だけに、ちょっと、ね。」

喧嘩の原因、か・・・。そういえば何だったのかな・・・。

あたしと同じ疑問を、ロバートも抱いたらしく、彼は愛に質問を投げかけた。

「喧嘩の原因、愛さんは知っているのかい?」

すると愛は。

「ええ、知っているわ。でも聞かない方が良いわよ?」

意味深な答えである。

「気になるなぁ。教えてくれないかい、愛さん?」

愛は少し悩んだが、ややあってこう答えた。

「・・・解ったわ。喧嘩の原因はね・・・。」

あたしたちは思わず、固唾を呑んだ。

あれだけの騒動になった喧嘩の原因とは・・・?

「目玉焼きの調味料よ。」
「・・・ほぇ?」

わずかの沈黙。

その後、予想外のその答えに、あたしは思わず間の抜けた声を発してしまった。

「シャオミィが目玉焼きに醤油を掛けて、それを見た梨花さんは塩でないとだめだと言い張ったのよ・・・。そうしたらシャオミィが梨花さんに食ってかかって・・・。」
「・・・待て。それだけの理由で、食器を割るほどの大喧嘩になったのか・・・?」

愛は頷いた。

「むー・・・。美味しいと感じるなら、塩でも醤油でもマヨネーズでも、何でも良いと思うけど・・・。」
「俺も同感だ。でもマヨはどうかと思うぞ?」

むぅ。だからそれは、人それぞれだと思うんだけど・・・。

それにしても本当に、些細な理由である。どうしてあそこまでの騒ぎに発展したのか、あたしには理解ができなかった。ロバートや愛もあたしと同じだろう。もしかしたら、本人たちでさえ、なぜあんなに怒ったのか、もう解らなくなっているかもしれない・・・。

「何というか・・・、計り知れない奴らだな・・・。」

そんな、ロバートの台詞がとても印象に残る騒動だった。

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