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@「ハワイへの船旅」
2007年8月15日掲載
ワイキキビーチで行われていたフラダンスのショー(筆者撮影)

プレジデント・ウィルソン号で太平洋を渡る
14歳の筆者の夢と希望に満ちたスタート。
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A「転校初日の戸惑い」
2007年9月22日掲載
ホノルルにあるカメハメハ大王像。
1960年代に撮影したが今も同じ場所に建っている。

転校先の中学校で、言葉が通じず右往左往する。
その後の学校生活は?
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B「登校拒否症状」
2007年10月21日掲載
心を癒してくれた花=Night blooming ceres(月下美人)

精神的ストレスが、様々な症状となって
身体に現れた辛い日々。
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C「日本人として」
2007年11月11日掲載
私の「卒業アルバム」に載っている教師たち

日本を離れ多民族社会の中で暮らし、
初めて日本人としての自覚に目覚める。
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D「メリ・カリキマカ!」=メリークリスマス!
2007年12月13日掲載
私たちが住んでいた「クイーン・エンマ・ガーデンズ」

煌くクリスマス・イルミネーションと、
ハワイの中学校で受け取った最初の成績表。
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E「レヴァレント誇らしく」
2008年1月17日掲載
ハワイ時代の父と二人のアメリカ人牧師=ハリス教会の庭で

父の仕事と、ハワイアン・ウェディング
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F「ダウンタウンの生活」
2008年2月10日掲載
ホノルル・ダウンタウンに引っ越したころの妹(左)とトゥイッグ家のベッツィ

ハワイの生活にも慣れて、楽しい授業も加わる。
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G「タイプライティングから学ぶ」
2008年3月15日掲載
ハワイ時代に活躍した懐かしのタイプライター。今はもう動かない。

「英文タイプ・スピード競技」に向けての猛練習と、その結果。
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H「1枚のバースデー・カード」
2008年4月17日掲載
ミセス・ウィンから贈られた15歳の誕生日カード。

心温まる教師の励ましと、生徒への配慮。
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I「ハワイの忘れられない味」
2008年5月14日掲載
パイナップル畑=ハワイ風物詩の一つでもある
ワヒアワのドールプランテーション

ハワイのフルーツ、海の幸、そして「おふくろの味」。
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J「マッキンリー高校に入学して」
2008年6月13日掲載
私が通ったマッキンリー高校。
手前は高校名になった第25代大統領マッキンリーの銅像

選択科目の「コーラス」で知り合ったデビーと大の仲良しになる。
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K「ハワイで運転免許を取得」
2008年7月12日掲載
路上練習の場にもなったカラカウア・アベニュー
(ワイキキ1960年代のメーン通り)

教習場がなかったハワイでは、いきなり路上で実施練習が始まった。
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L「ベビーシッターの経験」
2008年8月13日掲載
カイラニ・ビーチで。
大きな子供たちのシッター役をすることもあった。
右端は高校時代の私。

日本人とアメリカ人の「子育て」の違いに気付く。
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M「マウイ島の『ハレアカラ・クレーター』に驚く」
2008年9月13日掲載
宇宙飛行士の月面着陸訓練にも使われたという
Haleakala Craterの前に立つ父と私

ハレアカラ山頂で見た日の出とクレーターの何と壮大だったことか!
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N「マッキンリー高校のルールあれこれ」
2008年10月17日掲載
マッキンリー高校のcafeteriaは食堂としてばかりではなく、
生徒の憩いの場としても利用された

ランチタイムには長蛇の列がcafeteriaの外まで続いた
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O「ハワイでピアノを弾く楽しさを知る」
2008年11月19日掲載
オーディション後に手にしたナショナル・ピアノ・ギルド会員認定証。
記入されている旧姓が懐かしい。

今、弾く喜びは歌う喜びへと。
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P「ハワイのレクリエーション」
2008年12月21日掲載
アラモアナビーチのサンセット......。ゆったりと一日が暮れていく

40年前の夕焼けは今も変わらずハワイの空を染めているだろう
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Q「アメリカの大学入試制度」
2009年02月12日掲載
3年間勉強に勤しんだマッキンリー高校全景=卒業アルバムから。
左側にダイヤモンドヘッドが見える。
ワイキキにはまだ高層ホテルが建っていなかった。

マッキンリー高校は今なお伝統校として健在である。
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R「帰国前の大事件」
2009年03月14日掲載
盗まれたバッグを探し回った場所の一つ、マッキンリーの
裏庭に咲いていた黄色い花は今でも記憶に残っている。

それは「園芸」を選択していた生徒たちが育てた花だった。
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S「『ぶらじる丸』で帰国の途へ」(最終回)
2009年04月14日掲載
乗船記念アルバムに載っている「ぶらじる丸」。
今からちょうど40年前の1969年04月09日、この船で私達は横浜港へ到着した。

帰国子女としてのICU生活が待っていた・・・
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