[経済]

[揺らぐ「平等」の回復を] 山口二郎・北海道大教授に聞く 中国新聞 年始インタビュー 2008年1月5日
富を強者に再分配すれば改革と呼ばれ、弱者に再分配するとバラマキと呼ばれる
[『偽装請負 格差社会の労働現場』] 朝日新聞社特別報道チーム 2007年5月初版発行/ 朝日新聞社
[抜本改革が求められる特別会計] 公明新聞 2005年11月28日
[預金者の利息192兆円はどこへ移転されたのか] (ゼロ金利政策)内橋克人著「浪費なき成長」より転載(2000年2月、光文社)
『浪費なき成長―新しい経済の起点』(目次)内橋克人著(光文社) 2000年2月刊
[「一喜一憂資本主義」を越えて] 朝日新聞「論壇2000年総選挙」2000年6月16日
[巨額の借金の結果が、わずか0.5%の経済成長] 毎日新聞コラム「余禄」2000年6月11日
[モラルなき経営者]  佐高 信(評論家)中国新聞「いま語る」1999年5月24日

→ページのトップへ →見出しページへ


揺らぐ「平等」の回復を
持続社会へ新枠組み必要
山口二郎*・北海道大教授に聞く
中国新聞 年始インタビュー 2008年1月5日

「規制緩和で人は低賃金労働を強いられ、消費者にすらなれなくなる。市場原理の恩恵に浴する人が非常に限定されていることが、ようやく実感されてきた」
*1958年岡山市生まれ。著書に「危機の日本政治」「ブレア時代のイギリス」など。2007年末に「ポスト戦後政治への対抗軸」を刊行。

規制緩和や市場主義を柱とする新自由主義が、日本社会の奥底を揺さぶっている。格差と貧困の現実が浮かび上がり、戦後日本を彩った「平和」や「平等」の価値観も揺らぎ始めた。戦後政治の枠組みは、どんな転換のただ中にあるのだろう。「ポスト戦後政治への対抗軸」(岩波書店)で現代日本の政治構図を分析した、北海道大の山口二郎教授(政治学)に聞いた。(金子直史=共同)

戦後政治は、政治的な対立軸を無化するような強力な磁場があった。六〇年安保までは、資本主義か社会主義かといった体制選択をめぐる鮮明な対立軸があったが、その後は保守革新という対立図式はありながら、体制内の役割分担のようなものだったといえる。戦後社会の価値の基軸は平和と平等で、保守もそれを共有した。自民党が平和憲法を利用しながら経済成長を図り、その果実を政治の裁量で再分配し、一定の平等を確保した。そこに一億総中流社会が出現する。

左派は、いわば絶対正義を唱えて警告を発する役割に甘んじてしまう。公害を批判し、平和を叫んでも、結局それは自民党政治が政策を微修正するメカニスムに吸収されてしまう。そして、裁量行政や利益分配と違う別の社会システムを構想するビジョンなどは、持ち合わせもしなかった。「改革」という言葉がなぜ、新自由主義の専売特許になってしまったか、考える必要がある。消費者主権といった言葉は、生産よりも生活の充実を重視する。規制緩和や市場開放が実現すればモノやサービスの値段が下がり消費者が豊かになるという能天気な議論が、まかり通っていく。

崩れる労働基盤

でもそこで、消費者が選択の自由を享受することが自分たちの生産者としての仕事を脅かすという逆説は、意識されなかった。その利益を享受できるのは実は限られた人間だということが、今になると分かってくる。社会を批判する言葉も高度成長後の豊かさを暗黙の前提に、文明批判のようなものになつた。人間が資本主義に巻き込まれて主体性を失い消費する部品のような存在になるとされ、平等は画一化や均質化というイメージを伴うようになり、平等からの離脱が求められる。だが一億総中流を実現した豊かさの土台が一九九〇年代に地滑りを起こすと、生活の糧を得る労働の基盤が掘り崩されていく。

実は政治の基本にあるのは富の再分配だ。今の「改革」言説がおかしいのは、富を強者に再分配すれば改革と呼ばれ弱者に再分配するとバラマキと呼ばれることだ。「改革」という言葉は、それほどに偏った価値判断が潜んでいるが、私たちはそれを自覚できていない。しかし左派は何が改革かというビジョンを、自ら定義できなかった。弱者を大切にする社会を構想する対抗言説を、打ち出すのを怠ってきた。国民は、決して市場原理一辺倒の世の中を望んでいない。昨年の参院選で自民党が大敗したのは、「改革」に対する不安の表れだ。だがその気分の受け皿がない。いわば大きな政治的空白があって、右に新自由主義という巨大な極があるのに、左側は無人の野で、そこに潜在する声を誰も受け止めない。

極論唱える若者

そこに現れたのが固定化する階層秩序の現実で、それを壊すのは戦争しかないという極論を唱える論者さえ、著い世代から出てきた。それほど希望がない状況に人がいることを、真正面から受け止めないといけない。戦後日本とは、グランドデザインがなくても平和で豊かに暮らせる時代だった。だが今はそれでは成り立たない。今の課題は「平等」をいかに回復するか、ということではないか。それは競争か連帯か、といつ対立軸で言い表すことができる。短期的に自分がどれだけもうけるかを考えるのか。あるいは「平等」を軸に、他人を支えつつ自分も支えられるような持続的な社会を構想するのか。日本もそろそろ、新しい社会のパラダイムを打ち立てる時期に来ているのではないかと思う。

→ページのトップへ →見出しページへ


[『偽装請負 格差社会の労働現場』]
朝日新聞社特別報道チーム 著 2007年5月初版発行/ 朝日新聞社

これで景気回復と言えるのか?勝ち組企業の儲けの裏側、ロストジェネレーションの悲鳴が聞こえる!!
長期不況で一気に広がった「偽装請負」という雇用形態。キヤノン、松下電器産業など超一流企業までもがそんな違法行為をしていた。
労働現場にひびく若者たち非正規社員の怨嗟。
長期不況で一気に広がった「偽装請負」という雇用形態。キヤノン、松下電器産業など超一流企業までもがそんな違法行為をしていた。
2006年夏から告発報道を展開した朝日新聞特別報道チームの渾身のルポ。
<参考>キャノン会長の居直り:「格差縮小のために規制緩和を」?「労働法制変えて市場に委ねよ」?
「請負法制に無理があり過ぎる。勧告にも無理があり過ぎる。これを是非もう一回見直してほしい」。労働局に偽装請負を摘発され、二万人以上の請負・派遣労働者から数百人を正社員雇用することを決定したキヤノンの御手洗冨士夫会長は、2006年10月13日に安倍政権下で始めて開催された経済財政諮問会議で、みずからの違法行為は棚に上げて、派遣法のさらなる規制緩和を要求した。
<ドクターちゃびんの解説>安倍首相は、御手洗氏、松岡元農相、赤城農相らの不正・疑惑行為を容認している。

プロローグ 若者の死が意味するもの
「無駄な時間」/「勝ち組」メーカーがとった道/大学中退が仇に/企業側に「おいしい」システム/
使い捨てられる労働者/クリーンルームという「地獄」/守られない法律/本書の構成
第1章キヤノン「偽装請負」工場
1御手洗キヤノン
交渉拒否の回答書/知られざる実態
2製造請負の登場
「請負は便利」/期間工と入れ替わった/いつでも大量に一時的に
3宇都宮光学機器事業所の請負労働者たち
半導体露光装置/正社員と外部スタッフの「混在」/徹夜のu時間勤務/クビにするのは簡単/1年間だけ派遣契約
4大分、茨城、栃木……「偽装」の広がり
「メシを食いに行く気力もない」/遅れた偽装請負の解消/出身地・大分に工場次々/
「正杜員以上に経済合理性/偽造された業務請負契約書/派遣社員の3年後は?
5是正公約と開き直り
偽装請負解消を宣言/発覚と公約/「着々と直す」/総理大臣官邸で/喫緊の課題
6内部告発、そしてユニオン旗揚げ
直訴/「俺も正杜員になってほしいが……」/東京ユニオンヘ加入/労働局に申告/旗揚げ/回答書/ビラまき
7キヤノンはどこへ行くか
衆院予算委員会/「公約」の優先順位は/集中砲火/国会公聴会で「御手洗さんに聞いてほしい」/
「終身雇用」の意味/「我田引水ではない」「矛盾はない」
第2章松下の超奇策
1「幸之助」と「偽装請負」
2謎の「大量出向」
茨木工場を駆けめぐった不思議な噂/大量出向という"奇策"/労組は逃げ腰/「脱法行為のつもりはない」/
誰の発案なのか/不可解だった日経記事/ご都合主義の会社側の主張/労働局の「クロ」判定
3兵庫県の「大盤振る舞い」
「三重ショック」に匹敵する巨額補助/「松下は交渉上手」/
派遣向け補助金受給の直後に請負に切り替え/食い違う松下と兵庫県の言い分
4内部告発への仕打ち
父の死/内部告発/仕打ち/法廷/闘い
5リストラで「偽装請負」が拡大
鹿児島の100%子会社/請負ではあり得ない請求書/電話で「3人お願いします」と要請/社員リストラが拍車をかけた
6幸之助哲学と矛盾はないか
第3章巨大請負会社の盛衰
1急成長した業界
実態不明/6000億円企業
2拡大路線を支えた原動力
京都で産声/きめ細やかな顧客サービス/身内で競う/杜長になったり平社員になったり/人生一度は社長
3内部資料が語る「転落」の軌跡
人集めが困難に/逆回転を始めた歯車/人心離れ
4摘発から「身売り」へ
コラボレート誕生/追及/事業停止命令/身売り
第4章偽装請負が「安全」を脅かす
1提出されなかった「死傷病報告」
けが人に掃除命じる/「解雇通告」/北海道から「出稼ぎ」/労災隠し/
軽い気持ちで「出勤扱い」/偽装請負で安全責任あいまいに/採用から除外され、解雇
2「労災隠し」が行われる理由
労災認定の有無で天国と地獄/労災隠しの原因
3「事故が起きた場所が違う」
抗議で労災に切り替えたが……/「労災とばし」/偽装請負していた幽霊社員/製造業で労災隠しが増えた理由/行政が動いた
第5章脱「合成の誤謬」へ
みんながやると……/偽装請負は犯罪/正社員化がひとつの解決策/キャリアアップ
あとがき

→ページのトップへ →見出しページへ


[抜本改革が求められる特別会計]
公明新聞 2005年11月28日

2003年2月、塩川財務相(当時)が「母屋(一般会計)でおかゆをすすっているときに、離れ(特会)ですき焼きを食べている」と批判し、財務省が特会見直しの検討に着手した。同年11月には、財務相の諮問機関・財政制度等審議会(財政審)が7特会の廃止検討などを提言したが、具体化には至らなかった。衆院選後の経済財政諮問会議で民間議員は、「撤退、民間委託以外の特会は原則として廃止し一般会計に吸収する」などの原則を示し、財務相に国民の納得する改革案をまとめるよう求めた。

→ページのトップへ →見出しページへ


[預金者の利息192兆円はどこへ移転されたのか]
『浪費なき成長―新しい経済の起点』内橋克人著(光文社) 2000年2月刊

ゼロ金利はあたかも景気をよくするためのものだと信じ込まされてきました。それは確かに、その一面もあります。バブル時代の負の遺産として巨額の借金、有利子負債を抱えている企業にとっては救いの神になっています。金利が1%上がれば、破綻の心配があるという企業もたくさんあります。そういう企業にはゼロ金利こそは神の恵みでしょう。ゼロ金利によってかろうじて破綻を免れているわけですから。

しかし、それは一面であって、全体ではない。「ゼロ金利に耐えてください。預貯金をしているあなたがたに金利は払えませんが、これも景気をよくするためです」と金融当局、日銀はいいつづけてきました。しかし、ゼロ金利が景気をよくするかというと、必ずしもそうはならない。政府は国民に向かって消費の拡大が景気回復のカギだといってきましたが、いまやゼロ金利はあきらかに消費を抑制する方向に働いているからです。

数字がはっきり示しています。家計・個人が受け取る利息の額が最大だったのは1990年です。それと比べての現在の数字が、あるシンクタンクの調査によって出ていますが、192兆円も減っています。この192兆円*という国家予算の二倍以上にも相当する巨額のお金は本来、家計・個人が得べかりし所得だったのです。192兆円のうちの何割かは消費に向かうはずなのに、それが入ってこないわけですから、消費が回復するはずがないし、拡大するわけがない。これが一つ。

*ドクターちゃびんの解説:2006年3月現在では、すでに300兆円を越えていると言われています。

もう一つの問題はこの192兆円がどこへいってしまったかをみればわかります。かねてから私は公定歩合の引き下げは、家計・個人(生活者)から会社・企業(生産者)への所得移転であると指摘してきました。その192兆円は本来、銀行が支払うべきものですから、そっくり銀行という企業側に所得移転されてしまったということになります。銀行は、それを銀行もしくは銀行関連企業の不良債権処理に充当してきた。

それでも足りなくてさらに巨額の公的資金、税金がつぎ込まれたのです。税金というものは個人・家計からの国への所得移転であり、それを原資とした公的資金投入は国から生産者、金融機関への所得移転ということになります。これにこれまでの国債の利息(99年度11兆4000億円)を累積加算すれば、らくに300兆円を超えて、国債残高334兆円に奇しくも符合することになります。国民一人ひとりの負担はほとんど銀行救済のために回されたという仕掛けになっているわけです。

そういう強烈な所得移転を行うことで、大企業には潤沢に資金が回った時期もありましたが、ではそれで景気がよくなったのかというと、そうはならなかった。生産者セクターへとお金が集中的に傾斜配分された時期に大企業は一斉に生産設備を過剰に拡大させた結果、いまや産業界は「過剰設備」という不良資産を抱えて身動きがとれない。あげくはリストラという名目の大量解雇によって身軽になろうとしているわけです。これで消費の拡大を要求するのですから、やはりまともではない。「生活者セクター」から「生産者セクター」への所得移転が止まらないのは、戦後日本の一貫した経済構造でしたが、その経済構造の軋みや歪みを必死に糊塗してきたのがゼロ金利政策だったともいえます。

さらに、このゼロ金利政策がアメリカとの4%金利差にからむだけに事は複雑なのです。ゼロ金利の背景は大変に深遠なものです。金融対策であり、生産者セクター保護であり、アメリカの要求に応えることでもある。アメリカは日本から資金を吸収しなければ、ニューヨーク株式市場の高値を維持できない。だからといって日本の生活者の所得をこのようなかたちで他国に移転しつづけていいはずはありません。

ゼロ金利政策 「おかしいぞ 日本!」(「世にも不思議な物語」より) 第五話『ゼロ金利解除』狂騒劇

→ページのトップへ →見出しページへ


『浪費なき成長―新しい経済の起点』内橋克人著(光文社) 2000年2月刊

いま、舵を切らねば日本は生き残れない

膨張大量生産、膨張大量消費、短サイクル、大量廃棄。戦後の日本経済を支えてきた「浪費型経済構造」は行き詰まり、「グローバリズム」の名のもとで進められてきた「規制緩和一辺倒論」も破綻した。そしていま、消費者は本当の豊かさを求めて人格を持つ、理念ある経済行為を価値高い生き方として選択しはじめた。二十一世紀に向けて停滞する日本経済を救うのは、もはやこの浪費しない経済成長の道を目指すしかない。

●浪費にすがる景気回復策●領貯金をハイリスク市場におぴき出す政策●規制緩和万能論に躍った経済学者●市民が阻止した多国間投資協定●浪費型社会からの脱却こそが真の「改革」●節約と成長が両立する理念型経済●市民が市場を制御する時代●「自覚的消費者」は企業の理念を選ぶ●日本型自営業の理想モデルは「バネ型」にあり●廃棄物ゼロの「産業連鎖」が新基幹産業を生む●「多元的経済社会」が始まる

[はじめに]
「三つの問いかけ」 だれのための「改革」なのか ー 90年代不況の根本を問う
節約と成長は両立しないか ー 「浪費」を煽る政策形成者
「言葉」の真意はどこにあるのか ー 「リスク社会」へのおびき出し
第1章 日本型「リスク社会」の実像
[なぜ「リスク社会」は解消されないのか]
90年代不況下で100兆円もの成長だった日本経済 、被災地神戸の復興策は日本型経済の象徴
健全な消費者を「心配性」と揶揄する堺屋太一長官 、浪費にすがる景気回復策ー経済政策の貧困 、
限界にきた「落伍恐怖症が動機の経済成長」 、善意の「職場提案」が引き起こした東海村臨界事故
「経済の成長」が「社会の衰退」をもたらす
[「リスクとコスト」を家計に転嫁する経済政策]
景気浮揚策のツケは必ず国民に回ってくる、「バブルの夢よもう一度」が経済界の本音、
家計に転嫁される「社会的リスク」の悲惨、情報格差を無視する自己責任論の桐喝
企業リストラの最終戦略は「日本型ワンコール・ワーカー」
[巧妙な「所得移転」の仕組みゼロ金利の大罪]
預貯金をハイリスク市場へおびき出す金融政策
年金破綻のからくり、赤字国債増発で税収の40%が利払いに消える
第二の国鉄に近づく国家財政、預金者の利息192兆円はどこへ移転されたのか
第2章 消費者の反乱
[歴史の必然ではない「剥きだしの資本主義」]
アメリカの一人勝ちを支えた円、「世界市場化」は本当に歴史の必然か
市民が阻止したMAI(多国間投資協定)、規制緩和万能論に躍った経済学者
市場競争原理至上主義を唱える新古典派経済学の終焉、「知的所有権」を独占するアメリカ
[「アメリカ」を変える日本]
「遺伝子組み換え食品」を巡る攻防、「アメリカなるもの」を糾す日本の消費者
「安心を売る」が第三次流通革命の核心
第3章 浪費なき経済成長の時代
[二十一世紀「理念型経済」の奔流]
節約と成長が両立する理念型経済、浪費を煽る政策形成者の愚行
「いかにものを買わないか」に知恵を絞る「自覚的消費者」、「いかにものをつくらないか」に知恵を絞る製造業
自覚的消費者は理念を購う、資源略奪型産業の衰退
[市民が「市場」を制御する時代]
ドイツの100年住宅は市場原理からは生まれない
デンマークが示した世界モデル「抑制された市場」ー「市民共同発電方式」の豊かさ
「分配型社会システム」の破綻
すべての国民がステイクホールダー(当事者)ー「グレート・ブリテン」の挑戦
[FEC自給圏の形成―始まった「多元的経済社会」] 生き残る「日本型自営業」
モデルとしての「バネ型企業」、廃棄物ゼロの「産業連鎖」が可能にする新基幹産業
食糧、エネルギー、ケアの「自給自足圏」形成、「他産地消」の農業自給圏を形成する
「企業一元社会」から「多元的社会」へー二十一世紀日本の「あるべき姿」
[むすび] 弱さのなかの強さ

→ページのトップへ →見出しページへ


[「一喜一憂資本主義」を越えて]
経済評論家 内橋克人
朝日新聞「論壇2000年総選挙」2000年6月16日

その日その日の株価や、四半期ごとに発表される国内総生産の成長率など、経済の数値に振り回される「一喜一憂資本主義」のなかに私たちは取り込まれている。とりわけ故小渕恵三・経済再生内閣の発足以降、経済は政治の手段となり、経済指標は政権維持のための格好の材料にさえなった一喜一憂資本主義は多くの喪失をともなっている。与野党ともに政治の関心は専ら自らに好ましい景気指標づくりに収斂し、細やかな日常性のうえに築かれる国民の暮らしからは遠ざかった。「改革」という言葉の前に、日常性は時に蔑視の対象となる。選挙に際して、「景気」と「改革」を掲げる政府与党は、政権維持にかかわる経済数値の改善に躍起となり、株価つり上げ、プラス成長の実現に向けて、極限まで財政資金を利用し尽くした。結果、私たちは一年に十二カ月働き、手にした所得の五・五カ月分にかかる税金を後ろ向きの「借金返済」とその「利払い」に消尽せざるを得なくなった(今年度予算)。

やがてそれは六カ月分になり七カ月分になり、ひよっとすると勤労のすべてにかかる税金を、借金返済に充てなければならなくなるかも知れない。消費税の引き上げは既定路線となり、高度負担社会への危険な門口に私たちは導かれた。一方、「改革」と「財政」を掲げる野党第一党は、財政再建めざして課税最低限引き下げを持ち出す。財政危機解決への現実路線を示すことで、野党にも政権担当能力あり、を誇示しようという。有識者の評価は高いようだ。

だが、その方法、狙いがどうであれ、問われているのは課税最低限引き下げ論に象徴される野党第一党としての思想性である。第一に、いま課税最低限に達しない階層の所得源、すなわち労働の実質に思いを馳せたことはあるだろうか。その大部分はオン・コールワーカー、すなわち雇用主の呼び出しがあってはじめて働く随意・不安定労働にあり、女性の深夜工場労働も含むその領域では、かつての同一労働同一賃金の原則はボロ布のようにうち捨てられている。賃金差別は常のものとなった「改革」の名において進められた規制緩和の副作用は、何よりもまず社会の弱い層から始まっている。たとえば、競争苛烈、長時間労働のタクシー・ドライバーの平均年収は三百万円から四百万円。児童手当拡充を受けない層では実質増税の対象となるものが多く存在する。都市中間層を票田にするため、増収分は住宅ローン減税、児童手当の拡充などに振り向ける、というのであれば、課税最低限引き下げとは、より低い所得層から奪って、ちょっとマシな中程度の所得層へ移すことにほかならない。そうであれば財政再建に役立つとも考えにくい第二に、財政再建というが、いったい何が財政危機の主因なのか。誰の負担で財政を立て直すことが社会的公正の概念に沿うのか。なぜ環境税でないのか。疑念への答えはまだ示されていない。政権欲しさに「すでにある現実」に追随することが対抗政党に求められる現実路線ではない。「新たな現実」をどうつくり出すのか、それが野党に求められる真の革新性であるでは、与野党に通底する「改革」なるものの現実はどうなのか。バブル崩壊直後からの十年、完全失業者の数は二・五倍以上に達した。失業が増大するなか、ネットバブル長者が輩出し、株価の上昇が生み出すごくわずかな投資家の成功例が「努力したものが酬われる社会」の旗手と称えられた。超低金利のもと、生真面目な預金者は酬われず、投機とも投資ともつかぬ領域へのおびき出しが経済改革のモデルとされる。

だが、どのような時代にあろうと、社会でごく普通に暮らすものの日常性を破壊することが、「改革」の本意であるはずがない。一喜一憂資本主義を超えるために有権者の選択はそこを尺度として実行される。

→ページのトップへ →見出しページへ


[巨額の借金の結果が、わずか0.5%の経済成長]
毎日新聞コラム「余禄」2000年6月11

100兆円以上の借金を積み上げ、時の首相が命まで失う心労を重ねた結果、日本の経済が得たものは、わずか0.5%の成長なのだそうだ▲国を挙げて1年間、景気、景気と稼ぎ出した総額、国内総生産(GDP)は482兆円。前年度より2兆2000億円増えた計算だ。100兆円も借金して増えたのがごれだけ。政府は「やったやった。景気回復だ」と自慢する。世にもまれな非効率。不思議な仕組みだ▲破たんした日本長期信用銀行に3兆6000億円、日本債券信用銀行に3兆2000億円、国はお金をつぎ込んだ。あわせると0.5%成長の3年分。微々たる成長のもう一つの陰の力はゼロ金利。1300兆円ある金融資産に1%今より高い金利がつけば、13兆円の利息がついた。それで余分に買い物しただけで2.5%成長できたのに▲もう一つ数字がある。名目GDP494兆円だ。物価上昇を差し引いて実質は12兆円少い482兆円になる。この物価による人為的修正幅だけで、世界一ち密な0.5%分の5倍以上ある。長年の物価調査の積み上げを反映するが、街中のバーゲンはこの物価に反映しない。もしバーゲンをいれたら5%成長かもしれない▲そもそもGDPは生産の統計。それなのに全体の6割以上は個人消費と呼ばれているもの。生産とは正反対の消費した分だ。すべての生産を調べるのは不可能なので、消費したからにはだれかが生産したはずと類推している。中古品や去年作ったものを買うと話があわなくなる。理屈は精密で立派だが、実際に調べるのは大変なのだ▲GDPは馬の前にぶら下げるニンジン。追いつけ追い越せと、10%成長の世界で生産に励むには絶好の道具だった。だが今やサービス、情報、マネーと測れないものばかり。古臭い道具にこだわると、前に進めない

→ページのトップへ →見出しページへ


[モラルなき経営者]
佐高 信(評論家)中国新聞「いま語る」1999年5月24

−ここ数年、金融機関を中心に企業経営者の倫理観の欠如が目立ちますね。

「前に、政治家にモラルを求めるのは、ゴキブリにモラルを求めるのに等しい−と発言して物議を醸したんですが、最近は、銀行や銀行の頭取にモラルを求めるのは、ゴキブリがかわいそうなくらいだ−と言っているんです。どういうことかと言うと、自らの責任でバブルを膨らませるようなことをしておきながら、『あの時代は皆がそうだった』と言って、時代のせいにす。それなら、経営者はいらないんですよ。自分の存在価値を自分で否定している。それが分かっていないんです」

「私は公的資金の導入に反対なんですが、百歩譲って仕方がなかったとしても、公的資金を受け入れたら頭取を辞めるべきだと思います。それが最低限のモラルでしょう。でも、だれもそういうことを言わないし、世論も辞任を求めないですね−日本型企業経営が崩れ始め、リストラなどで、その冷たさやゆがみがあらわになってきたような気がしますが。「企業については、『幻想』だとか、『神話』だとかがあり過ぎましたよね。終身雇用だって、いわば幻想だったわけです。でも、皆が幻想に気が付いているとは言えないと思いますよ「この間のブリヂストンの元課長の自殺にしても、こっけい感を抱くのは企業社会の外の人間です。外から見れば、何も死ぬことはないという話ですからね。でも、会社と一体感を抱いている人はまだ多いだろうと思います。ブリヂストンに限らず、会社の中と外との溝が埋まっていないんです。それくらい『企業教』というのはマインドコントロールが強いんですよ」

ーサラリーマンのこれからの生き方は。

「二極分化するんだと思いますね。今までの企業の価値観にしがみつく人と、そうでない人と。しがみつく人は、もっとしがみつく。ブリヂストンの元課長のケースを自分のこととして考えたらいい。遺書が新聞に出ていましたが、それを読んで、自分とどこが違うのか、あるいはどこが同じなのかと。そこから、スタートしたらいいと思いますね一会社に入ったばかりの若いサラリーマンヘのアドバイスは。

「私は若い人たちに、『離塁感覚』を持てと言っている。つまり、会社というベースにべったりするのではなく、少しずつ離れていく。今の状況は、そういう感覚を持ちやすいと思いますね。それで、三カ月後とか、A一年後とかに自己点検するわけです「『離塁感覚』を持つには、会社以外の人間と付き合うことです」私の友人なんかでも、会社の人とは飲まないようにしている人もいる。それから、難しいことかもしれないが、社宅には入らないこと。社宅という名のサティアンをありがたがっていては、駄目です。地域に顔を持つ、それが久野先生(二月に死去した哲学者の久男収氏)が言った自閉症ならぬ社閉症から脱出する道なんでしょうね−日本の企業社会は、個人を抑圧している部分が大きいですね。希望はありますか。

「ないですよ。私は絶望したほうがいいと言っているんです。絶望の先に、希望が見えてくるんだと思いますよ。暗さを極めないと、明るさも見えてきませんから−佐高さんは理不尽なことを許せない? 「私は基本的には人を褒めたいんです。人にしろ、企業にしろ、称揚したい人に社会の光がきちんと当たっていない。ろくでもない人に当たっていてね。私も人を褒めているんですが、褒めた本よりも、切った本の方が売れますね」(笑い) (言葉は辛らつたが、温かみのある人だ=聞き手は鷲見徹也・共同編集委員、写真・岩田望)

→ページのトップへ →見出しページへ