えびす組劇場見聞録:第15号(2004年1月発行)

第15号のおしながき

「CVR」 ザ・スズナリ 2003年11/5〜16
「ハムレット」 シアターコクーン 2003年11/16〜12/14
「宮本武蔵」 新橋演舞場 2003年11/2〜26
「nocturne〜月下の歩行者」 新国立劇場小劇場 2003年9/8〜21
「燐光群体験飛行」 CVR by ビアトリス・ドゥ・ボヌール
「青年ハムレット」 ハムレット by C・M・スペンサー
「『原作尊重』の誤算」 宮本武蔵 by コンスタンツェ・アンドウ
「新国立劇場のおかげ?」 nocturne〜月下の歩行者 by マーガレット伊万里

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「燐光群体験飛行 『CVR チャーリー・ビクター・ロミオ』
ビアトリス・ドゥ・ボヌール
 航空機のコックピット内の音声を録音するための装置がCVR(コックピットヴォイスレコーダー)である。本作は実際に起こった六つの航空機事故のCVRに残された記録をもとに、事故直前のコックピット内の様子が生々しく再現されるものである。
 内容は知っていたので観劇前に自分なりの心構えはしていたつもりだったが、ここまで重苦しいとは思わなかった。終演後は飲み物も喉を通らず、無理やり何か言おうとすると「恐かった…」としか言えないのであった。
 しかし恐ろしい思いをしたわりには不愉快な後味はなく、身の引き締まるような感覚を覚えた。一昨年の初演を見逃したことが残念でならず、再演には絶対行こうと決心していたこと、それがこんなに早く実現して嬉しい、とすら思えたのである。わたしは『CVR』を肯定的に捉えることができたのだ。
 目の前で人が殺されたり、血しぶきが飛んだりする場面はないので、そういう意味での残酷さや気味悪さはない。劇の内容が実際に起こった事実に基づいていること、大勢の人々がまさに死のうとしている瞬間を目の当たりにすること。この二点が本作の恐ろしさと異様なまでの迫力を生む主な理由であろう。
 パンフレットにはボーイング747機の各部の名称が図入りで掲載されており、航空専門用語の解説もある。初日に観劇したコンスタンツェのアドバイスもあって、開演前に少しでも頭に入れようと一生懸命読んだのだが、解説文の中にもさらに専門用語があって、とても無理だった。
 開演が近づくと客室乗務員に扮した三名の俳優が搭乗中の注意事項をアナウンスし、緊急時の酸素ボンベの使い方などを説明する。わたしたちが実際に航空機に乗ったときと同じだ。劇場ぜんたいが航空機になり、わたしたちを乗せてこれから離陸するのである。
 舞台には操縦席が作られているが、前面は黒く覆われており、機械らしきものは一切見えない。操縦士役の俳優が耳につけているマイク(?)を通した声になるためか、台詞が聞き取りにくいし、しかも専門用語が飛び交うので、航空機にどんな異常が生じ、スタッフが事故をくい止めるために何をどうしているのかがほとんど理解できなかった。
 わかるのは予期しないトラブルが起こり、飛行が困難になったこと、この危機を脱するために、乗組員たちが死にものぐるいで(ほんとうに!)乱気流や鳥の大群などの自然や、航空機という巨大で複雑な、魔物のような機械と闘う姿である。目の前にいるのが俳優であること、訓練を積み、稽古を重ねた演技であるとは思えなくなり、どうか負けないで、わたしたちを助けてくださいと祈るように引き込まれてしまった。
 取り上げられた事故の中で墜落を免れたものは第一場、九五年のアメリカン航空のケースだけで、あとはほとんどが乗組員の闘いも虚しく、多くの人々が命を落とす。
 墜落の大音響のあと暗転した舞台に映し出される「生存者なし」の字幕に胸が痛む。八五年の日航機事故の場では自分が当時テレビや新聞などで見聞きしたいろいろなことが思い出されてさらに息苦しく、涙が出てきた。
 最後の第六場、八九年のユナイテッド航空の事故場面で、乗組員たちが「これを乗り切ったらビールで一杯やりましょう」「わたしは甘党の下戸なんだが、何とかそうしたいですね」と言葉をかわす。絶体絶命の危機にあってもユーモアをもってお互いを励まし、いたわり合い、幸運を祈る温かさが感じられた。この事故はその前景までに比べれば相当数の生存者があったケースで、それが救いといえば救いなのだが、そう思っていいのかどうか、いまだにわからない。
 戯曲を読めば、聞き取れなかった台詞も多少把握できるかもしれないが、文字になるとおそらく専門用語にますます振り回され、あの臨場感を紙面から感じ取ることはむずかしそうだ。
 この一年あまり、燐光群の公演に足を運ぶ機会が何度も与えられている。お芝居を選ぶポイントが俳優中心であるわたしにとって、燐光群の作品は苦手科目であった。しかし回を重ねるごとに、深く理解し味わうところまではいかないものの、客席での身の置き方、呼吸のしかたが少しずつ実感できるようになってきた。多少慣れてきたかな、と思った頃に、今回の『CVR』でまたまた突き放されてしまった。燐光群は「いいお芝居でしたね。特にあの俳優さんが好き」などと簡単に言わせてくれないのである。
 今回のように客席を航空機の客室に見立てるところなど、「趣向」だの「試み」などと言ってはぶっとばされそうではないか。この劇場に入ったからにはもう逃げられない。これから起こることを本気で受けとめてくれというような、並々ならぬ心意気、気迫が感じられる。
 いったいなぜこんなに重苦しい芝居をみるのか。一昨年の初演は大盛況で、こうして早々と再演の運びになり、全国を巡演する。
 何が大勢の人々の心をとらえるのだろうか。
 この問いかけに対してまだわたしは明確な答が出せないが、気迫に満ちた舞台に出会えた幸せと、それを言葉にできない自分への情けなさが混じり合って『CVR』への興味を掻き立てる。
 もう一度みたい。
 コックピットで必死に闘った人たちの勇気に敬意を捧げるために、亡くなった多くの人たちの魂のために、そして自分がもっと勇気を持って演劇と取り組むために。
 (燐光群+グッドフェローズプロデュース 演出・坂手洋二+ロバート・バーガー+パトリック・ダニエルズ+アービン・グレゴリー)
 (十一月十五日観劇)

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「青年ハムレット」
C・M・スペンサー
 シェイクスピアのあまりにも有名な戯曲『ハムレット』、私にとっても観劇の機会の多い作品であり、今年だけでもジョナサン・ケント演出、野村萬斎のハムレットに続き、二作目の観劇である。今回の演出は蜷川幸雄、ハムレットは藤原竜也。
 両作品に限って述べれば、同じ河合祥一郎の翻訳を使用していながらも、それぞれ大変特徴のある舞台だった。萬斎『ハムレット』では、野村萬斎があるインタビューで述べていたのだが、全員男性が演じて「原点に戻る」作品であるという。その「原点」をキーワードにするならば、蜷川演出ではハムレットに若い役者を配することによって、若い王子であるがゆえの苦悩が見える作品となった。
 シアターコクーンの劇場内を前後に二つに分けたその真ん中に帯のような舞台をつくり、天井から舞台上まで、まるで牢屋のごとく四角く金網が取り囲んでいた(舞台美術は蜷川演出には欠かせない中越司)。時々役者は舞台の袖以外からも金網の一部を扉のように開閉して出入りしていた。蜷川演出では、客席の通路もふんだんに使用して役者が舞台上に登場するのが見所でもある。役者が劇場内を縦横無尽に歩き・・・と言うより、客席を含めた劇場全部を舞台に見立てて、その真ん中に金網に囲われた閉塞感ある空間がぽつんと存在しているというような具合である。そう言えば公演チラシに「シアターコクーンならでは、シアターコクーンしか出来ないダイナミックな舞台にご期待下さい。」と書いてあった。コンスタンツェは両側から見たいと言って、二回分のチケットを取っていた。フェンスと呼ぶべきなのか、金網にハムレットが体当たりしたり、登場人物が金網越しに会話をしたりして、常に何か隔たりを感じさせられた。前から四列目という舞台に結構近い席からでも、真ん中に遮るように存在する金網を通して役者の動きを見るのは何かすっきりしない。そんなもやもやした気持ちを抱えながら観ていた。
 さて、ハムレットに話を戻すと、いくら学者も及ばぬ深い教養があっても、剣の達人であっても、王子として育った彼は精神的にも若い青年であったことだろう。父の死後、叔父クローディアスと母がすぐに婚礼を挙げたことについて怒りをあらわにしている様子も、父と母に対する純粋な想いがそうさせているのではないか。そして父の亡霊から自分は殺されたので復讐しろと言い渡され、その言葉通りであるかを計りかねて悩んでいる姿、こんな時期のオフィーリアへの好意も、中高生の男子に好きな女子がいたとしても「今の僕にはサッカーしか考えられないから」と言うのと同様に、「今は復讐の策で頭がいっぱいだから」という世代なのだと藤原ハムレットに納得してしまうのである。
 ハムレットの策により、旅の一座に亡霊から聞いた通りに叔父クローディアスがハムレットの父を殺害する様子を演じさせ、その最中にクローディアスが取り乱すのを見て、父は叔父によって殺されたとのだとハムレットは確信した。その時、彼の顔から迷いが消えていた。そして一幕終わり。
 二幕が始まる頃には既に金網は撤去されており、劇場全体が大きな舞台になったようにすっきりした空間が生まれていた。そうか、金網はハムレットの心の壁や、もやもやの象徴だったのか、と自分なりに解釈すると、急にハムレットが大人びて見えた。
 そして藤原ハムレットは実によく動いた。全身で感情を表現していた。やはり若さ故か。いつ見ても汗びっしょりの熱演で、その感情を受け止める友人ホレイショー(高橋洋)の落ち着きが、忠臣、いや真の友人の姿を映し出していた。余談だが、『マクベス』で途中降板したきり音沙汰がなかった彼だが、最近ようやく舞台で以前にも増した存在感を表しているのは嬉しい限りである。
 若くて大声を張り上げて元気一杯なオフィーリアには、残念ながら作品の流れの中では共感し難かったのだが、特筆すべきはオフィーリアの父ポローニアスの存在。たかお鷹演じるポローニアス、受けないギャグを口にして、どこにでも現れる目障りな存在だった。従来のポローニアス像は、少々小太りの、よくしゃべるが穏やかな老人という感じであったが、たかお鷹はスリムな、宰相という立場でいつも目を光らせている、差し出がましいほどの登場ぶりだった。いい意味で、今までにポローニアスをこんなに邪魔な存在と思ったことがあっただろうか?
 「原点」ということで、若いハムレットについて書くつもりだったが、実に様々なことを感じさせてくれる蜷川『ハムレット』であった。ダイナミックな舞台ではあっても、本質を追求した、『ハムレット』という作品自体に興味を持たせてくれるものだった。精神面で大人になるのは芝居のようにいかないのは承知の上だが、藤原ハムレットの世代に見てもらいたい舞台である。
(十一月二十九日観劇)

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「『原作尊重』の誤算」
コンスタンツェ・アンドウ
 「今度は歌舞伎だ!」というキャッチコピーが気になって、市川新之助主演『宮本武蔵』(原作・吉川英治、演出・市川團十郎、演出・補綴・廣田 一)を見に行った。
 新之助は、二○○三年NHK大河ドラマ『武蔵』(原作・吉川英治、脚本・鎌田敏夫)にも主演している。同じ物語・同じ役者が、映像と舞台でどう変わるのかに興味を持ったのだが、終演後、私は二つの作品を比較する気になれなかった。それ以前に『宮本武蔵』が一本の舞台として成り立っているのか、という疑問を抱いてしまったのである。
 今回の舞台は、宇野信夫が新国劇用に書いた脚本を再構成したとのことで、関ヶ原から巌流島までの約十二年を、有名なエピソードを交えながら正味三時間十五分程度で見せる。しかし、それぞれの場面が羅列されているだけで、有機的な繋がりが感じられない。複雑に絡みあった人間関係の説明がなおざりでわかりずらく、その上、ドラマと舞台では人間関係の設定に違いがあり、ドラマしか見ていない私は混乱してしまった。登場人物が多い分、ひとりひとりの背景や感情、武蔵に与え、与えられる影響の描かれ方が薄い。本来ならば、クライマックスの巌流島へ向けて、武蔵を中心にひとつの大きな流れが存在しなければならないはずなのに、どうしようもない「ブツ切れ」感を覚えずにはいられなかった。
 演出の團十郎は、観客がテレビなどで物語の筋をある程度知っていることを前提にストーリーを飛躍させた、と語っている(筋書の記事による)。その考えには同意できないのだが、百歩譲って受け入れたとしても、作品としてのまとまりのなさが腑に落ちない。いくら原作が長いとは言え、他にやり方がありそうなものだ。不満というより、不思議だった。
 そこで、宇野信夫の脚本について図書館で調べてみた。「新国劇七十年栄光の歴史」(新国劇記録保存会・編)に、武蔵を演じた辰巳柳太郎の談話が掲載されている。辰巳が吉川英治に『宮本武蔵』の上演許可をもらいにいったところ、吉川は快諾、脚本も書くと言ったが、辰巳はそれを断って宇野信夫に脚本を依頼し、前・中・後編の三部作ができあがった…とのこと。(前編を単に『宮本武蔵』、中編を続編、後編を終編とする場合もある。)昭和二十六年(一九五一年)に、前編から上演が始まっている。
 実際に閲覧できたのは、昭和三十六年(一九六一年)明治座公演の台本四冊(前編が二冊)。貸出不可のため、じっくりと読み込めなかったが、今回の舞台(二○○三年版とする)は、宇野の脚本(宇野版とする)を「再構成」というより「抜粋」して使ったのだ、と感じられた。
 二○○三年版と宇野版を照らし合わせると、一幕一場「関ヶ原」から、二幕五場「蓮台寺野」が「前編」。二幕六場「扇屋」から、三幕三場「比叡山無動寺」が「中編」の三分の二程度まで、三幕五場「小林屋の離れ」と六場「舟島の波打際」は、「後編」の最終幕に相当する。
 つまり、二○○三年版は、三本の舞台の半分強を、必要な場面だけ切り貼りした後に、巌流島をくっつけた形になっているのだ。抜粋された部分には大きく手が加えられていないので、割愛された部分との融合ができていない。これでは、一本の舞台としての力強さが生まれる訳がない。
 「無動寺」はかなり書き換えられて、少年を斬った武蔵の苦悩を前面に押し出しているものの、すぐ次が巌流島のくだりでは、やはり飛び過ぎだろう。小次郎と戦う意味も、再会したお通との心の触れ合いも、お杉の改心も、その「過程」を省かれてしまっては、観客の胸に迫ってこないのも道理である。
 最後に吉川英治の『宮本武蔵』を読んだ。そして、宇野版が、吉川の原作に非常に忠実であることに驚いた。小説が舞台化される際は、舞台としてのオリジナリティーが加味される場合が多いが、宇野版にはそういう意図がうかがえない。小説を舞台へ正確に移行させることだけに専念した仕事のようである。(脚本執筆を断わられた吉川が、内容を厳しくチェックしたのかもしれない…あくまでも推測だが。)
 大河ドラマ『武蔵』が不評だった理由のひとつは、原作から大きく離れてしまったことだと聞く。同様の批判を避けるため、原作に忠実な宇野版に白羽の矢が立ったのだろう。確かに、二○○三年版は原作との齟齬は少ない。しかし、原作の世界が舞台の上でいきいきと表現されていたとも思えない。宇野版を無造作に切り貼りすることは、原作を切り貼りすることに繋がり、結果的に、尊重したつもりの原作を損ねてしまったのではないか。
 そんな中でも、新之助は健闘していたと思う。ドラマではやや空回りして見えた激しい演技も、大劇場の空間では違和感がない。新之助の存在が今回の『宮本武蔵』を支えたのは事実である。沢庵を演じた團十郎も、飄々とした風情と、武蔵に道を示す大きさとをバランスよく見せて印象的だった。亀治郎のお通は「しっかり者」というムード。愛之助の小次郎は、期待していたほど見映えがせず残念。段四郎(池田輝政)、梅玉(本阿弥光悦)、芝雀(吉野太夫)は、「贅沢な配役」と言えば聞こえが良いが、あまりにも勿体無い使われ方。役者が揃っているだけに、脚本のまずさが更に悔まれる。
 三幕中一番面白かったのは一幕で、武蔵と沢庵の対決はなかなか見応えがあった。二幕以降は暗転が増え、話の進みが早い割にはテンポが鈍い。「一乗寺下り松」は、歌舞伎風の立ち回りではなく、スピード感のあるチャンバラでもなく、一人ずつ出てくる敵を武蔵がゆっくりと倒してゆく意外なスタイルだったが、新国劇風の殺陣なのだろうか?巌流島では、客席を砂浜に見立て、武蔵と小次郎が通路を走り抜けるというサービスで盛り上げる。しかし、雨を降らせる演出は、雨らしく見えない上、雨の音で台詞が聞きづらくなり、あまり効果がなかったようだ。
 大河ドラマの舞台化は珍しいことではなく、最近では、和泉元彌が『北条時宗』でドラマ(二○○一年放送)と舞台(二○○二年明治座)に主演している。今回も新之助が歌舞伎役者である以上、舞台化は予想でき、充分な準備期間が取れた筈なのに、何故新しい脚本を作らなかったのだろうか。原作ファンと予備知識のない観客の両方を楽しませることは、難しいかもしれないが不可能ではない。困難に挑戦せず、過去の遺産をつまみ食いするようなやり方に、企画そのものの甘さを感じる。
 「歌舞伎だって、話は飛ぶし、ブツ切れだ」という見方もあるだろう。しかし、ブツ切れになっても生き残っている歌舞伎の作品は、その部分だけで面白い幕として成立する独立性があり、『宮本武蔵』のブツ切れとは意味が違う。また、「主役さえ良ければいいのが歌舞伎だ」という見方もあるだろう。しかし、人間と人間とが触れ合い、成長していく姿を描いた作品において、「主役だけが良い」ことは誉め言葉にはならない。
 私の頭の中で、「今度は歌舞伎だ!」というキャッチコピーが、虚しく響いている。
(十一月三日観劇)

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「新国立劇場のおかげ?」
マーガレット伊万里
 新国立劇場で「維新派」!?――一度観て以来なかなか大阪に行かれなかったが、維新派の方から東京へやって来ると聞き胸が騒いだ。大阪を拠点に野外上演にこだわってきた劇団が、今回はなんと劇場を借りての屋内公演。しかも維新派のアングラなイメージとは一八〇度異なる新国立劇場だというので、驚くばかり。
 維新派の特徴は、バリ島の伝統芸能ケチャを思わせる音楽のリズムにのって特有のことば遊びを繰り返し、ダンスとも体操とも呼べそうな動きで補う。そして他では類を見ない過剰なほどの美術装置。すべての要素が、独自の迫力をもっている。
 タイトルは「nocturne〜月下の歩行者」(構成・演出・松本雄吉、音楽監督・作曲・内橋和久)。地下の下水道で老人とすれ違った少年が、その老人(シンイチロウ)の若き頃の思い出を旅する物語。シンイチロウと恋人のカナエ、その仲間、戦前の日本から満州へ渡った激動の時代を辿ることになる。
 今回の維新派を観ていて頭に浮かんだことばは、「水の記憶」。雨の中人々の行き交うシーンから始まって、雨宿り、水たまりとたわむれる少女達、人々を潤す井戸水など、つねに水と、水の流れが人々に寄り添う。そして上空に浮かぶ蒼白い月。月光の下で展開する舞台は幻想的で美しい。太古の昔、生物は海からやってきた――そんなわたしたちの遠い記憶がゆり起こされるような懐かしさにも満たされるのだった。
 やっぱり維新派は野外がいい――そんな声もいくつか聞いた。しかし幕開きを目にした瞬間、そこにはまぎれもなく維新派が存在していた。屋外では困難なまわり舞台を使い、劇場の舞台機構をフル稼働、街や人の流れをダイナミックにつくりだす。箱に閉じこめられた窮屈さなんかではなく、四方を囲まれていることなど気にならない、維新派の異次元へどっぷりと、あっという間に浸ることができ、維新派のことばとからだと音楽が色あせることなどなかった。長い準備期間をかけ、多くの人、物のエネルギーが結実したのを肌で感じた。
 維新派と新国立劇場の共同作業は、結局、屋外か屋内かという問題に結論を出す必要はなかった。ただ、維新派に屋内での公演を決断させた新国立劇場は、彼らの存在をもっと内外に広める貢献ができたのではないだろうか。すばらしい作品も、見る人がいなければ意味がない。二の足を踏んで遠くまで行かれなかったり、それこそ維新派の名も知らなかったような観客にとって、新国立劇場での上演は、千載一遇のチャンスではなかったのか?劇場に入ると思いのほか空席が目についた。果たして観客への呼びかけは十分だったのだろうか。
 なかなか明解に語られることの少ない維新派。維新派の破天荒な個性、そこにひそむ可能性、これを機にさまざまなことを語れたのではないかと後になってしみじみ思う。観たままを自由に感じることが大事で、語ることは必要なしとするむきもある。けれど言い表しがたい表現だからこそ、情報の集中する東京から、広く認知される機会になってほしかった。演出家の口から作品についても聞いてみたかったが、他でよく見受ける上演後開催のトークショーや質問の場は今回一度もなかった。
 フランスから招聘した太陽劇団の大がかりな公演(O一年)や『コペンハーゲン』(O一年)の翻訳上演など、国立の劇場ならではの成功も記憶に新しい。ただそれらを上演に終わらせるのではなく、上演をきっかけとした演劇のもつ可能性を問い続ける姿勢、さらなる追究や、観客の発掘、教育において、具体的な活動につなげてほしい。演出家をはじめとするスタッフ、出演者、研究者などによるシンポジウムなどがあったら……。今回は維新派お楽しみの屋台がないけれど、こうした試みがあれば新国立劇場で上演することの意義は高まる。
 維新派の公演ができるような広い場所が都会ではなくなってきている。海外で高い評価を得ている彼らは、外国に行かないと観られないなんて日が来るかもしれない。私たちの記憶を携えて、維新派はどこまでも旅を続けるにちがいない。今いちど、彼らの特異性をきちんと確認したい。
(九月十二日・十七日観劇)

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