えびす組劇場見聞録:第37号(2011年5月発行)

第37号のおしながき

演劇作品タイトル 作・演出 上演情報 劇評タイトル 執筆者
若手演出家コンクール2010より
劇団May 
「晴天長短−セイテンチャンダン−」
金哲義 作・演出 下北沢「劇」小劇場2011年3月2日〜6日の期間中2回上演 『鍋とお菓子〜劇団Mayとの出会い〜』 by ビアトリス・ドゥ・ボヌール
青山円劇カウンシル#4〜Re〜
「その族の名は『家族』
岩井秀人 作・演出 青山円形劇場 
2011年4月13日〜28日
『家族が家族であるために』 by マーガレット伊万里
イキウメ
「散歩する侵略者」
前川知大 作・演出 神奈川芸術劇場大スタジオ 
2011年4月23日〜24日
『大切なこと』 by C・M・スペンサー
NODA・MAP
「南へ」
野田秀樹 作・演出 2011年2月10日〜3月31日
世田谷パブリックシアター 
『虚構の中に』 by コンスタンツェ・アンドウ
あとがき ○●○ 三月十一日以後心に届いた舞台 ○●○


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「鍋とお菓子〜劇団Mayとの出会い〜」
ビアトリス・ドゥ・ボヌール
  十日足らずのあいだに、一人の劇作家の作品を三本立てつづけにみた。
 新宿タイニイアリスでのアリスフェスティバルで、劇団タルオルム『金銀花永夜?クムンファヨンヤ?』、劇団Мay『十の果て』の交互上演、続いて下北沢「劇」小劇場で、日本演出者協会主宰「若手演出家コンクール2010」における劇団Мay『晴天長短−セイテンチャンダン−』(以下『晴天長短』)だ。
 すべての作・演出をつとめる劇団Мayの金哲義はじめ、所属俳優は複数の舞台に出演し、制作スタッフも兼ねながら、まさに獅子奮迅の連続公演であった。
 驚異的な筋力を持つ劇団であり、作品が財産演目として劇団員の血肉になっていることがわかる。
 劇団Мayは一九九三年、京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)ОBを中心に結成し、大阪を拠点に演劇や民族楽器を使ったライブ活動を行い、近年は「在日朝鮮人」という金哲義自らのルーツを全面に出した作品を連続上演しているとのこと。
 自分を何と名乗るかはその人の生き方ぜんたいに関わる大きな問題であり、朝鮮と日本の歴史や思想などが複雑にからむことも考慮し、本稿においては「朝鮮人」、「朝鮮語」と、劇中の表現をそのまま使用するものとする。
 さて『晴天長短』は、人々がケータイやパソコンを持つには少し早い時代、大阪朝鮮高級学校の運動会で、息子の応援に来た両親やそのきょうだいたち、祖母やその母親で皆からハマニンと呼ばれる曾祖母まで四世代が大騒ぎを繰り広げる六十分の物語である。
 二〇〇九年一月にタイニイアリスで初演、二〇一〇年十一月に大阪で再演ののち若手演出家コンクールに出場し、応募総数九十六名のなかから劇団あおきりみかんの鹿目由紀、劇団オイスターズの平塚直隆、手作り工房錫村の錫村聡とで競われた最終審査において、本作の金哲義が最優秀賞と観客賞をダブルで受賞した。
 ほかの三作品が演出家の手法的な面、仕掛けや絵面(えづら)が目を引いたのに比べると、『晴天長短』は運動会の一日をベタに描いたものである。「劇」小劇場のスペースを考慮してか、舞台空間の使い方や見せ方よりも、作品の熱気を客席にどう伝えるかに演出家の手腕が発揮されていると感じた。
 家族の応援は開会式の入場行進から既に度を越しており、徒競争に障害物競争と進むにつれ、仕切りのロープもおかまいなしに熱くなるばかり。息子の担任教師を酒盛りに巻き込むわ、教員リレーにアボジ(父親)が乱入して優勝するわ、そのたびに息子が血相を変えて怒鳴り込むわの大騒動のなかに、この家族が抱える深刻な確執が容赦なく曝け出されてゆく。
 開会式で流れる朝鮮語の歌を嬉々として歌うのはアボジだけで、妹たちには朝鮮語のアナウンスがまったくわからない。世代や環境によって朝鮮人としての意識は断絶と言っていいほどの溝があり、法事のやり方や結婚式の衣装からハマニンの介護まで、あのとき兄ちゃんはこう言うた、それはおまえがあんなことをしたからやないか云々の蒸し返しが延々と続き、しまいには運動会そっちのけの大激論に。
収拾がつかなくなったそのとき、息子がリレーでトップに躍り出た。とたんに議論をほっぽり出して息子の雄姿を一心にみつめ、優勝するやさっきまでの大喧嘩が嘘のように喜びを爆発させる。
 運動会の花火が太鼓の音に聞こえたのか、座ったままずっと眠っていたハマニンがゆるゆると立ちあがり嬉々として踊りはじめ、皆がそれを囲む幸福感に満ち溢れたラストとなる。
 こう書くと一見予定調和のホームドラマ風だが、前半に気になる場面がひとつあり、本作に複雑な味わいをもたらしている。
 ほかの家族がトイレや買い物でいなくなったとき、ハマニンのお守りで居残った孫娘が「うちな、今日ぜんぜん楽しぃないわ」と漏らしたのだ。答えないハマニン相手にぽつりぽつり、しんみりしすぎず、むしろ明るくさらっと話す。聞こえたのかどうか、お茶をこぼした孫娘の膝をハマニンはハンカチで拭こうとする。家族が次々戻ってきて、また大騒ぎになるのだが、彼女のつぶやきで物語を大きく展開させず、敢えて踏みとどまったところに自分は好ましい印象をもった。
 実は観劇前、『晴天長短』に対して、ある懸念を抱いていた。自分には鄭義信作・演出の『焼肉ドラゴン』がいささか情緒過多に感じられ、絶賛を博していることに違和感があったのだ。
 確かに『晴天長短』にもさまざまな問題がこれでもかと盛り込まれ、関西弁に朝鮮語が入りまじって聞き取れないところもある大喧嘩は、あたかも煮えたぎる激辛の鍋である。しかしその傍らに「うちな、今日ぜんぜん楽しぃないわ」というつぶやきがひっそりと置かれている。まるで小さくやわらかなお菓子のように。
 言ってはならない本音、心の奥底の痛みが控えめに示される様子はあからさまな意図や賢しらな技巧を感じさせず、見る者がいたずらに情緒に流されることを柔らかく制するのである。
 結局運動会ではさんざん飲み食いして騒いだだけで、問題は何ひとつ解決していない。
 一族が集まればきっとまた喧嘩になるだろう。それを繰り返して生きていくしかないのである。
 深く苦い諦念とともに、次世代への希望が控えめに感じられて、ほかの三作品にはない確かな手ごたえを得た。
 鍋はめいっぱいの満腹、お菓子はその場ではんぶん食べ、残りは心に抱えて持ち帰った。
 劇団Мayは六月にタイニイアリスでマダン劇『碧に咲く母の花』、八月に大阪で『夜にだって月はあるから』を上演する。
 夏に備え、心の胃腸を鍛えておこう。
 どちらの味もじゅうぶんに楽しみ、その味わいをできるだけ多くの人に伝える文章を書くために。

( 3月5日観劇)

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「家族が家族であるために」
マーガレット・伊万里
  家族とは、こんなにもバラバラなのかとしばし呆然となったのは、「その族の名は『家族』」を見てのことだ。この作品は、二〇〇八年に劇団ハイバイの公演「て」として上演されたもので、作・演出の岩井秀人はそのままにキャストを大きく入れ替え、青山円形劇場が「青山円劇カウンシル」と称したプロデュース企画での再々演である。
 前回の「て」(二〇〇九年の再演)を見たときは、父親と息子達の確執が重くのしかかってきた印象が強かったのだが、今回は家族全員の物語として、人生のペーソスをさらに深く感じさせるものとなっていた。
 北海道旅行から帰ってきた長女夫婦を囲んで久しぶりに家族全員が集まる日。父(大鷹明良)、母・通子(ユースケ・サンタマリア)、長男・太郎(滝藤賢一)、長女・よしこ(内田慈)、次男・次郎(荒川良々)、次女・かなこ(浅野千鶴)、祖母・菊枝(研ナオコ)。そこによしこの夫・和夫(古澤裕介)、次郎の友人・前田(ノゾエ征爾)も加わる。
 一家七人家族。そんな家族の中で、子供たちの気がかりは父親の存在だ。小さな頃に暴力をふるわれた記憶が今も子供たちの心には暗い影を落としている。しかし大人になってしまった今となっては、表面的には平静を装う。
 痴呆を患う祖母の傍らで宴会が始まる。父親がカラオケで井上陽水の「リバーサイドホテル」を熱唱している。しかし、皆の思いはかみ合うことなく、とうとう次男と父親が衝突し、恐れていたとおり宴会は台無しとなってしまう。
 子供たちそれぞれが家族を思い考えがあるところへ別々の意図がはたらくことにより、全員の心にさざなみが立ち始め押さえきれない感情となって吹き出す。家族といっても一人一人の人間の集まりで、大人になれば家を出て別の場所で違う生活を送る。今更、この家族に再生などあるのだろうか?
 または、もともと血のつながらない夫婦。ここでの父と母・通子は過去の諍いから、別れを口にするも結局は日常に戻っていく。血のつながりのある子供を介して続く夫婦の形。
 ユースケ・サンタマリアが、朗らかな母親をリアリティとは違う存在感で好演している。家族を温かく見守る母親は岩井作品において特別な存在だ。男性が演じることによって、強さと、とぼけた味わいが加わる。
 対する父親は、次男に父としての態度を問いつめられても、「うれしい」とか「悲しい」とかいうばかりで、まともな返答ができない。ただひとつ、血がつながっていることを強調するあたりを見ていると、所詮家族とは血がつながっているだけの他人という言い方にも感じられてむなしさを増長していた。
 作品の一つの特徴としては、伏線を後から種明かしするように時間の流れを入れ替えていて、舞台に緊張感が生まれていること。同じ場面が繰り返されても、時間を巻き戻した後に見える光景は以前とはまったく異なって見えるのが面白い。(実際、シーンによっては演出を変えることもしている)そこから得られるのは、事実だと思い込んでいたことがまるで違ったということ。
 次男の視点から描いた後、同じ場面を長男の視点で描いたりする。すると、父親の暴力の影響で心に深い傷を負い自分の殻にこもっているかに見えた長男が、実は常日頃から祖母の世話をやく思いやりをもった青年だということが見えてきたり、弟や妹につらくあたるのも、都合良く家族のことを口にする彼らに対する抵抗だったということがわかる。
 ぎくしゃくする家族の仲をうまくとりもとうとするかに見えた長女の姿も、実は夫の姉との折り合いが悪くて体よく帰京してきたのであり、祖母への見舞いもたまにしかやって来ないことがしだいに明らかになる。
 やはり家族はちぐはぐである。決定的だと感じたのは、亡くなった祖母・菊枝の葬儀のシーン。葬儀では一つの家族として参列するし、ふつうの家族を演じる。しかし全員がバラバラの方向をむいて、大声で讃美歌を歌う姿に表れている。最後の場面で菊枝の棺の中から、ささやくように歌う讃美歌が聞こえるのになぐさめを感じた。
 この家族に関して結局和解はない。それでも家族として彼らは日々生き続ける。どんな家族でも一つや二つの事には目をつむり、何事もないかのように過ごし、外から見た限り違和はまったくないのだろう。逆に家族だからこそ、血のつながりがあるからこその思い一つで、和解などなくても続く、いや続けるしかないというあきらめにも似た思いで劇場を後にした。
(4月20日観劇)

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「大切なこと」
C・M・スペンサー
  東日本大震災の直後、首都圏では、まず交通が困難になった。一斉に鉄道が止まり帰宅できなかったものの、テレビに映し出される被災地の映像と報じられるニュースを、これが現実だと本当に受け入れられたわけではなかった。
 初めての計画停電に翻弄されることで、事態の大きさを身を持って知ることとなる。東京とベッドタウンをつなぐ大きなパイプである鉄道が終日運休という「まさかの出来事」。数日を経ても今まで通りの日常を送ることができない不便さを身近なものとし、見通しの見えないことで不安という傷跡が残った。
 震災からおよそ一ヶ月を経て、観る側もようやく平常心を取り戻しつつある。私にとっての平常心とは、作品に対してこうやって向き合えることだ。横浜にある神奈川芸術劇場で上演されたプレビュー公演、イキウメの『散歩する侵略者』。共感というより共鳴という感覚を抱いた。
 イキウメの作品には多くの若い観客が関心を寄せる。情報量がかなりあるのに、上演時間は二時間ほどだ。その鍵は場面転換にあると見た。全ての場に常に存在している舞台装置が使われており、転換の際には各場の登場人物がまるで見えていないかのように互いの傍らをすり抜け入れ替わる。そして全く異なる空間へと話が続く。観客の想像力に委ねたその手法は、同時に神秘な世界を生み出していた。
 『散歩する侵略者』は再演を重ねた作品だけあり、完成度の高さがうかがえる。物語は、宇宙人の調査員が人間の体を乗っ取り、侵略に向けた調査を行うというSFの要素の入った設定である。三人の調査員の任務は、街で出会った人々から言葉ではなくモノの「概念」を奪い、持ち帰ること。その行動がタイトルというわけだ。
 同時に、奪われた人々からはその「概念」が跡形もなく消え去ってしまう。例えば家族の絆や血縁という概念を無くした当人には、同居する家族は他人と同じ、その存在が疎んじられるといった具合である。
 一方、固執していた所有という概念から解き放たれた者は、戦争は無意味だと平和を訴えるために立ち上がった。しかしこれを安易に良しとしていいものか。そのものの意味を理解した上での行動か、作者は問いかけることを忘れない。
 さて終盤、白紙の状態から学習した宇宙人たちは、概念を蓄積することにより任務を終えようとしていた。夫の不自然な変わりようから状況を察した妻。彼女は最後にある「概念」を奪って欲しいと夫に懇願する。散歩しながらでは見つけられない本当に大切なモノ、与えられるのは自分しかいないのだと主張した。それは「愛」について。壊れかけていた夫婦の関係。皮肉にも宇宙人に乗っ取られた彼を妻は再び愛したのだ。
 彼女の与えたモノの意味を知らずに奪った「愛の概念」。その直後の彼の様子に、私は心から泣いた。
 作・演出の前川知大は、言葉以上に大切な「概念」を理解すること、その根底があってこそ行動に意義が伴うことを示唆している。「ありそうでないこと、でもありそうに思えること」という前川の描く世界感は、観る者に想像することで生じる大きな可能性を提示しているように思うのだ。それは想定する力と呼ぶべきか。今や「想定外の出来事」と言えば責任を問われぬ風潮があるが、そんな言い訳を一蹴するような力強さを感じた。
 観る者が想像するに難くない状況設定。ありそうでなかった非常事態が今この時であり、すべきことは何か。ここで描かれているのは普遍的なことだと気付くだろう。最後に奪った「愛」という概念がどんなに大切なものなのか、知ってしまった彼の奪ってしまった彼女への想いに多くを語る必要はない。泣き崩れる彼の姿に胸が熱くなった。
(4月24日観劇)

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「虚構の中に」
コンスタンツェ・アンドウ
  「消化できないな」…というのが率直な印象だった。NODA・MAP第十六回公演「南へ」。火山観測所へ赴任した新人観測員の男と、火口へ飛び込もうとしていた自殺未遂の女を中心に、時空を超えた物語が展開する。
 一つで一本の作品のテーマになりそうなことが、様々に形を変え、重なり合って表現される。「これはあのこと?」「それは何のこと?」と考えを巡らし続けたものの、まとまらないうちに、幕が降りてしまった。
 悔しさも手伝って当日券での再見を考えたが、ひとまず、戯曲が掲載された雑誌を注文した。公演に合わせて戯曲を出版する(できる)計画的な仕事に感謝である。
 雑誌が配達されたのは、三月十一日の午前中だった。この日以来、日本中の人々があらゆる局面で「決断」を迫られることになる。
 私は、十二日と十三日の歌舞伎のチケットを持っていた。十二日は中止されたが、再開された十三日の公演は、家と劇場が近いこともあり、予定通り見に行った。
 上演するか、中止するか。最終決定者の信念、関係者の心情、企業の利害、安全性、電力不足。「理由」はそれぞれ異なるだろうが、どちらを選ぶにも「覚悟」がいる。私は、「理由」ではなく、その「覚悟」を尊重し、幕が開くのなら、できる限り見ようと決めた。それが自分のためにもなる、と漠然と感じていた。
 「南へ」は、十五日に再開された。偶然とは言え、舞台上で繰り返し地震が起こる作品であるだけに、更なる「覚悟」と、周囲を納得させる強さが必要だったに違いない。
 まだ戯曲を読んでいなかったが、二十三日に劇場へ向かった。「もう一度見たい」という当初の思いと、「この作品に対して自分が違う感情を抱くだろうか」という思いがあった。震災後既に三回劇場へ入り、度胸も付いていたし、一個人として、自分の心と生活を真っ直ぐに保つためには、いつものように舞台を見ることが不可欠だという実感があり、迷いはなかった。
 当日券売場でキャンセル待ちを勧められ、開演五分前に渡されたチケットは、関係者用とおぼしき席だった。どの劇場も客足が鈍っている。
 開幕からそれほどたたないうちに、地震の場面になる。何も知らずに見に来た人には、やはり刺激が強いのでは、と思わずにはいられなかった。地下鉄サリン事件を題材にした前々作の「ザ・キャラクター」でも感じたことだ。
 物語が進むと、前回は答を探しながら見ていたものが、すんなり何かと繋がっていった。火山は原発のように思えたし、 噴火を触れまわる「狼少年」からは、東電の計画停電を連想した。
 「安全」を信じたい人々、信じ込まされる人々。扇情的な情報ばかり垂れ流すマスコミ、そんな情報を無意識に求める無責任な人々。「何か」は、作者の描こうとしたものと同一ではないのだろうが、現実とリンクする部分の多さに改めて驚いた。
 一方で、天皇制と日本人の関わり(後日戯曲を読んだ時は、ここに最も大きなウエイトがあると思った)、太平洋戦争、北朝鮮などに関する部分の印象は、やや薄くなった。やはり、二回目でも全てを消化できたとは言いがたい。
 しかし、それで良いのかもしれない、と思った。舞台上で起こる多くの出来事は、演劇的カタルシスに融合・昇華されることなく、個々に問題をはらんだままで終わる。その終わりは始まりにも似て、理解や結論よりも、思考の継続を促すかのようだ。いつ、何について考えるかも、観客に委ねられる。
 野田秀樹は、雑誌「AERA」の原発関連記事に対する異議として、エッセイの連載を中止した。この行動と彼の作品には一貫性がある。常に疑問を持ち、それを発していく姿勢は、表現者としての信頼に繋がると思う。
 ひとときの夢や希望を描き、観客に明日への活力を与えることは、演劇の大きな力である。また、口当たりは悪くとも、現実を投影し、観客に考える機会を与えることも、一つの役割である。(ただし、直接の関係者の心理を急に刺激することのないよう、ある程度は事前の情報提供が必要だろう。)
 その両方が共存し、観客が自由に選択できる状況が、文化的に豊かな環境と言えるのだと思う。
 新しい作品ばかりではない。過去の作品、見慣れた作品が、それまでとは別のメッセージを発することもある筈だ。
 演劇にはニュースのような即時性はない。作り手の考えが強く反映され、公平性を欠く場合もある。しかし、虚構というフィルターを承知の上で、観客が能動的に真実を見いだそうとすることは、貴重な行為だと思う。そして、演劇から享受したものを、観客自らが発信することも、今後求められてくるのだろう。
(3月6日・23日観劇)

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 3月11日以後心に届いた舞台  

エレファントムーン『劣る人』。高熱を発して荒々しく乱れた日常が再び平熱にもどる過程を淡々と。今の日常は舞台であんなことが起こる前と同じではない。あの日の前には決して戻れないのです。(ビ)



◆「熊谷陣屋」で泣くようになったのは、何歳の頃からだろう。いつも「十六年は…」でぐっとくるのだが、今回は「有為転変の…」で舞台が見えなくなった。満開の桜の下で、人と人の別れを思う春。金丸座にて。(コン)



観て緊張が解かれたのは、和洋問わず舞踊公演でした。「見る」ことそして自然に耳に入る音楽を「聴く」ことで、舞う美しさを楽しむ。大変な想いをした人々に、ひと時だけでも安らぎを。見せてあげたいと思いました。(C)



劇場客席に座る時、しばし緊張が続く。しかしどこでも主催者からはていねいな挨拶や避難経路の説明をもらい、いつのまにか舞台の世界に浸っている自分に気づく。公演を続ける皆さんの思いに感謝。(万)

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