えびす組劇場見聞録:第40号(2012年5月発行)

  第40号のおしながき


観劇するうちに幾度となく出会う作品があります。時には再演であったり、全く新たなアプローチであったり。
私たちの観劇人生を共にする、そんな作品と出会いについて語ります。


演劇作品タイトル 作・演出 上演情報 劇評タイトル 執筆者
加藤健一事務所第八十一回公演
「ザ・シェルター」「寿歌」二本立て
北村 想 作
大杉 祐 演出
下北沢本多劇場
2012年3月2日〜11日
「あの日」からの『寿歌』が示すこと by ビアトリス・ドゥ・ボヌール
「かもめ アントン・チェーホフ 作 日生劇場、サンシャイン劇場、他 わたしのかもめ by C・M・スペンサー
シス・カンパニー公演
「ガラスの動物園」
テネシー・ウィリアムズ 作
長塚圭史 演出
シアターコクーン 
2012年3月10日〜4月3日
普遍と変容 by マーガレット伊万里
「ぢいさんばあさん」
宇野信夫 作・演出 新橋演舞場
2012年2月2日〜26日 
流れる年月とともに by コンスタンツェ・アンドウ
あとがき ○●○ 40号によせて ○●○


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「あの日」からの『寿歌』が示すこと
ビアトリス・ドゥ・ボヌール
  北村想の『寿歌』(ほぎうた)は、一九七九年十二月、T.P.O師★団によって名古屋の座・ウィークエンド、つづいて鈴蘭南座で初演された。北村が鬱病に苦しみながら稽古用の台本として書きおろし、演出も担ったものである。
  それから三十年以上の年月を経て、本作は八十年代の小劇場演劇ブームのさきがけであると同時に、現代演劇の古典として位置づけられる北村の代表作となった。
  プロ、アマチュア問わず多くの劇団が上演し、とくに東日本大震災と福島第一原発事故以降は、東京乾電池、シス・カンパニー、加藤健一事務所と、時を得たかのように公演があいつぐ。
 シス・カンパニーについては震災前から演目が決定していたとのことだが、北村はこの公演のためにプロローグの一場を書き加え、演出の千葉哲也は、これまで多くの上演で行われている「この日より氷河期始まる」という終幕のト書きを映像などで客席に示す方法を採らず、もの憂げなタンゴを流した。本作がいまもなお劇作家や演出家の創作意欲をかきたてる特別なものであることがわかるが、その試みの効果は心許なく、「あの日」以来はじめてみる『寿歌』だという意気込みは空振りに終わった。
 つづく加藤健一事務所は八十一年から数回にわたって本作を上演しており、自分は前回の八十八年の公演が『寿歌』をみた最初であった。当時の記憶はもはや曖昧で、いまは解散した劇工房燐や前述のシス版もふくめてこれまで三回の『寿歌』歴がありながら、いまだに明確な手ごたえは得られていない。
 核戦争後、残りもののミサイルが飛びかう関西の街を、家財道具を積んだリヤカーを引きながらさすらう旅芸人ゲサク(加藤健一)とキョウコ(占部房子)は、謎めいた男ヤスオ(小松和重)と出会う。ヤスオはさまざまな奇跡のわざを行うが誰も救えないままエルサレムへ去り、ゲサクとキョウコはモヘンジョ・ダロを目指す。
 ことさら新しい趣向はなく淡々と進行する舞台の終幕で、思いがけないことが起こった。ト書きの「この日より氷河期始まる」を明示しなかったのはシス版と同じだが、放射能の白い灰が雪のごとく舞い落ちるなか、ゲサクとキョウコがリヤカーを止めてこちらをみつめたそのとき、期せずして客席から拍手が起こったのだ。
 カーテンコールの拍手ではない。歌舞伎やミュージカル、オペラの見せ場ならともかく、まだ幕が下りていないうちの拍手はある意味で勇み足なのだが、これは舞台に対する観客の意志表示、応答であり、やむにやまれぬ衝動のあらわれではないか。『寿歌』をみたかった、待ちわびていたのだと、それまで気づかなかった、あるいは抑えていた思いが溢れだしたのだ。
 核戦争が終わり、街が廃墟となってもこの世は続く。ええかげんな関西弁で、怪しげな芸をしながら明日も生きてゆくゲサクとキョウコを、客席は拍手をもって祝福したのである。
 初見から二十年以上たって、やっと『寿歌』に出会えた。小劇場演劇ブームの起爆剤、現代演劇の古典、北村想の代表作という知識や観念としての『寿歌』が、生き生きした舞台としてはじめて心に届いたのだ。
 震災直後、自分はエレファントムーン公演『劣る人』(マキタカズオミ作・演出)において、震災に動じる様子を少なくとも客席にまったく感じさせない劇世界に救われ、パラドックス定数が『5secons』と『Nf3 Nf6』(野木萌葱作・演出)を一回も休演せず、翌月に追加公演まで行う堅実な姿勢に背筋が伸びる思いであった。いつもどおりのことをいつも以上にやる。演劇人の意地であり、心意気であろう。
 そのいっぽうで、震災に動揺して右往左往のあげく、混乱の極みにおいて生み出された作品が演劇状況を活性化していることや、震災をいわば足がかりに独自の劇世界を構築しようとする動きもみられる。しかしつぎつぎと発表される舞台のうち、一過性ではなく再演に堪えうる作品がどのようなものであるかは、冷静に見極めなければならないだろう。
 加藤健一版にしても何度も上演している「いつもどおり」の安定感だけでなく、「(こういう状況での上演は)ちょっと悲しい気持もあり、複雑な心境」(公演パンフレット)も入りまじって、想定外の状況で「いつも以上」が期待される重圧や自問自答の苦悩があったと察せられる。
 舞台の好印象は、単に客席のムードに流されただけだという可能性もあるが、逆にシス版が不完全燃焼だった理由を考えてみると、「あの日」が自分の『寿歌』観を変えるのではないかという期待に甘え、その舞台が予想外につかみにくいことに困惑して、心のうちへ意識が向かなかったためと思われる。
 東西冷戦やチェルノブイリ事故、阪神淡路大震災、そして「あの日」を経て本作が再演をくりかえしてきたのは、軽やかな作風のなかに上演の必然性をしたたかに秘めており、その劇世界を多くの作り手、観客が求め、愛してやまないことの証であろう。
 おそらく「あの日」から無意識のうちに何かを求めつづけており、それが加藤健一版『寿歌』の終幕における拍手によって気づかされ、呼び覚まされたのだ。求めていたのは絶望や虚無ではなく、希望であった。
 ゲサクとキョウコは通り過ぎてゆく存在ではなく、こちらに向かって歩いてくる。そして『寿歌』は今日も新しく、この悲しみと苦悩に満ちた世を、それでも希望をもって歩みつづけるのだ。     
( 3月5日観劇)

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わたしのかもめ
C・M・スペンサー
  大袈裟に言えば私の観劇人生第一歩の作品である。しかしその戯曲の偉大さ故に、何度も出会うことになった。これから先もその出会いは続くことだろう。喜劇四幕『かもめ』。言わずと知れたチェーホフの作品である。
 小学生の頃、テレビで「夏休みこどもミュージカル」を観ていた世代である。後にテレビで観ていたあの劇団の芝居が、野球のようにライブで、つまり生で観られることを知った。
一九八○年七月、日生劇場。本格的な芝居の観劇は、これが初めてだった。今にして思えばチェーホフが観劇の第一歩という、演劇少女としてなんとも王道、正統派の道のりではないか。今でも忘れられないのは舞台美術である。前から二列目の席から見える景色は、眼前に本物の水を張った湖、その奥には白樺の木が生い茂っていた。そこが舞台だということを忘れさせるほど、その情景は奥深く神秘的だった。劇団四季の公演である。
ニーナの可憐な声が響き渡り、繊細なトレープレフが傷つき苦悩している姿が思い起こされる。舞台美術は金森馨、ニーナには久野綾希子、トレープレフは市村正親。記念すべき初めて買ったプログラムが見つかった。ページをめくると、演出はアンドレイ・シェルバンとある。今にして思えば意外だが懐かしいついでにプログラムから紹介すると、その一昨年前にも同じ演出家で『桜の園』が同劇団で上演されていた。『かもめ』の配役は演出家の指定だという。そんなキャストも三分の一が故人となり、現在劇団に在籍しているのはトリゴーリン役の日下武史とアンサンブルの丹靖子の二人だけか。舞台美術のリアリティを越えた美しさと、生身の人間が物語をそこで生きているという演劇の洗礼を受け、魅せられた。
 時を同じくして、近くの市民会館で全国公演中の『コーラスライン』という魅惑的なミュージカルの世界に出会ってしまった。当時は私にとって劇団四季が演劇の全てだったため、次の『かもめ』に出会うのに七年かかった。同じ作品を全く異なるカンパニーが演じるとどうなるのか、確かそんな興味で次なる『かもめ』に足を運んだ。
 一九八七年、サンシャイン劇場。文学座公演。幕が開くと、演出家や配役よりも関心はまず舞台美術だ。眼前に広がり、客席と舞台を隔てていたあの湖が、無い。いや、舞台の奥に広がっているという設定である。配置が真逆でも成り立つのか。この時からようやく演出にも関心を抱き始めた。演出は江守徹、アルカージナに扮していたのは杉村春子である。その後も翻訳劇に登場する凛として艶やかな杉村春子が好きだった。
 一九九九年、STUDIO COCOONにて。Bunkamura十周年企画である。演出は蜷川幸雄。話題性のある配役だった。かねてより俳優としての活躍を知っていたが、トリゴーリンには、つまり作家の役は筒井康隆である。落ち着いた、渋みを利かせた声がまたいい。高名な作家そのままの存在感である。配役の妙までも観客を楽しませた作品だった。
 二○○二年、新国立劇場ではチェーホフ五作品をシリーズで、その第一弾として『かもめ』は上演された。演出はマキノノゾミ。
かつて劇団四季で観た時はマーシャとして登場していた三田和代のアルカージナ。時を経て同作品での再会、これぞ『かもめ』ならではである。ニーナには田中美里。俳優自身の姿と重ねてしまった。笑顔のなんと儚いことか。しかし終盤、トリゴーリンに捨てられ、旅回りの一座で女優を続けるニーナには、女優として生き続けることへの力強い信念が感じられた。かつての恋人の結末を哀れんでいたトレープレフのショックが伺い知れる。作家として名が売れたものの、自身の力量と弱さを思い知った彼の絶望。随所に説得力が感じられた作品だった。
 二○○四年には、二つの『かもめ』に。
 まずはTPT。この頃はルヴォーやアッカーマンの築いた軌跡から、若手のクリエーターが頭角を現した時代に突入していた。演出は熊林弘高。ベニサン・ピットという閉塞感のある空間で、与えられた環境の中でしか生きられない時代の人々、彼らの生き様において、何が喜劇なのかを考えさせられた。
 もう一作は、文学座が企業と提携して、短編化の試みと称して試演会形式で上演した作品である。演出は小林勝也。劇中、対話式に解説しながら、演劇に馴染みのない観客にも作品に親しんでもらおうというネライが感じられた。
 そして二○○八年には、ホリプロ主催の公演が赤坂ACTシアターで上演された。所属俳優が中心となり居並ぶ配役は、既に劇団のようである。あとは演出家だけか。演出は栗山民也。ニーナとトレープレフに美波と藤原竜也という見目麗しい配役だった。印象に残ったのも、そこだった。
 二○○九年、ベニサン・ピットというホームグランドを失ったTPTが、再び『かもめ』を上演。劇場となる場所は、上野不忍池水上音楽堂。登場人物と同じ空気を感じながら観ることができるのかと、屋外での上演に心が躍った。手前に湖、中央にはきらびやかな室内のセットが暗闇に浮かび上がる。美術は朝倉摂。どうしたことか、人物の行動がしっくりとこない。斬新さ故なのか。トレープレフは自殺しない結末と、なぜそこで歌い踊るのか、まさかとは思うが「喜劇」として笑い飛ばしてもらう意図なのかと滑稽な展開に思いを巡らせた。演出は門井均。
 運命が生まれによって定められた時代の人々の生き様を『かもめ』を通して私は見たいと思う。そこに自身の生き方を重ねて、時には失望、時には希望を見出せれば。これが演劇の虜となった私の喜びである。かもめに導かれ、新しい世界を知ってしまった私は、次はどこへ導かれるのだろうか。

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普遍と変容
マーガレット・伊万里
  久しぶりに出会う「ガラスの動物園」。出演者の顔ぶれを見ただけで、登場人物の雰囲気にぴったり、成功まちがいなしといった風情で安心して席に着いたが、ふたを開けてみれば驚くような仕掛けも用意されていた。(翻訳・徐賀世子、演出・長塚圭史)
 アメリカ現代演劇作家テネシー・ウィリアムズの初期作「ガラスの動物園」。一九四五年にブロードウェイで初演後、世界中で繰り返し上演される名作だ。
 舞台は一九三〇年代のアメリカはセントルイス。登場人物は、劇の語り手である青年トム(瑛太)、トムの姉ローラ(深津絵里)、母親のアマンダ(立石涼子)の三人家族。父親は家出したきりで不在。
 ガラスのように壊れやすい心をもつローラは、内気でふつうの社会生活になじめず、ガラスでできた動物の置物との世界にひたり、自分の殻に閉じこもっている。アマンダは過去の華やかな頃の思い出にすがるばかりで、娘によい縁談が来るのを信じている。
 母と姉を生活面で支えるトムはやがて二人を捨てて家を出るのだが、そんなトムの回想形式で物語は綴られていく。
 ある日、トムの友人ジム(鈴木浩介)が家にやって来る。アマンダの期待通り、ローラとジムの距離がしだいに縮まるも、ローラの思いは結局叶わず、親子三人の幻想も粉々に砕け散る。
 T・ウィリアムズのもう一つの代表作「欲望という名の電車」と比べると、かたやヒロインのブランチをどの女優が演じるかが最大の関心となるようなドラマティックな戯曲であるのに対し、「ガラスの動物園」は、家族の住むアパートに一人の青年が来訪するクライマックスをまたたく間に迎えるというシンプルなつくり。だが「ガラスの動物園」は上演されるたびに観客の心に新鮮な輝きを放つ。そこには家族という単位で繰り広げられる誰もが共感を呼ぶようなエピソードが散りばめられているから。父親の不在。ひきこもりのような娘と口うるさい母親との関係。家族の呪縛から逃れたい息子。そして臆病な娘が恋するときの高揚感までが、閉ざされた空間の中でガラスの置物がキラキラと輝くたびに私たちの心と呼応する。
 アパートの一室に取り残されたような三人家族を象徴する舞台は、空間すっぽり白木で囲まれている。舞台奥に大きな窓。部屋全体はほの暗い。両サイドには扉が一列に並び、全身白づくめのダンサーが出入りする。うずくまったり、伸びたり、役者の後ろでうごめき、時には部屋に家具を運び入れたり跡形なくかたづけたり(振付・古家優里)。
 今回まず驚くのはこのダンサー達の存在。トムの追憶のかけらを引き出すような存在か。長塚圭史による演出は、息が詰まりそうな家族の緊張感から解放され、いったん呼吸をととのえる「間」のようにも思われた。また、これがトムの過去の記憶だということを印象づける面もあり新鮮な趣向だった。
 深津絵里のローラは透明感があり想像通り。瑛太の声は心地良く、立石涼子の少々エキセントリックな明るさは楽しい。鈴木浩介の紳士ぶりも好感がもてた。
 私は以前一九九七年にシアターコクーンで上演された「ガラスの動物園」を見ている。アマンダを緑魔子、ローラを南果歩、トムを香川照之、ジムを村田雄浩が演じた。(訳・松岡和子、演出・鴨下信一)
 緑魔子と南果歩の印象は強く、このときもアマンダとローラのイメージが二人の女優にぴったり。それだけで十分満足のいく観劇体験であったように記憶する。
 ところがさらにさかのぼった一九九三年にも同じような配役で、同じシアターコクーンで上演されていた。そのときはトム役を筧利夫が演じているのだが、(トム以外の配役は同じ)自分が筧のトムを見たのか香川のトムを見たのか思い出せず、実はどちらのプロダクションを見たのか一瞬わからなくなってしまった。(一九九三年作品は訳・松岡和子、演出・マイケル・ブルーム)
 「ガラスの動物園」は、トムの追憶の物語であり、彼の後悔の記憶。作家ウィリアムズ自身の体験が深く刻まれた作品でもある。
 記憶というものがいかに曖昧か、自分に都合よく考えがちだと改めて思う。はっきりしない記憶ゆえに、人は何度でもそれを取り出してきて大切なものを突き止めようとしてしまうのではないか。愚かしいほどに。
 過去のものを簡単にコピーし再生することの容易なデジタルの時代にあっても、感情を伴う記憶の存在には勝てない。ただ、演劇は「今」しかありえない芸術でもある。
 戯曲が生まれたとき、それはすでに過去のものとなるが、作品を今によみがえらせることができるのも演劇の力。映画や美術であれば、遠い昔につくられた時とほぼ同じ状態で対峙できるが、演劇では、そのとき存在する役者、演出家、スタッフをはじめとするアーティスト達にしか再生できないし、そこに観客が立ち会うことでしか作品の「今」には出会えない。戯曲がいくら普遍性をもっていようとも、変容をおそれてはいけないのだ。  
(3月17日観劇)

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流れる年月とともに
コンスタンツェ・アンドウ
 同じ作品に繰り返し出会う…と聞いて、まず連想するのが歌舞伎等の伝統芸能だ。基本は「再演」で、「新作」が話題となるという点で、他の演劇ジャンルと大きく異なる性質を持つ。
  歌舞伎に通うようになってほぼ四半世紀。「歌舞伎なら何でも大好きです」と公言できれば格好いいが、かなり「役者の好き嫌い」に左右されているのが実態だ。
  全てが目新しく、漏れなく真剣に見ていた時期を経て、年月とともに「作品」への敬意と緊張感が薄れてゆく。
この役者のあの役は何度見ても感動するのに、別の役者だと爆睡…とか。あの役者が出ていたおかげで、いつも退屈な作品が楽しかった…とか。
  そんな中、今も昔も、配役を問わず、個人的に号泣必至の作品がある。昭和二十六年初演『ぢいさんばあさん』(森鴎外 原
作、宇野信夫 作・演出)。
  江戸時代、夫が同胞を切って罪に問われ、離れて暮らすことを余儀なくされた夫婦が、三十七年後に再会する、という物語。
かつての我が家で対面した二人は、総白髪で腰も曲がり、はじめはお互いを認識できない。しかし、妻(るん)は鼻を触る「くせ」を見て、夫(伊織)と気づく。
  この作品を何回見たのかは確認できなかったが、終幕では、お約束のように涙が止まらない。年をとった二人の姿はどこかかわいらしく、客席からは笑いも起こり、再会を喜ぶムードに包まれる。けれども私は、別れていた年月の重さに胸をしめつられ、苦しくなってしまう。
  伊織は、自分の短慮を後悔し続け、るんもまた、たった一人の幼子を病気で死なせたことを責め続けただろう。いっそ、違う生き方をすれば楽だったかもしれないのに、お互いを思い、三十七年待った二人。手を取り合い、穏やかな笑顔で幕が下りたとき、心に広がるのは、暖かさだけではなく、どうにもならない運命の切なさだ。
  直近の観劇は、二月の新橋演舞場。伊織は三津五郎、るんは福助、ともに初役。老人の仕種をやや滑稽に演じすぎではないかという疑問を持ったが、結局は見事に泣いてしまった。
  また、印象的だったのが、「世代交代」である。現在の最年少コンビは、橋之助と孝太郎(二○○八年三越劇場)だが、私は見ていないので、三津五郎と福助を若く感じたし、それ以上に、巳之助と新悟が演じた甥夫婦が鮮烈だった。
  甥夫婦は、幸せだった頃の伊織とるんを連想させ、過ぎ去った年月を象徴する存在であり、平成生まれの二人は、本当に若々しく、眩しかった。物語の中の年月と、自分が歌舞伎と過ごした年月が重なり、二人が登場した瞬間に、涙腺がゆるんだ。これは初めての体験だった。
歌舞伎座閉場後、確実に世代交代が進められている。淋しくもあり、嬉しくもあるが、若い彼らが、伊織やるんを演じるころ(もし見ることが叶うならば)、「歌舞伎なら何でも大好きです」と言えるようになっていたい…そんなことを思い描いた。
  『ぢいさんばあさん』は、平成では十六回上演され、戦後の新作歌舞伎としては人気作と言える。桜や月の情景を織り込んだ、平明で感情移入しやすい物語、役者が老若を演じ分ける趣向、上演時間も登場人物の数も程よく、見る側にも作る側にも外れが少ないことが、成功の要因と思われる。おそらく今後も繰り返し上演されるだろうが、作る側は、「安全パイ」に頼るだけではなく、埋もれた作品の掘り起こしにも目を向けてほしいと思う。
  『歌舞伎 新派 新国劇 上演年表』(小宮麒一編)という本がある。明治から平成までの、東京の主な大劇場の演目タイトルと出演者を、新聞より細かい字で記した年表で、これを見ると、いかに多くの作品が消費されて終わったかを実感できる。
  面白くないから再演されなかった、と言われればそれまでだが、年月を経たからこそ、輝きを取り戻せる作品もあるのではないだろうか。
  新派から新国劇、商業演劇まで幅を広げ、脚本や劇評、古い観客の記憶を頼りに、再演に値する作品を見つけて実際に上演する。それができる懐の深さを持っているのは、今は歌舞伎だけである。
  作品の中にも外にも年月が流れ、舞台が演じられる環境にも、年月が流れる。「再演」を楽しみながら、新たな「再演」にも期待して、歌舞伎に通いたい。
(2月26日観劇)

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 40号によせて  

芝居という素敵な宝物のことをより的確、より豊かに表現したいと拙いことばを綴ってきました。いま読んでくださっている「あなた」に感謝し、新しい「あなた」との出会いを楽しみに、これからもがんばります。(ビ)



◆ネット社会が当たり前になる前の時代に見聞録は始まりました。だから今でも紙面に愛着があります。自身の文章については常に劣等感がありますが、伝えることを念頭に読みやすい文を心掛けたいです。(C)



◆舞台を見に行くことに迷いは少ないけれど、舞台について書くときは常に迷ってばかりです。月並みですが、継続は力なり。続けられる場を大切にして、迷いを糧に、少しずつでも前へ進んでゆきたいです。(コン)



◆四十号までの間に日本も世界も大きく変化しましたが、舞台を通して得られる貴重な体験とともに、見聞録も年齢も重ねてゆけたらと思います。(万)

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