えびす組大福帳/過去帳2004年Part2

「えびす組劇場見聞録」の掲示板「えびす組大福帳」の、2004年分書き込みを掲載いたしました。
このページの中では、新しい書き込みから順に並んでいます。
過去帳2004年Part1・・・2004年1月12日〜4月29日
☆過去帳2004年Part2・・・2004年6月2日〜12月31日

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良いお年を! 投稿者:コン(管理人)  投稿日:12月31日(金)18時15分49秒

結局7月以降をクリアしないまま年を越してしまいます。
来年は。。。どうしようかな。。。
何はともあれ、2004年もお世話になりました。
皆様、良いお年をお迎えください!
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間違い↓ 投稿者:コン(管理人)  投稿日:12月 6日(月)00時07分56秒

下の書込み、段治郎の役名を間違えてしまいました。
権助が正解、権兵衛じゃ「四谷怪談」です。
今年は、舞台を見る毎に書き込みしようと思っていたのに、7月までしかクリアできていません。
もう12月に。。。焦る!
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7月歌舞伎座/昼夜通し 投稿者:コン(管理人)  投稿日:11月16日(火)00時22分37秒

伝説の「桜姫東文章」。平成5年国立劇場(桜姫・雀右衛門、清玄&権助・幸四郎)と平成12年国立劇場(桜姫・染五郎、清玄&権助・幸四郎)は見ていたが、やはり「いつか、玉三郎と仁左衛門で…」という思いがあった。ところが、玉三郎がおもだか一門を率いて「桜姫」を上演すると聞いてビックリ。残念な気持ちがなかった訳ではないが、見られる時に見られる物をしっかり見なければ…。
実はそれよりも、気になったのが笑三郎の配役。「葛飾のお十」あたりを考えていたが、回ってきたのは「長浦」。正直、「来たか…」という感じだった。笑三郎なら長浦をこなせるだろうとは思った。しかし、若い女形がやる役ではない。こういう役もできることを印象づけて良いものか…と複雑な気分だった。
いざ幕が開くと、予想通り、一癖も二癖もあるこの役を難なくやりおおせていた。初めは時代物の立派なお局の貫禄を見せ、実は色好みで愛人の坊主に夢中というあたりで客を笑わせる。落ちぶれてからは悋気で打算的な世話物風の女房へ…と変わってゆく様子は楽しく、それほど老けた作りにしていなかったので、少し安心した。しかし、この手の役を演じる女形が手薄になっている今、うまく使われてしまうことがないよう願う。今回は芸域の広さを見せるだけにとどめ、笑三郎には立女形の道を進んでほしい。
玉三郎の桜姫。多くをコメントする必要はないだろう。美しさと、地に足の付かない摩訶不思議さは、他に代え難いものがある。段治郎の権兵衛は、玉三郎を相手にしても引けを取らない堂々とした男ぶり。高僧としての清玄は、綺麗ではあったがやや余裕がない感じ。病みついてからの清玄は、ちょっと描き過ぎでは?吹き替えがあることを考えても…あれじゃ誰だかわからない…。右近の悪五郎が精彩を欠いた。もっとできる人だと思うのだが。
昼の一本目は「修善寺物語」。頼家の門之助に桂の笑三郎は、昨年の「競伊勢物語」でもコンビだったが、古風なムードで似合いの二人だ。笑三郎は明瞭な台詞で気位の高い女性の悲劇を演じた。できればこの役を印象づけたいところ。
昼の最後に「三社祭」。右近と猿弥は体型も似ていて兄弟のよう。二人の踊りは安心して見ていられた。
夜の最後に「四の切」。狐忠信の右近が俄然生き生きとする。猿之助という存在から最も多くのものを受け取ってきたのは、やはり右近だろう。それを、右近としてどう表現していくのか。今後に期待している。(7月中旬観劇)
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SHIKAKU(その2) 投稿者:コン(管理人)  投稿日:11月 8日(月)00時53分53秒

どの位の時間が経ったのだろう、照明が落ちると、白い壁が低い機械音を発しながら上がっていった。壁に仕切られた状態のまま作品が完結するとは思えなかったので、壁が上がること自体は予想の範囲内だったが、実際に上がっていく様子はかなり大掛かりだ。全くの暗闇ではないので、ダンサーと観客が身動きせず立ちすくんでいるのがうっすらと見えてくる。まるで無数の彫像だ。観客が、自分自身が、舞台作品のひとつの要素になっている…不思議な感覚にとらわれた。
壁が上がりきると、ロープを持った係員が観客を誘導し、スペース中央を「四角い」舞台として確保し、観客はその周囲を取り囲む格好となる。居場所を決めた私は、床に腰を降ろした。学校の体育館でバスケットボールを観戦しているようなイメージだ。
壁があった前半は、内へこもるような印象だったが、後半は四方へ広がる解放感があり、ダンサー達の動きもダイナミックに見える。しかし、ダンサーが観客と同じ高さで踊っていること、どの観客から見ても手を伸ばせば触れられるほどの近くにダンサーがいること、居場所によって見えるものが少しずつ異なることは、同じである。
ダンス初心者の私には、ダンス作品としての出来の良し悪しや、ダンサーの技量を判断することは難しい。「見た」というより「体験した」という言葉の方がしっくりする。扉が開く時の「アミューズメント」感覚は、なまじかけ離れたものではなかったのだ。
終演後のロビーでアフタートークがあった。テレビのトーク番組などでも感じたことだが、金森にはちょっと「小生意気」な雰囲気がある。言いたいことは言うし、自信家らしく不必要な謙遜もしない。これは、海外で単身活躍してきた人に共通のものだろう。
質問に答える形で、こんなことを言った。「作るのをやめたら死んじゃう。」(正確な言い回しとは異なるかもしれない点ご容赦)文章で書くとキザな台詞だ。そう思っていても、普通は口にしないかもしれない。しかし、金森は、当然のことのように、さらりと言った。私の胸にもストン、と落ちた。経験に裏付けされた自信と、無防備なストレートさ。物を作る人として、金森は信用できる…そう感じた。私は「Noism」を見続けようと決めた。スタートダッシュはミーハー根性だけでできるが、追い続けるには相手への信頼感がエネルギーとして必要だ。
次回作「black ice」は新潟まで足をのばすことにした。その公演日の一週間前の夕方、みどりの窓口で上越新幹線のチケットを買ったそのすぐ後に、あの地震が起きた。
公演は予定通り行なわれたが、私は新潟行きを諦めた。JRの迂回ルートや飛行機という手段があるにはあったものの、時間的・体力的にきつそうだった。チケットは、電話連絡の上でりゅーとぴあへ返送し、当日券などに利用してもらうよう依頼した。念のため東京公演のチケットも取っていたので、作品そのものは見ることができるのだが、やはり残念だった。しかし、生活を奪われた多くの人たちのことを考えれば、舞台について一喜一憂できるだけでも、幸せなのだ。被災地の復興を、心から祈りたい。(6月下旬観劇)
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SHIKAKU(その1) 投稿者:コン(管理人)  投稿日:11月 8日(月)00時51分22秒

幾つになってもミーハー根性が抜けない。一昨年くらいだったろうか、雑誌の記事で写真を見て「ちょっと素敵♪」と興味を持ったのが、ダンサー・金森穣だ。「ナマ」で見るチャンスをうかがううち、海外を拠点にしていた彼が、日本、それも新潟に居住して地域密着型のカンパニー「Noism04」を率いることになった。
ほどなく、第一回公演「SHIKAKU」の上演が決まった。振付・監督の金森は、さほど踊らないかもしれないし、オールスタンディングは苦手なのだが、とりあえず見ることにした。
会場はパークタワーホール。入場整理券などはなく、観客はロビーで三々五々ホールの扉が開くのを待つ。やがて、扉の前に係員が立ち、ホール内の説明と注意事項を伝える。ダンスを見るというより、ディズニーランドのアミューズメントに入るような雰囲気だ。
扉が開く。開演時間前だが、音楽が流れ、既に人が踊っている気配がする。
広い空間が白い壁で仕切られ、幾つかの部屋が作られている。壁には穴があいていて、隣の部屋を覗くことができる。しかし、どこにダンサーがいるのかわからなかったので、暫くふらふらとしてみた。
すると突然、目の前にダンサーが現われた。「あれ、この人が金森穣では?」と思ったのも束の間、そのダンサーが、私の体すれすれのところで踊りはじめた。慌てて体を引っ込めてもついてくる。ダンサーの体があまりにも近すぎて、私自身は何がどうなっているのか全く掴めない。自分の回りを何かが動いている…としか感じられず、驚くというより、怯えてしまった。ダンサーと共に私の姿も観客の目に晒されてしまったわけだが、そんなことを考えている余裕はない。おそらく顔が引きつりまくっていただろう。時間にすればホンの数十秒程度だったと思うが、とても長く感じられた。ダンサーが私の側を離れてはじめて、金森穣本人であることを確認した。そしてすぐに、視界から消えていった。
次第にダンサーが増えて、あちこちの部屋で踊り出す。はじめは自分も移動していたが、疲れてしまうし、ダンサー達が入れ替わり立ち代わり部屋を移動しており、金森はもう出ない様子だったので、私は一ヶ所に留まることにした。
時に一人で、時に二人で、ダンサー達が踊り続ける。観客の隙間を走り抜け、時に観客にぶつかりながら、踊り続ける。ストーリー的なものはない。ダンサーの髪も、薄い布のような衣装も、白に近いベージュで、表情がない。踊ることは人間の喜びの一つだというが、ダンサーの姿からは、喜怒哀楽のどれにも属さない、もしかしたらその全てであるかもしれない、掴みどころのない心の波動のようなものが感じられた。
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髑髏城の七人 投稿者:コン(管理人)  投稿日:11月 8日(月)00時39分30秒

書込みが遅くなりましたが、ビアトリス様、台風の中の観劇、おつかれさまでした!二度も劇場へ電話をして上演を確認した小心者の私、雨漏りする部屋にバケツを残して暴風雨の中に身を置いた時は「何やってるんだろう…」と思わなくもなかったですが、行って良かったです。一種不思議な盛り上がりがありましたよね。染五郎ファンには美味しい舞台でした。
舞台の感想はいずれまた書くとして、今日は雑談を…。

新感線を初めて見たのは10年以上前。関西の人気劇団と聞いていたが、全く肌に合わなかった。舞台はちゃっちい、話は何だかな、羽野晶紀だけは芸能人オーラがあったが(多分もう『いいとも』に出ていたのだと思う)、他の役者は素人っぽい。硬派な芝居を予想していたら結構おちゃらけていて肩透かし、しかも大阪風の笑いに乗れず…という最悪のパターン。この時点で、私のチェックリストの中から「新感線」は消え、いつ、何を見たかもすっかり忘れてしまった。
随分長い時間がたったある日、「染五郎が新感線に出る」というニュースが飛び込んできた。焦った。「あんなに盛り下がってしまった新感線の舞台、染五郎が出るのに楽しめなかったらどうしよう」…良く考えれば変な心配にとらわれて、「新感線」を再確認するため「犬夜叉」を見ることにした。正確には「プロデュース」で、劇団公演ではなかったが、とにかく出かけた。感想は…「意外と楽しいじゃん。」主演の佐藤アツヒロはもともと好きだったし、西牟田恵の活躍(実質的なヒロインだった)も気持ち良かった。「あの時は受け付けなかった新感線だけど、主役に思い入れがあれば大丈夫」とホッと一息。
そして、「阿修羅城の瞳」、「アテルイ」は、主役にバッチリ思い入れ、楽しむことができた。他にも何本か新感線公演を見て、第一印象の悪さは、私の中で笑い話になった。
今年も、春に「アカドクロ」、秋に「アオドクロ」を見た。ネット上でのアカアオ比較談義も面白く、ちょくちょく読んでいたのだが、ある一文に目が止まった。「初演の鳳ルミの、宝塚風の蘭兵衛」。頭の中を映像がよぎった。最初に見た作品で、羽野の他にもう1人だけ記憶に残った役者がいて、男役をやっていた。何故か彼女だけが妙に真面目で、それがかえって「イタイ」。形容詞を付けるなら「宝塚崩れ」、ダメな方で印象的だったのだ。「もしやあの人が鳳ルミなる女優だったかも?」という思いが浮かんだが、訳もなく「まさか」と否定した。
その後「髑髏城」の戯曲を買った。巻末に上演記録が載っていた。「初演・東京リターン公演、1991年2月9日〜11日 シアターアプル」。シアターアプル、私が新感線を見た劇場だ。どこで見たかだけははっきり覚えていたのだ。「もしや」。本棚の奥から急いで1991年の手帳を取り出し観劇記録を確認した。自分の字で作品名が書いてあった。「髑髏城の七人」と。
「うそだろ〜!」と一人で大声を出してしまった。私が見たのは「髑髏城」だったのだ。まさに「ありえない!」何をどうすれば、あの作品が「アカ」やら「アオ」やらになるのか?あの中に、古田新太や高田聖子や粟根まことや橋本じゅんがいたのかっ?
その後「アオ」のパンフを買った。巻末に写真付きで過去のキャストが載っていた。「蘭兵衛・鳳ルミ」。「あ〜…こんな風情だったな〜…」記憶の中の映像と一致した。
13年という時間のなせる業なのだろうか。私自身が変わったことも事実である。当時の方が、芝居に対するキャパが狭かったとは思う。それにしても、それにしても…。13年、ちょっとずつでも新感線を見続けていれば、今の姿は当然に思えたのだろうか。
ちなみに、私が染五郎のファンになったのも1991年。当時は、染五郎が新感線に出ることを予想した人間は、誰一人いなかっただろう。アプルの「髑髏城」→「アカ」&「アオ」の変貌と同じ様に、13年前の染ちゃん→天魔王&捨之介の変貌も、今更ながら驚いてしまう。
「ドクロイヤー」の最後に変なオチが付いた。13年前の幻まで甦らせて、完結。
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髑髏城の七人 投稿者:ビアトリス  投稿日:10月19日(火)23時45分55秒

超大型台風接近のまっただなか、日生劇場には続々と観客が。空席もほとんど見あたらず嬉しかったです。物語としては一昨年の『アテルイ』のほうが好みですが、何といっても姿も声もこんなに美しく、立ち回りも鮮やかな染五郎丈をたっぷりみられるなんて、それだけで幸せ。カーテンコールでは染五郎丈が「この台風のなか、よく覚悟を決めてお越し下さいました」という挨拶に続いて大きな紙を広げ「ご心配でしょうから運休情報を」。小田急線、中央線と次々読み上げられる運休情報に観客は大爆笑。笑い事じゃないのですが。最後はスタンディングになりました。お芝居が楽しかったことだけではなく、こんな暴風雨のなかお芝居は上演され、何とか劇場にたどり着いて一緒にお芝居をみたという一体感が客席に溢れていたように思います。表に出ると数時間前の嵐はすっかり静まっておりました。嵐のあとの静かな町。不思議な昂揚感に包まれながら劇場をあとにしました。コンスタンツェ嬢とビアトリスとその妹の三人娘で観劇。台風とともにいい思い出になりました。お芝居そのものの感想じゃなくてごめんなさい。ありがとう。
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大奥 第一章 投稿者:ビアトリス  投稿日:10月18日(月)22時27分39秒

世間というのは女をグループ分けして争わせるのが好きなのでしょうか?当節流行語の「負け犬」がこのドラマのキーワードです。昨年放送された『大奥』は江戸時代末期が舞台でしたが、今回は徳川幕府の初期、三代将軍家光の乳母おふく(のちの春日局)がヒロインです。我が身を捨て、世継ぎのために一生を捧げた女性というより、理不尽に夫に離縁された、つまりリストラされた女が身ひとつで生きていくために繰り広げる壮絶なサバイバル、男社会、世間に対してのリベンジの物語とみました。おふくを演じるのは松下由樹。体型や雰囲気は時代物にはちょっと・・・と感じましたが「母はこのまま負け犬にはならぬ」と別れた子を思いながら決意するところや、家光の生母お江与(高島礼子)のイジメにもめげない様子には並々ならぬ気迫が。「励みゃーよ、おふく」などと語りかける親しみやすい家康(藤田まこと)はじめ、脇もがっちり。大河ドラマとは違う意味で気合いの入った時代劇ですね。
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おめでとう! 投稿者:コン(管理人)  投稿日:10月 3日(日)15時49分33秒

団十郎さんのカムバック会見、おめでとうございます♪本当に良かったです!!
渡辺謙さん&片岡孝夫さんファンの私はお二人の病欠と復帰を経験しているので、団十郎さんファンの方々の気持ちは痛いほどわかります。
団十郎さんの東京での公演は、来年になるのでしょうか?あまり無理をされず、徐々にペースを上げていって欲しいです。
そしてもう一つの「おめでとう」は、やっぱり、イチローです♪スポーツ観戦は苦手ですが、イチローは別格。こればっかりは見ましたよ、生中継で!テレビに向かって拍手したのは何年ぶりだろう…。日本時間の土曜昼間の試合で記録を達成するなんて、タイミング良すぎ!
何から何まで、ホント、凄い人です。
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祝!団十郎退院 投稿者:ビアトリス  投稿日:10月 3日(日)00時21分16秒

イチロー選手が大記録を達成しましたが、わたしにとっては市川団十郎丈の退院と舞台復帰のようが嬉しく、昨日の記者会見(ニットキャップが似合わないケド)には涙が出ました。おめでとう!パリでの海老蔵襲名披露公演はもちろん、京都の南座にも行けそうもないけれど復帰を心から喜び、お祝いします。五月に病気休演を知ったときは、自分でも驚くほど動揺しました。実を言うとこれまで団十郎さんを見ているとあたくしどうしても眠気に襲われまして(許して!)。でももう眠いとか退屈とかワルクチ言わないから、絶対元気になって!と祈りました。ともかく嬉しいです。
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父、帰る 投稿者:ビアトリス  投稿日: 9月27日(月)23時12分11秒

観客は何かを求めて映画や芝居に行く。笑いや涙、感動、励ましや癒しを求めて(いや、探してか)足を運ぶ。しかし本作は観客の夢や期待をほとんど拒絶するかのような厳しさと静けさを湛えている。かといって期待はずれだったとか、消耗したわけではない。何かを受け取ったのだ。だがそれが何であるかを表現するのは非常に難しい。ロシアの小さな村で母と祖母と暮らす兄と弟のところへ、父親が十二年ぶりに帰ってくる。彼らにとって父親は突然の侵入者であり、驚異である。理解も受容も温かい交わりの実感もないまま、何の説明もなく父親は突然姿を現し、突然消えてしまう。巻き毛の可愛い、すらりとした兄がその瞬間、少年である自分に訣別したのである。兄役を演じた少年は本作完成後、プライベートで映画ロケ地の湖に遊びに行き、不慮の事故で溺死したのだという。そのあまりに痛ましく劇的な事実にわたしの心はますます重たく、沈むのであった。
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ウエストサイドストーリー 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 9月22日(水)01時00分8秒

少年隊の「PLAYZONE」に通い続けて10年以上たつ。私にとっては、観劇というより夏のイベントと化している。(いつもチケットをお願いしている人には1年でこの1日しか会うことがなく、七夕状態。)
今まですっとオリジナル作品だったのだが、今年は「ウエストサイドストーリー」が上演された。
「ウエストサイド」を初めて見たのは、もう20年以上前だろうか、劇団四季で、久野綾希子のマリア、山口祐一郎のトニーだった。その後ロンドンで見て以来、本当に久々の観劇だったが音楽は殆ど頭に入っている。生オケで聞く名曲の数々は、血管に溶けて体中へしみわたるようでゾクゾクした。改めて「この作品はいいなぁ」、と思えた。
しかし、「PLAYZONE」としても、「ウエストサイド」としても、やや不完全燃焼だったのも事実。
「ウエストサイド」は、夏のお祭りにしては地味だ。(当たり前だが)3人揃って活躍するという舞台ではない。(当たり前だが)少年隊の持ち歌ショーもない。ちょっと淋しい。
トニーのヒガシは、ヒガシとしては頑張って歌っていたと思う。上達したと思う。カッチャンもニッキも、頑張っていたと思う。けれども、この3人が日本の「ウエストサイド」のベストキャストだとは、やはり言い切れない。ジャニーズの中でも踊れるはずのヒガシより、芸達者なニッキより、アンサンブルのダンサー達の方が、上手く見えてしまうのだ。彼らももう30代後半、技術点の採点は厳しくなる。
そんな中で一番盛り上がったのは「アメリカ」。アニタの香寿たつきは、宝塚でも男役としてバリバリかっこよく踊っていたが、女優になってもバリバリかっこよく踊っていた。ミュージカルの楽しさを満喫し、スカッと気持ち良く拍手のできるシーンだった。
来年の「PLAYZONE」はオリジナル作品にしてほしい。
「ウエストサイド」とは、また違った形で再会したい。
(7月中旬観劇)
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七夕名作喜劇まつり 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 9月22日(水)00時41分33秒

超ハードワークの1週間で疲れきった心を笑いで癒すべく、新橋演舞場へ。
「笑い」に対する体温が低い私でも、かなり笑った。その殆どは藤山直美の「間」だ。ほんのちょっとした仕草や言い回し、観客への流し目(?)などなど、脚本に書かれていない(筈の)部分で笑いを取る。観客の反応は均一で、ヘンな笑いが起きることがない。一部の観客だけが大笑いしているような舞台や、「何故ここで観客が笑うんだろう?」と悩んでしまう舞台が多い中、観客の誰もが同じノリで笑える舞台は貴重だと思う。
「大阪ぎらい物語」は大正時代の老舗が舞台。頑なな母の心を娘が溶かし、幕切れはちょっとホロリとさせる。明るくなって周囲を見ると、泣いたとおぼしき男性客が多かった。小難しいエンゲキにはできないことだ。
「はなのお六」は時代劇。最後に出てくる白塗りの御殿様は、あまりにもコテコテで笑わせ方としてこれでいいのか?と思ったのだが、後日、小島慶四郎がその役の上演を1000回達成したと新聞で知ってビックリ。そんなに愛され続けている御殿様、あれがいいのだろう。
今回、藤山直美の役が二作とも「おとぼけ系」で似たタッチだったので、次は少し違った役柄を見てみたい。
後日、藤山直美の大阪公演は、東京と比べ物にならないほどお客が大笑いすると聞いた。客席がどんな状態になるのか、興味津々…。(7月中旬観劇)
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プレイ・ウイズアウト・ワーズ 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 9月22日(水)00時39分51秒

マシュー・ボーン振付の「ダンス」作品だが、タイトル通り「Play」の要素も併せ持ち、上流階級の青年が召使いの罠にはまり、次第に立場が逆転してゆく、というストーリーを台詞ナシでも追うことができる。
二人一役・三人一役がこの作品のミソ。同じ衣装を着たペアが3組いても、動きの違いが関係性の違いを想像させ、それぞれのペア毎に「台詞」を考えてみたくなる。また、短いスパンでの過去・現在・未来が舞台上で同時に表現されていたのも新鮮だった。
60年代を模したセットや衣装はお洒落で、男性ダンサーも女性ダンサーも皆それぞれに素敵。目にも頭にも面白かったのだが、ずっと同じ調子で意外とメリハリがなく、ラストもさっくりしていて、心の高揚感はあと一歩。休憩ナシの一本物に短縮し、もう一本、例えばストーリーもなくひたすら踊る作品とか、を見たかったような。
この作品のベースとなった映画「召使」の脚本を、ハロルド・ピンターが書いたことを後から知った。台詞ナシなので「ダム・ウェイター」の敗者復活戦にはならなかったが、ハロ・ピン(と呼べば親しみが持てるかも)とのニアミス…みたいな感じ。(7月上旬観劇)
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暗愚小傳 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 9月 8日(水)00時06分1秒

こちらは本家の「静かな演劇」。青年団45回公演、作・演出/平田オリザ。
ポツドールを見たあとだと、ビジュアルも内容も全てこざっぱり(洗練…というとやや誉め過ぎか?)していると感じさせる。(ポツドールと比べるのが間違ってる?)
舞台は、高村光太郎家のリビング。妻の智恵子はもちろん、永井荷風、宮沢賢治、お手伝いさん、隣家のオバサン、色々な人が出入りする。場面が変わる度に10年時代が下り、最終的に30年近くが経過するのだが、登場人物の姿は殆ど変わらない。光太郎(山内健司)は、繊細な芸術家というより、人のいいおっさん風。年月を経てもぽわ〜んとした雰囲気は変わらないが、寂しげな笑顔の裏に、抱えたものの重さを感じさせる。
ラストシーン、光太郎が(死んだ)賢治に問いかける一言。作者はこれが書きたかったのかな…。そして、今後戦争が起きた時、作者だったらどうするのだろう?(6月下旬観劇)
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激情 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 9月 8日(水)00時03分50秒

土曜の昼の下北沢、当日券で何か見ようとシアターガイドをめくった。駅前劇場14:30、「劇」小劇場15:00、OFFOFF劇場15:30。開演時間が30分ずつズレている。どの劇団も見たことないからどれでもいいや、早い順に当たればどれかは見られるだろう…と出かけていって、14:30の「ポツドール」を購入。客席は満員で、隣の人とかなり接近した状態での観劇となった。
舞台は地方都市の古びたアパートの一室。寝室と居間と台所ががかなり丁寧に作り込まれ、この劇場ってこんなに広かったっけ?と思わせる。
開幕後暫くして登場人物が増えると、ボソボソと同時に別の会話が交わされたりして、この作品は、いわゆる「静かな演劇」系なのだと気付く。しかし、内容は「静か」どころか、口論あり、殴り合いあり、きわどいベッドシーンありで、感情も何もかもが「剥き出し」。
物事がどんどん悪い方へ進んでゆき、気分もどんどん沈んでゆく。不倫、借金、偽善、軽蔑、劣等感、裏切り、暴力、差別…人間を陰極へ導くあらゆるものが、移り変わる季節の中で確実に作用して、密接になりすぎた人間関係を破壊する。
普通は、ここまで酷い状況にはならないだろう。一対一ならともかく、複数の人間がいれば、その中でバランスを取ろうとする人間や、フェイドアウトする人間が出てくるのが常である。憎しみあう程の集団的腐れ縁は、幻想じみている。べっとりと気持ちにまとわり付く幻想に嫌悪感を覚える反面、表現方法に迷いやブレを感じさせないことに対しては、好感を覚えた。(スパッと全部見せる場面に対してではなく、全体的にという意味である、念のため。)
ただ、東京で生まれ育った人間にとっては、「地方都市」というキーワードが内包するものを実感として共有できなかった気がする。(東京モンであることを自慢しているのではない。東京モンには東京モンなりに、複雑な思いがあるのだ。)
カーテンコールはなし。窮屈な姿勢を続けていたので体が痛む。暫くの間、嫌なもの見たなぁ、という気分を引きずった。しかし、劇場から一歩外へ出るだけで忘れてしまいそうな舞台より、「嫌なもの」の方がどれだけいいかわからない。(6月下旬観劇)
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捨子物語 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 9月 8日(水)00時00分23秒

「大正四谷怪談」や「身毒丸」を見て、「いつか岸田理生の作品にしっかり接したい」と思っていた。
そうこうするうちに、その人は死んでしまって、「いつか」はやっぱり来ないんだ…と針でチクッと刺された気分になった。
そうこうするうちに、岸田作品が連続上演されることを知り、とにかく一つでも見ようと決めた。4劇団とも見たことがなく、どの戯曲も知らなかったが、何となく「瑠華殿」を選んだ。
父を捜し続ける少女。父は本当の父なのか、恋人なのか。捨てられたのは誰なのか、捨てたのは誰なのか。また「大正」が浮かび上がる。この人は何故「大正」にこだわるのだろう?自分もまた、何故か「大正」にひっかかるものがあり、だから岸田理生が気になったのだ。
終演後、受付で戯曲が販売されていたのだが、6月とは思えないほど強く照りつける太陽の下でその本を買うのはそぐわない気がして、そのまま通り過ぎた。「いつか買おう。」…こうやってまた「いつか」を繰り返してしまうのだろうか…。
瑠華殿の舞台は、チラシなどの印象から耽美系かと思いきや、ちょっと野暮ったい感じ。芝居の流れももたもたしていて、まどろっこしい。場面が変わる度に暗転になると見ている方はつらいので、一工夫欲しかった。(6月中旬観劇)
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狐狸狐狸ばなし 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 9月 7日(火)23時58分18秒

8年ほど前に歌舞伎座で一度見た。確か、勘九郎・福助・八十助というメンバーだったと思う。
今回は、ラサール石井・篠井英介・板尾創路の出演、演出がケラ。基本的なストーリーは同じだが、現代(と言っても戦前?)の病院で、入院している男にその友人が話して聞かせるという構造。衣装もばっちり着物ではなく、少しポップにアレンジしてある。
篠井は、いつもより少しお下品に、いつものようにきっちりと、色好みの年増(歌舞伎で言う年増…単なるオバサンという意味ではない)を演じて笑わせる。短髪のままだし、柄も大きいし、特別に声を作ってもいないので、TVなどでお馴染みの「オカマっぽさ」から生まれる可笑しさと紙一重になっていたかもしれない。「現代の女方」が演じるコメディーの、微妙な難しさだろうか。
ラストで、入院患者は、自分の病気が癌であることを知った上に、友人と不倫していた妻に捨てられて、愕然とする。いつの時代も、女は強し、男は弱し!?(6月上旬観劇)
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みどり会館 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 9月 4日(土)11時58分27秒

今出ている「テアトロ」で、文学座の俳優さんがみどり会館を「好きな劇場」にあげていましたね。いわゆる「芝居小屋」などは、ある程度全国的に認知・支援されていると思われますが、みどり会館のような劇場はどうなのでしょうか…。近いところでは北千住、遠くは松本・小倉などで、新しい劇場が生まれています。新旧交代ではなく、歴史のある劇場も末永く現役でいてほしいです。
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みどり会館報告 投稿者:ビアトリス  投稿日: 8月17日(火)23時58分26秒

帰省した折り、山口県柳井市伊陸のみどり会館を訪れました。「寄ってみたい」と突然の申し出にも関わらず、主宰の久保田修治(自由下僕)さんが小屋を開けて待っていてくださいました。感謝です。土間の床や土壁や大きな梁、高い天井に、この建物の歴史が感じられます。舞台奥から客席までの距離はこまばアゴラ劇場と同じとうかがい、驚きました。隣家からは犬の鳴き声が聞こえ(お芝居上演中、実にいいタイミングで鳴くのだとか)、青々とした田圃からいい風が入ってきます。先日TPSの平田修二さんとお会いしたときに、「ここを手塩にかけていい小屋にするんだという気持ちがないと,劇場はいいものにならない」とおっしゃっていたことを思い出しました。みどり会館には、ここに関わる方々の愛情と熱意が確実に伝わってくる、とても素敵な空間でした。今日の朝日新聞に九州の「嘉穂劇場」支配人伊藤英昭さんの記事が掲載されており、「使わない建物は死んでいるのと同じ。生きた文化の入れ物として後世に伝えたい」と話しておられます。ほんとですね。そこが血の通った劇場かどうかは、入った瞬間に感じてしまうもの。劇場が単なる建物ではなく、まるで生き物のように息づくことが感じられるから、観客はそこで心躍らせて劇世界に身を浸すことができるのですものね。
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6月歌舞伎座昼の部 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 7月14日(水)00時39分14秒


「外郎売」。もしかしたら初見のような気がする。基本的に、「華やかだけど意味があるんだかないんだか…」という歌舞伎は好きだし、上演時間も程よく短めなので、楽しく見た。というか、かなり「やってみたい。」ロビーの売店に外郎売の台詞を書いた紙付きのお土産があり、買おうかな…と迷ったが、早口言葉を覚えたところで披露する場がないので、やめた。
「寺子屋」。今月の私のメイン。松王丸は色々なものを胸に押し込めた役なのだが、仁左衛門だと必要以上に陰気にならないところが好きだ。雪持ち松の衣装も映え、後半の黒も白装束も美しい。玉三郎と並ぶとまた格別。もちろんビジュアル面だけでない。夫婦の、特に千代の「嘆き」が胸に沁みた。
「口上」には錚々たるメンバーが揃う。控えている時の姿が一番キレイなのはやはり玉三郎だった(多分、体にはキツイ筈)。成田屋の「にらみ」を拝むのは初めて。これで今年は無病息災!
そして新・海老蔵の「鏡獅子」…なのだが、この幕だけ母親と交代。大体いつも、歌舞伎会の優先予約枠4枚を私と母で2枚ずつ分けるのだが、今回彼女は夜の部を友人と見て、昼は一般で取ろうと考えた。その目論見は見事に外れ、チケット争奪戦に完敗。しかし、母がいつになく「海老蔵の鏡獅子」にこだわり続けていたので、そんなに見たいなら…と、譲った次第。襲名興行で披露狂言を見ないのも、なんだかな…だが、にらんでもらったので満足。(6月中旬観劇)
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6月歌舞伎座夜の部 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 7月 5日(月)01時21分17秒

「傾城反魂香」。かなり良く見る作品だが、どーも好きになれなくて、いつも寝てしまう。多分、「師匠に認められないから死んじゃおうか」という弟子の感覚と、火事場の馬鹿力を評価して弟子に苗字を与える師匠の感覚が馴染まないのだ。しかし今回は、「うまく喋れない吉右衛門」を興味深く見ているうちに寝ないで終わった。こんな私でも、ちゃんと見れば、大団円で喜ぶ夫婦に「良かったね」と思えるんだ…と少し安心。段四郎の将監からは、何故か「火事場の馬鹿力を評価して弟子に苗字を与えた」という印象を受けなかった。又平の奮起を待っていたのかな…と感じたのは初めて。
「吉野山」。菊之助はキレイ。でも、静御前、というには何かが足りないような…。
「助六」。意外と見ていないこの作品、今回が多分3回目。舞台上手奥と鳥屋の両方から、あのジャカジャカした音(アレ何て言うんでしょうね〜、木遣りの人が持ってるやつ)が聞こえてくると、これから始まる花魁道中への期待で気分が湧き立つ。待ってました!の玉様が降臨(?)して舞台は華やかさを極める。揚巻は、美しいだけではなく、カッコいい。意休に悪態をついて引っ込むまでの芝居で既に満腹感がある。そして、助六が颯爽と登場。5月の歌舞伎座はパスしたので、新・海老蔵を見るのはお初。若々しく、威勢が良く、やんちゃな助六。細かいことは言いっこなし、スコーンと突き抜けた感じが海老蔵の魅力なのだろう。しかし、悲しいかな、後半はちょっと飽きてしまった。「助六」は長い上、ドラマがある訳ではないので、役者に思い入れがないと持たないのだ。海老様にケチを付けるつもりはない、これは完全に好みの問題。
私はもともと成田屋贔屓ではない。団十郎はどちらかと言えば苦手なタイプだった。しかし、2002年の「鶴賀松千歳泰平」や2003年の「宮本武蔵」を見て、団十郎のイメージはいい方に変わってきていた。そんな折の病気休演。とても残念に思う。全快と復帰を心から願っている。(6月上旬観劇)
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ダム・ウェイター 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 6月10日(木)01時04分58秒

Aバージョン。自力で前売が取れず、チャコにチケットを譲ってもらう。ありがとう!平日6時半、ちょっとキケンな時間だったが、開演前に無事着席。
特別に難解とも感じなかったが、特別に面白いとも感じず、途中ちょっと集中力に欠けてしまった…というのがホントのところ。これは、以前別のハロルド・ピンターものを見た時に感じたことと全く同じ…ってことは…前回から今回までの間に、この手の作品に対する意識も感性も、何一つ変わらなかったということか??かなりヘコむ。
勢いのある村上の芝居、それを余裕で受ける堤、なかなかいいコンビだなぁと思ったし、笑える部分も多かった。しかし、ストレートに楽しむことも、多角的にアプローチすることもできずじまい。自分のキャパシティの無さが情けない。せめて、A・B両バージョンを見れば、役者や演出の違い等について色々考えられたのかもしれないが、睡魔が怖くてBバージョンに挑戦する気力が出ず。いつの日か、敗者復活戦ができるだろうか。
「ダム・ウェイター」とは、料理運搬用の小型エレベーターのことだが、パンフレットによれば、「間抜けな待ってる人」ということにもなるそうな…それって、私??(5月中旬観劇)
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天までとどけ(かなりネタばれあり、要注意) 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 6月 5日(土)11時41分36秒

「今日は残業もないし、気力体力に余裕があるから芝居へ行こう!」とシアターガイドをめくって選んだのが「シベリア少女鉄道」。最近よく聞く名前だから…という単純な理由で、劇団にも作品にも予備知識は殆どナシ。6時少し過ぎの時点で本席は売切れ。座布団席を購入、お茶をしてから劇場へ戻ったらマーガレットにばったり。彼女も当日券で立見とのこと。奇遇ですわ。
私の席は「通路3番」。かろうじて階段に座れたが、前過ぎて非常に見ずらかった。私より先に並んでいた1番・2番の人は平場席状態でもっと気の毒。座布団席でも、位置を選ばせてほしい。
開演前、モニターには体操競技が映し出され、舞台奥三分の二を占めるスペースに、実物よりやや小さい体操競技用の道具(鞍馬など)が置いてある。この作品、体操のオリンピック予選に挑む選手やコーチ、元体操選手達のオハナシだったのだ。
ちょっと失敗したかなぁ…と思った。小心者の私は、スポーツをリアルタイムで見るのが苦手なのだ。プロ野球は「今日がダメでも明日がある」というノリがあって好きなのだが、高校野球やオリンピックなど、「これで負けたら全てが終わり」なものは、必要以上にドキドキハラハラしてしまうので、できれば先に結果を知ってから見たい。(それじゃぁスポーツの醍醐味がないだろう、と良く言われるのだが。)スポーツ選手に対しては、「凄いなぁ」と尊敬するものの、別世界の住人という感じで、強い思い入れを抱けない(抱かないようにしている)。
※しつこいが、以下、本格的にネタバレあり!
「体操」をめぐってすったもんだする舞台上の人物に対しても、「がんばってください」としか思えず、いまひとつ気持ちが入らない。勝つことしか考えられない選手、怪我をおして出場する選手、土壇場で潜在能力を発揮する選手、有望視されながら事故のためにオリンピックへ行けなかった元選手、オリンピックへ行ったのに自分に実力はなかったと卑下するコーチなどなど、キャラクターも紋切り型で、展開もお決まり。暗転も多いし、ちょっとシロウトっぽい役者もいるし、個人的にも客観的にも盛り上がりがないなぁ…とネガティブな感想を持っていたのだ、前半は。
しかし。後半。舞台上では見せないだろうと思っていた競技が始まった時は目が点になった。役者が体操をするのではない。鞍馬や平行棒をするのは、実物よりやや小さい役者の写真を貼ったチャチなダンボールで、それを手で持って操るのが、黒衣姿の役者本人なのだ。そのうち、選手役以外の役者も自分のダンボールを操り出す。ダンボールは、演技のポーズによって、正方形・長方形・凸型・L型など、数種類ある。次々に競技が変わり、飛んだり跳ねたり叫んだりするダンボール達をぽか〜んと眺めるうちに、今度は突然、舞台前面でそのダンボールを使った巨大な「テトリス」が始まる。私は完全に呆気に取られてしまった。
役者は、ダンボールを積み上げながら、とっかえひっかえに自分の思いのたけを叫び続ける。会話というより熱いモノローグ。そこで語られる過去も、競技の結果も、話が落ち着く先も、やはり紋切り型で、台詞だけを文章にしたらかなり気恥ずかしい。しかし、目の前で行われているテトリスの勢いに押されて、一気に見てしまった。ダンボールが舞台の上(天?)までとどいて、テトリスも舞台も終わる。
ダンボールの体操競技と、テトリス。それを思い付いたことと、実際に舞台で見せたことに、恐れ入りました…という感じ。台本が先なのか、アイディアが先なのかわからないが、アイディアの勝ち。この劇団は、いつもどんな作品を上演しているのだろう??
立見、と言っていたマーガレットは、キャンセルが出たため本席をゲットしたとのこと。羨ましい。あ〜、首と腰が痛かった…。(5月中旬観劇)
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オン・ユア・トウズ 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 6月 4日(金)00時47分20秒

20年近く前、イギリスに1年滞在していた間に見たミュージカルの中で、この作品が一番好きだった。いつかまた見たいと思っていたし、噂のアダム・クーパーだし…と、当日券で観劇。(大枚13000円!)
ひとことで言えば、懐かしい。今見ると話の流れはちょっと退屈だし、会場が広いせいか、空間が間延びしているようでもある。しかし、古き良きという言葉(今は別の意味で笑える言葉になってしまったが、もともとの言葉通りの意味で)がふさわしく、自分のロンドン生活を反芻しながら、のんびりとした気分を味わえた。(あの頃はまだ夢も希望もあったよな…と淋しい気分も実は少々。)
アダム・クーパーを見るのは初めて。「超有名なダンサー」という認識しかなかったが、芝居もOK。歌は抜群に上手いというほどではないが、破綻なく聞かせる。見た目も良いし、当然踊れるし、この作品の主演としてはバッチリだったと思う。彼が振り付けたという、クラシックバレエ(ロシア)とタップ(アメリカ)が融合していく場面は楽しかった。
ただ、彼のダンスを堪能したかった人は、少し物足りなかったのではないだろうか。ダンスが重要なミュージカルではあるが、ダンスだけの公演ではない。だからこそ、アダム・クーパーが出ないかも、という不安はなかったのだが…。
この舞台を見た日の昼間、藤原竜也が「プレイ・ウイズアウト・ワーズ」の宣伝番組に出ていて、結構面白そう…と思っていたら、「オン・ユア・トウズ」のロビーで、「プレイ…」のチケットを販売していた。終演後、気分が盛り上がっていたこともあり、「カンパニー席放出のため、いいお席をお選びいただけます!クレジットカードもご利用いただけます!」という売り文句についフラフラと…買ってしまった。これまた大枚13000円!ホリプロったら商売上手。(5月上旬観劇)
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髑髏城の七人(ネタバレあり) 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 6月 4日(金)00時44分35秒

古田新太主演・春の「アカドクロ」。初見のため、初演・再演と比較はしなかったのだが、タイトルも似ているので(?)「阿修羅城の瞳」と比較しながら見てしまった。
一人の男が一人の女のためだけに、鬼を切り散らかしながら天守閣を駆け上がってゆく…という「サシ」のストレートさが快感だった「阿修羅」に対し、「髑髏」は「七人」というだけあって、吸い寄せられるように集まった男女の群像劇的な印象が強い。集団で疾走するパワーを楽しめる分、ひとりひとりへの突っ込みが弱く、メインコンビの捨之助と天魔王の因縁の描かれ方にもう一押し欲しいところ。古田がその二役を演じることは悪くないのだが、「対決」という部分では逆効果かもしれない。二人の間で揺れ動く蘭兵衛(水野美紀)も、もっとドロドロと面白くなりそうな気がするのだが…(水野に問題があるのか?)今こうして文章を書きながら、ふと「髑髏城」を小説で読んでみたいと思った。そうだ、確か劇場で小説版が売っていた筈…探しに行こう。
古田の捨之助、痩せている頃に見たかったような(1997年版を収録したDVDのチラシの写真は別人)、今は今で良いような…。眼力バリバリの威圧感と、人を食ったような「はぐらかし」感の落差が絶妙。3人の女優(水野、坂井真紀、佐藤仁美)の中では、佐藤が一番いきいきとして見えた。
この舞台、私はS席だったが、SS席は10000円(お国の劇場なのに)、市川染五郎主演・秋の「アオドクロ」(日生劇場)は12000円らしい…。世間の流れに反して、芝居のチケット代だけは右肩上がり。価値がないとは言わないが…「安くて良い物」を生み出そうという心意気のある人はいないのかしらん?(5月上旬観劇)
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ドライブイン・カリフォルニア 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 6月 2日(水)01時28分59秒

「大人計画」ではなく、「日本総合悲劇協会」の公演。初演は未見。
前売は玉砕したので、当日券電話予約に挑戦。取れたのは「立見席」だったが、キャンセルが出たおかげでギリギリ「座布団席」に滑り込み。本多劇場の一番後ろながら、意外と良く見えた。
田舎から上京して歌手になった「マリエ」(秋山菜津子)の周囲では、不幸な出来事がいくつも起こる。少年の首吊り事故から始まる舞台に、くらぁい気分を覚悟した私だったが、予想外に明るい幕切れで、軽く拍子抜けしつつも、ちょっとホッとした。「悲劇」というより「いい話」に近いかも。
秋山奈津子はとびきり美人、という訳ではないのだが、ついつい目が追ってしまう。体のクネクネ感も印象的。考えてみれば、私が見た松尾作品には必ずこの人が出ていたような気がする。
仲村トオル、初めてナマで見た。背が高く、出てくるとインパクトがあるが、台詞回しが単調で、全体の印象がぼんやりとしている。別にこの人でもいいのだが、この人でなくてもいいのかな…という感じ。
小池栄子、初めてナマで見た。この人も台詞回しがやや単調だが、全体の印象はくっきりとしている。無造作ながら「見せる」ことを意識しているのかもしれない。(4月下旬観劇)
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桜吹雪狸御殿&ボンジュール・タカラジェンヌ 投稿者:コン(管理人)  投稿日: 6月 2日(水)01時27分28秒

「元宝塚スターによる、本人達とオールドヅカファンのための」舞台である。これほどターゲットがハッキリしているのも珍しい。ターゲットから外れた人が見て面白くなかったとしても、それはその人のミスチョイス。
そして私はズバリ、ターゲット。昭和の「ベルばら」ブームに乗り、オスカル・安奈淳に夢中になった世代だ。彼女の退団後、本格的に幅広く舞台を見はじめたので、今の自分があるのも彼女ゆえ…と言えなくもない。
今回の舞台には、彼女の他にも、好きだった生徒が何人も出演しており、懐かしさ爆発。皆それなりの年齢なのだが、歌声には殆ど衰えがなく、耳から思い出が蘇る。よほど太ってしまわない限り、遠目から見ると姿も変わりがない。「ポーズ」が昔のままなのだ。手を高くかざしながらセリ上がる、顎を少し上げて斜め後ろ向きに立つ…etc, 普通の舞台ではあまり求められない「形」がごく自然に決まる。歌も形も、一度身に備わったものは、いつでも出してこられるんだな…と感心しながらタイムトリップ気分を満喫した。
暫く見ないうち、現在の宝塚はご多分に漏れず「成果主義」的な面が重視されているらしい。しかし、この舞台には、そんな殺伐としたムードは無縁。悪く言えば、たわいのなさすぎる芝居と、オバハン達が男の格好して歌い踊る懐メロショーなのだが、それでいい、それがいい。過去と現在を同時に受け入れて楽しめるのは、余裕のある大人の特権なのだ。
出演者と観客の、のんびりとした同窓会で興行が成り立つのも、宝塚90年の歴史の賜物。(4月下旬観劇)
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