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メグレス魔戦記・黒のアウラ
〜泉の町(ファウナ・ガルド)〜
(2)

 
                 大沢 純

 
 

         ☆         ☆

 そろそろ日も中天に差し掛かる時間だというのに、うっそうと生い茂る木々の枝々に阻まれ、陽光の差し込まない森は黄昏時のように薄暗い。

 ここは、ファウナの町から騎馬で一時間程の『東の古森』イス・ヴォレス。

 かつては、町の金持ち達の別荘地として、静かな中にもどこか華やいだ雰囲気の漂う所だったと言うが、五十巡年前頃、術者が絶えた為『場』が封じられて以来、徐々に廃れていき、今では年老い半ば枯れかけた大木の間に廃屋が立ち並ぶだけの寂しい風景を見せている。

 万が一『泉の守』を山賊の手から取り戻せなかったら最後、ファウナも恐らくこれと同じ運命を辿るはずである。

 ――アウラ達は町の人々の話から、山賊達はどうやらこの森に根城を構えているらしいと知り、町長と契約の細部を決めた後、すぐさまここに向かって出発したのだ。

 しかし彼らの来る前に、既に何人もの腕自慢の勇者や傭兵が、義侠心や報酬目当てから『泉の守』救出に挑んだのだが、誰一人として帰って来た者はなかったそうだ。

 敵はかなり大所帯の上、術者までいるとか言うが…それ程手強い山賊団ならば何故今迄噂にも上らなかったのか?

 ――かすかに引っ掛かる物を感じながらも、二人は森の外れに到着すると、呼ぶまで隠れているよう竜馬に言いきかせて別れ、山賊の隠れ家を探しにかかったのだった。

         ☆         ☆

 ぼんやりとした光の中に宏仕な城館が浮かび上がっている。

 重厚な趣をたたえた館だが、壁の石組が崩れたままの所や、絡み付いた蔓植物のため亀裂の生じている柱などがあり、住む人もなく放っておかれた歳月の長さを物語っている。

 しかしよく見ると、傾いでしまって動きそうにもない正門の可動部付近の蔦が取り除かれていたり、そこから玄関へと続く小道で石畳の隙間から伸びたペンペン草が何者かに踏みしだかれていたりと、大いに怪しい。

 と、門の傍の木陰で微かな葉擦れの音がしている。

 そこには、がっくりと首を垂れた男の胸倉を片手で掴んで軽々と吊り上げているヴェーラがいた。

 男は薄汚れた派手な色合の服を着、両肩からぶっちがいに掛けた幅広のベルトにズラリと短剣を差し込んでいる。が、そのうち一本も抜かれていないので、彼が抵抗する間もなくヴェーラの手中に落ちた事が判る。

「…おいおい。四、五十人は軽いだ? なんつう大所帯!」

 ロの中でブツブツ言いながら、男の身体を地に落として薮の中に蹴り込もうとしたところで、背後からいきなり声が振ってくる。

「殺したのか?」

「まさか。殴り倒しただけだよ」

 肩をすくめながら振り向くと、すぐ後ろにアウラが影のように立っていた。如何なる技を使って茂みを抜けて来たのか、物音一つたてずの登場である。

「縛りあげなくてもいいのかな」

「俺達が戻る前に回復できるとは思えねえ」

「確かに。…で、『泉の守』の監禁場所は?」

「駄目だ。『それだけは殺されても』ってしゃべらねえんだ。こんな下っ端が命を張ってまで守ろうとするなんて、よっぽど恐ろしい首領なのかね。――あ、そうそう。他の皆さんはやっぱ広間でお食事中みたいだぜ。食い物の臭いがする」

「お姫さまの臭いは判らないのか?」

 思わず聞くアウラ。

「残念ながら」

 真顔で首を振るヴェーラ。

「そうか。…場所が判らないのでは外壁をよじ登って忍び込む訳にもいかないしな。正面から行くしかないのか…」

 館を跳めながら色々検討している相棒に、ヴェーラが反対に聞き返す。

「な、お前こそ姫の居場所、感じられんのか?」

 何かに聞き入るように小首を傾げてから答えるアウラ。

「ああ。彼女の衰弱が著しいのか…。――この妨害がなければもう少し判るのだが」

 ふっと眉をひそめる。

「こんな遠くにまで泉の町の『場』が影響してるのか?」

「違う。これは別口の『場』だ。…確かにこの森には気溜り程度なら異様なくらい多いがね」

「ヘえ。町の者が知らない程の過去に放棄された『場』かな。…そういや町長が、例の封印された『場』は一番立派な館にあるって言ってたけど、ここだろ?」

「封印などされてないぞ」

「何?」

「しかも妙に中途半端な活性化がなされている。もし、皆の言うように山賊どもと組んでいる術者がいるとして、そいつが自身や呪宝の力ではなく『場』から力を得ていたら…一寸手こずる事になるな」

 淡々とした口調で重用な事実を伝えるアウラ。

「ま、奴と『場』の整合率はそう高くないと思うが。どこの『場』とでも同調できる程の魔導士が山賊風情とつるんでいる可能性は極めて低いからね。…それに今は奴の波動を感じない。多分襲撃の時の大技で消耗して眠っているのだろう」

「で〜! 勘弁してくれよ。またしても不安定な『場』か! 厄介な所に巣くってくれちゃって…どうせいっつうんじゃ!」

 いまいまし気に舌打ちするヴェーラ。

「計画を変更するか? 見張りは倒してしまったが…もう少し内部の様子を探ってから夕闇に紛れて忍び込むとか」

「そんな悠長な! 姫には時間がないんだ。予定通り今すぐ一気に行く。…それともアウラ、これ以上は『場』に近付けないのか?」

 ヴェーラの顔色が少し雲る。

「いや。この件を引き受けた時から多少の危険は覚悟の上だ。問題は…なんと言うか…その…」

 それに対して始めて口篭るアウラ。情けなさそうに自らの姿を眺めまわしている。

 旅の修道士がよく着るような、地味な焦げ茶色の外衣。デザインもへったくれもなく、穴を開けた袋を被って腰の所を荒縄で結わえただけ…というあれである。

 勿論何の装身具も付けてないが、代わりに胸からは護符をジャラジャラ、そして極めつけ、手には淡い紫色の可憐な花がつまった大きな籠を下げている。

「いくら省力化の為とは言え、こんな格好をしてゴロツキどもに愛想ふりまくなんて…」

「じゃ俺に『花売り娘』やれってぇのか?」

 間髪を入れずヴェーラ。

「いいじゃないか。私なら花買ってやるよ」

「お前に受けてもしょうがないの! …なあ、ここまで来て渋るなよ。頼むから〜」

 相棒の肩を掴みゆさぶる。

「…わかったよ」

 終にアウラも観念した様子。目をつむり両の拳を額に当て何やらブツブツやりだす。

「なにやってんだ?」

「気合入れてる」

「…大丈夫かよ〜」

 不安になったヴェーラがまたユサユサやる。と、いきなり顔を上げたアウラが目一杯かわゆらしくすねてみせる。

「やだ。揺すんないで〜。お花が散っちゃう」

 のけ反るヴェーラ。

「お前、絶〜対商売間違えたな」

 無言でアウラの拳が彼の顔面に炸裂した。

         ☆         ☆

 館の玄関から入ってすぐの小広間が山賊の下っ端達の溜まり場となっていた。廊下を通る者がおれば必ず目に留まるように、部屋の扉は全開にしてある。

 そして室内では、見るからに恐ろし気な御面相のが二十数人、数脚の細長い卓の両側に座って味気ない干し肉とエールの昼食をとりつつ賭け事やだべりに熱中している。

 そのうち一人がハッと気付くと、いつの間にやって来たのか、横でアウラが花籠を持ってニコニコしている。

「お、お前何だ? どこから来た?」

「え? 本当だ!」

 忽ち近くの男達が席を蹴って立ち上がり、手に手に得物を引っ掴んで群がってきた。まあ下っ端の悲しさ、その動きからは今一つ精悍さと言う物が感じられないのだが…。

「玄関から」

 怯える様子もなく平然と答えるアウラ。

「見張りは何してんだ!」

「通してくれましたよ。快く」

「何っ? ちよっと美形だとすぐ…あの野郎! おいレイス、行ってどやしつけてこい」

「ヘい!」

 兄貴分の言葉に一番の下っ端らしいのが、飛び出して行く。

「それより、お前何しに来た?」

「お花はいかがですか? とても良い香りのお花ですよ」

 籠から花束を取り出し、飛び切りの微笑みを浮かべる。

「ヘ?」

「花売り娘ぇ?」

「ここがどういう所だか判ってないよーだな」

「旅の途中のようだが。飛んで火に入る何とやら…わはは!」

「私は花を売りに来たのではありません」

「じゃ、何だったら売ってくれるんだ? おね〜さん」

 下品な笑いを無視して続ける。

「これは、貴方達の魂に安らぎがもたらされるようにと言う高貴な聖人の祈りが込められた、ありがたいお花なのですよ」

「で〜〜っ! 新興宗教か!」

「何?」

「『幸せのお花教団』だっけ?」

「花売り娘とかわらねぇじゃんか。花押し付けといて、貴方の幸せ祈るからとか言って、寄付ねだるやつだろ?」

 緊張が一挙に解ける。頭を振り振りタラタラと自分の席に帰って行く奴も。

「しかしね〜。勿体ない。お前くらい奇麗ならもっと実入りのいい商売もあるのに。教えてやろーか? えへえヘ」

「何でしょう? それより他にはもうお仲間はいらっしゃらないんですか?」

「何で?」

「出来るだけ沢山の人に祝福を与えて差し上げたいのですが」

「いやあ熱心だねえ。だけど、奴らは動けないから」

「持場離れたらお頭に殺されかれねんもんな」

「おい、こんな奴に何を喋ってんだ! お前らどうかしてんじゃないか?」

「やだな〜兄貴。そんなにとんがらないで下さいよ。こいつに何ができるっていうんです? いい暇潰しになるじゃん」

 デヘデヘと目尻を下げて手を振る。

「そうそう。どうせする事ないもん。…おね〜さんおね〜さんこっち来て酌でもしてくれや。『寄付』したげるから」

「ありがとうございます。では…祝福をお受け取り下さい」

 卓をグルリと回りながら花束を配り歩くアウラ。

「はいどうぞ。貴方にも」

 渋い顔をしていた兄貴分にもにこやかに花束を握らせ、代わりに卓上の酒袋を手に取る。

「そうそう。一つ教えてほしい事があるんですけど」

「ん? なんだ?」

 ともすれば緩みがちの顔で精一杯威厳を作り、聞き返す。

「『泉の守』はどこに?」

「な、何?」

 驚愕で凍りつく男達。その反応に満足気に頷くアウラ。

「上の方…最上階の大広間ですね?」

「ど、どうして…」

「目は口ほどに…って奴ですよ。ついでに警備状態も教えてもらえるとありがたいのですが」

「ば、馬鹿にしやがって!」

「貴様何者?」

 男達は口々に喚き散らしアウラに向かって殺到しようとするが、立ち上がった途端フラフラッとたたちを踏む。

「おい明かり消すなよ!」

「何寝惚けてんだ? 誰も…」

「じゃなんで急にこんなに薄暗くなったんだ?」

「やっと効いてきたようだね」

 無害な修道士の仮面を捨て、秀麗で少し近寄り難い顔に冷たい笑みを浮かべるアウラ。

 急に山賊供が、うめき声すらあげずにバタバタとその場に崩れ落ち始める。が、一人平気なのがいてうろたえる。

「み、皆っ! しっかりしろっ! おいったら! …くそっ薬か? き、貴様、ただの花売りじゃねぇな!」

「だから花を売りに来たのではないと。でも何故お前だけ…」

 見ると、男は鼻をクシュクシュいわせている。

「あ、枯れ草熟か」

「わしゃ犬か! 鼻風邪だ! …町の奴らに雇われた者か?」

「クイズに答えて『はわい』にでも行くか?」

「何処だって? これも何かのワナか? ――ま、いっか。お前をとっ捕まえて頭目に突き出しちゃる。ヘヘッ、俺だけの大手柄だぜ! 金一封だ! 牧場買うぞ!」

 アウラを侮って、剣も抜かずに腕を広げてジリジリと迫る。

「皆と一緒に素直に眠ってた方が幸せだったと思うが」

「何を!」

 一挙に飛び掛かって来る男。

 アウラはヒラリと逃れて部屋の中程へ。男は反対に扉に背を向けて構え直す。

「この、ちょこまかと!」

 …と、ゴンッと鈍い音がし、三下は頭にでかいこぶを作って突っ伏す。

「いやあ、悪いねぇ。折角の生活設計壊しちゃって」

 開いた扉の影から、ヴェーラの登場である。

「遅い! もう少しで『実入りのいい商売』させられるところだったんだぞ」

「すまん! こいつらの竜馬になつかれちゃってさ。なかなか逃げてくれなかったんで手間取ってたんだよ。…さ、姫の居場所も判ったし急こうぜ」

「待て。念には念を。…もうこれを使う事もないだろうし」

 ゴロゴロ転がっている子分供の身体の上に、籠から掴み出した花を全部撒き散らす。

「凄え効き目! 一網打尽って奴だ。眠り花って言ったっけ? 苦労しても調達したかいがあったな」

「普通、花の段階ではこれ程効かないんだ。丁度一番花粉の多い時期で助かったよ」

 話しながら素早く外衣を脱ぎ捨てるアウラ。下にいつものチュニックを着ていたのだ。彼に、預っていた長剣を渡そうとしていたヴェーラがふと尋ねる。

「なあ、どうしてお前は何ともないんだ?」

 彼自身は、マントの端を鼻の上あたりまで引っ張り上げて巻き付け、眠り花対策としている。

「幸か不幸か、私はこれに対しても耐性があるから」

「?」

「眠り花を精製した物が医科用の麻酔薬なんだよ」

「でぇ〜! そりゃ不幸の方だな。怪我できないじゃん」

「まあな。…さてお待たせ」

「よおし」

 二人は様子を窺ってから回廊にスルリと抜け出した。扉を閉じる寸前、無意識に室内に目を走らせたヴェーラがぼやく。

「あ〜あ。いくら花に埋もれてても野郎じゃなあ。…美しくない跳めだ」

         ☆         ☆

 それから。

 物陰から物陰へと足音を忍ばせ、出合った山賊はひそかに倒して、暫くは順調に進んでいた二人だったが…。

 とある回廊で、見張りを始末して空き部屋に放り込もうとしていた正にその時、いきなり少し先の扉が開き、男が一人ひょろっと出てきたのだ。

「ん…? 何を…お、お…お前ら…!」

 男は立ちすくみ、ヒャウッと音をたてて息をのむ。が、警戒の叫びを唇まで上らせる前に、ウッとうめいて身体をくの字に折り地に沈む事になる。

 ヴェーラがとっさに、倒したばかりの賊の剣を柄を向けて投げ付けたのが、その腹にめり込んだのだ。

「ヘへん。危ないとこだったな。…でももう大丈夫」

「そうかな?」

「なんで…」

 反論しようとするが、

「おい? どーかしたんか?」

「腹でも痛いんか?」

 まだ開きっ放しだった扉の影から、呑気な事を言いながらお仲間がぞろぞろと出てくる。

「…あちゃー! すんげぇ凶運」

 鼻にしわを寄せて呟くヴェーラ。周囲に視線を飛ばすが、手近には身を隠せるような曲がり角も扉も柱もない。

「チッ! これまでか」

 ヴェーラは舌打ち一つすると、素早く駆け出す。

「あ! 何だあいつら!」

「出合え出合え! 曲者だぞ!」

「どっちが曲者だっつうの!」

 叫ぶなり、まだ体勢の整っていない男達の只中に突っ込み、叩き伏せ殴り飛ばし蹴り倒し――。ほんの一呼吸ほどの間に片付けてしまう。

 しかしその騒ぎに、折角足音を忍ばせて通り過ぎてきた扉がバタバタと開き男達が踊り出る。回廊はたちまち、駆け付けて来た山賊達で溢れかえってしまう。

「…こうなったら強行突破しかないな?」

 相棒にニヤリと笑いかけ、実に嬉しそうに聞くヴェーラ。それに答えてアウラは気怠げに頷く。

「ああ。仕方ない。…私に構わず早く行け」

「また楽しようと思って! ちゃんと来るんだぞ!」

 指を突き付けて念をおすと、身を翻して殴り込んでいく。

 なにしろ、泉の護衛兵の槍を簡単に折ってしまうような、並ではない馬鹿力の持主だ。山賊達は藁束でできた人形のようにポンポン吹っ飛んでは壁や天井に叩き付けられ、あっという間に道が開いてしまう。

「…いや、お見事。ボアルン竜の通り過ぎた後のようだな。はぐれても、奴がどの道を通って行ったかすぐに判る」

 呑気に感心しているアウラ。が、鼻白んだ手下どもは…

「くそ! こ、こいつ手強いぞ!」

「もう一人の細っこい方を狙え! こっちならたやすい」

 後に取り残された彼目がけ、わらわらっとかかってくる。しかし、アウラはくすっと笑うと、

「たやすい、かな?」

 剣に手を伸ばしもせず駆け出す。そして翼あるもののようにフワリと宙に舞い、男達の頭上を軽々と翔び越える。

 ポカンと大口を開けて見とれる賊。と、未だ空中にいる彼の繊手が閃き、男達の足元に何かを叩きつけた。

「カッ!」

 それは無音で炸裂した。強い光が網膜を焼き焦がす。白い煙がモクモク広がり男達の身体を覆ってしまう。忽ち、全員目を押さえ身をよじらせてゲホゲホ咳き込みだす。

 結局、涙と鼻水でグショグショになって始めて、彼らは自分達の考えが甘かったのを思い知らされたわけだ。

 追いついてきたアウラに、首を振り振りヴェーラが言う。

「…んとに、お前のは派手だな」

「ありがとう。…次は何がいい? 爆裂符もあるぞ」

「褒めてないって」

 ――こうして二人は、セリアの捕らわれている最上階目指して、一層また一層と突破して駆け昇っていく。

 しかし、敵はそれ程強くないとはいえ、倒しても倒しても次から次へと新手がわいて出、行く手に執拗に立ち塞がる。

「あ〜また出た〜。いい加減にしてくれ! いくら数で勝負ったってなあ!」

 疲れてではなく、うんざりしてきて溜め息をつくヴェーラ。いささか投げ遣りに相手を片付け、再び走りだす。そして、横を走る相棒に向かってぼやく。

「おまけに何だよ。この異様〜な程の守備は。時間稼ぎでもあるまいに。…金のなる木とは言え、所詮は人質。これ程熱心に守るか?」

「妙と言えば…攻撃もかなりお粗末で、統制も取れていない。それに奴ら、無法者にしては身形が真面過ぎると思わないか」

 平然と戦士のペースに合わせ、息を乱しもしないで答えるアウラ。

「そうかな? 服装の事はよく判らないや。…あ、それよりもっとおかしな事があるよ」

「?」

「さっき食堂で奴らが何食ってたと思う? なんと、旅行用の干し肉だぜ! 作戦中でもないのに、あんな不味い物大人しく食べてたなんて信じられねえ」

「流石、目の付け所が違うね」

「いや〜、それ程でも…あるぜ。ありがとお」

「誰も褒めてないぞ」

「そんな…! あ、まただ! もうやだ〜!」

「わははは! ここを通りたくば俺を倒していけ!」

「ええい! 望みどおり即刻倒したるわい!」

 ――とまあ、こんな調子なので、最上階に着く頃には最早二人ともゲンナリした表情を隠そうともしない。従って、前方に厳重に守られたいわくありげな大扉を見い出した時には、思わず歓声を上げてしまう。

「お! あれかな? おらおらっ! どけどけ〜っ!」

 これまでにも増した凄い勢いで飛び出して行くヴェーラ。迎え討つ賊達も、口々におめきたてながら段平を振りかざしこちらに駆け寄ってくる。だが、戦闘は始まってすぐに終わってしまった。

「わ!」

「ぐえっ」

「なんの!」

 ドカボキグシャ。

 今度も山賊どもは戦士にかすり傷一つ与えられないうちに、床のそこここにおねんねとあいなる。

「はいっ、一丁あがりっ!」

 ヴェーラは満足の笑みを浮かべると、扉を蹴り飛ばして開けようと足を持ち上げるが、はたと途中で止める。

「…あ、と。これで最後だとすると何か仕掛してないかな? どうだ? …いや、そもそもここでいいのか?」

 ごろごろ転がっている犠牲者達をヒョイヒョイ避けながらのんびりやって来る相棒を振り返り、声をひそめて尋ねる。

 アウラは大人の身長の倍はある両開きの大扉の前に立つと、緑青の浮いた表面に両手をかざしてみる。

「…なんだ。何も仕掛けはないぞ。扉の両脇で二人ずつ待伏せしているけど。それと…『泉の守』はちゃんと生きてこの部屋にいるよ。ここまで近寄れば判る」

「よかった! 間に合ったか!」

「でも例の「場』もここにあるんだ。…今のところ活性化は僅かな物だし、一応制御もなされているが…」

「気にしな〜い。やばくなる前に山賊どもを蹴散らして姫を連れて逃げちまえばいいんだから」

「そううまくいくかな」

 筋金入りの脳天気さにあきれるが、ヴェーラは全然こたえてない。反対側の壁際まで後退して肩や首、足首をぐるぐるコキコキ、準備運動に余念がない。

「な〜に。ちょろいもんよ! さ、豪快に突っ込むぜい!」

 ニヤリと駆け出すと、扉の合わせ目に肩をぶち当てる。

「うぎゃーっ!」

 重い青銅の扉が大音響と共に、爆発にあったような勢いで吹っ飛んで開く。そして内側の壁に激突し、影に隠れていた不幸な下っ端達を押し潰す。

 ヴェーラは頭から室内に飛び込むが、片手を床につき見事なとんぼをきってスタッと着地する。そして、流れるような動きで身構え直し、薄暮の闇に沈み込んだ周囲を見回す。

 ――円形の広い部屋。壁際にグルリと立つ太い円柱が高い丸天井を支える。天井の数箇所に色ガラスのはめられた明り取りがあり、そこから落ちた弱い光が埃の積もった石の床にぼやけた模様を描いている。

 家具や調度品の殆どないガランとした室内は、三十余名もの筋肉隆々の巨漢達でギッシリと埋め尽くされている。

 皆、緊張と憎悪に弛張った顔で戸口の方を向き、それぞれ鉾や大太刀を握り締めている。ばかりか、部屋の奥の一段と高くなった所には、最後の切り札らしき重装備の戦士が六人ほど悠然と腕組みをしてひかえている。

 そして、更にその背後には――。

 凝った彫刻の施された背もたれの高い椅子が一脚。そこに、全身を柔らかな藍色の光の繭にくるみ込まれ、目を閉じてグッタリと腰かけた少女の姿がある。

 縁が丸くすり減るほど古びた呪宝を額と胸につけ、白い簡素な衣に、水を操る高位の術者である事を示す藍色のケープ。

 ――これこそ彼らが救出にきたファウナの『泉の守』だ。

 ヴェーラは、クンッと頭をもたげて…

「やっほほ〜い! セッリアちゃん、助けに来たぜいっ!」

 破顔一笑、頭上で両手をぶんぶん振りながら叫びかける。この予想外の第一声には、室内にギリギリと張りつめていた緊迫感も一挙に消し飛ぶ。しかし彼は気にもとめず、

「あれ? 眠ってる? じゃさっきのも見てなかったのか。折角きめたのになー」

 少女がピクリともしないのに、悲しそうに溜め息をつく。男達は思わず頭を抱えて床にへたり込みたくなるのを、懸命に堪えている。

 後から入って来たアウラがその様子を見て取り、皮肉る。

「お前なら、剣などなくてもその性格だけで充分戦えるよ。…しかし人質の監禁場所としては妙な所を選んだものだね」

 ふっと真顔になり相棒に同意を求めるが…こちらは何やらしみじみ頷いている最中。

「いや〜よかった。うん。よかったなあ」

「…何が?」

「あの絵姿って、修正入りじゃなかったんだ!」

「…」

 再び襲い来る脱力感にうめきをあげる男達。彼らよりは慣れているとは言うものの、アウラが手の震えを抑えるのに二呼吸分は必要だった。

「どうした? 早く仕事しろよ。姫に魔道のワナとか仕掛けられてても、俺じゃどうしようもないもんな」

 ケロッとして催促してくるのに、ぼそっと答える。

「…ワナも呪縛もない。あの光はセリアの自己防衛だ。ただ起こせばよいだけ」

「おおっ! 眠り姫を起こす、と言うと…やはりあの古典的方法で? お、俺やりたい! 立候補しますっ!」

 尻尾があったなら振り切れんばかりの大袈裟な喜びよう。

「雑魚の始末は任せろって言ってなかったか?」

「こんなのすぐ済ませるから! 親むよ〜。え、え〜っとね、今度食い物見つけたら先に好きな所取っていいからさ」

「凄くいい条件じゃないか。破格だな」

「だろ?」

「…それほどまでに頼むのなら譲ってもいいが」

「やた!」

「ただ…」

 アウラが尚も言葉を続けようとしているのに、もう有頂天で千切っては投げ千切っては投げを始めたヴェーラの耳には何も聞こえていない。

 やっと気を取り直した男達が、めいめい得物を振りかぶって迎え討つが歯牙にもかけない。殴ったり蹴ったりだけでなく、相手から奪った刀も使って次々と倒していく。

「後、十人〜! あっそれ、後九人〜♪」

 が、張り飛ばした山賊の一人がセリアの方へ吹っ飛ぶ。

「あ、ごめ!」

「馬鹿者!」

 舌打ちするアウラ。賊の身体は、少女の身体を包む藍色の光球に頭からもろに突っ込む。と!

 光球がグワッと膨れ上がり、藍色の火花に包まれた賊は竜馬に蹴られたような勢いで弾き返され、床に叩きつけられる。

「な! …もし俺がのこのこ近付いてたら!」

 床でまだぶすぶすと煙を上げている黒焦げの山賊を見て、ガクーンと顎を落とすヴェーラ。山賊達も、「やっぱり…」とざわめく。

 が、アウラは一人落ち着き払って講釈をたれている。

「『何人もその者に触れる事叶わず。雷により減されん』…自らの生命力を雷撃に換えて身を守っていたんだ。外からでは探知できないほど消耗する筈だ」

「おまいね〜! …んな大切な事、何で黙ってたんだよ!」

 くってかかるヴェーラだが、

「人の話を最後まで聞かない方が悪い」

 平然と返される。

「それに、お前のその体力なら大丈夫だ。一回や二回の雷撃では死にはしない。ほら、早くしろよ」

「死なないって…!」

 絶句して天を仰ぐヴェーラ。

「…判ったよ。判った! もう代わってくれなんて言わないから。俺が、むさいおっさん相手にチャンバラやってる間に、お前はお姫さま助けてて下さい! その代わり…自分の進路上の奴くらい自分でかたつけろよ!」

 捨て台詞を吐くと、やけくその叫び声を上げて仕事に戻る。

「かた? 倒すばかりが能じゃないよ」

 くすっと笑うと、うなりを上げて振り降ろされる豪剣の下を素早くかい潜り、瞬きする程の間に部屋を渡りきるアウラ。そして重装戦士達の足元に火炎弾を数発まとめて投げ付ける。

 グワッ!と床を走って一気に広がった炎の舌が、それまで余裕をもって戦いの推移を見守っていた戦士達の足をなめ、ズボンを焦がしマントの裾に燃え移る。

「うわっ!」

「あちあちあち!」

「何しやがる!」

 百戦錬磨のつわもの達もこれにはたまらず、必死になって足踏みしたり手で叩いたりして火を消そうとするが、石の床その物が燃えているのでどうしようもない。結局、ダダダッと駆け出して持場から離れてしまう。

 その隙に炎の輪をポーンと飛び越え『泉の守』の前、光球の縁から少し離れた所に降り立つアウラ。

「これで、お前の分担だ。よろしく」

「ぶーぶー!」

 文句はつけるが結構楽しそうに暴れまわっているヴェーラ。

 が、体よく追い払われた重装戦士達はおさまらない。

「くそ。見てろ。この広間からは生きて帰さないから!」

 暫くは炎を遠巻きにして負け惜しみを言ったりしている。――アウラはそんな彼らを無視して用心深い一歩を踏み出す。途端に光球の輝きが強くなるが、少女は僅かに頬を強張らせただけで眠り続けている。

 その胸が極々ゆっくりとではあるが規則的に上下しているので、生きている事だけは確かだが、きゃしゃな手を肘掛けから力なく垂らし、長いまつげを伏せた顔も痛々しいまでに憔悴しきっている。

「これは…酷い。ファウナまでどころか、この部屋を出るまですらもたないぞ。…よし。まず防御を解かせるか」

 沈痛に呟くアウラ。気がつくと敵味方仲良く手を休め、段々弱まってきた炎の壁越しに彼の一挙一動を見守っている。

「どうやって起こすつもりだろ? わくわく」

「ヘへっ。こんがり黒焦げに決まってるのに」

「んだんだ」

「でも術者らしいから何か凄い技がでるのかもしれない」

「…見世物じゃないぞ」

「気にしないでやってちょーだい」

 アウラは肩をすくめると、おもむろに古語で叫ぶ。

『おきろっ!』そして、後は普通の言葉で言う。

「助けに来たぞ。…ほらいつまで寝ている。もう昼過ぎだ!」

「それでも術者か!」

「そんなので起きたら世話ないぜ!」

 あざ笑う賊達。が。

「う…ん?」

 セリアが呟いて身じろぎする。光はスウッと身体に吸い込まれて消えていく。

「う、うっそお! なんでー?」

「信じらんな〜い!」

「期待を裏切って悪かったな。どうだ? 面白かったか」

 巻き起こる非難の渦の中で、相棒に笑いかけるアウラ。

「ず…ずっこい! こんな事なら俺もやってみるんだった!」

 拳をワナワナ震わせて悔しがるヴェーラ。クルリと振り向くと、山賊どもを端から順に物凄い目付きでねめつけていく。その迫力に押されてビクッと後退りする面々。

「こ…この怒り、み〜んなお前らにぶつけてやるっ!」

「んな、御無体な〜!」

「無茶苦茶でござりますがな!」

「うるせ〜! 覚悟しろ〜っ!」

 忽ち起こる剣戟の響き。

「…手伝うまでもないな」

 アウラはちらっと見て満足すると、セリアに注意を戻す。

「問題はこちらだ。術は解いたものの意識が戻らないとは! 消耗し過ぎていたのだな。…仕方ない。お得意の活性化をやるか。あまり『場』の傍ではやりたくないのだが」

 両手を伸ばして少女の頭にそっと置くアウラ。精神集中に唇がキッとひきしめられる。…と。見る見るうちに少女の頬に生色が蘇ってくる。呼吸の間隔も早まって正常に近くなってき、まぶたを時折ピクッと震わせたりもしている。

「…セリア、早く目覚めてくれ。私が制御できている間に!」

 祈るように呟くアウラ。

 ――一方。ヴェーラは、あっと言う間に雑魚を片付けてしまい、今では重装戦士の相手をしている。

 具足を鳴らし、ススス…と前に進み出てくる男達。その数こそ少ないが、これまでのとは動きも迫力も段違い。

 中でも、巨大な戦斧を軽々と引っ提げた男…仲間より優に二廻りはでかい彼の放つ雰囲気は只者ではない。野獣のような強烈な殺気がビシビシと面を打つ。

 しかし、これしきでひるむようなヴェーラでもない。

「さっきまでの奴よりは、随分歯応えあるみたいだな」

 頬に不敵な笑みを浮かべて呟く。

「得物はあんまり使いたくなかったんだが。…いくぜ」

 終にスラリと大刀を抜き放つと、いきなり凄まじい雄叫びをあげ、敷石を踏み割らんばかりの勢いで駆け出して行く。

 男達も彼と同時に地を蹴って散らばる。

 ヴェーラの姿が宙に舞い、必殺の一撃目が斧使いの巨漢に振り降ろされる。が、それは戦斧の鉄輪をはめた柄で受け止められた。ギィーン!と金属音が薄闇を突ん裂く。

 彼がまだ空中におり二撃目に入る前に、その左右と背後から他の者が音もなく襲いかかってきた。ヴェーラは斧と大刀の接点を軸にしてクルリと男の頭上を越え、背中合せに降り立つ。そして、素早く奴の脇腹に肱打ちを叩き込むと、横にいた男めがけ飛び掛かる。

 ――ちょうどその時。セリアが不意にパッチリと目を開いた。澄んだ濃い藍色の瞳が自分の上に屈み込んだ彼を映し、けげんそうな色を浮かべる。

「あ…なた…誰?」

 少しかすれた低めの声。

 アウラはほっと息をはくと、手を放して簡潔に答える。

「我々は傭兵だ。町長に雇われて君を助けに来た」

「…助け? …何故来たの!」

 突然身を起こすセリア。

 沸き起こる疑惑に半歩退いて身構えるアウう。だが…

「早く逃げて下さい! 貴方達まで…」

 少女は口早に訴えかける。と、その目がふいに見開かれた。よろめく足で椅子から立ち上がり、彼の身体を脇に押しやりながら叫ぶ。

「駄目! やめてっ! 殺さないで!」

「え?」

 戦士の一人を追い詰めて、とどめをさそうとしていたヴェーラの動きが止まる。機を逃さず反撃に移る戦士。

「おっとと…悪いけど、お姫さまの博愛主義に付き合ってる余裕はないみたい」

 賊の剣先を払い除け、再度大刀を振りかぶる。が。

「その人達は悪くないんです! どうか…」

「罪を憎んで人を…って事かい?」

 皮肉な笑みで言うアウラを振り返り、かぶりを振る。

「皆、魔導士に操られているだけなんです!」

「何?」

「通りがかりの旅人や戦士が、自分達はヴォレスの『場』を守る戦士だと思い込まされて…」

「魔導士! 奴が背後で糸を引いていたのか! どうも只の山賊にしちゃ変だ変だと…!」

 剣を下ろしてしかめっつらで叫ぶヴェーラ。

「…何故閉ざされた『場』などを守る? …あ! あの中途半端な活性化! では、君がさらわれたのは!」

 ハッと気付き、面を上げるアウラ。セリアは強く頷く。

「彼は、人々の生命力を集めて喰らい、このイス・ヴォレスの『場』復活の力にしようと企んでいるのです! 力の強い術者や勇敢な戦士の命の炎は、特に良い餌になるとか…!」

 そこで気力が尽きフラッと倒れ込むのを、素早くアウラが抱き止める。

「やはり! …しかし、そこまでして『場』を復活させてどうする気だ? まさか世界征服する心算ではあるまい」

「そうではないようです。私に語った所では、どうやら彼の目的は『場』の復活そのものらしく…」

「妙な奴だな。欲のない。…一体何者なんだ?」

「名は『水』のエリアス。ヴォレスの『場』と完璧に同調した術者だそうです」

「同調? 最…悪だ」

 流石のアウラも、うめき声をあげる。

「…途方もない力を使う上、ヘたに殺せば暴走が起こるぞ。『場』を閉ざすか破壊するよりないと? …ん、この波動!」

 突然アウラが言葉を切る。セリアの身体もピクリと震える。

「奴…か?」

「ええ。エリアスが…目覚めましたね」

 思わず顔を見合わせる二人だったが。

「おい! おいっ! …何でもいいから早いとこ結論出してくれよ。どうすりゃいいんだ? 今迄は景気よく倒してきたけど、全部被害者と判った以上そんな訳にいかないし…」

 困惑の表情で叫びかけてくるヴェーラ。残りの『山賊』達が依然として殺意剥き出しで斬りかかってくるので、仕方なく応戦している。

「殺すわけにも殺されるわけにもいかないよ!」

「なあに。どちらもする必要はない。お前の言っていた通り、彼らの相手などせず、さっさと帰ればいいんだ。…退くぞ」

 ひょいっとセリアを抱え上げるアウラ。

「待てよ。このまま帰る訳にはいかない! 折角救出しても、また新たな山賊団を募って奪い返されちや何にもならないよ。魔導士を倒さなきゃいつまでも同じ事の繰り返しだ!」

 拳を握り締めて力説するが、あっさりと断られる。

「…私は嫌だ」

「何?」

「私が承知したのは人質の救出だけだ。魔導士の方は、もうすぐ魔都から専門家が来て何とかしてくれるだろう」

「そりゃ出血大奉仕だけど。この際、超過料金なしで『悪い魔導士退治』までやってやろーぜ」

「金の問題じゃない。…私は一刻も早くこの『場』から離れたいんだ」

 きっぱりと言いきると、殆ど消えかけていた炎を踏み越え、出口に向かってスタスタと歩み始める。

「あ! 『場』か。そういやそうだっけ! …じゃまず一回ファウナに戻ろう」

「一回、じゃない。もう来ないぞ」

「そう言わず!」

「お前は、ただ暴れ足りないだけだろうが」

「そんな事! あるけど…」

 相変わらず周囲からワラワラとかかってくる男達を適当にあしらい、渋々相棒の後を追うヴェーラ。

「あ〜あ。お名残惜しいが…! おいっ! 横!」

 ヴェーラの警告と共に、横手からアウラに襲いかかる戦士。グイと突き出される長槍。彼は冷静にそれを避け、男の伸びきった腕に符を叩きつける。

『縛!』

 ピタリと動きの止まる戦士。その全身にかすかな光を放つもやが絡み付き自由を奪っているのだ。が、また別の戦士が前方で蛮刀を振りかぶる。

 無造作に間合いをつめ、その額に符を置くアウラ。

『幻!』

 男の目がカッと見開かれ、くぐもった悲鳴をあげながら顔の廻りの空間を必死になってかきむしりながら倒れてしまう。

 ――この二人、こうと決めれば前進だけでなく退却も早い。アウラが道を開き、追いついたヴェーラが背後を守り…と、すぐに戸口近くまで到達してしまう。

「ああ! さぞや名のある魔法戦士様なのでしょうね!」

 感にいったセリアが腕の中で叫ぶ。

「いや。そのような立派な者ではない」

 苦い笑みを浮かべる。

「でも…先程私を起こしたのも、今、こうして生命力回復のカを注いで下さっているのも…」

 戸惑う少女に取り合わず、歩み続けようとするアウラ。しかし、魔導士がみすみす彼らを見逃すわけがない。

 いきなり、部屋の奥の方からキュイィ…ンッと宙をうねり三人の間を通り抜けた気があった。

「!」

 声をあげる間も符を使う間もなくバタン!と扉が締まり、更にその表面が藍色の光を放つ氷壁で覆われる。ただ一つの、部屋からの脱出口が塞がれてしまったのだ。

「くそ! 閉じ込めやがった! んな物、ぶっ壊してやる!」

 腕まくりをしてズカズカと近付くヴェーラだが、

「待て。馬鹿力だけでは魔道には対抗できないぞ」

 さっと腕を振るアウラ。マントの裾が氷の扉の表面をかすめただけで、キンッと凍結してボロボロに砕け散ってしまう。

「じゃ、お前やってよ」

「無理だ。奴の結界の中だもの」

「残念! 壁も…割れないよな。この厚さじゃ。――なんだ。結局、魔導士倒さなきゃ帰れないんじゃん」

 ヴェーラは肩をすくめると、扉に背を向ける。例の斧使いが、まだ動ける二人の重装戦士を引き連れて目前まで迫って来ていたのだ。

「…ではまず、当面の敵から片付けるとするか。エリアス君は使える手下がいる間は、出てくる心算ないみたいだしね」

 ペロッと唇を湿し大刀を正面に構え直す。その全身から、闘気がふつふつと立ち上る。

「殺さぬよう無力化、だぞ」

 後ろから声をかける相棒。

「お前は?」

「任せた。…エリアスが目覚めてから急に『場』の活性度が高まって、気分が…なんだ。それに人の楽しみを奪うほど野暮ではない」

「なんて有り難い心遣い! 涙がちょちょぎれるぜ!」

 言いながらかかっていくヴェーラ。しかし、最後まで残っていただけあって相手もなかなか腕がたつ。暫くは部屋に、どわ〜っ!とか、でいっ!とか言う鋭い叫びが響き渡る。

 その戦いを心配そうに見守りながらセリアが声をかける。

「あの…私、自分で身を守りますから、どうかお友達の…」

 胸の前で印を結ぶふりをしながら言う。が、アウラは静かに首を横に振る。

「もうあの術を使ってはいけないよ。折角ここまで回復したのに。…あと暫く私の傍を離れないでいれば、走り回ったり竜馬に揺られても平気なぐらいまでになれるから。のんびり見物しているといい。…そうだ。いい物がある」

 きびすを返し、傍らの床に少女を座らせると、自らの左手首から華麗な彫刻の入った幅の細い腕輪を外して、その腕につけてやる。

「この護符なら生命力は使わずにすむ。…同調もいらない。一言叫べば込められた念が働くお買い得品だ」

 彼女の耳に古語をささやく。慌てて抗議するセリア。

「このような立派な呪宝…貴方達が使って下さい!」

「遠慮は無用だ。奴はこんな物必要ないくらい丈夫だし、私には合わない発現の仕方をする。…それに私達は君を救いに来たんだよ。その君を守らなくてどうする?」

「…すみません。私などの為に…」

 セリアは顔を伏せる。

「…勇者達を誘き寄せる才トリに使われ、人々が次々と彼の毒牙にかかるのを目の当りにしていた時も、私にはどうする事もできませんでした。――雷撃で自らを守るのが清一杯。この館から逃げ出す事など到底叶わず…なんて無能な…! 私にはお二方の命をかける程の価値もありません!」

 気の強そうな唇が歪み、涙がじんわりと溢れてくる。

「君は戦士ではない。生きていてくれただけで充分だ」

「でも…」

 尚も言いつのろうとするセリアだが。

「君には『泉の守』としての力と、力を生かせる『場』、それに君の帰りを待ちわびている人々がいる。…それだけでは足りないのか?」

 少しきつい口調になって問うアウう。少女の腕に置かれていた手にグッと力が入る。その目の中で、何か激しい感情が渦巻いている。

 ハッと気付くセリア。彼の衣服には所属する流派を表わす紋章がついていない。と言う事は。一つ所に留まって『場』に仕えない、又は仕える事の出来ない流れ者の術者なのか?

 後悔しで、何か角の立たない謝罪の言葉を…と探す彼女に、ふいっと背を向けてしまうアウラ。

「そうそう。今のうちに確かめておきたい事があったんだ」

 いきなり話題を変えると、足元に転がっている『山賊』達を覗き込んでは、襟元に両手を掛けビッと引き裂いていく。

 セリアは慌てて涙を指で払い、パチクリと独りごつ。

「金目の物を漁っているわけじゃ…ないよね?」

 ――彼らは一様に鎖骨の上に藍色の細い首輪をはめていた。何の装飾もなくあっさりした形状の、水晶のような透明感を持った不思議な金属製の輪だ。

「お揃いの首輪だ。…これがカセだな」

 言いながら軽く輪に触れるアウラ。輪は一旦ピシッと弾け粉々に砕け散るが、再び凝縮し元通りの形になってしまう。

「やはり結界の中では、外してもまたすぐ…。――結界か。破ろうにも『場』の核はどこにあるんだろう?」

 またセリアの傍らに戻り、室内を眺め始める。

「あの壁際の柱…気になるな。全部で…一、二…十二本か」

 壁や床と異なった材質の柱を、見据えて考え込むアウラ。

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