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メグレス魔戦記・黒のアウラ
〜泉の町(ファウナ・ガルド)〜
(3)

 
                 大沢 純

 
 

         ☆         ☆

「せいっ…!」

「ぐあっ!」

 背後からかかって来た男の腹を、振り向きもせずに蹴り飛ばし壁に叩きつけて倒すヴェーラ。

 いよいよ、後残るは斧使いの巨漢ただ一人である。

 息を整え互いに隙を窺いながらじりじりとすり足で廻っている二人。ヴェーラが誘いの隙をちらっと見せる。

 巨大な戦斧を軽々と操って斬りかかってくる男。身をよじってかわすヴェーラ。刃先が床に食い込み石材が砕け飛び散る。

 が、男は切っ先はそのままに、柄を跳ね上げてヴェーラの腹を狙ってくる。その柄を掴んでグイと頭の高さまで持ち上げ、股間に膝蹴りをくらわす。

 うめきを漏らした男は、戦斧の先で石屑をヴェーラの顔に撒き散らし、戦斧を風車のようにぶんぶんと振り回してかかってくる。舌打ちを一つし、目をつむったまま後方に向かって連続してとんぼをきり、逃れるヴェーラ。

 どちらも正統派の剣法ではない。かなり汚い手も使う喧嘩殺法だ。暫く切れ目なく丁々発止とやり合っている二人。

 破壊力では相手に軍配が上がるが、全体に素早さと柔軟さの勝るヴェーラが優勢のようだ。

 ――終に戦斧が空中高く弾き飛ばされた。が、男が右手をスッとかざすと、なんと途中で見えない手に掴まれたようにクンッと止まり、今度はヴェーラめがけて襲いかかってくる。

「受けてみよ! 我が必殺の飛燕閃刃!」

 戦士が大音声で叫び腕を振ると、戦斧は二度三度と空中で向きを変え、顔や腕をかすめる。凄まじい風圧に切り裂かれ長く浅い裂傷を負うが、何故か微動だにしないヴェーラ。

「どうした? 逃げないのか? …恐怖のあまり身動きすらできないか?」

 勝ち誇りあざける斧使い。が、うなりを上げて落ちてきた刃が頭の上にきた瞬間、ヴェーラはにやりと笑って、両手でしっかりと握った剣を思い切り横殴りに振り回す。

 叩き落とされた戦斧が床に当たり火花を散らす。

 腕を一閃させる斧使い。すると戦斧が再び宙を飛んで彼の手元にストッと戻る。その右手首から伸びた太く長い鎖が、いつの間にか柄の下部にある輪に繋がれている。…魔術でも何でもなく、彼はこの鎖で戦斧を自在に操っていたのだ。

「よくぞ見切ったな! 誉めてやろう」

「ありがと。うろたえて右往左往するより、この方が確実に避けられるって事さ」

「が、避け方は判っても攻撃には移れまい?」

「どうかな?」

 うそぶくなり男に向かって駆け出すヴェーラ。

「くらえっ!」

 戦斧を胸に真っ直ぐ投げつける戦士。

 ギリギリまで待ってひょいと横に逃れるヴェーラ。

「甘いわ!」

 手首のひねり一つで通り過ぎた斧が旋回して戻ってくる。当然彼は戦斧が後ろに引いた鎖にからめとられる。

 鎖の端をムンッ!と引く斧使い。ヴェーラの身体は無抵抗のまま宙に舞い上がり、天井に叩き付けられると見えたが!

 裂帛の気合と共にヴェーラの四肢が伸ばされ、鎖がバラバラに弾け切れる。

「ばかな!」

 驚愕の表情で見上げる男の顔面に、全体重に加速度を加えた両膝が吸い込まれる。ゴキ!非情の音がし、どうっと倒れ伏す巨体。ヴェーラは最後まで膝を外さなかった。

 殆ど疲れた様子も見せずに、仰向けにのびた男の顔からひょいっと降りながら、宙に向かって吠えるヴェーラ。

「お〜いエリアスとやら! もう手下は残ってないぜ。勿体ぶらずに早く出てこいよっ!」

 が。

「…まだ…だ。ここでお前に倒される訳にはいかない…」

 必死に、ぼやけがちな目の焦点を合わせようと瞬きをして起き上がろうともがく斧使い。

「俺が…俺がエリを守らなければ…くそ! これしき!」

「こいつ本当に操られてんのか? 妙にしぶといな〜!」

 眉をひそめるヴェーラにも構わず、死にものぐるいの努力で片肱をつき半身を捻って、部屋の奥の方に手を差し伸べる。

「エリアス! 俺に…力を!」

 暫くは何の反応も見られない。しかし。

         ☆         ☆

 若い男の含み笑いが、地を這って何処からともなく聞こえてくる。

「…クク…さしものゼーダもてこずっているようだな」

「!」

「出たか御大!」

「あそこに!」

 指差すセリア。室内の薄闇が一段と濃くなり周囲の円柱の光が妙に目につく。そして、広間の中央、明り取りから落ちた弱い光が模様を描いている辺りの敷石に、フッと波紋が生じる。

 身構える二人。少女はアウラに促され護符を発現させる。忽ち柔らかい青のもやが腕輪から放射され、セリアの身体をふわっと取り巻く。

 その間に波紋は同心円状に速やかに広がり、中心から藍色に変じて溶け、大量の水蒸気を天井まで轟々と吹き上げる。

「な、何?」

「…派手な野郎だぜ」

「無駄使いして…」

 三者三様に呟く中、唐突に蒸気が下方に向かって渦を巻き一点に収束したかと思うと、藍色の光がカッと目を射る。

 光度はすぐ落ち、後には光と影で描かれた水の文様が床に残る。その中心に腕組みをしスックと立つ人影。解放された、蒸気がそのほっそりとした身体にまとわりつき、ゆったりと宙に消えていく。

 ――勢いよく跳ね上がった癖のある藍色の長髪。それをまとめている鈍い光を発する輪。そして、典雅ではあるが酷薄そうな笑みをたたえた顔。

 着ている物は何のへんてつもないチュニックとマントだし、体格も昔通より小柄な方だが、その全身から絶大なる自信と力を漂わせている。

 彼は三人に尊大な一瞥をくれると口をきった。

「ようこそ。我が館へ。もてなしは気に人って貰えたかな」

「も〜う、ばっちり!」

 片目をつぶってみせるヴェーラ。

「貴様が…?」

 冷静に尋ねるアウラ。

「そう。私が『水』のエリアスだ」

 気障に手を振って軽く頷く。手の軌跡から藍色の水蒸気が尾を引き凝縮すると、掌ほどの直径の輪が三つ出来上がる。男達の首にあった、水晶のような透明感を持った輪だ。

 その輪を掌の中でコロコロ弄びながら続ける。

「…傭兵ども、よくここまで来たな。褒めてやろう。セリア、君も今迄随分と手こずらせてくれた。…しかし、もう二度とこの部屋からは出られないのだから、観念して我が『場』の復活に力を貸す事だ」

「冗〜談じゃない。誰が餌なんかになるか! お前のしょうもない野望の御陰で、こいつら罪もない旅人や戦士達は…! ――許せねえ! 絶対お前を倒す!」

 盛り上がって、珍しく険しい表情で叫ぶヴェーラ。が、

「おい、いつの間に魔導士退治までやる事になったんだ?」

 いきなり相棒の平静な声に水をさされる。

「あらら。…それはないんじゃない? アウちゃん」

「そちらの方が利口者のようだな。…なに、殺しはしない。安心しろ。少しばかり生気を頂くだけだ」

 にんまりとする魔導士。アウラは首を振る。

「勘違いするな、エリアス。降伏するなどとは言ってない。取り引きだ。…私は争いを好まないんだ。私達三人を黙って帰してくれるなら、お前自身にも『場』にも手は出さない」

「と、取り引きですって?」

「何を言いだすんだよ…」

 愕然とするセリア。頭をかかえるヴェーラ。

「悪の魔導士相手に取り引きを持ちかけるなんて!」

「こいつが応じる訳ないだろが! きっとだまし討ちに…」

「そ、そういう問題ではないと思いますが…」

 脱力のセリア。

 魔導士も当然ながら拒否する。

「笑止! どいつもこいつも全く! 倒す? この『水』のエリアスを流れ者の傭兵風情が、か? ――そのような戯言はせめてこれを防いでからほざく事だな!」

 古語の叫びとともに、輪を三人目がけて投げ付ける。

『我に心捧げよ! 我ヴォレスの『場』の糧となれ!』

 小さな悲鳴をあげるセリア。が、彼女に向かって飛んできた輪は青いもやに突っ込んだ所で止まり四散してしまう。

 しかし、後の輪は避ける間もなく二人の首に吸い込まれ…いや、激しく外側に弾けて消えてしまった!

「な、なんと! 呪縛を受けつけないほどの意志力?」

 目を丸くするエリアス。

「悪いなー。男に捧げる心なんざ持合せてないんだ」

「人に指図されるのは嫌いな性分でね」

 不敵に答える二人。セリアがほっと息をつく。が、魔導士は邪悪な笑みを浮かべる。

「くく…。凄い…素晴らしいぞ! 戦いようも中々だったがそれに加えて、この溢れんばかりの生命力! 今迄で一番の獲物だ! …欲しい! 益々欲しくなった!」

 彼の興奮に合わせて体表から藍の陽炎が立ち上り始める。

「へん! 取れるものなら取ってみな!」

 大刀をヒュンヒュ…ンッと振り回し、最後に切っ先を魔導士に向けてピタッと止め見得をきるヴェーラ。

 アウラは、腕組みをしたまま不機嫌に言う。

「折角人が穏便に済ませてやろうとしているのに。間抜けめ。…よく覚えておく事だ。破滅を選んだのはお前だからな」

 二人の反応に呆れるエリアス。

「魔導士を前にして動じないばかりか、口幅ったい事を! …余程の自信があるのか単に図太いのか。…何者だ? お前達。倒す前に名前ぐらい聞いておいてやろう」

「名のる程の者でもない。ただの通りすがりの傭兵さ」

「まあまあ、アウちゃん。誰にやられたのかも判らず倒されていくってのは、ふびんだよ。…俺はヴェーラ。翠竜の、ね」

「翠…? では、お前達が!」

 驚く魔導士。

「ふ…うむ。それならば判る。あの程度の呪縛を物ともしないのも! …『黒竜と翠竜の戦士』、か」

 二人の全身をめねまわす魔導士の唇に、薄い笑みが浮かぶ。

「フ、お前達は別の名の方でより知られていると聞いたが? …人族でありながら破壊的なまでの力の持主と謎の術使い。行く先々で死骸の山を築き『場』を乱す…『魔竜と狂戦士』! 噂通り物騒な奴ばらだな」

「無責任な噂だよな。俺達はそんなんじゃねえぜ」

 露骨に嫌な顔をするヴェーラ。が、魔導士は取り合わない。

「餌食とするに不足はない。全力をもって倒してやるぞ!」

 いきなり両手を振り上げて叫ぶ。

『我に力を!』

 部屋のそこここに転がっている男達の身体から霧のような物が立ち上り、魔導士の掌に吸い込まれていく。

「あー、全力だって」

「お前が余計な事を言うからだ」

 見る見るうちに男達の頬はこけ、顔色も紙のように白茶けていく。壁際の柱がボゥ…と光ると、エリアスの全身は益々強い藍色の光を発し始める。

「チッ! 『場』に働きかけて力を増幅している!」

「ふむ。これでは少し不公平かな?」

 呟く魔導士。

「うん!」

「一対二では」

「違う〜!」

「…ゼーダ!」

 エリアスは首を傾げると左手をスッと斧使いに差し伸べる。掌からほとばしり出た光の束がその身体にぶち当たる。光に包まれビクンと震えた後、むっくりと起き上がる巨漢。

 腕を広げて挑戦のポーズ。野獣のような雄叫びを上げる。全身がはち切れんばかりの闘気に溢れ、ブンと戦斧を振ると、風圧だけで石の床に亀裂が走る。…その目に瞳はなく藍色に染まっている。

「ずるい〜! ひいきだっ! 折角倒したのにい!」

「狂戦士君のお相手は、このゼーダがしてくれよう! さあ、噂の魔竜の力見せて貰おうか!」

 にんまりと笑うエリアス。

「畜生! こんなの殺さずにどう止めろってんだよ! 誰が狂戦士だって? 大体…」

 口汚く罵る戦士だが、ゼーダはそんな猶予も与えずに躍りかかってくる。先程と比べ桁違いの早さ。

「くそ! 何とかなる…いや。してやるっ!」

 大刀を下手に構え駆け出すヴェーラ。忽ち部屋中を舞台に、床石を砕き柱をぶっかいて激しい戦いが繰り広げられる。

 ――一方、アウラ対エリアス戦の方は。

 その『水』の名に恥じず、気、液、固と様々な状態の水を自在に操り攻撃してくる魔導士。

 彼が片腕を上げ振り降ろすと、手の先から吹き出した水が蛇の形を取り、全身に絡み付いて動きを封じようとする。又、無数の氷の刃と化して石の床さえも切り裂いたり、高温の水蒸気に変わって火傷を負わせようと迫ったりする。

 アウラはそれらに符で応じる。が、『場』の後ろ楯を得ている魔導士に符程度で対抗できるわけがない。セリアを後ろに庇っている事もあって、すっかり防戦一方である。

 その上何故か、これまでどんなに激しい戦いも平然と切り抜けてきた彼が、今はたいした動きもしていないのに苦しそうに肩で息をしている。

 相棒をチラッと窺うと、彼も苦戦を強いられている。敵が獲物の腕の一本や二本なくなろうと生きてさえいれば構わん、という勢いでかかってくるのに、彼はあくまでも手加減する心算だからだ。既に数箇所に傷を負っている。

「まだ深手はないが、時間の問題だな。…私も急がねば! 『場』の活性度は高まる一方だし、符も残り少ない。…『場』の核は何処だ? 奴の立っている所が焦点なのは判るが…」

 浅く早い呼吸をしながら室内を見回す。その様子に

「戦士様、大丈夫ですか?」

 セリアが気遣わしげに彼を仰ぎ見る。

 一瞬微笑を浮かべて少女の頭を胸に引き寄せ、ありがとう大丈夫、とか何とかささやくアウラ。その仕種にムッとくるエリアス。

 あまりの手応えのなさ加減にもじれてきていたので叫ぶ。

「何故力を使わぬ? 魔竜ともあろう者が三流術者のように符に込められた念しか使わないとは! …ふふん。そうか! 消耗を恐れているのか? ハ! 楽はさせんぞ。どのみち手持ちの符の数にも限界があろう?」

「魔導士でない私にどうして術が使えよう?」

 アウラは煩わしそうに眉をしかめて答える。

「虚しい言い逃れだな。こうしている間にも、お前から放射されるカはどんどん増していくというのに!」

 身を震わせ陶然と言うエリフス。指先から氷の刃が走る。符を使わず何とか避けるアウラ。が、頬に数条の傷が残る。じんわりとにじみ出て、つううっと落ちる血。

 セリアが悲痛な声で叫ぶ。

「戦士様! お願いです、御自分の為に力を使って下さい! もう充分に回復できましたから! 私に力を注がないで!」

 しかし、アウラは黙って首を振る。それに対し

「私などの為にこれ以上、人が倒れていくのは許せません!」

 きっぱりと言いきると、いきなりアウラの手を振りほどき、身を翻して部屋の出口に向かって駆け出す。

「止めろ! 戻れセリア! 術なら護符で防げ…」

 ハッと途中で言葉を切る。はたして、にんまりする魔導士。

「ハハ…! 語るに落ちたな。その護符、術は防げるが物理的な衝撃には弱い類と見だ! ゼーダ!」

 後を追おうとしてエリアスの氷の術に阻まれるアウラ。ヴェーラも駆けつけようとするが、ゼーダに肩先を掴まれ、部屋の反対側の壁目がけて投げ飛ばされる。空中で身をひねって壁に足からついて叩き付けられるのは回避できたが、もう間に合わない。ゼーダが少女の前に立ち塞がり手を伸ばす。

 が。最後の瞬間アウラが叫ぶ。

「あの言葉だ! やれっ攻撃的防御!」

「なに!」

 驚愕のエリアス。

「しまった! ワナだ!」

 しかし時遅し。少女はキッと巨漢を見上げると左手を前方に出し、多少震えではいるがはっきりした発音で叫ぶ。

『私に触るな!』

 と、腕輪から目もくらむようなまぶしい青の光と、精神をずたずたに引き裂くような凄まじい絶叫が放射される。

『きゃ〜〜っ! 何すんのよ〜っ! 触んないでっ!』

 随分離れていたエリアスでさえ、たたらを踏む。ましてや真っ向から直撃をくらったゼーダは頭を抱え込んでクラ〜ッと仰け反る。そこに追い付いたヴェーラが更に剣の柄で後頭部を強打。たまらず沈み込むゼーダ。

 瞳から藍色が消え、最後にかすれた小声で呟く。

「く…エリ、逃げろ…もう…守ってやれ…ぬ」

「ゼーダっ! …しっかりしろ!」

 必死に叫びかける魔導士。

「…セリア、お芝居に協力してくれてありがとう」

 アウラの言葉ににっこりする少女。

「少しでもお役にたてて嬉しいです。…でも確かに凄い発現の仕方をしますね。由緒正しい痴漢撃退の呪宝かな?」

「そう言う事かよ。あ〜あ。折角の人の楽しみ奪いやがって」

 方々の傷から血を流しながらも陽気に抗議するヴェーラ。

「悪いな。長引かせたくなかったんだ」

 簡潔に答えるアウラ。彼の虹彩はいつの間にか再び、茶褐色から青に変わっている。それを見た相棒の顔が強張る。

「たしかに…残りも早いとこ片付けちまおうぜ!」

 しかし――。そう簡単には行きそうにない。

「く…そ、謀ったな! 魔竜ども! …よくもゼーダを!」

 悪鬼のごとき形相でギリギリと歯をかむエリアス。

「かくなる上は…ヴォレスの全力を傾けてでも貴様らを倒す! その後で命の最後の一滴まで吸い尽くしてやるわ!」

「…そんな大袈裟な事しなくてもいいのに。殺してないって。気絶させただけだぜ。何なの。この取り乱しよう」

 思わず呟くヴェーラ。構わず魔導士の腕が上げられると、それに呼応するように広間の周囲の柱が光を増す。彼の体表から、シュウシュウ音をたてて藍の蒸気が立ち上る。

「部屋中に力が溝ちていく! …これだけ強くなれば流れが読めるか?」

 サッと鋭い視線を走らせるアウラ。すぐに愕然となる。

「! 核は一箇所じゃなかっんだ。十二の柱の複合場だな! ク! 全部の柱を倒すだけの符はない。精々一本。…どれをやれば一番効果がある?」

「何をブツブツ言ってる! いくぞ!」

 叫びと共に勢い良く前に繰り出した魔導士の両の掌から、何本にも分かれた水の蛇が伸ひる。その中の太い物を狙って符を投じるアウラ。

『炎!』

 符が燃え上がり蛇は蒸発する。が、それを逃れた物が更に細く分かれ、四方八方からのたうちながらセリアとヴェーラに襲い来る。

 少女は今度も呪宝の青い光にしっかりと守られている。

 しかし。何の符も呪宝も持たぬヴェーラは。

「くそ!」

 逃げ切れぬと悟り、迫る光蔦を豪剣で斬り裂く。

「ほう! 剣で呪文に対抗する気か?」

 あざ笑う魔導士。

 『力』で構成された物には通常の武器は殆ど効果がない。ましてや相手は水である。斬っても斬っても端から再生し、かえってその触手を増していく。

 ――ついに水の蛇はヴェーラを捕らえる事に成功し、彼が満身の力を込めてもがくのも物ともせず、魔導士の元に引きずり寄せる。

「ハハ! 捕まえたぞ! 所詮、狂戦士とて人の子。いくら大きな事を言っても剣で魔道に対抗できるわけもない。――おい魔竜! 符を投げるな! こいつの身体で受け止めて欲しいのか」

 相棒を楯代わりにかざされ、渋々腕を降ろすアウラ。

「よし、それでいい。…さあ狂戦士。心を開いてお前の力をよこせ」

 御満悦のエリアス。だが。

「…なあ、エリちゃん。いい事教えてやろうか?」

 いきなり声をひそめるヴェーラ。はっとする魔導士。

「俺じゃ人質にならないよ。あいつがなんで手を止めたと思ってんだ? 符が勿体ないからだぜ」

 凄い秘密を明かす時のような真剣な表情で馬鹿にする。

「そ、その減らず口、今すぐ叩けなくしてやる!」

 怒りに唇を歪ませる魔導士。戦士の全身をギリギリと絞め付けて宙に持ち上げる。そして水の蛇を操って、壁と言わず天井と言わず何度も叩きつける。砕け散る石材。

 あまりの惨さに顔をそむけるセリア。が、アウラは掌中の符を幾度となく握り直しながら、半眼で宙を見すえている。

「…ヴェーラ! もう少しの間奴の注意を引き付けていろ。…たった一度の反撃の好機。間違う訳にはいかない!」

 必死に精神を集中して気を読もうとしているのだ。

「どうだ! これで少しは言う事を聞く気に…!」

 再び目の前に吊り上げたヴェーラに、ハアハアと荒い息で聞くエリアス。しかし、彼はプルプルと頭を振り石屑を払い飛ばしてニヤリと笑う。剣もまだ手放していない。…そして、かすれた声で皮肉る。

「…どうすんだよ。自分で『場』を壊してて」

「この!」

 締め付けがまた一段と激しくなり、竜皮の胸当てがピシ…ピシッといやな音をたて始める。が、まだ戦士は抵抗を止めない。激痛に耐え四肢に力を込める。頷く魔導士。

「よかろう!どこまでも逆らう気ならば、もう手加減はせぬ。廃人になろうと構うものか! 力づくでも頂く!」

 ヴェーラに向けた掌が光りを放ち、例の輪が生じる。

「ああ! 貴方のお力で…何とかできないのですか?」

 切羽詰まった口調でアウラの腕にしがみつき訴える少女。集中を乱され、ふと我に返るアウラ。危機に陥っている相棒を見て取り、眉をひそめる。

「何? 無理矢理支配する事も出来るのか? それはまずいな。…奴の底なしの元気をくれてやる訳くらいなら…」

 手にしていた符を軽く放り投げパシッと掴み取る。

「…二人まとめて始末をつけてやる」

「え? 今何と?」

「ハハ…! 甘い! その手には乗らんぞ。そう言えば私がこいつを放すと思ったのだろう!」

 馬鹿笑いする魔導士。

「本気だよ」

 うっそりと答えるアウラ。

「な…に?」

 エリアスの笑いが止まり、信じられぬ面持ちになる。

「…お前の方が余程甘いな。よもや、そんな物で符の攻撃が防げると思っているのではなかろうね?」

 セリアの止める間もなく、冷笑を浮かべて符を投げつける。

 ――走る光球。突き刺る火箭。炸裂する爆符。…言葉通り、二人に平等に攻撃が加えられる。

 障壁を張るのが一瞬遅れ肩口に衝撃を受ける魔導士。ぐらっとよろめいて一歩下がり、片膝をつく。

「気でも狂ったか? 楯じゃない! 人質だ、人質! 貴様こいつが死んでも構わないのか? 何故だ。相棒だろう?」

 肩を押さえ、常識の通じない相手に途方にくれる。

「だから言ったろ〜が! 役にたたねえって! …ぎゃん!」

 喚くヴェーラ。自由にならぬ身体に出来る限りの努力で避けようとするが…苦鳴をあげてえび反る事に。

「こ、こいつ…本当に!」

 背筋に寒いものを感じる魔導士。

 尚も続く攻撃に、ヴェーラを放り出して水蛇の全てを使い球状の障壁を作る。生命の危機に、さしものエリアスも一瞬『場』の事を忘れて、自らの身を守る事のみに精神を集中してしまったわけだ。

 それを素早く察知したアウラが、突如攻撃目標を変える。これの為に取っておいた特に強力な符を数個、部屋の壁際で光る円柱の一本めがけ叩きつけたのだ。

「この柱だ!」

 火炎の後の凍結弾。表面に無数のひびを生じた所に爆裂弾がとどめをさす。光りを失い普通の石に戻った柱がゆっくりと倒れ込み、天井の一隅がガラガラ崩れてくる。

 同時に、室内に充満していた気が揺らぎ、潮を引くように流れ失せる。にっと笑うアウラ。

 青ざめるエリアス。

「『場』が…力の均衡が崩れる!」

「これで、いくら力が高まっても二度と扉は閉じられまい!」

「よ、よくも私の『場』を! くそ…これしきで私の動きを封じたつもりか〜!」

 魔導士はこん身の力を振り絞り、両腕をザッと前に突き出す。彼を包んでいた障壁が弾け、外側にまつわりついていた光球や炎が、あたふた避難しかけていたヴェーラをも巻き込んで吹っ飛んで来る。

「うわ!」

「きゃ!」

 護符の力場ごとズルズル後退してしまうセリア。

 戦士達は、こっぴどい勢いで壁に打ちつけられる。そして更に、受け身もなしでドッと床に落ちる。

「…なんて奴! ワナはかけるわ、仲間は攻撃するわ…」

 文様の上で片膝をついた魔導士が、悪態をつきながらケホケホ息を整えている隙に、タタタ…と二人に駆け寄るセリア。

 あの分では骨の二、三本は…脱出はおろか立ち上がるのも困難では? と暗たんたる気持で近付くが。

「…おーいて。無茶しやがる。死んだらどうすんだよ!」

「あれくらいで死ぬようなタマか」

「どーせ!」

 ブツブツやり合いながら、もそもそ起き上がってくるではないか。いくらアウラの増幅力があるとは言っても…思わず壁を見るセリア。床にまで達そうという亀裂が走っている。

 回廊まで貫通したのか空気がかすかに動いている。…もう一度二人を見る。…元気だ。なんだか無駄のような気がするが一応質問する。

「お、お怪我は?」

「大丈夫。君は?」

「護符の御陰です」

「エリちゃんは?」

 振り返る少女。

「…大丈夫みたい」

「ちぇ〜やられ損!」

 見回すヴェーラ。

「…でもないか?」

 目ざとく扉の障壁の光が弱まっているのを見つける。

「だけど、まだ破れないな…後何本か柱倒してくれよ」

「もう符はない」

 あっさりと言うアウラ。

「だ〜」

「だが、これなら外から破れる。…助けを呼べ」

「誰が…助けに来ると言うのだ?」

 不機嫌に叫ぶエリアス。が、ヴェーラはパッと表情を明るくして、強く頷く。

「そうか! きっと奴ら、心配してすぐ傍まで来てる…」

 大きく息を吸い込むと鋭い指笛を吹く。

「応援も頼めよ。こいつらも全部連れて行って欲しいから」

 床にゴロゴロ転がっている山賊達を顎で示すアウラ。

「判ってる。…お、こっちだ! 頼む! 扉を破ってくれ!」

 亀裂に顔を押し付けるようにして叫ぶ。分厚い石壁に遮られてよくは聞こえないが大勢の竜馬の蹄の音がするような…。

「救援隊? そんなばかな! 人の気配など…」

 ようやく立ち上がるエリアス。腕を構えて障壁強化の為の技をかけようと身振りを始めるが、終わる前に轟音がし扉に二度三度と衝撃が走る。青銅の大扉と氷の障壁が木っ端微塵に砕け散り、何か大きな影が二つ部屋に乱入してくる。

「やったぜ! 一角!」

「銀星! よく来た!」

 二頭の竜馬は主人を認めて嬉しそうに駆け寄って来る。

「こ、黒竜?。魔都からの軍なのか? 早過ぎる! …え? お前の竜? 馬鹿な! 紋章も持たぬ術使いが黒竜を?」

 混乱するエリアス。彼らの後から続々と昔通の体色…緑がかった灰色の竜馬が入ってくる。館に忍び込んだ時、山賊達の厩からヴェーラが逃がした者達だ。

 ねっからの乗馬である彼らには、解き放たれてもかえって迷惑。これからどうすればよいのか、心細い思いで森をウロウロしているうちに一角や銀星と会い、これ幸とついてきたのだ。

「こらっ、お前達邪魔だ! どかんか!」

 まだ回復しきってないので、手から弱い光りを発して振り回し怒るエリアス。しかし乗用竜に魔導士のありがたさや恐ろしさが判る訳がない。足を踏んだりのしかかったり、寄ってたかってもみくちゃにする。

「くそ〜! 運のいい奴らだ! しかし、竜に乗れない者をどうやって脱出させる気だ? そもそもこいつら竜は、主人以外の言う事は聞かないぞ」

 投げ遣りにあざ笑う。

「ま、見ててよ」

 にやりと片目をつぶるヴェーラ。

「皆いいか? 背に乗せるなりくわえて引き摺るなり、出来るだけ大急ぎでこの館から離れるんだ! 頼むぜ!」

 大音声で下した号令一過、竜馬達がいそいそ作業にかかる。正体なく伸びている男達の衿やベルトを丈夫な歯でガシッと掴み、器用な者は自らの背に振り乗せたりして広間から並足で去っていく。自力で旨く運べない竜馬には、ヴェーラが男達のベルトにロープを通し、束ねたのを鞍に付けて引かせる。

「はいっ! 行けっ!」

 そのあまりの手際のよさに唖然と見とれているエリアス。

「竜を…自在に操るとは…!」

「ここに来るまでの廊下のは? …あ、もう片付けたって? 上出来だ! …こいつは正気づいて暴れられると厄介だから一角、お前の分担だ」

 最後にゼーダの巨体を、竜馬の背に振り分け荷物のように乗せると、その後ろにあぶみを使わずにヒラリと飛び乗る。セリアもアウラに手伝ってもらって馬上の人となっている。

「アウラ、早く乗れよ。…さあ帰ろうぜ。ファウナに!」

「そうはいくか!」

 我に返った魔導士の手から水の蛇が一挙に伸びる。アウラが皆の前にバッと踊り出、身をもって攻撃を食い止める。

「馬鹿が!」

「アウラっ!」

「私に構うな! 行けっ!」

 しっかと足をふまえ、両腕で束縛に掴みかかる。

「後は皆で逃げるだけじゃん! 何でわざわざ!」

「…思い出したんだ。ここの場の事。全員が森を出るまで、誰かがこいつをおさえておく必要がある!」

「何ですって?」

 けげんな顔のセリア。

「森? …そういやお前、来る途中に、この森には気溜りが異様に多いとか言ってたが。それか?」

 問うヴェーラ。

「…そもそもヴォレスの守が置かれたのも、それら気溜りが害をなさないよう一つの『場』の力に織り上げて制御する為だった。…つまり各個の気溜りをここから魔導士が制御できるわけだ」

 苦しげな息遣いで語るアウラ。その虹彩の色は燐光を放つ禍々しい青。いらいらと竜馬に足踏みさせながら言う相棒。

「だけど、どうやって止める? もう符はないんだろ?」

「符はなくても力はあるはずだ。…どこの流派にも所属していなくても、私の縛心術、セリアの雷撃のように波動の『色』に関わらぬ力が何か。…お前も術使いのはしくれならば力で止めてみせろ」

 魔導士がニヤリと挑発する。が。

「駄目だ、アウラよせ! 力は使うな!」

 意外にもヴェーラが止める。チラと不機嫌な視線を向けるエリアス。水蛇の締め付けを強くして面白そうに言う。

「何故隠すのか判らんが、そのよう事を言っている場合ではないと思うがね。ほらほら。どこの骨から折ってほしい?」

「…ぐ!」

 たまらずに、うめきをあげる相棒に、竜から降りようとするヴェーラ。

 が、アウラは鋭く叫ぶ。

「来るな!」

 紙のように白い顔色で目を閉じる。呼吸はますます荒い。

「くそ…エ、リ、ア、ス…!」

 低い声で切れぎれに叫ぶと、目をカッと見開く。ザワザワ波打ち逆立っていく髪。みるみるうちに、本来の茶褐色から蛍光の青に変わっていく。体表に近い空間も鮮やかな青に染まっている。

 水の蛇がピ…ピンッピン!と弾けて霧散していく。

「おお! 力が集まるぞ! こ、これぞ魔竜の力!」

 残りの十一の円柱の光が強くなりその照り返しで、歓喜と恐れに歪むエリアスの顔が藍色に染まる。

「わ…私の力まで高まる! 何と言う増幅力!」

 セリアがあえぎながら身を守るように肩を抱え、力の渦に引き込まれぬよう懸命に自らを制御する。

「だめだ…そんな大技! 失敗したら反動で!」

 近付くに近付けないヴェーラの悲痛な叫びにも耳をかさず、頭を高くもたげ、異様に良く響く声で呼び掛けるアウラ。

『ほのお…』

 だが一音節目を言い終えぬうちに、雷にでも打たれたかのように四肢を硬直させ、どうとばかりに倒れ込む。うつ伏せになった身体にけいれんの波が何回も走る。

「だから言わんこっちゃない! しっかりしろ!」

 一挙動で竜馬から滑り降り、彼の傍らに膝をつくヴェーラ。いぶかしげに眉をひそめる魔導士。

「自滅? …集めた力を操れなかったのか? 呪文一つ満足に唱えられぬとは! かたりの魔導士か」

 相棒にそっと手を伸ばす戦士。

「おい?」

「…大…丈夫」

 かすれた声。腕をついて、ゆっくりと起き上がるアウラ。身をよじるようにして咳き込むと、ロから鮮血が溢れだす。蒼白の顔面にも額から幾筋か血が流れ落ち、凄惨な美を感じさせている。

 やっと咳がおさまると、おろおろしているヴェーラの手を振り払い、少しふらつきながらも真っ直ぐ立つ。

「やはり制御しきれなかったか。呪文は思い出せたのだがな。…残念」

 血を拭おうともせず自嘲気味に呟く。

「ま、まさか! 今迄、術を使わなかったのではなく使えなかった? でも私を目覚めさせたり…回復の…! そうか! 活性化のみで制御できないわけ? それではいくら増幅できても何の役にも… ただ危険なだけ!」

 口に手をあて、絶望の眼差しを向けるセリア。エリアスも芝居がかって首を振り振り語りかける。

「やっと得心がいった。術者ではないと言っていたが…なれなかったのだな。追放前はどこに所属していたのだ? 青…気を司る者…スカイアか?」

 侮蔑の表情。

「ま、その生命力さえ本物ならば何者でも構わないのだが…。お前には失望させられたよ。ろくに術も使えないくせに、魔竜が聞いて呆れる。あの噂も大方、売り込みの為自ら流したのだろう?。…愚か者め! 人族の田舎者相手の詐欺に留めておけば長生きできたものを! ――さあ、聞かせてくれ! 符も術もないのにどうやって私を止める気なのか」

 勝ち誇って厭味を言うエリアス。

「まだ、剣を試してない」

 平然と柄頭に手を置くアウラ。

「待てよ! これ以上はやば…」

 ヴェーラはくってかかるが。

「私達は何をしに来た?」

「セリアの救出を」

 渋々答える。

「その為にはそれぞれに出来る事をやるまでだ。お前は竜を使って姫をファウナに届け、私はここで奴を食い止める。…お前が残っても何の役にも立たないぞ」

「そりゃそうなんだが…」

 ガシガシ頭をかくヴェーラ。

 銀星が主人のマントの端をかんで注意を引こうとする。

「だめだ。お前も行け。…セリアを守って脱出するんだ」

 主人の命令は絶対だ。黒竜は悲し気な鳴き声で項垂れ、後退りすると身を翻し駆け出す。…その背からセリアの声が。

「…すみません! どうか、お気をつけて!」

「…素直な奴。本当に行ってしまったぞ。…ま、いいか。森を出る前におさえられるし」

 エリアスは呆れてブツブツ独りごつが、アウラはかすかな笑みを浮かべて静かに言う。

「ああ。…早く行け。私が完全に制御を外れる前に」

 そして、スラリと長剣を抜き、魔導士に向かって数歩踏み出す。その背に声をかけるヴェーラ。

「じゃ! 姫を森の外に連れ出し次第戻って来るから!」

「来なくていい。邪魔だ。それに…お前まで殺したくない」

「アウラ…」

 振り返りもせず、さらっと言われて絶句するヴェーラ。

「ほう! これはこれは。…う〜ん。今生の別れなのだから大目に見てやるとするか。何て情け深いんだろう。私は」

 余裕で勝手に思い込んでフッ…とかやっていた魔導士は、アウラがぼそっと言った重要な一言を聞き逃すはめになる。

「…私の手で」

 つらそうに歯を噛み締め、数瞬逡巡しているヴェーラ。いきなり、後ろから左腕でアウラの首をガシッと抱え込む。

「な、何の真似だ」

「すまん。絶対…死ぬな。待ってる!」

 くぐもった声でそれだけ言うと腕を解き、ダッと駆け出す。竜馬に後ろから飛び乗り、その腹にかかとを打ちつける。

「行くぞ!」

 駆け出す一角。

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