☆ ☆
――竜馬の足音が段々遠ざかっていく。それを聞きながら無言で対峙している二人。やがて魔導士が口を開く。
「…愁嘆場は終わりか? 見栄など張らずに逃げれば相棒と一緒に果てられたのに。――残った所で力を制御出来ぬお前に何ができる? そればかりか、必死になって戦おうとすればするほど周囲の気は高められ私の糧となる。いわば自分で自分の首を絞めるようなもの。判っているのか?」
「判っているさ。それこそ私の手なのだから」
「?」
「私は今から、力を制御しようとする努力を全て放棄する。そして自分に出来る唯一の事、増幅をするのさ。…エリアス、お前は『場』の力が大きくなるのにどこまで耐えられる? 制御の眼界を越えた時が、お前と『場』の最後だ」
ふっと肩の力を抜くアウラ。呼吸も速やかに平常に戻る。その途端、広間の気がまた一段と高まる。
「捨て鉢な作戦だな。それはお前の最後の時でもあるんだぞ。…いや、そこまでいくものか。それに万一の場合にはお前を倒せばよいだけだ」
「では予行練習でもしておいたら? 折角、邪魔者もいなくなって、お互い心おきなく戦えるようになったのだから」
クスクスと挑発するアウラ。ほお、と目をみはる魔導士。
「それ程までに望むのなら…」
両手を頭上にかかげ、一抱え程の水球を作り上げる。その中に影が見える。像が結ぶと、回廊を急ぐヴェーラ達の姿が明らかになる。まだ出口は遠い。
「おう。まだこんな所にいる。…時間は充分にあるな」
にんまりすると片手だけを使って水の蛇を飛ばす。軽々と跳躍して避けるアウラ。が、それは誘いの手で避けた先に氷の刃が降ってき、左肩から先がズタズタになる。
立ち直ろうとする所に真っ向から水の蛇が体当たりしてき、背後の壁に叩き付けられる。今度は肋骨が折れたようす。
「どうだ? 自分の増幅した力でやられる気分は?」
「…なんの! まだまだ」
剣を支えにヨロッと立ち上がる。
全身から青い陽炎が揺らめき立つ。ダランと垂れていた左手の指先がピクと動く。ググッと力を込めて握り締められる。
「ん? 自分を活性化…傷を再生しているのか? しかし、外に漏れ出でくる力の方が多いな。ありがたく頂くよ」
満足そうに背を伸ばし息を吸い込む魔導士。
「しかし、貰いっ放しも気がひける…お返しをしよう!」
僅かな身振りでお得意の水蛇を何十何百と飛ばす。数本は剣で斬り裂くものの敢えなく捕まり、天井に張り付けられるアウラ。そこから急に放され石のように落下する。
――それからも暫く魔導士の一方的な攻撃は続く。アウラは何度もやられては立ち上がっていたが、ついに倒れ伏したまま動けなくなってしまう。
「そうか。わざと避けそこなって増幅の度合を早めていたのだな。…そうまでして奴を助けたいか。麗しいのう!」
水球に写るヴェーラの姿を頷きながら眺めるエリアス。
「だが残念ながら身体の方がもたなかったか。私の制御力とお前の増幅力。どうやらこちらに軍配が上がったようだ。…さて。力も充分に高まったし、奴らも森に入った。そろそろお遊びも終わりだ。――一人でも逃したら最後、魔都の軍に通報されて、力のついてないうちに攻め込まれるからな」
魔導士は芝居気たっぷりにバッと両腕を広げ、何やら思念をこらし始める。十一の柱が、かすかなうなりをあげだす。
それらの円柱は、さながら藍色の巨大な宝石であるかのように強い光を内部から放ち、広間全体を非現実的な藍に染め上げている。…が。突如、冷たい声が気を切り裂く。
「…そうだ、エリアス。お遊びの時間は終わりだ」
いつの間にかアウラが立ち上がっている。全身血にまみれ服を裂かれた幽鬼のような姿。しかし、まるで優位にある者のごとく落ち昔きはらって唇に冷厳な笑みを浮かべている。
「…増幅の為とはいえ、やられっ放しはもう飽きた。今度はこちらから仕掛けさせて貰うぞ」
どことなく印象が変わったような気がするのは、その目と髪の色が脈動に合わせて漆黒に変わり始めた為だけではない。
魔導士は妙な威圧感を受けて、思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。が、そんな自分をはじ、虚勢を張って叫ぶ。
「お、面白い。波動の色を変えられるのか? 本質が変わるわけでもなし、虚しい力だがな。…それともいよいよ制御が出来なくなって崩壊の始まった兆しなのかな?」
エリアスは、片手で円を描き氷の輪をきらめかせる。その輪が輝きながらアウラの身体を取り巻き、段々と小さくなっていく。が、剣が一関すると粉々に砕け散り消え失せる。
「何っ?」
「行くぞ!」
アウラが地を蹴り駆け出す。
両手を使って巨大な水の蛇を放つエリアス。
「くらえっ!」
「せいっ!」
剣を振るって、蛇の頭の先から一刀両断、見事に真っニつにする。
「これなら!」
無数の氷雪の刃が襲い来る。が、身体に突き刺さるそれらを物ともせず疾走は続けられる。
鋭い叫びと共に剣が振り降ろされる。ギリギリの所でアウラの腕に氷塊をぶつけて狙いをそらせる魔導士。
走り抜けたアウラがズザッと振り返り、長剣を身体の前に片手で掲げる。刀身は黒く全く光を反射していない。
エリアスは唖然となる。
「ば、馬鹿な! 呪宝? 先程までは普通の剣だったのに! 力の影響で変わったとでも? お、お前…まさか本当に波動の色だけでなく! …青ではなく黒…全てを総べる黒の力を持つと言うのか? あの黒竜と言い…一体何者だ!」
アウラの口元にふっと凄まじい微笑が浮かぶ。尊大な魔導士をもすくみ上がらせるに充分なほどの。
「…我が名はアウラ。…我が色は黒。――我が本質を目覚めさせた報い、受けて貰おうか!」
全身がボウ…と青に煙り、たった今負ったばかりの傷がみるみる塞がる。が、再生が終わると髪の色は漆黒になる。
「な、何という再生速度! これではいくら攻撃しても…! ――先に、逃げた奴らの方の片をつけよう。急がないと奴らが森を出てしまう」
面に焦りの色が出てくる。
だが当然、アウラは彼に精神を集中する時間を与えない。ここまで『場』の力を増幅した以上、たった一撃でも魔導士に許せば全員が葬り去られてしまうからだ。
鬼神のような勢いで切れ間なく攻撃を仕掛けてくるアウラに戦慄を覚え、徐々に守勢に立たされて行くエリアス。
「う…。再生力があるとは言え、痛みも恐れも感じないわけではないだろうに! この戦いぶり、まるで…!」
☆ ☆
疾走する竜馬の上で次々と正気に戻る男達。
「どこだ、ここ? …俺達こんな所で何やってんだ?」
「たしか『泉の守』を救いに…」
「あ? 貴様が山賊か!」
姫の傍らで一際目立つ一角竜に乗っているヴェーラに、勘違いして掴みかかる数人。戦士は一喝くらわす。
「こんドアホが! 己らが山賊じゃ!」
「え?」
「この方の身元は私が保証します。とにかく今は逃げるのが先です! 説明なら後でたっぷりしてあげますから!」
セリアの言葉に一同よくは判らぬが一応従う。
「呪縛が解けたのですね! あの輪が消えています!」
「アウラが勝ってんだ。…本当に逃げ遅れた奴は一人もいないだろな。奴は制御を外れたら最後、殺せる者・壊せる物がなくなるまで止まらないからな…」
「え? それではまるで狂戦士…!」
眉をひそめるセリア。
それには肩をすくめて答えないヴェーラ。
「エリアスを殺しちまっても、『場』の暴走が起きなければいいんだけど。そんなのに巻き込まれちゃ、いくら奴でも…」
心配そうに振り返る。その腕をいきなりむんずと掴む手が!
「今の話…エリアスを殺すと言うのは、真なのか?」
「や、お目覚めかゼーダ。…それしか手がないんじゃあね」
ガバと起き上がり深刻な顔で問う斧使いに頷くヴェーラ。
「な。額む! 奴を殺さないでくれ!」
「ヘ?」
「あ?」
唖然とするヴェーラとセリア。思わず竜を止める。
「あんた、まだ操られてん…じゃないみたいだけど…」
「…呪縛を受けていた間の事、他人の夢のようにぼんやりとだが覚えている。――エリは心の優しい…優し過ぎる奴だ。人を傷つけるくらいなら自分を傷つける方を選ぶ。だからこそ『場』を失い、フェクダを追われるような事になったんだ! ましてやあんな大それた事の出来る奴じゃない! きっと、エリも操られていたんだ!」
「貴方は操られる前から、彼を知っていたのですか?」
「ああ。奴の事は誰よりも知っている。だから判るんだ! お願いだ。せめて奴の話しを聞いてから!」
すがりつくような眼差しで訴えてくるゼーダ。信じてよいものかどうか、すっかり困惑のセリア。が、ヴェーラは。
「…判った。ゼーダ。降りてくれ!」
「え?」
「もう少しで森を出る。皆と一緒に森の外の丘で待ってて」
てきぱきと竜馬達にも指示を出す。
「じゃ!」
満面に喜色を浮かべるゼーダ。が、セリアは難色を示す。
「…例え間に合ったとしても、どうやって狂戦士化しているアウラ様を止めるんです? 下手をすれば貴方だって…!」
「何とかやってみる。無実の者を見殺しにしたんじゃ目覚め悪いものね。…銀星、姫を頼んだよ」
馬首を巡らすヴェーラ。
「急がねえと! 無駄な事にまわす力がなくなってきたから呪縛が解けたんだもんな! …くそ! エリアス。助かりたかったら、もう少しの間頑張って制御してろ!」
☆ ☆
既に、ヴェーラ達の様子を見ていた水球は消されている。人々の心を縛っていた輪からも手を引いた。室内の要所や、残りの円柱を守っていた障壁も外した。『場』の制御のみに専念しないと、危なくなってきたのだ。
しかし、アウラは尚も容赦無く攻め、増幅する。
じきに術による攻撃も出来なくなる魔導士。救いと言えば、それとほぼ同時にアウラの黒い剣も突如ボロボロに風化して砕け散ってしまった事だ。剣の材質が、力に耐え得る程の物ではなかったのだ。
舌打ちして、残った柄を投げ捨てるアウラ。以降は素手と素手、殴り合い掴み合いの世界になってしまう。
エリアスにはささやかなりとも防壁が残っているとは言え…それでもアウラの方が優勢だ。力に溢れた拳が敷石を割り、蹴りが火花を飛ばして障壁に食い込む。
そして――。ついに魔導士は自分を守る障壁も作れなくなった。アウラの挙が連続して炸裂する。ドッと倒れ込むエリアス。そのまま頭を抱え込んでしまい悲鳴を上げる。
「駄目だ…もう駄目だ! 頼む…止めろ! 止めてくれっ! これ以上は制御できない! 『場』が暴走してしまう!」
今では十一の柱の光は、溶解寸前のまぶしさ。そのうなりは耐え難いまでに高まり不協和音を奏でている。
しかし、アウラはそんな周りの状況もエリアスの言う事も全く感知していないようす。喚き散らす魔導士の首を左手で鷲掴みにし、軽々と吊し上げる。その手に最後の死力をつくして両手で掴みかかるエリアス。
「わ…私を殺す気か? 馬鹿な! 私が死ねば『場』が暴走する。そして…お前も私と一緒に減ぶよりないのだぞ!」
「…ほ、ろ、び?」
アウラが始めて反応する。
「そうだ! お前、死にたいのか?」
力を得て叫ぶが。
クスッと笑いが漏れる。
「…構わん」
「何?」
慄然とする魔導士。
「…お前は…殺す。この私を…傷つけたお前…許さぬ」
切れぎれに呟く目が焦点を失っている。
「…く! 正気じゃない! 狂戦士? 貴様の事か!」
今更のように思い知る魔導士。しかし、もう遅い。アウラが、おもむろに右拳を上げグッと後ろに引く。
エリアスの目が恐怖と絶望にカッと聞かれる。その時。
「ま、待てっ! アウラ!」
部屋の入り口から鋭い制止の声がかかる。何者かが風を巻いて走り込んでくる。
「殺すな〜っ! そいつも操られてたんだ!」
が、構わずアウラの拳が宙を走る!
凄まじい激突昔と絶叫が響き渡る。何かが澄んだ音をたて、遠くの床に離れ飛んだ。エリアスが頭にはめていた輪だ。
真っニつに割れた輪は落ちた所でカラ…カラと廻っている。その音が消え去った項、十一の柱のうなりがどんどん高まり地の底からゴゴゴ…と地鳴りが起こり始めた。
☆ ☆
「こ、この音は?」
「何だ?」
「まさか『場』が!」
森から少し離れた小高い丘のてっぺんで、竜馬から降りて様子を窺っていた人々が騒ぎだす。
「あれを見ろ!」
「館の辺りだ!」
「あの光は!」
東の古森の中央付近から、天に向かって太く濃い藍色の光が伸びている。見る間に、森中のいたる所から光が発する。
「気溜りの位置だわ!」
息をのむセリア。
「暴走が…始まったか。…エリ! …あの戦士達も!」
片手でゆっくりと顔を覆うゼーダ。
「間に合わなかったか! …みすみす…すまない…」
「そんな事ありません! あの方達ならばきっと…!」
セリアは、むしろ自分に言い聞かせるように叫ぶ。
「…避難しなくても大丈夫かな?」
遠慮がちに誰かが言う。
「ここなら大丈夫です。でも望むならお逃げなさい。…私はあの方達が追い付いて来るまでここで待ちます」
頭を振り、きっぱり言いきる少女。人々は顔を見合わせる。
姫を助けに来た者が先に逃げ出す訳にはいかない。何よりセリアを守る銀星も動こうとしないし。――結局、もう暫く様子を見ることにする。
☆ ☆
室内に藍色の閃光が狂ったように踊り廻り、耳を聾さんばかりの轟音が響き渡る。床や壁が細かな震動を伝える。
その只中で彫像のように凍り付く三人と一頭。
「ああ! 畜生! 殺っちまったのか?」
床から立ち上がりながら茫然と言うヴェーラ。竜ごと間に飛び込み止めようとしたのだが、狂戦士化したアウラの力は波らをも振り飛ばすほど強烈だったのだ。彼らの前の床に、エリアスが額から血を流して倒れている。
アウラは、頬に苛立ちを浮かべゆっくり視線を移していく。
「…誰だ? 邪魔だてすると…貴様も!」
再び凄まじい殺気が高まる。が、ヴェーラは。
「馬鹿。俺だ」
事もなげに言うとスタスタ近付いていく。
「もう大丈夫。…誰もお前を傷つける者はいないから」
静かに語りかけるヴェーラの髪がススス…と色を変えだす。平凡なくすんだ金から、鮮やかな緑へと。
どこかで息を飲む音が聞こえる。
「緑…地を司る色! そうか…魔竜…! ク、クク…」
彼は構わず進み相棒の肩にそっと手をおく。その全身から柔らかな緑の陽炎が揺らめき立つ。…アウラの面に一瞬けげんな色がよぎり…はっと目が焦点を給ぶ。同時に、放射していた青の脈動が止まって黒に落ち着く。
そして、目の前に立つ相棒とその髪を見て絶句する。
「何故…戻って来た? これで奴はもう暴走を心配せず好き勝手できる! 足止めはできていたのに…」
「ああ。足止めしといてくれた御陰でセリアは安全な所まで逃がす事ができた。…でもあのままだとお前は『場』の暴走に巻き込まれて、脱出できなかったろ」
にっこりとヴェーラ。しかし、アウラは
「甘い!」
一言だけ返しフイと横を向く。
相棒の屈折した反応に慣れっこのヴェーラは、気にもせず先を続ける。
「そうそう。俺、こいつも操られてたにすぎんから…殺すなって言いに来たんだ。だからもう戦う事もないと思うよ」
床の魔導士に視線を移す二人。自嘲と情けなさの混じった複雑な笑みで首を振るエリアス。
「まいったな。凄い制御力! 一発で増幅を止めてしまった! …どうしてこうなるまで使わなかったんです? ついでにヴォレスの暴走も止めてくれませんか? 魔竜?」
「そいつあ無理だ。俺の力ではこいつの暴走を止める事しかできないんだもん。それに他に戦う術もなかったからね」
相棒の頭をポムポム叩き、真面目に答えるヴェーラ。
「そうそう。話しに出た所で。『場』の暴走、止めてくれるかな? なるたけ早いとこやって貰えるとありがたいんだが。こんだけ高ぶってると、押さえてられる時間も限られてくるんだ」
「そうですねえ…」
額の血を手の甲で拭い、強張った動きでそろそろと立ち上がるエリアス。室内の光はますます目まぐるしく踊る。
彼は、少し先の床でニつに砕けている輪に目を止める。
「…よく判りましたね。あの状況下で」
「ずっと何か気にくわない感じがしていたから…まず砕いてみたんだろう」
人ごとのように言うアウラ。
「…この館でゼーダと野宿した時に見つけたんです。いや、見つけられたのかな。最後にヴォレスの術者だった男…私の祖先の…だから『場』との整合率が高かったんですけどね。急死した彼の怨念、『場』を復活させて使ってやりたいって強烈な思いが篭もっていたんですよ。私はこれに…」
取り止めなく呟きながら歩き、輪のかけらを拾い上げる。
「…操られていた…とも違うとも言えますね」
ビクッと身構えるアウラ。その腕を押さえるヴェーラ。が、振り返った魔導士の目には苦痛の色が。
「私の中にも『場』を切望する気持があったればこそ、断乎呪縛と戦わず甘んじてしまったのですから! …貴方達になら判るはずだ。『場』を奪われた術者が、どれだけわびしい存在か。――目も耳も口も塞がれたと言うか、半身を奪われたような喪失感…。そんな時、目の前に素晴らしい『場』があってごらんなさい…!」
感極まって叫ぶ魔導士。尋ねるヴェーラ。
「奪われた? 『場』を持った事があるのか!」
「北の果ての小都市で、『守』の地位を巡って争いがあったんです。…古い『守』の家系が画策して、破れた私達は追放に。整合率では私の方が高かったのだが…」
ふっとはかなげな笑みを浮かべるエリアス。驚くほど静かで高雅な笑みだ。
「…かと言って私のした事が許される訳ではありません。ご安心下さい。この一命に換えても『場』を閉ざしてみせます」
言いながら高々と両手を掲げる。
「…待て!」
「?」
不安な面持ちでアウラを振り返る。
「これだけの力、無駄にする事はない。『場』に完璧に同調した術者がどれ程の事をさせられるか、ヴォレスの『場』の本来の働き…気溜まりの制御を見せてくれないか」
頷く魔導士。目を細めて精神をこらす。古語の詠唱、複雑な手振り。――まず地鳴りと震動がおさまる。次に、室内のぎらついた光が落ち着いた物に変わり、動きも緩やかになる。
☆ ☆
一心に森の方を見つめているセリア。
「…大丈夫。絶対…」
繰り返し繰り返し呟く声がかすかに震えている。その目は涙で潤んでいる。
と。ゼーダの大音声が響き渡る。
「あ、ありゃ何だ? ほら、光の柱の傍!」
「白い…煙が渦巻きだした? いや、水蒸気! …水?」
「じゃあ…生きてるのか? 皆?」
喜びの声を上げ、食い入るように森の方を見る人々。藍色の光の周囲に、もうもうと蒸気が立ち込め広がっていく。それらは森を何重にも覆い尽くし、枯死にしかけていた木々
に思わぬ恵みを与え、彼らの丘の方まで時折風にのって微細な水の粒子を送ってくる。
――そして数十分後。藍色の光が薄れ、揺らめいて消えた。
☆ ☆
力を使い果たし崩れ込むエリアスを二人が両側から支える。
「…どうします? 『場』を閉ざし…ここで殺しますか?」
「殺す?」
相棒と顔を見合わせるヴェーラ。
「何で? 『悪い魔導士』はもう退治したじゃん。後は一度一緒に町に帰って、今後ともヴォレスの守護をやっていいか魔都にお伺い立てるだけだろ?」
信じられぬ思いに声がうわずる。
「あ、あの…だって! 私は、あれだけ酷い事を!」
「人死には出してないだろ? あんたも操られてたんだし、操ってた奴らや姫、町の人々とは示談でもやればいい」
「でも…私は職もなく流れていましたから、お金など殆ど持っておりません! 借りるあても返すあても…」
「金が必要なら稼げばいい。…ヴォレスと周辺の古代のシステム…柱を全部蘇らせれば、ファウナ一帯の気溜りの力を使って完璧な防衛体勢を取る事ができる」
「そりゃいいや! ゼーダとこみで町長に売り込みゃいい。そうだ。奴が心配して待ってるぜ」
「! 彼も無事なのですか?」
「人死にゼロって言ったろ」
エリアスの顔がパッと明るくなる。
「生きる張り合い出たかな? よしよし。さあ、帰ろ〜!」
元気よく一歩踏み出すが、そのままガクンと力が抜け転倒する。引き摺られて肩を貸して貰っていたエリアスもこける。
「ど、どうしました? 怪我でも?」
驚いて覗きこむ。ヴェーラはすっかり意識をなくしてすやすや眠りこけている。舌打ちするアウラ。
「心配は無用だよ。力使った後はいつもこうなんだ。体力は底なしのくせに魔力は殆どないんだから。…本当に役にたたない力さ。いくら凄い制御力があっても戦闘中にこうやって倒れるようじゃ使い物にならないものね」
一角を呼んで、弱っているエリアスと二人乗りさせる。
「…ま、余り人の事は言えないけど」
「…貴方達、一体何者なんですか? …一見狂戦士の制御者。魔導士である狂戦士。どちらの能力もこれまで私が見た事もないくらいの凄さなのに、所属する紋章を持ってない…」
恐る恐る尋ねるエリアス。
アウラは、一角の鼻面をなぜながらふっと寂しさと苦さの混じった微笑を浮かべる
「私も教えて欲しいよ…。二人とも自分が何か知る為、旅を続けているのさ。――行く先々で、このカを欲しがる奴らに会い大概『死体の山を築き、場を破壊』する事になるが、ね。…今回は死体はないし、場も殆ど壊さなかったけど…」
何故か、ゆううつそうに頭を抱えるアウラ。
☆ ☆
――水路からこぼれる飛沫が午後の日差しを受けきらめく。ここはファウナの農地のはずれ。目の前に荒野が広がる。
「アウラ様〜! ヴェーラ様〜っ? 何処へ? あ、ゼーダ殿ご存知か? え、向う? おかしいな。確かにこちらに…」
どたばたと町長達の足音が遠ざかって行ったのを確かめ、にんまりと背後の薮にささやきかけるゼーダ。
「これで当分戻ってこないぜ。…今のうちだ」
薮をガサガサかき分け、アウラとヴェーラが竜馬を連れて出てくる。すっかり旅支度がすんでいる。
「…んとにもう、あの執念には負けるぜ」
鮮やかな緑の髪をガシガシかいて嘆息するヴェーラ。
彼らがヴォレスから脱出した所に丁度、時ならぬ地鳴りを心配した町長一行が駆け付けてき、力ある術者のあかし…波動の色に染まった髪を見られてしまったのだ。
――その後の騒動は、おして知るべし。
腕がたつ上に魔力まで持つ傭兵など、そうざらにはいない。おまけに『悪い魔導士の怨念を蹴散らし、捕らわれていた姫や勇者達、今後ファウナを守ってくれる守も救い出して来た』と言う素晴らしい実績がある。
町をあげての熱狂的な勧誘活動は、日増しに過激になっていき、ついにたまりかねた二人がまだ回復しきってないのに逃げ出す事となったわけだ。
「…こんなにもてはやされていても、結局出発の時はこっそりって所はいつもと変わらないね…」
独りごつアウラ。
「悪いなゼーダ。あんたにも色々迷惑かけちまって」
「いや。迷惑なんてとんでもない! 俺と弟の為あんた方がしてくれた事を考えれば、『夜逃げ』の手伝いくらい! …御陰で俺は守備隊長を任されるし、エリも何とかヴォレスの守になれそうだ」
大きく頷きながら言うゼーダに、首を振るヴェーラ。
「…兄弟だったんだよね。俺未だに信じられないんだけど。もう、てっきり…」
「何がてっきり?」
突っ込むアウラ。
「いや…え、と」
と、いきなり後ろから声がかかる。
「遅れてすいませ〜ん!」
「術者達との防衛網復活の打ち合せが長引いてしまって…」
にこやかに歩み寄ってくるのは、セリアとエリアス。素顔の彼は優しげな好青年である。
「ああ。本当にありがとうございました。何故これほどまでしていただけたのやら!」
「俺達と似ていたから、かな? …あんた達も自分の場所を探していたんだろ? それが見つかったんだ。何とかしてやりたいって思うのがあたりまえさ」
片目をつぶるヴェーラ。
「…貴方達の場所も早く見つかるよう祈ってます」
「ありがとう」
「さて。そろそろ行こうか? 追っ手も来る頃だろうし」
ヒラリと竜馬に跨る二人。
「あ! その髪のまま立たれるのですか?」
慌てるセリア。
「うん。確かに目立つけど、もう口止めする間もなく広まっちゃったからね。黒のアウラと緑のヴェーラって」
「いちいち染めるのも面倒だし、どのみち今回のように竜馬の色からばれるんだし」
「そうですか。なら、染料はいりませんね。こちらの…ファウナ名物の花だけお持ち下さいな。薬用食用色々あるんですよ。私個人からの、せめてものお礼の印です」
籠一杯の花を礼を言って受け取るアウラ。が。
「俺だったらそんなのより、古典的にお姫様からのご嚢美のキス一つ、ってので満足するけどなあ」
後ろで聞こえよがしに言うヴェーラ。
「え? 私…の? いいのですか? それで」
爪先立って腕を伸ばしヴェーラの頼に軽くキスするセリア。
――と。その時遠くから数十頭の竜馬の群れが駆けて来る地響きが。何やら恐ろしげな喚き声も聞こえてくる。
「草の根分けてでも探し出せ! この町にいるのは判ってるんだ! 待ってろ〜! 魔竜! 狂戦士!」
「まずい!」
「じゃ、悪いけれどこれで。元気でね!」
漆黒と緑の髪をなびかせあたふた駆け出す二人。
「お気をつけて!」
「お幸せに!」
「え?」
叫ぶ三人。
彼らの手を振る姿が見えなくなった頃、ヴェーラが馬上からしみじみと言う。
「色々大変だったし追っ手にも追い付かれちまったけど、俺、姫のキスだけで何かむくわれた気がするなあ!」
「そうかね」
何か愛想のない返事をするアウラ。
「何だよ? あ、判ったぞ。やいてるな?」
「誰が! お前がそういう趣味だったとは知らなかったな」
「ヘ?」
「本当に気付かなかったのか? 不幸な…いや幸せな奴だ! …彼が着ているのは、昔からの泉の守の制服なんだよ」
真面目な口調で遠回しに言うアウラ。
「は? 彼? …?? あ! う…うそだろ! あれ男〜? あ、ありかよ。そんなの!」
絶叫のヴェーラ。くすくす笑うアウラ。
が、ヴェーラは意外に早く衝撃から立ち直る。
「い、い〜んだ! 俺は挫けないぞ! 次の町にこそ俺達の居場所と可愛い娘ちゃんが待っているに違いないっ!」
力強く言い切ると拳を作って天を仰ぐ。
「…自分を生かせる『場』。自分を必要としてくれる人々。…今度こそあるといいね」
アウラも真顔に戻ってポツリと呟く。
「ああ。――では…行くぞ! 次なる冒険へ!」
ヴェーラが格好を付けて腕を振り上げる。にっこりと頷くアウラ。
――メグレスの荒野に風が巻いた。