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山路(重光)綾子さんの体験した戦時下の中欧
 

本編は書籍化されました。(2021年2月16日〜)
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<プロローグ>

終戦後間もない1946年10月27日 上野の精養軒において一組の結婚式が行われた。
新郎は重光晶(しげみつあきら)。当時まだ若き外交官で、第二次世界大戦中に外務大臣を務め、終戦時に政府全権として降伏文書に調印した重光葵の甥である。新婦は山路綾子(やまじあやこ)。戦時中はウィーン総領事、次いでブルガリア公使を務めた山路章(やまじあきら)の長女である。


精養軒での結婚式

終戦から1年ほどしか経っていないこの時、結婚式場は少なく参列者も限られた簡素な結婚式であった。新郎は31歳、一方の新婦は1927年11月26日生まれで19歳にもなっていなかった。

二人は中立国スイスで終戦を迎えた。そして半年ほど前の1946年3月26日、日本敗戦により欧州からフィリピンのマニラを経由し、筑紫丸で引き揚げてきたばかりであった。

それから66年後の2012年11月、OAG(ドイツ東洋文化研究会)にて綾子さんは講演を行い、戦前、戦中の欧州、特にドイツ語圏での体験を語った。その語りはすべてドイツ語である。
「スイスで終戦を迎えた邦人が健在!」ということを知り、筆者はさっそく話を聞かせていただいた。2013年1月5日(土曜) のことである。

本編では渡欧から引き揚げに至るまでの足取りを、綾子さんの記憶をもとに、筆者の調べた史実を加えて再現するものである。ドイツ、イタリア等の邦人の動静はかなり筆者のホームページ「日瑞関係のページ」でも紹介してきたが、中欧は初めてであり、貴重な資料となるであろう。


2012年11月 OAGにて

<生い立ち>

綾子さんは生まれてからの幼少期をハンブルク(1928年から30年)、ベルリン(1930年から34年3月)で過ごす。乳母はドイツ人で、物心がついてからはドイツ語を使って生活をしたが、小さかった故、当時のことはあまり記憶に残っていない。

父山路章はドイツ語を専門とする外交官であった。母は澄子。その父親小森雄介は島津家家老の子息で、後藤新平の秘書官や大企業の重役を経験した政財界の重鎮であった。“麹町番町のご隠居”と呼ばれていた人物で、家には大川周明、孫文も出入りし、澄子さんは彼らの膝の上で遊んだという。こういう家庭で育った母親の影響か「自分はどちらかというと右翼」と綾子さんはやや自嘲気味に語る。

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右端が日本に残った長男、続いて山路総領事、晴久、綾子、陽子 後ろが母澄子



船中にて 帽子をかぶる様子から赤道祭りか。

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ウィーン総領事館にて 前列左より山路総領事、奥山榮子、山路澄子、一人おいて綾子


ウィーンの女学校に入る前に通った高等小学校にて。前列左から二人目が綾子さん。前方右側の生徒などはナチスの「ドイツ少女団」の制服を着ている。

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生き証人>




1938から39年にかけて ウィーン郊外のSemmeringにて
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1941年ウィーン郊外 日本人少女(山路姉妹)とドイツ兵の珍しい組み合わせ。ドイツ兵は手榴弾を腰に巻き、任務中と思われる
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<日本参戦とブルガリア転任>



教室にて 手前が綾子さん


1942年 ブルガリアの合唱隊の訪問団 日本公使館前。右端が綾子さん
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<重光晶>



筥崎丸船上にて 左から3人目が晶





1939年9月5日 ワルシャワ避難直前の邦人。戦争初期で空爆の恐ろしさがまだ認識されていないのか逃げずに見上げている。


1941年11月 アテネ アクロポリスにて戦地訪問のためか重光もニッカポッカをはいている。


爆撃機の残骸



1942年1月 重光晶と山路姉妹。



1945年 スイス ザースフェーにて 



重光晶がブルガリアを去るにあたって、贈られた銀の小箱。戦乱の中日本まで持ち帰った。


裏に公使館員らのサインが彫られている。中央は山路公使その上が泉さらにその上が道正(ロシア語の綴り)
さらに首長、梅田、丸山、田上、根本、小沼の名前がある。




ビッシーにて大使館関係者。中央が三谷隆信大使、その左は沼田照子夫人、右は本野清子。晶は沼田夫人の後ろ。軍服姿は沼田武官

<ブルガリアの特殊な立場>




<ブルガリアの印象>










道正久 「重光兄 昭和17年6月15日」のサインあり。


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<訪問者>



日本人は右より山路章公使、野村直邦中将、阿部勝雄中将、松原明夫駐トルコ海軍武官、渓口泰麿中佐である。


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<山路公使の活躍>



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