えびす組劇場見聞録:第23号(2006年9月発行)

第23号のおしながき 

「ウィー・トーマス」 パルコ劇場 6/28〜7/9
「女殺油地獄」 三越劇場 6/2〜22
「山吹」 歌舞伎座 7/7〜31
「蝶のやうな私の郷愁」 SPACE雑遊 8/1〜10
「イキル -I KILL-」 下北沢ザ・スズナリ 8/16〜20
「怖がりません、見るまでは」 「ウィー・トーマス」 by ビアトリス・ドゥ・ボヌール
「夢のつづき」 「女殺油地獄」
「山吹」
by コンスタンツェ・アンドウ
「孤独は郷愁の彼方に」 燐光群 「蝶のやうな私の郷愁」 by C・M・スペンサー
「夏の記憶」 少年王者館 「イキル -I KILL-」 by マーガレット伊万里

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「怖がりません、見るまでは」     『ウィー・トーマス』 マーティン・マクドナー作  目黒条訳  長塚圭史演出
ビアトリス・ドゥ・ボヌール
  2003年に上演され、その残虐描写が物議をかもした舞台がキャストを一新して再演された。初演は見逃したが、相当に恐ろしい場面があると聞き及んでいたので覚悟して出かけた。
  黒猫のウィー・トーマスが無惨に殺されたことが、この恐ろしくも馬鹿馬鹿しい物語の始まりである。その猫はアイルランド民族解放軍INLAの少尉パドレイク(高岡蒼甫)が、自分の唯一の友として異常なまでに愛を注いでいたのである。パドレイクはトーマスを殺した犯人をどんな目に遭わせるか。死体となったトーマスを偶然みつけたために犯人扱いされてしまうデイヴィー(少路勇介)と、パドレイクの留守中にトーマスを預かっていた彼の父親ダニー(木村祐一)は恐怖におののく。
  パドレイクがうちに帰るまでに、何とかしなければ。
  冒頭からグロテスクな描写がこれでもかと続く。猫の死体から脳みそがこぼれ出る、クスリの売人(今奈良孝行)が逆さ吊りで拷問される。後半は、パドレイクを始末しようとやってきたグループ(堀部圭亮、チョウソンハ、富岡晃一郎)がパドレイクの恋人マレード(岡本綾。二人は数年ぶりに再会するや、あっと言う間に婚約までいってしまう)の逆襲に遭って殺された挙げ句、身元がわからないようにバラバラに切り刻まれ、スプラッター度が増す一方なのだが、血まみれの生首も内臓も、当然ながら作り物ということがはっきりわかるので、意外と平気になる。
  多少「気色悪い」ことを我慢すれば、「俳優さんは大変だろうなぁ。後片付けするスタッフも」と妙に醒めてしまったりもする。「あれは作り物だ」と肉眼でみて、はっきりと認識できるからである。贋のナマモノとでも言えばいいだろうか。
  自分は何が怖いのかと改めて考えてみた。
  怖いのは、不愉快なのは、血や内臓ではなく人間の残虐性なのだ。痛い目に遭わせてやる、口を割らせてやるという言葉や行為である。だから前半のヤクの売人の拷問場面が怖かったのだ。
  拷問やリンチが不愉快なのは、まともな交渉もせず、それなりの代価も支払わず、無抵抗な相手の肉体を一方的に痛めつけることによって必要な情報を得ようとしたり、相手が大切にしている思想や信仰を理解しようともせず踏みにじり、奪おうとする心根のえげつなさ、汚らしさがあるからである。受ける方にしてみれば、からだの苦しみだけでなく、「次はどんな目に遭うのか」「自分はどこまで耐えられるだろうか」「この苦しみがいつまで続くのか」という精神的な恐怖に苛まれる。耐えきれず口を割れば、弱い自分を嫌悪するだろう。肉体とともに精神も激しく傷つく。痛めつける人間と痛めつけられる人間双方の心の醜さや弱さが曝け出されることが、見る者を怯えさせ、不愉快な気持ちにさせるのである。
  さらにとどめを刺すのは、もしこんな目に遭ったら、いや痛い目に遭わせるぞと言葉で脅されただけで自分はすぐに音を上げてしまうに違いないという確信だ。
  いろいろなものをあっさり捨て、楽になりたい。弱いくせに図太い自分に落ち込んで、ますます嫌な気分になるのである。
  ロベルト・ロッセリーニ監督の映画『無防備都市』で、レジスタンスの青年がゲシュタポから凄惨な拷問を受ける場面がある。抑制された描き方ではあったが、それでもショックを受け、夜になって熱を出した。またサディアス・オサリヴァン監督の『ナッシング・パーソナル』は今回の舞台と同じアイルランドの政治抗争の犠牲になった青年たちが描かれているが、後半ちょっと恐い場面があり、そこが終わるまで目が開けられなかった。
  できればこのてのものは避けて通りたい。
  『ウィー・トーマス』も同じ系統のものかと思い、はじめは怯えながらびくびくと舞台をみた。だが不思議なことにだんだん腹が据わってきたのか、しまいには喧嘩腰にすらなっている自分に気づく。
  発端は猫一匹なのである。それが登場する人物のほとんどが殺されてしまうという悲惨を通り越して滑稽な物語になっていく不気味さ。「どんどんどんどん、ひどいことになっていくなあ」「この地獄、終わらないのか?終わりがないのか?」という登場人物の台詞が、悲痛というより情なく聞こえ、ここまでくると笑いさえ起こる。しかし前述の通り、案外平気でいられるのは、「ほんものではない」という安心感と「怖がってたまるか」という妙な気合い?のせいである。
  最前列の観客にはビニールシートが配られていた。それくらい血や内臓が飛び散るからである。
  もしこの作品が映画だったら、自分は正視する勇気はないだろう。映画とてほんものではないが、リアル度では舞台の比較にならない。舞台のほうが分の悪い表現方法なのである。かといって、たとえば蜷川幸雄演出の『タイタス・アンドロニカス』において、流血を赤い糸で表現する象徴的、抽象的な方法は、今回のような現代劇では使えないだろう。ますます分が悪い。だからこそ、もっと心から怖がらせてほしいのだ。震え上がり、食欲をなくし、それでも最後まで目が離せない舞台がみたいと思う。
  この救いのない物語を通して作者が伝えようとしたことを演出家はどのように受け取ったのかを、もっと知りたい。脳みそは作り物でも、舞台の俳優は生身のほんものなのだ。それを活かし、演劇だからこそできる表現を見せてほしい。
  だからわたしは怖がりません、それを見るまでは。
(七月八日観劇)

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「夢のつづき」
コンスタンツェ・アンドウ
  年齢を重ねると「夢」は過去形になりやすい。大人が夢を公言するのは、ちょっと気恥ずかしいものなのだが、四年前、私は「えびす組劇場見聞録」のホームページに「女形・市川笑三郎に託す夢」という文章を載せた。
  市川笑三郎は岐阜の一般家庭に生まれ、中学卒業後に上京し市川猿之助に入門した歌舞伎の女形である。笑三郎の舞台は一九九〇年頃から見ているが、二〇〇一〜二年『新・三国志U』の祝融役を通じ、「笑三郎が歌舞伎座の大舞台で立女形として活躍すること」が私の夢になった。ここでは、その夢のつづきを書いてみたい。
  『新・三国志U』以降も、笑三郎は猿之助のもとで実績を残していった。
  ○二年の巡業では、『吉野山』の静を踊った。上品な舞姿から孤独が滲み、台詞のない「舞踊」に「芝居」を感じさせた。
  ○二年『椿説弓張月』の簓江は、出番は上の巻のみだが、猿之助・勘九郎(現勘三郎)・福助と同じ場面で堂々とした存在感を見せた。子役と三人だけで広い歌舞伎座の舞台に立ち、「クドキ」を見せる姿は、とても立派だった。
  ○三年『四谷怪談忠臣蔵』では、お岩・小仏小平・一文字屋お軽の三役。「髪すき」等がない短縮版だったが、『東海道四谷怪談』のお岩役も見てみたいと思わせる内容だった。
  ○三年『競伊勢物語』は、娘・信夫と井筒姫の二役で、義太夫狂言をたっぷりと演じられる実力を発揮した。琴を弾きながら歌う場面もあり、国立劇場の優秀賞を受賞した。(娘役は仁ではない、などと自分から言わない方がいい。役柄が狭まるだけでいいことはない。)
  しかし、○三年十一月に猿之助が病気休演してから状況は大きく変わる。猿之助は、○四年二月の巡業で復帰したが、三月から再び休演、○六年九月現在、再復帰は叶っていない。たとえ御曹司でも、後ろ盾を失った歌舞伎役者の立場は弱くなる。門閥外出身者が多い猿之助一門の役者たちにとって、師匠の不在が与える影響は計り知れない。
  そこに手を差しのべたのが坂東玉三郎である。○三年『桜姫東文章』以来、度々彼らを起用し、指導を続けている。猿之助と玉三郎は、役者としても演出家としても正反対のタイプだと思うのだが、形に表れない部分で共鳴しあっているのだろうか。
  一門の中で、玉三郎と同じ舞台に立つ機会が特に多いのは、段治郎と笑三郎である。段治郎は、相手役として玉三郎が「向き合う」数々の大役をこなしている。一方、笑三郎は、玉三郎が「側に置いている」という印象で、本来は玉三郎の「妹分」なのだが、役どころでは笑三郎が「姉貴分」。『桜姫』長浦、○六年『忠臣蔵・六段目』お才、『十六夜清心』お藤、『海神別荘』女房などは、玉三郎より年上の役、○三年『梅ごよみ』政治は、玉三郎や勘九郎と同輩の芸者役だった。玉三郎の驚異的な若々しさと、笑三郎の落ち着いた雰囲気が生んだ逆転現象である。当初は、脇の女形として便利に使われてしまうのではないかと不安だったのだが、今は、それは穿った考えだったと反省している。「指導」だけでなく「共演」から得る物の大きさは計り知れないだろう。
  近年は立役に回ることも多く、「兼ねる役者」のイメージも備わってきた。○四年『新・三国志V』では持ち役の静華に加え、一門を離れた亀治郎に代わって馬潤役も受け持ち、孤高の皇太后と多感な青年をきっちり演じ分けた。○四年『南総里見八犬伝』犬村角太郎、○五年『三人吉三』十三郎、『舟弁慶』義経は、地方の公演だったために見られず、残念である。
  女形で印象に残った役は、○六年『當世流小栗判官』のお槙。九七年に宗十郎の代役で勤めているが(未見)、義理のために娘を我が手にかけるという複雑な大役を確実に演じ、国立劇場の優秀賞を受賞した。
  ○六年『女殺油地獄』のお吉は、九五年「(市川)右近の会」以来二度目で、笑三郎のはまり役である。与兵衛(獅童)との間にもう少し怪しい空気があれば…と思ったが、筋書きで「お吉は与兵衛に思い入れはない」という解釈を語っており、それにそって演じたのだろう。
  ○六年『山吹』の縫子はとびきりの難役だった。この月の歌舞伎座では、玉三郎念願の企画として、泉鏡花作品のみが上演されたのだが、『山吹』は他の三作と比べて知名度も低く、劇場のサイズも合っていなかった。そんなハンデを負いながらも、歌六・段治郎と三人で、感情移入しにくい物語を良く持たせたと思う。
  その他、京都造形大学の授業、小学生への歌舞伎指導、一般向の歌舞伎講座、NHKFM「邦楽ジョッキー」のパーソナリティや、その公開録音など、舞台以外の仕事も幅広い。「邦楽ジョッキー」では、『昔噺今様歌舞伎』という一人語りのラジオドラマの脚本を書き、自ら演じている。(放送時間が悪く、なかなか聞けないのが難点。)
  こうして書くと、笑三郎の歩みは順調に見えるが、主な活動は、玉三郎主体の公演か、猿之助一門主体の公演に限られているのは事実で、先行きは不透明だ。療養中の猿之助の意向はわからないが、玉三郎だけでなく、他の役者も、興業側も、一門の役者たちにもっと目を向け、活躍の場を与えてほしいと思う。
  昨今、歌舞伎は「新作ブーム」の様相を呈しているが、その流れの源は猿之助である。単に復帰を待つだけではなく、先駆者・猿之助の作品を歌舞伎の財産として生かすべきではないだろうか。
  当面は、一門の役者一人ひとりがそれぞれの場所で結果を出し、自らの立ち位置を得た上で、猿之助の作品を上演する際に集結するという形になるのだろう。そのチャンスが一度でも増えるとともに、いずれは彼らの手で新しい作品が生み出されることを願っている。
  映像技術が発達し、役者の姿かたちや作品は、それなりのクオリティで残るようになった。これからは、映像では伝わらない、舞台づくりの「過程」や「思考」をどう受け継ぐかが、より重要になってくるのではないかと思う。笑三郎は、猿之助の役を演じた経験は少ないが、内弟子として行動を共にしてきたので、猿之助の舞台づくりを熟知している筈である。役柄を継承する右近らを強力にサポートできるだろう。
  また、この数年で繋がりを深めた玉三郎の舞台づくりも、少しでも受け継いでほしい。そして、笑三郎に、猿之助の作品以外においても、立女形として活躍してほしいと望んでいる。
  現在、三十代の女形は手薄であり、それは、十年後の四十代、二十年後の五十代の女形が手薄になることを意味する。芯を勤められる歌舞伎役者を急に育てることはできない。目先の利益を追うだけではなく、将来を見据えた構想と準備が必要である。
  笑三郎は、七〇年生まれの三十六歳で、子供の頃から芸事を始め、地歌舞伎の舞台にも立っている。初舞台の『ヤマトタケル』からちょうど二十年。芸歴は決して短くない。これからの歌舞伎を支える役者の一人になれると信じている。
  娘、姫、年増、悪婆、芸者、傾城、片はずし…女形の役は様々だ。笑三郎ならどんな役でも演じられると思うし、演じてほしい。大風呂敷と言われても構わない。夢に近づく最初のステップは、言葉という形を与えることだと思っている。私の「夢」は現在進行形である。
(『女殺油地獄』六月三日、『山吹』七月九日観劇)

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「孤独は郷愁の彼方に」     燐光群『蝶のやうな私の郷愁』改訂版
C・M・スペンサー
  燐光群による組曲二十世紀の孤独シリーズ三部作の「第一楽章」と位置付けられた作品。
  二十世紀というと、「昭和」という時代がまるまる存在していたのだと最近しみじみと思うようになった。そして平成十八年、昭和がますます遠い存在となり、良き時代のように美化された記憶となって私自身に留まっている。もちろん、その頃の方が今よりも若かった、ということも大いに美化したい要素の一つとなっているのかもしれない。
  そんな個人的な話は別にして、作・松田正隆の改訂版と題された燐光群の『蝶のやうな私の郷愁』(演出・鈴木裕美)は、その時代に存在した想いを閉じ込めたような作品だった。
  木造のアパートの一室。台所と六畳の和室一間が舞台となっている。テレビは置かず、一間に卓袱台(ちゃぶだい)の生活は、とてもシンプルに見えた。登場人物は夫婦二人だけ(坂手洋二、占部房子)。その会話から私は昭和四十年代を連想した。
  夫が会社から帰宅すると早速、新聞はどこだ、もうご飯よ、なんて会話が始まった。観客の五十代位の男性は、身を乗り出して自分にも覚えがありそうなその様子をクスクス嬉しそうに笑いながら観ている。この時代が象徴されているようだった。
  携帯電話なし、インターネットはもちろん、そしてテレビも無い家庭であれば、相手の帰りをただひたすら待つことが家に残る妻の楽しみとなるのだろう。ここでも妻は夫が帰るなり有無を言わせず、この日の出来事を浴びせかけていた。だからこそ、ささいな相手の欠点よりも二人の絆を大切にしたいという妻の想いが際立ってくる。
  しかしこれは、ほんの序章でしかない。どちらかが席を外した時に見せる本心というものの存在。観客に臆する事なくさらけ出した表情も、相手が戻ると彼らは何事も無かったような顔をして向き合っている。
  ある台風の夜、停電という状況に二人の平常心はかき乱され、そして彼らが胸中に押さえていたものがついに浮かび上がった。この歪みの原因は意外にも妻の姉の存在。二人の郷愁の中にある彼女の存在。
  妻の姉は、夫のかつての妻であり、姉に隠して二人は不倫の関係にあったという事実が露呈した。そして故人となった妻の姉が二人の関係に気づいていたのではないかという疑惑の念、夫の本当の愛情はいつまでも自分には向けられていなかったのではないかという不安が常に妻にのしかかっていることも。二人でいても、彼らは互いに独りなのだという寂しい想いが伝わってきた。
  夫が嵐の様子を見に外へ出た時、彼が今の二人の関係の結論として戻らないような気がしてならなかった。それほどまでに、二人の間に大きな溝を感じたからだ。しかし、夫は意を決して妻の元に帰ってくる。
  外では嵐が激しさを増していた。互いの胸のうちを初めて知ったその夜、近隣の提防が決壊するのは時間の問題となった。
  あとに引けない想いを抱いたまま二人がした覚悟とは、ここに留まること。二人の間の問題はもっと深刻だった。いや、彼らは自分たちの想いを丸ごと封じ込めようとしているだけなのか。その想いを次の世代へ継ぐという選択をしなかった二人。想いをさらけ出した彼らにとって、明日という選択肢はなかった。互いが孤独に生きることより、一番強い絆で結ばれている今だからこそ、彼らは自分たちの行いの代償として、想いを封じ込めようとしているのではないか。しかしそれは彼らの存在を消すというより、美しいまま残していくように思えてならない。
  坂手と占部は、一見どこにでもいそうな夫婦の間に存在する微妙な距離感、その関係が作り出す緊張を充分に伝えてくれた。二人の決意を見守るように、美しくはかない水面のゆらめきが舞台を照らし、包み込む。その舞台の様は大変美しく、観客の心に郷愁となって残されていく予感がした。
(八月三日観劇)

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「夏の記憶」
マーガレット伊万里
  人それぞれ、春夏秋冬、季節に対する思いは千差万別なのだと思う。日本は特に四季がはっきりしているので、時候のあいさつが多数存在して使い分けるほどだ。
  維新派の松本雄吉が、四季のなかでも「夏」というのは、ただの自然現象としてだけではなく、もっと観念的な存在ではないかというようなことを話していて(シアターガイド2006年8月号インタビュー)、夏生まれの自分としては、なんだかはっとした。
  これまで芝居の中で目にした夏のシーンはそれぞれ印象深かった。当の維新派や、先日東京で再演されていた弘前劇場の『夏の匂い』、五年ほど前に観た文学座アトリエ公演『柘榴変』に登場する日常など。
  そして今夏も、少年王者館の『イキル(I KILL)』(作・演出 天野天街)を見て、やはり郷愁にかられた。
  舞台正面には格子戸があり、バタンバタンとせわしなく開いたり閉じたり、そこを役者が出入りする。登場するのは、顔を白塗りにしたランニングと半ズボンの少年、そして柄物の羽織を身につけた少女たち。いかにも昭和初期の子供たちの風景だ。
  そこに、中年の男・一郎(水谷ノブ)が現れる。と思うと、少年イチロウ(井村昴)が威勢よく現れ、場面をつないでいく。
  イチロウは果たして一郎の若き頃の姿なのか?一郎はちゃんとこの世に生きている存在なのかは、はっきり分からない。格子戸が、まるであの世とこの世をつなぐ装置のようだし、少年達を引き連れたイチロウの大暴れぶりは、彼の人生を巡る旅のようでもある。
  少年王者館を観た人が必ず連想するだろうと思われるのが、維新派。大阪を拠点とする維新派の野外上演にかける物量エネルギーと比べると、少年王者館は小劇場にスッポリ収まる程度の規模だ。けれども、スズナリの小さな空間ながら、野外やテント公演かと錯覚するほど、役者達はつばを飛ばしながら叫び、躍動する。
  突如踊りだす不思議なダンス。一心不乱で、全員無表情(振付 夕沈+イキルダンス部)。音楽もクラシックを使用して、ノスタルジックな雰囲気を漂わせたかと思うと、突然トランスミュージックがかかったりとジャンルが広く、延々とリフレインしたりする。そこへもってきて映像も容赦なくふりそそぐ。これでもかの過剰さは、さすがは名古屋のお国柄と思わせるほどだ。
  ただなんといっても、そんな過剰さの中に思いめぐらす記憶がふつふつとわいくる。
  それは夏の記憶。懐かしい姿の少年少女たちが笑い、叫び、歌い踊る様は、昭和の記憶であり、そして昭和の夏といえば、終戦の夏だ。戦争を知らない自分たちの世代でも否応なく思い起こされる記憶である。客席には、十代二十代の若者の姿も多く、昭和をまったく知らない世代の目にはどんな風に映るのだろうと思った。
  芝居のタイトル「イキル」に、「I KILL」とあてている。「I KILL」は「殺す」という意味であり、「イキル(生きる)」=「殺す」。それは戦争中、自分が生き残るために他人を殺したという切実な意味合いを帯びてくる。さきほどいった格子戸がとりもつあの世とこの世とは、夏=お盆のイメージが強いせいかもしれない。
  蝉しぐれや夕立といった夏のおきまりのアイテムにノスタルジーを感じるだけではなく、忘れてはならない記憶の再生役も担っているようだ。それは自己の記憶だけではない。他人の記憶も一緒に引き継がれていくのだ、きっと。
 (八月十七日観劇)

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