えびす組劇場見聞録:第54号(2016年2月発行)

第54号のおしながき


EU離脱を決めたイギリス、トランプ氏を選んだアメリカ、ともに舞台芸術の中心です。
ウエストエンドやブロードウェイは変わるのでしょうか。そして日本の行く先は・・・。


演劇作品タイトル 作・演出 上演情報 劇評タイトル 執筆者
文学座十二月アトリエの会関連企画
「霙ふる」
久保田万太郎 作 
生田みゆき 演出
文学座アトリエ
2016. 12/9〜12/13
お兄さまと久保万を by ビアトリス・ドゥ・ボヌール
超個人的・蜷川さん回顧 by コンスタンツェ・アンドウ
ドキュントメント
「となり街の知らない踊り子
山本卓卓 脚本・振付・演出
北尾亘 振付・演出・出演
あうるすぽっと
2016. 12/1〜12/4
くしゃみする身体が伝えるもの by マーガレット伊万里
るつぼ アーサー・ミラー 作
ジョナサン・マンビィ 演出
シアターコクーン
2016.10.7〜10.30
特別企画 ショートレビュー

  

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お兄さまと久保万を〜文学座有志による自主企画公演 さふいふものではない『霙ふる』〜
ビアトリス・ドゥ・ボヌール

  数年前から俳句を嗜むようになった。  俳句に久保田万太郎が登場するのは必須。句会はもちろん、万太郎作品の観劇にもさまざまな味わいが増すのは嬉しいことである。
  まだ残暑の厳しいころであったか、所属している俳句結社のあに弟子のひとりが、文学座有志による自主企画公演「第十三回久保田万太郎の世界」をご覧になったという。演目は『蛍』と『めの惣』の二本立てだ。
 自分も別の日に観劇しており、さぞ話が弾むと思いきや、「あれはさういふものとして観るのですか?」と尋ねられた。
 ぽかんとしていると、「登場人物の背景とか、下町とか色町とか、知らないものにはわけがわからない。さういふものと思へばいいんですか」。予想外の問いかけに、「説明するための芝居ではないし、俳句と同じ省略でしやう」と答えるのがせいぜいであった。
 『蛍』は二組の夫婦をめぐる因縁の物語で、『めの惣』は泉鏡花の『婦系図』全六幕十三場のうち、第五幕をひとつの舞台として久保田万太郎が脚色したものだ。
 人々のやりとりから、人間関係や過去のできごとなどは多少伝わる。しかしまずは秘密を提示して期待を持たせ、少しずつ謎を解いて理解に導くというより、観客がどう感じるかなどはあまり忖度していないとすら思われるところもあり、これに限らず、万太郎作品は決して親切ではない。
 たとえば『ふりだした雪』である。薄幸の主人公おすみは、別れた亭主に復縁を迫られたり、縁談の相手がその元亭主に殺されたり等々あって、身を寄せていた伯父の家から姿を消す。伯父は書き置きを読み、絞り出すような声で「おすみ」とひと言。そこで幕が下りる。手紙に何と書かれているのか、作家はなぜそれを伯父さんに言わせないのか。初めてこの作品を見たときは、もどかしくてならなかった。
 何とかして家出の理由やおすみの心象を知りたい。そうしなければ、この芝居を見た意味がないのではないか。
 しかしパキスタン系イギリス人劇作家・シャン・カーンの『CLEANSKINS/きれいな肌』(小田島恒志翻訳 栗山民也演出 二〇〇七年春 新国立劇場小劇場で上演)の終幕で、やはり一通の重要な手紙の内容が観客に知らされない場面を見たとき、「もしかすると作家自身にも手紙の内容はわからないのではないか」という思いにかられたのである。その淡々とした描写からは観客の想像に委ねる意志も感じられず、理解や納得、解釈を超えて、舞台で起こったこと、登場する人々の思いを受けとめることを身を持って知る、貴重な体験であった。
 これはあに弟子の言う「さういふものとして見る」こととは、決して同義ではない。「さういふものとして見る」のは、素直で懐の深い反面、一種の思考停止であり、批評放棄でもある。演劇の見方の旨みは、別のところにあるのではないか?
 あに弟子への答を見つけられないまま師走に入り、再び文学座へ足を運んだ。折しもアトリエでは久保田万太郎作品『かどで』と『舵』の二本立ての公演中で、その関連企画として、アトリエ手前の新モリヤビル一階の稽古場にて、文学座有志による自主企画公演として、久保田万太郎の『霙(みぞれ)ふる』が上演された。
 この作品は、文学座創立の一員となるはずが召集され、中国で戦死した俳優・友田恭助への挽歌である。万太郎作品のなかでも、戦争中の中国が舞台になっている点において極めて珍しく、驚いたことに、これまで一度も上演されたことがないという。一昨年夏急逝した文学座の重鎮・加藤武が本作の演出を熱望していたそうで、若手演出家の生田みゆきがその意志を引き継いで、このたびの上演となった。
 舞台四隅に杭が建てられ、入口近くのアップライトピアノのそばにピアニスト役の俳優が座しているほかは何もない(美術・乗峯雅寛)。亡き夫の最後の地を見んと東京から上海を訪れたピアニストのとし子(女優田村秋子がモデル)、新聞記者、貿易商らしき男の乗った自動車が故障し、日本軍の駐屯地に助けを求めてやってきた。あと数日で昭和一九年を迎えようとする日のことである。
 俳優は出番が終わると客席の通路に腰掛け、次の出を待つ。椅子や薬缶、アルミのコップなど、小道具はごくわずかで、所作だけで示される場面が多い。
 極めつきは終盤だ。ふと気づくと舞台上手の椅子の上に、小さな雪だるまが置かれ、兵士が腰をかがめて話しかけはじめた。駐屯地によく遊びに来るらしき中国人の男の子が「年の始めのためしとて」で始まる唱歌「一月一日」を日本語で歌えるようになったと兵士は顔をほころばせる。雪だるまを子どもに見立てているのである。とし子が下手のピアノで「一月一日」のメロディを淡々とつま弾く。場面としてはとし子はすでに退場しており、兵士にはピアノは聞こえていないことになる。
 兵士が「一月一日」を歌いはじめる。「子どもといっしょに」という見立てである。  目鼻のない雪だるまを見つめる兵士のまなざしや、つぶやくようなピアノを聞いていると、不意に胸が迫った。
 ここには物資の逼迫も死者もなく、のどかと言っていいくらいである。しかしもしかすると彼らは既にこの世の存在ではなく、駐屯地も疾うに廃墟と化したのではないか。ぎりぎりまでそぎ落とした舞台から、作家の冷厳なまなざしを感じずにはいられない。
 「一月一日」のメロディだけだったピアノはやがて生き生きと豊かな変奏曲になり、最後は不協和音の入り混じる荘厳で幻想的な曲を奏でて幕を閉じた。この曲は今回音楽を担当した矢澤弘章のオリジナルとのこと。みごとな演奏を聞かせたとし子役の永宝千晶も立派であった。
 今回の舞台に対して大胆、斬新という表現は思い浮かばない。作品の核をしっかりと捉えた適切な演出であり、盟友への哀悼を込め、戦争に敗れてすぐに書き上げた劇作家や、上演を強く望みながら旅立った先輩の思いに寄り添った温かなものであった。
 舞台の印象を俳句にするのは手に余るが、せめてあに弟子に『霙ふる』を勧めてみたい。万太郎特有の「さういふもの」は、ある面では確かに存在する。それを了解していれば、多くの作品をわりあいたやすく受け入れられるだろう。しかし今回の『霙ふる』はそれらから見る者を解放し、いつともどことも知れぬところへいざなう。下町の風情や湯豆腐だけではない、別の味わいを教えてくれるのである。

(十二月十一日観劇) 

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細胞レベルで〜蜷川さんの記憶〜
コンスタンツェ・アンドウ
  毎年末、新聞等にその年の物故者が取り上げられ、悲しみを新たにするのだが、二○一六年の暮れは特に喪失感が大きかった。演劇の重要な作り手だった、蜷川幸雄さん(五月・八十歳)と、維新派の松本雄吉さん(六月・六十九歳)の名前が並んでいたからである。
 すでに多くの方々が言葉を寄せており、私ごときが今更…ではあるが、多大な影響を受けた一観客の目線から、主に蜷川さんの舞台を振り返りたい。(敬意をこめて、「さん」づけで書かせていただく。)
 この先、自分がどれだけ舞台を見るにしろ、「最も多くの作品を見た演出家」は、間違いなく蜷川さんになるだろう。ホームページの膨大なリストを元に、ざっと数えて八十六本。記録がなくて不明確だが、初・蜷川作品は、一九七九年『近松心中物語』か、翌年の『NINAGAWA マクベス』。
 歌舞伎もシェイクスピアもまだ馴染みが薄い頃で、比較する観点はなし。「歴女」のハシリで戦国時代オタクだった私は、「主人をだまし討ちにした程度で悩む武将は死んで当然」とマクベスをばっさり切り捨て。内容よりも、安い席から見ても大迫力で豪華な舞台面が記憶に残っている。
 当時はミュージカル系を中心に見ており、次第に「演劇」寄りに変わっていったのだが、蜷川作品が「演劇」の出発点であり代表格だったのかもしれない。
 八四年の『タンゴ・冬の終わりに』と『王女メディア』は、私の観客人生できわめて重要な作品になった。特に花園神社での『メディア』は唯一無二の演劇体験で、かけがえのない財産である。(上記四作品に主演した平幹二朗さんまでもが、十月に急逝・・・なんということか!)
 『ハムレット』との出会いも蜷川演出(八八年)。激しく賛否が分かれた公演だったが、渡辺謙さんがお目当てで、初めて『ハムレット』に接した私は、作品そのものの面白さと、好きな俳優が演じるハムレットを見る楽しさに魅了された。その後いくつもの『ハムレット』を見たが、薀蓄をたれる癖が身についてしまい、純粋に楽しめたのはあのときだけだったのかもしれない。
 八九年の『滝の白糸』『盲導犬』から蜷川さんとジャニーズの繋がりがスタート。個人的には、そのことよりも、唐十郎さんの芝居を劇場の椅子に座ってゆったり見ることの心地悪さや、女優の演技への違和感が強かった。
  九十年代は年に一〜二本の観劇。中では、真田広之さんの『ハムレット』(九五・九八年)と、彼が単身、英国ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに参加し、英語で道化を演じた『リア王』(九九年)が印象に残る。ミュージカル以外の演劇で、海外カンパニーの主演をはった人は殆どいない。現在、真田さんの活動は映像主体だが、彼ならその先駆者になれると信じて待っている。
 二○○○年代に入ると、藤原竜也さんや高橋洋さんに惹かれたことや、「えびす組劇場見聞録」をはじめたこと、また、金銭的にも少し余裕ができたことから、次第に本数が増えてゆく。「この人が出るなら見ねば」「蜷川演出は押さえねば」「シェイクスピアやギリシャ悲劇をもっと知らねば」と、せっつかれるように劇場へ足を運んだ。
 演劇について考えるとき、下地として、また、指針として、蜷川さんに依存する部分が多かったように思う。蜷川さんを介して古今東西の作家や戯曲に触れ、「世界」に挑むその姿に憧れた。本当に様々なことを学ばせてもらった。
 しかし、回を重ねるうち、演出手法に既視感や疑問を覚えることもあり、常に満足していたとは言いがたい。脇の出演者やスタッフが固定化されたことによる予定調和も、心地よい反面意外性に乏しく、「蜷川演出だからどうしても」という熱意が薄れた時期もあった。
 一方で、年齢とともに増幅した私のミーハー心は常に躍っていた。前述の藤原さん・高橋さん、東山紀之さん、岡田准一さん、松本潤さん、成宮寛貴さん、小栗旬さん、岡田将生さん、松坂桃李さん・・・。彼らを生で見るというだけで、チケット代の何割かは元が取れるという確信のもと、大枚をはたき続けたのである。
 「蜷川さん×若い俳優」の組合せを快く思わない人も多かっただろう。しかし私は、それを楽しみ、豊かな時間を過ごせたと思っている。若い俳優の可能性に触れること、作品ごとにステップアップを見守ることは、完成された名品を鑑賞することにも劣らない、大きな喜びである。
 私が渡辺謙さんの『ハムレット』を通じてシェイクスピアの面白さを知ったように、出演者に呼ばれた観客の中には、自ら演劇を選ぶ観客へとシフトした人もいただろう。もちろん、蜷川作品がきっかけで、演劇への関わりを深めた俳優も数多い。
 『元禄港歌』(十六年)が私にとって最後の作品になった。初演は未見だが、秋元松代さんの戯曲、朝倉摂さんの美術、昭和の歌謡曲など、『近松心中物語』に近い世界観や、『卒塔婆小町』を思い出させる椿の花など、いつになく郷愁をあおる舞台だった。中止された『近松・・・』は誰が出るはずだったのだろう。
  『蜷の綿』の延期が発表され、手元に二枚のチケットが残った。この時からうっすらと覚悟していたように思う。通夜や葬儀の様子をテレビで見ても、意外と冷静だった。しかし、出棺の際、リベラ『サンクトゥス』が流れた瞬間、一気に涙腺が崩壊した。観客人生のほぼ全て・実人生の七割の年月、蜷川作品がすぐそこにあり続けていたのだ。その記憶が細胞レベルで私の体に溶け込み、あの曲に呼び起こされるようにあふれ出たのかもしれない。
 蜷川さんには感謝の思いでいっぱいだが、心残りもある。もし時を戻せるなら、『オイディプス王』のギリシャ公演(○四年)を体験したい。また、ネクストシアター・ゴールドシアターの単独公演を見ていないことも後悔している。
 蜷川さんの翌月、松本さんの訃報が届いた。まだお若く、病気のことも知らなかったので、ショックが大きかった。維新派の公演はあまり本数を見ていないが、この数年は欠かさず遠征し、維新派の公演予定が年間スケジュール調整の最重要ポイントとなっていたのである。
 国内最終公演の『アマハラ』(十月)。あのリズムも、俳優たちの姿も、光も、風も、会場まで歩く時間も、屋台村も、全てが名残惜しかった。
 果てしなく続く蜷川作品のラインアップから「どれを見よう?」と迷うことも、「何月に何県で維新派の公演があるのかな?」と発表を待つことも、もうない。
 蜷川さんと松本さんのいない一年がはじまる。

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くしゃみする身体が伝えるもの
マーガレット伊万里
  ないものをあるように見せるという行為は、ひどく馬鹿げていることだろうか。お金がないのに見栄をはったり、知ったかぶりをしたり、すでにありもしない幻想に必死にしがみついたり。ひいた見方をすれば、演劇も現実にはないものをあるように見せるつくりごと。毎日幾多の作品が生まれては消えていく運命だが、時に人はそれに魅せられる。だから再び同じことが繰り返される。
 ドキュントメント『となり街の知らない踊り子』を池袋のあうるすぽっとで観劇した(脚本・振付・演出:山本卓卓、振付・演出・出演:北尾亘)。あうるすぽっとの舞台上ではなく劇場入ってすぐのホワイエでの上演。フェスティバル/トーキョー16・まちなかパフォーマンスシリーズの一つとして、仮設の客席と地続きのホワイエでのパフォーマンスは臨場感あふれるものだった。
 「ドキュントメント」は、劇団範宙遊泳を主宰する山本卓卓のソロ・プロジェクトのこと。一人の人に焦点を当てるというコンセプトのもと、本作品では、ダンスカンパニーBaobab主宰で振付家・ダンサー・俳優の北尾亘とじっくりと向き合い、つくりあげたそうだ。その時々のモノローグでつなぐドキュメンタリーのような雰囲気があったり、セリフを字幕で多用したり、ドキュントメントが挑む新しい表現がどこまで行くか今後が楽しみだ。
 初演は二〇一五年五月の横浜STスポット。二〇一六年二月に横浜開催のTPAMで再演。今回が三度目の上演となる。時間をかけて作品が醸成してきたことは、芝居、ダンス、さらに映像や字幕など、いくつもの要素を盛り込みながらそれが有機的に絡み合い、観客をその渦に巻き込んでいく巧みさからもうかがえた。
 物語は、永井という架空の街の動物園での風景から始まる。若いカップルや、女子高生、旅の途中の若者や中年男性などが集まっていて、それぞれのセリフや独白を北尾亘がすべて一人で演じる。
 一人芝居は、観客にも覚悟が必要。複数の俳優が演じる芝居とは違って、人物が切り替わる瞬間に、これは誰?と、観客は意識の集中を求められる。演じる側と見る側の共犯関係が成立したときに初めてうまくいくものだ。
 一時間半出ずっぱりどころか動きっぱなしの北尾は、一人で二十五役(犬や電車役まである)を演じ分け、せりふ、ダンス、字幕とのかけあいの演技まですべてをこなし、小柄ながらその身体能力の高さに目を見張る。セリフに寄り添う身体の動きは時に身をよじりながら、三六〇度回転しながら、次々と新たな人物が飛び出す。それは過剰な憑依型ではなく、抑制のきいた距離感で人物に肉薄していく。
 永井地区では徐々に不穏な空気感が漂い始める。通り魔によるストリップ劇場の踊り子殺害事件や、永井駅ホームでの死亡事故。さらには、図書館に武装勢力がたてこもり人質全員が殺害されるという大きな暗闇に飲み込まれる。ごく普通の生活にひそむ予測不可能な事件が次々起こる。
 駅での事故は、目撃者のインタビューによって、女子高生めぐの死亡が明らかになる。事故前日、めぐ母娘は寿司屋で母親の誕生日を祝った。そのときのセリフのやりとりがホワイエの壁に映し出される。多少感傷的ではあるが、母娘の照れくさいけれど心を寄せあうシーン、といっても実際には壁に映し出された字幕で二人の会話を目で追うだけなのだが、今はもうこの世にいないめぐという若者の死を悼む悲しくて美しいシーンであった。
 北尾のダンスは、人が生きることと死ぬことの意味を私たちの心と体に刻み込むための装置として、これ以上ないくらいの効果をあげており、クライマックスでは怒りやもどかしさを全身にぶつけ圧倒的な迫力だった。
 永井で起こった辛い出来事が大勢の口から語られるたび、世の中の大いなる無関心も浮き彫りになる。
 また、図書館に立てこもったテロリストが発する「振り向いてくれ」「こっちを見てくれ」といった叫びの声は、それを報道するキャスターの口からは、その行為が「しゃっくりのようなもの」だと表される。
 テロリストの行為は突然おこった一見無関係で身勝手な行為かもしれないが、それは社会に順応できず看過された者の怒りや叫びが噴出している証拠であり、私たちが抱えている問題をつきつけられているのだ。  現実の世界でも罪のない人間が暴力によって突然命を奪われていくテロや事件が後を絶たないが、袖振り合うも他生の縁、すべてはつながっている。あの人と私はまわりまわってつながっているということを強く感じずにはいられない。
 ないものが存在するかのように胸に迫ってくるのは、わたしたちの心と体の中に埋もれているものが呼び覚まされ共鳴するから。そして存在しているのに無視し見なかったことにするほうが罪は大きいのではないだろうか。
(十二月四日観劇)

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特別企画 ショートレビュー  

ンバー四人が同じ作品について書く特別企画です。シアターコクーンの『るつぼ』に様々な角度から迫ります。

作:アーサー・ミラー    演出:ジョナサン・マンビィ


「堤真一にジョン・プロクターを演じてほしい」この長年の夢が実現したばかりか、新たな希望を抱くことができたのは大いなる収穫。神への後ろめたさに苦しみながらも、生き伸びるために虚偽の告白をするプロクターもあり得るぞ。戯曲に描かれていない物語が新たに動き出す様相を想像するとぞくぞくする。堂々と絞首台に上る彼も、生き恥を晒す彼も、わたしはどちらも愛するだろう。いや、堤真一だからということではなくて。(ビ)



◆有名な戯曲だが、勉強不足で内容を全く知らないまま観劇。こんな事件が実際にあったのか、と背筋が寒くなった。しかし、今も、集団で無自覚に人を陥れてしまうことが許容される空気が流れている。国家単位でも、小さなコミュニティーでも・・・。心の中に守るべきものを持たない現代人は、何かを信じて死ぬのではなく、何も信じられずに死んでゆく。誰もが、どちら側にもなりうる恐ろしさ。加害者の輪に入らないためには、「離見の見」が必要なのかもしれない。(コン)



◆実話を基にしているという戯曲の展開に、観る者が驚かされる作品だ。そのため、役者の個性が作品の印象を左右する。だからこそ、個性が出過ぎない方がいいと思った。二〇一二年に新国立劇場で上演(翻訳・水谷八也、演出・宮田慶子)された作品は、観客に問うように淡々としていた。ジョン・プロクターの決断の行方、アビゲイルの罪悪感を感じさせない威圧に、介入できない人の心の尊厳ともどかしさを感じた。(C)



◆一人の女性のたくらみを発端とする少女達の熱狂によって、あれよあれよという間に無実の人々が処刑されてゆくさまは、一度走り出したら止められない人間の業をまざまざと見せつけられた。主人公プロクターは信心深いからこそ嘘をつかず、神の下で正しくあろうとする人間の理想の姿か。じぶんの喉に短刀をつきつけられるような緊迫感で、プロクター最後の瞬間を固唾をのんで見守った。(万)

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