柳田邦男さん

[国民の健康・いのち優先へ、迫られる行政の大転換] 柳田邦男 中国新聞「現論」2006年10月15日
[■必然だったJR脱線、危機意識 構造的たるみ] 柳田邦男 朝日新聞「現論」2005年5月8日
[「ケータイ・ネットの時代」負の側面、洞察する力を] 柳田邦男 中国新聞「現論」2004年2月29日
[数野太郎の葬儀への弔電] メッセージと詩(1000の風) 2003年5月26日
[提案「二・五人称の視点」] 柳田邦男「緊急発言 いのちへ1」2000年7月25日

[「日本企業の隠ぺい文化」人命優先へ意識改革を] 柳田邦男 中国新聞「現論」2007年5月20日
[国民の健康・いのち優先へ、迫られる行政の大転換] 柳田邦男 中国新聞「現論」2006年10月15日
[「物語を生きる人間」医学]「生と死」の人称性の視点から  柳田邦男(ノンフィクション作家)
[死の人称性] 柳田邦男著『「緊急発言 いのちへ1」脳死・メディア・少年事件・水俣』より 講談社2000年

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柳田邦男さんは、ドクターちゃびんの父の葬儀にメッセージと詩(1000の風)を贈ってくれました

《弔 電》

数野 博 先生

御尊父様のご逝去を悼み
  謹んでお悔やみ申し上げます。

数野先生が多忙をいとわずに献身的に育ててこられた「びんご・生と死を考える会」の10周年記の会が盛会のうちに終了してから、御父上様が旅立たれたことには、深い意味があるように感じます。御父上様は、福山の地に、新しい死生観と新しい医療のあり方を普及させようとしておられる数野先生の生き方を、しっかり見つづけておられるのだと思います。

御父上様の御冥福を、はるか東京の地にてお祈り申し上げつつ、外国の一篇の詩をお届けしたく存じます。

  2003年5月26日     作家、 柳田 邦男

1000の風   あとに残された人へ

私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。
私はそこにいません。
眠ってなんかいません。

1000の風になって
吹き抜けています。
私はダイヤモンドのように
雪の上で輝いています。
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。
秋には
やさしい雨になります。

朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって
駆けあがり
鳥たちを
空でくるくる舞わせています。
夜には星になり、
私は、そっと光っています。

どうか、その墓石の前で
泣かないでください。
私はそこにいません。
私は死んでいないのです。

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