[生き方と死生観]

[現代文明の加速に警告「大震災…終末論が教える知恵」] 津城寛文・筑波大大学院教授 中国新聞2011年4月5日
[死の人称性] 柳田邦男著『「緊急発言 いのちへ1」脳死・メディア・少年事件・水俣』より 講談社2000年
[「物語を生きる人間」医学]「生と死」の人称性の視点から  柳田邦男(ノンフィクション作家)
[いるものが、いない] 宗左近(長編詩)「炎える母」 中国新聞「天風録」2006年7月2日
[「千の風」突然の旅立ちを強いられた方々を思いつつ] 朝日新聞「天声人語」2003年9月11日
[1000の風] 朝日新聞「天声人語」2003年8月28日
[無慙愧は名づけて人とせず] 親鸞『教 行 信 証』信巻 『真宗聖典』257頁
[現実と幻想との境界で]「千の風に 千の風になって」小池民男(コラムニスト)朝日新聞2006年3月6日
[無意識の死生観] 猪瀬 直樹(作家) 朝日新聞「明日も夕焼け」1999年11月28日

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[現代文明の加速に警告「大震災…終末論が教える知恵」]
「足るを知る」教訓学ぶ時
津城寛文(つしろ・ひろふみ)筑波大大学院教授
中国新聞「洗心」2011年4月5日

1956年鹿児島県屋久島町生まれ。東京大大学院人文科学研究科修了。専門は比較宗教学。著書に「〈公共宗教〉の光と影」など。

3月11日に東北地方などを襲った未曽有の災害。続いて福島の原発事故が起こり、日本の「安全神話」の崩壊として世界に衝撃を与えた。犠牲者のご冥福と被災地の復興を、心からお祈りするとともに、事故が大過なく制御されることを願う。この原発事故は人類が持つ最大の危険物の一つ、原子力を扱う施設が被害を受けたものである。施設を造らなければ事故は起こらなかったという意味で、また災害の規模が「想定」の範囲を超えたという意味で、ここには人災の要素がある。人間の都合で決めた「想定」を自然が超えないという保障はない。

「終末論」という言葉がキリスト教国ではよく話題になる。これについて、都市的な幻想だという説がある。人がいないところで大小の天災が起きても、人的被害はない。逆に人口密集地では天災を引き金として、大きな二次災害が起こる。そのような都市生活の恐怖が終末論の土壌になる、というのである。終末論は幻想かもしれ一ないが、都市で二次災害が起こることは決して幻想ではない。現代世界はそれぞれの都市が網の目のように結ばれ、エネルギーや食料をめぐる日常レベルでも相互依存が強まり、事実上一つの都市に近づいている。少しの節制や工夫をおろそかにすると大きな苦難を招くことになる、としいうレッスン。われわれ、日本人と人類全員に課せられている。そこに人災の要素があるとすれば、まずこの被害に直接の責任を負うべき人々がいるはずである。そしてわれわれ全員も、節制や工夫を怠った度合いに応じて、連帯責任を間われるだろう。原発の問題も、エネルギー問題をどうするかという直接の難問にとどまらない。社会全体、ライフスタイル全体、価値観全体と切り離しては論じられない。経済合理性から原発擁護派だったエンジニアの知人は、今回の事故を目の当たりにして、コストが高くなっても原発は廃止すべきだ、という考えに変わったという。

私は昨年、「生前に書く『死去のご挨拶状』」(春秋社)という本を書いた。ただ生きることだけを至上の価値とせず、むしろ自分が死ぬ時の心境になってみることで、大切なものとそうでないものを峻別できるのではないか、と思ったからだ。しかし、人間は必ず死ぬとしても、人災で死ぬ、あるいは死なせることは、悔やむべきことである。経済合理性はしばしば、人間にとって非合理な方向へ進む。何のための経済なのか。われわれは何のために生きているのか。古くから文明の興亡を見届けてきた諸宗教には、人生の意味を考え直すあれこれの知恵が蔵されている。「足るを知る」といった教訓をあらためて学び直すことになるだろう。方向を見失って加速しすぎた現代文明。時に減速して方向修正する知恵を持たなければ、大小の衝突を繰り返して強制的に停止させられることになるかもしれない。,一触即発の状態にあることを、今回の事故は警告しているように思う。

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死の人称性
柳田邦男著『「緊急発言 いのちへ1」脳死・メディア・少年事件・水俣』より
講談社 2000年7月25日 発行

専門家の思考の転換

最近、私はとてもいい二つの出会いを体験することができました。それはいずれも私が書いた『犠牲(サクリファイス)』という本を読んだ方との出会いです。

一つは一ある医療経済学者にお会いしたときの話です。その経済学者はかねて、脳死になった人を医療費を使って生命維持をするのは社会資源のむだ遣いである、と主張していた方でした。脳死は不可逆的な脳の機能の停止である以上、限られた医療資源をそういう患者の生命維持に使うより、治療の意味のある患者に向けるべきであって、脳死患者に医療的なケアをする必要はない、と。その医療経済学者が、私の『犠牲』を読んだことを、最近お会いしたとき初めて聞きました。「私は考えを変えました」とおっしゃるんです。こういうことでした。自分は経済学者として、単に効率とか経済的価値とか資源とか、そういう面だけで考えていた。人間というのはそうじゃない。精神生活をし、感情生活をし、関係性の中で生きている。それを、脳死の人をケアするのは社会的資源のむだ遣いだなどと言ってしまうのは残酷なことであり、もっと大事な精神的な財産を切り捨てることになるのだ。脳死状態を四日や五日維持する医療費なんて、医療経済全体の中でみたら大したことではない。それをもったいないと言って切り捨てるほうが、はるかに社会的、文化的に失うものが大きいということに気づきました、とこう言ってくれたんです。これは、経済的効率主義が優先されがちな現代において、我々がいかなる文明を選択するのかという問題を含む、非常に重要な視点を示してくれたと、私は思いました。

それから二つ目の出会いは、高知新聞の宮田速雄社会部長からいただいた手紙です。ご存知のように、高知赤十字病院で脳死状態の患者が出たとき、地元の新聞社としては驚天動地だったわけですね。現場は混乱する。そういう中で、社会部長が、そのしばらく前に読んでくださった私の『犠牲』という本の場面を思い出して、ハッと気づいてくれたというんです。今我々は記者を前線に出して、そして「脳死だ」と言っていたと思ったら、今度は「いや。脳波があった。まだ死んでいない」と、その都度実況中継のように情報を流していく。一体それは何なのだと。あたかもそこにいる患者が死ぬことを前提にして、死ぬのを待つような気持ちで脳死判定を報じ、いや、まだ生きている、いや、次は死ぬかもしれない、ということをやっている。これは一体何なのだと。それに気づいたというんですね。記者というのは現場の興奮に流されがちです。修羅場でそういうことを考えるというのは、できそうでできないことです。私は感激しました。

この二つのエピソードはどんな意味を持つのかと、私は分析的に考えてみました。その意味は二つあると思うのです。第一には、二人とも自分の持っていた考えを変えているということです。変える前の考えの持っていた意味とそれを変えたことの意味、それは何なのかと考えますと、こういうことだと思うんです。最初に持っていたある判断なり価値基準というのは、専門家が陥りやすい落とし穴にはまっていたのではないかということです。現代の高度な科学技術社会、あるいは法律や金融取引や行政組織や様々な分野別の専門知識が必要とされる高度な知識杜会になりますと、専門家というのがどうしても必要になってくる。行政官にしろ、医者にしろ、法律家にしろ、看護婦にしろ、薬剤師にしろ、新聞記者も、それぞれに専門職です。新聞記者の中でも、政治の専門、経済の専門、社会事件の専門、科学の専門、医療の専門、こう分かれていく。そして、それぞれの専門の知識と経験の中でものを見るようになる。ところが、現実の脳死の患者をみた家族の体験を知る、あるいはその現場に触れる、そうすることによって、専門的な視野の中だけで考えていたことと違うものが見えてくる。違うものは何かというと、人様々な生き方をしている人間の多様な世界、そこにはいろいろな形の関係性や、愛情とか悲しみとか喜びとかがある。それが見えてきたときに、専門領域の知識や技術だけでは解決がつかないものがそこにあるのだ、ということがわかってくるということです。それは非常に重要なことだと思います。

死の人称性

二つのエピソードの二番目の意味は、これら二人には、「二人称の視点」への接近が見られるというとです。ここで「二人称の死」、あるいは「二人称の視点」という問題が出てくるわけですが、人間の命とか死には人称によって特性に違いがあるということです。人間の死の人称性というのは、フランスの哲学者ジャンケレヴィッチが提起した概念です。医療現場では、そんなことを考えた人はいなかったのですが、私は息子の脳死をみているときに、まさに死の人称性というのは重要だということに気づきました。

死の人称性とはどういうことかと言いますと、まず「一人称の死」とは、私自身の死です。「一人称の死」では何が重要かというと、その人の死生観、あるいはリビング・ウィル、自己決定権、それが問題になるわけです。自分は最期にどういう死に方をしたいのか。ガン末期で死が近づいたり脳卒中で植物状態になったら、痛みなどの緩和ケアだけにして無駄な延命治療はしないでほしいとか、心停止が訪れたら心マッサージなどしないで、連れ含いに手を握っていてほしいとか、いろいろな選択肢がある。

あるいは、脳死に陥ったときに、自分は脳死を認めないとするのか、あるいはドナーカードを持って、どんな臓器でも使いなさいと言うのか。心臓は提供するが他は嫌だとか、あるいは、心臓、肺、肝臓は提供するけれど、皮膚はそっとしておいてくれ、なぜならば、皮膚を取ると、その人の顔や体のおだやかな雰囲気が、家族が遺体を引き取るときになくなっているからだ、と言う人もいる。

それから「二人称の死」というのは、家族とか恋人とか戦友とか、自分にとって非常に密接な関係、人生を分かち合うほど大事な関係性のある人、「あなた」の死です。「二人称の死」に直面する人は、二つのことをしなけれぼならない。一つは、死にゆく人をどうケアするのかという大きな任務を持っているということです。もう一つは、大事な人を失うことによって、自分の心の中でもう一つの死、つまり喪失体験が起こる。連れ合いを亡くしたり、子どもを亡くしたりした人の多くが、しばらく社会生活が十分できなくなったり、鬱的な状態になることが少なくない。息子を亡くしたために会社に勤められなくなったお父さんもいます。喪失体験からどう生き直すかというのは、ものすごく難しい問題です。それが「二人称の死」の抱える問題です。

それから「三人称の死」というのは、ある程度は付き合っていても、親戚筋とか友人、知人という立場になると、死をかなり対象化してみられる。自分の感情を同一化しないで、ある程度切り離してみられる。「二人称の死」だった場合には、その日、ご飯がノドも通らないような状態になるのに、地球の裏の出来事であれば、百万人が餓死したというニュースを聞いても、その日、平気で酒を飲み、ゲームに興じることができる。それぐらい死というのは人称によって性質に違いがあるのです。

提案「二・五人称の視点」

それでは、専門的な職業の中で医療職とか福祉職とか新聞記者にとって、治療対象としての患者の、死や、養育していた障害児の死、取材対象の事件における被害者の死というのは一体どんな性質を持つのだろうか。それは単なる「三人称の死」なのだろうか。確かに人称の分類から言うと、「三人称の死」でしかないわけですが、私は医療界でよく話を頼まれると、医療者にとって患者の死は決して「三人称の死」ではない。なぜならば、医療者というのはその人の大事な場面で、非常に密接なかかわり合いを持つからであり、私は「二・五人称の関係性」と呼びたい、と提案しているのです。

「二・五人称の関係性」あるいは「二・五人称の視点」というのはどういう意味かというと、医療者というのは、ある客観性を持って患者を診なければいけない。しかし、それは冷たく突き放す客観性ではなくて、その死にゆく人に対してよりよい最期の日々のためのお手伝いをし、家族にとってもいい別れの形をつくってあげなければならない。そこにおいては、人間性豊かなかかわり合いが必要になってくる。それは二人称に限りなく近づくわけだけれど、しかしどっぷり二人称になってしまうと、冷静な判断と正しい処置ができなくなる。よく自分の、子どもの手術はできないと外科医が、言いますね。それと同じで、本当に二人称の関係性になってしまったら客観性が保てなくなる。そこで二人称の手前で止まっておくのだけれど、しかし冷たい三人称ではなく二人称の立場を共感的に理解するという意味で、「二・五人称の視点」という新しい用語と概念を提案しているわけです。

実は、これからの報道においては、ジャーナリスト、新聞記者に求められるのは、「二・五人称の視点」を持つということではないかと思うのです。脳死報道の中で、死にゆく人とそれを看取る家族に対して限りなく同情の気持ちを持ち、共感的な気持ちらを持って対応するならば、あの高知で騒いだような実況中継的な大騒ぎはなかったと思います。「三人称の視点」でしかなかった報道が、どれほど家族を苦しめ、傷つけ、混乱させたか。私はあの後、様々な談話や評論で、「自分がその身になったらどうなのか」という視点の重要性を説きました。

そしてこの「二・五人称の視点」というのを持つと、それは何も脳死問題だけではなく、今社会的に評価の難しい問題、あるいはジャーナリズムが抱えている様々な問題について焦点を当てるべきところを明確にしていく、そして深めていくことができるのではないかと思うのです。たとえば犯罪報道一つをとってもそうです。

犯罪報道をめぐって新聞協会賞をとるようなスクープというのは過去にたくさんありました。それぞれすばらしい記者の働きだったと思います。それはそれとして大事であるし、これからもその種の取材は重要だと思います。でもよく考えてみると、被害者に目を向けるということはほとんど10パーセントもなかった。それはサイドストーリーであったり、後から追いかけた後日談といった程度の記事が時々ちらほらと出る程度でした。

しかし、二人称の立場に立つならば、被害者こそ重要な存在であるはずです。救済しなければいけない、そして伝えられなけれぱいけない存在は、放置される被害者の悲惨さだったわけです。犯罪被害者を社会が支えていくような問題意識と社会システムというものはまだゼロに近い。やっとこの一、二年、犯罪被害者に対して救援の手を、という記事がメディアにも載るようになった。法律の専門家やジャーナリストがもっと早くから「二・五人称の視点」でアプローチしてきたなら、犯罪被害者はもっともっとクローズアップされ、その救済の動きが広がったに違いないと思うのです。

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死生観とケアの現場「死の臨床と死生観」2004年6月26日
21世紀COE研究拠点形成プログラム
生命の文化・価値をめぐる「死生学」の構築

「物語を生きる人間」医学
「生と死」の人称性の視点から 
柳田邦男(ノンフィクション作家)

1.「死の人称性」への気づき
(1) 脳死の息子との会話:ベッドサイドでの11 日間(1993 年夏)
(2) 脳死論の盲点への気づき: 医学的・科学的脳死論と愛するわが子の脳死の身体の違い。その違いは何に起因するのか。
(3) 「2人称の死」の気づき:客観的な死(対象化された死)と人生。生活を共有した者の死の違い。
(4) 背景にあった終末的医療とのかかわり
1. 現代医学が切り捨てたもの
「完全看護」という名の家族の切り捨て。患者を対象化する。治癒不能となった患者の切り捨て。「生」の方向でのみ評価する価値観。
2. ホスピス・ケア(ターミナル・ケア)のアンチ・テーゼ
死ぬまで生きるという視点 患者本人の納得のできる死 家族は最重要スタッフ 、家族もケアの対象(死後もフォロー)=「2人称の死」の重視

2. 人称性による死の意味の違い
(1) 哲学からの示唆:現代フランスの哲学者V. ジャンケレヴィッチの「1人称の死」論
(2) 「死の人称性」の臨床的・人生論的な意味
1 人称の死(私の死)
i) 最後までいかに有意義に生きるか。:「生きがい」「生きた証」「何かを全うする」「思い残しのない日々」・・・
ii) リビング・ウィル(生前の意思):尊厳死、自然死願望、臓器提供
iii) 子どもと「1人称の死」
2 人称の死(あなたの死ー家族、恋人、戦友・・・)
i) 「1人称の死」をサポートする。
ii) グリーフ・ワーク― 子を喪った母親の困難
3 人称の死(彼・彼女の死)
i) 親しい人の死:「2 人称の死」に近い感情
ii) 職業的に強い関係性のある人の死:医療者と患者、福祉従事者と障害者、教師と教え子…「2.5人称の視点」
iii) 尊敬する人の死:社会的な影響をもたらす死
iv) 戦争、災害、事故、犯罪等による死:衝撃による何らかの反応
v) 無縁の他人の死

3. 人間は物語を生きている
(1) 「なぜ」に対する答えの有無、納得の有無:愛する人は「なぜ」死ななければならなかったのか?
1 科学的・医学的な答え、2 意味づけによる答え:「人間は物語らないとわからない」「人が納得するための2つの道」
(2) 人は人生という物語を生きている
1. 人の人生は一編の長編小説になっている:「物語を生きる人間」医学ー「生と死」の人称性の視点から(柳田)
2. 結果的に書かれた章と意識的に書かれた章
3. 人生の最終章をどう書くか:「尊厳ある死」と「尊厳死」、納得と受容
(3) いのちの2 面性
1. 生物学的いのち(生命)、2. 精神的いのち
(4) 「意味のある偶然」の重要性: 物語には奇跡的なことがしばしば起こる、それは、物語の進展(人の心の成長、成熟)の重要な契機となる
(5) 物語という「あいまいさ」の許容:日本的「あいまい文化」の再生

4. 科学の普遍性と物語の普遍性
(1) 対象化と普遍性: 自己と対象の切断。追試確認が可能、個別性の排除:細分化されたものを集めても、人間像は見えてこない
(2) 内面化と普遍性:対象を自己の内面化する、個別性にこそ目を向ける、「物語の普遍性」、「瞬間の真実」の存在、追試不能でもそこに真実がある

5. 「生きられた時間」の創造
(1) 死を前にした人の時間:物理的に流れる「3人称的な時間」vs 生きている実感の濃淡によって意識される「1人称的な時間」
「1人称的な時間」と「生きられた時間」(ウジェーヌ・ミンコフスキー)
(2) 「問われた者(存在)」(期待された者)としての生きる意志。(V. フランクル)
「人生の問いのコペルニクス的転回」、「内面化」による生きる力(マロニエの枝と乙女)、「精神化」(神谷美恵子)による創作活動

6. 「人生の完成」のために
(1) ターミナルケアの3条件:1. 身体的ケア、2. 心のケア、3. 「人生の完成」の支援
(2) 新しいライフ・サイクル論の提唱:1. 精神的いのちの重視、
2. 遺された者の人生を決める「愛する人の死」:心に生きる「死後生」、遺された人の心を壊す医療、再生の医療

7. 専門化社会に「2.5 人称の視点」を
(1) 乾いた「3人称の視点」の落とし穴
(2) 潤いと温もりのある「2.5人称の視点」へ

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[いるものが、いない] 宗左近(長編詩)「炎える母」
中国新聞「天風録」 2006年7月2日

<いない/走って/いたものが/走っていない/いない/いるものが/いない>。敗戦のニカ月半前、1945年5月の東京大空襲。炎の海の中を<わたしと母は手に手をとりながら 泳ぎ 喘(あえ)ぎ逃げまどっていた>▲長編詩「炎(も)える母」は、先月、87歳で亡くなった詩人宗左近(そうさこん)さんの代表作だ。つないでいた手が離れ、<あなたを生きながら焼いた><母よ呪(のろ)ってください息子であるわたしを>と自分を責める▲三百十三ページの分厚い詩集を貫くのは、人間の尊厳であり、母親への鎮魂である。自分は生き残った負い目、戦争への強い憤りも、行間からわき上がる。書き上げたのは二十二年後だった。言い難い心象を吐き出すには、それほどの歳月を要したのだろう▲フランス文学を大学で教え、縄文文化などの芸術評論も書いた。「反時代的芸術論」という著作(六三年)の後書きに「核爆発実験停止より再開にいたる三年あまりの時期に書いたものです。いずれも、そのことを意識した上での文章です」と記している▲被爆地に心を寄せ、何度か広島を訪れた。「世界原爆詩集」(角川文庫)や、作曲家林光氏の合唱曲「原爆小景」に「炎える母」が使われているのも、底流でどこか通じるところがあるからだ▲二軒隣の男児殺害、高校生の自宅放火殺人、若者グループの集団暴行・生き埋め…。命がいとも簡単に奪われる事件が相次いでいる。そんな世の中への警鐘のようにも思え、一層胸に迫る。

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[「千の風」突然の旅立ちを強いられた方々を思いつつ]
朝日新聞「天声人語」2003年9月11日

だれがつくったのかわからない詩「千の風」について先月、この欄で紹介した。「私の墓の前で泣かないで」と呼びかけるこの詩をめぐって、読者から多くの便りをいただいた。こんな詩もある、と別の詩を挙げる人もいた▼Hさんはイタリアの高名な劇作家ルイジ・ピランデルロ(1867-1936)を思い浮かべたという。この夏、彼の故郷シチリア島のアグリジェントを訪れ、「死に際して『何も望まないという唯一の望み』」をつづった彼の詩などを教えられた。「そのりんとした言葉の語る静謐(せいひつ)さ」は「千の風」と通い合うと思った、と▼Yさんは、ドイツ生まれのユダヤ系米国人サムエル・ウルマン(1840-1924)の詩を思い浮がべた。ウルマンの詩は米国より日本でよく知られている。とりわけ「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」とうたう「青春」がよく引かれる▼Yさんはウルマン最後の詩「なぜ涙を?」を挙げた。「私が船出するとき/嘆きの涙は欲しくない/永遠(とわ)の国へ私を急がせる/鳴咽(おえつ)も溜息も欲しくない」と始まる詩だ(作出宗久訳『青春とは、心の若さである。』角川文庫)▼そして彼はこう呼びかける。「私のためにこのような言葉は言って欲しくない/彼の生命(いのち)の灯(ともしび)は消え去っていったと/ただ こう言って欲しい/彼は今日(きょう)旅に出て旅を続けていると」▼約3千人の人たちが、突然の「旅立ち」を強いられた同時多発テロから2年、悲しみと日々向き合ってきた遺族の方々のことを思いつつ。

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[無慙愧は名づけて人とせず]
大谷大学ホームページ「今日のことば」より
(「きょうのことば」は、大谷大学教員による正門「伝道掲示板」の解説文です)
親鸞『教 行 信 証』信巻 『真宗聖典』257頁

「あんなひどいことをするなんて、とても人間とは思えない。」信頼を裏切られたり、信じられないような仕打ちを受けた時、口を突いて出ることがあります。そこには、人間として許されるべきではない行為ということが前提になっています。しかしながら、いったい何をもって人間というのだろうかと考えてみると、問題はそんなに簡単ではありません。

 人間にとっての教育ということを生涯の課題とした林 竹二(1906〜1985)は、「人間について」という授業の中で、「人間に生まれたということだけで人間と言えるだろうか」という問題提起をしています。それは、人間とは、人間として育てられ、学びを通して人間になっていく必要があることを述べているのです。では、何を学べば本当の意味での人間になったと言えるのでしょうか。

 表題に挙げた言葉は、『涅槃経(ねはんぎょう)』というお経の言葉で、親鸞 (1173〜1262)が『教行信証』信巻に引用しているものです。父を殺してしまい、大きな苦悩を抱えている阿闍世(あじゃせ)王に対して、耆婆(ぎば)という大臣が仏の教えとして、次のように述べる中に出てきます。

慙(ざん)は内に自ら羞恥(しゅうち)す、愧(き)は発露(ほっろ)して人に向かう。慙は人に羞(は)ず、愧は天に羞ず。これを慙愧(ざんぎ)と名づく。無慙愧は名づけて人とせず。 

罪に対して痛みを感じ、罪を犯したことを羞恥する心が慙愧です。慙愧がなければ、人と呼ぶことはできないと言われているのです。

 誰かを傷つけることは確かに問題です。また、傷つけまいと思っていても、傷つけてしまうこともあります。しかし、そのことをどう受け止めているのか、これはもっと大きな問題です。

 耆婆は次のように続けます。
慙愧あるがゆえに、すなわち父母・師長を恭敬(くぎょう)す。
慙愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。
善(よ)いかな大王、具(つぶさ)に慙愧あり。    

慙愧の心が人間関係を開くのであると。

慙愧においてはじめて人を人として敬うことが成り立つのです。慙愧の心がなければ、人間関係を生きていながらも相手を人として見ることができません。慙愧によって人と人との間を生きる、文字通り「人間」たらしめられるのです。耆婆が阿闍世王に対し、慙愧の心を懐いていることが大事だと言ったのはこのためなのです。

 本当の意味での人間となっていく原点、それが慙愧なのです。

[恥を知らない文化の行き着く先] 広島県保険医新聞(第340号)「主張」2004年7月10日

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[現実と幻想との境界で]「千の風に 千の風になって」
小池民男(朝日新聞コラムニスト)
時の墓碑銘(エピタフ) 朝日新聞2006年3月6日

「いいミュージカルとは何だろうか?」。ミュージカルを見た帰りに友人らとそんな話をするときがある。ある友人の説はこうだ。「帰り道、すぐ独唱や合唱できるような歌、そんな歌が織り込まれていることではないか」。そういわれると「キャッツ」から「レ・ミゼラブル」まで、最近の名作ミュージカルにかぎっても、なるほど、と思い当たることは多々ある。聴いてすぐ歌える。曲がシンプルで、歌詞が明快、魅力的であることが必要だ。

ミュージカルではないが、そんな魅力的な歌に出合ったのは2003年の夏だった。

私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

友人で作家の新井満氏が訳詞・作曲、歌った私家盤CDで、「最後の一枚」だといって贈られた。湿っぽさがなく、さらりと「死」を歌っている。音符が苦手な私も一度で覚えることができ、歌うことができた。もしこれが「甘く、切なく」歌われていたりしていたら、歌う気にもならなかっただろう。

幼友だちの妻ががんで死去、その追悼文集に掲載された詩だったという。新井氏は曲をつけようと思い立った。

元は英語の詩だった。アイルランド共和軍(IRA)のテロで死んだ青年が遺書のように両親に託していたことをBBCが放送した。9・11テロの翌年の追悼集会で、11歳の少女が朗読した。映画監督H・ホークスの葬儀で俳優のJ・ウェインが朗読した。だが、いつ、誰がつくった詩かがわからない。

詩をめぐる物語をちりばめながら、そのころ担当していたコラム「天声人語」で紹介した。反響は大きかった。新井氏の方は「その日から電話が鳴り始め、止まらなくなってしまった」(『CDブック千の風になって』講談杜)。

写真詩集として出版されることになり、私も共同執筆に誘われた。さすがに遠慮した。本は売れつづけ、30万部を超えたところで昨秋、CDとセットの新装版が出た。

これらの出来事の少し前、がんで闘病生活をしていた先輩記者を励ます会を催した。そこでこんな話をした記憶がある。「死んだらとりあえず、僕たちは煙や灰、骨になる。僕を形づくっていた素粒子たちにとっても別離のときです。しかし、素粒子たちがいつか再会を図ることがあっても、ふしぎではないでしょう。はるか遠い、永遠に近い未来のことかもしれません。『僕』が再結集する日を夢想したりします」

いま思えば、「煙になる」のは「風になる」のとほぼ同じことだろう。現実と幻想とをつなぐのが「風」である。

そして死は現実と幻想との境界に起きる「何か」だ。

[1000の風] 朝日新聞「天声人語」2003年8月28日
柳田邦男さんからの「弔電・1000の風」

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[無意識の死生観]
猪瀬 直樹(作家) 朝日新聞「明日も夕焼け」1999年11月28日

模型飛行機に熱中したことがある。小学校の四年生か五年生のころだった。いまならプラモデルだろうが当時のキットは、竹ひごとそれを繋ぎ合わせるための直径二ミリほどの短いアルミの管、翼に貼る薄い紙、木の胴体とプロペラ、動力としてのゴム、接着剤などが細長い紙袋に入っていた。学校の帰りによく店に立ち寄った。

完成すると広いグラウンドで試した。できるだけ長く旋回しなければならない。ゴムの動力は、ぐるぐる巻いて絞ったぷんが解けてしまうと落下する。動力が切れないうちに上昇気流をつかまないとす機体は五十メートルほど真っ直ぐ飛ぷがすぐに着地してしまう。接着剤のつけ方ひとつで左右の翼のバランスが崩れるので念には念を入れ繊密にていねいに組み立てるほかはない。そこがむずかしい。

チャレンジしては失敗、また新しいキットを買って来ては今度こそ、と夕飯も忘れ組み立てに熱中した。それを繰り返していたある日、とうとう上昇気流をつかんだ。舞い上がった機体は、大きな弧を描いてどんどん昇っていく。夕陽を浴びて銀色に輝いた機体は、やがて空の散歩に飽いて戻ってくるはずであった。

しかし、ふわりと浮いたままゆらゆらと静かに流されはじめた。弛んだゴムが垂れ下がっているのが見えた。そのうちに形がとらえにくいほど高く舞い、やがて黒い点となり天空へ吸い込まれた。

もう戻ってこないのだ、と納得するまでにはちょっと時間がかかった。この小さな事件で僕は喪失感を、初めて大人のような仕方で認識した。おおげさかもしれないが、絶対的な不在というもの、それがわかった。すでに父親が亡くなっているのに留守のような気がしていたのは不思議である。

日本人の暮らしが死者の気配に.満ちていたせいだろうか。そんな感覚はあながち根拠がないではない。なぜならキリスト教的な世界では死ぬと天国か地獄へ行ったまま、戻れないが、東洋的な世界では再び生まれ変わる輪廻転生の思想が暮らしのあちこちに染み込んでいるから。遊びでも、チェスの場合は死んだ駒は生き返らないが、将棋では相手の手持ち駒として再び登場できるように。

日本人の生活をしきたりのなかでとらえていくと陰陽説でかなり説明できる。たとえは葬儀では死者の装束が右前でなく左前にするとか、ふだんと逆になっているのはなぜか。こうした疑問を『陰陽で読み解く日本のしきたり』(大峡儷三著)がわかりやすく説いている。陰陽説は中国、韓国、日本に共通の根をもつ死生観で、陽と陰はつねに循環しているのだ。太陽が陽で月が陰、昼と夜も夏と冬も奇数と偶数も吉と凶も、そして生と死もこの循環のなかにあるとされた。

陰陽説では、人は死んでも永久にあの世(陰)にいるのではなく、いずれは再びこの世(陽)に生まれ変わることになる。鬼ごっこはそうした遊びである。目隠しをする鬼は、陰すなわち闇の世界にいることを象徴している。目隠しをした鬼は地べた(陰)にかがみ、他のこの世の生者(陽)をつかまえることで、死者と生者が交代する。「かごめかごめ」などの童歌も同じ構造である。

「かごめかごめ/籠のなかの鳥は/いついつ出やる/夜明けの晩に/鶴と亀がすべった/後ろの正面だあれ」

籠のなかの鳥は、鬼で死者である。いついつ出やる、と生者と死者の交代をけしかける。夜明けの晩、鶴と亀がすべった、後ろの正面、それぞれが謎めいた反対語で意味がとりにくい。夜明けの晩とはどんな時間帯だろうか。陰と陽の対で考えると、この世の晩はあの世の夜明け、あの世でも夜明けから一日が始まる、鶴と亀はこの世の吉ですべったから凶、ところがあの世では逆だから吉になる。後ろの正面とは、この世では正面は前方だがあの世では後方になる。生者たちはしゃがんだ鬼に対し、そろそろ交代の時間だよ、と伝えているのである。

僕たちは欧米的な生活様式に疑問を抱かないが、死生観の根底にはこんなふうに無意識に選びとっている行為がかなりある。暁仙和尚の"親父の小言"なども含め、もそんな伝統に揉まれた常識を呼吸しているのであろうか。(作家)

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