心に残る言葉
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「弔電・1000の風」「星とたんぽぽ」「今日は死ぬのにとてもいい日だ」「日本人の死生観と癒し」「西行の死生観」「生きるために必要なもの」「心の危機に向き合うスピリチュアル・ケア」「枝は鳥を選ばず」「ポット出症候群」「公的な裏切り」「由らしむべし知らしむべからず」「人民の人民による人民のための政治」「介護される身になったケアのポイント」「戦術tactics」「幸福について」「自己発見の道」「ホスピス運動」「死の四重奏」「どんなガンも必ず治る」「日本では合理的な安全論は育たない」「真理は単純である」「どうして?」「宗教関係ではないでしょうね?」「人類の教師たち」「人の命にかかわる問題が重要なことではない?これが人間か?」「現代の忘れ物」「現在、過去、未来」「歩いて、笑って、がんをぶっとばす!」「小さく成長する」「人は生きたように死んでゆく」「患者本位の医療」「店は客のためにある」「五体不満足」「相手を大切にするーホスピスの心」「無駄遣い」「マルセ太郎名言集」「消極的な言葉、積極的な言葉」「生と死とは隣り合わせ」「生きがいー男と女ー」「知命」「鬼手仏心」「生きること、学ぶこと」「1秒が1年をこわす」「みんなちがって、みんないい」「尊厳ある生と安らかな死」「良い医師は良い案内人」「日常五心」「心豊かに」「がんほどミステリアスなものはない」「贈られた言葉」「医療における常識と非常識」「笑いとガン」「『祝祭』と『泥の河』」「弱者と強者」「心の持ち方」「市民運動の方法」「時代の変化」「医者の善し悪しを見分ける四つの目」「ジョイント世代」「社会的共通資本」「随処に主となれば、立処みな真なり」「恒産なきものは恒心なし」「自然の中の癒し」「戦争国家と福祉国家」「選手は日本を飛び越えた」「治癒の条件」「人生のロスタイム」「ガンは治る」「分かち合い」「希望」「老人」「幸福」「ユーモア」「死」「きっと良くなる、必ず良くなる」「金つなぎの会」「日本人の死」「人生」「一生一度の学び」「昼 寝」「人生の一休み」「罪」「男と女」「 Let's begin 」


「弔電・1000の風」

数野 博 先生 御尊父様のご逝去を悼み 謹んでお悔やみ申し上げます。
数野先生が多忙をいとわずに献身的に育ててこられた「びんご・生と死を考える会」の10周年記の会が盛会のうちに終了してから、御父上様が旅立たれたことには、深い意味があるように感じます。御父上様は、福山の地に、新しい死生観と新しい医療のあり方を普及させようとしておられる数野先生の生き方を、しっかり見つづけておられるのだと思います。
御父上様の御冥福を、はるか東京の地にてお祈り申し上げつつ、外国の一篇の詩をお届けしたく存じます。

2003年5月26日 作家、柳田 邦男

「1000の風」 あとに残された人へ

私の墓石の前に立って 涙を流さないでください。
私はそこにいません。 眠ってなんかいません。

1000の風になって 吹き抜けていまいす。
私はダイヤモンドのように 雪の上で輝いています。
私は陽の光になって 熟した穀物にふりそそいでいます。
秋には やさしい雨になります。

朝の静けさのなかで あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって 駆けあがり
鳥たちを 空でくるくる舞わせています。
夜には星になり、 私は、そっと光っています。

どうか、その墓石の前で 泣かないでください。
私はそこにいません。 私は死んでいないのです。

(柳田邦男さんが父の葬儀に贈ってくれた弔電と詩:2003年5月26日)

A THOUSAND WINDS

Do not stand at my grave and weep, I am not there, I do not sleep.
I am a thousand winds that blow; I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripend grain; I am the gentle autumn's rain.
When you awake in the morning hush, I am the swift uplifting rush
Of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.
Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.


「星とたんぽぽ」 金子みすゞ

青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だまって、
春のくるまでかくれてる、つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

(日色ともゑさんの朗読:2002年8月16日 胎蔵寺お盆先祖送り「ろうそく祭り」)


「今日は死ぬのにとてもいい日だ」

生きているものすべてが、わたしと調和している
すべての声が、わたしと歌をうたっている
すべての美が、わたしの目の中で休もうとして来る
すべての悪い考えは、立ち去っていった

今日は死ぬのにとてもいい日だ
わたしの大地は、わたしを穏やかに取り囲んでいる
畑には、最後の鍬を入れてしまった
わたしの家は、笑い声に満ちている
家に子供たちが帰ってきた
うん。今日は死ぬのにとてもいい日だ

(プエブロ・インディアンと生活するナンシー・ウッドの詩)

Today is a very good day to die.
Every living thing is in harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.
My lamd is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter.
My children have come home.
Yes, today is a very good day to die.

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「日本人の死生観と癒し」

ねがわくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの もちづきのころ(西行)
1996年4月瀕死の父(2003年5月24日没)に桜の一枝で杯を交わしてから6年目、母が先に旅立ちました。
生前の皆様のご厚誼に深謝いたします。(2002年3月29日没)

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さ えて すずしかりけり(道元、今年は没後750年です)
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪花のことも 夢のまた夢(秀吉)
形見とて 何か残さむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉(良寛)
散るさくら 残るさくらも 散るさくら(良寛)
死に支度 いたせいたせと 桜かな(一茶)
うつくしや 障子の穴の 天の川(一茶)
旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる(芭蕉)

日本人は四季折々の自然によって癒されます。


「西行の死生観」

にほてるやなぎたる朝に見わたせば漕ぎゆく跡の浪だにもなし  西行

ほのぼのとあふみの海を漕ぐ舟の跡なきかにゆく心かな  慈円の返歌

西行が晩年慈円を訪れ詠んだ琵琶湖の歌である。舟の航跡もない、浪もないという表現は西行は「無」を見ており、その内なる心は「無」が「浄土」と一致していることに感動していると言うのである。この歌の情景の底には、荘厳な死があり、存在を消滅させ己を「無」に化する死があるという。

(2005年2月5日岡山市の炉端屋「磯」にて親友の花川志郎君と松本伸君と)


「生きるために必要なもの」

「生きるために必要なものは、勇気と想像力、そしてわずかばかりのお金」

マルセ太郎のスクリーンのない映画館「チャップリンのライムライト」より)


「心の危機に向き合うスピリチュアル・ケア」

自分が自分らしく生きるためには、生きている価値を伝える
言葉で表わす、自分が愛されているということを感じる言葉が欲しい、
たびたび言わなければいけない。

日本人の心に届くアプローチ(愛を感じさせなければならない)
(1)あたたかい心でそばにいる
(2)ちょっとしたことでも聞いてあげる
(3)死後の世界を想うセンス
(4)ユーモアのセンス

(NHKラジオ心の時代2001年3月3、4日 六甲病院チャプレン・沼野尚美さん)


「枝は鳥を選ばず」

医療に従事するものは何時どんな患者さんが来ても同じように、分け隔てなく優しく対応しなさい。

(私の座右の銘:山口武典さん、「クリニシャン」2001年7月1日)

<ドクターちゃびん:親は子供を選ばない、子供は親を選べない>


「ポット出症候群」

「その怒り 自責の念の 裏返し」
遠くにいる身内が突然出てきて、なぜ○○しないのかなどと、さも本人のためのように言い立てる

(柏木哲夫さん、平成12年度末期医療患者のQOL推進講習会「在宅医療の基本と実際」2001年2月3日 )


「公的な裏切り」

『考えてみると、社会の秩序のかなりの部分は、人々の良識と善意を前提に、あやうく成立しているといっていい。したがって、その良識と善意に対する信頼を裏切るような犯行に対しては、ほとんど無防備だ。多くの人は、隣の席の乗客が、理由もなくいきなりナイフで切りつけるなどということは想定しないで生きているのである。無防備の人々が相手なのだから、犯罪を行おうとする者にとっては、「裏切り」の場はいたるところにあるといえる。犯罪ばかりではない。政治、経済、宗教《、医療》*などのあらゆる場面で裏切りが日常茶飯的に横行している。政治を信じ、経済の仕組みに身を委ね、宗教に心の拠り所を求め《、医療に命を預け》*るわれわれ庶民は、それらが裏切り行為に走った場合には、ひとたまりまりもない。そういう、いわば公的な「裏切り」が人々の公徳心を麻痺させ、無数の個人的な裏切りを生む温床になっているといったら、いささか詭弁に過ぎるだろうか。』(内田康夫「日蓮伝説殺人事件」より) *《》:Dr.ちゃびん追加


「由らしむべし知らしむべからず(よらしむべししらしむべからず)」

人民は為政者の定めた方針に従わせることはできるが、人民全てになぜこのように定められたかという理由を知らせることは難しい。
出典:「論語−泰伯」
日本では「寄らば大樹の蔭(よらばたいじゅのかげ)(同じ頼るなら、力のあるしっかりした人に頼るべきだということ。
類:●立ち寄らば大木の陰)」と同じような意味に曲解されている


「人民の人民による人民のための政治」
government of the people, by the people, for the people
エイブラハム・リンカーンが1863年11月19日、南北戦争の激戦地となったゲティスバーグで戦没者を祀った国立墓地の開所式での、272語、3分足らずの短い挨拶(ゲティスバーグ演説)の中のことば。民主主義の本質を語ったものとして世界的に知られる。

由来
この言葉はリンカーンのオリジナルではない。今知られている一番古いものはジョン・ウィクリフ(1320年頃 - 1384年)の翻訳した聖書の序言に原文は「This Bible is for the government of the people, by the people, and for the people」(「この聖書は人民の、人民による、人民のための統治に資するものである」)とあるのに始まる。その言葉を引用したウェブスター(1782年 - 1852年、雄弁家、政治家)、さらにそれを引用したパーカー(1810年 - 1860年、牧師、雄弁家、黒人解放運動家)と順次引用され、リンカーンの引用に至る。ちなみに、この場合の「of」は、日本国内では「所有・所属」や「目的格関係」など様々な解釈が議論されているが、世界的には「起源」を意味するのが一般的である。中国語では「民有、民治、民享的政府」と訳されている。
また、日本国憲法でもその前文に「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と同部分を解釈的に引用している。


「介護される身になったケアのポイント」

1)介護する入にゆとりがないと思いやりもなくなる。
ショートステイ(短期入所)などのサービスを積極的に利用し、家族も息抜きを

2)解説書などで、できるだけ楽に介護ができるコツを覚える。
力ずくの介護では疲れ、ゆとりを失う

3)「あなたのためにやってあげている」などと恩着せがましい言葉に、お年寄は傷つく。
「くさい」「きたない」なども絶対に禁句

4)無言で急に体を動かされるとお年寄りは怖い。
例えば車いすを押す時もゆっくりしたペースで、「左に曲がります」などと声をかける

5)お年寄りが何も言わないのは遠慮もある。何をしたいのかしつこく聞く。
花見でもカラオケでも楽しむ目標ができれば、介護される人も介護する人も生き生きしてくる

(読売新聞 2000年11月5日)

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「戦術tactics」

強気(積極性)と無謀、弱気(消極性)と堅実は紙一重

(テニスの神様・チルデンの言葉?岡大医学部硬庭部の先輩より)


「幸福について」

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。
歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は
真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。
鳥の歌うが如くおのづから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。

(三木清著「人生論ノート」より)


「自己発見の道」

もとこちら そのまま全部あたりまえ ただありがとう ただすみません

(NHKラジオ心の時代1999年11月18日、平井謙次)
[もとはこちら]もとこちら そのままぜんぶ あたりまえ ただありがたく すみません


「ホスピス運動」

もともと、生や死は地域社会の中で営まれてきた。
治療医学の進歩とともに 病院は専門化され細分化され 閉鎖性や隔離性を強め生と死が見えなくなってきている。
ホスピス運動は合理主義や物質中心主義現代社会で、病院の持つ閉鎖され隔離された感覚から
もう一度人間性を取り戻す復権の運動であり、また市民運動である。

(川原啓美編、日本評論社刊「私たちのホスピスをつくる、愛知国際病院の場合」より)


「死の四重奏」

リンゴ型肥満、高血圧、糖尿病、高脂血症(中性脂肪)の人は
心臓病で突然死する危険性が高い

(NHKラジオ・さわやか健康ライフ、1999年11月9日早朝)


「どんなガンも必ず治る」

たとえ医者に見放されようと、決して諦めてはいけない。治す力は自分の中にあるのだから。
食事を改め、生活習慣を整える。
怒りや恨みを捨て、人を愛し、自分を許し、小さなことにも喜びを見いだそう。
12人は、そのようにして絶望から生還し、新しい人生を掴んだ。
そして言う。「ガンになってよかった」と。
あなたにも、そう言える日がきっと、来る。
生き抜くことに集中し、今すぐ行動を開始するのだ。

(川竹文夫著「幸せはガンがくれた、心が治した12人の記録」より)


「日本では合理的な安全論は育たない」

ハインリッヒの法則(1:29:300)
同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害のうち、
300件は無傷で、29件は軽い傷害を伴い、1件は重い傷害を伴っている

(柳田邦男著「死角 巨大事故の現場」1985年10月10日)


「真理は単純である」
マルセ語録より

本当に責任のあるものが罰せられていない、
何の責任もない国民の税金が使われるのは不当である(中坊公平)
日債銀でも又同じことが繰り返された(マスコミは全く無批判)


「どうして?」
川田悦子さん「薬害エイズとの闘いが教えるもの」

どうして薬害エイズの子供は黙って死んでいかなければならないの?
どうして加害者の厚生省の役人や製薬会社の人や専門医や政治家は大きな顔をして生きていけるの?
どうして障害のある子や勉強の出来ない子が差別されたり自死しなければならないの?
どうして医師は質問する患者や家族をうるさがるの?
どうして医師や役人は平気で嘘をついたり真実を隠したりするの?
どうしてこの国では責任を曖昧にして同じ過ちを繰り返すの?

(「私たちのまち・岡山を考える62万市民のつどい」岡山市勤労者福祉センター1999年9月12日)


「宗教関係ではないでしょうね?」

宗教活動と宗教教育、宗教と信仰の区別がつかない人たち
家庭でも学校でも人間として必要な宗教心と宗教教育が欠けている

(公民館の使用手続きに行った時の係りの役人の言葉)


「人類の教師たち」

佛陀・・全人格体・禅定体験・・法・・・宗教
キリスト・・・聖霊・・・・原罪・・・・宗教
ソクラテス・・神の知恵・・無知・・・・哲学
孔子・・・・ 天命・・・・小人・・・・道徳

(玉城康四郎、NHKラジオ心の時代、1999年春)

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「人の命にかかわる問題が重要なことではない?これが人間か?」

郡司篤晃氏「またいつか同じことが起きるでしょう」(全く無責任)
「また話し合いの時間を持ちましょう」(謝る気はない)
川田龍平君「もうないでしょう」(国によって殺されようとしている人)

(NHKスペシャル「薬害エイズ16年目の真実」1999年7月4日)


「現代の忘れ物」

もし人生を1000としたとき、その999までが不幸せだとしても、最後の一つが幸せだったら、
その人の人生は幸せだったと言ってもいいのではないか。
真の看護とは(「看」の字は「手」と「目」)
微笑み(優しい眼差し)、手をにぎり(暖かい手)、言葉を賭ける(優しい言葉)
忙しくても心にゆとりと微笑みを忘れない
無駄にすることはできるが無駄なものはない、時間の使い方は命の使い方
嫌な顔をされても微笑み返す、人が幸せになるためにはダブルの損が必要
相手の出方に左右されない主体性のある生き方が大切
今は主体性がなく、したい性ばかり(あれがしたい、これがしたい)
大切なものは目に見えない、肝心なものは心の目で見なければ見えない
目に見えるものは灰になる、愛は目に見えない。
やさしくね!やさしくね!やさしいことは強いこと(宮城まりこ)

(元ノートルダム清心女子大学学長・渡辺和子、第7回日本ホスピス・在宅ケア研究会、1999年6月26日岡山、記念講演)


「現在、過去、未来」

親を亡くすと過去がなくなり、連れ合いを亡くすと現在を亡くし、子供を亡くすと未来を亡くす。

(第7回日本ホスピス・在宅ケア研究会、1999年6月26日、神戸ひまわりの会会員)


「歩いて、笑って、がんをぶっとばす!」

短命と 知るや知らずや 蝉の声

(笑福亭小松、1999年6月17日「がん克服落語会」岡山大学文学部での講義)


「小さく成長する」

いま、わたしたち日本人にとって大事なことは、
「餓鬼(エコノミック・アニマル)」から「人間」への成長です。

(ひろ さちや著「自分の中の大事なもの」より)


「人は生きたように死んでゆく」

人は人生最期の三ケ月を豊かに生きるために、毎日精進しているのではと、最近思われてなりません。
ホスピスに入ったからといって、幸せに死ねるわけではありません。
結局はその人の生きてきた道です。死に場所ではなく、死んでいくときの風景が大切なのです。
最期の風景はその人の生きてきた人生の彩りなのです。
「人は生きて来たように死んでゆく」、私が見送った人々からのメッセージです。

(堂園メディカルハウス院長・堂園晴彦著「それぞれの風景」)
ドクターちゃびんの解説:これは心理学者・ユングの言葉です(柳田邦男著『「死の医学」への日記』より)


「患者本位の医療」

患者さんから学び、患者さんの生の質を高めるために努力する
死を恐れてはいけない、死は厳粛に受けとめるもの
ユーモアと笑いが免疫力を高め病気を治す
excessively happyな生き方

(映画「パッチ・アダムス」より、1999年4月18日)


「店は客のためにある」

「商売とは心の美しさを出しつくす業、あなたの商売の姿に前だれをかけたみ仏をみたい」(岡田 徹)
「昔から商人と屏風は曲らないと立たないと言われたがそんなことはない、
正しい商人の道があることを君たちは知るべきだ」(倉本長治)
「正しきによりて滅びる店あらば滅びるもよし断じて滅びず」(新保民八)

(ダスキンの栗原 一博さんからのメイルより、1999年4月12日)


「五体不満足」

障害は不便です。だけど、不幸ではありません。
感動は求めません。参考にしてほしいのです。

(乙武洋匡、先天性四肢切断、講談社1999年3月4日第20刷)


「相手を大切にするーホスピスの心」

相手にとって良いことをしてあげる
相手を害するようなことはしないようにする

(岡山市・かとう内科並木通り病院緩和ケア施設副医長・宮下浩明さん、びんご・生と死を考える会<月例会>「ホスピス・緩和ケアとは」1999年2月27日

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「無駄遣い」

70年生きてきて、無駄遣いしろって言われたの、初めてだ

(地域振興券をもらった老人の言葉、朝日新聞「天声人語」1999年2月27日)


マルセ太郎名言集」

金大統領(韓国)の演説より「奇跡は奇跡的にして起きるものではない!」
小渕首相(日本)の演説より「ぼく、ボキャ貧!」
自分の言葉を持とう、流行を追わない!
日本の文化・社会は家元制度に毒されている

(海田、福山、広島での公演、1999年2月23・24・25・26日)


「消極的な言葉、積極的な言葉」

感情で話すのではなく、感情を話す
言葉によって、感情と行動が変わる

(NHKラジオ「言葉のメモ帳」、企業内研修プランナー・柳平彬(さかん)、1999年2月7、14日)


「生と死とは隣り合わせ」

「幾千のはずれの音はシンフォニー 遥か宇宙の秘めし轟き」死は宇宙への挑戦
人間はターミナルの時期に最も速い速度で成長し、死の間際に昇天力を授かる
「人生は自我像の展覧会」自分を全うし自我を生かすことが他人を生かすことになる
「死の恐怖」救いが無いと絶望する以外に救いは無い

(NHKラジオ「心の時代」、映画監督・吉川 徹、1999年2月1日)


「生きがいー男と女ー」

年がいのない人になりたい
何か追うものを持ち、追っている自分に感動する
前向きに明るく生きることで、若さと健康を保ち、活力のある人生を送る

(作家・渡辺淳一、第10回心臓病榊原病院懇話会特別講演)


「知命」

15歳:志学(「論語」から)、30歳:而立(「論語」から)、40歳:不惑(「論語」から)、
50歳:知命(「論語」から)、60歳:耳順(「論語」から)、61歳:還暦(生まれた年に戻るから)、
70歳:古稀(杜甫「曲江詩」から)、七十七歳:喜寿(喜の略字から)、八十歳:傘寿(傘の略字から)、
八十一歳:半寿(半を分解すると)、八十八歳:米寿(米を分解すると)、
九十歳:卒寿(卒の略字から)、九十九歳:白寿(百から一を取ると)

(人の年齢を表す言葉)


「鬼手仏心」

You must be cruel to be kind.

(NHKラジオ「心の時代」、日本アルケア社長、1998年12月16日)


「生きること、学ぶこと」
ーわたしの弁護士活動をめぐってー
現場主義の弱者の生き方

時は人を待たない
(世の中は先が見えないのに右か左か決めて進まなければならない)
自分の勘だけが頼り
(勘は現場の体験、世の中の道理・智恵から生まれる)
法とは、社会を合理的に運営するための道具
裁判の本質は、理由を述べて人を説得すること
法律は、最低の道徳、もっと高いモラルがある
public(公)ということが失われた社会
弱者だから自立して他の弱者を守れる
観客民主主義からの脱却

(中坊公平・大いに語る、広島弁護士会福山地区会50周年記念講演会、1998年12月12日、リデンローズ)

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「1秒が1年をこわす」

Think globally, Act locally.

(HNK解説委員・伊藤和明さん、第31回福山明るいまちづくり推進大会「地球環境の危機」1998年12月5日)


「みんなちがって、みんないい」

わたしと小鳥とすずと(金子みすず)

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

(福山平成大学教授・木谷宜弘さん、市民ボランティア創造塾「ボランティア活動と私たちの社会」1998年11月25日)


「尊厳ある生と安らかな死」

「人間の尊厳(偉大さ)」
考えることができる、選択することができる、愛することができる

「死の不安と恐怖の対象」
苦痛、孤独、家族や社会への負担、不完全な人生の終焉、自己の消滅

「問題と神秘」
生と死は神秘のレベル、問題解決できなくてもそばにいるだけでよい
doing よりbeing、共に歩む、助け人自身が助けである
素直な驚き、謙遜、畏敬の態度

「人間は死ぬまで希望を抱いている」
色々な段階で希望の対象は変わる、今何を希望するか

(アルフォンス・デーケン、第60回日本臨床外科学会総会・特別講演、1998.11.10.広島)


「良い医師は良い案内人」

治療法の選択は、山に登るときに、どの道を選ぶかというのと同じで、
すべての道を知っていて、その人に適した道を教えることができる案内人と、
この道しか知らないという案内人がいる。

(広島大学原医研腫瘍外科教授・峠 哲哉「がん、生と死」、第8回広島がんセミナー県民公開講座「がんの発生と治療、生と死」)


「日常五心」

一、有り難うという感謝の心 
一、済みませんと言う反省の心
一、お陰様でと言う謙虚な心 
一、私がしますと云う奉仕の心
一、ハイという素直な心   

(「何でも相談室」に寄せられたメイルより、1998.10.29)


「心豊かに」

あなたの仕事は? 人の役に立つことです。
出会いを通して、自分と出会う。
世直しは、余直し。
愚直な生き方。
死があるから、生がある。

(修養団常務理事・中山靖雄、1998.10.6.福山青年会議所公開研修)


「がんほどミステリアスなものはない」

明日のことはわからない、突然よくなることもあれば、その反対もある。
予測のつかない展開が起きる。しかも、きわめて個性的なもので、
癌治療には王道もなければマニュアルも存在しない。
癌ほどミステリアスなものはなく、治療として何をやっても良い。
「これは良く効きます」とか、「こんなものが効くはずはありません」などと
断定的なものの見方はできない。

(帯津良一先生、日本ホリスティック医学協会会長)

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「贈られた言葉」

一期一会

鬼手仏心

(四国・高松の喝破道場の野田大燈さんが贈ってくれた言葉)


「医療における常識と非常識」

患者さん毎に治療方法が違うことがあっても、
同じ状態の患者さんの治療法が医師によって違うことはないはず。

(医師の裁量権という名目で非常識な医療がまかり通る)


高等ガン漫談「笑いとガン」

心に太陽を、唇に言葉を、社会に笑いを、人生まず健康です!

(コロムビア・ライト、1998年7月26日、福山)


「『祝祭』と『泥の河』」

日本人に欠けているのは民族性と創造性である

マルセ太郎、「シネマパラダイス」と「スクリーンのない映画館」、1998年7月13、14日、広島マルセ中毒の会)


「弱者と強者」

記憶は弱者にあり(マルセ太郎
記録は強者にあり(永 六輔) 


「心の持ち方」

希望はあなたの心にあり、命はあなたの足もとにある

(帯津良一、「ホリスティック医学における"死"」1998年5月24日、日本ホリスティック医学協会10周年記念ホリスティック医学シンポジウム'98福岡、『いのち、出会い、癒し』)


「市民運動の方法」

ふかめる(研究)、おさめる(体験教育)、ひろめる(普及)

(帯津良一、「ホリスティック医学における"死"」1998年5月24日、日本ホリスティック医学協会10周年記念ホリスティック医学シンポジウム'98福岡、『いのち、出会い、癒し』)


「時代の変化」

(患者)の権利意識の高揚、(患者)の価値観の多様化、(患者)と(医師)の伝統的信頼関係の崩壊
( )の中には色々な言葉を当てはめることができる

(1998年5月23日広島県医師会産業医研修会「産業医活動におけるリスクマネージメント」)


「医者の善し悪しを見分ける四つの目」

四つの目とは、学力、技術力、智力、博愛的親切心で評価する目だ

(広島県医師会速報1998年4月25日号「編集室」)


「ジョイント世代」

私たちの世代は、家庭でも職場でもいつも上と下との両方の世代にはさまれ、
戦前派と戦後派をつないできた『ジョイント世代』
親を介護する最後の世代で、子供に介護されない最初の世代だ

(丹羽雄哉著「生きるためにー医療が変わる」あとがきより)


「社会的共通資本」

環境・医療・教育
人間の生き方・生命にとって大切なもので、
人間的な豊かさを実現するために必要なものである
資本主義的な手法にも、国家統制的な手法にもなじまない

(宇沢弘文、1998年4月22日NHKラジオ「心の時代」)

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「随処に主となれば、立処みな真なり」

人間到る処青山在り

(明るく軽く、死ぬまでハッピーな生き方です)


「恒産なきものは恒心なし」(孟子)

恒産を守らず、恒心を失わず

(これからの生き方です)


「自然の中の癒し」

光と水と木と風と

(1998年3月8日朝のNHKラジオ番組の中で同じ題の曲が流れた)
(ドイツのホスピスはこの条件を満たしていた)


「戦争国家と福祉国家」

国民を脅かしたり、だましたりして税金を取り上げて、社会保障以外の目的に使う国を「戦争国家」という
これにたいして、国民が納得して税を払い、国民のために税を使う国を「福祉国家」という

(1998年3月1日NHKラジオ「新聞を読んで」)


「選手は日本を飛び越えた」

日本人初という考えが嫌いなのは、そういうことをいうから芽が出ないスポーツがいっぱいあるからです。
日本、日本で、日本が、そんな殻みたいなものに入っていると、世界で勝てない。

(冬季オリンピック長野大会ジャンプ・ラージヒルで優勝した船木和喜選手、1998年2月18日朝日新聞社説)


「治癒の条件」

治癒というものが、元来、客観性、再現性のないものであれば、統計なんてなんの役にも立ちません。
ひとつひとつの症例を克明に記録し、その記録をじっくり読んで、治癒の条件を読み取っていくことです。
どういう治療をしたかが関心の的になりがちですが、そうではなくて、
その人が病気の中で、どういう生き方をしたかに焦点をあててみてください。
治療法そのものよりも、その人が各種治療法にどうかかわっていったのかーというなかに、
治癒のヒントがあるように思えるからです。

(帯津良一、「私たちがガンを治した体験談集」より)


「人生のロスタイム」

余命3か月の期間も過ぎて、今はいわばロスタイムを生かされているようなものです

(末期癌の福山・崇興寺住職・枝広昭見さん48歳、1997年12月16日)


「ガンは治る」

一人でも前例があれば、あなたが二人目になれる。
前例がなければ、あなたが一人目になれる。

(川竹文夫著「幸せはガンがくれた」より)


「分かち合い」

分かち合う喜びは二倍の喜び
分かち合う苦しみは半分の苦しみ

(ドイツの諺)


「希望」

明日、地球が滅びようとも
今日、私はリンゴの木を植える

(マルチン・ルター)


「老人」

「老いた木は植替てはならない」

(ドイツの諺)

「枯れ木に水をやるな」

(ある経済大国の政治家の言葉)


「幸福」

もう自分一人の幸福を求める時代は終わった。
ほかの人が幸福でなくて、どうして自分が幸福でありえよう。
もう自分の国だけの平和を求める時代は終わった。
どうしてほかの国の平和がなくて、自分の国が平和でありえよう。

(井上 靖)


「ユーモア」

ユーモアとは、「にもかかわらず、笑うこと」

アルフォンス・デーケン

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「死」

死には、「避けられる死」と「避けられない死」がある

アルフォンス・デーケン


「きっと良くなる、必ず良くなる」

けふから毎日あらゆる点で
いっそうよくなる
ますますよくなる
ぐんぐんよくなる
かならずよくなる
ぜったいよくなる
きっとよくなる
よくなるしかない

(がん支えあう患者たち「金つなぎの会」、1996年6月NHKテレビ)


自助努力の闘う患者会「金つなぎの会」

同病相楽しむ

(広野光子、がんを明るく前向きに語る「金つなぎの会」
三重県名張市富貴ケ丘1-135 電話0595-63-7674)


「日本人の死」

願わくは 花の下にて 春死なん
その如月の 望月のころ

(西行、1996年4月瀕死の父に桜の一枝で杯を交わす)


「人生」

よき人生は日々の丹精にある

(松原泰道、1993年10月28日香川ナームの会10周年記念講演会)


「一生一度の学び」

人間、生涯に一度くらいは、自分のやりたいことを、やめなくてはならないこともある

(八ツ塚実「一生一度の学び」、1990年10月)


「昼 寝」

世の中の 重荷下ろして 昼寝かな

(医大を辞める決心をしたころ、新宿の「あらまさ」という秋田料理の店のトイレに貼ってあった店主の川柳)


「人生の一休み」

雨漏路より 無漏路へ帰る一休み
雨降らば降れ 風吹かば吹け

(一休禅師の歌、これが宗教の境地です)


「 罪 」

自分は何も悪いことをしていないと思っていても、
草を抜けば草の命を奪っている

(香川県の町立塩江病院の外来患者の老人の言葉)


「時 間」

時間は歳の早さで過ぎていく

(私の場合は時速50kmです)


「男と女」

女は、男にとって最後の女になりたいと思い、
男は、女にとって最初の男になりたいと思う。

(バーナード・ショー)


「 Let's begin 」

一人では何もできない、しかし、一人が始めなければ何もできない。

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