日瑞関係のページ HPの狙い
日本 スイス・歴史・論文集 第二次世界大戦・終戦史・和平工作・在留邦人・ダレス機関等 瑞西

日瑞関係トップ戦時下の軽井沢補遺(外国人)補遺(日本人) コンタクト


続 心の糧(戦時下の軽井沢) 
Wartime Karuizawa Vol.2  終戦直後の光景を中心に

大堀 聰

タイトル:続 心の糧(戦時下の軽井沢)
Wartime Karuizawa Vol.2  終戦直後の光景を中心に


表紙(現代に残る歴史的別荘)と裏表紙(終戦直後の別荘)

発売: 2022年1月25日

2020年9月に発売した『心の糧(戦時下の軽井沢)』の続編。
前作では戦時下軽井沢の外国人を中心に取り上げたが、今回は彼らが暮らした別荘の建物を中心に紹介する。
当時軽井沢には800軒弱の別荘があった。本編では占領国軍(通称GHQ)が撮影した終戦直後の貴重な写真と共に57軒、筆者が撮影した写真と共に現存する33軒を取り上げる。写真には所有者、住人、エピソードなどを書き添えた。

これまで掴むことが難しかった戦時下の軽井沢全体のイメージが、かなり具体的に浮かび上がってくるはずだ。また前作発行後に寄せられた読者の声に基づき地図、年表を添え、新たな史実、体験談なども載せている。建造物写真の内29軒はカラーで掲載しており、写真集としても十分に楽しめる。


アマゾンリンク:こちら


サンプル

第1章 GHQの調査


1941年12月8日、日本の参戦と同時に敵国となった米国、英国民は警察の手で抑留された。では彼らの所有する資産はどうなったのであろうか?敵国民の財産は「敵産」と呼ばれ、没収ではないが 強制的に管理された。政府が管理人を選定し、売却等により管理しやすい現金や預金に変えて管理させ た。敵産管理人には開戦時は友人知人などを指定できたが、途中からは横浜正金銀行、三菱信託銀行な ど限られた銀行に集約された。政府は実際にその現金を返却する意思があったのかは分からない。

軽井沢の別荘は管財人として東京建物株式会社が指定された。それらを実際に販売した地元の不動産 業者は大きな利益を得た。歌人の窪田空穂(くぼたうつぼ)は書いている。「管理人はそれを他へ、10倍以上の高値で転売したのである」。そして数年後、日本敗戦と同時に彼らは忽然と軽井沢から姿を消 したという。

  その後まもなくして本来の所有者に返却するようにGHQの命令が出る。別荘を買った人からすれば 日本政府の依頼に応じて買ったのである。その別荘に残されていたシーツ類や備蓄食料を当然のことと して消費してしまっていた。これが横領とみなされて、何人かは占領軍に逮捕され、沖縄の米軍刑務所 へ送られた人も出たという。

  こうした資産を洗い出し、戦時中に安価に手に入れた日本人、ドイツ人等から取り返そうとしたのが、 この調査の目的であった。調査後にまとめた「総括報告書」を訳すと概ね次のような内容だ。

*調査レポート 「軽井沢地区の連合国の不動産について

目的
1947年11月20日の監査官の要求による。
1.全ての連合国(英国、アメリカ、オランダ)の資産調査
2.資産の現状、資産の維持、45年9月15日の日本政府に対する指令(すべての連合国民の資産の 報告と維持)が順守されているかの確認。

背景 監査官は日本のすべてのドイツ人と連合国人の不動産を含む調査を行った。すでに軽井沢のドイツ人の 不動産の調査は行われ、これは連合国分となる。

結論
1.合計74軒の家と六か所の土地が調査対象であった。所有者は以下の通りだ。
アメリカ人 38軒の家と5か所の土地
イギリス人 33軒の家と1か所の土地
軽井沢避暑団 3軒の家



国会図書館蔵 (原所蔵機関は米国国立公文書館)

以降は書籍でお楽しみください。アマゾンのリンク


トップ このページのトップ