海外視察

[癒しの環境研究会 JCAHO(医療施設認定合同委員会)での研修] 2001年2月20日
[癒しの環境研究会 米国・シカゴ視察研修」全体の感想]
 2001年2月17日から2月20日
[米国癒しの環境視察研修]
 2000年1月8日から1月16日
[豪州ホスピス視察研修] 1998年7月31日から8月8日
[欧州ホスピス視察研修] 1997年9月13日から9月24日

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癒しの環境研究会「米国・シカゴ視察研修」レポート
JCAHO(医療施設認定合同委員会)での研修
報告者:数野 博

2月20日、今回の視察の大きな目的の一つであるJCAHO(Joint Comission on Accreditation of Healthcare Organization、以下JCと略す)の本部で研修を受けた。JCは医療施設だけでなく福祉施設やケアシステムを定期的に審査する組織で、「医療福祉の質と患者の安全」を追求するということを目的に、医療事故に対しても「誰が?ではなくて何故?」という理念で常に基準の見直しを行い、施設や組織に対しては最大限達成可能な基準を目標にして、失敗に学び事故を予防するという姿勢での改善への継続的な努力を要求している。現在は高いレベルでの医療福祉の質と患者の安全を追求する各国の要請で世界的な活動も展開している。

米国の医学教育や卒後教育は大変充実していて特に臨床医学のトレーニングは厳しい。医療現場においてはHMO(Health Management Organization、健康維持組織)の下、DRG/PPS(Diagnosis Related Group/Preferred Payment System、診断別関連包括的支払方式)による強力な経済的締め付けで厳しい制限医療を余儀無くされている。そのうえ病院の機能や医師の質は3年毎にJCによって評価され、さらにHCFA(Health Care Financing Administration、連邦医療財政庁)の依頼による州政府の抜き打ち的な評価が毎年行われる。訴訟も多く、米国の医療はすべてにおいて大変厳しいと言える。

米国の総医療費はGDPの約14%で世界一高く、約7%(OECD加盟国のなかで21位)の日本とは比較にならない。国民一人当りの医療費も日本の2倍近い額である。ところが実際に医療現場で起きていることにはあまり違いがないことにむしろ驚かされる。手術すべき患者の足や腎臓の左右を間違えたり、抗癌剤や強心剤の投与量を間違えて患者が死亡したり、局所麻酔薬を間違えて子供が死亡したりした事件は、ほんの5〜6年前の米国でのことである。しかし医療事故への取り組みの歴史は、80年余り前の米国外科学会の病院標準化委員会の仕事や医療事故の報告の制度化の提唱にまでさかのぼり、情報公開と自己決定に基づく患者中心の医療という基盤の上に成り立っている。そのような背景のもとに50年前に設立されたJCは5年前から医療事故のデータベースを作成し、その防止策を検討するためにSentinel Events(警鐘的事例、以下SEと略す)の報告制度を開始した。最近さらに患者中心の医療から患者の安全中心という考え方に転換し、今後はそのために必要な情報公開を推進するために、情報保護の法制化を提唱している。JCは米国の医療文化の変革の牽引役としての大きな使命を自覚しているようだ。

以下は2時間あまりにわたって行われたJCでの講義録で、貴重な内容なのでプログラム通りの順序で記述した。

(1)総論(合同委員会国際部理事長:James Janeskiさん)

JCは独立した民間の非営利の組織で、その使命は医療機関における職務の改善を支援するための医療評価とそれに関連するサービスを提供することによって、国民に提供される医療の安全性と質を継続的に改善することである。その任務は認定することではなく、全米の様々な医療の専門家などとも共同して質に関する基準を開発し、その基準をつかって医療機関の質や安全面の評価をすることであって、それぞれの医療機関がその基準に適合していくために、認定(Accreditadiotn)や教育や協議などを通じて支援するという過程を重視している。1951年の発足当初から安全と云う領域にも関心をもっていたが、米国では約1年半前から安全ということが大きな懸念事項になってきたため、JCの任務に昨年から安全という言葉が加えられた。JCの認定が始まったのは1953年だが、病院認定の歴史は1918年の米国外科学会の活動までさかのぼる。JCの認定も最初は病院だけが対象だったが、現在は在宅ケアに対するものがはるかに多く、他にも外来ケア、長期ケア施設、薬局、行動診療部、検査、ネットワーク(HMOなどを含む)など米国内だけでも20000近い医療機関や組織の評価を行っていて、昨年からはJC Internationalとして国際的な医療機関の認定にもたずさわっている。JCの認定は3年の期限付きで、3年毎に申請して評価を受けなければいけない。JCの本部で働いているスタッフは約600人で、それ以外にいつも現場で仕事をしている調査員が約700人いる。

Accreditadiotn(認定)という言葉は、Licensure(許認可)やCertificaton(認証)とは違う意味で使っている。それは政府や民間が運営している自主的なプログラムで、医療施設が構造面でも運営面でもまた結果においても、最大限達成可能な水準をみたしているということを認識するためのもので、許認可や認証と違って「改善」ということが大きな要素であり目的でもある。たとえば許認可は政府や規制当局の機能として、医療施設が最大限達成可能な水準ではなくて、最低限必要な基準をみたしていれば事業として運営してもよいということを認めることである。米国では医療機関に対する許認可の権限は州政府にあるが、10年くらい前からこの許認可にあたってJCへの協力の依頼が増えていて、ここイリノイ州でもJCの評価に基づいて基準をみたしているかどうかを判断して許認可を与えている。

認証も政府や民間による自主的な手続きで、組織や医療機関がある基準をみたしていれば、政府の規定に従って保険の還付を受ける資格があるとして、この領域でのサービスの提供を認めるというものである。そのひとつの例がISO Certification(ISOの認証)で、ISOの評価を受けてISO認証と標榜していいという手続きである。もうひとつの例は連邦政府のHCFAという組織を通じて、医療機関がMedicare(高齢者医療保険)やMedicade(貧困者医療保険)から保険の還付を受けることができるという認証をする手続きである。米国の病院ではHCFAの認証とJCの認定が重複している部分があり、連邦政府は自主的にJCの認定を受けた病院(最大限達成可能な水準をみたしているか、それをみたすために継続的に改善をしていく病院)については、HCFAの認証をうけたものとみなして政府管掌の医療保険(Medicare、Medicade)の還付の対象とすることを認めている。JCは民間の非営利の団体だが、政府との関係は重要で政府はJCの決定を信頼し、JCは政府が行う認証や許認可などにかかわっていて、認証や許認可に必要な情報を政府と共有している。

JCの認定を受けることには色々な利点があり、その主なものを次にあげる。

1)患者ケアの改善がはかられる:米国の病院では「JCの認定の要件をみたすために何年も改善努力をしてきた」という言葉をよく聴くが、患者ケアの改善が目的であり「誰のために改善したのか」「何のために改善したのか」ということが大切である。

2)地域の信頼が高まる:JCの認定を受けていれば、最高の基準をみたして、質の改善をはかっているということが分かって信頼される。

3)スタッフ教育の支援が行われる:認定を受けるとスタッフ全員に「JCの基準とは」「それをみたしているということは何が期待されているのか」「水準を維持していくために各個人が何をしなければいけないのか」などの教育をしなければいない。JC国際部は認定のプロセスを使って、スタッフ教育の支援などの世界的な活動を行っている。

(2)センチネル・イベント(SE)について(政策・管理・認定理事:Gail Weinbergerさん)

1995年以前にJCには医療事故に対する一貫性のある方針はなかった。1995年の初めに世間を騒がせるような医療事故が続き、五つの医療機関が条件付きの認定になったり、認定を拒否されたりしたために、1996年1月にSEというポリシー(Sentinel Event Policy、以下SEP略す)ができてJCの方針が変わった。事故を起こした人を罰するという方針から徐々に進歩して、医療機関自身でSEの評価を積極的に行い、SEの発生をできるだけ防ぐようなアプローチをとることを奨励する方向に変わってきた。

その後、全国的に患者の安全ということが重要だと言われだして、いくつかの重要なできごとがあった。1999年7月にはワシントンで公共政策の専門家の会議があり、医療施設での患者の安全対策を改善する方法について話し合われ、同年11月にはIOM(Institute of Medince)の報告が出て、以後の5年間で医療事故の50%削減が提案された。2000年2月にはクリントン大統領が医療事故の報告の義務化を提案したが、JCは報告の義務化は問題解決にならないと考えている。医療機関は事故を報告したら認定をはずされたり、保険の還付の対象からはずされたりすることを恐れて事故を隠してしまい、問題が地下にもぐってしまって分からなくなってしまうと考えて、JCは報告を義務付けることはしていない。

JCは1996年にSEPを作成し、患者ケアの改善に関する積極的なインパクトをもつこと、事故や問題の原因を究明し危険を減らすことに焦点をあわせること、SEの原因と予防に関する一般的な知識を普及させること、認定のプロセスへの信頼を維持することの四つの目標を立てた。

SEとは予期されなかったできごとで、それによって死亡もしくは重篤な身体的または精神的な障害が起きた場合やそのようなことが起きるリスクが発生した場合と定義された。さらにSEはSEPに基づいたものでケアを受ける側だけに適応され、患者の病気や基礎的な身体の状態などの自然経過とは関連のない形で、予期しなかった死亡や恒久的な機能の喪失が起きた場合をイベントとする。例えば癌の患者が癌で死亡したのではなく、抗癌剤を誤った用量で投与されたために死亡した場合などはSEである。

ではJCはSEをどうやって知ることができるかと云うと、報告が義務付けられていないので医療機関が自主的に報告してくる場合が多く、他にはメディアで報道されたり、患者や職員からの電話などで知ることがでる。その後のプロセスは、医療機関にコンタクトをとって直接調査に出向く必要性の有無を判断するが、ほとんどその必要はない。JCは医療機関に対して起きたSEの根本的な原因の分析について指導する。根本的な原因がみつかるまで細かく分析したら、大半の医療機関(80%以上)はその結果をJCに送ってくるが、送らなかったからといって認定をはずされたことはない。根本的問題分析や報告などについて何か問題があればJCに来てもらったり、調査官を派遣したりすることもある。1995年以降にJCが目を通したSEの件数は約1100件で、そのうちで一番多いのは入院患者の自殺の18%、ついで投薬ミスの12%だが、投薬ミスは隠せるが自殺は隠せないので実際には投薬ミスの方が多いと思われる。JCが知りえたイベントの2/3は自主的に報告されている。SEの77%では患者が死亡していて、SEが起きれば患者が死亡する確率が高いということがわかる。

Q&A

Q:2/3は自己申告であるがその他は?
A:メディアの報道や現場の調査員からの報告、患者・家族・施設の従業員などからの報告など。

Q:「初歩的なミス」というイベントの定義はやめたのか?
A:定義の中には入っていないが、手術の部位を間違うというような初歩的なこともSEに含まれる。

Q:医療事故、医療過誤とSEとの関係は?
A:重複する部分もあり定義する人によって違ってくる。JCが目を通すもの以外にも沢山のイベントが起きていると思われ、JCの定義を含めて各施設で独自のSEを定義をするように指導している。

Q:根本原因分析のためにJCの支援を受ける時の費用は?裁判との関係は?
A:電話での相談は無料だが、現場に出向く場合には期間や人数等で決めている。JCが知った情報は第三者には提供しないが、訴訟を恐れて報告しない施設もある。

Q:投薬ミスが多いようだが、それは個人のミスか、プロセスやシステムが原因か?
A:たとえ看護婦個人がミスしたとしても、そのシステムに問題があるはずだと考える。なぜミスしたか、予防するためのトレーニングを受けたか、処方は分かるように書かれていたか、など。

(3)患者の安全とリスク・マネージメントについて(基準調査部門副議長:Robert Wiseさん)

この問題は米国ではこの1年から1年半前の間、非常に大きなテーマとなっている。このようなことは産業界では以前からかなり取り上げられてきた問題だが、医学・医療の分野では始まったばかりで、今日は四つのテーマについて話す。

1)IOM(Institute of Medicine)のレポートについて

「To Err Is Human」(人間はミスをおかすものである)というレポートが1999年11月に出た。各国のこの分野の専門家を招いて様々なリサーチ・プロジェクトを組んで、米国での現状について分析したものだ。米国では病院は安全な場所で、病院に入っていれば安全だと思われているが、それに対してIOMは受け入れるのが辛いような報告を出した。例えば統計では毎年米国の病院では4万4千人から9万8千人がミスで亡くなっていると報告していて、これはジャンボジェット2機が毎日空中衝突をして亡くなる数に相当する。IOMのレポートは全米の目標として今後5年間でこの数を50%減すことを提案した。これを実現するためには他の産業界が行ったような大きな文化の転換を米国の医療界が実践しなければいけない。安全性を特に高い優先度で上げている業界としては航空機業界と原子力発電の業界があり、医療界もこれらの業界に学ばなければならないと報告書はまとめている。

JCは設立当初から安全ということを第一にかかげて活動してきたし、使命の中にも安全という言葉が入っている。それからSEPが出てきて、さらに患者の安全の基準を決めるということをやってきた。JCが設定するすべての基準はJCの使命に謳われているものに基づいているが、安全に関する基準を設定するにあたってはNQF(National Quality Forum)という重要な組織の「医療ミスの大半は予防可能であるという実質的な根拠がある」という言葉を参考にしている。ミスや事故の原因はケアのプロセスやシステムにあり、そのようなプロセスやシステムのなかで人が何か行うという場合には必ず固有の限界があるということを充分認識していないために色々なエラーが起きるのだ。従ってケアにたずさわる者に能力がないとか悪意があったということではなくて、人がやることには必ず限界があるということを充分認識したプロセスやシステムにしなければならない。プロセスやシステムのなかに「人間」という要素が入っていない。それを実践するための第一歩としてJCはSEという考え方を採用した。

2)SEPについて

Sentinelというのは信号ということで、何かのイベント(事故や支障)が起きた時、それはプロセスやシステムに問題があるのだという信号だという考え方だ。例えば、飲酒運転で捕まった人がいたとすると、ある人は「その人は運転するにはその日は飲み過ぎていたんだ」と言うかも知れない。もしそれをSEとして捕らえたら、その人の人生を違った角度から見ることができる。例えば、その人は仕事を失いかけているのかも知れない、親が病気なのかも知れない、友達に聴いたらその人はこの半年位で酒量がどんどん増えていると言うかも知れない、従ってその晩だけ単に飲み過ぎた人というのではなく、もっともっと彼には色々な問題があったということをそこから引き出せるかも知れない。飲酒運転で捕まったということを契機に、彼の人生を見直すことができるかも知れないし、彼の人生の問題に対応できるかも知れない。ただその晩飲み過ぎたというだけで済ませれば、彼はくり返し事故を起こして死んでしまうかも知れない。

SEPのなかで最も重要なものは根本的な原因の分析(Root Cause Analysis)で、ただ単にイベントだけを見るのではなく、もっとその周りのできごとを広い視野から見ようということだ。米国の社会では誰かミスをおかすと、それはお前の責任だろうと批難するのが米国の文化だったが、それからすると「WhoからWhyへ」という大きな文化の変換であり、発想の転換ということになる。JCがSEPという理念を提唱した後でIOMの報告書が出て、JCとしてもますます患者の安全ということに焦点をあてていかなければならないと理解した。

3)新しい患者の安全に関する基準について

一年間かけて患者の安全に関する基準をつくり、今年の1月から実施している。この分野ではJCはリーダー的な役割をはたしていて、他に安全という基準を決めたところはどこにもない。今年の1月から実施した安全の基準に対して、医療機関は今年の7月までにその基準に適合することが求められている。新しい基準では組織のリーダーシップが積極的に機能することが最も重要だとされている。トップのリーダーが動かなければ、その組織は安全ということを第一にもって来れないし、組織が安全のプログラムを組まなければそちらに動いていけない。実際にそのようなプログラムの結果をひとつにまとめて、組織として安全に関して今どのような問題があるのかということを理解することがこれまでは要件になっていなかった。実際に実施されているプログラムとしては、技能の改善、感染対策、ケアの環境(建物が安全であるか、ケアにかかわる人が充分トレーニングを受けているか、器機がちゃんと動いているかなど)、それに何か起きた場合の報告書などのプロセスを統合したものとなっている。

それに加えて今回の基準で追加されたものは、罰則的でない環境をつくるということで、米国ではなかなか難しいことだが、問題が起きてそれを報告した人に対して報復しないというポリシーをつくるということだ。何かミスが起きた時に、そこに最も近い所にいた人を批難するのではなくて、何かシステムに問題がないか、システム面の原因を探るということもこの基準に含まれている。問題が起きてからではなく、問題が起きる前にこういう問題が起きるかも知れないから、こういう手を打とうという前向きの対応を要求されている。エンジニアは従来そのような考え方でやって来た。事故が起きてから対応するのでは遅い、こういう事故が起きるかも知れない、だからこうしょうというようにやって来たのだが、ドクターはこれまでそういう考え方をして来なかった。我々はプロセスのなかに安全というものを組み込まなければいけない。例えば車を運転する時、ドライブモードにしようと思ったらブレーキを踏んでいなければ入らない。それによって車が突然発進することを防止できる。病院でも与薬ミスを防ぐために、薬のディスペンサーと患者の腕につけたブレスレットにバーコードを入れておいて、一致すれば与薬できるというシステムを導入している所もある。

次に追加されたのはクロス・コール(close calls)の事例を集めて使うということだ。クロス・コールとは、何か好ましくないできごとが起きそうになったが起きなかったということで、患者の安全が損なわれる前にクロス・コールが発生した時点で、自分達の病院に何か問題があるのではないかと目を向けよということを病院に求めている。

次に追加されたのはチーム・トレーニングだ。安全という観点からはできるだけ階級にとらわれないチーム・トレーニングをすることが必要だ。例えば、手術室で何か問題が起きそうな時には、看護婦でも技師でも医師に対して疑問点を指摘できる環境をつくり、それによって医師も気分を害さないようなトレーニングをする。さらに病院に導入されている技術とプロセスの両面からの個別のトレーニングもする。例えば、米国ではインフュ−ジョン・ポンプで色々な問題が起きている。ある病院で10〜15台のインフュージョン・ポンプを使っているとする。ところがそれぞれのポンプの操作方法が少しずつ違っていると、看護婦が全部のポンプの操作方法を正確に記憶することは難しいことで、これでは問題が起きるのを待っているようなものだ。実際に自分がたずさわっているプロセスについて、より良い教育を受けていなければいけない。常時働いているわけではないエイジェンシー・ナース(派遣看護婦)に対しても、その病院での重要な点についていかにトレーニングしていくかということも問題だ。それから病院では他の人が学んだことを参考にして自分達も学ぶという態度や、他の職場であった危険な事例から自分達も危険を認識してそれを防ごうという態度を身につける必要がある。JCが出しているセンチネル・イベント・アラート(SE警報)という出版物はまさにそのためのもので、こんな危険なできごとがあった、こんな危険なやり方があったということをJCが認定している全機関に知らせるためのものだ。

さらに追加された基準があり、これについては議論が別れるところだが、ある重大なミスが起きた時、医師は患者本人または家族に事実を報告せよというものだ。そんなことをすれば医療訴訟が増えるのではないかと懸念する医療機関も多い。しかしJCは訴訟を恐れて事実を隠すよりは、患者と医療者の間の正直な関係を打ち立てることの方が大切だと考えている。一年に一回、年間報告をその医療機関を管理しているところへ提出することも基準に含まれている。

4)次のステップについて

最後にJCの今後の目標として、根本的原因分析が容易に弁護士の手に渡らないように保護しなければいけないと考えている。そこをしっかり保護しないと病院で色々なミスがあったとしても、ミスの報告がJCに入ってこないことになる。現在JCは議会に積極的に働きかけて、根本的原因分析については第三者に公開しないでよいということを取り付けようとしていて、近々そのような手はずが整うものと考えている。新しく設けられた患者の安全に関する基準は、認定に際して現場に出向いている調査官からのフィードバックをもとにつくられたが、常に見直して変えていかなければいない。JCが目指しているものは米国の医療文化を変えるほどの大きな転換を必要としているが、そのためには前向きに積極的に進んで行かなければいけない。しかし、あまりにも押し付け過ぎると医療機関もやっていけなくなるかも知れないので、そのあたりは慎重にやっていかなければいけないと考えている。

Q&A

Q:器機の操作方法が違うために事故が起きるのを待っているようなものだと言ったが、事故を防ぐためは業者に働きかけるのか、病院を指導するのか?
A:JCの使命はevaluation(評価)とconsultation(協議)で、病院に対して器機を標準化せよとは言わないが提案や指導はする。自由競争の社会なのでメーカー側に標準化を要請したりはできないが事情を聴いたりはする。

Q:根本的原因分析を訴訟に使えないようにするための立法の見通しは?
A:もっと自由に情報公開ができるようになるためには、法律を変えなければいけない。医療ミスによる死亡例が多いので、一般の人からも変えなければいけないという要求が出て来ているので有利だ。現実には医療のありかたを大きく変える必要がある。

Q:Close Callとは?
A:野球でベースに滑り込んだ時に、ジャッジするためにすぐ近くで見届けるようなことで、まだ起きていないがきわどいこと。

Q:SEPを実行するためにはまずイベントを確認することが必要であるが、イベントとして取り上げるかどうかは誰が(どこが)決めるのか?日本でも異常死は届け出なければいけないという法律があるにもかかわらず、ほとんど届けられない。仕方がなかったとしてすませるのか、イベントとして取り上げるのか、その判断は?
A:報告を義務付けると報告しない。報告したら自分達が傷付くと思うとどうしても隠してしまう。報告しても守秘義務として開示されないとなれば、むしろ報告することで自分達にプラスになるということで報告が増えてくるというのが私たちの考えだ。SEPのなかで誰が決めるかということも、各医療機関が独自に決める。それが委員会であってもよい。

Q:JCに評価してもらうための費用は?認定を取り消されたケースはどれくらい?
A:調査官を派遣するかしないか、規模、複雑さ、必要な日数や人員の数などで決まる。15000ドルくらいから大きい病院では40000ドルくらいかかる。企業の会計監査に相当すると考えてもよい。企業の会計監査は毎年だが、JCの認定は3年に一度。今までに認定されなかった施設は1%未満で少ない。認定を取り消してしまうと改善されない可能性があるので取り消さない。施設が潰れるかどうかは市場次第で、JCの哲学は施設を認定のプロセスにとどめておいて、質を改善しようという動機付けとすることである。各々の施設で調査の結果はばらつくが、認定のプロセスに参加してもらうことが大切だ。認定の種類は、No.1:基準に関する重大な問題がないもの、No.2:JCの基準に不適合があったとか問題があったけれども認定されるもの(ある一定の期間内に改善して問題を解決して報告する)、No.3:条件付き認定(ある一定の期間内に改善して問題を解決して文章化して提出し、そのあともう一回調査官が施設に出向いてチェックをする)となっている。

Q:JCが直接議会に働きかけるのか?
A:NPOはロビーストを使えないので、ワシントンに二人の職員を常駐させて議院に働きかけている。

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癒しの環境研究会「米国・シカゴ視察研修」レポート
「全体的な感想」報告者:数野 博

昨年に続いて今年も高柳先生をはじめとする魅力溢れるメンバーと楽しく学ぶ所の多い研修旅行ができました。成田での元気で明るい高柳先生の挨拶で雰囲気はすでに盛り上がり、機内での12時間も食事や「The Contender」という女性が副大統領に選ばれる過程を描いたアメリカ映画を見ながら過ごし、正義と勇気と希望に溢れるアメリカのイメージに心を膨らませました。

シカゴに着いた夜は宿泊するホテルの2階のレストランで食事をしながら、高柳先生ご自慢の「他己紹介」でお互いを知り、話の中から色々と学ぶことができました。視察の初日は日曜日でしたが、午前中に子供病院とロナルド・マクドナルド・ハウスを見学しました。見学を終えて専用バスに帰る途中、老いも若きも教会へと入っていく風景に出会い、キリスト教文化に根ざしたアメリカの社会を垣間見たような気がしました。

午後は貴重な自由時間となり、美術館に行ったり買い物をしたりしてシカゴの街を楽しみました。その夜はアメリカにきて15年と云う日本人の大学教授(小児外科医)と会食をする機会を得て、アメリカの医療の現状を聴くことが出来ました。今回の旅行に備えて読んだ本からの知識では、アメリカの医療は経済的な締め付けのために色々な歪みが出ていて、さぞかし医者はやりにくいことだろうと予想していましたが、この先生くらいの実力者になるとそんなことは全く関係がないようでした。一番驚いたのは、彼が店員のもってきた請求書を丹念に見て、間違いを指摘して書き直させたことでした。黙っていたら損をするのがあたりまえの社会のようです。

早朝の街に出ると気温はマイナス15℃くらいで頬や耳が痛くなりますが、シカゴ川は流れていてミシガン湖は岸辺近くだけが凍っていました。二日目は午前中は雪の残るシカゴ郊外の広大な敷地に造られた高齢者向総合コミュニティ村「プレスビタリアンホーム」を訪問しました。多様なニードに答えられるように、色々な施設が造られていてお金さえ出せば快適な老後の生活が楽しめるようでした。再びバスでシカゴの街に帰って、高柳先生の提案でレイン・フォレストで昼食をとりました。家族連れで満員店内は、ジャングルを再現してあって楽しい趣向がこらしてありました。時計を見ながらハンバーガーを頬張り、メディシンマンという人参とセロリとりんごのジュースを飲みました。

午後はシカゴの中心街にそびえる新築後2年足らずのノースウエスタン・メモリアル病院を見学しました。合理的で快適な設計と広さと大きさに驚き、これもまたパッチ・アダムスとは違った意味での夢の病院だと思いました。その夜は高柳先生のお勧めのレストランで懇親会を兼ねた夕食会があり、旅行中に誕生日を迎えられた先生を皆で祝い、シカゴ・グループ(windy group)に高柳先生から修了証が渡され、3月の東京での研究会と7月の岡山での全国大会での再会を約束しました。

シカゴでの最後の日は、郊外にあるJCAHO(医療施設認定合同委員会)を訪問して2時間余りの講議を聴くことができました。今回私がこの旅行への参加を決めた理由の一つがこの訪問だったのです。医療は今、世界的に経済的な締め付けと医療事故などに代表される質の問題に直面しています。それらに対して正面から立ち向かい、解決の道を開拓しようとしているのがJCAHOなのです。少し時間が足りなくて残念でしたが、百年に及ぶアメリカの医療評価の取り組みと今後の目標を知ることができて大変有意義でした。

今回も視察先での写真の撮り方が気になっていましたが、参加者の一人がちゃんと指摘して下さいました。昨年は私が言わせて頂いたのと同じ言葉を聴きながら、安心すると同時に「海の上のピアニスト」という映画で、いつの航海でも船客の中に必ず最初に水平線に新大陸の姿を見つけて「アメリカ!」と叫ぶ人がいるという場面を思い出しました。

オヘア空港でシカゴ組みともニューヨーク組みとも別れてボストンに向かいました。ボストンではマサチューセッツ総合病院(MGH)に留学している私の甥と知人の案内で、ハーバード大学医学部のタイタニック号で子供を亡くした人が寄付したギリシャ建築風の図書館、世界で初めてエ−テル麻酔で手術をしたエーテルドーム、米国の医療事故対応のモデルケースになったダナ・ファーバー事件のダナ・ファーバー癌研究所、子供の火傷専門のシュライナ−研究所などを見学しました。好敵手だったMGHとブリガム&ウィメンズ病院(BWH)が合併してできた新たな企業体「パ−トナ−ズ社」の名前を大きく書いたシャトルバスや業務用の自動車が沢山走っていたのが印象的でした。

ダナ・ファーバー癌研究所では三階にある小児科部門(外来だけで入院治療は渡り廊下でつながっている隣のチルドレンズ・ホスピタルで行っている)で、チャイルドライフ・スペシャリストの説明を受け、ボストン・レッドソックスが援助している小児癌治療のためのジミー基金の部屋でボランティアのナースの話を聴きました。今回の視察旅行でも寄付とボランティアに支えられたアメリカ社会の実態を各所で体験することができました。文化の違いと云う一言で片付けるには大きすぎる差のように思います。

MGHで聴いた話では、つい先日まで約1ヶ月かけてJCAHOの査察があり、知人が所属しているシュライナー研究所の研究室の状況まで調べられ、無事に終わった日には職員全員にピザが配られたと云うことです。なおダナ・ファーバー事件(1995年)のあとダナ・ファーバー癌研究所はJCAHOの評価が「適切」から「条件付き」に格下げになったとのことです。余談ですが私が今回の旅行に先立って読んだ本(後述)の著者の李啓充先生は、MGHの私の甥の上司だということでした。

今回もまた多くのことを学べたことに感謝します。今回の旅行のキーワードは、Hub都市、windy city、conventionの町、穀物の町、建築の町、そしてテレビ映画・アンタッチャブルやERの町「シカゴ」と「Accreditaion」でした。

<アメリカの医療事情を理解するために参考になるもの>
映画
「恋愛小説家(As Good As It Gets)」ジャック・ニコルソン、ヘレン・ハント主演

「アメリカの医学教育・アイビーリーグ医学部日記」赤津晴子著(日本評論者)
「アメリカの医学教育・スタンフォード大学病院レジデント日記」同上
「市場原理に揺れるアメリカの医療」李啓充(医学書院)
「アメリカ医療の光と影」同上

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「米国癒しの環境視察研修」
2000年1月8日から1月16日まで米国西海岸の7施設を視察してきた。
コーディネイターは「癒しの環境」で有名な日本医科大学の
高柳和江助教授

「第3回 米国癒しの環境視察研修」レポート
報告者:数野 博

私は今までに何回かホスピスの視察研修に参加した経験があり、今回も同じ日程で計画されていたニュージーランドのホスピス視察に参加したいところでしたが、パッチ・アダムスに会えるかも知れないという期待と、バラエティに富む訪問先を癒しの環境という視点から視察するというコンセプトに魅力を感じて参加しました。残念ながらパッチ・アダムスには会えませんでしたが、高柳先生をはじめとする魅力溢れるメンバーと出会え、楽しい研修旅行ができたことは最大の喜びでした。いくつか感じたことがありますので述べてみます。

(1)事前情報
それほど詳しくなくても、訪問先の施設に関する基本的な情報を前以て頂いておけば、より充実した視察研修になると思われました。それに加えて訪問先の位置がわかる地図があれば、オリエンテーションがつきやすく大変有り難いものです。

(2)組み分けと行事
メンバーを二組にわけて行動し、さらにそれぞれ3班にわけて点呼のための班長を決めるなどで効率的に視察ができました。旅行中三回の夕食会では自己紹介、タコ紹介、誉められる、ニック・ネームなどアイデアに富んだ行事があり、またバスの中で意見を述べたり書いたり、帰国後手分けして訪問先のレポートを書くなど、大変有意義で印象に残る視察でした。

(3)自由時間
今回の旅行では自由時間が比較的多く、それぞれ想い出深い旅行となったことと思います。"O" Theater、Sea World、Universal Studiosなどは、大変楽しく素晴らしいものでした。なぜかすべて水に縁のあるものばかりでした。その他にもCasinoや美術館へ行ったり、買い物や食事も充分楽しめたと思います。

(4)写真
実は私は今回、用意していったフィルムの半分も使わずに帰国しました。旅行中にも申しましたように、メンバーの皆さんの余りにも激しい写真の撮り方に驚いて、いつもより控えめになってしまいました。医療の現場を視察する場合のルールとマナーを守らなければ、次に行こうとする日本人が受け入れられなくなります。サンディエゴの小児病院でも注意されましたように、グループはなるべく一団となって行動し、写真を撮るときには人物が入らないようにして、フラッシュを使用せずに撮ることです。日本では余り言いませんが、外国では肖像権については大変神経質です。ついでに言えば、外国の美術館などではフラッシュさえ使用しなければ写真撮影は自由です。旅行の前に自分の写真機の使い方をよく理解しておき、フィルムは高感度のものを使用しましょう。

(5)感想
メンバーの皆さんのお陰で、生まれて初めての体験を沢山することができ、多くのことを学べたことに感謝します。皆さんから学んだことのうちで印象的だったことは、時差ボケ防止のイメージトレーニング、バリアフリーからユニバーサルへ、他人以上・親戚未満などです。今回の旅行のキーワードは"O"(水)とユニバーサルでした。

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第3回 米国癒しの環境視察研修
サンディエゴ小児病院視察レポート
視察日:2000年1月12日(木曜日)
報告者:数野 博

名称:Children's Hospital and Health Center-SAN DIEGO

理念:子供の権利と癒しの環境を大切にし、それが人々に与える影響を深く考えた理事長の信念から、病気の子供と親の意見を聴いて、病気の子供の視点で病院らしくない病院を造った。

沿革:1953年に建築し、1954年に小児麻痺の子供のための病院として60床でスタートした。1960年に外科病棟ができ、新館の建設計画が1989年に開始され、1993年に建設された。1997年に癒しの庭を建設、1999年中庭を三つ新設、この10年間で子供病院の理念に基づくハードとソフトを造り、現在220床で運営している。今後20年計画として、高い看護レベルを必要とする子供達が長期に療養できる施設や研究施設、手術室の拡大などのための新しい建物を造る予定である。

病院の施設と機能:他の医療施設や医療組織に所属せず独立した非営利の病院で、附属診療所を20ケ所持っている。サンディエゴを中心として300万人の人口を対象とした、地域で唯一の小児医療センターとしてあらゆる疾患の治療を行っている。医師は125人で、ベッド数220床(NICU35床と他の30床を除いてすべて個室)、病棟は五つのユニット(内科・外科、Critical Care、血液・腫瘍、整形・リハビリ、NICU)に別れていて、NICU以外の各病棟にプレイルームがあり、child life specialistが配置されている。看護婦は普通の病棟では1:4から5、Critical Careでは1:1から2の配置になっている。各病棟は三つのポッドに別れていて、各ポッドはナースステーションを中心に10床からなっている。院内にはチャペルが二つあり、専任のチャプレンと厳しいトレーニングを受けたボランティア・チャプレンがいる。平均入院日数は3日で、新規入院患者数は一日50人、一日の外来患者数(急患を除く)は400人(急患は35人)となっている。

視察:小児病院はサンディエゴの中心街から約10分の超近郊外のSharp Medical Centerの一角にある。Children's Wayと呼ばれる道路を病院正面玄関を右に、マクドナルド・ハウスを左に見ながら駐車場に入る。病院の建物はChildren's Patient Care Pavilionと呼ばれ、南カリフォルニア特有の外観とミッションタワーを思わせる時計台のついた中央棟を中心に、ホテル・デル・コロナドの赤い屋根を模したピンク色の建物が対称的に組み合わされている。目に染みるような青空にそびえる前庭の椰子の樹の並木の中央に噴水があり、病院のシンボルである凧をあげている子供達の彫刻がある。周囲には動物の形に刈り込んだ植木が何ケ所かに植えられている。建物の中にはいる前に子供も親も思いやりのある場所だと気付き、ここは普通の病院とは違う何かがあるぞと期待させるような雰囲気がある建物である。

私たちは、病院のスタッフではないがこの病院のインテリアデザイン、アート、マスタープランに10年にわたってかかわっているデザイン・コンサルタントのネット・アデナウアーさんと、スタッフでイベントの企画などで地域との関係を取り持つアート・コーディネーターのマリア・フィナゲルさんの案内で二つのグループにわかれて院内を見学した。建物は3階建てで、1階が外来、2階が内科・外科の病棟、3階がCritical Care部門で、天井やカウンターの高さや窓の位置は普通より低くしてあり、採光面積は広く、どこからでも中庭が見えて自然光に溢れている。標識や掲示物は鮮やかな色彩のものが多く、中央棟の時計台のモチーフを各所に取り入れてある。1階のロビーには小さな滝が二つあり水の流れる音がBGMとなっていて、その左手の補助待合い室の入り口にはマクドナルドの店があり子供達に日常を感じさせている。屋外にある癒しの庭のほかに、1階ロビーの受け付けの明かり取りがピエロの帽子の形にしてある2階の大きな中庭、蝶の形の凧が沢山かけてある中庭など沢山の中庭があり、木や草花が植えてあり椅子やベンチが置いてある。各病室からはナースステーションと中庭が見える。ナースステーションの天井はカマボコ型に丸くなっていて、夜になると照明を暗くして天井についた豆電球が星空を想わせる。見学後、病院専属の建築家のマイケル・シナハンさんが加わって、一行の質問に答えてくれた。

感想:この病院のハードの面の癒しの環境もさることながら、各種の専門職やボランティアによるソフトの面の充実に感心した。特にChild Life Specialistというものの存在を初めて知り、このような環境の中で行われる医療についても是非知りたいという欲望が強く沸いてきた。きっと心優しい、暖かな医療が行われていることだろう。

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The Heart of the Eden Alternative 10 Principles
エデンの10原則

1、人の住む社会における苦しみの多くは、孤独、無力感、退屈という3つの疫病によるものである。

2、真の人間社会における生活は、子供や植物、動物との密接で継続的な接触を中心に繰り広げられる。この古くからある関係により、老いも若きもすべての人が生きがいのある人生の道を歩むことができる。

3、愛情に満ちたつきあいこそが、孤独に対する薬である。人間社会において、人や動物とのつきあいが容易に出来る状況を提供しなければならない。

4、他の人を世話することで自らが強くなる。優しさをもって世話を受けることは楽しみであり、芸術である。健全な人間社会は日々の生活の中でこれらの美徳を促進し、常に両者(世話をすることとされること)のバランスを追求している。

5、互いに信頼することにより、その時その時のニーズに応える楽しみが生まれる。私達の生活が多様性に満ちた自然なものであるとき、私達は私達の住む世界を誉えることができる。

6、人間の精神をはぐくむ糧となり水となるのは意味である。それが私達を強くする。偽りの意味は私達を虚ろな約束でひきつける。しかし偽りの意味は最後に私達を空虚と孤独の中に置き去りにする。

7、真に人を思いやる心が主人であり、医療はそれに仕えるものである。その逆であってはならない。

8、人間社会において年長者の督知歯、その人への名誉や尊敬に正比例して増えていく。

9、人間としての成長は、人間としての生活から切り離されるものではない。

10、3つの疫病(孤独、無力感、退屈)に対する闘いに必要なものは賢明なリーダーシップである。これは何ものにもかえることはできない。

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「オーストラリア・ホスピス視察研修」
1998年7月31日から8月8日までオーストラリアのホスピスを視察してきた。
コーディネイターは「死への準備教育」で有名な上智大学の
アルフォンス・デーケン教授

「オーストラリア・ホスピス視察研修」帰国後の活動

1. 「備後音楽療法研究会」で講演(1998.9.19、於:特別養護老人ホーム鳥還荘)
   「ターミナルケアについて」
2. 「びんご・生と死を考える会」月例会で講演(1998.9.26、於:国立福山病院)
   「オーストラリアの緩和ケア」
3. 在宅ケア講習会<シンポジウム>在宅ターミナルケアの現状と課題で講演「在宅患者さんの緩和ケアと諸外国の現状」(1999年1月23日、於:福山市医師会館)

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「欧州ホスピス視察研修」
1997年9月13日から9月24日まで主にドイツのホスピスを視察してきた。
コーディネイターは「死への準備教育」で有名な上智大学の
アルフォンス・デーケン教授

「欧州ホスピス視察研修」帰国後の活動

1. 福山あすなろ会定例学習会での報告
2. ラジオ放送「避けられる死」と「避けられない死」(プレホスピタルケアとホスピス)、FM福山・おはようときめきタイム(内川郁江)、1997年10月16・17日放送
3. エッセイ「欧州ホスピス視察研修旅行記ーその1」
4. 欧州ホスピス視察研修講義録「デーケン教授のミニ講義」
5. ラジオ放送「生と死を考える」(「ターミナル・ケア」と「緩和医療」)、FM福山・おはようときめきタイム(内川郁江)、1997年11月13・17日放送
6. 進路や生き方を学ぶ講演会「死への準備教育」、1998年7月4日(幸千中学校三年生PTC活動)

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