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パリの日本料理店 牡丹屋をめぐって
Botanya, Japanese restaurant in Paris
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本編は書籍化されました。(2022年7月8日~) 全編をお楽しみになりたい方はアマゾンでお求めになれます。こちら <序> 1944年6月にフランスのルマンディー海岸に上陸した連合国軍はパリを目指した。その手から逃れるため、ベルリンに向かう日本人婦女子がパリの東駅で列車に乗ったのは8月13日昼頃であった。しかし列車は出発しない。夜になり一行は日本料理店「牡丹屋」と「都」から差し入れられた弁当を、夕食として東駅のプラットホームに横付けされている車の中で済ませ、とうとう夜も明けてしまった。 この文章から推測されるのは、日本人に弁当を差し入れた日本料理店牡丹屋、都の関係者は、彼らを見送りそのままパリで連合国軍に抑留されたのではないかということだ。 声楽家の古沢淑子はこの最終列車でベルリンに向かったひとりであったが、その後ベルリンからスイスに逃れ、そこで終戦を迎えた。そして1949年、職を得てパリに戻る。古沢は 「そのころ(1950年)パリにいた日本人は、20人に満たないほど。月に一度くらいは、当時一軒しかなかった日本料理店、牡丹屋に集まって、すき焼きなどを一緒に食べたものだった。」と述べている。 (『夢のあとで-フランス歌曲の珠玉・古沢淑子伝-』) 牡丹屋は戦後、再度渡仏する日本人に先駆けて店を開いていたことが分かる。「日本人あるところ、日本料理店あり」の典型である。そして当時は比較的裕福な日本人しか利用出来ない店を、終戦直後にわずか20人ばかりの顧客を相手に経営していたのであろうか? ベルリンでは「あけぼの」という日本料理店が滞在者の集会場の位置づけであったように、パリでは牡丹屋が多くの日本人の回想に登場する。本編ではこの牡丹屋を中心に、パリ邦人の戦前、戦後の模様を見ていく。 <パリ、日本食の歴史> パリの日本食に興味を持ち調べた先人がいる。フランス文学者の河盛好蔵である。著書『パリ好日』には、次のような明治初期からのエピソードが紹介されている。 明治の元老西園寺公望は1871年、パリのソルボンヌ大学に留学する。その際 「明治の初め、初めて巴里に遊学したる頃、万里の故郷を恋想せるは、日本料理の得難きに始まる。」と、元老も日本食が手に入らないことを嘆いた。 そして西園寺たち留学者は、リュー・ド・ラ・ペー(通りの名)にある商店に、白瓶に入った醤油を発見して狂喜した。この醤油はオランダ人が日本で買い込んでヨーロッパに輸入したものであった。 パリにはおそらく東インド会社が輸入した醤油が、明治初頭から(もしくはそれ以前から)並んでいたのである。 1898年9月30日付け朝日新聞では 「巴里の自炊日本料理 在巴里 藤園」の見出しで 邦人が30名ばかりのパリでは日本食を自炊して、近くの日本人を招いて食事会を開いていると書いている。誰か一人が料理長となり指示を出し、鰹節をするもの、大根を下すもの、味噌をするものと、分担して料理に当たった。この時パリにはまだ日本食レストランはなかったと言えよう。 (2020年2月22日追加) 次いで作家巌谷小波が、1900年9月から1902年11月まで、ベルリン大学東洋学部講師として赴任した時のことである。1902年8月末にパリを訪れた際、カルチェ・ラタンのリュー・ポナパルト(通りの名)の「巴亭」(ともえてい)という料亭で食事をする。そして次のように語っている。 「これは、去年の博覧会の名残ともいうべきで、主婦は名を板原友枝(ともえ)という所から、その名を巴里の巴に通わせて,即ち巴亭(ともえてい)とつけたのだという。 主婦の他にお浜さんという小娘があった。共に日本風の髪、日本風の服装、膳椀、皿小鉢、すべて日本風で、日本流のしとやかな給事に、純日本料理を食うのである。その嬉しさは又格別。鰯の塩焼き、茄子の田楽、これはベルリンでは望まれぬところと、頻りに舌鼓を打ったのである。」(『小波洋行土産 下巻』より) 巴亭という店の名前に趣向が凝らされていることが分かる。この時の博覧会とは1900年に開催された第5回パリ万国博覧会である。日本からの訪問者も多かったので、彼らを相手の日本料理屋が開かれ、その後も営業を続けたのであろう。オーナーは主婦で板原友枝という名前であったというが、この人物の背景は不明である。夫がフランス人であれば、営業許可を得るのもハードルが低かったはずだ。 そして巴亭がパリ最初の本確定日本料理店で、この時ベルリンにはまだなかったと思われる。 <牡丹屋誕生> 以降全編をお楽しみになりたい方はアマゾンでお求めになれます。 『第二次世界大戦下の欧州邦人(フランス編)』 筆者の書籍の案内はこちら |