日瑞関係のページ HPの狙い
日本 スイス・歴史・論文集 第二次世界大戦・終戦史・和平工作・在留邦人・ダレス機関等 瑞西

日瑞関係トップ与謝野秀 │ストレーラー余話徳永太郎スイス国境コンタクト

マルガリータ・ストレーラー
赤十字国際委員ジュノー博士と
共に来日した女性

Margherita Straehler and Marcel Junod from International Committee of the Red Cross, ICRC



<序>

スイス人で赤十字国際委員のマルセル・ジュノー博士は1945年8月、日本代表として赴任して来る。そして終戦間もなくGHQと交渉し、広島に15トンもの医薬品を届けたことで、名前を知られている。アニメ映画「ジュノー」でその活躍をご覧になった方も多いであろう。

また本人が書いた「ドクター・ジュノーの戦い」は終戦当時の貴重な記録である。戦後間もない1947年に出版されており、記憶違いが起こる余地も少ないと思われる。本人は克明に日記もつけていた。しかし回想録ゆえ、彼の視点で見たものは、事実と若干ずれている部分、あえて避けた部分はある。本編では以下の3点に重点を置いて、彼らのを再度構成するものである。

1 ジュノーにはもう一人、スイス人の女性が一緒に日本を訪問している。マルガリータ・ストレーラー(Margherita Straehler)である。彼女は横浜生まれで、日本語を話した。ただしジュノーの通訳としてではなく、赤十字の一員として派遣された。女性でありながら過酷な旅行を行った彼女の行動は、賞賛に値する一方、ジュノーの陰でこれまで日の当たることもほとんどなかった。日本と縁のあるストレーラーは、横浜の外人墓地に眠っているが、まずは彼女の行動に光を当てる。

2 ジュノーの著書から読み取ることが出来ないポイントのひとつは、スイス内部の軋轢である。駐日スイス公使館と赤十字の駐日代表部は、どちらも人道支援を行ったとはいえ、あまり良い関係ではなかったことが史料から読みとれる。それも紹介する。

.戦時下のシベリア鉄道を使っての日欧間の渡航は、非常に厳しいものであった。限られた日本人がこのルートを使ったがその様子を、筆者は「戦時日欧横断記」として発表している。ふたりのスイス人も、ほぼこのルートを辿っているので、戦時日欧横断記のスイス人編として、来日までの行程を紹介する。

横浜山手外国人墓地 手前にMargherita Strähler1898-1961と書かれている。(筆者撮影)



戦時下日本のスイス人は書籍化されました
こちらからお求めください。



トップ このページのトップ