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ここ2週間ほどは非常に収穫が多かった。(調査が進んだ。) 筆者の研究の一番の情報源は、当時の邦人が書き残した記録である。そしてその一番の宝庫は国会図書館である。最近のデジタル化でかつてより、格段に多くの情報を短時間で見つけることが出来るようになったという事は、最近書いた。 しかしこの調査を私よりはるかに入念に行っているのは数学史家の木村洋(きむら ひろし)さんである。木村さんは私がホームページに書いたことを読まれて、「こんな情報もありますよ」と度々教えて下さる。その好意には誠に感謝に堪えない。 今回は筆者が「満州国参事官江原綱一とストラディヴァリウス」を公開するやいなや、「近代戦と日本刀」本阿弥光遜(ほんあみこうそん)の中の「欧州探刀記」(大槻孝治)にその江原が登場していると早速教えていただいた。 刀剣の分野の本である。木村氏は検索機能を駆使されて見つけるのであろうが、筆者ではほぼ一生かけても見つける事が出来るとは思えない本である。 早速そこから「満州国参事官江原綱一と"ストラディヴァリウス"?」に付け加えさせていただいた。また大槻孝治は山下汽船のベルリン駐在員であったが、「戦時下、欧州からの手紙(第二部)」にも一部を付け加えた。 また別に「欧州邦人、気になる人」として最初に取り上げた、「ビュルガー・ジェンヌ」に関して、親族の方が貴重な情報を寄せて下さった。 という訳で3件の更新がありましたので、すでに読まれた方もぜひまた訪問ください。 話は横道に入るが、終戦70周年が近づいてきたためか、筆者のホームページを訪れる人も多くなってきたようだ。マスコミ関係からも複数問い合わせを受けている。こうしたお手伝いが出来るのは嬉しい。 またグーグルアナリティクスと言う訪問者情報によれば、6月18日、一日で筆者の「日本人小学生の体験した戦前のドイツ」に266名の訪問があった。どなたかの紹介があったためと思うが、不明である。個人的に感謝したいが、それも出来ずに残念である。 ちなみに筆者のホームページの訪問者のカウンターはフロントページを訪問した場合のみカウントされる仕組みである。直接リンクで入った場合、先の266人はカウントされていないことになる。つまり実際の訪問者は今のカウンターの数字(154万)より高いはずである。今後、直接リンクに飛ぶ祭、ぜひフロントページも訪問ください!? (2015年7月4日) <友(朋)あり遠方より来たる> ドイツ人のSimon Preker(以降プレーカー君)はハンブルクと上海の大学に籍をおき、ドイツにおける中国の国民党と満州国の対独外交活動を研究している。中国語、日本語を解し、筆者にドイツの満州国公使館理事官補であった王替夫が中国で回想録を出したことを教えてくれた。それを元に筆者は「山路公使と命のビザ」を書いた。 そのプレーカー君が夏休みを利用して日本に来たので、昨日都内田園調布で会った。同好の士との語らいは楽しいものであった。かれは筆者の「杉本勇蔵の体験した戦前、戦時下のハンブルク」をWEBで見つけ、それが自分の研究の参考、励みになったと言ってくれて、筆者はとても嬉しかった。 その際のエピソードである。筆者は満州国公使は日本語では呂宣文(ろ せんぶん)とこれまで理解していたのだが、プレーカー君が「呂宣文ではなく呂宜文(ろ ぎぶん)ですよ」と訂正してくれた。ドイツ人に漢字を修正されて若干苦笑であるが、これが研究の世界というものであろう!? それにしても筆者はサイト内の相当多くの場で間違った書き方をしてきた。気付いた箇所から訂正をかけていかねばならない、、、 (2015年7月20日) |
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