| 旅々浪漫 趣 味 の 写 真③ |
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| ◎ サムネイルをクリックすると画像を大きく表示します。 (拡大画像の下方部分にコントロールマークが表示されます、 「⇍」 一つ前の写真を表示します。 「▶」 自動で順次表示して進みます。 「➥」日膣次の写真を表示します。 「✙」マウス固定で画像表示位置を上下左右に移動できます。 「X] 拡大表示を終了する。 ● お急ぎの時は、海外の風景・日本国内へ、および夫々のカテゴリー区分・インデックスを選んでください。 利用サーバーお容量お関係で、幾つかの未編集が含まれていますのでご理解ください。 |
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| 登った山々、旅の先々、出会った処で、気の向くまま、思いつくまヽに、感じた風景を撮った写真です、素人カメラマンなりの出来栄えですが、 ご覧頂ければ幸いです。 今更言うまでもなく、旅は無性に「好奇心」を掻き立てる、その土地々の気候・風景、人々の営み、歴史的な生い立ち・・・・・・・、 興味は尽きない、そんな動機ながら一つでも多くの国々を訪問し、交流・友好を図りたいと想っている。 旅行先の風景、都市の風景、町の風景です。 「私にとって旅は若がえりの泉である。」・・・・・・アンデルセン |
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| ● 海外の風景 | ||||
| オランダ・ベルギー・ ドイツ・ルクセンブルグ8日間 |
行っとく!トルコ大周遊10日間 | イベリア航空往復直行便利用スペイン8日間 | タイ・カンボジア | 美しき中欧の古都めぐり |
| アフリカ 大陸最高峰 キリマンジャロ山行 |
タイ・バンコク | アメリカ西海岸 | シンガポール | 日本国内 |
| ✈2019/11/10~11/17 オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ・ドイツ/ケルンの旅 | ||||
| ブルージュ | アントワープ | ブリュッセル | デュルビュイ | ルクセンブルグ |
| ケルン | オッテルロー | デン・ハーグ | アムステルダム | |
| ※ベネルックス三国+ケルンの旅はオランダスキポール空港を起点にベルギーのブルージュと言う町から始まりました。 | ||||
| 2019/11/11「ブル―ジュ=Belgium Brugge」 | ||||
| 「ブル‐ジュ=Belgium Brugge」:ブルッヘ、ブリュッヘ、ブルグ、ブラへ;(フラマン語(オランダ語)、 ブリュージュ(フランス語)、ブルージュ(英語)等と表現するそうです。 世界遺産「ブルージュ歴史地区」の散策です。 ◎ベギン会修道院 ◎ブルージュ歴史地区の中心地であるマルクト広場の西側と北側には、階段状の切妻屋根が印象的な「ギルドハウス」。 ◎素敵な建物が並ぶブルグ広場 ベルギー最古の市庁舎 ◎ブルージュのシンボルである塔の高さが88mにも及ぶ鐘楼47個もの鐘が組み込まれたカリヨン(組み鐘)は、ヨーロッパでも屈指の音色だそうです! 愛の湖、聖血礼拝堂等 しかし、到着するころには空は重い雲が足れ降り雨が降り出してきました、傘をさしての散策、チョッとカメラを構えるには不自由です、 鐘楼にも登ってみたいと並んでは見たものの行動予定を考えると,、これだけで終わってしまいそうで、他の見どころへ・・・・(残念)、 途中名物の”ワッフル”をいただいてから、ブルグ広場の聖血礼拝堂からブルッヘ市庁舎を経て運河の通りへ 「天井のない美術館」、「北のベネチア」、「ベルギーの水の都」と呼ばれているそうです、ベルギーで最も人気の街ブルージュ。 街を流れる運河に羽を休める白鳥、歴史的な建造物と昔ながらの馬車の走る石畳、中世とほとんど変わらぬ風景が街じゅうに息づいていました。 |
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| 2019/11/11「アントワープ = Nederland Antwerpen」 | ||||
| 「アントウェルペン=Nederland Antwerpen」:アンウェルス、アンウエルス、アントワープとも言われ欧州を代表する港湾都市の 1つである。アントウェルペンはかつてのスヘルデ川の湾曲にそって形成されたとする。 ブルージュから移動して川辺に着くころには雨も小止みになり傘なしでの歩きができる天候になって良かった、 世界遺産=アントワープ聖母大聖堂(「ノートルダム大聖堂)では、世界遺産の鐘楼は改修工事のため幕に覆われて見学不可(残念!) ルーベンスの描いた”祭壇画”「キリストの昇架」、「キリストの降架」、大聖堂の守護聖人マリアを描いた「聖母被昇天」等、 また数々の美しいステンドグラス群、構造物を見学しました。 また、リヒャルト・ワーグナーのオペラ『ローエングリン』は、10世紀のアントウェルペンを舞台としている。 『フランダースの犬』の舞台、そしてバロック絵画の巨匠ルーベンスの故郷であるアントワープ。 ブリュッセルへ、45km約1時間 ホテル・ラマダ・ブリュッセル・ウオルウエ泊 |
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| 2019/11/12「ブリュッセル = Belgium Brusseles」 | ||||
| 世界で最も美しいといわれる広場「グランプラス」。1998年に世界遺産にも登録された。 市庁舎;広場で最も高く。目を引く建物、15世紀に建てられたゴシック様式の縦物、高さ96mの頂上にブリュッセルの守護聖人 ミカエルの像がある。 王の家;市庁舎の向いに建つネオ・ゴシック様式の建物で現在はブリュッセル市立博物館となっている。 ギルとハウス;広場を囲むように並ぶ盾もお群、かつて商人の組合(ギルト)として使われていた。 ブリュッセルの中心地「グランプラス」から歩いてすぐ街角に建つ「小便小僧」、本物はブリュッセル市立博物館(王の家)に保管さ れているそうです。想いのほか小さく、「世界三大がっかり」の一つに数えられることもあるとか!? この日は、赤い覆域替えをしてもらってお披露目が行われて大勢の人が集まっていました。 デュルビュイへ116km・約1時間40分 Ibis Luxembourg Sud=イビス・ルクセンブルグ・スッド 泊 |
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| 2019/11/12「ベルギー・デュルビュイ = Belgium Durbuy」 | ||||
| ベルギーの最北部に位置しアルデンヌ地方の美しい町、現在は観光・保養都市となっていて、「世界で最も小さな町」と言われているそうです。 大きな地殻変動・褶曲が見られたり、川のほとりに建つ古城と紅葉・石畳の小路が美しき風景をなし、ゆったりとした時間が流れているようでした。 因みに1994年埼玉県羽生市と姉妹都市締結されている。 ルクセンブルグへ154km・約2時間25分 ホテルIbis Luxenbourg Sud 泊 |
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| 2019/11/13「ルクセンブルグ = Luxembourg」 | ||||
| 緑に囲まれた美しい小国 世界遺産;旧市街・大公宮・ノートルダム大聖堂 旧市街散策中、ふと立ち寄ったマルクト広場の野菜屋さん、イチジクを見つけて試食して美味しかったです。 ドイツ・ケルンへ229km・3時間46分 Mercure Severinshof Koeln City Hotel 泊 |
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| 2019/11/13「ドイツ・ケルン = Deutschland Cologne」 | ||||
| ケルン(独語)、フランス語・英語(Cologne)、ドイツ第4番目の都市 ホテル到着後、世界遺産;ケルン大聖堂まで歩いていきました、途中の軒先等で犬(シェパード)を侍らせた若者があちこちに座っていて 異様な光景を。大聖堂の展望台に登れるか教会の赤い服を着た人い訪ねてみたが、今日は風が強くて閉鎖しているとのことだった。 ホテルへの帰り道へも行きと同様犬ずれの風景が薄暗がりの中なんとても怪しげな光景で急ぎ足で帰ることになりました。 メルキュール・セヴェリンズホーフ・ケルンシティ(=Mercure Severinshof Koeln City Hotel)泊 |
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| 2019/11/14「オッテルロー = Nederland Otterlo] | ||||
| ケルンのホテルを出発してオッテルローへ、164km・約3時間 オッテルロー「世界最大級のゴッホコレクションを誇る「クレラーミューラー美術館 Kroller-Mullr Museum」 デ・ホ‐へ・フェルヴェー国立公園内のオッテルロー村に有りました。 実業家のアントン・クレラー・ミューラーと、その夫人ヘレン・クレラー・ミューラーのコレクションを基に1938年に開設された、 ゴッホに関するコレクションで知られ、その規模はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館と並び2台ゴッホ美術館と称される。 緑に囲まれた広大な敷地に彫刻が散在展示されていて「ゴッホの森」と言われているそうです。 100点近い作品の数々を一度に鑑賞できる機会は二度と無いかも知れないと、静かな館内を集中して鑑賞出来ました。 ハーグへ110km・約1時間30分 |
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| 2019/11/14「ハーグ = Nederland Haag」 |
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| デン・ハーグ(オランダ)、北海沿岸に位置しオランダ第三の都市 数々の世界的名作を展示する「マウリッツハイス美術館」 ① 「レンブラント自画像」=レンブラント・ファン・レイン ② 「デュルプ博士の解剖学講義」=レンブラント・ファン・レイン ③ 「雄牛」=パウルス・ポッテル ④ 「エデンの園のアダムとエヴァ」=ピーテル・パウエル・ルーベンス & ヤン・ブリューゲル(父)共作 「フェルメールの最高傑作として世界的に話題の名作 ⑤ 「真珠の首飾りの少女」 其の他数々の名画を鑑賞しました。 アムステルダムへ61km・約55分 Radisson Blu Hotel Amsterdam Airport泊 |
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| 2019/11/15「アムステルダム = = Nederland Amsterdam 」 | ||||
| 「アムステルダム=Nederland Amsterdam 世界遺産・17世紀環状運河地区、国立オランダ美術館・ゴッホ美術館・レンブラント広場・・・ ラディソン・ブル・ホテル・アムステルダム・エアポート(Radisson Blu Hotel AMsterdam Airport)泊 |
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| ✈2018/11/06~11/15 「行っとく!トルコ大周遊10日間」トルコの風土・文化・歴史・世界遺産を訪ねて |
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| イスタンブール(A) | トロイ | セルチュク (エフェソス) |
パムッカレ | コンヤ |
| カッパドキア | ツーズ湖・アンカラ | イスタンブール(B) | ||
| 2018/11/06「ドーハ = Doha」 入国(ハマド国際空港) | ||||
| 【トルコ】:(土耳古) 日本 : トルコ 比較 国土 378,000㎢ : 78,576㎢ ≒ 2倍 人口 126,860,000人 :7,668,000人 ≒ 1.7倍 【日 程】:2018年11月06日(火)~11月15日(木) 【行 程】:ドーハ経由 ①イスタンブール(西地域)世界遺産:イスタンブール歴史地区(ブルーモスク・トプカプ宮殿・アヤソフィア・ グランドバザールオリエント急行終着駅シルケジ駅 ホテル:エレシン・トプカプ ②ダーダネル海峡を渡って、世界遺産トロイの遺跡 ホテル:グランドテミゼル(アイワルク泊) ③世界遺産エフェソス遺跡、途中革製品のお店見学 ホテル:リーカス・リバー(パムッカレ泊) ④世界遺産パムッカレ、ヒエラポリス遺跡、石灰棚 コンヤ メヴラーナ博物館、インジェミナーレ グランドホテル・コンヤ泊 ⑤世界遺産カッパドキア、カイマクル地下都市、3姉妹の岩、デブレント「ラクダ岩」、 アバノス ダブルツリーバイヒルトンアバノス泊 ⑥ギョレメ野外博物館、世界遺産カッパドキア(ウチヒサール、パシャパー、ムスタファパシャ)、 神秘の旋回舞踊セマー見学 連泊 ⑦熱気球に拠るカッパドキア俯瞰遊覧後アンカラに向かう。 途中、トゥズ湖(大塩湖) 首都アンカラでアタチュルク廟、アンカラ城 ラディソン・ブルー泊 ⑧イスタンブール(アジア地域)ボスポラス海峡クルーズ イスタンブール国際空港からドーハ経由帰途に。 |
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| 2018/11/07「イスタンブール = Istanbul」 入国(アタチュルク国際空港) | ||||
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| 2018/11/07「イスタンブール = Istanbul」 【世界遺産】・イスタンブール歴史地区:ブルーモスク、トプカプ宮殿、アヤソフィア、グランドバザール コンスタンティノーポリス、コンスタンチノプス、イスタンブール(ヨーロッパ:アジアの合流するポスポラス海峡を挟んだ都市) 初日は、ヨーロッパ側市街地の世界遺産:イスタンブール歴史地区の観光 ◎通称”ブルーモスク”と言われている「スルタンアフメットモスク」。”オスマン建築の傑作”や”世界一美しいモスク”とも呼ばれており、 イスタンブール観光の目玉なっている。 青く美しいブルーモスク「スルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)」 ◎トプカプ宮殿、「大砲の門宮殿」の意は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。新宮殿を意味する 「イェニ・サライ」とも言われるそうです。 ◎アヤソフィア、東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂としての建設を起源としモスクと して改築をされ、後博物館となった。 ◎グランドバザール、「屋根付き市場」を意味する「カパルチャルシュ」。 〇シルケシ駅:オリエント急行のイスタンブール終着駅、現在も日に数本の発着があるそうですが、ホームに客車の展示とレストランが 併設されている。 ※イスタンブールのシルケシ駅は、オリエント急行のヨーロッパ側の終着駅 箱根のラリック美術館には当時を偲ぶ”豪華な客車”が保存展示されているのを思い出しました、2012/01/30箱根をドライブした時に鑑賞した 車両と社内装飾の一部です。 11月07日:イスタンブール泊・・・エレシントプカプ〖旧;バルセロ エレシン トプカプ) |
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| 2018/11/08「トロイ = Trova」 | ||||
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| 2018/11/08【トルコ = Trova 】 二日目:イスタンブール(ヨーロッパ側)のホテルを出発し、高速道路を西進途中ドライブイン「TEKIRDAG KOFTESI」で小休止、 混雑が予想されるフェリー港に向かう、港の近く「TROIA]で昼食、海が近いせいか名物の”鯖(一尾)のオイル焼き”をメインの料理を堪能。 フェリーの港は乗船順番待ちの列が出来て大変混んでいました、埠頭の近くの公園にトルコ建国の父アタチュルクの像が有るとのことで、 辛うじてそれらしき物を確認できたがバスの中からの撮影で、あいにく軍の車列と電柱等の間でベストショットではなかった。 乗船は係員の誘導(矢張り重心を考えながらの配列を工夫しているようだった)で犇めくような乗船ではあるが日本の様な確実な繋留も なく並べるだけ、音もなく出港してわかったが、海はすこぶる平穏で船の舳先が切る波の音以外静かな海面だった。 船にまとわりつくように飛び交うカモメの群れと海原越に出港側・対岸が見え大よそ10km未満の航海。 世界遺産「トロイの遺跡」は異なる時代の遺構が錯綜しているそうです。 ギリシャ神話”ホメロスの叙事詩「イーリアス」に描かれたトロイ戦争。 ドイツ人ハインリッヒ・シュリーマンが莫大な情熱と私財を込めて発掘・発見した遺跡とは知ってはいたが、 それ以上に詳しい事は今後に期待。 遺跡観光後はエーゲ海沿いのリゾート地「アイワルク」へ (約150km) 11月08日:・・・アイワルク(泊):グランド・テミゼル ホテル |
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| 2018/11/09「エフェソス・セルチュク = Efesos Selcuk」 | ||||
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| 2018/11/09「エフェソス・セルチュク = Efesos Selcuk」 ・エフェソス遺跡 11月09日:パムッカレへ約185km(泊);ホテル リーカス リバー |
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| 2018/11/10「パムッカレ = Pamukkale」 | ||||
| 2018/11/10「パムッカレ = Pamukkale」 ・パムッカレ 石灰棚、 ・ネクロポリス ・ヒエラポリス遺跡 11月10日:コンヤへ410km;グランドホテル コンヤ(旧リクソス コンヤ)泊 |
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| 2018/11/10「コンヤ = Konya」 | ||||
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| 2018/11/10「コンヤ = Konya」 今夜に向う途中”一休さん”!?の像があるレストランで昼食 ◎メブラーナ博物館 〇インジェミナーレ グリーンジャーミー 11月11日:カッパドキアへ約239km ダブルツリーバイ ヒルトン アヴァノス泊 |
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| 2018/11/11~12「カッパドキア = Kappadokya」 | ||||
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| 2018/11/11~13「カッパドキア = Kappadokya」 【世界遺産;カッパドキア】 11/11 カイマクル地下都市 3姉妹の岩 デブレント(ラクダ岩) アバノス 11/12 ギョレメ野外博物館(トカルキリセ)OP ウチヒサ-ル、 パシャパー、 ムスタファパシャ OP;神秘の旋回舞踊セマー;トルコ雄今夜を拠点とするイスラム教神秘主義の一派、メヴレヴィ―教団によって行われる 精神的な儀式だそうです。 ダブルツリーバイ ヒルトン アヴァノス連泊 2018/11/13 早朝・熱気球(バルーン)飛行体験;カッパドキアの上空を俯瞰しながらゆっくり飛行 エルジエス山(3,917m)が見えるか?と期待しましたが朝靄にさえぎられて確認できませんでした。 カッパドキア発~アンカラへ(訳310km) |
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| 2018/11/13「ツーズ湖・アンカラ = Lake Tuz ・ Ankara] | ||||
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| 2018/11/13 「ツーズ湖・ = Lake Tuz Ankara] ツーズ湖(塩湖) 首都アンカラ 第一国民議会ビル(現在=独立戦争博物館として一般公開);トルコ共和国の誕生:1920年04月23日、ムスタファ・ケマル・アタ チュルク(初代大統領)がここで最初のトルコ大国民会議を開催し、ここからオスマン帝国に代わる新しい国、トルコ共和国の基礎が築かれ たそうです。 アンカラ市内 アタチュクル廟・アンカラ城・スーパーマーケット 11月13日:アンカラ泊;ラディソンブル |
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| 2018/11/14「イスタンブール ボスポラス海峡 = Istanbul Bosporus ✈ 2018/11/14 | ||||
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| 2018/11/14 ボスポラス海峡クルーズ アジアとヨーロッパを分ける南北31kmの海峡を西洋と東洋の風を感じ、人類の歴史を心に刻む格好の舞台にして、旅行者を魅了している。 ・ウスキュダル埠頭から出発 ・乙女の塔(クズ塔)かつて刑務所や灯台として使用され多くの伝説があるそうです。 ・第一ボスポラス大橋 ・ベイレルベイ宮殿;1865年に建てられた豪華絢爛な宮殿、バロック様式、オスマン超様式折衷様式で、主にオスマン帝国の迎賓館、 スルタン(皇帝)の夏の離宮として使われた。 ・ルメリ・ヒサール;1452年オスマン帝国の固定めふめっと2世が、強敵コンスタンティノーブル攻略の拠点として建てた要塞。 ・第2ボスポラス大橋 等を鴎の群れが飛び交う船上から観光しながらウスキュダル埠頭に ※ウスキュダル(ウスクダラ);世界的に有名なトルコ民謡のタイトルで 「ウスクダラはるばる訪ねてみたら……」江利チエミさんがカバーして大ヒットして広く親しまれた曲、1950年代はもう70年も前! その後、イスタンブール空港へ 20:10 QR-0242 空路ドーハへ(所要時間:4時間10分) 2017年11月15日 06:50 QR-0812 (空路、帰国の途へ)(所要時間:9時間40分) 羽田空港着:22:30 天然温泉平和島の優待券を利用して、新潟のSさん語風ともども旅の疲れを流して仮眠、翌朝それぞれに電車で帰宅。 |
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| 2018/11/15「✈ ドーハ 経由 羽田空港へ 」 2018/11/16 11月14日:・・・機中泊 11月15日:22:30着 羽田空港解散 結局、大江戸温泉物語」で休憩・仮眠して帰ることになりました。 総移動距離: 11月06日 羽田~ドーハ 5,143km(?) ドーハ~イスタンブール 1,692km(?) 11月07日 34.1km(バス) 9.3km(歩行;15,601歩) 11月08日 519.1km(バス) 4.2km(6,824歩) 11月09日 426.1km(バス) 5.2km(8,904歩) 11月10日 435.9km(バス) 7.1km(12,098歩) 11月11日 339.6km(バス) 5.4km(8,916歩) 11月12日 124.9km(バス+熱気球) 6.5km(11,106歩) 11月13日 332.2km(バス) 8.0km(10,109歩) 11月14日 92.3km(バス) 2.9km(4,695歩) 11月15日 5.5km(8,404歩) イスタンブール~ドーハ 1,692km(?) ドーハ~羽田 5,143km(?) 合 計 16,026。3km |
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| ✈2017/09/27 ~ 10/04 イベリア航空往復直行便利用 スペイン8日間 スペイン・スペインの風土・文化・歴史・世界遺産を訪ねて! |
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| マドリード | アンダルシア地方 | バルセロナ | ||
| ✈ Madorid ✈ | Cordoba | Granada | Barcelona | Toledo |
| マドリード(Madrid) | ||||
| 【スペイン】マドリード(Madeid)へ 2017年09月27日:昨夜は大変な雨降りだった。 ※この旅は最初から”波乱”の始まりとなった、さあ”塔上”と立ち上がったころ、構内アナウンスは”本日の出発は無くなりました。”と 2017年09月28日 機体の整備も終わって、出発も一時間早くの10:20予定との情報で早めに空港へ向かう。再出発の期待を胸に! ツアー会社の迅速な旅程立て直しで要所を観光する日程は、順路の変更を前後やり繰りしながら調整してくれたが、 矢張りすべての挽回は不可能という事でセビリア観光が外された。 チェックインカウンターでは昨日の座席確定までのデータが確保されており、比較的スムーズに事が運んだかに思えたが、 出発は結局11:30なってしまった。 機内は空調が機内職員向けに調整されているとか!? 長時間座りっぱなしの我々には寒く感じる、 毛布を二枚借り手足元から上半身まで包み込むように・・・・、 それにしても長い時間目前のディスプレイで気分を紛らせるしか術はないのか!? 成田~マドリッド間14時間予定の直行便 マドリッド空港へは、なんと1時間の遅れを挽回し、更に1時間早く17:30に着陸 【日 程】:2017年09月28日 【行 程】:成田空港✈→✈マドリッド空港 ≒344km🚌移動 コルドバ ・・・コルドバ泊 |
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| 2017年09月28日 コルドバ(Córdoba) | ||||
| 2017年09月28日 コルドバ(Córdoba) 世界遺産《コルドバ観光》:「メスキータ」と「花の小径」の見学、午後地中海の見える街「ミハス」を散策後グラナダへ移動 もともと、メスキータ (mezquita) とは、スペイン語でモスクという意味で、アラビア語 مسجد ("Masjid") に由来するそうです。しかし、 一般的には固有名詞として、スペインアンダルシア州コルドバにあるカトリック教会の司教座聖堂「コルドバの聖マリア大聖堂 (スペイン語: Catedral de Santa María de Córdoba)」を指す。 メスキータ (Mezquita) は「モスク」(ひざまずく場所)、ムスリム(回教徒)の礼拝堂の意味で、 スペインに現存する唯一の大モスクである。8世紀頃イスラム教のアブドールラフマン1世が、グワダルキビール川の流れが変わるコルドバの小高い 丘にメスキータの建設を進め、13世紀~16世紀頃キリスト教の教会へと変遷を経てきた。 メスキータ北部に位置する「ユダヤ人街」には「花の小径」とよばれるエリアがあり、ユダヤ人街は「コルドバ歴史地区」として世界遺産に指定さ れております。建物の壁はどれも真っ白で統一されているところに、花の街として街並みが装飾されていて人気のスポットとなっているようです。 コルドバは、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の3つの宗教が共存している特殊な街で、街の建造物や文化などもこの3つの宗教が絶妙に交差し ているという、独特の文化をもっているそうです。 訪れた時は秋、花の盛りの季節は過ぎていましたが、白い壁に植栽のプランターが並べ・懸けられ緑の葉が美しい雰囲気を醸していました。 ミハス(Mijas)コスタ・デル・ソルにあり、ミハス山の中腹、標高約400mに位置する白い村(スペイン語版)の中心的な町、観光地。 高台にある展望台からは地中海の海原を行きかう船は勿論遠く南の方にジブラルタル海峡を望めそうな美しい眺めがあった。 中央広場展望台の近くのレストランで店で入りのおじさんの奏でるギターの演奏をBGMに「ソバ・デ・アホ」と言う昼食を頂いた、後 日本人経営の”アマポーラ”という土産物屋さん、開演数は年数回と言う闘牛場、その近くの教会を巡り、自由行動時間を利用して、 CAC MIJAS 近代美術センターに向かいました、ピカソとダリの作品をメインに展示してあり、しかも貸し切り状態?!で鑑賞できました。 ミハスを後にグラナダへ172kmの🚌ホテル・コロナ・デ・グラナダへ 【行 程】:コルドバ 《コルドバ観光》「メスキータ、花の小径」🚌移動《ミハス》 ≒172km🚌移動グラナダへ(泊)、夜・OP サクロモンテの丘でフラメンコ・ショー |
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| 2017年09月29日 グラナダ(Granada) | ||||
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ミハスを観光後にグラナダへ172kmの🚌、ホテル到着後夜の観光前に近くの街並みを散策・スーパーマーケット風景など・・・・・。 【日 程】:2017年09月28日 【行 程】:夜・OP サクロモンテの丘でフラメンコ・ショー オプショナル・ツアー参加は我々を含めて6名、意外と少ない?!スペインに来てフラメンコ観賞を外す!? 目指すは、VENTA EL GALLO RESTAURANTE CUEVA FLAMENCO,車で狭いつづら折れ坂道を登った先サクロモンテの丘にある洞窟バル、 途中の街中のレストランでディナーを頂き、マイクロバスで向かいました。 既に陽が落ちた夕闇の中、谷の向こうに明日見学予定のアルハンブラー宮殿がライトアップされた風景が望めました。 フラメンコの公演は時間制、我々の予約時間は20時から22時、いずれも満席の様子。 ライトアップされた正面舞台上には、ギターと”カンテ”の歌い手とダンサー並び、出口まで一杯の観客はドリンク片手に椅子掛けの観客席で。 カンテはアンダルシア民謡がフラメンコの影響を受けて発達した独特の芸能?身体の芯から振り絞り溢れ出る様な歌唱法と響きは日本の民謡とどこ かとも通じる様な叫び?にも似たような印象を深く感じた。 ダンサーは両手で奏でるカスタネットの軽快なリズム、烈しいタップ・ステップの音、あるいは手拍子と・・・・に合わせて、 色彩ゆたかな衣裳をまとい、激情をほとばしらせて踊る女。体の芯から絞り出すようなしわがれ声で歌う歌手。 打楽器のように烈しく弦をかき鳴らすギタリスト――。 時間の経過も忘れて魅了された一時であった。 <br> ※フラメンコはジプシーの伝統芸能に由来するそうですが、 情熱の国、スペイン。<br> 情熱と訳されるスペイン語はパシオン pasión と言うそうですが、これは本来、「肉体的・精神的な烈しい苦しみ、耐え難い拷問」を さす言葉で、悼んでも悼みきれない死、忘れようにも忘れられないつらさに胸のつぶれる思いがする、その思いこそがパシオンだと。 ・・・webから引用 ホテル・コロナ・デ・グラナダ泊 【日 程】:2017年09月29日:グラナダ観光 【世界遺産】:アルハンブラ宮殿 イスラム芸術の最高傑作と言われるアルハンブラ宮殿はスペイン最後のイスラム王朝スナル朝の王宮。 宮殿内で最も古い城塞部分であるアルカサバ、王の居城であった王宮、カルロス5世宮殿、夏の離宮ヘネラリーフェ庭園と、敷地内は大きく 4つに分けられる。 今回の見学はアルハンブラ宮殿とネラリーフェ庭園 朝早くから入場門前には見学者の長蛇の列が並んでいました、我々は、あらかじめ予約入場の為にスムースに入場が出来ました。 サンフランシスコ修道院、アラヤネスの巣状の装飾)が見事に残っています。)、コマーレス宮 四角い建物の中に丸い劇場。イタリアのローマのコロッセオを連想する。 宮殿の中心となるのがナスル宮殿で、メスアール宮、コマーレス宮、ライオン宮の3か所からなっている。 ヘネラリーフェ庭園、 アルバイシン 🚌移動≒511km約7時間・途中休憩・昼食~バレンシアへ;トリップ・バレンシア・アザファータ(泊) |
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| 2017年09月30日 バレンシア(Valencia) | ||||
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| バレンシア(Valencia) カタルーニャ・サーキットの近く ホテル内はばいく・F1の写真が沢山掲示してあった。レース関係者の宿泊が多いのでしょうか!? 2017年10月01日 バルセロナ(Barcelona)へ ≒353km約5時間🚌移動バルセロナへ,バルセロナ;トリップコンデマール泊 |
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| 2017年10月01日 バルセロナ(Barcelona) | ||||
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| 2017年10月01日 バルセロナ(Barcelona) 【スペイン】:【世界遺産】;サグラダファミリア見学、 スペインの北東カタルーニャ地方、独立運動に揺れるバルセロナ。 1882年から続くスペインを代表する巨大建築、サクラダ・ファミリアを代表とする「芸術の街」バルセロナ。 建築家アントニオ・ガウディの彫刻群・完成は2026年!! ・主任彫刻家外尾悦郎氏が昔ながらの手仕事で彫られている「ハープを奏でる天使」と「天使の合唱隊」 バルセロナ観光「カサ・ミラ、カサ・パトリョ」バス車窓観光しながら、マリーナ通りを海岸まで、 ヨットが沢山係留されたポート・オリンピックの手前、 マリーナ米バルセロナで昼食(地中海料理;ミックスパエリア)、 ヨットハーバーを散策(ポート・オリンピック) 夜のバルセロナ観光(OP);地下鉄を利用してバルセロナ中心街へ、ランブラ通りからバルセロナ大聖堂 トリップ・コンデマール泊 |
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| 2017年10月02日 トレド(Toledo) | ||||
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| 2017年10月02日 トレド(Toledo) 【スペイン】:世界遺産:トレド 始めの旅程では初日28日に成田からマドリッド到着後直ぐにバスで(70km)向かう予定でしたが、 IB-6800便の都合により余儀なく旅程変更となって最終日(10月3日)の観光となりました。 それが功を奏したのかとても素晴らしい天候の下世界遺産の古都を楽しむことが出来ました。 バルセロナから国内便でマドリッドに移動し、空港からトレドに直行。 10月3日早朝の5時30分にバルセロナのホテルを出てバルセロナ空港からマドリッド空港まで国内線で移動後トレドへ。 マドリッドの郊外には、「イスラム教徒とキリスト教徒の激しい戦いと文化の混合を感じる、 貴重な遺産の数々に出合える」古都の風景がありました。 トレドは中世の佇まいを残す世界遺産の街。 旧市街を一望できる展望台からの景色はまさしく 『もし、1日しかスペインに居られないのなら、迷わずトレドへ行け』の名言どおりの絶景でした。 テージョ川(Tajo:タホ)を挟んで左がトレド旧市街・上方左端がアルカサル(現軍事博物館) 細い隘路が縦横無尽に通っている 建物の間から見えるトレドの象徴・トレド大聖堂の塔 サント・トメ教会:グレコの傑作「オルガス伯の埋葬」の観賞が出来る(門外不出) グレコの傑作「オルガス伯の埋葬」の観賞、中世の偉大な宗教画家エル・グレコが半生を過ごし、 門外不出を遺言に残した傑作画エル・グレコはギリシャ・エーゲ海のクレタ島出身だそうですがトレドを中心に活躍したと。 代表作の「聖三位一体」、「受胎告知」、「羊飼いたちの礼拝」などが、マドリッドのプラド美術館に収蔵されている。 そうで午後からの訪問観賞が楽しみ。 【日 程】:2017年10月02日 【行 程】:🚌移動バルセロナ空港→→✈移動(IB-0831)マドリッドへ、マドリッド市内観光、昼食、マドリッド旧市街散策、 マヨール広場・旧市庁舎・王立劇場・オリエンテ広場・王宮・プラド美術館 【スペイン】:世界遺産 トレド観光後マドリードに戻りスペイン旅行も最終章 1619年建築の集合住宅に囲まれたマヨール広場、広場中央にフェリペ三世の騎馬像があった、 広場を囲む建物の1階にはカフェやバル、みやげ物店が並んでいて、その一軒に入り軽い昼食 ・イカリング揚げバーガーとビール、隣から日本語が?!日本人とスペイン女性のご夫婦 ドイツからという事だった。 広場内には絵描きさんも居た。オープンテラスで食事をしている風景。 マヨール広場を出て直ぐにサン・ミゲル市場に入口周辺には物乞い風の人々も居てちょっと気になったが中に入ってみると たくさんの人たちでにぎわい、各種豊富な食材が並べられ、立ち食いのバルも幾つか、好みの物を買って食べて・ 飲んで楽しむ光景が。 そのあと歩いて、サンチャゴ教会の前を通り、ラメール・アレアから王立劇場の前を通てオリエンテ広場を散策 この日のメインはプラド美術館、入館予約が16:30、観賞時間が1時間30分に制限されていると?! ガイドの案内で主要作品を駆け足での鑑賞になった、その後自由時間30分、知人から進められていたボスの「快楽の園」を 見て、 その他心当たりを駆け足汗かきながら予定時間では消化不良・・・・・・・、 ピカソのゲルニカが展示されているソフィア王妃芸術センターも今回は割愛となった、何時の日か再訪できる事が叶うか?! 観光最終日を日没とともに・・・・ コード・ヤード・マドリド・プリンセサ(泊) 【日 程】:2017年10月03日 【行 程】:🚌移動《マドリッド空港へ》→→→IB-6801便にて帰国の途へ。 10月04日:成田空港解散 |
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| ✈2013/06/24 ~ 06/30 バンコク滞在・ 6/27 ~ 6/28 カンボジア・アンコールワット・アンコールトム観光 世界遺産:アンコール遺跡を訪ねる |
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| シエムリアップ | アンコール・トム | アンコールワット | プリアカン | ニャクポアン |
| 東メボン | シエムリアップ | |||
| 2013/06/27-28 カンボジア・シエムレアップ空港 |
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| 2016/06/27 アンコール・トム (Angkor Thom) | ||||
| アンコール・トム (Angkor Thom) 南大門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌(古代インドの大叙事詩にあらわれるヒンドゥー教の天地創世神話)を模したナーガ(蛇神)になっている。南大門へと続く陸橋の両側には、神々と阿修羅がナーガの胴体を引き合う像(54体ずつ計108体がある。 |
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| アンコール・ワット(Angkor Wat) |
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| アンコール・ワット( Angkor Wat) ヴィシュヌはヒンズー教の三大最高神(ブラフマー 神・ヴィシュヌ神・シヴァ神)の一つ 回廊内は、レリーフで飾られている。 古代インドの叙事詩 「マハーバーラタ」 「ラーマーヤナ」 「クメール軍の行進」 「天国と地獄」 |
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| アンコール・ワット( Angkor Wat)・プリアカン(Preah Khan Temple Angkor) | ||||
| プリアカン(Preah Khan Temple Angkor) | ||||
| プリアカン(Preah Khan Temple Angkor)・ニャック・ポアン(Neak Pean)・東メボン(East Mebon) | ||||
| 東メボン(East Mebon) | ||||
| シエムリアップ(Siem Reap)・(Ta Prohm ) | ||||
| カンボジア王国:【世界遺産;アンコールワット:Angkor Wat】を尋ねました。 カンボジアは東南アジアにあって、タイ・ラオス・ベトナムに囲まれています、首都はプノンペン(Phnom Penh) 世界最大級の宗教建築で、クメール王朝時代(9~15世紀:クメール王朝が繁栄(アンコール文明)に建てられた壮大な寺院は世界遺産に指定されている。 シェムレアップはこれらの見学に入国するには便利な空港が有ります。 何時の頃からか、頭の片隅で気になっていた、それもかなり長い時間。 ようやくそれが実現して駆け足ながら世界遺産アンコールワット、トムと周辺の遺跡を見学できました。 思い返せば、初めてバンコクに仕事で赴いた時、1982年秋には、ベトナム、カンボジアの上空を通過することが出来ずオオムの クチバシを南に回りこんでタイランド湾から旧バンコク国際空港に着陸したように記憶している。 現在の航路より2,3時間余計に かかっていたことになる、 ベトナム・カンボジアが長年の政情不安で上空を通過できなかったからであろう。 平和裡に復興しつつある両国を横断する形で 往来の空路が維持されていることに改めて”平和の恩恵”を感じる。 かつては「仏領インドシナ」・・・学生時代の地図 断片的に記 憶しているキーワードには プノンペン、シアヌーク殿下、クメール・ルージュ、ポルポト、コンポンチャム、バッタンバン、アランヤプラ テート、トーンレサップ湖・・・・ ベトナム、サイゴン(現ホーチミン) 南北分断の内戦、トンキン湾、テト攻勢、ディエンビエンフー・・・・ 現地特派員某新聞ジャーナリストの書いた本を興味深く読んだ事を思い起こします。 それらとは別の長い歴史に、12世紀頃から栄えたと言われる一帯の遺跡群、ヒンズー教、仏教の影響 1632年には日本人も訪れていた(森本右近太夫一房)記録もあるそうです。 長年放置され自然の驚異にさらされて自然崩壊に加え、 1970年代のカンボジア内戦による破壊で大きな痛手をうけながら 今尚、”地雷”の災禍かに巻き込まれる人々が耐えないことも心を痛める。 カンボジア国内でもこの遺産の周辺は比較的恵まれた環境になりつつあるのかもしれないが、 その他の地域では、”地雷”の 恐怖に怯え、日々の生活向上も遅々として進展していないとも聞く。 1992年に世界遺産に登録され、1993年にはアンコール・ワットの祠堂を描いた国旗が制定され、 現在は世界の人々から憧れ・訪問したい地域の4,5番に選ばれる遺跡は、やはり、訪問する人々に何かを感じさせる魅力を秘め ているのだろう! 夕焼けに沈むジャングルの遠景に、 朝日の昇る遺跡群の静かな輝きに、 灼熱の太陽の下に佇む巨大な石像 建造物に 遠い遠い歴史に思いを馳せながら眺める時間・・・・ 日々の日常の世界とはリズムを変えてゆったりと流れる時の中で 観賞したいものだ! 石の壁に彫られたインドの叙事詩、数々の説話の光景 矢張り、現場に立ち、その場の空気・臭い・太陽・気候の変化とともに変 わる 光景を見ながら・・・・・・、 旅に出ないと獲得できない醍醐味だと思う。 アンコールワット、アンコール・トムについて次の著書に詳しいので引用させていただきます。 ; 「アンコールワット 戦火に耐えた遺跡」・・・・・近藤紘一著「目撃者 近藤紘一全軌跡1971~1986」より引用 世界七番目の不思議、クメール民族興亡の軌跡を示唆するナゾの遺跡。 第一期の盛時(十世紀)には十三平方キロにわたって広がっていた大都城で、住民十万人を数えたそうだ。 案内人によると「赤いクメール」は1970年早々から、ここに司令部を置いていたという。 遺跡は観音菩薩の巨石四面像の有名なバイヨンの神殿を”本体”に一辺が三キロの正方形の城壁の中にある。ジャングルに埋も れていた遺跡は十九世紀なかば(当時、一帯はシャム領)、フランス人によって世界に紹介された。踏査に乗り込んだ仏海軍少尉 、ドラボルトは高さ五十メートルの中央塔を取りまいて林立する奇怪な四面像の迫力に圧倒され「おそらく、これはクメール族が残 したすべての建物のうち、もっとも奇異なものであろう」(「アンコール踏査行」三宅一郎訳)と記している。ついで彼は、計五十四 の四面像がまだ金泥に覆われていた建立当時を想像、夢中になるのだが、彼が訪れたとき、遺跡の荒廃は既に甚だしかった。 自 然破壊、密林の侵食、そして何よりもシャム軍による略奪・・・・・・。 「建物の周辺、内部塔、腰石など石材の破片や丸天井の崩壊物、その他あらゆる種類の断片で埋まり・・・・・・、頭上のものはとも かく眼下のものは決定的に破壊している」(同) 実際にトムを見て、こうした描写は正確であり、また一部誇張されているように思えた。内戦以降、今日に至るまでトムの保存作業 は放置されているが、境内はそれ以前にフランスの考古学者らによって、かなり整理されていた。ついでに彼らは内部の仏像、彫 刻など値打ものの多くを失敬してパリのギメ博物館(東洋博物館)に運び込んでいたのである。 ※中略 たしかに、トムはワットに比べると荒廃ぶりが激しい。四面像にしても、多くは顔の見分けもつかぬ、ただの尖った岩山と化している 。何体かは分厚いくちびるをした巨大な菩薩面が歴史に凍りついたような微笑みをたたえて健在だがその顔面には建材の継ぎ目 が縦横に刻み込まれ、既に美と神秘の効果は甚だしく損なわれている。複雑、かつ精密を極めた遺跡内を歩きながら、権力の誇 示にとりつかれて、国の疲弊、没落も顧みず、この途方もない大都城の建造に打ち込み続けたクメールの王の”執念”に不気味さ すら覚えた。 アンコールとは「首都」を意味するサンスクリット(梵語)がカンボジア語になまったものだそうだ。 一部では遺跡群が散在するこの一帯を「アンコール平野」と地名化している。 クメールの王がこの地を都城と定めたのは十世紀のこと。 以来、この地は”輝ける世紀”である十二世紀の繁栄を頂点に五世紀半にわたってカンボジアの首都となる。 王たちはいずれも精密、複雑な様式の巨大な石造建築物を造営するマニアであったらしい。 バッタンバン州にある、遺跡数は約二百七十にのぼる。最も有名なアンコールワットの寺院は宿敵チャンバ(ベトナム沿岸からイン ドシナ半島南部に隆盛していた帝国)を制圧したスリヤバルマン二世(1113~1145年頃)によって建立された。シバ教、ビシュヌ教 、仏教が混交した宗教建造物を中心とした王の城であり、臣下や人民が居住する城壁都市である。その規模は約二平方キロ。 建材にはインドシナ特有のラテライトや硬質の巨石が使用されている。現在は暗灰色の材質がむき出しだが、建立時には伽藍の 多くは金泥で覆われ、無数のレリーフ(壁の浮き彫り)美しく彩られていたらしい(レリーフは部分的にまだ色彩が残っている)。 アンコール期を通じ、クメール帝国とチャンバ帝国の攻防は一進一退を続け、激烈を極めた。一般にビルマ、シャム(タイ)を含めた インドシナ諸王の戦いがいまようにいえばジェノサイド(全員虐殺)に近い規模で繰り広げられたことは、時代はずっと下がるが、ビ ルマ軍に徹底的に破壊されたシャムのアユタヤ王朝の廃墟を見れば、おおよその見当がつく。 十六、七世紀にインドシナにまぎれ込んだポルトガルの船乗りの記録に「勝者の王は許しを乞う敗者の王とその妃をたっぷり時間 をかけて鞭打ちで殺し、貴族は全員を串刺しにして炎天下にさらし、捕虜、住民の幼児を切り刻み、飼いばに混ぜて軍象に食わせ ・・・・・・」と有る。 巨大建造物の造営には奴隷となった敗軍の兵士や住民らが使役された。ワットにしろトムにしろ共通していることは、莫大な国富 と人命を注ぎ込んでこれらを建立したあおりで、王朝自身も消耗し、没落していったことだ。加えて、新興シャム帝国の間断ない攻 撃にさらされ、一四三四年、クメールの王はプノンペン方面に敗走する。 十七世紀前半、日本の貿易商、天竺徳兵衛がアンコールに詣で「祇園精舎」と思ったという逸話があるが、当時、一帯は既に遺跡 化への道を歩んでいたのだろう。 アンコールワットは真西を正面に建てられている。夕映えの効果をねらってか、午後も遅くなって現場を案内された。境内に入り、 前庭に広がる巨大な人造湖の橋上から遺跡を一見しての印象はーーー。 「アンコールワット健在なり」だった。 ※中略 写真でなじみの端整に配置された五塔を持つ寺院の内部には建立時、六千体の仏像があったという。それが現在は百数十体、う ち、首と五体が満足に残っているのはわずかに三十七体だそうだ。多くは二百年、三百年の歳月の間に持ち去られたり、破損した りした。 内戦中、ここに陣取っていた「赤いクメール」(ポル・ポト政権)の兵士らもおびただしい数の仏像を前庭の河に投げ捨てた。 私がアンコールを訪れたのは今回が初めてだ。その保存度にせよ、あるいは逆に傷み具合にせよ、それらを測定する基準を持 ち合わせていない。ただ、専門的にはよくわからないが、境内を一巡したところでは建造物自体の破損度は軽微だ、との印象を受 けた。 寺院、仏像の破壊は宗教とうたを図るポル・ポト氏の政策であった。しかし、ワットの建物自体はクメール民族の優秀さの象徴とみ なしていたようである。 ガイドに頼み、とくに内戦以降およびヘン・サムリン政権樹立後に破損したり彫刻を持ち去られたところを案内してもらった。本殿 を取り巻き、層を異にする三重の回廊がある。全長一キロの回廊の壁には戦闘、宗教儀式、往時の日常生活のさまを伝える精巧 な浮き彫りが施され、そこに描かれた人物はおそらく万余にのぼる。 かねて耳にしていた通り、第一回廊東側の破損が最も目についた。内戦中、シェムリアプの町に布陣していたロン・ノル軍からの 銃砲撃による破損だという。だが、そげ落ちた部分はそれほど広範囲ではない。むしろ、それよりやや離れたところに描かれた「天 国と地獄」絵図に衝撃を受け、私は足をとめた。 人々の長い行列が、牛に乗ったシバ神の裁きを受けて二つに分かれる。一方は天国に上り、他方は地獄に落ちていく。地獄に 落ちたものは逆さづりにされ、刀や棒で打ちすえられ、野獣に投げ与えられ・・・・・・。地獄だから当然の光景だが、私が目を見張っ たのは、この地獄絵図とプノンペン郊外の元トルスレン刑務所に陳列されている「赤いクメール」による囚人らの拷問光景の酷似 ぶりだった。 後手に縛られた裸の受刑者を獄吏たちが横抱えにして処刑場あるいは仕置き台に運んでいく。 その縛り方、抱え方、拷問器具、獄吏らの陰惨な喜びの表情、どれをとってみてもトルスレンの再現である。遺跡にこもった「赤 いクメール」の兵士らは、この浮き彫りを毎日眺めながら「敵」への復しゅうの方法を学んだのか。とてつもない権力を象徴する諸 塔を改めて仰いだ私の頭の隅に「先祖がえり」という言葉が浮かんで消えた。 ヘン・サムリン政権登場後のアンコールワットの破損ぶりについては、これまで様々な風評を聞いた。 ベトナム軍による破壊や略奪、難民による仏像、彫刻の持ち出し。 これらの、”盗品”はタイ側の難民キャンプで待ち受ける古美術商の手をへて欧米に流出していくとか。実際にバンコクの古美術 商で、それとおぼしき品を扱うものがいないわけではない。 しかし、ワットから古美術の流出が大量かつ継続的に行われている形跡は見当たらなかった。 数世紀にわたって放置されていた遺跡には、難民達が行きがけの駄賃に持ち出せるような”小物”はほとんど残っていない。 ガイドは「兵士らが面白半分に撃ってレリーフを傷つけた」と嘆いた。たしかに、第二回廊のアプサラ(往時の神殿の踊り子。 上半身裸で腰には優雅な帯をたらした衣をまとっている)のレリーフ四、五体の胸の隆起や腕の一部が欠けていた。弾痕から見て 明らかに最近の破壊だ。 境内を守っているのは、主としてベトナム軍だから、どうやら彼らの仕業らしい、しかし、ヘン・サムリン当局は国策としてベトナム に対する批判をいっさい禁じており、ガイドも“犯人”の断定を慎重に避けた。 私個人の目には、これらの新破損は全体から見れば微々たるものに見えた。境内のレリーフには万余の人物像が描かれている 。ベトナム兵が退屈しのぎに数人の裸女の胸を狙ったとしても、 その被害は”九牛の一毛”ていどである。 発熱と下痢腹をかかえて第三回廊への階段を四つんばいではい上がる羽目になった。そう高くはないが完全に人間工学を無視 した険阻な石段である。わきには手すりが取り付けられており、普通なら歩いて登れるようになっている。「かつては王だけが、れ ん台に乗って階段を上り下りした。臣下はあんたのように四つんばいだった」とガイドに冷やかされた。”臣下”の屈辱を味わった恨 みを返すつもりはないが、私のアンコール観はかなり冷淡だ。境内を歩きながら頭に去来しつづけたのは、クメールの王たちを巨 大な建築にかりたてた”人間の欲望”に対する不気味さであり、ばからしさであり、そしてある種のいじらしさである。 たまたま、遺跡内で保存修理の下調査に訪れたインド考古学者のグループに出会った。そのうちの一人、グプタ博士は破損が最 も目立つ第一回廊東側の部分について修理の必要を認めるとともに、そこだけで百万ドル単位のカネがかかるのではないか、と 言った。 「しかし、全体として建物はしっかりしている。それにアンコールはもともと何百年にわたって盗人たちの宝の山だった。それにくら べたら、最近のコソ泥や破損の害はものの数ではない」 グプタ博士も最近、一部に伝えられるアンコール危機説をあっさり否定した。 シェムリアプ町内の荒れ果てた「アンコール保存館」の床は、どうやら命ながらえた仏像やその断片で一杯だった。一部は「赤い クメール」(ポル・ポト政権)の兵士らが池に投げ込んだのを拾い集めたものだと言う。ポト政権下での重労働を生き延びた少壮の 考古学者、ぺク・ケオ館長がほこりだらけの古巣にやっと戻り、ザラ紙を使って一人で保存計画の作成に取り組んでいる。 「アンコールは私の生命です。でも、今は何もない。人手、機械はおろか復元図を書く文房具すらないのです」 遺跡そのものに対する個人的思いはともかく、彼のひたむきな生き方に敬意を表し、私は少なからぬ額の紙幣を館内の募金箱 に押し込んだ。(サンケイ新聞 82.4.14~21)ーーー以上引用 |
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| ✈ 2009/10/08 ~ 2009/10/16 美しき中欧の古都めぐり・ヘルシンキ経由チェコ・プラハ・オーストリア・ハンガリー |
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| アプローチ | プラハ | チェスキー・クルムロフ | ハルシュタット | ザルツブルグ |
| ウイーン | ハンガリー | センテンドレ・エステルゴム | ブタペスト | |
| アプローチ | ||||
| アプローチ 2009/10/08(木)成田発10:55発フインランド航空AY0072便にてヘルシンキに向かいました。 ヘルシンキ到着15:15乗換16:45発フインランド航空AY6881便にてチェコ・プラハに向かい18:00到着。 パノラマ・プラハ・ホテル連泊。 |
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| 2009/10/09 チェコ共和国の首都:プラハ滞在 | ||||
| 自分には”チェコスロバキア共和国”としての記憶であった、が1989年にビロード革命と言われる平和的な形で、チェコとスロバキア共和 国としてそれぞれに分離独立したそうです。(ビロード離婚と言われているようです。こちらの首都はブラチスラヴァとなっている。 【チェコ・プラハ】;世界遺産・プラハ歴史地区 プラハは狭い石畳の通りにさまざまな時代の建物が立ち並び、長い年月を重ねてきた教会や広場がそこかしこに佇んでいました。 プラハ市内を悠々と流れるヴルタヴァ川(ドイツ名モルダウ川)、カレル橋、プラハ城からは赤屋根の間に塔が林立し、”百塔の町”とも言われ る。ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、アールヌーヴォーなど中世以来のあらゆる建築様式を見ることが出来る。 チェコが誇る大作曲家、「スメタナ」の【わが祖国】スメタナと並びチェコを代表する作曲家「ドボルジャーク」(ドボルザーク)。 モーツアルトも交響曲第38番「プラハ」。 小説「プラハの春」に描かれたチェコ・プラハとしても興味深い。 東京オリンピックの時女子体操の華といわれたベラ・チャスラフスカさんの頃は旧体制下で、その後「プラハの春」を経て新しい体制になり明 るさを取り戻した現在は世界中から観光客が集う美しい町となっている。 パノラマ・プラハ・ホテル連泊 |
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| 2009/10/10 チェスキー・クルムロフ | ||||
| チェスキー・クルムロフ 10/10 プラハからバスでチェコ共和国の西南端(約3時間)の”チェスキー・クルムロフ歴史地区”(世界遺産)観光に向か入ました。 大きく屈曲して流れるヴルタヴァ川に囲まれた古い町並み、町の外にはボヘミアの豊かな大地の広がり、旧市街には石畳の細い路地が 入り組んで中世そのままの雰囲気が残っていた。 街のシンボルチェスキークルムロフ城、聖ヴィート(ヴィトゥス)教会など中世の街並みが色濃く残り美しい旧市街を歩きました。 画家エゴン・シーレがこの街を愛し滞在していたと。 ザルツブルクへ約4時間 アレーナ・シティーホテル泊 |
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| 2009/10/11 ハルシュタット | ||||
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| 【オーストリア・ハルシュタット】世界遺産;ハルシュタット・ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観 ザルツブルクの南東部、美しい山と湖のオーケストラを代表する景勝地。 ハルシュタットは世界最古の塩坑であり、なんと現在も操業中だそうです。 標高500〜800メートルの高地で、大小数多くの湖水が点在し、背後には2000メートル級の高山が連なります。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞 台として世界に知られているそうです。 |
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| 2009/10/11【ザルツブルグ】 | ||||
| 【ザルツブルグ】世界遺産;ザルツブルグ市街の歴史地区 塩の貿易で古来より栄えてきたザルツブルグは、アルプスの山々を背景にザルツァッハ川が流れる美しい町。 彼の高名な音楽家“ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト”の生まれ故郷でもある。 指揮者“ヘルベルト・フォン・カラヤン”の生誕地でもありました。音楽を愛する世界の人々にとっていわば巡礼地になっているそうです。 ミュージカル・サウンド・オブ・ミュージック(ドレミの歌)の舞台としても有名なゆかりの庭園などなど。 音楽に縁の深~いオーストリアの地方都市 ウイーンへ バス約4時間 ヒルトン・ウイーン・ダニューブ泊 |
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| 2009/10/12 オーストリア・ウイーン | ||||
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| オーストリア・ウイーン 【世界遺産;ウイーン市街】 神聖ローマ帝国の皇帝として中央ヨーロッパを統べたハプスブルグ家のお膝元、数々の芸術家を輩出してきた芸術の都、 ウイーンでは、絵画、音楽、建築の傑作を見ることができる。 この日は午前中雨模様だったがバスで移動しながら、シェーンブルン宮殿(ハプスブルグ家の豪華絢爛たる世界遺産) を見て回った。 車内から見る国立オペラ座、市庁舎などの建築物など。 美術館でオーストリア出身の世界的グスタフ・クリムト ヒルトン・ウイーン・ダニューブ連泊 |
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| 2009/10/13 センテンドレ・エステルゴム | ||||
| センテンドレ・エステルゴム ドナウ川はブダペストの北側で、その流れを南へと変える。この曲がり角は”ドナウベント”と呼ばれる。 エステルゴムはハンガリーの初代国王イシュトバーン1世が応急と大聖堂を築いた古都。 ドナウ川と支流の機種ドナウの合流点にある町。 大きなドームが印象的な大聖堂はハンガリー・カトリックの総本山だそうです。 ドナウの曲がり角の街ヴィシェグラードでは展望スポットより美しいドナウ川の眺望を楽しみました。 バスでハンガリー・ブダペストへ。(約1時間) ラマダ・ブダペスト泊 |
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| 2009/10/13-15 ハンガリー・ブタペスト | ||||
| 【ハンガリー・ブダペスト】 世界遺産 "ドナウのバラ"、"ドナウの真珠"とブダペストを形容するほめ言葉があるそうだ。センテンドレからブダペストに入っていくとドナウ川の 対岸に「国会議事堂」の壮麗な姿が目に入る。 ドナウ川は「10ヶ国」を通過する国際河川で、全長は約2,850kmに及ぶそうです。 上流域:源流はドイツのシュヴァルツヴァル、オーストリのウイーンを流れ、中流はスロヴァキア(ブラチスラヴァ)、ハンガリー(ブダペスト )を通過、下流域はセルビア(ベオグラード)、ルーマニア、ブルガリア、ウクライナを最終的に黒海に注ぎ込んでいるそうだ。ハンガリーでは ドナウの町の中央を挟んで西側、王宮の丘があるブダ側、東側は平坦な町並みに国会議事堂、聖イシュトヴァ-ン大聖堂、ブダペスト隋一の繁 華街ヴァーツィー通りなど。 ラマダ・ブダベスト連泊 10/15 フインランド航空(AY0754)便でヘルシンキ経由(AY0073)便で帰国の途へ。 |
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| ✈2009/01/30 ~ 02/07 アフリカ・ケニア・タンザニア・キリマンジャロ登山 | ||||
| 東京―ドバイーナイロビ | アル-シャ | マンダラハット | ホロンボハット | キボハット |
| キリマンジャロ | キボハット | アル-シャ | ナイロビードバイ―東京 | |
| 2009/01/30 ケニア~タンザニア・アル-シャへ | ||||
| アフリカ・ケニア・タンザニア・アル-シャへ 1月30日(金) 19:50羽田発 関西空港へ 21:10関西空港着 KTさんと合流 23:15 エミレイツ航空でドバイへ向かう |
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| 2009/01/31 登山口マラングゲート~マンダラ・ハットへ | ||||
| マラングゲート~マンダラハットへ 1月31日(土) 5:55 ドバイ着 4時間の待ち合わせ。 免税店を眺めながら時間を過ごす。 いよいよ、アラビア半島を横断してアフリカの大地への一歩、 ケニア共和国の首都ナイロビへ向かう 14:55 ナイロビ着 荷物の引き取りに時間がかかる。 16:00 マイクロ・バスでアルーシャに向かう【A104ルート=ナイロビ-マナンガ・ルートを南進】 皆の荷物はマイクロバスのルーフ上に積み込み、空港を出ると間もなく”ナイロビ国立公園” に沿って走り、土ほこりが巻き上がる道、沿道には珍しい光景が繰り広げられる、 ・バス停?に佇むカラフルな服装の人々、 ・道沿いに歩いて移動、自転車に乗って何処かへ ・炎天下を厭わず立ち話の光景、 ・アカシアやリュウゼツランの光景・・・・・興味津々でカメラを構える。 シマウマが群れ、キリンなどがゆったりと餌を食む光景が広がっていた。 パラダイスギャラリーでトイレ休憩 アテイ・リバー ー ナマンガ・ロード、国境まで数キロ地点 19:05 国境のナマンガでケニアから出国とタンザニアへの入国手続きをする ナイロビ空港からおおよそ180kmくらいだろうか 手続きは電子化されているのか、カメラ付きPCで顔認証も順調に終わる。 更に、南下してキリマンジャロの南に位置するメルー山(3,660m)を西から回り込む ように東側に差し掛かった所にアルーシャ(Arusha)の町がありました。 走っているマイクロバスのボディに”千葉県の高等学校”の名前が書かれたままの車が見た 中古の輸入車をそのまま使われている。 21:30 アルーシャのホテル「イルボル・サファリ・ロッジ」着 夕食後荷物整理、就寝 「ILBORU Safari Lodge は三ツ星ホテル、上を鉄条網が這うコンクリート塀に囲まれて セキュリティが高く更に、正面本館の奥にアフリカ情緒を漂わせる木々とコテージを配した 佇まいであった。 与えられたコテージ内には上から蚊帳が吊るされたベッド他住環境が整備されていた。 案の定天井付近の壁に”ヤモリ”が遊んでいた。 |
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| 2009/02/01 マンダラ・ハットへ | ||||
| 2009/02/01 マンダラ・ハットへ 2月 1日(日) 6:00 朝食 バイキング ゲストラウンジ付近には絵画等アフリカンの物が並べられていて、 中でも”ティンガティンガ・アート”の絵画に興味がひかれましたね。 7:38 登山口の マラングゲートに向けて出発 バナナ畑が多く、舗装道路が続く 途中、MACHAMEルートへの分岐の町で今後お世話になるガイドのグループと合流して、 荷物を積み込み車内で 新たなメンバーの紹介を受けて再出発・登山リーダー、クッキングリーダー等々 8:55 登山ガイドのラムソンさんたちが乗車。 目指すキリマンジャロが見えました。 交差点にさしかかった付近を正装?で着飾った人々が通るのを見て、 彼らは日曜日で教会に行くのだと、 登山リーダーのMr.ラムソンが案内してくれながら、 日本人は教会に行くか?と質問を投げかけてきて、 誰とはなしに日本では神教や仏教だと話すも判らない様子だった。 「Moshi Urban Roundabauto = モシ・ロータリー交差点」 道路は、A104から分かれてA23を東進して行く、途中”HIMO”と言う集落で分かれて、 このあたりだったかな?クッキング・リーダーが行動食用に肉を仕入れると言うのでついていくと、 こじんまりしたお店で、量り売りの台秤が有って 捌いたばかりの皮付・生肉を用意してくれていて バケツに入れて計っていました。 10:40 マラングゲート到着 【Kilimanjaro Marangu Gate National Park Office =1,883m】 登山管理事務所は機銃を装備する兵士に守られてものものしい雰囲気ではあるが・・・・ とても高いユーカリの木が立ち並ぶ林を背景に駐車場が広がり、キリマンジャロにまつわる紹介や、 初登頂者のハンス・メイヤーの説明だとか、登山者への注意書き等々の説明碑が並んで建てられ、 国が力を入れているのを感じる佇までいであった。 10:55 数段の階段を上がった所に三角屋根の登山管理センターで入山手続きをガイド・ポーター34名も 雨具の有無や荷物の重量などのチェックを受ける。 12:40 マンダラハットに向けて出発 雨が降り出し傘をさす。 13:25 昼食 ガイドの運んでくれたランチボックスが配られる。 13:45 出発 16:50 マンダラハット到着の頃には雨も上がり空も開けてきました。 山荘の前の芝生の上に珍しい烏が餌を啄ばんでいて、エリマキカラスと言うそうで、 首の周りに白い襟巻を巻いているような体色で大きさは日本で見られるハシブトカラスと 同じくらいだった。 クッキング・ハウスが有って担当のメンバーたちが夕食の準備の光景を見せてくれました。 19:00 夕食 終了後就寝 |
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| 2009/02/02 ホロンボ・ハットへ | ||||
| 2009/02/02 ホロンボ・ハットへ 2月 2日(月) 5:00 起床 7:00 朝食 8:10 山荘前の広場に全員集合し ガイド達が歌うキリマンジャロ讃歌に励まされ出発 8:40 クレーター到着 10万年前の爆発により出来たといわれる火口MAUNDI CRATER RIMを 回りながら高度順応、体を慣らしていく工夫をしてくれました。 9:05 クレーター分岐に戻る 10:15 サバンナを行く 11:45 ムシュポイント 13:20 ランチポイント 昼食 ベンチとトイレがある 食前、食後にパルスオキシメーターで酸素量を測る 13:55 出発 16:10 ホロンボハット到着 3,780m 18:00 夕食 終了後荷物整理をして就寝 |
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| 2009/02/03 キボハットへ | ||||
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| 2009/02/03 キボ・ハットへ 2月 3日(火) 5:00 起床 6:10 ご来光を見るために外に出る 6:32 太陽が昇りキリマンジャロが赤く染まる 7:10 朝食 8:10 キリマンジャロ讃歌を歌いローワー・ルートを行く 8:55 休憩 雪のついたマウエンジー峰を望む ゼブラロックが見える 9:05 出発 9:40 標高4,000m到達、初めて標高4000m超えです、キボ峰南ルート分岐 10:55 ラスト・ウォーター・ポイントを通過 11:30 マウエンジ・リッジ 合流点 11:50 休憩 4,350m 12:45 昼食 サドル地帯 雹がちらつく キリマンジャロの山頂がうっすら白くなる 温かいスープが冷えた体に沁みる様に美味しい。 13:35 出発 昼食を終えて更に高度を上げながら前進していると、はるか前方から砂煙を上げながら キボハット付近ではこの様に一輪車による救急搬送、頂上付近になるとヘリコプターの出 動要請となりしかも、飛行許可の下りる午前十二時くらいまでが出動要請可能時間だそうで、 我々としては何とかして 全員が目標達成できるように明日の登頂成功を祈りました。 ※我々が登頂の前日に出会った”救急搬送”の光景、酸欠による高山病で行動不能に陥ったと想像される。要注意! 14:45 休憩 4,500m キリマンジャロ讃歌の3番を習う、歌うことで不足がちな酸素摂取量不足を 補う配慮 15:00 出発 16:15 キボハット到着 4,700m 17:55 ティータイム 18:10 夕食、私は食用増進を期待してパック入りのキムチを持っていきましたが、とても効果を発揮 他のメンバーにも勧めるとたちまち売り切れ状態となりました、良かった! トイレは山荘の外の裏側崖っぷちの上にありとても寒さを感じながら用を足しに出かけました。 食後直ちに就寝 、明日の超早朝(深夜1:30)の起床に備える。 |
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| 2009/02/04 キリマンジャロ山・アタック | ||||
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| キリマンジャロ山沿革 世界遺産 Mt.Kilimanjaro (5,895m) キリマンジャロはアフリカ大陸の最高峰です。 南緯2°50”-3°10”、 経度37°10”-37°40”、 赤道の南330km、タンザニアとケニアの国境にあり、二つの休火山(キボ峰 5,895mとマウエンジ峰 5,149m)と 一つの死火山(シラ峰3,962m)から成っています。 平均標高1,000mの起伏する平野に囲まれた独立峰では世界で最も高い山の一つ。 1973年にキリマンジャロ国立公園に指定、 1977に観光旅行のために公式にオープン、 1987にユネスコにより世界遺産に登録。 ※「サミュエル・テレキ記念プレート」 (4,240m) =ハンガリーの探検家 サミュエル・テレキ・スゼタ伯爵が初めて到達した地点 初登頂は、1889年にドイツ人の”ハンス・マイヤー” 日本人では、1958年に早稲田大学赤道アフリカ遠征隊が登っている。 アメリカの作家ヘミングウエイの『キリマンジャロの雪』(1936)で世界的に著名になった・ 2009/02/04 キリマンジャロ山・アタック 1:30 起床 2:15 朝食 オートミールとクッキー 3:00 出発 夜明け前のキボハットを出発、見上げると満天の星空が広がり、降るような星明りの中、 ヘッドランプで足元を照らしながらジグザグの道を高度を上げていきました。 サミュエル・テレキ記念プレート地点 (4,240m)まで来るとマウエンジ峰に太陽が昇り 陽射しの温もりを感じるようになりましたが、 キボハット(山小屋・4,703m)から標高差1,192mをポレポレ(=ゆっくりゆっくり)の登りに なりましたが、空気もだんだん希薄になり(酸素量が低下)、数歩づつ歩いては息を整え、 深呼吸を繰り返しながらの登山は数人が幻覚さえ覚えるほどの眠気との闘い (疲労の蓄積と高度障害) を強いられました。 6:00 ウイリアムズ・ポイント 5,100m 6:45 メイヤーズ洞窟 休憩 8:10 休憩 9:10 休憩 10:00 休憩 休憩の回数が増えてきます! 大きな岩の上を飛び石の様に乗り越えると 10:40 ギルマンズ・ポイント 5,682m到着 カステラとジュースをもらう 周囲が明るくなってからは大きな岩を次から次と乗り越えながら必死の登行の結果、 9時間40分を費やしての漸くギルマンズポイント到着が午前10時40分でした。 早速みんなで記念の集合写真を撮りました。 ここでの長居は許されない、遅くとも12時から遅くとも13時迄に最高点に到達するよう 当局から指導が入っていること=万が一のヘリコプターによる救助要請が可能時間帯) 10:55 ウフル・ピーク(最高点)に向け出発 リーダーから行ける人はどんどん先を急ぐようにと指示が出て,ガイドと共に先へ先へと、 ガイドからの支持もあっていつの間にか自分が先登を歩いていました、簡単に歩けるもの ではなくガイドからも促されながら先を急ぎました。 頂上火口壁を時計回りに進みましたが、道は凍結しているところも多く油断はできない、 ステラポイントを過ぎると左上方に巨大な氷河が見えてきました、登り勾配も増し脚力に 負荷がどんどん増えてくるし、ガイドからの励まし・急げと促され・リードを受けながら 写真で見覚えのある頂上標識が見えてきた頃には火山灰土の道は平らかになりさらに 力を振り絞っての登行をしばらく歩いて平坦な頂上広場に到着し、後続を待ちました。 誰もいないキリマンジャロ山頂(ウフルピーク=5,895m)は申し分ない良く晴れた天候で穏やかだった。 気温マイナス20度 頂上標識にタッチして周囲を360度眺めまわしました。 ”ついに来た !・ヤッタ~ !!・感動 !!!”の瞬間です。 赤道下でありながら山頂西側にはおおそ30mあろうかと思われる高さの氷の山(氷河)が見られました、 東方面を眺めると大きな火口原、そして先ほど登ってきたギルマンズポイントからの道のりが望めます。 上空を眺めると雲一つない青空が広がっていました。 そこからウフルピークまでの2時間が一番過酷なアタックだったですが、好天に恵まれ、 風も穏やかな山頂からは真っ青くそして白く輝く山頂氷河がみんなを祝福してくれました。 12:40 ウフル・ピーク 5,895m アフリカ大陸最高点キリマンジャロ山頂に到達 13:20 全員で集合写真を撮り下山開始 これまで登ってきたルートの逆回り、山頂部火口原を左に見ながら反時計回りに凍てつく火口壁い沿って下った。 14:25 ギリマンズ・ポイント着 登りに苦しんだ道も下りは楽々とさせてくれない、疲労の蓄積、水分の補給には気を付けて いるつもり以上に、乾燥が激しい?!持ってきた水も残り少なくなってきて足元にきたようで、 最後の最後は歩くのにやっとと言う 感じでTIさんが後ろから腕を支えてくださった、 仲間は?と見てみるとガイドに両脇から吊るされるようにして下山をしてくるメンバーを見て、 やはりみんな疲れたのだ。 15:45 キボ・ハットに無事下山 持参した水も悪なり最後の砂利道の下りは足元がしっかりせずふらつく状態で漸く下山を終えました。 待機していたガイドたちが労いの飲み物を用意して持ってきてくれました、一気に飲み干し人心地を ガイドにみんなのサポートに感謝! 一般的なルート設定では、下山時”キボ・ハット”での宿泊予定はなく”マンダラ・ハット”迄行 くことになっているところを、我々メンバーの体力からの配慮で一泊追加の配慮をしてくれて助かりました。 部屋に入ると昨夜のベッドは片づけられ新たな登山者が入っていて(登山者優先?)下山中 の我々は別の場所に移動となっていました。 18:00 夕食 キボ・ハット 疲労と寒さで?食欲が低下するのか、私は密閉した”キムチ”を秘かに持ってきていて、 みんなに披露すると大変好評だった。 ※トイレは外で、小屋を出て裏側の崖っぷちの方まで行かなければならなくて大変寒い思いをしました。 ※これまで持参していた携行食(おやつ等)をガイドのヒラリーにプレゼントした。 |
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| 2009/02/05 キリマンジャロ山下山へ | ||||
| 2009/02/05 キリマンジャロ山下山~アル-シャへ 2月5日(木) 3:00 起床 4:30 荷造りをしてガイドに預ける 5:00 出発 6:15 夜が明け始める 6:30 ラスト・ウォーター・ポイント通過 7:15 ホロンボ・ハット到着 8:20 朝食 8:30 出発 11:45 カメレオンの出現 ガイドのグッドラックが藪の中(ブッシュ)にいた”カメレオン”見つけて教えてくれた。 12:00 マンダラハット到着 昼食 野菜スープ、パイナップル、スイカなど 12:30 出発 14:45 マラングゲート到着 全員で記念写真 事務所で登頂記録台帳に記帳 15:30 出発 アルーシャへバスで移動 16:30 モシの町でガイドと交流会をする キリマンジャロ・ビールで乾杯 登頂証明書をもらう 19:30 アルーシャのホテル着 21:00 夕食 ホテルの方(純白のドレスが印象的な四人?)が「キリマンジャロ讃歌」を合唱して お祝いをしてくれる 23:00 荷物整理後就寝 |
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| 2009/02/06 アル-シャから帰国路 | ||||
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| 2009/02/06 アル-シャから帰国路 2月 6日(金) 6:00 朝食 バイキング 6:50 荷物をロビーに出し出発準備 7:26 ホテルを出発 ほこりだらけの道をナイロビに向かう 9:33 ナマンガ国境 タンザニア出国、ケニヤへの入国手続きをする 9:58 パラダイス・ギャラリーで買い物とトイレ休憩 10:20 出発 車中でランチボックスの昼食をとる 13:30 ナイロビ空港着 ドウドウ・ワールドのSさんにお会いする。 16:40 ナイロビ発 エミレーツ航空でドバイに向け出発 21:25 ドバイ着 2月 7日(土) 2:50 ドバイ発 エミレーツ航空で一路関西空港へ 17:00 関西空港着 荷物を引き取りJALの手続き 19:15 関西空港発 20:30 羽田空港着 解散 (空港バスで帰宅) |
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| キリマンジャロ登山 期 日 2009年01月30日(金)~2月07日(土) メンバー MY,TI,YS,TK,SO,IK,KW,YT,HS,IS,YT,SN,KT,TM ガイド・ポーター・シェフ・コック=34名 キリマンジャロ山行 振り返って、 山の会の参加者13名は、 2009年2月4日12時40分、キリマンジャロ山最高峰 ウフルピーク(5,895m)に全員が揃って登頂し、 ウフルピークの標識の前で揃って集合写真を撮ることが出来ました。 1/30~1/31 羽田~関空~ドバイ~ケニア~タンザニア 2/1 マラングゲート(1,550m)~マンダラハット(2,720m) 2/2 マンダラハット~ホロンボハット(3,720m) 2/3 ホロンボハット~キボハット(4,703m) 2/4 キボハット~ギルマンズポイント(5,682m)~ウフルピーク(5,895m)~ギルマンズポイント~キボハット 2/5 キボハット~ホロンボハット~マンダラハット~マラングゲート 2/6~2/7 タンザニア~ケニア~ドバイ~関空~羽田 山頂までも大変だったが、下りの二日間は段々酸素量が増えることを加味しても2/4の山頂アタックに引き続いての キボハットまでの急斜面の砂走り1,200m下降、2/5のキボハットからマラングゲートまでの3,150mの下りは、 今思っても日本では考えられない下りだったと思うし、時間制限がある中、皆よくがんばったと思う。 まったく予備日のない中での全員登頂、下山は、天候に恵まれ、ガイドに恵まれ、 仲間に恵まれてはじめてなし得た快挙だと強く思う。 |
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| キリマンジャロ(標高5,895m)山行 ※ケニアのナイロビ空港からキリマンジャロ登山口のマランゲートまでは、途中国境を越えるナマンガでの出入国手続き時の休憩を除き、 宿泊先のアル-シャ迄5時間半、更にマランゲート迄3時間のマイクロバスによる旅行、 延々と続く道路を只ひたすら高速で走る間、初めて見る光景に旅の疲れも忘れて車窓からの風景をシャッター優先モードで追いかけました。 |
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| ✈2005/11/17ー25 イタリア・ミラノ・ヴェネチア・フィレンチェ・ピサ・ナポリ・カプリ島・ポンペイ・ローマ |
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| ミラノ | ヴェネチア | フィレンチェ | ピサ | ナポリ・カプリ島・ポンペイ |
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| 2005/11/18 ミラノ | ||||
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| 往路;2005/11/18 東京成田空港~ミラノ(マルペンサ)空港へ(アリタリア航空) ミラノ市内観光 イタリアン・ゴシックの代表建築物”ドウオモ”・屋上見学も オペラの殿堂スカラ座 ヴィットリオ・エマヌエーレ二世アーケード スフォルツエスコ城 サンタマリアデレ・グラツイエ教会、レオナルド・ダ・ビンチの傑作『最後の晩餐』を鑑賞しました。 サンタ・マリア・デッレ・グラティエ教会正面・・・最後の晩餐を見るため夜6時過ぎまで待ちました。 サン・カルロ・アル・ラッザレット教会;ユニークな八角形の構造 スター・ビジネス・パレス泊 帰路;2005/11/25 ミラノ(マルペンサ)空港~東京成田空港(日本航空) |
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| 2005/11/19 ヴェネティア | ||||
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| ヴェネチア(ベニス)へは、ミラノからバスで280km、約3時間30分の移動。 サンマルコ広場・サンマルコ寺院 ヴェネチアン・ゴシックのドウカーレ宮殿 ヴェネチアグラス工房 ためいきの橋 名物ゴンドラ遊覧 ボンヴエッキアッティ泊 |
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| 2005/11/20 フィレンチェ | ||||
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| フィレンチェにはバスで、ベニスから262km、約3時間30分 街並みを一望できる”ミケランジェロの広場”は町の東南、小高い丘の上にあった。 中世ルネッサンス美術の宝庫として知られる「ウフィッツ美術館」、数々の名画に圧倒される。 「花の聖母寺」として親しまれている街のシンボル・ドウオモ 洗礼堂 サバティーニで夕食 ジョリーホテル泊 |
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| 2005/11/21 ピサ | ||||
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| 世界遺産・ピサのドウオモ広場 洗礼堂(バッティステロ) ドウオーモ;ピサ・ロマネスク様式の最高傑作と言われているそうです。 斜塔(鐘楼)・ピサのシンボル ピサ観光後場、バスでフィレンチェに移動(96km、1時間30分) ユーロスター・イタリア(イタリアの新幹線2等)にてナポリへ(約3時間30分) ジョリー・ホテル・ナポリ泊 |
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| 2005/11/21-23 ナポリ-カプリ-ポンペイ | ||||
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| 2005/11/21 ナポリ着 ジョリー・ホテル・ナポリ泊 22日は天候の模様で順序を変えて先にカプリ島に向かったは、波高しで”青の洞窟”へは行けずしまいに(残念だった)、 カプリ島上のウンベルト1世広場、ソラ―ロ山の展望台からカプリ島を見下ろす眺めを楽しみ穴カプリの街並みを散策など・・・ カプリ島からナポリに戻り、バスでポンペイ遺跡観光に出かけた。 二月十八日、ナポリにて。 【・・・十七日にボンペイの遺跡を見に行った。・・・・遺跡のいろいろな発掘もおもしろくはあったが、こういう町が土に埋もれていて、 その上が葡萄畑になり、千何百年かの間、人々がその上で何にも気づかずに葡萄を作っていたということが、私にはひどく興味あることに 思えた。 ここはすでに発掘したからその間の関係が明瞭であるが、しかしまだ発掘されないところは、そんなものが埋っていると誰も気づかないところ のことを思うと、妙な気がする。気づかない限りそんなものはないのである。そういう場合には、ボンペイの町の何尺か上で葡萄を作りながら、 地下のそんなものがあるとは全然思っていなかった人と、我々もまた全然同じ立場に立つのである。そういうことがいかに多いだろう。いや、 そういうことのほうが多いのではないか、そんなことを考えながら私はヴェスヴィオの裾野をながめていた。】 ・・・・・・和辻哲郎 著「イタリア古寺巡礼」より |
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| 2005/11/24 ローマ | ||||
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| ① 1870年のイタリア統一の立役者、初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられた記念堂 ② コロッセオ壁面の穴は戦傷の痕ではなく建設および補修時の足場用の木材を挿入するための穴だそうです。 ③ 真実の口・ローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)の外壁、 教会の正面柱廊の奥に飾られている。元々は下水溝のマンホールの蓋であったらしい。海神トリトーネの顔が刻まれている。 手を口に入れると、偽りの心がある者は、手を抜く時にその手首を切り落とされる、手を噛み切られる、 或いは手が抜けなくなるという伝説がある。 映画「ローマの休日」で一躍有名に ④ 2000年生き続ける万神殿「パンテオン」パンテオンという言葉には「万神殿(あらゆる神を祭った神殿)」という意味だそうです。 (PANは「全ての」「全部の」、TEOSは「神」あるいは「神聖なもの」を意味するギリシャ語由来の接頭辞です。)パンテオンの聖堂 ⑤ トレヴィの泉・ローマにある最も巨大なバロック時代の泉。クイリナーレ宮殿の西側、トレビ広場(Piazza di Trevi)にある。 ヴェルジネ水道(ウィルゴ水道、乙女の水道の意)の終端施設としての泉が場所を替えた後、現在地に。 その後、泉はローマの建築家ニッコロ・サルヴィの設計で改造、彼の没後の1762年に完成し。 ポーリ宮殿の壁と一体感を持ったデザインで、中央に水を司るネプトゥヌス(ネプチューン)が立ち、左に豊饒の女神デメテル(ケレス)、 右に健康の女神ヒギエイア(ハイジア)が配置されています。これらはサルヴィの原案でブラッチが制作したものだそうです。 ⑥ 「船の噴水」スペイン広場スペイン階段の下の広場には1627年に制作された「バルカッチャの噴水」があります。 噴水にしてはとても変わった形をしていて、船が沈みかけているように見えるのでバルカッチャという名前になったそう。 これは作者のピエトロ・ベルニーニがテベレ川の氾濫で一艘の船がここまで流されてきたのを見たことからインスピレーションを 得たと言われています。 ⑦ サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を後ろから見たところ。この前に有名なオリベスク(尖塔)が立っている。 ⑧ ミケランジェロ作「ピエタ」キリストの遺体を膝に抱いて悲しむ聖母マリア・嘆きの聖母 ➈ サンピエトロ寺院のクーポラと祭壇 ➉ サン・ピエトロ寺院正面 ホテル・メディテラネオ泊 2005/11/25 ローマ(レオナルドダビンチ空港からミラノ・リナーテ空港でン日本航空便に乗換帰国の途に就いた。 |
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| 1982/10/12 ・・・・・ 2015/06/29 ✈ ビジネス・観光で度々訪れた”タイ” | ||||
| バンコク | アユタヤ観光 | ロプブリ | クエイ河観光 | パタヤ・コサムイ島 |
| 1982/10/12-24 バンコク 1983/05/17-08/08、1986/08/09-13 | ||||
| 初めてドムアン国際空港に降り立った時から独特の雰囲気に魅きつけられて、 仏教寺院、エスニックフード、微笑みの人々。 | ||||
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| 2013/03/19-25 | ||||
| 2015/06/24-30 | ||||
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| 2004/08/22~31 ✈🚃🚌 山小屋に泊まるスイス・ハイキング | ||||
| 首都ベルンへ | ミューレン | シルトホルン | ヴァイスミース | ツエルマットへ |
| オーバーロートホルン | クラインマッターホルン | カンダーシュテーク | 帰国路 | |
| 【日 程】2004年08月22日~31日 【メンバー】 CL T.M T/K、T/K、K/N、M/K、他8名 * ツアー・ガイド:K.K(FITS) 【ヒュッテに泊まる スイス・アルプス ハイキング:行程】 【第一日:08月22日】 東京成田空港→チューリッヒ→スイスの首都ベルンへ 【第二日:08月23日】 ベルン→ミューレン→シルトホルンの展望台 【第三日:08月24日】 ミューレン→ノース・フェース・トレール 【第四日:08月25日】 ミューレン→ワイスミース・ヒュッテ 【第五日:08月26日】 エーデルワイスを訪ねて花の道 クロイツボーデン・フラワートレッキング→ツェルマット 【第六日:08月27日】 オーバーロート・ホルン(3415m)登頂→ヘリ遊覧飛行 【第七日:08月28日】 ツェルマット→クライン・マッターホルン(3883m)→氷河の畔のガンデック・ヒュッテ(3030m)へ 【第八日:08月29日】 ヒュッテ→緑の谷の町ガンダーシュテークへ 【第九日:08月30日】 エッシネン湖→チューリッヒ空港 【第十日:08月31日】 成田空港へ(機中泊) 【コメント】 憧れのスイス・アルプスに行けることになりました。主にアイガーとマッターホルンを真近に望みながらのトレッキングです。 山の会の皆さんとグループを組んで更に旅行社の方でも追加募集をしていただいて実現しました。 自分自身の記録の為と近い将来行きたいなと思われる方々の参考になればと、退屈かもしれませんが毎日の行程を日を追って綴ってみました。 本当のアルプスが眺められる マッターホルンやアイガー・・・・・ 山岳小説・新田次郎氏の小説や内外の登山家による登攀記録など幾つかの小説や記録を読んで 幾つかの高峰にも登れる アルプスの花”エーデルワイス”い出会える |
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| ① 2004/08/22(日) 東京・成田空港→スイス・チューリッヒ→ベルン | ||||
| 東京・成田空港 → チューリッヒ空港 → ベルン | ||||
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| 【第一日:08月22日(晴れ)】 東京成田空港→チューリッヒ→スイスの首都ベルンへ 長年の憧れだったスイスにようやく降り立った。 のどかな郊外の空港と言う感じのチューリッヒ空港、通関も簡単、パスポートチェックだけ、入国スタンプさえ押されない、それでいて、あちこちのハイテクの活用が見られ効率化も進んでいるようだ、例えば空港内の移動するレール・ウエー、この整然としてゆったりとした風景に比べて東京、成田の喧騒は何なんだろう?静だ! 空港地下鉄から国鉄SSBでスイスの首都・ベルンへ。定刻に何の合図も無く出発し、レールの途切れる音も静かな列車は快適。 ベルンは地下駅、列車を降りて今夜の食料を買い込む、駅のコープあるいはキオスクそれにスーパーマーケット、面白いのが果物・野菜類は欲しいだけ袋に入れて計量、品番をインプットすると値段シールがアウトプットされてそれをレジまで持って行って精算する。 駅の階段を上がって直ぐにホテル・サヴォイがあった。 たしか今日はオリンピックの女子マラソンが行われたはず、ホテルのフロントで結果・様子を聞いたが全く無関心、オリンピックってやっていたの?といった感じ?テレビのニュースでもあまり放送されていない様子だった、ところ変われば。 手ぶらで移動 ライゼゲペッグ スイスでは日本にあった鉄道チッキのような、鉄道やバスのチケットがあれば、荷物を目的地の駅まで送れるシステムがあり、今回はスーツケースを持ち歩くことなく、ザックだけで移動できてとても便利だった。ただ荷物が自分と同じ便で着くとは限らず遅くなることもある。 ・・・今回は全て順調だった。 ホテル・サヴォイ 泊 |
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| ② 2004/08/23(月) ベルン→ミューレン | ||||
| ベルン → ツーン → シュピーツ → インターラーケンオスト → ラウターブルンネン → シルトホルン(2,970m)展望台往復 → ミューレン | ||||
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| 【第二日:08月23日(晴れ)】 ベルン→ツーン→シュピーツ→インターラーケン・オスト→ラウター・ブルンネン→グルッチュ・アルプ→ミューレン(1640m)→シルトホルンの展望台→ミューレン 朝、もう一度オリンピックについて聞いてみると、新聞を指差して・・・・、果たして野口みずきさんのゴールする写真が一面に載っていた。 朝食をすませて、ベルン市内へ、U字形に蛇行するアーレ川に囲まれた旧市街、 槇有恒著【わたしの山旅】にこんな表現があった、「第二次世界大戦後、私は三十余年ぶりに、この町を訪ねたが町の姿は昔と変わっていない。永世中立国のため、戦禍を受けることが無いにしても、余りにも変わらぬ町の姿を不審に思った。案内の山の友ブラヴァント君は当時ベルン州のプレジデントの職にあったが、この町の姿は法律によって維持保護しているといった。家屋の外観は厳格に旧態を保存するようにされているのであって、今日ヨーロッパの戦災で数少なくなった中世界都市の景観を大切に保存しているのである、つまり歴史と伝統とを近代化より尊重しているのであり、市民もまたそれを誇りとしているということである。私は京都や奈良の問題を思い出さずにはおれなかった。」 野菜や花の市の屋台が並ぶ広場、その先にスイス連邦議会議事堂がドーム型の屋根を戴いて建っている。かつての牢獄塔、からくり時計のある時計塔を通って東に向かうメイン・ストリート、通りには様々な石像が載った噴水が間隔を置いて並ぶ、また両側には石造りのアーケードが連なり、足元には蓋のように地下室へのドアが並ぶ、路面は石畳の興味深い街並みだ。 ベルン最古と言う石のアーチ橋を渡って、熊公園(熊はベルンの象徴)、そしてバラ公園へ、アーレ川、ベルンの街並みが一望できる。 ベルンから再び国鉄SBBでミューレンに向かう、市街を離れると両側にはトウモロコシ畑が目立つ農村風景が続く、やがて湖の岸寄りを走る、ツーン湖だ、中央の通路を挟んで左側の座席に一人旅風の老婦人が座っていた、その窓から眺めさせてもらおうと近づくと気さくに話しかけられ沿線の風景の説明をしてくれた、ツーン湖に沿って走ると湖の向こうの谷間に真っ白な山が見えてきて、あれがアイガー、メンヒだと教えてくれ、カメラの用意は良いか?間もなく良い眺めだ・・・・・としらせてくれた、ご当人はアイガーからユングフラウ・ヨッホまで四週間の旅行でドイツから来られたとか・・・・・、ご婦人とはインターラーケン・オストで別れ、名前を覗ったら“エリカ”さんと仰った、シュツットガルトからだそうだ、おいくつくらいだろうか七十歳は越えている?文化の違いを感じる。 ラウターブルンネンにそそり立つ断崖の上にある村 ユングフラウ(4,148m) アイガー(3,970m) メンヒ(4,009m) の三山の大パノラマを望む ベルナーオーバーランドを一望する村”ミューレン” インターラーケン・オストで乗り換えて、 ラウターブルンネンケーブルカーでグルッチュアルプ迄登り、 登山鉄道でミューレンまで行きました。 我々は登山電車BOBに乗り換えてラウターブルンネンへ、ここからケーブルカーは一直線に700mの高度を十分足らずでかせいでくれる、タンネ(ドイツ語で樅の木だそうです)の森を、天気は良いし、初めて身近に見るアルプスの峰々が次々と顔を出し久々にワクワク心ときめく風景で思わず歓声を・・・・・。 あれが彼の有名なアイガー(3970m)だ、メンヒ(4099m)だ、ユングフラウ(4158m)だ!。 グルッチュアルプからのアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山の眺めの素晴らしさと言ったら・・・・、再び登山電車のBLMでミューレンに向かう。線路は等高線に沿うように走る、それに沿うようにハイキング・トレールも整備されておりハイカーが三山の眺めを楽しみながら歩いている。進むにつれ角度を変えての三山の眺めが楽しめる、 ミューレンの駅に着いて直ぐ前が宿泊先のその名も“ホテル・アイガー”、天候が良いことから自由行動のプランを変えてシルトホルンに向かうことに、荷物を預けホテル前のメインストリートを抜けて南端のロープウエー乗り場へ、途中直角に乗り換えてシルトホルン(2970m)の頂上展望台へ、ここは映画「女王陛下の007」の大スペクタクルの舞台となったレストラン、ピッツ・グロリアがあり、一時間に一回転する回転レストランでお茶を飲みながらも山々の風景を堪能できる、天候は良くても矢張り高所、結構寒い、しかしそれらも忘れるほどの素晴らしい展望、アイガー、メンヒ、ユングフラウはもちろん・・・・・、刻々変わる風景にカメラのシャッターが止まらない!? ロープウエーの駅からホテルに戻る道は両側にお土産屋を兼ねたロッジが並び窓は花に飾られ、国旗、ミューレンの旗が揚げられ色彩豊か、その中を通る先にアイガーの北壁が見える。 列車でであったご婦人 帰国後記念の写真をお送りしたら、一年ほどして返事の手紙を戴いた。 旅行の後、病気の治療と勉強のためにフランスに行かれていたと言うことでした。 ホテル・アイガー 連泊 |
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| ③ 2004/08/24(火) ミューレン→アルメントフーベル→花の谷→ミューレン | ||||
| ミューレン → アルメントフーベル → ノースフエース・トレール → 『北壁道』 → 十字路 → 花の谷分岐 → ミューレン | ||||
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| 【第三日:08月24日】 ミューレンの町から300mほど上に登ったアルメントフーベル、展望台の様に、ユングフラウ地方の三山(ユングフラウ・メンヒ・アイガー)のパノラマを眺めながら巡り、沢山の花に出会える花の谷やシュピールボーデンのレストラン・ロッジに翻るスイス国旗が美しく映える。 ミューレン→ノースフェース・トレール「アルメントフーベル(1934m)、シルトアルプ(1946m)、スピールボーデン(1793m)、ギメラ(1815m)」→ミューレン(花のトレッキング) 今日は生憎の雨模様、花の谷探索へ、ケーブル駅前にもマンテマ、リンドウ、・・・が咲いている、ミューレンからケーブルカーに乗って一気にアルメントフーベルへ、駅前から始まるコースは牛追いの道でもある、手入れされた谷間の牧草地に夏の終わりとはいえ、いろいろな花が咲いている、傍らでは牛の群れがのんびりと草を食んでいる、カウベルの音、枝稜と枝稜の間の谷あいにはスイス国旗が翻っているレストランがぽつんとあって、とても独特の美しい風景だ、草原の途中、高台の広場には天候が良ければ見えるであろう谷の向こうのアイガー、メンヒ・・・の案内プレートが設置されている、ノースフェース・トレール「北壁道」のハイキング・コースは、あいにく雨は降り続いて、雷鳴が轟き、枝稜の高いところに出ると雷鳴を気にしながらのハイキングとなったが雷鳴は少し離れていてその心配もなくミューレンに戻った。午後は自由行動で調整日に。 |
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| ④ 2004/08/25(水) ミューレン→ワイスミースヒュッテ・ヴァイスミースへ | ||||
| ミューレン → ラウターブルンネン → インターラーケン → シュピーツ → ブリ-ク → サースグルンド → ホーサース → ワイスミース・ヒュッテ(2,726m) |
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| 【第四日:08月25日】 サースグルンド(1,559m)は、鉄道のブリ-ク駅からバスでおおよそ55分で着きました。 昼食後、クロイツボーデンでゴンドラ・リフトを乗り換えて ホーサース(3,098m)まで登りました。 2,726mのヴァイスミースヒュッテ迄下りを歩く。 ヴァイスミースヒュッテはスイス山岳会の運営。 ミューレン発→ラウターブルンネン、インターラーケン、シュピーツ、ブリーク、サースグルンド、クロイツボーデン、ホーサース、ワイスミースヒュッテ泊 今朝は雨も上がって、アイガーの夜明けの姿が楽しめた、双耳峰の様に並ぶ、アイガー、メンヒの間の鞍部に太陽が現れ一瞬ダイヤモンドの様に輝き次第に谷筋が明るくなってくる、ヴェルナーオーバーランドの風景に別れを告げてワイスミースに向かう。途中朝の早いラウターブルンネンは未だ雲海の下に有った。瞬く間に雲も晴れ温かい陽射しを受けてブリークまではベルナーアルペン鉄道(BLS)、ここからポストバスでサースグルンド(1589m)へ、黄色の大型バスが谷間(サースタール)の道を快適に走る、窓から見える家々の窓にはことごとくプランターの花で飾られていてとっても美しい光景だ。花の種類はゼラニュームの様だ。この光景はチューリッヒの空港に降り立ってからどの町でも同様によく手入れされている。 カトリック教会とポストオフィスの前のバス停の広場、鼠返しの基礎に建つ古い蔵造りにも紅、ピンクの花が・・・、公衆トイレの手洗いでは温水も出る設備で冬季の寒さにも快適さが期待できる清潔さ。近くの川岸のハイキング路の木陰で昼食、年配のハイカーがウォーキングを楽しんでいる、二本タイプのストックの利用が普通の様だ。身体に日が当たる方は温かくて快適でも反対側は冷たい、やはり高原の気温でそう高くは無い、脇の牧草地ではバッタ?イナゴの様な虫が飛び跳ね、鳴いている、日本ではほとんど見られなくなった光景で懐かしく、子供に帰って虫を追っかけることに・・・。サースグルンド(1559m)からクロイツボーデン(2397m)へ、南から北に流れるサース谷を挟んで西側、反対側にスイス最高峰のドーム(4545m)を中心としたミシャベル山群が白銀に輝いている、そして、その向こうになるマッターホルンのあるヴァリス山群へと連なっている。今日の目的地は東側になる、途中のレストランには真紅のスイス国旗は翻って、雪山の白と調和してなんとも言いがたい素晴らしい風景、更に上の、ホーサース(3098m)へ、ワイスミース(4023m)がもう目の前に、氷河の端まで行く、初めて近くで見、触る氷河、これが氷河なんだと・・・・青い空に真っ白な氷河サングラスが欠かせない。ここからスイス山岳会のワイスミース・ヒュッテ(2726m)までは岩とザレ場の下り道、山々の風景と足元には高山植物が遅い夏を名残惜しむように咲いていて眼を楽しませてくれる。濃い紫のリンドウ?ゲンティアーナ、・・・・・。ヒュッテは氷河の谷の先、台地の先端に石造りで三階建て、展望のとても良い場所にあった、一回は食堂ホール、二回、三回が宿泊部屋でベッドに毛布、全てオランダの木靴の様な型をした革靴に履き替えて部屋に入るシステム、アイゼン、ザイル等は部屋の前にそれようの棚が造られていた。階下には洗面、トイレがあり、水洗でとても清潔。夕食は生ビールも飲める、スープから始まるメニューで内容もとても良かった。食後にオーダーをしたコーヒーにはびっくり!丼の様な器(スープボウル)並々と注がれミルクも砂糖も豪快に提供されて・・・二、三人が回し飲みできるほど!! 部屋の様子は、Kさんと自分の二人は、人数の関係で別の部屋になったが二段式のベッドだった、この部屋には他に宿泊者は来ない様子で自由に使わせてもらった、四ヶ国語の注意書きが壁に貼ってあった、それはアイゼン等は部屋に持ち込まない、部屋を出る前に毛布等寝具を片付ける、出発にさいしお湯が欲しい人にはテルモスに入れてあげる、と言うようなこと。窓の造りが興味深かった、頑丈に出来ているのは勿論だが、両開きに加え、上の方が外側に向かってツイストする、いわゆる空気抜きの役目をするように便利さ。建物全体は石造りで内部の壁は木の板で張られてとても温もりが感じられる造作がされ隙間風は完全にシャットアウトおかげで夜も毛布だけでよく眠れた。 ヴァイスミー・スヒュッテ泊 |
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| 2004/08/26(木) ⑤ ヴァイスミース・ヒュッテ(2,726m)→ツエルマット | ||||
| ヒュッテ → クロイツボーデン「高山植物プロムナード」 → サースグルンド → スタルデンサース → ランダ→テッシュ → ツエルマット |
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| 【第六日:08月26日】 ヴァイスミースヒュッテを出発して、クロイツボーデンまで下り、高山植物が咲き乱れるポイントまでハイキングで往復しました。 エーデルワイスが咲く花のプロムナード ワイスミース・ヒュッテ、クロイツボーデン、アルプブルーメン・プロムナード往復、サースグルンド、スタルデンダース、→ツエルマット泊 昨夜は強い風に加え雪も降った様でヒュッテの外は真っ白になっている。一挙に冬が来た感じ、空は高曇りで陽射しが弱く寒い、それでも遠くの山々は良く見える、ヒュッテからさらにクロイツボーデンまで下り、レストランに荷物を預けて、ここからアルペンブルーメン・プロムナードを等高線沿いに歩く感じで岩の道、常念岳の最後の登り、蓼科山の頂上のように大きな岩が折り重なっている道や谷を渡り尾根を渡りして、でもその名の通り高山植物が豊富に、エーデルワイスを求めて往復に時間余りの行程・・・・・・、サースアルマゲルの手前ポツンと立っている小屋の付近に目当ての花が咲いていた、そのほかにも紅い花、黄色い花、白い花・・・・と色々な種類の花が咲いていて目を楽しませてくれる。ズーッと下、眼下にはサースグルンドの街並みが望まれた。一旦クロイツボーデンに戻って昼食を摂り、いよいよツエルマットに向かう。サース谷とマッター谷が合流するシュタルデンサースまではバス、ここからはブリーク、ヴィスプ、ツエルマットを結ぶ登山鉄道(BVZ)の赤い電車で40km弱の行程で高度差800mを稼いで登って行く。ツエルマットに着いて天気は良いがマッターホルンの上の方は雲に隠れて全容は望めない。ホテルの部屋に入って荷物を片付け終わる頃町の家並みの間に独特の岩峰の全容が見えてきた、あれがマッターホルンだ、今までは写真でしか見たことが無かったその姿が目の前に白く輝いていてすぐそれと判った、美しい山だ、感激!夕方同行者のアドバイスも有って明朝の撮影ポイントをロケハンに出かける、市街中央部のバーンホフ通りを進むとホテル・モンテローザが右側にあり、最古のホテルとか、その正面壁にはマッターホルンに初登頂(1865年7月)を果たした“エドワード・ウインパー”のれりーふがあった、山岳名著「アルプス登攀記」を著している英国人だ。教会の角を曲がって川沿いに戻ると大きな教会の尖塔のシルエットと山が入れられる場所を見つけ、河畔のこの辺りが撮影に相応しいポイントと、目印のものを覚えて帰る。 ホテル・ビネール 連泊 |
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| ⑥ 2004/08/27(金) ツエルマット・オーバーロートホルン登山へ | ||||
| スネガ → ブラウンヘルト → ウンターロートホルン(3,103m) → オーバーロートホルン(3,415m) → ブラウンヘルト → スネガ → ツエルマット | ||||
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| 【第六日:08月27日】 ツエルマット、スネガ、ブラウヘルト、ウンターロートホルン、オーバーロートホルン(3415m)登頂→ツエルマット泊
早朝に起きだして朝のマッターホルンの姿の撮影に、ピラミッド型の頂上から赤味がさして少しずつ少しずつ降りてくる、感動的な光景に・・・・、素晴らしい、美しい光景だ、山で見る夜明けの風景は格別だった。雲は全く無いので少し写真的には物足りない感もするが、欲を言えば限がない。
朝食を済ませて、今日はいよいよオーバーロートホルン(3415m)に登る日だ絶好の天候に恵まれ皆意気盛んだ。 地下ケーブルからロープウエーの乗り換え、スネガの駅は真正面にマッターホルンを望む絶好の展望台、真っ赤なパラソルに真っ白な氷河と山々、なんと表現すれば良いか、最高の幸福感!ブライトホルン、モンテローザの山並みが美しい、上に登るに従い展望が360度に展開してくる、丁度、昨日降りてきたワイスミースの反対側、ドーム、テイシュホルンのミシャベル山群に加えヴァイスホルン等の山々の殿堂に居るように。 「Unterrothorn」(3,103m) ツエルマットからスネガ・ブラウヘルト・ウンターロートホルンへとケーブルカー・ゴンドラを乗継ぎ スネガエリアの最高峰 ウンターロートホルン(3103m)で一旦呼吸を整えていよいよオーバーロートホルンへ、少し鞍部まで下りそれから本格的な登りが続く、木はもちろん草もほとんど無いが比較的歩きやすいトレールもしっかりした登りがジグザグに続く、でも瓦礫地帯を良く見ると高山植物が咲いている、此処にもエーデルワイスを見つけた、花や展望に見とれて登りもさほど苦にならない、やがて岩盤の山頂部とそこは全くの360度の展望台!気温は高くないが無風の上に温かい陽射しの中、眺望を楽しみながら昼食を摂る、本当に素晴らしい天候で降るのが惜しまれる、降りの途中でマッターホルンとエーデルワイスの競演する写真を撮った。 一度ホテルに戻り荷物を預けて天候の安定している間にヘリ遊覧飛行へ、街外れのヘリポートから五人乗りヘリでティナールロートホルン(4221m)からマッターホルン、ブライトホルン・・・・・・、マッターホルンではヘルンリ稜から頂上へと案内してくれ、そして頂上の十字架も見ることが出来た、頂上は斧の刃先の様にイタリア側・スイス側に峻厳な様相が手に取るように観察できた、眼下に見える氷河には大きなクレバスが並んでいたりして圧巻、とても素晴らしいフライトを体験できた、見事な山岳飛行とガイドで楽しませてくれたパイロットにも感謝!! |
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| ⑦ 2004/08/28(土) クラインマッターホルン登山 | ||||
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| 【第七日:08月28日】 ツェルマット→フーリ、トロッヶナーシュテーク、クラインマッターホルン(3883m)→氷河の畔のガンデックヒュッテ(3030m)へ この日も申し分の無い天候。とおりの両側に花で飾られた家が並ぶツエルマットのメインストリートを通り抜けた先からロープウエーを乗り継いでクラインマッターホルン(3883m)へ、今回のトレッキング中の最高到達点、途中のガンデックからは一挙に1000mの高度さを稼いでウンターテオデュール氷河を渡り岩峰の突端へ、よくぞ建設したな!驚嘆したくなる様で岩山全体がアンカーの役目を果たしているような山頂駅、此処からさらにエレベーターと鉄の階段を経て山頂へ、さすがに寒い!大きな十字架が建っておりマッターホルンは目と鼻の先と言う感じ、イタリア側も望める360度の展望、下の駅に戻りトンネルをくぐり抜けると白銀の世界、スキーヤー、ボーダーが楽しんでおり、ブライトホルン(4164m)への登山起点でもある、トンネルを少し出たところに氷河の中にもぐるように掘られたトンネル内が氷河ミュージアムとして氷の彫刻が展示され無料公開されていた。再び大型ロープウエーでトロッケナーシュテーク(2939m)まで戻り、歩いて今夜泊まるヒュッテのあるガンデックまで登り返す、 今回のトレッキングにおける最高と立ち地点; クライン・マッターホルンはツエルマットからゴンドラを乗り継いでの到達、さすが山岳観光都市”スイス”です、こんな高度まで山岳鉄道やケーブル・ゴンドラが整備されています。 今夜は、マッターホルンの直下テオデュール氷河とウンター・テオデュール氷河の狭間、岩盤に建つ3,030mのガンデックヒュッテに泊まりました。 オーバーテオデュール、ウンターテオデュールの両氷河を分ける岩盤上のの突端に建っているガンデックヒュッテ(3030m)三階建て、地下一階のヒュッテ、氷河に面した新館に皆が、そしてまたまたKさんと自分は三階の部屋へ、二段ベッドが両側にある四人部屋、先客が居る様子、ベッドの先に彼の鉄人“ラインホルト・メスナー”のサインが読み取れる、彼も何時の日かこの部屋に泊まったのかな?この部屋からは窓越にミシャベル山群の山並みが見える。表にでて陽だまりのベンチで刻々変わりゆく山々の風景を楽しむ、マッターホルンの東壁を真正面に見ることができる、今回ひそかにもう一つの楽しみにしていた“R・シュトラウス”の「アルプス交響曲」を持ってきたiMACで本物のマッターホルン、アルプスを眺め、コーヒーを飲みながら聴く!至福の時間だ。 相部屋の二人は高齢のご夫婦?上段と下段で休養されている様子だが、上と下から腕を伸ばし手をつないで寛いでいらっしゃる様子に、こんな時も互いの絆を大切に過ごすスタイルを見て、文化の違いを強く感じた!ことも記憶に新しい。 このヒュッテの夕食も素晴らしいものだった。 ガンデック・ヒュッテ 泊 |
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| ⑧ 2004/08/29(日) カンダーシュテークへ | ||||
| ヒュッテ → トロッケナーシュテーク → フーリ→ツムット → ツエルマット → ブリ-ク → カンダーシュテーク |
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| 【第八日:08月29日】 ガンデック・ヒュッテ→トロッケナーシュテーク、フーリ、ツムット、ツエルマット、ブリーク、緑の谷の町ガンダーシュテーク(泊)へ
夜明けの風景を撮影しようと朝早くに起き出す、矢張り結構寒い既に登山をする他の客達も出発した人、準備に忙しい人・・・今日はどこの山に登るのですか?と尋ねると、ブライトホルンへと、ガイドは必要ですか?自分達だけで行く、どれくらいの時間がかかりますか?約二時間、アイゼンとアンザイレンはマストと言うことだった。日程があれば行きたいな、登りたいな!
朝食前に夜明けを迎える、四周の山々の移り行く光景を楽しむ、ピンクに染まる山々、右回りにフィンデル氷河からシーマ・ディ・ジャージー(3803m)、イエガーホルン(3970m)、モンテローザ(4618m)、リスカム(4479m)、キャストール(4228m)、ボルックス(4092m)、ブライトホルン・ツイリング(4139m)、ブライトホルン(4164m)、クライン・マッターホルン(3883m)、テオデュールホルン(3469m)、マッターホルン(4478m)、ダン・ブランシュ(4356m)、オーバーガ-ベルホルン(4063m)、ティナール・ローとホルン(4221m)、シャーリホルン(3974m)、ワイスホルン(4506m)、ナーデルホルン(4327m)、ドーム(4545m=スイス最高峰)、テーシュホルン(4491m)、アルプフーベル(4206m)、アラリンホルン(4027m)、リンフィッシュホルン(4199m)、シュトラールホルン(4190m)と360度名峰の殿堂に高いところから順々に朝日が降りてくる、氷河のほとりまで、とても神々しい光景に酔いしれると言うか堪能する、今日も素晴らしい天気だ。
皆でテラスで記念撮影をしてトロッケナーシュテークまで下る、尾根の上に翻るスイス国旗とワイスホルンの山々の風景が素晴らしい。フーリまで下って、此処からツエルマットまでツムット経由のハイキング、草花を楽しみ、風景の変化を楽しみ、牧畜を営む昔ながらの集落の眺めを楽しみながら下っていく、下からもハイカーが続々登ってくる、犬を連れた家族、幼いながらもサングラスにハイカールックにきめた子供連れの若い家族・・・・・。ツエルマットに戻り自由行動と昼食、TKさんと山岳博物館へ、が受付の管理人から十二時から十六時まで休憩時間、あと五分しかないけど入館料を払うか?我々も時間が無いし“見学できないのはとても残念だ”と訴えると軽くウインクして“OK”をくれた、無料で五分で見てこいと言う事、駆け足でアルプスにまつわる歴史・昔の生活の風景・・・を見学できた、管理人は我々が見学を終わって出るまで待っていてくれた、このように粋な計らいをしてくれたことに感謝だった!!
標高3,030mのガンデックヒュッテに別れトロッケナーシュテーク、フーリでゴンドラを下りて、ツムットの集落をハイキングしてツエルマットに出ましたが、途中高山植物の花々や野生のヤギ?に出会ったり、犬を連れた地元の?高齢者やまだ幼い子供連れの散歩姿を見かけて写真を撮ったり楽しみながら歩きました。 ツエルマットからは列車でカンダーシュテークに向かいました。ブリ-ク経由で1.5時間程の旅。 ツエルマットのメイン通路から少し入った所に ”山岳博物館・Alpine Museum”が有ります、登山愛好者にはぜひ立ち寄って欲しい博物館です。 我々もやっと探し当ててたどり着いたときは閉館時間直前、 拙い言葉で事情を話すと5分間で見学しろと?!その間はフリー にしてくれると! ツエルマットから再び列車の旅、ブリーク経由ベルナーアルペン鉄道(BLS)に乗り換えて最後の訪問地カンダーシュテークへ、ブリューエムリアルプ山群の麓に静かな山村?ホテルの前でくつろいでいると一人の若い日本人女性が通りかかった、一人旅でエッシネン湖から下りて来てアイガー方面に向かうと言う、このあたりを訪問するとはかなりマイナーなグループですね!と言っていた。 今夜はツアー最後のパーティー?夕食を楽しむ!今回のツアー中、どこも食事が素晴らしかった、此処も負けず劣らず。 ホテル・アドラー 泊 |
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| ➈ 2004/08/30(月) 帰国路 | ||||
| カンダーシュテーク → ベルン → チューリッヒ空港駅 → 東京・成田空港 2008/08/30(月) | ||||
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| ベルナー・オーバーランドの旅のハイライトの一つである エッシネン湖 東側をたかさ500m以上の岩の屏風に囲まれ、氷河の水を集め神秘的な碧の水を湛えていた。 アプローチは相対的に牧歌的な雰囲気を保ち、教会が建ち、約7分ほどリフトで登ると放牧された牛が草を食む光景や樹林帯を抜けると壮大な岸壁と湖の風景が有った。 帰国路 |
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| 2002/11/03~11/10 ✈�エベレスト街道トレッキング | ||||
| ネパール・カトマンズ | カラパタール | ナムチェバザール | クムジュン周回 | ルクラへ |
| カトマンズへ | カトマンズ観光 | 帰国の途へ | ||
| 2002/11/03~11/10 ✈�エベレスト街道トレッキング 東京羽田空港 ✈ 関西国際空港 ✈ 上海浦東空港 ✈ カトマンズ・トリブヴァン国際空港🚌カトマンズ 世界の最高峰の山 【エベレスト】(8848.86m) 別の名を「サガルマータ」・「チョモランマ」 11月 3日(日) 東京羽田空港→関西国際空港→上海浦東空港→カトマンズ・トリブヴァン国際空港→ヴァイシャリH 11月 4日(月) カトマンズ → ルクラ → チョプルン → パクディン <br> 11月 5日(火) パクディン → トクトク → チュモア → モンジョ → ジョルサレ → トップダラ → ナムチェ・バザール 11月 6日(水) ナムチェ・バザール → シャンボチェ空港 → エベレストヴューH → クムジュン東分岐 → クムジュン村 →シャンボチェ空港→クムジュン東分岐→ナムチェ・バザール 11月 7日(木) ナムチェ・バザール→トップダラ→ジョルサレ→モンジョ→チュモア→ベンカールの橋→トクトク < → パクディン → ガート → チョプルン → ルクラ = ホリデイロッジ泊 11月 8日(金) ロッジ(6:30)→ ルクラ空港 → カトマンズ → ホテル 午後:タメル地区 <br> 11月 9日(土) カトマンズ市内見学=スワヤンブナート → パシュパティナート → ボーダナート 市内自由見学=アサン → ハヌマン・ドカ → タメル 11月10日(日) カトマンズ→空港→上海浦東空港→関西国際空港→東京羽田空港→帰宅 【メンバー】 CL T/M 監督:R/A 記録:C/I、S/O、会計:H/S、渉外/医薬品:T/K、C/O、写真:T/M * ツアー・ガイド:C/K(FITS) * 現地ガイド:Dawa Nuru Sherpa、Sona Sherpa、Dawa Temba Sherpa 他ポーター。 【コメント】 エベレストを登る!せめて眺めるだけでも!?・・・・・は長年の夢だった。チベット、ブータン、 ネパール(世界高峰が並ぶ地域、エベレスト、 ラマ教、・・・・尽きない興味を感じるこの地域)に一度は訪ねてみたいと想っていた。 今までは本、映画、ニュース、等でしかふれる事が出来なかったから。<br> 山の会の創立十周年記念事業として企画され2001年に計画されたが、 自分は現役最終年しっかり区切りを付けて終わりたいものと不参加を選択した。 ところが2001/09/11アメリカにおける同時多発テロ事件が発生し、政情不安により一部の人達が延期と言う形で チャンスが回ってきました。 いよいよ準備段階になって今度はマオイスト(ネパール共産党=毛沢東主義派)の騒動のニュースに躊躇するメンバーも出て きたが少々の障碍は乗り越えて・・・・・と連帯感を強め実行へ。 ネパール駐日大使館に事情を問い合わせたり、外務省のアナウンスを注視したりいろいろやった、 また、入国時カメラ機材の持ち込み制限があるとか、持って行く物の準備に迷って、カメラは一台しかもって行けなかったが、 結局はそんなチェックはなかった様だ。残念。 ネパールのトリブヴァン国際空港では小銃を携えた兵士の警戒風景や持ち込み荷物の検査も通常以上の厳しさに満ちていた。 世界最高のヒマラヤの山々を背景に、ラマ仏教、ヒンズー教文化が織り成す 風景と人々。 チベット、ブータンなどとは、今も尚、徒歩でヒマラヤの嶺を( 峠)を越えて交流が行われていると言う。 トレッキングの途中でもチベットか ら2日がかりで歩いてきたと言う老人と出くわした。 参考:トレッキング中によく見かける風景に、ボン教からチベット仏教に祈りや願いを自然の中の風に託したタルチョがあります。 チベット民族はこのタルチョを、家の屋根の上、寺院の屋根の上、山頂や峠、橋や水辺などに、魔除けと祈りの旗として掲げます。 タルチョの色は5色。青、白、赤、緑、黄色です。 ■は天や空・ ■は風・ ■は火・■は水・■は地や土を表現している。 タルチョには想像上の動物が描かれています。 ■青龍 春 東 ■白虎 夏 西 ■朱雀 秋 南 ■玄武 冬 北 ■麒麟 中央 |
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| 2002/11/03 ネパール・カトマンズへ | ||||
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| 11月3日(日) いよいよ出発の日がきた。 始発の電車で、池袋で全員8名合流、品川経由羽田へ。 早朝の出発にもかかわらず、皆元気だ。羽田ではFITSのIさんの見送りと今回お世話になるアテンダントのKさんの紹介を受ける。 皆いやがうえにもこれからの旅に期待と興奮が高まる。 7時35分搭乗、8時50分発全日空NH141便で関西空港へ、新雪を頂いた富士山が美しい。 乗り継ぐロイヤルネパール航空RA412便は12時30分発、空港内を見学したり、免税店を物色したり、でも気分は既にネパールへ。 定刻に出発した機は東シナ海を経て上海浦東空港へ向かう、昼食を摂って暫くで真新しい上海空港に、長い回廊を歩いて案内された待合 室は何も無い休憩室、免税店を期待していた人達はがっかり、まだ整備の途上なのか?再び機内へ、 旅は道ずれ、機内では隣り合わせの人と話が出来るのも楽しみのうち、左側、窓際の女性はネパール人(少女)、幸いな事に「日本語」、 「英語」が話せる、日本の事、ネパールの事、カトマンズの見所・・・、と日本滞在、旅行等々の感想・・、日本にはお姉さんの出産の手伝いで 来ていたとの事だった。 話がはずむ内に機は夕焼けに染まるヒマラヤ山脈を越えかかっていた、山脈を越えると既に夜(闇)の世界、暫くすると下界に明かりがポツ ポツと見え出し、間もなく高度を下た機はトリブヴァン国際空港に着陸。入国手続、再び手持ちの荷物にレントゲン検査とは驚き、マオイスト 騒動の余波か、途上国(失礼)にありがちな混乱か?無事カトマンズに降り立ち、現地旅行会社のマイクロバスでホテルへ。 ホテルでは折からの”ティハ‐ル(光)の祭”とかで 電飾がされていた、ウエルカム・ミーティングと両替を終えて各部屋へ、当てられた部屋が 工事中だったり・・・・、いろいろ有って就寝は十二時を越えてしまった。 ※エベレストをはじめヒマラヤの山々は初めて見る驚きと興奮とその美しさに、度々似た光景が出てきますが 呆れないでご覧いただければと思います。 東京羽田空港 ✈ 関西国際空港 ✈ 上海浦東空港 ✈ カトマンズ・トリブヴァン国際空港🚌カトマンズ ホテル・ヴァイシャリ泊 |
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| 2002/11/04 カラパタールへ | ||||
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| 【エベレスト街道・トレッキング:行程初日】 11月 4日 カトマンズ→ルクラ→チョプルン→パクディン 五時起床、朝食弁当を貰って、再び空港へ(国内線ロビー)、 天候に左右されやすい為”世界一危険な空港”言われているルクラ空港は朝夕の無風の時間帯がベストと早目の便を目指して、朝靄の 中 目覚めるカトマンズ市街、王宮の前を通って、7時発ルクラ行きスカイライン・エア701便、行きは左側の窓がグーと聞 いていた、 先頭に並んでいたら後から“座席確保“コール、機内に入って座席を確保していると、イギリス人の親子からも 座席のリクエスト、 仲間用をと るか家族に譲るか複雑な気持ち・・・。 快晴のカトマンズ市街を眺めながら、プロップジェット双発機は順調に飛行、やがて白銀に輝く、初めて眺めるヒマラヤ の嶺々が見えてき ました、想わず歓声が湧く、コックピットからパイロットが教えてくれた、ク‐ンブ・ヒマラヤ、朝日に輝くエベ レストを・・・、 初めて眺めるエベレストの姿に感動する事しきり、カメラの操作も忙しい、コックピット越しの撮影も許された 。 山間の谷間の上空を縫うように飛ぶ機はやがてルクラ空港へ、尾根筋の中腹に作られた滑走路は谷から山に向かっ て登り勾配、正面の 石垣の手前で90度右折して空港ターミナルへ。 (パイロットならずも低汗を握るような瞬間を味わう!? この空港でも早朝から軍の警備が物々しい、機銃を携えた兵士の姿がやたら目につく、空港近くのホリデーロッジで休憩後、 これから 世話になるシェルパ、コック、ポーターと合流して、いよいよトレッキングの開始、いざ出発の記念撮影。(標高2850m) 土産物店、ロッジの並ぶ町並みを通って案内板に導かれて左にとって集落の出口のチョルテン(チベット仏教の 仏塔)をくぐりながら、 マニ車をまわして旅の無事を祈り、チョプルン(2660m)を目指して下っていく、ポツッポツと点在 するロッジの白い壁ブルーの窓枠、 それに飾られた植木の花がとても印象的で美しい風景をなしている。 ドード・コシ川 の左岸沿いに北上、(嘗て、かのヒラリーもマロリーもその他大勢の登山者も登っていった道を・・・)美しく、雄大な峰が どんどん目の前に、コンデ・リ(5885m)カタン(6353m)ク‐ンビラ(5761m)、クスムカングル(6369m)雪の有る山、 無い山、感嘆相次ぐ楽しい歩行。 狭い山道をゾッキョ(牛とヤクのハーフ)とすれ違いながら進む、クスムカングルに発す るクスムコーラ川の出合いタドコシはセーヌロッジ で 昼食、晴れ渡る屋外からロッジ内に入ると矢張り体が冷えてくる(2 580m)、温かいレモンティーがとても美味しい、高度順応には 水分補給が欠かせないそうだ、空気が乾燥しているせい かどんどん補給しないと・・。 歩きとゾッキョが唯一の交通・運送手段、ゆっくりと した時の流れ、何時の日か忘れてきてし まったものがあるように、穏やかなディリ‐・ロッジのママ、大概は主人は女性)のもてなし、人々の 表情がとても穏やかで 親しみ深い。 ガートを通過してパグディン到着(14時26分)今日の行程は此処まで。(2640m)今夜の宿舎はカラパタール・ロッジ その前から コンデ・リの岩肌が太陽に照らされて見える。 谷間にあるロッジは気温がぐんぐん下がってきてじっとしていると寒い。川沿いに建てられたロッジの入り口は2階、1 階の部屋を借りる ことになって荷物の整理と寝る準備。2階で夕食今日の同宿はスイス、フランス、オランダのグループ でスイスのグループはカラパタールか らの帰りで余裕、 オランダのグループは親子三人、既に頭が涼しくなりかけた兄 弟と父親、この様に家族でこれるなんて素晴らしい。 夕食の後近所の子供達が”ティハ‐ルの祭り”の踊りを披露しに来てくれた、意欲的にリードする少女、はにかみながらそれに続く子供達、 ラジカセにあわせてダンス最後は我々も一緒になって踊った、お礼にプレゼント他の国の人達も夫々チップをはずんだのは言うまでも無い。 軽快なリズム、その曲が「レッサン・フィリリー」と言うことは後になって知ることになる。 楽しい踊りに見とれてしまって 写真を撮る事を 忘れてしまった、後から残念に想う。 |
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| 2002/11/05 ナムチェバザールへ | ||||
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| 【エベレスト街道・トレッキング:行程二日目】 11月 5日(火) パクディン→トクトク→チュモア→モンジョ→ジョルサレ→トップダラ→ナムチェ・バザール 六時起床、顔を洗う水が冷たい。 「日本語の話し声が懐かしい」と話し掛けてこられたMさん、ヒマラヤ越えのツルの渡り観測で長期滞在されているそう で、その合間を縫って ナムチェバザールまでトレッキングとか、六十?歳、静岡市出身、最年少のエベレスト・サミッタ‐と一緒と か。 パクディンを過ぎるとすぐに吊橋を渡ってドードコシの右岸へ、1時間あまり歩いてトクトク(2675m)で休憩、再び吊橋 を渡って左岸へ、 ベンガールの吊橋は最長、スイスの援助で掛けられたそうです、それまでは木や蔓で作られた橋を危な っかしく渡った記録映画のシーンが 思い出される。チュモア(2720m)、タムセルクとカンテガ(6685m)に源を発する キャシャル・コーラを渡りモンジョ(2815m)、再びドード コシを渡ってジョルサレへ(2805m)十時四十五分~十二時昼 食(シェルパ・ロッジ)サガルマータ国立公園入り口を通過してタムセルク が良く見えるウォーターフォール・ビレッジで休 憩、滝から流れる涼しい風、マンシーレ=皇帝ダリア(ベンマプール)の花が真っ青な空に 良く似合って綺麗に咲いていた。 ロッジの建 物はカラフルなパラソルその向こうに白銀に輝くタムセルク、お茶をしながら飽きない眺めだ。 ここから少し河原を歩いて二俣に合 流する右インジャ・ローコーラを渡る高い吊橋に向かって登る、ドードコシ大橋(2855m)ゾッキョも凄い 形相で渡ってくる 、文字通り踏(糞)張る上り下りの階段、一歩一歩足下を確認しながら”その目”を見ると哀れにも感じる。 これからナムチェバ ザールまで590mの登り、標高も高くなり休憩の間隔も短くなってきた、(3015m)、(3150m) トップダラの尾根に出 る曲がり角でエベレストが見えた。 林の木々の間にナムチェバザールの建物が見えてきた(3350m)ナムチェバザール入り口の ロッジのテラスで休憩、ディリーと子供達、 女性達はディリ‐と化粧のお話、男性は子供とビニール袋の凧を作って暫しの 童心に・・・。 下の広場で開かれているバザールを眺めながら中心部にある今夜の宿”サクラ・ロッジ”へ(3450m)此処に2泊の予定。 当てられた部屋は4階だ、登るだけで息が弾む。 夕食までの時間を活用し、高度順応を兼ねて、街中へ街中の広場で も子供達がティハ‐ルの踊りを・・・・、それを見学したり、お土産をあさ ったり、両替をしたり、ある店でマニ車と鈴(ベル) を求めて値段交渉、結構楽しいやり取り、気合が入りすぎるとこっちは酸欠に弱くて負け そう。夜部屋の窓を開けてナム チェバザールの夜景を長時間露光で撮影結構寒くて手が凍えそうだった。 夕食を終える頃またティハ‐ルの訪問客、今夜はターメからだと言う、少し年長の少女たち(高校生?)少しはにかみながらの踊り は・・、 でも皆も混じって、酸欠も忘れて踊りの輪に・・・。「レッサン・フィリリー」の曲が流れて夜は更けていった。 |
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| 2002/11/06 クムジュン周回 | ||||
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| 【エベレスト街道・トレッキング:行程三日目】 11月 6日(水) ナムチェ・バザール→シャンボチェ空港→エベレストビュー・H→クムジュン東分岐→クムジュン村 →シャンボチェ空港→クムジュン東分 岐→ナムチェ・バザール 少し酸欠か?朝起きる時、違和感がチョット、洗面用の湯と目覚ましのお茶を用意してくれたのを飲んで元気に 出発、いよいよ今日は展望 台に登って念願の山々とご対面、白銀のヒマラヤ襞をまとったアマダブラム、それから 谷の奥の方に名に聞くローチェ、その向こうにヒマラヤ の盟主エベレストが三角錐の形で鎮座している姿が今目の 前にある、とても素晴らしい雄大な眺め。 それから更に350mくらい直登ぎみに登ってシャンボチェ空港の東端を通りパノラマホテルの脇を通ってエベレ スト・ビューHへ、もうこ こまで来ると360度高峰の眺め、結構高度(3850m)に来ているはずだが皆元気、意気 揚揚として歩いている、谷に面したアプローチを 左に曲がりこむと広い草原状の向こうに松林が見えてきた、松林 のあるところがエベレスト・ビューHだから、此処で写真撮っていっても良い とKさんのOK、ダワ・ヌルが一緒に残 ってくれて暫し撮影、日差しは強いが停まっていると結構温度は低く冷えてくる。 緩やかな芝生状の道を進んで 石段を左に回りこむとホテルの玄関へ、ロビーを通過してテラスへ、絶景!(先着の皆も興奮状態・・・・・) 石畳 のテラスに白いテーブルとベンチがあって、他の客達も含めて、この素晴らしい眺めを。 お茶もそこそこに記念撮 影に忙しい。 一人一人記念のポーズで、グループで・・・・。アマダブラム、タムセルク、カンテガ、ローチェ、 エべレスト、タウチェ、・・・・・が正面に、あっちがタンボチェ、その先がパンボチェ、振り返ればホテルロビーの大きな窓にも同じ風 景が 映って、もう本当に堪らない光景を満喫。 (後で気がついたが、此処でコーヒーだけで水分補給を怠ったのが 数時間後に効いて来た)、 何時まで眺めても限りが無い光景と分かれクムジュンに向かう、ホテルの玄関先に小さ な鯉のぼりがはためいていた。林の中の小道を下っ てサンナサ経由石垣に囲まれた(畑?ヤクの放牧?)が続く 平坦な道を通ってクムジュンへ、中心部近くのアマダブラム・ロッジで昼食休憩 、先の油断が祟ってか昼食のラ ーメンが喉を通らなかった、レモンティーを貰って意識して水分補給・・・。 ロッジの裏庭に出てみると、またまた素晴らしい眺め、両側から下りて来る稜線の間、今通ってきた道の向こう に「アマダブラム」がとても 美しい姿だ。背景に全員でポーズ。 水分を補給してずいぶん気分も良くなってきたやはり水分補給 をずぼらしてはいけない。 アマダブラム・ロッジを後にして、真っ白いチョルテンの前を通って、クムジュンの学校へ、いろいろな国の援助で 建てられたと言う校舎が 並んでいる、学校はティハールの関係で休み、留守番の先生に持参のプレゼントを託し、 皆で記念撮影。 ナムチェの子供たちはこの学校ま で毎日30分の道のりを通うそうだ。(因みに我々の行程は2時 間弱)。 外は快晴で日差しは強いが、空気は冷たい、日陰側は冷える。学校を後にして、シャンボチェに向かっ て緩やかな登り、途中、一人の老人 に追い抜かれた、Kさんがいい風景だから写真を撮らせてもらったら?と、ダ ワ・ヌルが通訳してくれて、話がまとまり、雲間に聳えるタムセ ルクを背景にポーズ、チベットから歩いて2日、雪の 峠を越えてきたとか、とても信じられない行動力、ナムチェバザールに行くのだとか、自 分は急いでいるんで・・・ 、とそこで足止め料(チップ)20ルピーを渡して、ニッコリ合掌、でも良い写真が撮れて、相手も喜んで結果OK。 峠状の地点で休憩、ここからのタムセルクもとても素晴らしい、でもじっとしていると冷えてくる。ナムチェ側の下 りに差し掛かると石垣で 囲んだ土地がいくつか、国営のヤクの牧場だそうだ。 今朝登りに通った、シャンボチェ空港の東端とは反対の西端を通ってナムチェの見えるところまでくると、ストー バにタルチョがひるがえっ ている、聞くとこれはダワ・ヌルのお祖父さんのお墓だそうで、通りすがりにお参りしてき た。どうもかなりの実力者だったように感じる。 ナムチェへの入り口の巨大なマニ石を見て、町には入らず、右下 に眺めながら迂回して、朝割愛した、国立資料館・博物館へ、ここにはチ ベット族の古い民具・生活用品が展示さ れており昔の生活スタイルがしのばれる。 一方は歴代のエベレスト・サミッターにまつわる写真、資料が展示されており、幾つか見覚えのある写真があっ て興味深かった、何故か、結 婚式に参列した若いダワ・ヌルの姿も。外へ出てみると雲の量が増えて、コンデ・リ の夕景は見られたが、ついにエべレストの夕照は見る事 ができなかった。 サクラ・ロッジに戻り、4階の部屋に戻 ると、暗がりの中から誰かが呼んでいる、昨日から誰かが隣の部屋にいる気配は感 じていたが、ラマ僧が二人、 どうも彼らの部屋に話しに来 ないかと言う事らしい、一人の方が片言の英語が話せるらしい、小豆色の僧衣で片 方の肩腕は裸同然の姿に、「 寒くないですか?」、問いに「寒くない」、かなり年配に見えるが、そう言えば以前来日したダライラマも同じ姿 だっ た。僧具を見せてもらった、日本の玩具にあるデンデン太鼓の原型だろうか?回して鳴らしながらお経を唱えるそ うだ、「何でできている ?」、質問に、「頭の周囲を指でなぞって・・・」どうも頭蓋を二つ反対につないだものに皮を 張って太鼓にしているようだ。お土産に買った 「マニ車」の品定めをしてもらった、是は良い土産だと言っていた。 二人のうちどちらか話しが途絶えると、窓の外に向かって経文を唱えてい る姿が印象的だった。 小一時間も話していただろうか。四階には大きな仏間があって、僧侶はここに常駐している様子、その家の格式 的な物か、仏 間の壁画はダワ・ヌルが3ヶ月かけて描いたそうだ。 食堂に戻ると、ストーブのそばに髭の伸びた青年が一人いて本を読んでいた、さては新 顔のポーターかなとそれとなく観察、いや、日本語の本を読んでいる、話しかけてみると、大宮の出身で米沢の住人、山形の遠征隊に参 加し た後、一人で残りゴウキョ周辺を回って来たそうな。 |
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| 2002/11/07 ルクラへ | ||||
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| 【エベレスト街道・トレッキング:行程】四日目 11月 7日(木) ナムチェ・バザール→トップダラ→ジョルサレ→モンジョ→チュモア→ベンカールの橋→トクトク →パクディン→ガート→チョプルン→ ルクラ=ホリデイロッジ泊 いよいよ下山の日だ、素晴らしい眺めを胸に詰め込んで、素晴らしい白銀の峰々を朝な夕なに眺めることがで きた満足感をお土産に。 食堂には朝早くから、帰りの仕事にあぶれた老人ポーターが仕事をねだりに来て、年老 いた身の生活の厳しさを垣間見る様で、Kさんがさ りげなくチップを渡して・・・、Kさんも気を使って大変だな。 ロッジの前に皆そろって、ディリーとお手伝いの少女と一緒に記念撮影、ディリーから帰りの無事を祈ってスカー フを各々の首に巻いて貰 い、いよいよお別れ、ありがとうございました、大変お世話になりました。 通り道で昨日の土 産物屋のディリーにも挨拶を忘れず、ナムチェバザールのはずれでは野生の孔雀が二羽餌をついばんで遊んでいた。 トップダラの曲がり角からもエベレストは雲の中に隠れてしまっていた。 登り時話しかけられたMさんに出会った 、我々同様下りで、最年少エベレスト・サミッターの少年とも一緒だった、登頂時は十五歳、現在は 既に十六歳に なっていると。ここでも彼と皆が記念撮影。気さくな少年で、テンバ・ティェリン・シェルパとサインをもらった。 (最年少登 頂記録も今年の五月十五歳の少女の成功で更に更新されたそうです。) ジョルサレ、モンジョ、チュモア、ベンガールの橋、トクトク、パグディンと既に見慣れた風景の下り道を快調に下 る、途中、昨日訪問した クム ジュンンの学校の先生二人が休みを終えて登ってきたのに出会って暫く立ち話(勿論 、ダワ・ヌル~Kさんの通訳経由で)最近、クムジュン の学校にもPCを7台導入した、また、クムジュンまで指導に 来て欲しいとか・・・、それから、Kさんが始めてネパールに来たときのガイ ドにも遭遇、十数年ぶりとか、お互い懐 かしの記念撮影・・・、この街道の物流の機動力はゾッキョと人間、それを端的に表している風景に 出会った、 二人 のポーターがそれぞれ身の丈より大きな合板を担いで石段の上で休憩していた。 ガートだかチョプルンだったか、かの田部井(淳子)さんの支援で作られた林檎の畑、現地人と結婚して住み着いた老 日本婦人の家、子供 づれながら酔っ払って休憩しているおばちゃん・・・・いろいろな風景を見ながら下ってきたで もこの街道は今の風景のままでずーっと居て 欲しいなと感じるのはあまりにも勝手だろうか。 帰りは頑張って一気にルクラのホリデー・ロッジ着、ここのオーナーはアナンさんと言ってかつて多くの日本人隊 をガイドしてエベレストに むかったそうで、日本語もかなり話せた、埼玉から来たと言ったら、「川越に行ったことが ります」と返ってきた加藤保夫さんと登ったこと が縁で行ったそうだ。 サインをもらったり、ダワ・ヌル得意の絵をそれぞれTシャツに描いてもらったり、お礼に皆で合唱したり、・・・楽し い夜のひと時を。 |
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| 2002/11/08 カトマンズへ | ||||
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| 【エベレスト街道・トレッキング:行程】 五日目 ロッジ(6:30)→ルクラ空港→カトマンズ→ホテル 午後:タメル地区 朝一番機に乗るため6時半から空港に待機、既に多くの人たちが集まってきている、天候の良いときに乗らない と何時になるかわからな いこちらでは常識の様だ、厳しい荷物チェックも団体だと意外と簡単、それでも一人一人 のボディチェックはそれなりに、待ち時間の人間観察 も楽しい、CDのミュージックに浸るトレッカー、全身でリズム を取りながら闊歩するトレッカー。機銃を抱えて空港内を巡回する兵士・・。 断崖をアホウドリが滑空するように 飛び立つ小型機、 我々は結局2番機でルクラを後にした、帰りは予定通り右側の座席で離れていく銀嶺、 蛇行す る川、頂上まで続く段々畑を眺めながら、カトマンズへ、 ホテルに戻って一週間の疲れをシャワーに流して昼食、 昨日までガブガブお茶を飲んでいたがそれも必要なくなって久しぶりのくつろいだ昼 食にも誰もビールを欲しがら ない、環境変化に変調をきたすのも無理はない、甘いアマーいデザートにもびっくり。 体内も環境変化にびっくりか ?異常に働いている感じで落ち着かない。 ネパール航空機のメンテナンス手配の関係で帰りの便が10日早朝 に遅れることがわかった、Kさんには日本国内の乗り継ぎ 便の手配、 各自の留守宅への遅延案内等々大変煩わせることになったが、 もっとカトマンズを見学できることにな ってラッキー。午後は自由行動、ホテル周辺の近場を皆でブラリ、お土産アサリ、値段交渉もみんな 強くなって・・・ 。ある店で殆ど交渉がまとまり掛けたとたん、何故か皆買う意欲を無くしてしまったとき、店内は何か異様な雰囲 気だった。 矢張りそれぞれ疲れが出てきたのか、最後の日の市内観光に控えて早めの就寝。 |
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| 2002/11/09 カトマンズ観光 | ||||
| カトマンズの風景世界最高峰が並ぶヒマラヤの山々を背景に、ラマ仏教、ヒンズー教が織り成す風景と人々。 チベット、ブータンなどとは、今も尚、徒歩でヒマラヤの嶺を(峠)を越えて交流が行われていると言う。 トレッキングの途中でもチベットから2日がかりで歩いてきたと言う老人と出くわした。 北の丘陵の彼方にはガネッシュ、ランタン、ジュガールの7000m級の峰々が望まれる。西の丘に立つ別名モンキー・テンプルと呼ばれる スワヤンブナート寺院のストゥ-バに描かれた仏陀の知恵の目が、三万年前まで湖だったといわれるカトマンズ盆地の市街を見下ろしている。 北東に位置するネパール最大のストゥーバ(仏塔)で知られるボーダナート寺院、読経、礼拝、マニ車を回しながら巡回する人々、 火葬ガートで有名なバグマティ河岸のバシュパティナート寺院や、旧王宮ハヌマン・ドゥカ、インドラ・チョークのバザールを巡ると 不思議なエキゾチシズムの世界へと誘われる。 |
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| 【エベレスト街道・トレッキング:行程】 六日目 カトマンズ市内見学=スワヤンブナート→パシュパティナート→ボーダナート 市内自由見学=アサン→ハヌマン・ドカ→タメル いよいよ帰りの日、快晴窓辺に映るカトマンズの日の出が美しい。 現地ツアー社の社長が来られたり、Kさんの妹さんの友達だと言うR さんで観光飛行機のパイロットとか、いろい ろ事業プラン・・・・を、とそんな話をしながらゆっくりと朝食を、残念ながら自分はモーニング ・ティーで我慢、胃腸 の働きすぎを抑えるには絶食に限る。 マイクロバスに乗り込み、日本語の流暢なガイドのおじさん?の説明を聞きながら、街中を通って、観光の名所 へ、 まず最初は「パシュパティナート」ネパール最大のヒンドゥー寺院だそうだ、よく写真とか本でみるインドの聖地 、ベナレスの沐浴場を小さく したような感じもする、川沿いの階段、配置される火葬台(ガート)、その下の川で沐浴 する人々、おりしも一体の葬送の準備が進められる風 景が対岸にあった、白い布で包まれ木組みの担架に乗せ られ、多くの花に飾られて・・、橋を挟んで利用者の身分を分けているそうだ、まさし く上流は・・・。 門前には、花売り、香料、鮮やかな色の粉? が売られる出店が並び、姦しい呼び込みも。門前を後にして, 次は 「ボーダナート」へ今度はネパール最大の仏塔(ストゥーバ)が建つチベット仏教の巡礼地だそうだ。観光案内パ ンフレットには必ずあ る風景、白いお椀を伏せた様な上にかの“目“が描かれた建物に、上の尖塔から幾筋物張 られたタルチョ(赤=火、青=空、黄=地、緑=水、白 =風を表現)の布地に経文が印刷されている)が真っ青な 空にはためく、巡礼と思しき人々、僧侶、そして観光客。 中国がチベットを武力併合した後、チベット文化がこの様 に場所を替えて人々を惹きつけて止まないそうだ。 基壇部分にはマニ車が沢山仕組まれていてそれを回しながら右回りに巡回、若い少年僧が、当に向かってひた すら読経、礼拝する僧侶の姿、 基壇の上に上ってみると、周辺の、幾つかの僧院の屋根越しに真っ白なヒマラ ヤの峰が望まれる、その向こうにはチベット仏教の故郷、ラサが 在るのだろうか、先日クムジュンで出会った老人はあんな高みの峠を越えて来たんだろうかと想いを馳せる。 境内周辺の土産物店を物色して、 次の「スワヤンブ ナート」へ、カトマンズの市外を通り抜けて反対側西方の緑に囲まれた高い丘の上に建ち、ネパール最古の仏 教寺院。 ここからはカトマンズを見下ろすことができる。 バスから降り坂道を、我々がホコリ除けるためマスクをして登っていくと、通りすがりに欧米人?が「ノープロブ レム、クリーン」と話しか けてきた、我々は少し神経質になっているのかな? 建物の姿は先のボーダナートに似て いるが“目” の上の尖塔は五輪状の物が何層もあって 尖がり帽子の様に高い、矢張り、タルチョが幾筋かはため いている、正面に巨大な「金剛杵」が安置され、本尊は「大日如来像」が安置されて いるそうだ。 境内には蝋燭、灯明の油の煙が立ちこめ独特の匂い、雰囲気が漂う中、大勢の参拝客が詣でている、真言密 教の寺院だった。 伝説ではその昔、カトマンズ盆地が湖だったころから丘の上に建てられていたそうです。 市内観光を終わり、ホテルに戻ると来週からアンナプルナ方面に行くと言っていたダワ・ヌルが、時間が空いたからと午 後街中を案内してく れると言う(是も帰りの飛行機が遅れた為に出来た時間の活用に、Kさんの気配りで) 今度は 歩いて街中へ、まず腹ごしらえから、昼は久しぶりに日本食を食べに、「レストラン 日本の味 ふる里」 タメル・チョーク(四辻)、タヒティ・チョーク、 アサン・チョーク、ここでは香辛料が沢山そろえて売られており、白、黒の胡椒をお土産に 買った、インドラチョーク両側に は生活用品雑貨を所狭しと積み上げた店が並び買い物客で一杯、金物、真鍮の器などが目立つ、 さながらカ トマンズのアメ横と言った所か、興味深々にぶらぶらとこんな所を経て 【世界遺産】旧王宮のあるダルバール広場へ寺院、博 物館、寺院の有る一帯は入場料がいる、 いかにも年代を感じさせる建物が並び、軒下で行者(サドゥー)と思しき 人が瞑想したり、話し込んだり、通りすがりの人に声をかけたりして いる前を通って庭の奥のほうに進むと、細か な木彫りで飾られて中庭を四方から囲む形で建てられた「クマリの館」と言うのがあって中庭に入 って暫くすると 二階の窓から「女神クマリの化身」と言われる濃い化粧に着飾った少女が一瞬顔を出した、 すかさず写真を撮ろう としたが制止させられて残念、 それにしてもなんとも不思議な人生を歩まされる人もいるもんだ、今の日本では信じられないな、そんな感慨を抱いて門を出ました。 祭りの日には生贄にされる牛の血で真っ赤に染まると言う広場を通り、旧王宮をあとに。 観光では体験できない通り、カトマンズの人々が日常使う裏通りの喫茶店?で飲みなれたレモンティーで休憩、 嘗てダワ・ヌルが通ったと言う学校があった、ナムチェの様な遠くからこの様な学校に通わせるシェルパ族の教育に対 する姿勢が覗える。 タヒチ・チョークの近くの、スィガー・ストゥーバの門前の紅茶店で、それぞれにお土産の茶葉を物色、皆沢山買 い込んだ様子、 ここからは皆、見馴れた通りを三々五々ホテルへ。 いよいよさよならパーティー、ホテルでの予定だったが、マイクロバスででかけた、名前は忘れたが真白い建物 に入って、日本人が良く使 うところか、殆どの客が日本人、食事とショーを楽しむ、 これからトレッキングに向かう グループ、我々のように終えたグループが、先ずは2 階でネパール料理の食事、そして、強い地酒(ロキシー)とそ れを使ったショウ、カワラケのお猪口に高いところに上げたピュータから注ぐ妙 技、明かりを消して手につけたロキ シーをライターの火を近づけるとほのかに青い炎が燃える、酒度の高い事を・・。 3階に上って、今度は他のグループとも一緒にロキシーをチビリちびりやりながら、民族舞踊の観賞、2,3人ず つ交代で衣装を変えながら 、昔の生活を表現しているのか・・・・、それにしても街中では見かけない美人ぞろい、 中央アジアの、シルクロード地方の容貌と雰囲気の・ ・。 ロキシーが美味しかったのでボーイに買って帰れるかと聞いたら、門外不出とか、例のガイドに裏交渉を頼んで みると、ミネラルウォータ ーならOKとか、交渉成立ペットボトルに1リットルで1000ルピー(少し高めでもチップを込めて)、しめしめ是ですべて 手持ちのルピー を消費したこ とになり、いよいよネパールともお別れ、ホテルに戻り、翌1時まで仮眠。 |
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| 2002/11/10 帰路 | ||||
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| エベレスト街道・トレッキング:行程】 最終日 カトマンズ→空港→上海浦東空港→関西国際空港→東京羽田空港→帰宅 帰国便は、午前4時30発、真夜中の空港に向かい手続き待ちも、全てのカウンターはまだ閉まっており、少し動いて話してみるとのってきた 、向こうも時間を持て余しているようで、ツーリスト・セキュリティーのリーダーとか、国王 のバッジを付けたベレーの自慢から、ネパールの 感想やら・・・・、他愛無い話ではあるが是も旅の楽しみの一つ。 四時も近づくとカウンターも開き、免税店も開いてきたが決して品揃えは豊富ではなく、見るだけ。 厳しい携行手 荷物のチェックを終え、整備を終えた機まで歩いて搭乗、未明のカトマンズ国際空港を後にした。 空港で待ってい るときから少し周囲の人達とは印象が異なる人がいてなんとなく気にしていたら、機内席が同列の彼は窓側、自 分は間にネ パール人を挟んで通路側、上海でネパール人が降りて行ったのでその後話が出来た、彼も我々のグ ループに関心を持っていたようで、船橋 の人だった、ゴム草履をはいて、髭を生やして、ネパール風の服装も・・・ 板について・・・、アンナプルナ方面に一ヶ月近く一人で回ってき たそうで、いろいろ印象を話してくれた、自分より 年配に見えるが生業はどんなことをされている方だろうとか想像しながら、お土産に買って きた、ポーターが頭か ら掛ける荷物用の帯とか、蔓性のスツールとか、・・・見せてもらいながらトレッキングの楽しみの事など話しなが ら、 こんな風に気軽に出かけている人もいるんだ。 窓から外を眺めては今どこら辺を飛んでいるなとか、東シナ海上空から九州、瀬戸内海上空の思い当たる地 形を探しつつ、関空へ、 羽田への便では是非夕日に染まる富士山の姿を写真にとりたいと話していた、空港では 別れてしまったが考えることは似ているな、自分もそ の為にフイルムを数枚残していた 、関西空港では乗り継ぎの客で大変混雑しかも荷物の積替え他いろいろ事情が重なり出発の時間も遅れ飛び立ったときは夕闇に向 かっていた。 機内では帰国してほっとしたのか羽田に着陸態勢に入ったころKさんに起こされるまですっかり寝込 んでしまった。 長年夢に抱いてきた世界の最高峰エベレストを心いくまで眺められ、アマダブラム、ローチェ、カン テガ、クスムカングル、タムセルク、クーンビラ、コンデ・リ、パッチャルモその他、沢山の初めての山々、ジャイア ント・ヒマラヤを眺めることができ、多くの人々に出会い、ネパー ル、チベットなど異国 の文化に触れて、とても楽し い八日間の旅は終わりました。 次は、アンナプルナ方面に石楠花の季節に行ってみたいな、チベットのラサ周辺 も一度は、カイラス山を眺めに行くのも悪くない、ナムチェを越え てカラパタールまで行ってみたい、夢は広がるば かりだ。 同行のメンバーの皆さん、とても素晴らしいチームワークで素晴らしいかった、常に気配りを忘れないで 世話してくれたKさん、現地のスタ ッフの皆さんありがとうございました。 「行った!見た!感激!」感動!感謝!」 *その後、撮影してきた写真を整理し(おおよそ900枚・フイルム)、また、現地で聞いた音楽を街中で見つけ、CD‐Rに編集したりて、 とても素晴らしい思い出のアルバムになりました。 |
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| 1996/10/09~13 ✈🚌🚖アメリカ・西海岸・ロサンゼルス・グランドキャニオン・サンディエゴの旅 | ||||
| ロサンゼルス | グランドキャニオン | サンディエゴ | ||
| グランド・キャニオン 更に気の遠く及ばない悠久の時を見つめてきた広大な自然の営み。 | ||||
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| グランド・キャニオン 更に気の遠く及ばない悠久の時を見つめてきた広大な自然の営み。 |
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| ロサンゼルス | ||||
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| ロサンゼルス 月並みな表現ながら、洗練されたビジネス街 |
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| サンディエゴ | ||||
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| サンディエゴ観光 何処かヒスパニックな雰囲気と・・・、抜けるような空の下。 |
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| 1986/08/09-13 ✈🚌シンガポール・ジョホールバルの旅 | ||||
| シンガポール 1986/08/09(土) 成田空港 ✈ シンガポール・チャンギ国際空港~バス・~~(泊) 1986/08/10(日) (泊) 1986/08/11(月) シンガポール・チャンギ国際空港 ~ ✈ ~成田空港 |
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| シンガポール | ||||
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| ●国内の風景 | ||||
| 富山 八尾・風の盆 |
南紀瀞峡 紀和町の風景 |
白河の関・猪苗代 磐梯山・大内宿 |
奈良・室生寺 大野寺・長谷寺 |
八ヶ岳・白駒池 |
| 故郷に思いを | 川名の奇祭 ひょんどり |
西中国地域 島根・山口・広島 |
北海道・夏 | 奥只見線 |
| 北九州・大分 | 高野山(空海) 比叡山(最澄) |
東北・白神山地 | 北海道・冬 | 大内宿 |
| 奥会津・高清水 | 浄瑠璃寺・岩船寺・海住山寺 | |||
| 2025/10/17-18 🚄🚌世界遺産探訪 高野山・比叡山・京都東寺 | ||||
| 日本仏教を象徴する二つの聖地、世界遺産に”空海と最澄”の風景を訪ねる旅、高野山・比叡山 ①真言宗総本山金剛峯寺 途中奈良市内宿泊=いろはグランドホテル近鉄奈良駅前 OP・早朝の散歩に猿沢の池から興福寺境内を歩き、時に鹿と戯れる ②天台宗比叡山延暦寺・東塔地域・西塔地域・横川地域 ③真言宗総本山教上護国寺・東寺 |
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| 2024/10/17-18 ✈🚌🚃北九州空港・宇佐神宮・国東半島・臼杵石仏・別府温泉・耶馬渓 | ||||
| 北九州 | ||||
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| 2022/11/07-08 JR奥只見線復興記念 東武日光線・野岩鉄道・会津鉄道周回 | ||||
| JR奥只見線復興記念 | ||||
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| �2022/07/11-14✈北海道絶景ハイライト | ||||
| 北海道ハイライト | ||||
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| 2017/02/11-13 ✈島根・萩・山口・角島大橋・広島・厳島・広島平和公園 | ||||
| 島根・山口・広島周遊 2017/02/11(土) 羽田空港 ✈ 島根・石見空港~バス・~~(泊) 2017/02/12(日) 萩市(泊) 2017/02/13(月) 広島・錦帯橋空港 ~ ✈ ~羽田空港 |
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| 東北・白神山地 | ||||
| 東北・白神山地 | ||||
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| 奥会津・高清水 | ||||
| 奥会津・高清水 | ||||
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| 浄瑠璃寺・岩船寺・海住山寺 | ||||
| 浄瑠璃寺・岩船寺・海住山寺 | ||||
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| 北海道・冬 | ||||
| 北海道・冬 | ||||
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| 🚘 1983/01/04 🚘静岡県浜松市(旧引佐郡)引佐町川名の奇祭”ひょんどり”神事 | ||||
| 静岡県浜松市浜名区引佐町川名福満寺薬師堂(通称:八日堂)に伝わる「川名のひよんどり」 この行事は、400年以上(一説には600年前)続く、五穀豊穣と家内安全を祈る勇壮な火祭り。 国の重要無形文化財にも指定されている。 |
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| 🚘 故郷に想いを・・・ 2010/01/14 大黒屋光太夫 2016/09/29 東海道関宿 | ||||
| 2010/01/14 故郷の風景白砂の海、 井上靖作「おろしや国夢譚」の”大黒屋光太夫”の故郷 登山を題材に友情と葛藤を描く小説「氷壁」 |
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| 2016/09/29 東海道五十三次関宿 | ||||
| 🚘 2006/09/26-27 初秋の信州路・八ヶ岳・白駒池他・ばらくら・七島八島 | ||||
| 八ヶ岳・白駒池他 | ||||
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| 七島八島・ばらくら | ||||
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| 🚘 2013/05/09 奈良・室生寺・大野寺・長谷寺を訪ねて | ||||
| 東奈良の古寺 室生寺・大野寺・長谷寺 | ||||
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| 東奈良 女人高野・石楠花の咲く室生寺を、藤の花咲く室生川岸に佇む大野寺、初瀬山の西の丘に牡丹咲く長谷寺を訪ねた。 | ||||
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| 2016/07/01-02 東山道・勿来の関・白河の関・会津磐梯山・南会津大内宿 | ||||
| 白河の関・猪苗代湖・裏磐梯・五色沼・大内宿の風景 | ||||
| ◎白河の関跡 奥州三古関のひとつに数えられる白河関は、奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、蝦夷(えみし)の南下や人、物資の往来を取り締まる機能 を果たしていたと考えられています。 その後律令制の衰退とともにその機能を失いましたが、『歌枕』(和歌の名所)として文学の世界で都人の憧れの地とな り、能因法師や西行法師、松尾芭蕉など時代を代表する歌人・俳人たちが多くの歌を残しています。 ・山形県鶴岡市の念珠関(ねずがせき) ・福島県いわき市勿来町関田の勿来関跡(なこそのせき) ◎猪苗代湖・裏磐梯 ◎大内宿 |
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| 大内宿 | ||||
| 大内宿;会津若松城下と栃木の今市宿を結ぶ下野街道の宿場町だったそうです、福島県南会津郡下郷町にあって、宿場通りは現在の131号線からおおよそ1㎞程の間離れて有ります。現在は国の重要伝統的建造物保存郡地区に選定されている。 「江戸の宿場町の空気がそのまま残る場所」と言われ、名物のねぎそば(そばを一本のねぎで、それを薬味に齧りながら頂く)を楽しんだり、 坂の上から見下ろす街並みもも良いものです。(会津若松方面・旧街道の北端に位置するところ大内宿見晴台がある) 訪問した時は奇しくも、高倉神社(大内鎮守)の「半夏まつり」の日でした。 実は1968年ころだったか友達と会津磐梯山を訪ねた行き返りにこの街道を通った時は”街並み”に築くことはなかった、まだまだその頃は道路も 舗装されていない時代、下郷会津本郷線を通過してしまったようでした。若気の至りか?目的地”磐梯吾妻スカイライン”に執着の余り、又夜道になってしまったこともあったかなと今さら思い出している。 |
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| 🚘 2004/01/17-18 三重県熊野市(旧南牟婁郡)紀和町と瀞狭・丸山千枚田 | ||||
| 南紀瀞峡・紀和町の風景 | ||||
| 紀和町(きわちょう)は、 三重県南部の南牟婁郡にあった町。2005年11月1日に熊野市との新設合併により、新しい熊野市となった。 地理: 三重県最西端に位置した。 河川:北山川 に隣接していた自治体 南牟婁郡:紀宝町、御浜町 * 和歌山県:東牟婁郡北山村、新宮市 * 奈良県:吉野郡十津川村 ※紀和町大河内、大河内神社参道前に、立派な「後南朝史跡行宮址」の顕彰碑が建つ(1981年12月2日) 顕彰碑建設発起人会々長 西岡正男氏(縁あって菰野町の石材を紹介となり、建立計画の加速につながった) |
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| 敬愛した南牟婁郡紀和町議会故西岡正男氏の故郷地域、今熊野古道で注目!! | ||||
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| 🚌 2012/09/02-03 富山県富山市八尾町(旧婦負郡)「風の盆」を訪ねて | ||||
| 富山 八尾(やつお) 風の盆 | ||||
| 【日程】 2012/09/02-03 富山湾・富山平野・立山・大日岳・剣岳を一望できる牛岳パノラマ・オートキャンプ場のテント、バンガロウに分宿して、 八尾の街へ。 |
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| 越中八尾 おわら風の盆 格子戸のある旅籠宿が、土蔵造りの民家が往時のたたずまいを偲ばせる越中八尾。 その町並みを吹き 抜ける二百十日の大風をおさめ、五穀豊穣と永世の繁栄を祈るためにかくも叙情豊かに、気品高く唄い踊り継がれる、おわら風の盆。 越中八尾観光協会より |
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| 山間の町に哀愁を帯びた二胡・三味の音が吹き抜ける越中八尾町「風の盆」 | ||||
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| 旅々浪漫 趣 味 の 写 真 | ||||